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尾崎秀実の手記を読めば共産主義者が軍部や右翼を自家薬篭中のものにした事がわかる

前回の記事で近衛文麿が、軍部内の革新論に立つメンバーが、わが国を共産革命に引きずり込もうとする官僚などに踊らされて、満州事変、支那事変を起こし、事変を拡大させて大東亜戦争に導いたのは計画的なものであったことは明らかであると述べていることを紹介したが、一人だけだとあまり信用していただけないと思うので、今回は軍部を動かしていた側の文書を紹介してみたい。

共産主義者に軍部を動かす動機があったことを知るためには、レーニンの「敗戦革命論」を知る必要がある。レーニンは1920年のモスクワ共産党細胞書記長会議でこのように述べている。

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「全世界における社会主義の終局的勝利に至るまでの間、長期間にわたってわれわれの基本的原則となるべき規則がある。その原則とは、資本主義国間の矛盾的対立を利用して、これらの諸国を互いにかみ合わすことである。われわれが世界を征服せず、かつ資本主義諸国よりも劣勢である間は、帝国主義国家間の矛盾対立を巧妙に利用するという規則を厳守しなければならぬ。現在われわれは敵国に包囲されている。もし敵国を打倒することができないとすれば、敵国が相互にかみ合うよう自分の力を巧妙に配置しなければならない。そして、われわれが資本主義諸国を打倒し得る程強固となり次第、直ちにその襟首を掴まなければならない。」(三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』p.37)

このレーニンの考え方が、8年後の1928年コミンテルン第6回大会ではもっと過激で具体的なものとなっている。
「現代の戦争は、帝国主義国家相互間の戦争、ソ連及び革命国家に対する帝国主義国家の反革命戦争、プロレタリア革命軍の帝国主義国家に対する革命戦争の三つに分類し得るが、…、右の分類による第二の戦争は一方的反動戦争なるが故に勿論断固反対しなければならない。また第三の戦争は世界革命の一環としてその正当性を支持し帝国主義の武力行使に反対しなければならないが、第一の帝国主義相互間の戦争に際しては、その国のプロレタリアートは各々自国政府の失敗と、この戦争を反ブルジョワ的内乱戦たらしめることを主要目的としなければならない。…

帝国主義戦争が勃発した場合における共産主義者の政治綱領は、
(1) 自国政府の敗北を助成すること
(2) 帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめること
(3) 民主的な方法による正義の平和は到底不可能であるが故に、戦争を通じてプロレタリア革命を遂行すること。

帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめることは、大衆の革命的前進を意味するものなるが故に、この革命的前進を阻止する所謂「戦争防止」運動は之を拒否しなければならない。

(現在の帝国主義国家の軍隊の)最近の傾向は、第二次大戦の危機を前にして各国共に、人民の全部を軍隊にする傾向が増大して来てゐる。この現象は搾取者と被搾取者の関係を軍隊内に発生せしめるものであって、大衆の軍隊化は『エンゲルス』に従へばブルジョワの軍隊を内部から崩壊せしめる力となるものである。この故に共産主義者はブルジョアの軍隊に反対すべきに非ずして進んで入隊し、之を内部から崩壊せしめることに努力しなければならない。…」(同上書 p.38-40)

コミンテルンは共産主義者に対し、資本主義国家間の戦争に対しては、自国の軍隊に進んで参加して自己崩壊の内乱戦とし、自国政府の敗戦に導くことによりプロレタリア革命を遂行せよと指令し、ソ連に対する戦争は反革命であり断固反対せよと指令しているのだ。

ゾルゲ事件の首謀者として昭和19年に絞首刑となった尾崎秀実は、生前に残した手記でこのように書いているが、この内容はコミンテルンの方針とよく符合しており、コミンテルンの方針に沿ったものであることは読めば明らかである。ポイントとなる部分を少し紹介してみよう。

尾崎秀実

「我々のグループの目的任務は、特にゾルゲから聞いた訳ではりませぬが私が理解する所では、広義にコミンテルンの目指す世界共産主義革命遂行の為、日本における革命情勢の進展と之に対する反革命の勢力関係の現実を正確に把握し得る種類の情報竝びに之に関する正確なる意見をモスコー(モスクワ)に諜報することにあり。狭義には世界共産主義革命遂行上最も重要にして其の支柱たるソ連を日本帝国主義より防衛する為、日本の国内情勢、殊に政治経済外交軍事等の諸情勢を正確且つ迅速に報道し且つ意見を申し送って、ソ連防衛の資料たらしめるに在るのであります。」(同上書 p.214)
我々のグループと言うのは「ゾルゲ諜報団」のことだが、このグループはコミンテルンの目指す世界共産主義革命の実現のため、また日本帝国主義からソ連を守るために情報を流す活動をしていたことを明確に書いている。

また、尾崎が当時の世界情勢をどう考えていたかという点についてはこう書いている。
「私はこの第二次世界戦争の過程を通じて世界共産主義革命が完全に成就しない迄も決定的な段階に達することを確信するものであります。その理由は、
第一に、世界帝国主義国相互間の戦争は、結局相互の極端なる破壊を惹起し、彼等自体の現存社会経済体制を崩壊せしめるに至るであろうと云ふことであります。…敗戦国家に於ては第一次世界大戦の場合と同様プロレタリア革命に移行する可能性が最も多く、又仮令一方が勝ち残つた場合でも、戦勝国は内部的な疲弊と敵対国の社会変革の影響とによつて社会革命勃発の可能性なしとしないのであります。
第二には、共産主義国家たるソ連邦の存在してゐる事実であります。私はソ連邦はあくまで帝国主義諸国家間の混戦に超然たるべきものであると考へ、その意味においてソ連邦の平和政策は成功であると考えていたのであります。…
第三には、植民地、半植民地が此の戦争の過程を通じて自己解放を遂げ、その間に或る民族に於いては共産主義的方向に進むであらうと言ふことであります。少なくとも支那に対しては斯る現実の期待がかけ得られると思はれます。」(同上書p.223)
と、尾崎は第二次世界大戦の過程を通じて、世界共産主義革命が完成に近づくものと考え、中国については特に期待していたと書いている。

そして尾崎自身は第二次世界大戦は次のようなものになると思い描いていたという。
「…私がしきりに心に描いていたところは、次の如きものでありました。
第一に、日本は独逸と提携するであろうこと。
第二に、日本は結局英米と相戦ふに至るであろうこと。
第三に、最後に我々はソ連の力を借り、先づ支那の社会主義国家への転換を図り、これとの関連において日本自体の社会主義国家への転換を図ること。」(同上書p.227)
そして尾崎が考えていた通りに、その後日本はドイツと同盟を結び、英米との戦いに突入する。

次が重要な部分である。
「私の立場から言へば、日本なり独逸なりが簡単に崩れ去つて英米の全勝に終わるのは甚だ好ましくないのであります。(大体両陣営の抗戦は長期化するであらうとの見通しでありますが)万一かかる場合になつた時に英米の全勝に終らしめないためにも、日本は社会体制の転換を以て、ソ連、支那と結び別な角度から英米に対抗する姿勢を採るべきであると考へました。此の意味に於て、日本は戦争の始めから、米英に抑圧せられつゝある南方諸民族の解放をスローガンとして進むことは大いに意味があると考えたのでありまして、私は従来とても南方民族の自己解放を「東亜新秩序」創設の絶対要件であるといふことをしきりに主張しておりましたのはかゝる含みを籠めてのことであります。この点は日本の国粋的南進主義者の主張とも殆んど矛盾することなく主張されている点であります。」(同上書p.227)
共産主義者の尾崎からすれば、この戦争で日本やドイツが簡単に敗れて英米の勝利に終わることは望ましい事ではなく、コミンテルンの指導の通りこの戦争を機に世界の共産革命に持ち込むことを望んでいたことが分かる。
また独ソ戦勃発以降、日本はドイツを助けるため北進してソ連と戦うか(北進論)、欧米の援蒋ルートを絶ち、資源確保のために仏印に進駐するか(南進論)の選択を迫られたのだが、わが国が南進論を選択したのは、尾崎の影響が大きかったと言われている。
「大東亜共栄圏」「八紘一宇」という崇高な理想を掲げたスローガンも、一部は「国粋的南進主義者」が作ったものかもしれないが、尾崎グループが日本軍をソ連と戦わせないよう、皇軍を南進に導くために何度も主張したことが書かれているのだ。

大東亜戦争とスターリンの謀略

今回の記事ですでに何度か引用させていただいた三田村武夫氏の『大東亜戦争とスターリンの謀略』という本には、このような当時の史料が満載で、第二次世界大戦にコミンテルンがどう関わったかを学ぶことができる良書なのだが、昭和25年にGHQにより販売禁止とされて長い間埋もれてしまっていた。遠山景久氏の努力により昭和62年に復刊されてその後何度か再版されているが、一般の書店には出回っていない書物である。

第56-57代内閣総理大臣の岸信介はこの本の序文にこう書いていることは注目に値する。

岸信介

「…支那事変を長期化させ、日支和平の芽をつぶし、日本をして対ソ戦略から、対米英仏蘭の南進戦略に転換させて、遂に大東亜戦争を引き起こさせた張本人は、ソ連のスターリンが指導するコミンテルンであり、日本国内で巧妙にこれを誘導したのが、共産主義者、尾崎秀実であった、ということが、実に赤裸々に描写されているではないか。
 近衛文麿、東条英機の両首相をはじめ、この私まで含めて、支那事変から大東亜戦争を指導した我々は、言うなればスターリンと尾崎に踊らされた操り人形だったということになる。
私が東京裁判でA級戦犯として戦争責任を追及されたが、今、思うに、東京裁判の被告席に座るべき真の戦争犯罪人はスターリンでなければならない。然るに、このスターリンの部下が、東京裁判の検事となり、判事を務めたのだから、まことに茶番と言うほかない。

この本を読めば、共産主義者が如何に右翼・軍部を自家薬篭中のものにしたかがよく判る。なぜそれができたのか、誰しも疑問に思うところであろう。然し考えてみれば、本来この両者(右翼と左翼)は共に全体主義であり、一党独裁・計画経済を基本としている点では同じである。当時戦争遂行のために軍部がとった政治は、まさに一党独裁(翼賛政治)、計画経済(国家総動員法→生産統制と配給制)であり、驚くべき程、今日のソ連体制と類似している。ここに先述の疑問を解く鍵があるように思われる。…」(同上書 p.319-320)

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三田村武夫氏の『大東亜戦争とスターリンの謀略』はGHQが我が国での販売を禁止した本なのだが、英訳されてGHQの情報部長であったウィロビーの眼に止まり、米国で「ゾルゲ捜査」を始めるきっかけとなり、その後ルーズベルト政権や戦前の日本政府に入っていた共産主義者の追及につながったと言われている。

いつの時代もどこの国でも情報工作活動を伴う出来事については、工作を仕掛けた側から動機や経緯などが詳細に書かれた史料が公表されることがほとんどないために、記述にはある程度著者の推測が伴うことは已むを得ないが、この三田村氏の著作については特に共産主義者の立場からの考察は説得力があり、かなり核心を突いた記述であると思うのだ。

多くの人に読んでほしい一冊なのだが、出版社側も通常の販売ルートに乗せられない事情があるのか書店での入手は出来ず、私は「GHQ発禁図書刊行会」というところから数年前に入手した。
この書が国民に幅広く読まれたら、『東京裁判史観』が崩壊することは確実だと思うのだが、そうさせたくない勢力が、わが国のマスコミや出版界、教育界などに未だに根強く残っているということなのだろう。
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「ドイツと日本を暴走させよ」と命じたスターリンの意図

国会図書館所蔵の興亜院政務部・コミンテルン関係一括資料の中に、入手経路が不明なるが故に怪文書とされているものがある。偽書なのか本物なのかは今となっては判断できないのだろうが、そこに書かれていることは極めて重大なことである。
入手ルートは秘匿されても、国会図書館に所蔵されていることは、当時としては信頼できる筋から入手したものなのだろう。
そこに書かれているのは、昭和10年(1935)の第7回コミンテルン大会におけるスターリン演説で、重要な部分は次の部分である。

スターリン

「ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国に向けさせよ。そして戦力を消耗したドイツと日本の前には米国を参戦させて立ちはだからせよ。日・独の敗北は必至である。そこでドイツと日本が荒らし回った地域、つまり日独砕氷船が割って歩いた跡と、疲弊した日独両国をそっくり共産陣営に頂くのだ。」

有名な『砕氷船のテーゼ』と呼ばれているものだが、この内容は、前回書いたレーニンの「敗戦革命論」や尾崎秀実の手記や近衛文麿の上奏文の内容とも符合し、かつ歴史的経過から見ても納得できる内容である。
第二次世界大戦において、日本とドイツが砕氷船の役割を演じさせられて、日独の砕氷船が沈没した後に、ソ連と毛沢東の中国と米国の三社がうまく分け前を取り合った。日本を砕氷船に仕立てるために多大の貢献をしたのが、ゾルゲや尾崎秀実であるということになる。
今では、全てわが国とナチス・ドイツが悪者にされてしまったまま歴史が固定化されようとしているのだが、実際はほとんどがコミンテルンによる仕掛けで行われたものではなかったのか。

スターリンの演説の内、最後の一行に書かれている我が国の共産化だけは実現しなかったが、その要因は前々回に書いた通り、米軍による広島・長崎の原爆投下とソ連の対日参戦の直後に、昭和天皇のご聖断で終戦に導いたことが大きいのだと思う。あの時の天皇陛下のご聖断がなければ、樺太や千島以外の国土が、スターリン演説のとおり共産化していた可能性が高かったと思うのだ。

では、このスターリンの演説が行われたという第7回コミンテルン大会はどのような大会であったのか。

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ネットで調べると、『近代デジタルライブラリー』に決議内容が書かれた文書があるが、ここには先ほどの『砕氷船のテーゼ』に関わる内容については非公開の決議ゆえに記されていないのはやむを得ない。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460513/4

故・倉前盛通氏の著書でベストセラーとなった『悪の論理』にはこう書かれている。

悪の論理

「昭和十年に、モスクワで第7回コミンテルン大会が開かれ、全世界の共産党が集まって、直面する重大問題『日本とナチス・ドイツによって、ソ連が挟み撃ちされる危機を、いかにして防止するか』というテーマを討議し、そこで再びレーニン地政学の『砕氷船テーゼ』がとりあげられたという。
 この第7回コミンテルン大会の表面上のテーゼは『人民戦線の結成』であり、そのように公表されたが、それはあくまでも表のテーゼであり、裏の本当のテーゼは非公開の『砕氷船テーゼ』であるということは、昭和十年代に、心ある人が警告していたことであった。
 しかし、コミンテルンの表面上のテーゼとして『共産主義者は自由主義者と連携して人民戦線を結成し、反ファッショ、反戦の運動を展開しよう』と大々的に宣伝され、一部の進歩的人士がそれに同調する動きを示すような情勢下では、『コミンテルンの本当の狙いは日中を長期戦にひきずりこむことにあるのだ。蒋介石相手の長期戦は国力を消耗するだけであり、ただちに終結せしめるべきだ』という正論は全く世間から相手にされなかった。
 そればかりか、新聞が書きたてる『蒋介石討つべし』との強硬論(これを最も強く主張したのは朝日新聞であった)に煽られた民衆の白眼視を買ったばかりではなく、頭に血の昇った軍部からは、『米英の第五列、人民戦線のスパイ、反戦反軍通敵行為』という名で、弾圧の対象にされた。憲兵隊は、こういう正論をことごとくつぶしてしまったのである。
 まことに、人民戦線テーゼは、軍部の目をあざむく『おとり作戦』であった。本当のソ連のエージェントは、右翼や愛国主義者の仮面をかぶり、軍部に接近して、対支強硬論を煽っていたのである。その代表人物が尾崎秀実であった。彼は近衛文麿の秘書にまでなって、国家の中枢部に食い込んでいたのである。」(角川文庫『悪の論理』p.62-63)

尾崎秀実は昭和12年7月に朝日新聞を退社しているが、それまでは『蒋介石討つべし』の論陣を張って日中戦争に持ち込む世論誘導をしていたのであろう。
尾崎が朝日新聞社を退社する前月の昭和12年6月4日に第一次近衛文麿内閣が成立し、尾崎は翌月に近衛内閣の嘱託になっている。そして、盧溝橋事件が起きたのはその間の7月7日である。

盧溝橋事件記事

この事件から日中戦争が始まり、ドロ沼化していくことになるのだが、盧溝橋事件とはどんな事件であったかを振り返っておこう。

『もう一度読む山川の日本史』では「1937年7月7~8日、北京郊外で日本軍と中国軍の武力衝突が起こった(盧溝橋事件)。」とわずか1行で書かれているだけだが、この表現では両軍とも一触即発の状況であったと錯覚してしまう。

実はこの時の日本軍は「丸腰」(演習の為、実弾を携行していなかった)であり、日本側には戦う意思などは毛頭なかった。
橋本群・陸軍中将(駐屯軍参謀長)は当時の状況を、「実弾を持たずに発砲された為、応戦出来ず、非常に危険な状況に置かれた」と証言しており、日本側は何者かに仕掛けられたのである。

では、どこが仕掛けたのか。
実はこの時に、国民党軍も、日本軍同様、銃撃を受けている。

盧溝橋で銃撃を受けた日本軍は国民党軍によるものと思い込み、反対に国民党軍は日本軍によって銃撃を受けたものと思い込んで、この事件が発端となって、日本軍と国民党軍は交戦状態に突入したのだが、双方共、腑に落ちない点があり、事件発生後5日目に、日支両軍は停戦協定を結んでいる。つまり、日本軍は中国との全面戦争を、最初から欲してはいなかったのである。

誰がこの戦いを仕掛け、拡大させたのか。その答えは中国共産党であったことがわかっている。

周恩来

昭和24年(1949) 10月1日、「中華人民共和国」成立のその日、周恩来首相が、「あの時(盧溝橋事件の際)、我々の軍隊(共産党軍)が、日本軍・国民党軍双方に、(夜陰に乗じて)発砲し、日華両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、我々(共産党)に今日の栄光をもたらしたのだ」と発言していることから明らかな事であり、中国共産党軍の兵士パンフレットにも「盧溝橋事件は我が優秀なる劉少奇同志(後の国家主席)の指示によって行われたものである」と書かれているというから、中国共産党が謀ったことは疑いようのない事なのだ。
http://www.teikoku-denmo.jp/history/honbun/rokokyo.html

では、日中間で一旦停戦協定を結んだにもかかわらず、なぜ争いが拡大していったのか。

Wikipediaには、中国共産党が事件拡大にどう関わったかが詳しく書かれている。
「7月8日、全国に通電して、局地解決反対を呼びかけ、7月9日、宣伝工作を積極化し、各種抗日団体を組織すること、必要あれば抗日義勇軍を組織し、場合によっては直接日本と衝突することを、各級党部に指令した。…11日の周恩来・蒋介石会議で、周恩来は抗日全面戦争の必要を強調した。そして国民政府が抗日を決意し、民主政府の組織、統一綱領を決定すれば、共産党は抗日の第一線に進出することを約束した。7月13日、毛沢東・朱徳の名で国民政府に即時開戦を迫り…」などと、中国側に戦争を終結させる意思はどこにもない。

蒋介石抗戦記事

停戦協定は中国によって何度も破られて、19日に蒋介石は抗戦の覚悟を公式に明らかにした以降、25日の郎坊事件、26日の広安門事件を経て、28日には北支における日中両軍の全面衝突が開始してしまう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%A7%E6%BA%9D%E6%A9%8B%E4%BA%8B%E4%BB%B6

我が国はこの中国の謀略に気付いていなかったのではなかったようだ。
前掲の倉前氏の書物にはこう書かれている。
「…巧妙な挑発に成功した劉少奇が、この旨を延安へ秘密の電波で通報したところを、千葉県の大和田にあった海軍通信所がキャッチして暗号を解読し、『これはおかしい。今回の事件は謀略だ』と海軍側は考えたと言われる。しかし、何分にも、陸軍の主流は、『支那大陸の支配』を夢見るグループによって握られており、中国内部も、国共合作による対日抗戦を決定している状況下では、いくら、良識ある政治家や軍人が、事変の不拡大に努力しても無駄であった。その上、米ソ両国の筋も、日本のマスコミに潜入していたコミンテルン筋も、日中戦乱の拡大を歓迎して、裏面で『戦火の拡大』を煽ったのであるから、とても戦乱を止めることができなかったのであろう。」(同上書 p.65-66)

それにしてもソ連とは恐ろしい国である。第7回のコミンテルン大会で、日本、ドイツ、イタリアを最も危険な戦争扇動者として、反ファシスト人民戦線の形成を各国共産党に指令しておきながら、ドイツとは1939年に独ソ不可侵条約を締結し、日本とは1941年に日ソ中立条約を締結している。
そして日本を支那とアメリカ・イギリス、ドイツをイギリス・フランスと戦わせて、漁夫の利を占める戦略を立てて、日本の敗戦が近いと分かった時点で、日ソ中立条約を破棄して宣戦布告している。
これは『砕氷船のテーゼ』のシナリオ通りで、初めからそうするつもりであったと考えるしかないのだ。

倉前氏は盧溝橋事件をこう纏めている。
「日本と中華民国との全面武力衝突は、米国もソ連も大いに歓迎するところであったし、日本の本物の左翼も、中国共産党も大歓迎であった。巧妙なワナにはまったとも悟らず、暴走したのは愚かな日本の軍部と何も知らぬ日本人大衆だけだったわけである。」(同上書 p.64)

私は、コミンテルンを知らずして20世紀の歴史は語れないと考えるようになったのだが、このような史実に言及している論文や著書は極めて少なく、こういう史実を語ることが、未だにマスコミや歴史学会ではタブーになっているかのごとくである。
少なくとも、盧溝橋事件については中国共産党が、自らがやったことを表明しているのであるから、せめて教科書には「中国共産党の謀略により」と、堂々と書いて欲しいものである。

現在のように、諸外国の圧力を怖れるあまりに自国の歴史記述を歪めるような行為を続けることは、わが国に対しては嘘の歴史であっても何度も繰り返し圧力をかけておけば、いずれはその嘘が認められて我が国の教科書にも載るようになるとの誤ったメッセージを諸外国に発することになってしまう。

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我が国の立場と異なる歴史を広めることによって、いままでどれだけ多くの国益が失われてきただろうか。嘘の歴史記述を押し付けてくるような国に対しては、政治家はもっと毅然とした態度をとって欲しいし、有権者はそういう政治家を選ばなければ国が危うくなるばかりである。
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太平洋戦争緒戦の日本軍の強さは米英軍の予想をはるかに超えていた

前回まで2回に分けて日米開戦の経緯について書いた。
真珠湾攻撃のことはあまり書かなかったが、アメリカ側は、戦艦8隻の内5隻が沈没され3隻が損傷により航行不能となったほか、航空機188機が破壊されて、戦死者が2345名など米軍の被害はかなり大きかった。一方日本軍の損害は、航空機29機、戦死者55名と少なく、日本軍の奇襲は大成功に終わっている。

アメリカは目論見通りに挑発によって日本軍に真珠湾を奇襲させたのだが、ここまで損害がでることは予想していなかったはずだ。
というのは、既にドイツとイギリスとの戦争は始まって約2年も経過しておりながら、ドイツ空軍はイギリス海軍に対して、有効な打撃を与えていなかったからだ。
ドイツの潜水艦は主に通商破壊のために商船を攻撃することを主任務としていたこともあるが、当時の魚雷は、海中から発射しても、厚さが数十センチもある戦艦の甲板の鋼板を貫くことは出来ず、戦艦を撃沈することはできなかった。
また上空から爆弾を落とす場合も、時速25ノット(時速約50km近い)で進む戦艦に命中させることは極めて困難であり、命中精度を上げようと低空から爆弾を落とそうとすると、戦艦の対空火砲によって撃ち落される可能性が高く、運よく撃ち落されずかつ爆弾が命中したとしても、加速度がついていないから甲板を貫くことができない。
そのような理由からドイツ空軍は、イギリスの戦艦に手も足も出なかったことが、以前紹介した倉前盛通氏の『悪の論理』に書かれている。

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上の画像は真珠湾攻撃前の2か月ほど前のものだが、真珠湾は湾の入り口が狭く、真ん中に島がある湖のような地形になっている。湾の深さは12メートル程度と浅く、この場所では雷撃機から魚雷を投下しても真珠湾の海底に魚雷の頭が突っ込んでしまうし、それを避けようと低空に降下してから魚雷を投下しようとすれば、ドーナツ状の湾内で投下しなければならないのだから相当戦艦に接近しなければならず、戦艦の対空火砲の餌食となりに行くようなものだ。
だから、もしドイツの空軍が同じ条件で真珠湾を奇襲しても魚雷は使えず、とても日本軍ほどの戦果を上げることはできなかったことは確実なのだ。
アメリカも、日本軍に奇襲をさせたところで、すべての戦艦が使えなくなるほどの被害が出ることは全く想定していなかっただろう。

ではなぜ、日本軍は真珠湾でこれだけの戦果を挙げることができたのだろうか。
倉前氏の『悪の論理』の説明がわかりやすいので、しばらく引用する。

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「真珠湾に並んでいた米主力艦が何故、あのように、脆くも沈んだのか。それは日本の海軍機の爆弾が戦艦の主砲弾を改造して爆弾につくり変えていたからである。強力な装甲板を突き破る目的でつくられた戦艦の口径、三十六センチもしくは四十センチ砲弾を改造した、硬い弾頭をもった爆弾が急降下攻撃によって、絶対貫けないと思われていた米戦艦の装甲甲板をつき抜いたのである。ドイツ空軍も考えなかったアイデアであった。

また、真珠湾は水深が浅いため、雷撃機から魚雷を投下しても、いったん魚雷が深く沈んでから前進するので、真珠湾の海底に魚雷が頭を突っ込んでしまう。それゆえ、真珠湾に入っている艦船は、敵の飛行機から魚雷攻撃を喰らう心配はないと考えられていた。

ルーズベルトも、米海軍も、このような前提のもとでことを考えていたのである。だからこそ、11月26日、ハル・ノートという最後通牒を日本に突きつけ、11月27日には前線指揮官に戦争開始の指示を与えておきながら、それから2週間もすぎているのに、のうのうと真珠湾に全艦隊が入港して休息していた。これは、よほど油断していたのか、日本をおびき寄せるオトリに使うつもりであったのか。いずれにせよ、たとえ、日本の航空艦隊の襲撃をうけても、かすり傷ですむとタカをくくっていたことを意味する。

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だが、爆弾ばかりではなく、日本は魚雷にも新しいアイデアをこらしていた。雷撃機から投下した魚雷が、深く沈まないように、翼のようなものを魚雷につけていたのである。しかも魚雷の威力は、ドイツが『涎』を流して欲しがり、ドイツ自慢のUボートとの交換を申し入れてきたほどのもので、米英海軍の魚雷とはケタ違いであった。それゆえ、戦艦の舷側に張られている、幾層もの強力無比な防御壁を一撃で粉砕し、あたりどころがよければ、一発で戦艦が二つに折れるほどの威力であった。

それにくらべ、米国の方は、開戦後まもなく、米潜水艦が当時軍事輸送に使われていた図南丸に魚雷攻撃を加えた時、六発命中させたが、一発も爆発しなかった。驚いた艦長はすぐに基地に帰り、こんな魚雷では戦争はできないと文句を言ったという。米国は大あわてで魚雷の全面改良をおこない、それに一年以上の時間をついやしたといわれている。」(倉前盛通『悪の論理』p.96-98)

この時代の魚雷は、雷撃機から投下すると一旦水深60m程度まで沈み、それから浮上し前進していくものだったそうだが、日本軍は短期間の間にそれを改良し、投下後水深10メートル以内で浮上する魚雷を開発したのだそうだ。

前々回のこのブログの記事で、真珠湾攻撃のニュースを聞いて、英国のチャーチル首相がこれによってアメリカが参戦し、イギリスの勝利を確信して喜んでいる旨の文章を書いていることを紹介した。しかしながら、真珠湾攻撃の2日後にイギリス軍の自慢の戦艦が日本軍と、マレー沖で戦うことになる。再び倉前氏の著書を引用する。

「チャーチルにも、喜びに満ちて安眠したあととすぐ、顔面蒼白になる悲報が届いた。ハル・ノートが突きつけられた後、行動を開始した日本の大輸送船団数十隻を、南シナ海の洋上で全滅させる目的で、シンガポールにいた英国自慢の不沈戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』と、もう一隻の戦艦『レパルス』の二隻および随伴の駆逐艦は、戦闘機の護衛もつけずに北上した。そして12月10日、ベトナムのフコク諸島から発信した日本の海軍航空隊から攻撃をうけた。英国海軍首脳は、ドイツ空軍でさえ、手の出せない英国不沈戦艦に、日本空軍が何ができるものかという思い上がりがあった。

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ところが、80機の日本海軍の投下する爆弾と魚雷によって、『プリンス・オブ・ウェールズ』と『レパルス』の二隻はたちまち撃沈され、日本側は三機を失ったのみであった。

チャーチルは驚愕して議会に駆け込み、不沈戦艦がいまや不沈でなくなったことを報告して泣いた。シンガポールにいた英国海軍将校など、ショックのあまり失心する者まで出たと言われている。

かくして、開戦後わずか3日でアメリカ太平洋艦隊とイギリス極東艦隊は全滅し、それ以後、約2年間、西太平洋と東インド洋の制海権は日本の掌中に帰した。」(同上書p.99-100) このように、日本軍はきわめて幸先の良いスタートを切ることができたのである。

ゼロ戦

この日本の快進撃がアメリカにとっていかに「想定外」の出来事であったことは、その直後のアメリカの動きを見ればわかる。

日本海軍は太平洋のアメリカ西海岸で潜水艦による通商破壊作戦を実施し、アメリカ西海岸沿岸を航行中のアメリカのタンカーや貨物船を10隻以上撃沈していた。
アメリカでは1942年の初頭にかけて日本軍によるアメリカ本土への上陸の可能性が高いと考えられるようになり、アメリカ西海岸の主要な港湾においては、機雷の敷設が行われたり、他の都市でも爆撃を怖れ、防空壕を作ったという。

そのような厳戒態勢下にあったにもかかわらず、1942年2月24日未明に日本軍はカリフォルニア州サンタバーバラの石油製油所を潜水艦による砲撃作戦を成功させるのだが、翌25日深夜にカリフォルニア州ロサンゼルスで面白い事件が起こっている。

日本海軍の艦載機による空襲を信じたアメリカ陸軍が対空砲火を中心とした迎撃戦を展開し、その模様はラジオ中継されアメリカ西海岸をパニック状態に陥れた(ロサンゼルスの戦い)というのだが、日本軍が空襲を行った記録はどこにもなく、真相はいまだに不明で、アメリカではUFOが飛来したのではないかと真面目に議論されているという。

この事件で米軍は同士討ちで6名を失ったというのだが、それほど日本軍の快進撃はアメリカ人を恐怖に陥れていたのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

最近になって知ったことだが、植村峻氏の『お札の文化史』という本に、アメリカはこの真珠湾攻撃の大敗北のあと、ハワイだけで通用する紙幣を刷りはじめたことが書かれているという。これは、ハワイ8島を放棄せざるを得ない局面もあり得ると考えてのことだと言われているが、アメリカ人はそれほど日本軍の快進撃にショックを受けながら、そしてハワイ陥落という最悪の事態をも想定していたというのだから、実にアメリカ人は抜け目のない人種である。その点は、最悪の事態を「想定外」として思考停止するどこかの国の人々は見習わなければならないと思う。
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4871883167/ref=dp_db_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1

トインビー

イギリスの歴史学者であるアーノルド・J・トインビーは、毎日新聞1968年3月22日付にてこう述べている。
「英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈された事は、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた、永続的な重要性を持つ出来事でもあった。何故なら、1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。1941年、日本は全ての非西洋国民に対し、西洋は無敵でない事を決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のヴェトナムに明らかである。」

太平洋戦争でわが国は敗れたが、緒戦とはいえ日本軍が米英軍を相手に圧倒的な勝利を得たことが、当時白人に支配されていたアジア・アフリカ諸国に、白人が無敵でない事を示したことは大きかった。
原材料に乏しいわが国が戦いに勝ち続けることはできなかったが、この戦争の後に、これらの諸国が次々と独立し白人の支配から解放されていくことになる。
もし日本がハル・ノートを受け容れて対米戦争を回避していたら、現在のような人種平等の世界が来ることはなかったであろう。そうすればわが国も、その後白人の支配下に置かれていたとしてもおかしくなかった。あの戦争の前の非西洋諸国は、日本とタイとエチオピアを除いたすべてが西洋の植民地であったことを忘れてはいけない。

西洋諸国は300年以上の長きにわたり支配してきたアジア・アフリカの植民地のほとんどを第二次世界大戦の後で失った。その意味で、我が国が戦争の目的とした「東亜諸民族の解放」は実現したという主張をすることも可能だが、終戦後に独立した国の多くは共産国となったので、終戦後実質的に勢力を伸ばしたのはソ連ではなかったかと思うのだ。ひょっとすると、「東亜諸民族の解放」というスローガンも、共産主義者から吹き込まれたものではなかったのだろうか。資源のない我が国が他国の白人支配からの解放を手助けする余裕があったとは思えないのだ。

img20120530214528657.jpg

このブログで何度かスターリンの『砕氷船のテーゼ』を紹介したが、もう一度、昭和10年(1935)の第7回コミンテルン大会におけるスターリン演説を引用しておきたい。

スターリン

「ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国に向けさせよ。そして戦力を消耗したドイツと日本の前には米国を参戦させて立ちはだからせよ。日・独の敗北は必至である。そこでドイツと日本が荒らし回った地域、つまり日独砕氷船が割って歩いた跡と、疲弊した日独両国をそっくり共産陣営に頂くのだ。」

先進国同士を戦わせて消耗させ、最後に参戦して漁夫の利を得るスターリンの戦略は、世界に根を張っていた工作員や協力者によって、主要国でほとんどそのテーゼの通りに実行されていたのではないか。
アメリカは、言わば共産主義の脅威を作り出すために参戦したようなもので、つまるところスターリンの手の内で動いていたのではなかったか。ルーズベルト政権の中枢やその周りには500人以上のコミンテルンのスパイや協力者がいたことがわかっているのだ。
イギリスも、ナチの徹底的破壊を志向したために、結局はソ連の東欧進出を許したばかりか、植民地の全てを失って二流国に転落した。これもスターリンの戦略通りであったのではなかったか。
ルーズベルトもチャーチルも謀略家ではあったが、スターリンの方がはるかに上であったと思うのだ。

では、何故わが国は共産国化を免れることができたのであろうか。
これには、いろんな理由が考えられるのだが、以前にも書いたように、昭和天皇が、広島・長崎に原爆が投下されソ連が我が国への侵攻を開始した極めて適切なタイミングで終戦のご聖断を下されたことが大きかった。もしこの御聖断がなければ誰もこの戦争を止めることが出来ず、アメリカとの本土決戦となれば米軍もソ連軍の協力を要請していた可能性が高いと思われる。
もしそうなっていれば、ドイツや朝鮮半島と同様に、わが国も終戦後に、北海道や本州の一部が共産化することが避けられなかったと考えている。
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京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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