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満州の民衆が関東軍を敵視しなかったのはなぜなのか

昭和6年(1931)9月18日の柳条湖事件から始まった満州事変で、30~40万いたとされる張学良軍は、およそ1万の関東軍によって総崩れとなって満州から駆逐されてしまったのだが、彼らは圧倒的に兵士の数では関東軍よりも優位にあっただけでなく、さらに飛行機や戦車などの近代兵器も大量に保有していた。にもかかわらず、簡単に関東軍に敗れてしまったのはなぜなのか。

張学良

Wikipediaにはこのような記述がある。文中の「彼」は張学良である。
満州事変が勃発した時、彼は北平にいたが、日本軍侵攻の報告を受けると日本軍への不抵抗を指示した。応戦すれば日本の挑発に乗ることになると判断したことや平和解決を望んだということ、日本にとって国際的な非難を浴びるなど好ましくない結果をもたらすだろうと考えたと後に述べている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E5%AD%A6%E8%89%AF

NHK取材班が張学良にインタビューして編まれた『張学良昭和史最後の証言』には、張学良が兵士に対し日本軍に抵抗しないことを指示したことが述べられているようなのだが、普通に考えてわずか1万の関東軍に対して30万以上いたという兵士全員に無抵抗を指示したという張学良の言い分が正しいとはとても思えない。

黄文雄氏は『日本の植民地の真実』でこう解説しておられるが、おそらく真実はこのとおりではなかったか。

「それは、張学良軍があまりにも弱体だったからだ。その最精鋭の主力部隊ですら、関東軍の30センチ砲の轟音に驚倒し、そのまま総崩れとなっている。それまで排日侮日に狂奔していた彼らは、関東軍が一向に動かなかったことに安心し、完全に侮っていたのだ。逆襲があるなどとは夢にも思わなかったのである。
 彼らの本質は、匪賊と変わりがなかった。そのような軍隊だから、反乱や兵器の悪用を防ぐため、夜間銃器類は一括して格納されていた。これが主力部隊の決定的な敗因となった。」(『日本の植民地の真実』p.277)

格納されていた張学良軍の銃器の多くは関東軍によって鹵獲されたことは言うまでもない。

日本はいかにして中国との戦争に引きずりこまれたか

こののち敗残兵が満州各地で略奪と虐殺を繰り返している。
田中秀雄氏の著書『日本はいかにして中国との戦争に引きずりこまれたか』にはこのように記されている。
9月26日、京奉線を走る列車が新民屯近くでレールを外され脱線した。転覆した客車は待ち構えていた敗残兵の掠奪と虐殺の標的となり、60数名が死傷した。欧米関係では8名が犠牲となり、インド人1名が殺害され、女性を含む数名が行方不明となった。
 これには後日譚がある。破壊車両は天津に運ばれて展示された。日本軍の空爆によるもので、無辜の中国人が多数虐殺されたと宣伝に利用された。アメリカの宣伝も見事で、奉天では3名のアメリカ人が日本人に虐殺されたと報道された。
 奥地の朝鮮農民は敗残兵の毒牙にかかりやすかった。撫順の北40キロ遼寧省鉄嶺県や開原県の2千名あたりが生活する朝鮮農民一帯が襲われ、家はことごとく放火された。辛うじて虐殺を免れた農民は山に逃げ込んだ。虐殺は百名に上った。女性や子供に犠牲者が多かったのは、稲刈りの時期で避難を躊躇した家族が多かったためだ。
 10月1日、敗残兵掃討と農民保護のために重松大隊と警察官が被害地の大甸子(だいでんし)に到着した。山に隠れていた農民は日章旗を見て狂気の如く山を駆け下りてきた。日本兵は十日ばかりろくに食べていなかった彼らに食糧を配った。虐殺死体は目も当てられなかった。鉈(なた)で頭部を割られた男性、負った子供ごと刺殺された母親。藁(わら)を斬る押切で首を落とされた婦人の遺体があった(『満州日報』10月8日付)。警察官は生き残った農民を集め、『どんなことがあってもお前たちを保護する、一歩も譲らぬ』と涙ながらに語りかけた。」(『日本はいかにして中国との戦争に引きずりこまれたか』p.200-201)

東三省に於ける官兵匪賊暴挙実例

この本にはこのような事例が多数紹介されているが、これらは決して作り話ではない。この大甸子の事件は大連商工会議所がまとめた『東三省ニ於ケル官兵匪賊暴挙実例 : 自九月十九日至十一月十五日』の9月26日の記録(二十八)にもしっかり記されており、この日には2件の列車の襲撃事件が記録されていることも確認できる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1187781/5

昭和7年4月14日 大阪時事新報 満洲全土に跳梁する無慮十万の匪賊

黄文雄氏は前掲書で張学良軍のことを「匪賊と変わりなかった」と記しているが、相当数は匪賊そのものではなかったか。
昭和7年(1932)4月14日付の大阪時事新報に満州匪賊の討伐の記事がでている。それによると、これら匪賊団の中心をなすものは第二次東北義勇軍で全体を指揮していたのは張学良の腹心である胡育坤であったという。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10162733&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

満蒙管理論

昭和3年(1928)に出版された細野繁勝 著『満蒙管理論』という本に、中国の当時の軍隊について非常にわかりやすい解説があるので引用させていただく。文中の「支那」というのは「中国」を意味する言葉である。

「支那には過去においても現在においても、実数を測り知る能わざる多くの軍隊がある。こは世界何人の目にも夙(つと)に映出せられている事実ながら、さてその夥(おびただ)しき軍隊はそもそも支那のために何の用を為しているか。実際は数十万乃至(ないし)百数十万をも超ゆる――1920年の統計では百三十六万と称す――その陸軍が、全部国家の兵員ではなくて、いわゆる護国軍とか、革命軍とか、いろいろの名称をこそ付すれ、その実態は一人残らず軍閥の私兵なのである。清朝時代には、それでも表面的には官兵たるの形を装っていたが、武漢革命以来は、その形式さえ失われて悉(ことごと)くそれぞれの軍閥の頭目に隷属する私軍私兵となっている。これは海軍も同様である。その上なお驚くべきことは、それが決して普通の良民ではなくて支那名物の土匪、浮浪人、乞丐(カタイ:乞食)の変形であり、それらの異名同体たる事実である。…
 私兵の存在を容認する国家は、如何なる場合においても断じて健全国家ではない。しからば私兵ばかりしか持たぬ国、私兵以外に一個の国軍も有せざる国、これを目して世界の人々はいかなる名称を与え、如何なる取り扱いを為すべきであろうか――それに国家の名を付すことすらが妥当とはいえない。…
 そこには張作霖とか、馮玉祥(ふうぎょくしょう)とか、閻錫山(えんしゃくざん)とか、蒋介石とか、唐生智などといったような各頭目と、これらに付随する私兵は存在する。そしてその私兵を擁して、一時的にある地方に権力を持つものの存在することも嘘ではない。しかしながら事実はただそれだけである。それが支那を代表するものでなければ、中華民国なるものの権利と義務を諸外国に負うものでもない。ましてや、その軍閥や私兵と没交渉なる絶対多数の支那の人民としては、たとい彼ら軍閥の徒が如何に国家の名を僭称するにもせよ、真実は少しの関係も因縁もないのである。支那の権力者と支那の人民とは徹底的に性質を異にする二元的存在である。…
 支那一般の人民は、昔からその軍隊を呼んで『兵匪』といっている。即ち武装せる盗賊の集団という意である。…
 支那にあっては、初めからその軍隊に投ずるものが匪賊不逞の徒であり、徴募せらるるものも苦力以下の浮浪者なるのみならず、彼らの目的とするところも、武器を携えて劫掠(ごうりゃく)略奪の機会を得んが為である
 支那の軍隊は、旧領が法外に安い。被服食物等も甚だしく粗末である。そしてその安い給料や衣食さえ支給されぬことが珍しくない。それを彼等は民家に対する脅迫と掠奪とで補っているのである。無論かかる軍隊のこととて、戦闘力の強かろう筈はなく、掠奪には頗る勇敢だが、戦争には極めて弱い。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1269485/41

軍閥と人民とは「徹底的に性質を異にする二元的存在」とはいっても、こんなレベルの軍隊を維持するために、人民は重い負担と数多の犠牲を強いられていたのである。
前述の大甸子の虐殺事件では、山に逃げ込んで難を逃れた朝鮮人農民が日章旗を見て山を駆け下りてきたという記録は重要なポイントである。満州の人々は、わが国の軍隊と警察に信頼を置き、わが国が匪賊の集団たる張学良軍を満州から追い払うことを心から願っていたのではなかったか。

朝鮮人に限らず満州居留民の多くは日本軍を敵視しなかったようなのだが、その背景を知るためには、かれらは張学良軍閥の為に、いかに過酷な生活を強いられてきたことを知る必要がある。

昭和7年1月12日 満州日報 満蒙新国家

上の画像は昭和7年1月12日の満州日報だが、満州居留民が日本の統治を切望した背景についてこのように解説されている。

「建国次来軍閥のため搾取されている彼等は生色を失い、今日では統治者の何者であろうと搾取主義でない統治者であればよいと悲鳴を挙げている。恐らくこれは偽らざる告白であろうが、暗に日本の監理統治を切望してる者も決して少くない
 之は今次の事変により吸血搾取者たる軍閥を一挙に屠った日本の軍隊が規律整然として秋毫も犯さざるのみか、軍行動に徴発使用した総てのものに対しては支那人からすれば余りに高価過ぎる程の金銭を支払い、兵匪のために掠奪された悲惨な良民に対しては金品を恵与し、曾て味うたことのない人間味を日本軍隊によって味うたことが彼等支那人間に如何に好感を持って迎えられたか。彼等は日本の軍隊と支那の軍隊とを比較して見たのである。
 前者は勇敢で強く、勝って良民を犯さず、戦い休めば我等の顧客で、毫末も搾取的に出でない。後者は良民にのみ強く、敗走に際しては敗戦の駄賃として手当り次第にこれ掠奪、婦女子を姦し放火殺人、全く強盗か軍隊か解釈に苦しむ。また役人は役人で重税に重税を課し、安い日本品の輸入買入を圧迫し、或は日本人との合弁事業禁示、国土盗売等々で個人的の財産を殆んど搾取し尽すという有様である
 今日の彼等は生きんとして生きられぬ悲惨な極に達していた。何が彼等をそうさせたか、云うまでもなく軍閥と役人所謂彼等の統治者である
。日本の統治を切望し歓迎するのは理の当然であろう。」
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10162877&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

張学良は満州の民に過酷な重税を課しただけでなく、軍の兵士が各地で資産家の誘拐・強奪・財産没収などの悪事を働いていたわけだが、一般居留民がそのために恐怖に晒されていた状況を改善するためには、『兵匪』と呼ばれていた連中を武力で討伐する以外にどのような方法があったというのだろうか。わが国は何度も「厳重抗議」を繰り返してきたのだが、そんなことで改善してくれるような相手ではなかったのである。

奉天入城

よく関東軍が満州を「侵略した」と描かれるのだが、居留民に対し掠奪・暴行を繰り返してきた張学良の私兵を関東軍が討伐したことを、果たして「侵略」と呼ぶべきなのであろうか。
もし満州の人々が関東軍を敵視し強く抵抗したのであれば、「関東軍の侵略」という言い方は理解できるのだが、実際のところはどうであったのか。

まず満州の人口の推移から見てみよう。
満州国が建国された1932年10月の人口は2928万人であったが、1940年には4108万人に増加している。
次に満州国の予算規模は1932年が一般会計113百万円、特別会計42百万に対し1940年は一般会計574百万円、特別会計2,025百万円と大幅に増加している。

もし関東軍が満州の人々に敵視され抵抗されていたのなら、人口が増加することも、経済が成長して税収が増えることもなかったであろう。関東軍に対する満州の人々の支持があったからこそ、平和が訪れて満州の人口が増加して経済発展を遂げたと考えるべきではないのか。

昭和6年10月10日 満州日報 果たして成功するか満洲独立運動

関東軍が張学良軍を打ち破っていく過程で、満州の各地で中華民国からの独立運動が澎湃として立ち上がっていく。上の画像は昭和6年10月10日の満州日報だが、このような記事は他の新聞でも多数報じられている。誤解されないように一言加えておくが、これらの独立運動は関東軍に抵抗するものではなく、それまでの軍閥支配に対する抵抗運動である。張学良の勢力が衰えたから、満州人を中心に独立運動が起きたのである。 
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10161157&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

また9月29日のわが国の閣議では、このような独立運動に関与することは諸外国の誤解を招くことになるので、陸軍も外務省も一切関与しないことが決定されていることを知るべきである。

しかし、この時点では関東軍が張学良の残党討伐はまだまだ終わっていなかった。
黄文雄氏の前掲書にはこう解説されている。
満州事変が起こると、中国側の軍隊22万人と警察官11万人の大部分は民衆の武装勢力と合体し、あるいは錦州に逃れた王以哲軍に合流している。この混乱に乗じて匪賊集団は勢力を拡大し、敗走兵や逃亡兵も取り込んで人員、装備を充実させ、強大な勢力を形成し、匪賊の総数は十数万にも膨れ上がった。
 こうした匪賊が錦州にいた王以哲軍に合流し、遼西地方を荒らしたため、1931(昭和6)年12月には関東軍が、奉天省長臧式毅(ぞうしきき)の要請を受け錦州を攻撃、翌年7月にここを占領して、武装集団を内外に駆逐した。
 このように匪賊、兵匪が各地で跳梁する政情、治安の不安定ななかで満州国は成立した
。」(同上書p.302)

「満州国は関東軍の傀儡国家」などとよく言われるのだが、満州国が成立したのは1932年3月1日で、関東軍が匪賊討伐を完了したのはその4ヶ月もあとの話なのだ。
関東軍が満州のあちこちで勃発した独立運動を仕掛けて工作した証拠があるなら『傀儡国家』という言葉を使うことは理解できないわけではないが、この言葉を使う論者は論拠を示さずにただレッテルを貼っているようにも見える。彼らはその論拠が薄弱であることを承知の上で、議論を避けるために声高に言い続けているだけではないのか。

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【ご参考】
このブログでこんな記事を書いてきました。興味のある方は覗いてみてください。

学生や軍部に共産思想が蔓延していることが危惧されていた時代~~ポツダム宣言4
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-293.html

政府中枢にいてソ連に忠誠を尽くそうとした『軍国主義者』たち~~ポツダム宣言5
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-295.html

『玉音放送』を阻止しようとした『軍国主義』の将校たち~~ポツダム宣言6
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-296.html

昭和20年8月15日に終戦出来なかった可能性はかなりあった~~ポツダム宣言7
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-297.html

国内で徹底抗戦と言いながらソ連参戦後すぐに満州を放棄した日本軍~~ポツダム宣言8
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-298.html









関連記事

満州国にわが国が莫大な投資をして築き上げたインフラを掠奪した中国

前回の記事で関東軍が満州の匪賊を討伐したことを書いたが、それまでの満州は、法治はおろか人治すらなく、軍閥・匪賊が支配、跋扈する無法地帯であった。

黄文雄氏は『日本の植民地の真実』でこう解説しておられる。
そのような状況を一変させ、近代的法治社会の基礎を築き上げ、産業の発展を軌道に乗せたのが関東軍であり、新設の警察制度であった。この軍閥、匪賊社会をわずかな期間で一挙に近代社会に作り変えた功績は、近代アジアにおける歴史の奇跡として銘記されるべきだろう。」(『日本の植民地の真実』p.302)

関東軍が満州の匪賊を討伐したといっても、それで匪賊が完全にいなくなるようなものでもなく、治安維持のためには武装警察の力が不可欠であった。
「そこで民生部警務司の下に警察制度が整備された。日本の陸軍士官学校出身の臧式毅(ぞうしきき)民政部長の下で、初代の警務司長には偉才の甘粕正彦が就任し、警察の組織化が推進された。
 こうした結果、中国との一部国境地帯を除き、満州の治安は良好となり、僻地においても列車旅行が可能になった。
」(同上書p.303)

その後満州国は近代的法治社会の基礎を築き上げ、産業の発展を軌道に乗せていくのであるが、国家の理念がしっかりしていてかつ官吏が余程優秀でなければそうはいかないだろう。しかしながら建国直後の満州国の人口の大半は漢人で、他に満州人、朝鮮人、日本人と民族は様々で、考え方もまたバラバラで、8割は文字が読めない人々であった。

満州国建国宣言

満州国が成立した1932年3月1日に対外に発表された『満州国建国宣言』には、「王道」という中華思想と「楽土」という仏教思想、さらに「民族協和」という多民族社会の共存共栄と、近代的な産業社会と法治国家の建設が謳われている。かなり長文なので後半部分の一部だけを紹介したい。

「竊(ひそか)に惟(おも)ふに政は道に本づき道は天に基く、新国家建設の旨は一に天に順(したが)ひ民を安んずるを主とす、施政は必ず真正の民意に徇(したが)ひ私見を存する事を容さず、凡(およ)そ新国家の領土内に居住する者は皆種族の岐視、尊卑の分別なし、原有の漢族、満族、蒙族及日本、朝鮮の各族を除く外、即ち其他の国人と雖(いえど)も長久に居住を願ふ者も亦(また)平等の待遇を享くる事を得、其当に得べき権利を保障し、其をして絲毫(しごう)の侵損あらしめず、並に極力往日の黒暗政治を鏟除(さんじょ)し、法律の改良を求め、地方自治を励行し広く人材を収めて賢俊を登用し、実を奨励し金融を統一し富源を開闢し生計を維持し警政を調練し匪禍を粛正す、更に進んで言へば教育の普及は当に礼教を崇ぶべし、王道主義を実行して必ず境内一切の民族をして煕々皓々(ききこうこう)として春台に登るが如くならしめ、東亜永久の光栄を保ちて世界政治の模型となさんとす。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1908621/40

駒井徳三
【駒井徳三】

満州国政府最初の総務長官に就任した駒井徳三が昭和8年(1933)に著した『大満洲国建設録』という本がある。民族や思想の違いを乗り越えてできたばかりの満州国をリードしていくために、彼は最初に何をしなければならないと考えたのか。

「満州国政府最初の総務長官としての私は、日系官吏を代表して、排日系、中立系、親日系その他私の考え雑然たる満州国官吏を強く握りしめて、これを立国の意図通りにリードして行くべき必要と責任とを痛切に感じた。では、それがためには、満州国における政治は何処までも公明正大に強く、明るく、朗らかでなければならぬ。苟(いやしく)も従来軍閥政権の下に醸(かも)された賄賂政治的臭気ならびにスパイ政治的暗影を徹底的に排撃しなければならぬと思った。と同時にこの際私が是非とも実行しなければならぬとしたところは、満州国における中央集権制の確立、群(むらが)り来たる各種利権屋の排除、紊乱極まれる幣制の統一、更に進んでは満州国を一個の完全なる独立国家として我が祖国日本に承認せしめることであり、これこそ新国家の誕生をことぶく最大の祝辞であり、私の果たさねばならぬ重大任務であると確信し、私はひたむきに駑馬(どば)に鞭(むちう)ちて勇往邁進した。
 …
 私は今、何故に私が中央集権制の確立を強く主張したかについて、少しくその理由を語るべき必要を感ずる。…私はこう考える。支那における政治の腐敗混乱はもともと地方分権制にその禍根が存したのであって、各地方の有力なる省長なり督軍なりが各々自己の権勢にまかせて各自勝手に振る舞ったことから現在の如き不安なる状態に陥ったものである。そこで各省の省長はこれを文官とし、中央民政部総長の指導監督の下に置かしめ、また別に各省に警備司令なるものを設け、これに軍権を持たしめ、それは中央政府の軍政部総長の指揮統括の下に置き、更に財政の中央集中を行って、中央から派遣された税務監督機関ならびに税務署が各々その収税の任に当たり、中央の財政部総長が厳重に監督するといったような中央集中政治組織の確立を、名目的に非ず実質的に実現することが緊急焦眉の問題であると固く信じた。更にまたこれは交通のことに関しても同様で、各地の鉄道、通信機関を交通部に従属せしめて、その監督を受けしめることが必要であった。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1234668/81

しかしながら、誕生したばかりの満州国に実務能力の高い官吏がいるわけではなく、優秀な日本人官吏を送り込んで指導させることにしたものの、日本人が多すぎても拙いので日本人官吏は全体の2割程度にとどめようとした。それでも駒井は漢人相手に随分苦労をしている。中国人のやることは今も昔も非常によく似ていると思う。

「三千万民衆とか五族の民とか言っても、満州国国民の大部分は漢民族である。漢民族は相寄り相扶けて一つの国家を構成すべき国民的集結力に欠けるところがあるが、しかし、民族社会を築き営む上に於いては一種独特の手腕を持つ優秀民族である。なるほど今日のいわゆる文化的科学的知識に於いては日本人が漢人より数等優れているかもしれない。ところが、いわゆる智恵かけひきに至っては日本人は到底漢人の敵ではない。この一種特異な民族を日本人の有する単純、請求、かつ率直なる知識、財力、武力を以て永久に誘掖指導していくということは容易ならぬことである。夷を以て夷を制するというのは漢民族が数千年来採り来った伝統的対外政策である。満州国が一つの独立国家として出現し、そこに若干の日本人が相当なる地位に入り込んだとして如何ほどの事を為し得ようか? 否むしろ日本従来の行き方を以てしては、必ず彼らに逆に巻き込まれるおそれなしとしない。幾多の先例はこれを事実の上に明示しているではないか? 彼らを以て直ちに日本人と心から融和提携し得る民族だと思うのは非常な誤算であり、飼い犬に手を噛まれるようなことにならぬとも限らぬ。まず満州国政府要路に或る日本人が入ったとすれば、その声望権威と対抗すべく、彼らの私設秘書である日本人を使って、日本本国の有力なる官民に対して盛んにそれら日系官吏の悪弊を放たしめ、結局その任に堪えざらしむるの策に出る如きは、彼ら一流の不愉快なる常套手段であり、朝飯前の片手間仕事である。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1234668/118

このような連中を多数抱えて、少数の日本人官吏がわが国の国益中心に満州国の政策を誘導することなどできるはずがないと思うのは私ばかりではないだろう。彼らは満州国のそれぞれの民族が納得できるような、公明正大な施策を行うことに心掛けたことを知るべきである。

新京 最高法院
【新京 最高法院】

例えば、近代化を推進するために前近代的で人治的な法令や制度はことごとく廃止されて、建国の理念に基づいたものに置き換えられていった。また近代司法制度確立のため、1936年に法院(裁判所)組織法が制定され、新京の最高法院の下に新京、奉天、ハルビン、牡丹江、錦州、チチハルの6高等法院、その下に29の地方法院、さらにその下に129の区法院が設置され、司法と行政を兼ねていた司法公署、兼理司法県公署は廃止されて三権分立が達成された。
さらに日本政府は昭和12年(1937)12月に、満州国における日本人が享受する治外法権を撤廃し、満州鉄道付属地の行政権も満州国に移譲している。

また貨幣制度や税制も大幅な改正が実施された。
黄文雄氏は、満州のこれまでの制度上の問題点についてこう解説しておられる。
満州では、張作霖父子に限らず、各地の軍閥のほとんどが通貨の乱発で民衆を収奪していた。たとえば湯玉麟(とうぎょくりん)支配下の熱河省では、同省政府経営の熱河興業銀行が1926 (大正15) 年から3回にわたって異なる『熱河票』を発行し、そのたびに従来の紙幣を無効にして民衆の財産を収奪した。
 満州の軍閥にとって安定していた財源が租税であり、専売制度だった。租税徴収では簡単な請負徴収制度が採られ、超過税収額が奨励金として交付されるため、税吏は競って苛酷な取り立てに走っている。手っ取り早く蓄財できる徴税局長のポストは売買の対象となり、局長が代われば、その一族郎党で構成されていた局員も代わる。局長職の競売も軍閥にとっては大きな収入源となった。
税金の名目も多く、130余種に上ったこともあった。」(『近現代史集中講座 台湾・朝鮮・満州篇』p.190)

満州中央銀行
【満州中央銀行】

黄文雄氏によると、満州建国直後に設立された満州中央銀行が、公私各種の旧金融機関から継承した紙幣は、幣種15、券種136種に及んだそうだが、銀本位制が採用されたのち1932年に新通貨が発行され、わずか2年足らずで旧通貨との引き換えが進み、通貨の統一をはかることに成功したという。

満州中央銀行が発行した最初の一円紙幣

また軍閥支配下の時代は、満州では財政予算の大半が軍閥の軍備や内政に消えてしまい、インフラ整備はほとんど行われなかったのだが、満州国建国により鉄道、港湾、空港などの交通網整備から、農業・鉱工業などの産業開発、治山治水、電力供給、都市改修などの工事が積極的に行われた。

大連満鉄本社
【大連満鉄本社】

わが国が日露戦争以降満州国崩壊までに投資した金額は100~117億円と推定されているが、満州国の国家予算は1932年が1.4億円、1942年が8.2億円というから、如何にわが国が満州に多額の投資をしたかがわかる。

豊満ダム

南満州鉄道が吉林市を流れる松花江の上流に建設した豊満ダムの最大出力は70万キロワット、朝鮮窒素肥料(現在のチッソ)が鴨緑江に建設した水豊ダムの最大出力は60万キロワットというが、当時の日本本土の水力発電規模は合計で280万キロワットというから、投資規模の大きさは半端なものではない。ちなみに現在の日本最大の出力を誇る奥只見ダムが56万キロワットなのである。
当時豊満ダムの視察に訪れたフィリピン外相は「フィリピンはスペイン植民地として350年、アメリカの支配下で40年が経過している。だが住民の生活向上に役立つものは一つも作っていない。満州は建国わずか10年にしてこのような建設をしたのか」と歓声を発したことが、案内をした満州電業理事長・松井仁夫の著書『語り部の満州』に書かれているという。

鞍山製鉄所
【鞍山製鉄所】

上の画像は鞍山の昭和製鋼所だが、この工場は175万トンの製鉄と100万トンの製鋼が可能で、当時国内の製鉄総生産量の大半を占めていた日本製鉄八幡製鉄所と遜色のない規模であった。
戦時体制下の満州では「一業一社」制度が採用され、大規模工場が多数建設されて、急速な産業発展を遂げ、人口は建国時(1932)の29百万人が、1942年には44百万人まで増加したという。

満州景観 写真帖 新京
【新京】

「満州国」という独立国家の存在を認めたくない中国は、今もこの国を日本の「傀儡国家」と定義し、日本軍による虐殺や搾取があったと主張しているのだが、この点について黄文雄氏は著書でこう述べておられる。

もしも本当に満州が阿鼻叫喚の地獄であったなら、なぜ満州国建国後に、年間100万人を超える中国人が『万里の長城』を超えて流れ込んだのだろう。
 人間なら誰であれ、自ら進んで虐殺の大地には入り込みはしないはずだ。
こうした至極当然の疑問について、中国人学者は何も答えられない。『日本軍に強制連行されたのだ』と弁明する者もいたが、もちろん、それはまったく根拠のない話だ。数万の関東軍がどうして、年に百万もの中国流民を強制連行できるというのか。また、その必要性は、どこにもない。
 …
 満州国は13年余と短命であったが、それでも東亜大陸の一角に戦闘機まで造れる大産業国家が忽然と出現したことは、人類史上の奇跡に近い。当時の中国人にとっては、戦乱も飢饉もなく、私有財産も安全も保障され、しかも進んだ教育、医療を受けられるこの国は桃源郷だった。」(同上書 p.205-206)

満州国は終戦直前までは比較的平和であったのだが、1945年8月8日に対日宣戦布告したソ連は同日満州に侵攻した。関東軍首脳は撤退を決定し、8月10日に特別列車で脱出を図ったため、取り残された日本人居留民は酷い目に遭ったのだが、このことは以前このブログで書いたので繰り返さない。

ソ連軍のあと、ハゲタカのように満州を襲ったのが中国である。黄文雄氏はこう解説しておられる。
ソ連軍が満州に侵攻しはじめた翌日、中国共産党も満州占領を指令している。当時、満州の重工業は全中国の約90パーセントを占めており、事実上中国の生命線だったのである。
 号令一下、共産党軍は、ソ連軍と入れ替わるかたちで各地から続々と満州に侵入し、10月には国民党軍も進駐してきた。初期の戦闘では米式装備の精鋭部隊を投入した国民党軍が優勢で、共産党軍は一時、鉄道沿線都市から農村、さらに山林へと撤退したものの、やがて反撃に出る。このように、本格的な国共内戦は満州国の遺産をめぐって開始されたのである。」(同上書 p.211-212)

この戦いは1948年10月まで続いて、満州はほぼ共産党の手中に収まったのだが、林彪の報告によると、この戦いで殲滅された国民党軍は40万人以上、共産党軍の死者は6万人だったという。
こうして掠奪に成功した満州国のインフラの遺産が、長い間中国経済の屋台骨を支えてきたことは言うまでもない。

しかしそのような史実は、中国共産党の歴史を格調高く描く上では余程都合が悪いのであろう。彼らの行為を正当化するために、満州国は中国の歴史叙述の中で『偽満州国』などと呼ばれ、満州に巨額の投資をした日本企業も貶められることとなる。

豊満ダム万人坑

例えば先ほど紹介した豊満ダムの建設に15万人の中国人が徴用され、苛酷な環境の下で強制労働を強いられ15千人が死亡し、松花江右岸の河岸段丘に棄てられたと中国は主張し、『豊満万人坑遺骨館』を建設して大量の人骨等を展示している。旧満州国だけでこのように『万人坑』と称して人骨等を展示する建物が20ヶ所以上あるようだが、中国が主張しているようなことが本当にあったかどうかについては読者のみなさんの判断に委ねることとしたい。
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【ご参考】
このブログでこんな記事を書いてきました。興味のある方は覗いてみてください。

終戦後大量の日本兵がソ連の捕虜とされ、帰還が遅れた背景を考える
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-224.html

国内で徹底抗戦と言いながらソ連参戦後すぐに満州を放棄した日本軍~~ポツダム宣言8
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ソ連占領下から引揚げてきた日本人の塗炭の苦しみを忘れるな
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なぜ中国大陸に大量の日本人孤児や婦人が残されたのか
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なぜわが国は『シベリア抑留』の実態解明調査を怠ってきたのか
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飯田市の観光を楽しんだのち、「満蒙開拓」とは何だったのかを考える
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