HOME   »  イザベラ・バード
Tag | イザベラ・バード

韓国皇帝が伊藤博文を「韓国の慈父」と呼んだ経緯~~~伊藤博文暗殺その1

わが国の初代首相であった伊藤博文は、明治42年(1909)10月26日にハルビン駅頭で、韓国の独立運動を進めていた安重根によって射殺されたというのが定説になっている。

An_Jung-geun.jpg

韓国では、安重根は抗日戦争の英雄と評価され、1970年にはソウルに「安重根義士記念館」が建設されるなど、まるで韓国の国民的英雄扱いだ。

しかし、伊藤博文を暗殺した犯人は安重根でないという説が、随分昔からある。

murota-y.jpg

そもそもこの時に伊藤博文の随行員として事件現場にいて、自らも5発も銃弾を受けたものの一命を取り留めた貴族院議員の室田義文(むろたよしあや)が、「伊藤に命中した弾丸は安重根の拳銃から発射されたものではない」と断言しているようなのだが、なぜこのような重要な証言が永年無視されてきたのかと疑問を持たざるをえない。そもそも安重根が撃った銃弾は5発なのだ。伊藤、室田の他にも4名の随行員が撃たれているのだ。

室田義文の証言の話に入る前に、伊藤博文が暗殺されるまでの経緯を、Wikipediaなどを参考に振り返ってみよう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%8D%9A%E6%96%87

img_1017716_26814087_0.jpg

明治38年(1905)の第二次日韓協約によって大韓帝国が大日本帝国の保護国となり、韓国統監府が設置されると伊藤博文はその初代統監に就任した。
伊藤は国際協調重視派で、韓国の直轄植民地化を急ぐ山縣有朋や桂太郎、寺内正毅ら陸軍軍閥としばしば対立し、韓国については、国力がつくまでは保護国による実質的な統治で充分との考えから、当初は日韓併合反対の立場を取っていたという。しかし、その後韓国内で義兵闘争が盛んになって考え方が変化したらしく、明治42年(1909)4月に、時の首相・桂太郎と外相・小村寿太郎が韓国併合策を陳述すると伊藤統監はそれを是とし、5月には統監職を辞し帰国して枢密院議長となり、7月に閣議決定された「適当ノ時期ニ於テ韓国ノ併合ヲ断行スル事」に伊藤が反対した形跡はないのだそうだ。
そして伊藤はその年の10月にロシア帝国蔵相ウラジーミル・ココツェフと満州・朝鮮問題について非公式に話し合うために哈爾濱(ハルビン)を訪れた際に、そこで何者かに射殺されてしまった。

では、この背景について、一般的な教科書ではどう書かれているのか。
『もう一度読む 山川の日本史』には、こう記述されている。
「(わが国は)列強の植民地政策をまねて、東アジアにおいて勢力拡大をはかった。日露戦争中から戦後にかけて、3次における日韓協約を結んだ日本は、韓国を保護国として統監をおき、韓国の外交・内政・軍事の実権をつぎつぎと手中におさめていった。
韓国では、韓国軍の解散に反対して義兵運動を展開するなどはげしく日本に抵抗したが、日本は軍隊を出動させて鎮圧した。1909(明治42)年には、前韓国統監伊藤博文がハルビンで韓国の民族運動家に暗殺される事件がおこった。日本政府は1910(明治43)年、ついに韓国併合をおこなって(韓国併合条約)、韓国を日本の領土とし、朝鮮総督府をおいて植民地支配をはじめた。」(p.253)

このような記述を普通に読めば、西洋列強が植民地を搾取したのと同様に、わが国も韓国を搾取したように解釈してしまうところだが、当時の韓国は国家の体をなしていなかったことをまず理解しておく必要がある。

加耶大学客員教授の崔基鎬氏はこう書いている。
「…当時の韓国の財政は破滅的状態で財源は涸渇し、政財界には不正と腐敗だけが蔓延していた。
伊藤が統監として赴任した三年間、彼は祖国日本から無利子、無期限の資金3000万円を引き出し、韓国の道路、学校、土木工事、鉄道、病院建設にこれを充当した。
彼は韓国および韓国人のために、中央政府の大臣と、地方長官には韓国人を任用し、日本人はその下の補助役に就かせるにとどめた。そればかりではなく、日本人には荒蕪地の開発などの難しい仕事をやらせた。だがこうした事績は、韓国では(あるいは日本でも)、不当にも抹殺されて、顧みられることもない。…
李朝当時の韓国は、両班(ヤンパン)という堕落した不労所得者の貴族集団が、良民、農民たちから財産と生産物を奪い、百姓たちは瀕死の状態に喘いでいた。
李朝の500余年間、正式の学校もなく、名ばかりの国立(官立)学校が4校あるにすぎなかったが、伊藤は、教育の重要性を考えて『普通学校令』を公布し、統監府時代(1906-1910)には、すでに日本の資金で100校以上が築造され、合邦以後もそれは続き、1943年には5000校に達した。
また李朝の腐敗した統治にあってインフレーションに悩む民衆のために、朝鮮を『円通貨圏』に統合した。朝鮮史上、紙幣が流通したのは、実はこれが初めてのことで、これによって物価が安定し、朝鮮に『現代的貨幣制度』が確立されたことも、伊藤の功績である。」(『歴史再検証 日韓併合』祥伝社黄金文庫p.18-19)

48.jpg

「敵国であった明の協力で打ち立てた国であるから、その後の李朝が明の隷属国家に転落したのは必然である。国民は奴隷民族化され、私有財産も没収された。李朝は専制王権制度に体制を変え、朝鮮民族が古代から高麗にいたるまで連綿と持ち続けた国際的自尊心を放棄し明の属国として堕落が始まった。
このような環境の中で、階級制度は固定化し、創意工夫の精神は圧殺された。こうして李朝は、搾取と虐政の中にあり、国王は名ばかりでなんら政策も施さず、その政府には国家の予算すら存在しないという無軌道ぶりだった。いわば民衆は無政府状態に置かれていたのだった。

清と朝鮮との主従関係を断ち切ろうとした日本の狙いは、実際には実現にはほど遠く、清の保護下にある李朝の専横は変わることなく、民衆は相も変わらず、塗炭の苦しみを味わいづけてきた。近代化と自主独立の道を拒否しつづける李朝の存在は、東アジアの状勢に不穏な種を宿していたのである。


目賀田種太郎

1904年、日清戦争に続いて日露戦争を控えた日本は、こうした朝鮮の惨状を見かねて、目賀田種太郎を財政顧問として派遣し、日本からの財政支援をもとに、李朝をまともな国として建て直すという態勢がようやく緒につくことになった。
目賀田財政顧問と統監府は朝鮮の歳入不足分を補填するために、日本国民の税金から、大韓帝国政府に無利子、無期限の資金『立替え』を実施したほか、直接支出で援助した。
たとえば1907年度で、朝鮮の国家収入は748万円しかなく、必要な歳出は3000万円以上であったから、その差額は全額日本が負担した。
1908年度には、これがさらに増えて、合計3100万円という巨額の資金を日本は支出した。
統監府時代の4年間に、日本政府が立て替えた朝鮮の歳入不足分は、1428万円にのぼった。
そればかりではなく、司法と警察分野などに日本政府が直接支出した金額は、立替金の数倍、9000万円に達している。現在の朝鮮・韓国の歴史では、日本の特恵的支援には一言も言及がなく、侵略だけを強調しているが、これがいかに偏狭な史観であるかを自覚しなければ将来は開けない。
1910年8月29日には、明治天皇から恩賜金として3000万円が与えられ、旧韓国が日本政府から借用していた2651万円は、そっくり棒引きされた。」(同上書p.20-22)

わが国の教科書も崔基鎬氏のいう「偏狭な史観」に少し毒されていることになるのだが、韓国の学者が次のように述べていることを日本人はもっと知るべきではないだろうか。
「日韓併合によって、搾取され呻吟したのは、韓国・朝鮮国民ではなく、日本国民であった事実を認めるべきである。」(同上書p.24)

この記述が正しいことはわが国が統治する前と統治後の写真を比較すればわかる。

d5a9a9c85a8b145540ecbdbdb0d820a8.jpg

いずれもソウルの南大門の写真だがどう変わったか一目瞭然だ。

次の写真もソウルのものだが、貧民窟のような首都に道路が整備され瓦屋根の家が立ち並ぶようになったことがわかる。

60zenkei.jpg
keijo0yama.jpg

イギリスの旅行家・イザベラ・バードが1894年から1897年にかけて4度にわたり朝鮮を旅行し、首都ソウルについてこのように記している。
「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民はおもに迷路のような横町の『地べた』で暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、おまけにその幅は家々から出た固体および液体の汚物を受ける穴かみぞで狭められている。悪臭ぷんぷんのその穴やみぞの横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たち、疥癬持ちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、ひなたでまばたきしたりしている。…」(『朝鮮紀行』講談社学術文庫p.59)
このような記述がまだまだ続くのだが、この本は韓流ドラマかぶれの方に是非読んでいただきたいものである。

5jang-p2.jpg

次のURLに多くの写真が紹介されているが、この写真を見れば、李氏朝鮮の時代は、イザベラバードの記述が正しいことは誰でもわかる。
http://www.geocities.jp/hiromiyuki1002/cyousenrekishi.html

朝鮮半島はわが国のインフラ投資などにより急激に豊かになり、人口が大幅に増加していることが統計数字からわかる。
韓国の教員用国定歴史教科書によると、1777年に韓国の総人口は1804万人であったが、100年後の1877年には1689万人で減少していた。それが日韓併合時の1910年には1313万人で、それが32年後の1942年には2553万人になっているという。

このような背景を知ると、韓国の近代化に尽力した前統監の伊藤博文が韓国人によって暗殺されたという話は、当時一般の韓国人にとって喜べる話であるはずがなかったと思われる。伊藤博文が暗殺された翌日(10/27)に韓国皇帝(高宗)は伊藤のことを「韓国の慈父」だと述べたそうだが、多くの韓国人も同じような思いではなかったか。

Gojong_of_the_Korean_Empire_01.jpg

皇帝の言葉は次のようなものであった。
「伊藤を失った事で、東洋の偉人がいなくなった。
伊藤は我が国に忠実と正義の精神で尽くしてくれた。
自分の骨を長白山に埋める覚悟で、韓国の文明発達に尽くすと言っていた。
日本に政治家はたくさんいるだろう。
しかし伊藤のように国際政治を理解し、東洋の平和を祈った者はいない。
本当に伊藤は韓国の慈父だった。
その慈父に危害を加える者があるとすれば、物事を理解できない流浪人だろう。」

また、10月28日には韓国皇帝はさらにこう述べたという。
「伊藤を失った事は、我が国だけの不幸ではない。
日本だけの不幸ではない。
東洋の不幸である。
その暴徒が韓国人である事は、『恥ずかしさの極限』である。」

韓国は今の北朝鮮と同じで、どこかの国の支援がなければいつ国家破産してもおかしくなかった。普通に考えればわかることだが、経済で自立ができるはずもない状態の国が独立する力などあろうはずがない。

にもかかわらず、今の韓国では安重根を「独立の闘士」などと呼んで英雄扱いしているようなのだが、多くの識者が指摘しているように、伊藤博文の暗殺事件によって、結果的に日韓併合は早まったのである。日韓併合を望んでいた勢力に勢いを与えた安重根の行動を賞賛することは論理的にもおかしなことであり、皇帝の言葉でも明らかなように、当時の国民が安重根を賞賛していたわけではない。安重根が英雄扱いされるようになったのは戦後になってからのようなのだ。

伊藤の暗殺事件のわずか39日後に、韓国最大の政党であった一進会が「韓日合邦を要求する声明書」を上奏している。
Wikipediaにこの声明の一部が紹介されているが、あの国がわが国に出す声明にしては随分低姿勢だ。
「日本は日清戦争で莫大な費用と多数の人命を費やし韓国を独立させてくれた。また日露戦争では日本の損害は甲午の二十倍を出しながらも、韓国がロシアの口に飲み込まれる肉になるのを助け、東洋全体の平和を維持した。韓国はこれに感謝もせず、あちこちの国にすがり、外交権が奪われ、保護条約に至ったのは、我々が招いたのである。第三次日韓協約(丁未条約)、ハーグ密使事件も我々が招いたのである。今後どのような危険が訪れるかも分からないが、これも我々が招いたことである。我が国の皇帝陛下と日本天皇陛下に懇願し、朝鮮人も日本人と同じ一等国民の待遇を享受して、政府と社会を発展させようではないか。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BD%B5%E5%90%88

伊藤博文の暗殺を機に韓国では独立を堅持することよりも日本との併合によって地位の向上を図るとする考えが優勢となった。
わが国は、莫大な資金が必要となる韓国併合に反対する声が強かったのだが、伊藤博文暗殺後に併合推進派が優勢となり、主要国も日韓併合に賛成したことから、早期併合することが閣議決定し、1910年8月22日に日韓併合条約が調印されて、正式にわが国は韓国を併合したのである。

そこで、再び伊藤博文の暗殺事件に話を戻す。この暗殺事件は目撃証言や、銃声の数、弾丸の種類、死体検視調書からは単独犯ではあり得ず、伊藤を死に至らしめた銃弾は安重根の撃ったものではないという室田義文の重要な証言などは、どういうわけか葬られてしまった。それは何故なのだろうか。

その話を始めるとまた文章が長くなるので、次回に記すことにしたい。

<つづく>
**************************************************************
ブログパーツ

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。よろしければ、この応援ボタンをクリックしていただくと、ランキングに反映されて大変励みになります。お手数をかけて申し訳ありません。
    ↓ ↓           


にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ




このエントリーをはてなブックマークに追加


関連記事

日露戦争後に朝鮮半島を訪れた荒川五郎の『最新朝鮮事情』を読む

前回の記事で、この時期に朝鮮半島を訪れたイザベラ・バードが、この国には内部からみずからを改革する能力がなく、外部からの改革が必要であると書いたことや、米国も英国も日露戦争の後で韓国に関与するつもりはなく、日本が保護国とすることを希望していたことを書いた。

最新朝鮮事情

ではこの時期に朝鮮半島を訪れた日本人の記録はないのだろうかと思って探してみると、当時衆議院議員であった荒川五郎氏が朝鮮半島を訪れてレポートした、『最近朝鮮事情』という本が明治39年(1906)5月に出版されていることがわかった。
Kindle版も出ているが『国会図書館デジタルコレクション』に公開されているので、PCやタブレットがあれば誰でも無料で全文を読むことが可能だ。この本に書かれている韓国の状況を現在と比較すると、この国が今も基本的に変わっていないと思うところがあって興味深い。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766869

京城 独立門
【迎恩門の柱礎(左側の2本) 右側の門は1897年に作られた独立門】

荒川氏は、日清戦争でわが国が勝利し。清国の勢力を追い出して独立国の体裁を整えた以降のこの国のことをこう述べている。

「●以前から朝鮮は殆(ほとん)ど支那の付属国と言うても可(よ)い有様で、無論支那はその政策をとって居たので、朝鮮に於ける支那の勢力と云うものは実に非常なものであった。
●ところが日清戦争で全くその勢力が転倒し、迎恩門を倒して独立門を建てるという仕誼(しぎ)となり、朝鮮の内政も大改革が行われ、朝鮮の国は大韓国と云う豪義な国となり、国王様は大韓国皇帝陛下と御立派にならせられ、皇太子様が立てられる、大韓国大皇后様も定められると云う、エライ有様になった。

●ところがこの大韓国は他の国とは違うて、その王室は決して国民とその休戚*を共にすると云うことは無く、只(ただ)貴族のみは王室と利害を共にして居るようであるが、それでも国王の信任を得たものはその恩沢にも預かって利益も享(う)けるが、その他はそうで無い。であるから、誰も彼も国王に取入ろうとして、種々に魂胆をめぐらし、運動やら紛争軋轢実に醜状を極め、隨(したが)ってその間に立って次女や宦官、官妓、巫女(ふじょ)などが旨いことをやるのである。
常民に至っては気の毒なもので、税を納めたりその他尚義務と云うものはあるけれども、権利と云うては更に無い、王室の普請やその他慶び事や弔い事など、その入用を割りつけられたりなど色々虐められることはあるが、更に王室の恩沢を蒙(こうむ)ると云うとは無い、それは実にあわれのものである。
●だから常民共が王室を見ると旅人も同様で、王室に大事があろうが一向平気なもの、更に気にもかけない。かの二十七年の王宮の事変**の時も、又三十七年、今の王宮である慶運宮が焼けたときでも、京城の人民等はガヤガヤ王門の外に集まって来て、例の長煙管で煙草をふかしながら、互いに笑いあい語り合うて面白そうに見物して居ると云う有様である。
かく云う風で上のものも下のものも、皆唯(ただ)自身の事ばかりを考えて、更に国家という観念は無い。朝廷ではドンドン租税も取り立てるが、それは国家の用にするのでは無い。国王も大臣も観察使も郡守も、皆自身の為のみを思い、吾が家を富まそうと勉めるのみである。
常民もまた国の為など云う観念は毛頭も無いので、余計に儲ければそれだけ又余計に取り立てられて手元には残らないからというので、惰(なま)けられるだけは惰け、遊ばれるだけは遊び、田や畑や山や林やなど、これを仕立てたり、手をかけて、確実な財産を作ろうなどという考えは無いらしい。この点が即ち朝鮮の今日の有様を致す所以であろうか。
●…朝鮮では階級の制度が厳格で、それは王族宮家を別にして、両班、常民、奴婢の三種に分かれて居って、己(おのれ)より以下の階級の者に対しては圧政をしても別にあやしみもせず、これを当然の事と心得て居る
両班とは朝鮮の貴族で、東班西班の両族からなって居る。東班は即ち文班で、西班は武班である。両班とも生まれながら官吏となる特権を有し、納税の義務もなく、窮すると即ち常民から衣食の料などを取り立てる権利がある。今は武班よりも文班が重んぜられて居る。」
*休戚(きゅうせき):喜びと悲しみ。幸と不幸。
**二十七年の王宮の事変:明治27年(1894)に起きた閔氏政権を倒すクーデター。大院君が日本に協力を得て政権を握るも、近代化政策を拒否し1ヶ月で摂政の座を下ろされ、東学党の農民兵を呼び込んで日本を追い払おうとしたことが日清戦争に発展した。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766869/43

支配階層も民衆も自分の事ばかり考えて「国のため」という観念はなく、また王室に仕える貴族はともかくとして、民衆は王室に無関心であったという。
支配階層には納税の義務がないだけでなく、資金が不足するといつでも民衆から取り立てる権利を有していた。常民たちはいくら努力して富を蓄積しても支配階層に持って行かれてしまうので、仕事に精を出すことをしなくなってしまっていた。人々が働かないようでは、国が貧しくなることは当たり前のことである。
この国の近代化のためには、この国の身分制度にメスを入れなければならなかったのだが、この国の支配層が腐っていたのだから、このことを自力で成し遂げることは到底不可能であったろう。

では、この国の政治や外交については、当時においてどういう仕組みで動いていたのであろうか。
荒川氏はこう記している。

1903年 漢城(ソウル)両班の男性
【1903年 漢城(ソウル)両班の男性】

「●…王権が振るわず、紀律が紊(みだ)れて居るものであるから、ただ表面の組織がよいのみで、その実内面は全く秩序もなく、国を外国に開いてからは外務省にあたる外衙門を置き、次いで内務省に当たる内務衙門を置いて、議政六曹も空名となり、のち軍国機務所というを設けたが為、外衙門も内務衙門もまた空名となるという有様で、何が何やら更に分からないのである。
●法典でも六典條例や大典会通という成分律があって、これを誠実に実行したなら、世運の進歩に伴うて文明の政治に進むことが出来るのに、国王の意のままに勝手無紀律の事を行い、国王の一言即ち法典という有様で、この成文律は全く死文となって居る。ことに王言即ち法典というても、その実奸細の徒が賄賂を持って国王の歓心を買いなどして、以て其私勝手を為すので、真実は王言も其の精神ではないのである。

●…地方政府もまた似寄ったもので、…中央政府が腐敗するものであるから、これら地方官はただ人民の膏血を絞る道具となり、賄賂請託(せいたく)大に行われ、官職は公然売買せらるる有様で、随ってその弊を受ける人民こそ、実に天に号泣するの外訴える道も無く、憐(あわ)れの有様に陥って居るのである。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766869/45

また法律や条約を作っても守らないというのは今も同様で、これまでわが国が条約や合意内容をどれだけ無視されてきたかは説明するまでもないだろう。
内務・外務を司る役所は存在しても名前ばかりで、国王が勝手気ままな政治をなしていたのだが、政策決定には賄賂がおこなわれていたという。その点については地方政府も同様に賄賂がおこなわれ、官職が公然と売られていたのである。

笞刑
【笞刑】

また裁判については次のように記されている。

「●朝鮮の裁判は地方の小役人や郡守県令などが賄賂を取りあげる第一の方法で、悉(ことごと)く皆、賄賂の多少で民事の勝ちまけも刑罰の軽い重いもきまると謂(い)うてよいので、総て刑事は明律及び特別に定められた法令により、又民事は大典会通並びに裁判先例によりて処断するというのは殆ど只表面のみの有様である。
●殊に小役人が賄賂をとる弊害は実にお話にならない程で、全く無罪の人でも時に捉え来たりて賄賂を責め、もし思うように賄賂を出さなければ、これを実刑に処することがある。又怨みを結んだ者に対しても時としてはこの忌まわしい手段をとることがある
●近年になってはこれらの役得を測って、その金額を前納して、その賄賂のおかげで郡守県令になる者が多く、従って彼等はその償いを得る為に、罪も無い人民をヒドイ目に遭わす者があるようになった
●処罰ばかりでは無く、朝鮮では審問も一種の刑罰であることは、丁度我が旧藩の時の通りで、疑わしいと思えば証拠は無くてもスグ捕え来りてこれを審問し、疑うて居る通りに服罪しないと、酷い拷問をして、為に死に至る者が段々ある。そこで朝鮮では一度び捕らえられたら即ち刑罰を受けたと心得、審問も裁判も拷問も刑罰と同じ事に思うて居る位である。
●もし党派争いから裁判になるというと、拷問して拷問してその敵党をして服罪するか拷問死に死ぬるの他は無い有様に陥らしめるのである。又無罪と知りつつ只賄賂をとる目的で裁判にかけられた者がその賄賂を出さない時でもまた同様の呵責に逢い、酷い拷問を受けるのである。
●又裁判中捕らえ置くその牢獄も一種の処刑で、朝鮮の監獄は朝鮮の普通民家よりも一般に狭ま苦しく汚くて、空気の流通は悪しく、家族などが差入れをしてやらなければ、一粒の食を与えられないのが常で、たとい食物を与えられることがあっても、それは極少しでとてもそれで生命を繋ぐことはできず、少し長く繋がれると、大抵は病気にかかったり死んだりするのである。
●殊に驚くべきは民事の被告人でもこれを獄に繋ぐのである。何人でも大いに賄賂を使わねばこれをゆるして貰うことは出来ない。もし賄賂を促しても出さぬ時は、親類の者を捉えて来て賄賂の引き当てにすることがある。もしどうしてもその意に従わない時は、訴訟には勝つべき者でも、永く牢屋の中で月日を暮らさねばならぬ。
●こういう有様で、罪ある者も賄賂を納ればこれを逃れることが出来、罪の無い者でも賄賂を納めねば残酷な目に逢い、理があって勝つことが出来ず、無理無法をやっても太平で横行することが出来るという有様で、これではとても国力の伸張は望むことは出来ないのみか、日に益々萎靡(いび)するのみであるから、この今王三十五年の改革に、裁判制度も日本式に改めることになったのである。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766869/47

李氏朝鮮時代の監獄
【李氏朝鮮時代の監獄】

日本人や西洋人は「賄賂」に関して嫌悪感を抱くのだが、韓国や北朝鮮や中国は今も賄賂が横行しており、賄賂がないと何事も動かないとよく言われる。
ネットで「韓国 賄賂」をキーワードに検索すると膨大な事例がヒットするが、学校教員が保護者から受け取る包み紙だけで家が建つとか、お金があれば有罪が無罪になるというような話から、ゼネラルモーターズの正社員の地位を売るために480人が賄賂を支払っていたことが昨年末に発覚したことなど、日本人なら誰でも驚くような話がいくつも出て来る。
この国のエリート層には、昔の両班のように働かずに金が入る生活を理想とするような考え方が今も根強く残っていると考えれば良いのだろうか。

韓国W杯審判買収

その裏返しで、韓国の人びとは、賄賂で人を動かすことが出来ると考える傾向が強いようだ。
2002年のサッカーワールドカップで審判を買収したり、アメリカグレンデール市に従軍慰安婦像を置かせるために、市議を買収した話などは氷山の一角であろう。

セウォル号事件
【セウォル号事件】

2014年にフェリー船のセウォル号が転覆して300名以上の死者が出る痛ましい事件があった。この船はそもそも就航基準を満たしておらず本来は就航できない船であったのだが、海鎮海運側から約5千万ウォン(約5百万円)の賄賂を受け取った監督官庁の幹部が運行許可を出したことが問題となったという。
この事件がきっかけとなって韓国では2016年9月に「不正請託および金品授受の禁止関係法」という法律が施行されて、賄賂や接待文化が禁止されるようになったのだが、国会議員については対象外とされたことは理解に苦しむ話である。
もともと法律を守らない国なので、このような法律ができて賄賂や接待がなくなるかどうかは疑問が残るが、少しはこの国の悪弊が改善されることを期待するしかない。
http://toyokeizai.net/articles/-/130213

荒川五郎
荒川五郎

話題を荒川氏の『最新朝鮮事情』に戻そう。荒川氏はこの著書でいろんなことを観察して詳細に記録しているのだが、「朝鮮の党派」について書いているところは、今の韓国もその通りだと思った。

「●朝鮮には公党らしい党派は無いが、私党の類は沢山ある。…
●日本党とか、支那党とか、露国党とか、時により色々の名をつけるのだけれども、此れも、一時の便利都合の上からのことで、日本党とて永久の日本党でもなく、支那党とて何時までも支那党というワケではなし。
彼等の事大根性というも、別に根底のある根性でも無く、只(ただ)大国にたよって居れば自分の地位が安全であると云う所から、その時々の勢力ある、自分の都合のよいような方にたよるので、一定した主義では無い
●日本が一番勢力があれば、彼等はこれ迄の縁故や関係には拘わらないで日本について来る。しかし日本についても、そのうちで公使について居るのが地位が安全であるか、駐在軍司令官の機嫌をとった方が地位を得るによいかと、種々に思いを砕き、小策を弄し、お世辞追従をふりまくのである。もし彼等の追従お世辞でうまくおがみ倒されると、ツイ公使党とか司令官党とか云う党派ができるので、各国が互いに勢力を振えば各国党が出来、一国がその勢力をとっても、そのうちで種々の人党が出来るのである。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766869/48

韓国の告げ口外交

国が貧しくて、為政者も民衆も国を護る気概も無く武器もなかった当時なら、生き延びるためには強いと思う国に従属する以外に選択肢がなかったということは理解できるのだが、世界第11位のGDPの国に成長した今も、大国の権勢を笠に着て実力以上の国に見せようとする外交スタンスが続いていると考えるのは私ばかりではないだろう。

ティラーソン
【ティラーソン米国務長官と尹炳世(ユン・ビョンセ)韓国外相】

「虎の威を借る狐」のような外交を繰り返すことはつまるところ自国の価値を貶めることであるし、そんな国が嘘で固められた歴史で自国の立場を大声で主張し続けても、いずれその主張の嘘が露呈して、世界から相手にされなくなる日が来ることになると思う。

**************************************************************
ブログパーツ

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。よろしければ、この応援ボタンをクリックしていただくと、ランキングに反映されて大変励みになります。お手数をかけて申し訳ありません。
    ↓ ↓         


にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ




【ご参考】
このブログでこんな記事を書いてきました。
学校やマスコミで拡散されてきた歴史叙述のどこまでが正しいのか、考えるきっかけになれば幸甚です。

秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか~~朝鮮出兵1
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-188.html

多くの朝鮮民衆が味方し勝ち進んだ秀吉軍~~朝鮮出兵2
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-189.html

第二次朝鮮出兵(慶長の役)も秀吉軍の連戦連勝であった~~朝鮮出兵3
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-190.html

朝鮮戦争の緒戦で北朝鮮軍が韓国領の9割以上を制圧できたのはなぜか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-266.html

朝鮮戦争で、国連軍を勝たせないようにしたのは誰なのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-272.html

スターリンが朝鮮戦争に米国を誘導したことを示す極秘文書が発見されている
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-276.html

このエントリーをはてなブックマークに追加


関連記事
FC2カウンター
最近の記事プルダウン
全記事表示リンク
ブログ内検索
『しばやんの日々』のブログ内の記事をキーワードで検索できます。検索された全てのブログ記事と、記事の最初の文章が表示されます。
プロフィール

しばやん

Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

***********************
Facebook、twitterなどで記事を拡散していただいたり、リンクしていただくことは大歓迎ですが、このブログ記事のURLとブログ名は明記していただくようよろしくお願い致します。

コメント、トラックバック共に歓迎しますが、記事内容とあまり関係ない内容を論拠を示さないまま一方的に自説を唱えたり、どこかの掲示板などの文章をまるまる引用しているだけのコメントは削除させていただくことがあります。

匿名のコメントや質問にはできるかぎり対応させていただきますが、回答する場合はこのブログのコメント欄でさせていただきます。

また、お叱りや反論もお受けしますが、論拠を示さないで一方的に批難するだけのものや、汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメントなど、不適切と思われるものぱ管理人の権限で削除させて頂く場合がありますので、予めご了承ください。
***********************

リンク
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
新しいカテゴリに移すなど、カテゴリを時々見直すことがありますので、記事をリンクされる方は、個別記事のURL(末尾が"/blog-entry-***.html")をご利用ください。
年別アーカイブ一覧
RSS登録er
タグクラウド

RSSリンクの表示
QRコード
QRコード
日本語→英語自動翻訳【星条旗】
このページを英訳したい人は この下のEnglishの部分をクリックすれば ある程度の英語の文章になるようです。
ブログランキング
下の応援ボタンをクリックして頂くと、ランキングに反映されて大変励みになります。お手数をおかけしますが、よろしくお願い致します。
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

おきてがみ blogram
ブログランキングならblogram
文字を大きく・小さく
    月間人気記事ランキング
    個別記事への直接アクセス数の今月1日からの合計値です。毎月末にリセットされます。このブログのアクセスのうち6割以上は検索サイト経由、約2割は何らかのリンクを辿って、過去の記事のURLに直接アクセス頂いています。
    51位以降のランキングは、リンク集の「『しばやんの日々』今月の人気ページランキング (上位500)」をクリックしてください。
    人気ブログランキング 日本史
    「人気ブログランキング」に参加しているブログの1週間の応援ボタンのクリック件数を集計し、日本史部門でランキングを表示したもの。
    ブログ村ランキング 日本史
    にほんブログ村に参加しているブログの、1週間の応援ボタンのクリック件数を集計し、日本史部門でランキングを表示したもの。
    ブログサークル
    ブログサークル
    ブログにフォーカスしたコミュニティーサービス(SNS)。同じ趣味の仲間とつながろう!
    ツイッタータイムラン
    逆アクセスランキング
    24時間の逆アクセスランキングです。表題の「アクセス解析研究所」をクリックすると、詳細な解析結果が分かります。
    PINGOO! メモリーボード
    「しばやんの日々」記事を新しい順にタイル状に表示させ、目次のように一覧表示させるページです。各記事の出だしの文章・約80文字が読めます。 表示された記事をクリックすると直接対象のページにアクセスできます。
    おすすめ商品
    旅館・ホテル