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地震がなかったにもかかわらず三陸海岸を中心に日本列島を襲った大津波~~チリ津波

今年の台風や地震の規模も被害も半端なものではないが、自然災害の怖さを振り返る良い機会なので、わが国の記録に残されている自然災害をしばらくいくつか紹介していきたい。

以前このブログで「震度3で2万人以上の犠牲者が出た明治三陸大津波」という記事を書いたことがある。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-21.html

明治29年(1896)6月15日に三陸沖200kmの日本海溝付近で起きた地震は、宮古測候所の発表では震度2~3程度のものであったが、10mを超える大津波が三陸海岸の各地を襲い、岩手県を中心に多くの死者が出た。

明治三陸大津波伝承碑

特に岩手県綾里村の津浪は38.2mという想像を絶する高さのもので、綾里地区の「明治三陸大津波伝承碑」の碑文には驚くべき内容が記されている。
〈綾里村の惨状〉
「綾里村の如きは、死者は頭脳を砕き、或いは手を抜き足を折り実に名状すべからず。村役場は村長一名を残すのみ。尋常小学校、駐在所みな流失して片影を止めず」(岩手県知事より内務大臣への報告)

この明治三陸大津波の原因となった地震のマグニチュードは8.6程度と推定されているが、「震度」というのは「ある地点の地震の揺れの程度」を意味し、「マグニチュード」は「震源から放出される地震波のエネルギーの大きさを間接的に表現したもの」である。
同じマグニチュードの地震であっても、震源から震度の測定地点までの距離が近いか遠いか、震源が深いか浅いか、伝播経路やその地点周辺の地盤条件等によって、地点の震度は変わってくるものであることは良く考えればわかることなのだが、明治三陸大津波の原因となった地震の震源地は日本列島から遠かったために、東北の人々は震度が小さい地震を警戒しなかったことから多くの津波の犠牲者が出てしまったのである。

震度3でもこれだけ多くの津波被害が出たのであるが、わが国では、震度がゼロであったにもかかわらず大きな津波被害が出た事例が存在する。

昭和35年(1960)に南米チリで起こった地震で発生した津波が太平洋を渡り、各国に深刻な被害をもたらしたのである。

気象庁(1961):チリ地震津波調査報告.気象庁技術報告第8号
【気象庁(1961):チリ地震津波調査報告.気象庁技術報告第8号】

山下文男氏の『津波てんでんこ』にはこう解説されている。

「一般に『チリ津波』と呼ばれているこの津波は、1960年(昭和35)5月23日午前4時10分(日本時間)南米チリ沖で起こった、M=8.5とも9.0ともいわれる、世界の地震史上も最大級の巨大地震に伴って発生した大津波であった。地元のモチャという島など、25m級の高さの津波によって1700人が溺死、あるいは行方不明という大被害だったが、津波には国境も領海もないから、そのまま太平洋を西北に進んで途中ハワイのヒロ島などを襲って61人もの命を奪い、更に、西へ西へと進んで地震から21時間後、則ち、24日の早朝には1万7千kmをまるでジェット機並みのスピードで走り切って日本列島の太平洋岸に襲い掛かった。明治三陸津波と同様、津波のランク〔4〕とされている近代日本最大級の大津波であった。
事前の地震を感じなかったことから『音もなくやってきた津波』などともいわれ、全国の沿岸住民に大きな衝撃を与えた。」(『津波てんでんこ』p.157)

17千kmを21時間で進む速さは時速810km、秒速225mという計算になるが、当時のわが国においては、そんなに遠くから大きな津波がやって来るということは想定していなかったようだ。この津波はわが国にどのような被害を与えたのだろうか。山下氏の文章を続けよう。

「津波は、北海道から沖縄に至る全国の沿岸線に、ほとんど隈なく押し寄せ、当時、米軍の占領下にあった沖縄を含め、全国で住宅3891戸が全半壊、39869戸が流失あるいは浸水して142人が死亡行方不明になった。なかでも被害が大きかったのは岩手県と宮城県の沿岸部で、この度も三陸海岸が最大の被災地になった。」(同上書 p.158)

大船渡市地図

津波による被害が大きかったのはリアス式海岸の奥にある港で、最大の被害が出たのは岩手県大船渡市で死亡行方不明者が53人、家屋の流出半全壊が880戸。次に被害が大きかったのは宮城県の志津川町(現:南三陸町)で、死亡行方不明者が37人、家屋の流出半全壊または浸水が1329戸あったという。

リアス式海岸と言っても津波に対して突き出た岬のような地形は、船首のように波を切ることが出来るので被害は小さい。大船渡市の地図を見ればわかるが、西北西方向に津波が進む場合に、綾里崎と碁石岬に切り分けられて逃げ場を失った津波は、山に囲まれた狭い地域に流れ込み、奥まった大船渡湾に迫るにしたがって津波の高さが高くなって破壊のエネルギーが増すことになるのだ。しかしながら同じ規模の津波が同じ場所を襲ったとしても、津波の進行方向が異なると被害の規模は大きく異なることになる。大船渡市の場合で、津波の進行方向がたとえば東北東であれば、大船渡湾に入り込む津波の規模は小さくなり、被害ははるかに小さかったと考えられるのだ。

チリ津波に襲われた大船渡市
チリ津波に襲われた大船渡市】

『津波デジタルライブラリィ』に、当時の大船渡小学校の教諭と生徒が記したチリ津波体験記『くろいうみ』が公開されている。当時、同小学校の校長であった紀室泰治氏は『発刊の辞』のなかで、津波当日のことを次のように述べておられる。

「誰もが夢うつつの快いまどろみの中にあって、街はひっそりと静まりかえって、深い眠りから覚めやらぬ二十四日早暁午前四時三十分、それこそ何等の前兆もなく、全く突如として大津波が襲来したのでありました。非常を告げ、暁の空気をふるわして、けたたましく鳴りひびくサイレンの音にも、海岳の方角から聞えてくる『津波だ、津波』と絹を裂くような叫び声にも、誰もが一様に『地震もなかったのにまさか津波がくるなんて』と信じかねる程でした。
人々のそんな考えには何の躊躇もすることなく、怒り狂った逆巻く大津波は物凄い勢いで疾風のように襲いかかって、繁華を誇った街を片っ端から無惨にも木葉微塵に打ち砕き、救いを求める血の出るような悲痛なる叫び声にさえ、何とも手の下しようもなく、全く一瞬にして阿鼻叫喚の修羅場と化してしまったのであります。」
http://tsunami-dl.jp/document/076#section-696e0b07bb3d17ac688471233e539fe5

『くろいうみ』に寄稿している先生や生徒の記録を読めば、誰もが津波が来ることを知らされていなかったことがわかるのだが、当時の気象庁は何をしていたのだろうか。
気象庁は、チリの大地震のあと津波が発生し、ハワイで猛威を奮ったことについては電報で情報を入手していた。そして検潮儀の記録では、午前2時25分には伊豆大島、2時30分には北海道の浦河などで津波の第1波の到着が確認でき、大船渡にも午前3時10分ごろの第1波の到着が確認できたという。

大船渡港民家に乗り上げた漁船
【大船渡港民家に乗り上げた漁船】

そんな状況であったにもかかわらず、気象庁の反応は鈍かった。
山下氏は前掲書でこのように記している。

「札幌管区気象台が『ツナミノオソレ』の予報を出したのは24日午前5時00分。
 仙台管区気象台が『ヨワイツナミ』の予報を出したのは同5時15分。
 つぎが直接気象庁による発表で5時20分。内容はつぎのようなものであった。
 『23日午前4時頃、チリ中部海岸におきた地震により、日本の太平洋岸では弱い津波があります。なお、北海道および三陸沿岸では津波の勢力が集まる関係で、相当な津波になる恐れがあります。』
 『相当な津波になる恐れ』というが、この頃になると、もう大船渡市(岩手県)や志津川町(宮城県)などでは、実際に、5m前後の大津波(第2波)に襲われ、全く寝耳に水で、惨憺たる情況になっていた。」(同上書 p.163-164)

実は、この津波が起きる5年も前に東京水産大学の三好寿氏によって、「チリで生じた津波が、日本近海で警戒すべきである」との注意喚起がなされていたという。そして三好氏は気象庁の会議室での講演においても同様の事を指摘したとのことである。

気象庁は、そんな遠くで発生した津波がもし日本に到達したとしても、大きな被害は出ないと高をくくって三好氏の指摘を無視したわけだが、津波で大被害が出てから事後で津波予報を出したことが当然非難されることになる。その時の気象庁の言い訳は次のようなものであったという。

「気象庁は、後でこそ『このこと(ハワイからの電報)が十分に活用されず予報の遅れたことは、関係者一同の知識の足りなかったことと経験が足りなかったために、津波強度を過少に推定したことによるもの』とし、『誠に遺憾に堪えない』と謝罪の意を表明したが、当初は『前例がない』とか『気象官署津波業務規定による業務のこと』『技術の限界』などと弁解に終始して、なかなかこの大失態を認めようとしなかった。」(同上書 p.164)

河北新報 チリ津波

大事故が起こったあとの当事者の言い訳として、「前例がない」とか「想定外」とか「技術の限界」という言葉が今も良く用いられるのだが、今後同様な事故が発生した場合にいかにすれば被害を最小限にできるかという発想よりも、自分や組織に責任が及ばない目的で発されることが多いように思う。

チリ津波のように、自国から遠く離れた海域で発生して押し寄せてくる津波を「遠地津波」と呼ぶのだそうだが、実は「遠地津波」は過去も何度か記録されており、明治10年(1877)にチリ沖から押し寄せてきた津波は釜石で3mの津波高を記録し、千葉県の房総半島で死者を含む被害が出た記録はあるというが被害は限定的であった。また平成19年(2007)8月15日にはペルーでマグニチュード8.0の地震があったが、わが国には北海道から沖縄までの太平洋側に高さ10~20cm程度の津波が到来したという記録があるだけである。

昭和35年のチリ津波は、わが国において記録に残されている「遠地津波」のなかで最初に大被害を出した事例であったのだが、気象庁はそれ以来「遠地津波」の発生とその情報を重視するようになったという。そのことは良いことには違いないのだが、津波を警戒する情報を出しても何も被害が出ないことが続くうちに人々が、「遠地津波」の怖さを忘れてしまうことが心配だ。地震がなくとも、あるいは小さな地震でも、震源地が遠ければ津波が襲ってくることがありうることを、小さい子供にもしっかり教えておくことが重要である。

ネットではチリ津波についての写真や記録の多くが紹介されているが、今年は災害の多い年であるからこそこれらの内容に目を通して頂き、多くの人々の記憶にとどめていただきたいものだと思う。

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Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

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