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京都のお寺に育ったしばやんの歴史考察など

戦国時代に多くの農民が大名の軍隊に加わった理由

学生時代に、応仁の乱ののち下剋上の風潮が生まれて、諸国には実力によって領地を支配する大名が次々と生まれて互いに争う時代になったと学んだのだが、なぜこのような戦争を繰り返す世の中になったのかが良く分からなかった。戦国時代の軍隊の大多数は足軽で、彼らのほとんどは農民で戦争のたびごとに駆りだされていたというのだが、農業という重要な仕事を持ちながら、多くの農民が戦いに参加したのはなぜなのか。

小説やドラマでは戦国時代を戦国大名の領土拡張戦のようにとらえ、歴史書も大名にスポットを当ててこの時代を描いているのがほとんどなのだが、そのような叙述が戦国時代の実態を伝えているわけではないと、最近では考えるようになった。

雑兵たちの戦場

以前このブログで紹介したが、立教大学名誉教授藤木久志氏が著した『雑兵たちの戦場』にこう記されている。

凶作と飢饉のあいついだ戦国の世、懸命に耕しても食えない人々は傭兵になって戦場へ行った。戦場に行って、わずかな食物や家財や男女を奪い、そのささやかな稼ぎで、なんとか冬を生き抜こう。そんな雑兵たちにとって、飢えに見舞われる冬から夏の端境期の戦争は、たったひとつのせつない稼ぎ場であった。そこには、村にいても食えない二、三男坊もゴロツキも悪党も、山賊海賊や商人たちも殺到して、活躍した。戦場にくり広げられた濫妨狼藉、つまり掠奪・暴行というのは『食うための戦争』でもあったようだ。」(『雑兵たちの戦場』p.7)

「雑兵(ぞうひょう)」というのは武士に奉公する「足軽」や、足軽より身分が低く戦場で馬をひいたり槍を持つ「下人」や、村々から駆り出されて物を運ぶ「百姓」などの総称で、戦国大名の軍隊は、騎馬姿の武士はせいぜい1割程度で、残りの9割は「雑兵」であったという。
雑兵たちは、懸命に戦っても恩賞があるわけではない。彼らを軍隊につなぎとめて作戦に利用しようとすれば、ある程度の掠奪や暴行を許容する武将が多かったという。

引用した藤木氏の文章の冒頭に「凶作と飢饉のあいついだ戦国の世」とあるが、この部分はこの時代を読み解くのに重要な部分だと考えている。

日本気象予報士会東京支部長の田家康氏の『【異常気象】小氷河期が戦乱を生んだ』という論文がネットで公開されている。ここにはこう記されている。

一四二〇年代から、冷夏・長雨による飢饉の記録が増えてくる。室町時代前期にあたる一三三〇年代から一四二〇年までの約九〇年間で冷害・長雨に由来する全国的な飢饉は一三五六年、一三九〇年、一四〇六年の三回しか起きなかったのに対し、シュペーラー極小期に相当する一四二〇年代から一五三〇年代の約一一〇年間で一一回発生している(表1)。日本の農業の歴史を振り返ると、灌漑設備や水利管理の充実によって干ばつ対策は進んできた。しかし、冷害には脆弱であり、この課題は今日でも引きずっている。」
http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/1822?page=4

東南アジアの夏の平均気温推移

シュペーラー極小期」というのは15世紀から16世紀にかけて太陽活動が低下した時期のことで、太陽活動が活発であったかどうかは古木の年輪に含まれる放射性炭素C14の測定値で分かるのだという。

シュペーラー極小期」の始期と終期については諸説があり、Wikipediaでは「1420年頃~1570年頃(1450年頃~1550年頃とも)」と書かれている。
太陽活動が低下すると穀物等の収穫量が減少し餓死者が増大することになるのだが、わが国における「シュペーラー極小期」は応仁の乱から戦国時代にかけての時代を含んでおり、この時代に各地で飢饉が発生し、土一揆が起ったり隣国同士が戦うなど、争いごとが頻発していた時期であることが容易に確認できる。

広域の飢饉発生年とその要因

飢饉の原因となるのは太陽活動の低下(冷夏)ばかりではない。干ばつもあれば大雨による洪水もあり、虫害もその原因となりうる。
たとえば天文8年(1539)に発生した大雨・洪水とイナゴの大量発生、さらに翌年の春には再び大雨・洪水が発生して食糧不足となって各地で餓死者が続出し、疫病も流行して多くの死者が出たという。

Wikipediaには、この「天文の飢饉」についてこう解説されている。
「醍醐寺理性院にいた僧侶厳助の日記『厳助往年記』によれば、京都では上京下京合わせて毎日60人ほどの遺体が遺棄されていたことや誓願寺にて非人施行が行われたことなどが記され、『七百年来の飢饉』『都鄙で数千万人の死者』と評している。数千万の死者は過大であるとしても、当時の社会に与えた影響の大きさを物語っている。
当時は戦国時代の最中で朝廷も室町幕府も飢饉の救済にあたるだけの政治的・財政的な措置を取ることが困難であった。そのため、朝廷では写経を実施し、幕府は北野社や東寺にて施餓鬼会などの祈祷を行わせる命令を出して、飢饉の対策とした。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%96%87%E3%81%AE%E9%A3%A2%E9%A5%89

いつの時代もどこの国でも、天候異変などで食糧が絶対的に不足した時には多くの餓死者が出るだけでなく、生き残るために食糧や財貨などを奪い取る争いが起こってもおかしくないだろう。
わが国において、この時代に「濫妨狼藉」が各地で何度も発生しているのだが、先ほど紹介した田家康氏の論文には、このように解説されている。

「一六世紀後半になると再び気温が大きく低下した。上杉謙信の関東出兵は一五六〇年から一五七四年にかけて一二回を数えたが、このうち八回は秋から冬に出陣し関東平野で越冬している。収穫期を狙ったもので、越後から連れてきた人馬の食糧確保が大きな目的であった。城を攻め落とすと戦場で人身売買も行われた。武田信玄も飢饉発生の直後に南信濃、北信濃への遠征を行っている。『甲陽軍鑑』には、侵略した地域での「乱取り」(掠奪)の状況が描かれている。
 西日本でも同様であった。一五七八年から一五八六年にかけての薩摩軍の豊後侵攻を目撃したポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは、この国の戦争はいつも「小麦や米や大麦を奪うためのものだ」と語っている。町や村を破壊して財貨は略奪され、「苅田」により農作物が刈り取られる光景に驚きを隠さなかった。
 室町時代後期から安土桃山時代の間、武力を用いて自力救済をはかるという発想は、日本全国で支配者層から農民・流民に至るまで満ち満ちていた。天下を統一した豊臣秀吉は、この高ぶるエネルギーの鎮圧を目指した
。」
http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/1822?page=5

甲陽軍鑑

武田軍が信州に攻め込み、大門峠を越えて敵地に入り、ここで7日間の休養が告げられて陣中の者が喜び勇んで「乱取り」した状況が甲斐・武田家の軍書『甲陽軍鑑』に記されている。『甲陽軍鑑』は、国立国会図書館デジタルコレクションで読み下し文が公開されているので該当部分は誰でもネットで読むことが可能だが、ちょっと読みづらい。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1240963/95

要するに武田軍の雑兵たちは一帯の民家を襲って「乱取り」を働き、田畑の作物を奪う「苅田」に熱中し、初めの3日間で近辺を荒らし回ると、4日目からは遠出をして朝早く陣を出て夕方に陣に戻るという大がかりな乱取りを始めたのである。
しかし武田軍の三人の侍大将の夢枕に諏訪明神の使いという山伏が現われて、「乱取り無用」という信託を告げ、侍大将達は以降「乱取り禁止」を命じたので、それ以降信濃の人々は被害を免れたと書かれている。

このような「乱取り」は信州だけでなく全国各地で起こっている。たとえば、九州に関して藤木久志氏は前掲書にこのような事例を挙げている。
「(島津家家老の上井覚兼は)…天正10年(1582)末、肥前で有馬氏を助けて、龍造寺の千々岩城を攻め落としたときの戦果報告を、『敵二、三百討ち捕る』『執る人などは数を知らず』『分捕りあまた』と書き留めていた。
 その時の島津軍の動きを(イエズス会宣教師の)フロイスも同じように記していた。『彼らは大勢の敵兵を殺し、捕虜にし、その地を蹂躙し掠奪した。だが山頂にいた指揮官と若干の兵士たちは(早く)戦利品をもって帰りたいと野望するのあまり、(敵を)思う存分に撃破するに必要な一両日を待ちきれず、最良(の獲物である城)を放棄したまま…目標を達することもなしに、引き揚げてしまった。』と」(『雑兵たちの戦場』p.16)

このような記録を読むと、雑兵たちの中には、戦いに勝つことよりも戦利品を持ちかえることの方を優先していた掠奪集団が少なからずいたことが見えてくる。

では、彼らがどのようなものを戦利品にしていたかというと、食糧以外にも武具や財貨や家財や牛馬のほか人間も対象にされていた記録が各地に残されている。人間を拉致したのは、自分の召使いにしたり、身代金を獲ることが主な目的で、女子供が狙われることが多かったようだ。

また九州では、以前このブログでも書いたように、島原半島に人身売買の市場が存在し、そこから東南アジアやヨーロッパ、南米に送られていたことを知らねばならない。特に東南アジアでは日本人男子は傭兵として高く評価され、ポルトガル人、シャム人、カンボジア人らが多数の日本人を購入していたこの時代の記録が多数残されているのだ。

しかしながら「シュペーラー極小期」は終りを告げて、穀物の収穫も改善の兆しが出てきた。にもかかわらず濫妨狼藉が続いて、これをいつまでも放置していれば人々は安心して生きていけないし、争いが続いて国力が衰えていくことは誰でもわかる。当時のポルトガルやスペインはわが国を植民地化することを虎視眈々と狙っていたので、国を守るためにはこのようなつまらぬ争いを誰かが止めなければならなかった。

豊臣秀吉

豊臣秀吉は天正15年(1587)頃、武器の使用による村の紛争の解決を全国的に禁止し(喧嘩停止令)、さらに『伴天連追放令』を出して海外に日本人を売ることを禁止している。(『天正十五年六月十八日付覚』)
また天正16年(1588)に『刀狩令』を出して農民の帯刀を禁止して没収し、天正18年(1590)には『浪人停止令』で、農村内の武家に仕える定まった奉公人以外の雑兵農民を禁止し村から追い出す指令を出し、その第3条で奉公人以外の百姓から武装を取り上げるように指示している


わが国を統一してしかるべき地位に就いた者しか為し得ないことを、豊臣秀吉が適切に実施したことで、誰もが安心して暮らせる社会を実現させる道を開いたことはもっと高く評価して良いと思う。

大坂夏の陣図屏風

しかしながら、秀吉の出した一連の命令で濫妨狼藉が完全に消滅したわけではなかったようだ。
大阪城に展示されている『大坂夏の陣図屏風』の左半分には徳川軍の雑兵が大阪城下の民衆に襲いかかる現場が描かれている。戦いのどさくさで他人の財物を奪うことの味を占めた者を矯正することは、いつの時代もどこの国でも容易ではなさそうである。

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【ご参考】このブログでこんな記事を書いてきました。良かったら覗いてみてください。

日本人傭兵隊がシャムで結成され、山田長政が活躍した背景を考える
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-370.html

日本人傭兵を買い漁った西洋と東南アジア諸国の背景を考える
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-371.html

日本人女性がポルトガル人やその奴隷に買われた時代
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-373.html

フィリピンを征服したスペインに降伏勧告状を突き付けた豊臣秀吉
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-374.html



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京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。
5年ほど前にあるブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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