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太平洋戦争緒戦の日本軍の強さは米英軍の予想をはるかに超えていた

前回まで2回に分けて日米開戦の経緯について書いた。
真珠湾攻撃のことはあまり書かなかったが、アメリカ側は、戦艦8隻の内5隻が沈没され3隻が損傷により航行不能となったほか、航空機188機が破壊されて、戦死者が2345名など米軍の被害はかなり大きかった。一方日本軍の損害は、航空機29機、戦死者55名と少なく、日本軍の奇襲は大成功に終わっている。

アメリカは目論見通りに挑発によって日本軍に真珠湾を奇襲させたのだが、ここまで損害がでることは予想していなかったはずだ。
というのは、既にドイツとイギリスとの戦争は始まって約2年も経過しておりながら、ドイツ空軍はイギリス海軍に対して、有効な打撃を与えていなかったからだ。
ドイツの潜水艦は主に通商破壊のために商船を攻撃することを主任務としていたこともあるが、当時の魚雷は、海中から発射しても、厚さが数十センチもある戦艦の甲板の鋼板を貫くことは出来ず、戦艦を撃沈することはできなかった。
また上空から爆弾を落とす場合も、時速25ノット(時速約50km近い)で進む戦艦に命中させることは極めて困難であり、命中精度を上げようと低空から爆弾を落とそうとすると、戦艦の対空火砲によって撃ち落される可能性が高く、運よく撃ち落されずかつ爆弾が命中したとしても、加速度がついていないから甲板を貫くことができない。
そのような理由からドイツ空軍は、イギリスの戦艦に手も足も出なかったことが、以前紹介した倉前盛通氏の『悪の論理』に書かれている。

240px-Pearl_Harbor_looking_southwest-Oct41.jpg

上の画像は真珠湾攻撃前の2か月ほど前のものだが、真珠湾は湾の入り口が狭く、真ん中に島がある湖のような地形になっている。湾の深さは12メートル程度と浅く、この場所では雷撃機から魚雷を投下しても真珠湾の海底に魚雷の頭が突っ込んでしまうし、それを避けようと低空に降下してから魚雷を投下しようとすれば、ドーナツ状の湾内で投下しなければならないのだから相当戦艦に接近しなければならず、戦艦の対空火砲の餌食となりに行くようなものだ。
だから、もしドイツの空軍が同じ条件で真珠湾を奇襲しても魚雷は使えず、とても日本軍ほどの戦果を上げることはできなかったことは確実なのだ。
アメリカも、日本軍に奇襲をさせたところで、すべての戦艦が使えなくなるほどの被害が出ることは全く想定していなかっただろう。

ではなぜ、日本軍は真珠湾でこれだけの戦果を挙げることができたのだろうか。
倉前氏の『悪の論理』の説明がわかりやすいので、しばらく引用する。

img20120610180152963.png

「真珠湾に並んでいた米主力艦が何故、あのように、脆くも沈んだのか。それは日本の海軍機の爆弾が戦艦の主砲弾を改造して爆弾につくり変えていたからである。強力な装甲板を突き破る目的でつくられた戦艦の口径、三十六センチもしくは四十センチ砲弾を改造した、硬い弾頭をもった爆弾が急降下攻撃によって、絶対貫けないと思われていた米戦艦の装甲甲板をつき抜いたのである。ドイツ空軍も考えなかったアイデアであった。

また、真珠湾は水深が浅いため、雷撃機から魚雷を投下しても、いったん魚雷が深く沈んでから前進するので、真珠湾の海底に魚雷が頭を突っ込んでしまう。それゆえ、真珠湾に入っている艦船は、敵の飛行機から魚雷攻撃を喰らう心配はないと考えられていた。

ルーズベルトも、米海軍も、このような前提のもとでことを考えていたのである。だからこそ、11月26日、ハル・ノートという最後通牒を日本に突きつけ、11月27日には前線指揮官に戦争開始の指示を与えておきながら、それから2週間もすぎているのに、のうのうと真珠湾に全艦隊が入港して休息していた。これは、よほど油断していたのか、日本をおびき寄せるオトリに使うつもりであったのか。いずれにせよ、たとえ、日本の航空艦隊の襲撃をうけても、かすり傷ですむとタカをくくっていたことを意味する。

img20120620220328880.jpg

だが、爆弾ばかりではなく、日本は魚雷にも新しいアイデアをこらしていた。雷撃機から投下した魚雷が、深く沈まないように、翼のようなものを魚雷につけていたのである。しかも魚雷の威力は、ドイツが『涎』を流して欲しがり、ドイツ自慢のUボートとの交換を申し入れてきたほどのもので、米英海軍の魚雷とはケタ違いであった。それゆえ、戦艦の舷側に張られている、幾層もの強力無比な防御壁を一撃で粉砕し、あたりどころがよければ、一発で戦艦が二つに折れるほどの威力であった。

それにくらべ、米国の方は、開戦後まもなく、米潜水艦が当時軍事輸送に使われていた図南丸に魚雷攻撃を加えた時、六発命中させたが、一発も爆発しなかった。驚いた艦長はすぐに基地に帰り、こんな魚雷では戦争はできないと文句を言ったという。米国は大あわてで魚雷の全面改良をおこない、それに一年以上の時間をついやしたといわれている。」(倉前盛通『悪の論理』p.96-98)

この時代の魚雷は、雷撃機から投下すると一旦水深60m程度まで沈み、それから浮上し前進していくものだったそうだが、日本軍は短期間の間にそれを改良し、投下後水深10メートル以内で浮上する魚雷を開発したのだそうだ。

前々回のこのブログの記事で、真珠湾攻撃のニュースを聞いて、英国のチャーチル首相がこれによってアメリカが参戦し、イギリスの勝利を確信して喜んでいる旨の文章を書いていることを紹介した。しかしながら、真珠湾攻撃の2日後にイギリス軍の自慢の戦艦が日本軍と、マレー沖で戦うことになる。再び倉前氏の著書を引用する。

「チャーチルにも、喜びに満ちて安眠したあととすぐ、顔面蒼白になる悲報が届いた。ハル・ノートが突きつけられた後、行動を開始した日本の大輸送船団数十隻を、南シナ海の洋上で全滅させる目的で、シンガポールにいた英国自慢の不沈戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』と、もう一隻の戦艦『レパルス』の二隻および随伴の駆逐艦は、戦闘機の護衛もつけずに北上した。そして12月10日、ベトナムのフコク諸島から発信した日本の海軍航空隊から攻撃をうけた。英国海軍首脳は、ドイツ空軍でさえ、手の出せない英国不沈戦艦に、日本空軍が何ができるものかという思い上がりがあった。

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ところが、80機の日本海軍の投下する爆弾と魚雷によって、『プリンス・オブ・ウェールズ』と『レパルス』の二隻はたちまち撃沈され、日本側は三機を失ったのみであった。

チャーチルは驚愕して議会に駆け込み、不沈戦艦がいまや不沈でなくなったことを報告して泣いた。シンガポールにいた英国海軍将校など、ショックのあまり失心する者まで出たと言われている。

かくして、開戦後わずか3日でアメリカ太平洋艦隊とイギリス極東艦隊は全滅し、それ以後、約2年間、西太平洋と東インド洋の制海権は日本の掌中に帰した。」(同上書p.99-100) このように、日本軍はきわめて幸先の良いスタートを切ることができたのである。

ゼロ戦

この日本の快進撃がアメリカにとっていかに「想定外」の出来事であったことは、その直後のアメリカの動きを見ればわかる。

日本海軍は太平洋のアメリカ西海岸で潜水艦による通商破壊作戦を実施し、アメリカ西海岸沿岸を航行中のアメリカのタンカーや貨物船を10隻以上撃沈していた。
アメリカでは1942年の初頭にかけて日本軍によるアメリカ本土への上陸の可能性が高いと考えられるようになり、アメリカ西海岸の主要な港湾においては、機雷の敷設が行われたり、他の都市でも爆撃を怖れ、防空壕を作ったという。

そのような厳戒態勢下にあったにもかかわらず、1942年2月24日未明に日本軍はカリフォルニア州サンタバーバラの石油製油所を潜水艦による砲撃作戦を成功させるのだが、翌25日深夜にカリフォルニア州ロサンゼルスで面白い事件が起こっている。

日本海軍の艦載機による空襲を信じたアメリカ陸軍が対空砲火を中心とした迎撃戦を展開し、その模様はラジオ中継されアメリカ西海岸をパニック状態に陥れた(ロサンゼルスの戦い)というのだが、日本軍が空襲を行った記録はどこにもなく、真相はいまだに不明で、アメリカではUFOが飛来したのではないかと真面目に議論されているという。

この事件で米軍は同士討ちで6名を失ったというのだが、それほど日本軍の快進撃はアメリカ人を恐怖に陥れていたのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

最近になって知ったことだが、植村峻氏の『お札の文化史』という本に、アメリカはこの真珠湾攻撃の大敗北のあと、ハワイだけで通用する紙幣を刷りはじめたことが書かれているという。これは、ハワイ8島を放棄せざるを得ない局面もあり得ると考えてのことだと言われているが、アメリカ人はそれほど日本軍の快進撃にショックを受けながら、そしてハワイ陥落という最悪の事態をも想定していたというのだから、実にアメリカ人は抜け目のない人種である。その点は、最悪の事態を「想定外」として思考停止するどこかの国の人々は見習わなければならないと思う。
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4871883167/ref=dp_db_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1

トインビー

イギリスの歴史学者であるアーノルド・J・トインビーは、毎日新聞1968年3月22日付にてこう述べている。
「英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈された事は、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた、永続的な重要性を持つ出来事でもあった。何故なら、1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。1941年、日本は全ての非西洋国民に対し、西洋は無敵でない事を決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のヴェトナムに明らかである。」

太平洋戦争でわが国は敗れたが、緒戦とはいえ日本軍が米英軍を相手に圧倒的な勝利を得たことが、当時白人に支配されていたアジア・アフリカ諸国に、白人が無敵でない事を示したことは大きかった。
原材料に乏しいわが国が戦いに勝ち続けることはできなかったが、この戦争の後に、これらの諸国が次々と独立し白人の支配から解放されていくことになる。
もし日本がハル・ノートを受け容れて対米戦争を回避していたら、現在のような人種平等の世界が来ることはなかったであろう。そうすればわが国も、その後白人の支配下に置かれていたとしてもおかしくなかった。あの戦争の前の非西洋諸国は、日本とタイとエチオピアを除いたすべてが西洋の植民地であったことを忘れてはいけない。

西洋諸国は300年以上の長きにわたり支配してきたアジア・アフリカの植民地のほとんどを第二次世界大戦の後で失った。その意味で、我が国が戦争の目的とした「東亜諸民族の解放」は実現したという主張をすることも可能だが、終戦後に独立した国の多くは共産国となったので、終戦後実質的に勢力を伸ばしたのはソ連ではなかったかと思うのだ。ひょっとすると、「東亜諸民族の解放」というスローガンも、共産主義者から吹き込まれたものではなかったのだろうか。資源のない我が国が他国の白人支配からの解放を手助けする余裕があったとは思えないのだ。

img20120530214528657.jpg

このブログで何度かスターリンの『砕氷船のテーゼ』を紹介したが、もう一度、昭和10年(1935)の第7回コミンテルン大会におけるスターリン演説を引用しておきたい。

スターリン

「ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国に向けさせよ。そして戦力を消耗したドイツと日本の前には米国を参戦させて立ちはだからせよ。日・独の敗北は必至である。そこでドイツと日本が荒らし回った地域、つまり日独砕氷船が割って歩いた跡と、疲弊した日独両国をそっくり共産陣営に頂くのだ。」

先進国同士を戦わせて消耗させ、最後に参戦して漁夫の利を得るスターリンの戦略は、世界に根を張っていた工作員や協力者によって、主要国でほとんどそのテーゼの通りに実行されていたのではないか。
アメリカは、言わば共産主義の脅威を作り出すために参戦したようなもので、つまるところスターリンの手の内で動いていたのではなかったか。ルーズベルト政権の中枢やその周りには500人以上のコミンテルンのスパイや協力者がいたことがわかっているのだ。
イギリスも、ナチの徹底的破壊を志向したために、結局はソ連の東欧進出を許したばかりか、植民地の全てを失って二流国に転落した。これもスターリンの戦略通りであったのではなかったか。
ルーズベルトもチャーチルも謀略家ではあったが、スターリンの方がはるかに上であったと思うのだ。

では、何故わが国は共産国化を免れることができたのであろうか。
これには、いろんな理由が考えられるのだが、以前にも書いたように、昭和天皇が、広島・長崎に原爆が投下されソ連が我が国への侵攻を開始した極めて適切なタイミングで終戦のご聖断を下されたことが大きかった。もしこの御聖断がなければ誰もこの戦争を止めることが出来ず、アメリカとの本土決戦となれば米軍もソ連軍の協力を要請していた可能性が高いと思われる。
もしそうなっていれば、ドイツや朝鮮半島と同様に、わが国も終戦後に、北海道や本州の一部が共産化することが避けられなかったと考えている。
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Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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