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能勢町の古刹と天然記念物「野間の大ケヤキ」を訪ねて

ゴールデンウィークの道路渋滞を避けて、一般道を通って大阪の北端にある能勢町に行って来た。能勢町はとてものどかな雰囲気で、美しい山並みと田園風景に結構癒される場所である。

大阪の都心や住宅地で滅多に見られなくなった「鯉のぼり」も、この時期にここまで来るといくつも泳いでいる。昔懐かしい茅葺の家も点在している。

能勢の鯉のぼり

茅葺屋根の民家の庭に「鯉のぼり」が泳いでいるのを見ると、数十年前にタイムトリップしたような気分になって、思わず何枚も写真を撮った。上の画像は蛙の鳴き声の聞きながら、「大日堂」の近くの民家を撮影したものだが、こういう景色はこれからもずっと残しておいてほしいものだ。

能勢町には結構歴史の古い寺があるが、無人の寺もあるようだ。昨年に能勢町野間西山「今養寺」という寺で、国の重要文化財である平安時代の仏像「木造大日如来坐像」が盗まれたそうだが、この「今養寺」は無人なのだそうだ。
次のURLで盗難された文化財のリストが出ているが、仏像の盗難は全国で毎年30件近く発生しているのは驚きだ。
http://www.bunkaken.net/index.files/topics/tonan.html

上の鯉のぼりの画像を撮った民家の近くにあった「大日堂」も無人の寺で、仏像を拝することは叶わなかったが、ここには平安時代の大日如来坐像と二天像が安置されているはずだ。江戸時代に、この場所より西側の「堂床山」という山の荒廃したお堂に雨ざらし状態にあった仏像を移してきたためにかなり傷んでいるそうだが、三像とも一木彫の仏像であるらしい。

月峰寺の阿弥陀如来座像

上の画像は「月峰寺」境内にある「阿弥陀坐像石仏」である。制作は文安四年(1447)で、作者は不明である。
「月峰寺」は7世紀の推古天皇の時代に開創されたという伝えのある古い寺院で、開創のころは剣尾山の山頂近くの山岳寺院であった。最盛期には四十九もの院坊が存在したそうだが、天文14年(1545)丹波城主波多野氏の兵火により全焼してしまい、天文18年三好長慶や片桐勝元が再興を計るもならず、寛文四年(1664)観行上人が山上を去り、麓の現在地に再建したのだそうだ。
お願いすれば内部を拝観させていただいたかもしれないが、釈迦如来坐像(鎌倉末期~室町初期)、木造聖徳太子孝養像(南北朝~室町時代)という古仏があるそうだ。

玉泉寺

「玉泉寺」というお寺にも行って来たが、ここは先程の月峰寺の坊寺の一つとして剣尾山の山頂近くにあったのだが、戦火にあった後現在の場所に移ったのは宝永五年(1708)なのだそうだ。
ここもお願いすれば内部を拝観させていただいたかもしれないが、平安時代の薬師如来座像(能勢町指定文化財)や江戸時代の仏師「湛海」の傑作とされる木造不動明王坐像(大阪府指定文化財)などが安置されているそうだ。

能勢に来たら必ず立ち寄ってほしい場所が、国指定天然記念物の「野間の大ケヤキ」。

野間の大ケヤキ3

樹齢は千年とされ高さが30m、幹回りが14m、枝は東西に42m、南北に38mもある大変な巨木で、凄いオーラを感じて眼を釘づけにさせる樹だ。ケヤキの木としては全国で4番目の大きさで「新日本名木100選」や「大阪みどりの百選」にも選ばれているそうだ。

説明板によるとこのケヤキを中心とする一角の地は、鎌倉時代の承久二年(1220)に創建された「蟻無宮(ありなしのみや)」と呼ばれる神社の境内だったそうで、この木はその神社のご神体だったと考えられている。しかし、明治45年に蟻無宮は近くの野間神社に御祭神が合祀されて、今はこのケヤキが残されているだけだ。ボランティアの人によると新緑の今頃が一番美しいとのことだ。

あと能勢町は、江戸時代の文化年間に始まり200年の歴史がある人形浄瑠璃(大阪府指定無形民俗文化財)が有名だ。能勢町役場の近くに「浄るりシアター」があるが、全国の人形浄瑠璃が衰退していく中で、この町では伝統を継承して今も200人の語り手がいるというからすごい。

「食べログ」で調べると食事をする場所はよさそうなところがいろいろあるのだが、今回は「Soto Dining」でランチをしてきた。

Soto Dining

この店は景色も良ければ建物の外観も店内の雰囲気も良い。不便な場所にあるのだが、11時ごろのオープン前から20人近くが並んでいて、12時前には満席になっていた。

Soto Dining Lunch

画像は鶏のトマトソースだが他にもハンバーグデミグラソースとサーモンのクリームソースがランチのメニュー。こんなお店で能勢の山々の景色を見ながら美味しい食事ができるのは嬉しい。

他にも食事をする場所はいくらでもある。先日行った「若田亭」の蕎麦も良かったし、食べログを見ると、まだまだ素敵な店がいくつもありそうだ。

くりの郷

野菜なら道沿いにいくつも小さな販売所があるが、まとめ買いする時は「道の駅くりの郷」(能勢町観光物産センター)で買う。近隣で採れたばかりの野菜や特産品が豊富にそろっている。米も精米したてのものを販売してくれて、精米のレベルまでも選ぶことができる。もちろんどんな農産物もスーパーで買うよりも美味しくて割安だ。

会社の同僚の話だと、この道の駅の近くで特別天然記念物のオオサンショウウオを見たというのだが、調べると能勢町の川にはオオサンショウウオが多数生息しているようだ。

能勢町の魅力は山や川が美しいだけでなく、このように昔のままの自然と文化と生活が残されているところにある。こんな町が大阪の都心部から近い所にあることが嬉しい。

しかしながら、もしこの能勢町に大手のチェーン店が大型店舗をいくつも構えるようなことになれば、町の中での微妙な経済循環が崩壊して多くの農家や店舗が疲弊し、それがきっかけになってこの町の魅力を支えてきたものが少しずつ崩れいって、どこにでもあるような普通の田舎地方になってしまうような気がする。

いままで町を支えてきた人々の収入が減れば、若い人々は町を去ることになる。そうなれば、有名な野間神社の秋の例大祭や浄瑠璃などの文化の担い手も先細りになってしまうし、お寺や神社を支える檀家や氏子からの収入が減少すれば、いずれ多くの文化財が維持できなくなってしまうだろう。

今多くの地方で高齢化が進み、その地方の文化財に充分な修理がなされず、地方特有の文化が充分に継承されないまま何れは消滅してしまいそうな危機にあるが、その危機を逃れるためには能勢町のように、その地方の住民の中で経済がうまく循環して住民が生活できかつ地元に蓄えが残る仕組みを維持することが重要なのだと思う。

能勢町が田舎の魅力を持ち続ける限り私はこれからも訪れたいし、秋祭りや人形浄瑠璃の公演にも、ぜひ足を運びたいと思っている。
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淡路人形浄瑠璃と高田屋嘉兵衛と淡路特産玉葱の「七宝大甘」~~淡路島文化探訪の旅3

お昼に鱧料理を堪能し、再び淡路島のドライブを続ける。

つぎに紹介したいのは淡路島の伝統芸能である人形浄瑠璃だ。大阪の文楽や徳島の阿波人形などのルーツだと言われており、昭和51年(1976)に国の重要無形民俗文化財に指定されている。

淡路島人形浄瑠璃の歴史は南淡路市のHPに簡記されている。
http://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/index/page/dbb2afd6c95a4c8fc86b63d694339cda/
が、もう少し詳しく知りたい人は、次のサイトが詳しい。

郷土史家の菊川兼男さんが監修した「ネットミュージアム兵庫文学館 淡路人形浄瑠璃」
http://www.bungaku.pref.hyogo.jp/kikaku/awaji/index.htm
淡路人形浄瑠璃生年研究会
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Suzuran/1719/awajinin1.htm

淡路島人形浄瑠璃

それぞれ微妙に内容が異なるが簡単にまとめると、淡路人形の発祥は今から500年余り前に、西宮の戎神社に仕えていた百太夫(ひゃくだゆう)という傀儡師(くぐつし:人形遣い)が、現在の南淡路市三原町市三條に来て人形の使い方を伝授したことに始まると言われている。
細川家の衰退とともに、それまで神事に舞楽奉仕を行うことを職業としていた楽人たちは、新たな神事芸能を創造すべく上方から伝えられた「式三番叟(しきさんばそう)」の奉納を人形操りによって行いました。これが淡路人形浄瑠璃のルーツとなる。

続いて今から約400年前、慶長年間(1596-1614)に、京都で始まっていた三味線を伴奏楽器とする古浄瑠璃と人形操りとが提携して人形浄瑠璃が成立したと言われているが、江戸中期の『和漢三才図会』という百科事典には、最初に古浄瑠璃と提携した人形繰り師として淡路島出身の第二代引田源之丞の名前が書かれているのだそうだ。

その後淡路人形浄瑠璃は阿波の殿様(淡路国の領主でもある)の保護を受けて発展し、江戸中期には淡路に40を超える人形座が出来、それに携わる人が900人余りもいて、東北から九州にかけて広く芝居の巡業をしていたそうだが、その後人形座は次第に減少して、今は「淡路人形座」と「市村六之丞座」の二つだけだという。

「淡路人形座」は、鳴門海峡の近くの大鳴門記念館にある「淡路人形浄瑠璃館」では毎日公演がなされているが、この公演は数年前に見ているので今回は淡路人形浄瑠璃発祥の地の南淡路市三原町にある「人形浄瑠璃資料館」に行ってきた。この資料館は南あわじ市三原図書館の二階にあり、「市村六之丞座」の人形や衣装や台本など古い資料が展示されており、スタッフの丁寧な説明を受けることができるうえ、再現された舞台でビデオの鑑賞も出来る。

式三番叟

上の画像は「式三番叟」の人形だが、現在でも三番叟は、人形座が各地で公演を行う前に、無事安全を祈願して奉納が行われているそうだ。YouTubeで探すと5年前の正月に「淡路人形浄瑠璃館」座員によって三条八幡神社脇宮戎社に奉納された、三番叟奉納の動画が見つかった。
http://www.youtube.com/watch?v=q0ITUqyUmJY

人形浄瑠璃といえば「文楽」の方が今は有名だと思うのだが、もともと「文楽」は淡路出身の浄瑠璃語り植村文楽軒(1751-1810)による人形芝居が大阪で人気を博して広まったものだそうだ。文楽も淡路人形浄瑠璃も三人で人形を操るのは同じだが、決定的に異なるのは技芸員は文楽は男性だけなのに対し淡路人形浄瑠璃の場合は太夫や三味線に女性が多いことと、人形が文楽と比較してかなり大きいことだという。淡路人形浄瑠璃は人形が大きいゆえに表情がわかりやすく、素朴で迫力があると海外でも評価が高く、海外公演も何度も行われているようだ。

地元の三原高校には創部60年近い歴史を誇る「郷土部」があり、淡路人形浄瑠璃の伝統の継承に取り組んでいる。2年前の朝日新聞の記事によると、ハンガリーやカナダ、台湾、フランスと計4度の海外公演も経験し、卒業生のうち7人は「淡路人形座」でプロとして活躍しているという。
https://aspara.asahi.com/column/bunkasai/entry/99gmdmTW3I

たまねぎ畑

資料館を出るとすぐ横の畑で玉葱の収穫をされていた。淡路島は玉葱の名産地だが、これだけ大規模な玉葱畑の収穫を初めて見た。

淡路島に来れば必ず玉葱を買うのだが、いつも買う場所は決めている。今回も予定通り、県道31号からウェルネスパーク五色に行く坂道の途中にある「菜の花農園」という直売所に行く。

菜の花農園

農業を営むオーナー夫妻が米や野菜を販売しているが、ここの名物おばちゃんとの会話が実に楽しい。話しているうちに、淡路島でしか出回らない「七宝大甘(しっぽうおおあま)」1箱を勧められて買ってしまった。

七宝大甘

今回買ったもので直径が12-14cm程度だが、以前はもっと大きいものを買ったことがある。 この品種はちょっと割高だが、甘みがあって辛みがなく、サラダで食べるのに最高の玉葱だ。

このブログで時々書いているが、私は車を走らせては野菜や果物を産直販売所で買ったり農家から直接買ったりすることが多い。野菜や果物の本物の味はこういうところのものを買わないと味わえないし、生産者の地元で買うことが地元にとっても良いことだと思うからだ。

大手スーパーは、流通コストを下げ、廃棄を減らすために、腐らないよう、傷まないよう、運びやすいように、農家には農薬を使って実が熟さない段階で大量に刈り取り出荷することを指導してきた。だから都会の消費者の大半は、本物の野菜や果物の美味しさを忘れてしまっているか知らないままでいるのが現状だ。
また、今のやり方では、大半の農家は大手流通に買いたたかれて利益はほとんど残らない。利潤を蓄積していくのは、主に大手流通業者だろう。農業では生活ができないために田舎で若者は都会に出て働くこととなり、そのために田舎は高齢化・過疎化が進んでいくばかりだ。

何百年もかけて固有の文化や伝統を培い継承してきた地域は淡路島に限らず全国各地にあるが、多くの地域でその文化や伝統を支えてきた仕組みが崩れてきている。
地域の文化や伝統はその地域経済の豊かさによって支えられてきたのだが、都会資本の企業に席巻されて多くの商店や製造業者は廃業し、多くの農家は後継ぎが都会に定住して戻ってこない。この流れを放置したままで、素晴らしい地方の文化や伝統をどうやって後世に残すことができるのだろうか。
文化や伝統だけでなく文化財も同様だ。檀家や氏子が減っていくばかりの寺社がどうやって、古い建築物や仏像などの文化財を守れるのかと思う。

田舎の高齢化・過疎化が更に進んでいけば、水源の維持管理や治安や防災や道路の維持管理から文化財の修理や管理などの大半のコストを、いずれは都市住民が負担せざるを得ない時代が来ることになってしまうだろう。個々の企業が利潤を追求することを放置したままでは、この流れが止まることはないのだと思う。

しかし、都会の消費者が田舎に行って地域の農産物や特産品を買ったり、ネットで地元の農家に注文して買うなどして、直接地方の生産者や地元業者から一次産品や加工品などを買う人が増えれば増えるほど、その地域は潤う。少しでも多くの都会の消費者がそういう行動をとることによって、田舎の高齢化・過疎化や地方文化の消滅の危機が少しは解消方向に向かうことにはならないのだろうか。補助金などをもらって生きるのではなく、生産したものが売れて生計がたてば、田舎で生活することに誇りが持てる効果もあるだろう。

東日本大震災を機に、高知県で津波の怖れのある都市部と高齢化で悩む山間部とがタッグを組んで共存共栄を図る動きがあることを知ったが、このような動きが全国で拡がっていけば、地方に若い世代が家業を継いで、地域の文化と伝統を守ることにつながるのではないかと期待している。
http://www.asahi.com/kansai/kouiki/OSK201106090040.html

話が随分飛んでしまったが、地域の伝統文化を守るためにはそれを支える人々の経済をも配慮する必要があり、地元で若い人が残って文化が継承されるようにしていくことが大切だということが言いたかった。要するに三世代同居の家のない地域に文化の継承は難しいのだ。

「菜の花農園」の名物おばちゃんに別れを告げてさらに坂を登ると、「ウェルネスパーク五色」があり「高田屋顕彰館・歴史文化資料館」がある。

辰悦丸

この資料館は幕末の英雄・高田屋嘉兵衛の業績や生涯を紹介する施設で、高田屋嘉兵衛がはじめて持った船である辰悦丸を2分の1のサイズに復元した模型や、当時の船に使われた道具、蝦夷地の地図などの北方資料や高田屋の経営文書などが展示されている。

高田屋嘉兵衛の話は長くなるので、もう少し勉強してからいずれチャレンジすることにしたい。
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大阪のてっぺん 浄瑠璃の里~~地域の文化を継承するということ

ドライブや旅行で地方に行くと、素晴らしい文化と繁栄の歴史を持ちながら、時代の流れと共に若い人が地元を離れて衰退し、その地方固有の伝統や文化も後継者を失っているのを見て悲しくなることがある。
いくら文化的に価値の高いものであったとしても、その文化を支えてきた仕組みがその地方に残らなければ、いずれ消滅してしまうことを避けることは難しいのだろう。

昔はどんな地方にも地元で働ける仕事が少なからずあり、若い世代の多くが地元に残ることが出来た。農業や林業や漁業をはじめ小規模ながらも様々な製造業や小売業などが地元に存在し、各家の長男は家の生業を継ぐ社会だったと思う。
しかし農林水産業での生活は厳しくなる一方で、地域での零細な製造業や小売業なども都会資本の大企業等に淘汰され、さらに役所まで統廃合されたために地元で働ける職場が激減している。

地元で家族を養えるだけの生活ができるような仕事がなければ、若い世代は地元を離れざるを得ない。その結果、地方は老齢化が進んでいくばかりだし、経済は縮小し都心部との地域間格差は拡大していかざるを得ない。

地方に残った有形・無形の文化は、それぞれの地域に代々居住している農業の従事者や、零細な事業者等によって永年にわたり承継されてきたものだが、地域に若い世代が残る仕組みの多くが崩壊した今、多くの地方でそれらの文化の存続が難しくなってきている。

古いお寺や神社の建物などは屋根などが傷んでも、地元の人々の寄付が集まらないために修復にお金をかけられず、祭りや踊りや浄瑠璃などの無形の文化は若い世代がいないために伝統の承継が容易ではないという地域は多い。観光客が集まって地元に多くのお金を落としてくれる場所であればともかく、大半の地域では稼ぎ手の多くを失い、共同体的な地域の人々のつながりが崩壊してしまって、その地域文化を残すことが次第に難しくなってきている。

能勢浄瑠璃の里

しかし大阪の北端にある豊能郡能勢町では200年以上の歴史がある浄瑠璃が今も地元の多くの人々によって支えられて、平成5年(1993)には大阪府の無形民俗文化財に指定され、ついで平成19年(2007)にはサントリー地域文化賞も受賞していることを知って興味を持った。
http://www.suntory.co.jp/news/2007/9849-2.html

サントリー地域文化賞の受賞理由にはこう書いてある。
「世襲ではない独自の家元制度により200年の伝統を重ねてきた能勢の浄瑠璃は、オリジナルな人形浄瑠璃を新たに作り出すなど、伝統を継承するだけではなく、能勢町全体で『浄瑠璃の里文化』の新たな発展に取り組んでいることが、高く評価された。」

「世襲でない独自の家元制度」とはどういうことなのか。
能勢の浄瑠璃は江戸時代中期・文化年間(1804年~1817年)に初代太夫が誕生し、竹本文太夫派・竹本井筒太夫派・竹本中美太夫派があり、お互いに競い合ってその伝統を継承してきたそうなのだが、2001年に新しく竹本東寿太夫派が誕生した。

能勢浄瑠璃流派

浄瑠璃の語り手を「太夫(たゆう)」というのだが、人口11千人程度の能勢町に、上記の4派で200名を超える太夫がいるというのだ。
それだけ多くの語り手がいる理由のひとつは、「おやじ制度」という仕組みで、弟子を採用して稽古をつけるだけでなく、外部から師匠を呼んで長期間稽古をつけて技芸を磨くのだが、歌舞伎の家元制度のように世襲ではないので、新たな「おやじ」がうまれて更にメンバーを拡大していくことで、浄瑠璃人口の拡大につながったと評価されている。
http://www.masse.or.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/7/20057p11_14.pdf

三味線

伝統の承継だけではなく「新たな発展に取り組んでいる」ということはどういうことなのか。
能勢浄瑠璃は、もともとは人形を使わずに語りと三味線だけで物語が進行する「素浄瑠璃」の伝統が200年近く続いたのだそうだ。
そして平成10年(1998)に新しく人形を加えて「ザ・能勢人形浄瑠璃」がデビューし、演目も古典ばかりでなく、オリジナルな作品を手掛け、平成18年(2006)には劇団として発展させた「能勢人形浄瑠璃鹿角(ろっかく)座」が誕生し、現在数多くの公演活動を行っているという。
「鹿角座」のホームページを見ると師匠に人間国宝の竹本住太夫(人形浄瑠璃文楽座太夫)、吉田蓑助(人形浄瑠璃文楽座人形遣い)も名前を連ねているから凄い。子供のメンバーもかなりいるようだ。
http://rokkakuza.jp/

浄瑠璃シアター入口

たまたま10月2日に能勢町の「浄るりシアター」で人形浄瑠璃の公演があることを知ったので、鑑賞しに行ってきた。
上の画像が能勢町の「浄るりシアター」だが、このシアターが完成したのは平成5年(1993)のことだ。

太夫の衣装

ロビーには人形浄瑠璃に使う人形や三味線、太夫の着る衣装などの資料が展示されている。

床本

上の画像は太夫が読む「床本(ゆかほん)」で、この太い特殊な字を読むことだけでもそれなりの訓練が必要だが、「太夫」はただ読むのではなく、三味線に合わせて独特な節回しで、登場する何人もの人物の声を使い分けて、仕草や演技の描写を伴う絶妙な語り口で、観客に物語の情景や展開のすべてを理解させる役割であるからかなりの熟練が必要なのだ。この「太夫」が能勢町に200人近くいるということは本当に凄いことなのである。

支援企業

地元の多くの企業がこのシアターの創設に関わっていることは、上の画像を見ればわかる。全国的に有名な企業はどこにもなく、地元の企業や団体ばかりだと思われる。
別の言い方をすれば能勢町では地元企業はこれだけ元気がいいし、多くの企業が地元の文化に誇りを持っているということなのだろう。

この日に浄るりシアターで開催されたのは、伝統的な能勢町の素浄瑠璃と徳島勝浦座の人形とのジョイント公演で、今回がその第20回目になるのだそうだ。

出し物は「傾城恋飛脚 新口村の段」「鎌倉三代記 三浦別れの段、高綱物語の段」「菅原伝授手習鑑 寺子屋の段」で、入場者全員に出し物の「床本集」が手渡される。
この床本集は太夫が読むような太い特殊な字ではなく、明朝体で印刷されいて誰でも読む事はできるのだが、公演が始まるとどうしても人形の動きと太夫の語りを聴くことに集中してしまうので、舞台を見ながら床本に目を通すことは難しい。

初めのうちは太夫の語りの言葉の意味がわからなかったり、登場人物の誰の言葉なのかがわからなかったりして理解に苦しんだが、幕間に床本を読むことによって次第に太夫の語り言葉がスッと頭に入るようになって、最後の「菅原伝授手習鑑」では、菅原道真公の子の命を守るために、我が一人息子の命を身代わりに差し出した親の切ない心を絞り出すように語る太夫の言葉が体に染みわたるように理解ができるようになり、途中から眼がしらが熱くなってきた。
浄瑠璃の床本はネットでもデータベースが公開されているが、たとえば「菅原伝授手習鑑」は、次のURLで読む事が出来る。
http://homepage2.nifty.com/hachisuke/yukahon/sugawara.html

今回上演されたのは「寺子屋の段」で、手渡された床本集には寺子屋の段までのあらすじが書かれていたのだが、幕間にこの難しい文章を読んでもなかなか理解できなかった。ところが人形の動きと太夫の語りを聴いているうちに、途中から物語を少しばかり理解できるようになったのは、太夫の語る技術と人形の動きや表情のお陰なのだろうと思う。

私が一番驚いたのは、このような難しい言葉の多い漢語調の文章を、床本を見ずに楽しんでいる観客の多さである。
テレビドラマなどとは全く比較にならないような中身の濃い物語を、能勢の人々は、昔から人形がなくとも、内容を理解して楽しんできた歴史がベースにあるのだ。
「素浄瑠璃」と言葉でいうのは簡単だが、何人もの登場人物の声を使い分けて、聴衆に物語を理解させる太夫の語りの技術は相当洗練されていないと観客を楽しませることはできない。
ハイレベルの語りの技術が伝承されてきたからこそ、この町に200年にわたる素浄瑠璃の歴史があり、今の時代でも多くの観客を呼べるのだろう。

能勢町のことは以前にもこのブログで記事を書いたが、この町にはお米や野菜などを買ったり、地元の美味しい食材を使ったレストランや食堂などがいくつかあって、最近よく訪れるようになった。

野間の大ケヤキ

ここでは食べるものが美味しいだけではなく景色も素晴らしい。天然記念物の「野間の大ケヤキ」はスケールの大きさにも驚くが、新緑の季節は緑が鮮やかで美しい。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-183.html

またこの町は、地域の中で経済がうまく循環していて、昔ながらのお店がたくさん残っているのも魅力の一つだ。大手チェーン店がこの町に進出して来ないのは人口密度が115人/㎢と低いことによるのだと思うが、私のように都市部から買物にくる消費者が少なからずいることがこの町の活性化に繋がっているのではないか。

能勢の里

週末に良く行く道の駅(能勢町観光物産センター)は大変な盛況だし、他にも昔ながらの手作りの豆腐や手作りの丁稚羊羹の店などによく行っている。

能勢の棚田2

能勢町では、どこの街にでもあるようなチェーン店の派手な看板はほとんど見当たらず、美しい自然の中にお寺や神社や人々の家や店舗が調和して存在しているようで、絵になる景色が多くて癒されるのだ。

今回の公演で「鎌倉三代記 三浦別れの段」で太夫を務めた能勢町長の中和博氏が、強いリーダーシップを発揮して能勢町を浄瑠璃の里として広めておられる。町に200年以上続く伝統を、次の世代につなげていく施策こそが地域の連帯を強めて、その伝統が価値を持ち続ける限り、人々は郷土の誇りを失うことなく今までどおりの生活を続けることが出来るのだと思う。

愛すべき郷土があり、郷土の為に尽くすことができる人生は幸せである。能勢の人々にはその愛すべき対象が残されている。しかるに、都会人の多くは自分が尽くすべき郷土を失ってしまったかのようである。

能勢町が持つ田舎の魅力とパワーをいつまでも失わずにいて欲しいし、200年以上続いた人形浄瑠璃の伝統を、これからの200年も是非つなげて欲しいものだ。
私もこれからも時々ここに買物に来て、この地域の生産者の生活に少しでもプラスになればと思うし、他の地域の伝統文化なども応援していきたい。
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しばやん

Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

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