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高知城と龍河洞、龍馬歴史館を訪ねて~~高知旅行1日目

四万十川上流の高知県高岡郡四万十町にある親戚宅を訪ねることになり、自分の車を使って家内と二泊三日で5月15日から四国を旅行してきた。

四国には10年ほど前にバス旅行で行ったのだが、1泊旅行だったので足摺岬と中村と桂浜を駆け足で巡っただけだった。今年に入って祖谷と金毘羅さんを巡ったことはこのブログでも書いたが、高知県内を車で走るのは初めてだ。

5月15日、車で吹田の自宅を早朝に出て11時半ごろに高知城近辺に到着。

高知・窪川・高松方面旅行 002

まず早目の昼食をとることにして「まっぷるマガジン」にでていた「うなぎ屋せいろ」という店で「ひつ御膳」を頂いたが、ここのうなぎはサクサクとした歯触りでとても旨かった。高知城に近いので、同店の契約駐車場に車を置いたまま高知城に徒歩でいけるロケーションも良い。

高知・窪川・高松方面旅行 004

そこから歩いてすぐの高知城に行く。
高知城をバックにして立っている銅像は板垣退助である。

高知城は関ヶ原戦の功績により徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊が、慶長6年(1601年)大高坂山に新城の築城工事を始め、慶長8年(1603年)に城の大部分が完成し入城したのだが、享保12年(1727年)城下町の大火で追手門以外の城郭のほとんどを焼失し、宝暦3年(1753年)までに創建当時の姿のまま再建されたと言われている。

高知・窪川・高松方面旅行 010

そもそも日本の城のうち、江戸時代より以前に建設され、現在まで天守閣が残っている城は、高知城を含めて12しか存在しない。
http://www013.upp.so-net.ne.jp/gauss/tensyu1.htm

幕末から明治にかけての戦乱でいくつかを失い、また明治六年の廃城令で財務省に所管が移り多くの天守閣が破壊されている。財務省に所管が移されたということの意味は、学校敷地等として売却するための用地とされたということであり、この時に高知城全体が高知公園となり城郭の一部が取り壊されたのだが天守閣は残された。今も高知城は財務省の所管であり、財務省から無償で土地を借り受けて高知県が運営しているようである。

高知空襲

第二次世界大戦でも名古屋城や水戸城、大垣城、和歌山城、福山城、広島城、岡山城などが消失したが、高知市も昭和20年7月4日にB29の120機(諸説あり)の編隊が大量に投下した焼夷弾で市街中心部の大半が焦土と化した高知大空襲があり、他にも度重なる市内の空襲があったのだが、高知城が破壊されずに残ったことは本当に奇跡的なことである。上の写真は高知駅からはりまや橋につながる大通りのあたりの空襲直後の写真である。

高知・窪川・高松方面旅行 013

高知市は中心部には城山の他に高い山はなく、高知城天守閣からの眺めは好天にも恵まれて素晴らしかった。上の写真は、天守閣から東の方角を眺めたものだが高知市内は山が少なく、最上階からは市内を遠くまで見渡すことができる。

つぎに、会社の仲間が勧めていた国指定史跡・天然記念物の龍河洞(りゅうがどう)に行く。 龍河洞は三宝山の中腹にある石灰洞窟で日本三大鍾乳洞の一つである。

高知・窪川・高松方面旅行 022

三大鍾乳洞とは山口県の秋芳洞と岩手県の龍泉洞とこの龍河洞を指すが、ここは秋芳洞のスケールの大きさと比較するとかなり小規模である。しかしながら、人がなんとか通れるような狭い空間を通り抜けながら、「あっ」と驚くような大自然の造形物に遭遇したり、階段を上りながら冒険をしているような気分を感じさせてくれて、出口までの50分間はなかなか楽しかった。

出口の近くには、弥生時代に人が居住していたらしく、洞内から数十点の弥生式土器や炉跡、木炭および獣骨などが発見されており敷地内の龍河洞博物館に展示されている。
高知・窪川・高松方面旅行 027

また、洞内に弥生式土器と地面とがくっついたまま鍾乳石化したものがあり、これは「神の壺」と命名され龍河洞のシンボル的存在となっている。

龍河洞を楽しんだ後、車で約10分ほどで「龍馬歴史館」に着く。ここは、坂本龍馬の33年の生涯を26シーンに分けて、蝋人形で表現されており、幕末の歴史の勉強になる。ほぼ等身大の蝋人形はなかなかリアルで臨場感があった。

龍馬歴史館

初日はさすがに疲れたのでこのあと宿泊先の土佐ロイヤルホテルに向かった。このホテルには岩風呂の温泉のほか室戸海洋深層水の露天風呂があり、ゆっくり入って旅の疲れが吹っ飛んだ。(つづく)
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桂浜、坂本竜馬記念館を訪ねて~~高知旅行2日目その1

ホテルを早目に出て、朝一番で桂浜に向かう。

桂浜には10年程前に一度バス旅行で訪れているのだが、短い時間の滞在であったので、今回はゆっくり散策して、前回行かなかった「坂本龍馬記念館」も見てみたい。

桂浜の上竜頭岬の高台に有名な坂本龍馬像がある。

高知・窪川・高松方面旅行 039

この像は宿毛市出身の彫刻家本山白雲の制作によるもので、本体の高さが5.3mで、台座の高さと合わせると13.4mにもなる大きなものだ。

この像の経緯を調べると非常に興味深いので、次の高知新聞のサイトを一読されることをお勧めしたい。何の信用もない一学生の思いが、多くの人を動かし、県や国を動かした感動のドラマである。
http://www.kochinews.co.jp/ryoma/ryoma005.htm

簡単に記すと、大正15年に坂本龍馬に心酔していた早稲田大学の学生の入交好保(いりまじりよしやす)が、龍馬の功績を世に残そうとして日本一大きな銅像を建てることを決意し、同じ海南中学の同窓である友人らとともに「坂本先生銅像建設会」を発会し、新聞で仲間を呼びかけたことから始まる。

仲間とのつながりから、土佐の交通王と呼ばれた野村茂久馬の支援により乗合自動車のフリーパスを入手し、入交らは夏休みに無銭旅行をしながら県内を遊説して募金活動を開始した。

また入交は幕末の志士で龍馬とも交友のあった田中光顕伯爵にも会い、伯爵の働きかけで秩父宮殿下から200円の下賜金を頂いた後は、県も態度を変えて寄付金集めに動き出した。 そして入交らはついに2万5千円(現在の70-80百万円)の資金を集め、龍馬像制作のめどをつける。

制作や搬送にも大変な苦労があったが、詳しくは先程紹介したサイトを見ていただきたい。 とにかく龍馬像は完成し、昭和3年5月27日(海軍記念日)に除幕式が行われた。その時は当時の内閣総理大臣であった田中義一をはじめ錚々たる人々が出席し祝辞を述べたそうだ。

先程のサイトには除幕式のシーンを次の言葉で結んでいる。 「幕が取り払われ、龍馬が姿を現すと、群衆はどよめき、青年たちは涙したという。運動が実を結んだ瞬間だった。資金も信用もない無名の学生らが起こした大きな渦。それは一介の浪人にすぎない龍馬が国事に奔走した姿とよく似ている。入交自身も後年、高知新聞紙上で「土佐の青年の意気を示す機会であった」と振り返っている。台座には「建設者 高知縣青年」と刻まれている。」

まだ坂本龍馬がそれほど知られていなかった時代に、学生の龍馬を愛する強い思いが国までをも動かしたとは、実に素晴らしいことではないか。

たまたまこの坂本龍馬像のすぐ横で「龍馬に大接近」というイベントが行われていて、この龍馬像の東側に特設の展望台が作られていてここを上ると真横からこの龍馬像を見ることができるようになっていた。こういうことは昔から大好きなので早速入場料100円を払って薄い鉄板でできた階段を登り始める。

高知・窪川・高松方面旅行 042

上の写真は、特設展望台の上から龍馬と桂浜を写したもの。下から見る龍馬像とは一味違う龍馬の表情を見ながら、太平洋を龍馬と一緒に眺める気分は格別であった。

このイベントは4月3日から5月31日までで、あと1週間もすればこの特設展望台が撤去されるのだろうが、もし今月中に桂浜に行く予定がある人はここに登ることをお勧めしておきたい。

ついでに、この特設展望台は龍馬像の東側にあるので、写真を撮るのなら逆光にならない午前中が良い。

桂浜を散策後、車で坂本龍馬記念館に向かう。
今年はNHKの大河ドラマの影響が大きく、入場者は例年の3倍ペースで、GW中には平成3年の開館以来初めて入館待ち時間制限が行われたそうだ。

坂本竜馬記念館

16日(日)の開館直後の時間に到着したが、その時間で駐車場は大半が埋まっていて、館内も人が一杯だった。

見どころは地下二階に展示されている龍馬の手紙。達筆な字のためとてもすらすらとは読めないが、わかりやすいように翻刻文と口語訳文とが併記されており、姉の乙女に宛てた手紙などはなかなかユーモアがあって暖かい龍馬の人柄が伝わってくる。他には高杉晋作から送られたというピストルや、暗殺現場の近江屋に残された血痕のついた掛け軸(複製)など貴重な資料が展示されていた。

高知・窪川・高松方面旅行 058

2階には様々なパネルの展示や近江屋の実物大の模型等があり、全てを見終わるとガラス張りの空間となり、雄大な太平洋が一望に広がる。外見はモダンアートのようだが、龍馬の生涯を辿ったあとで、龍馬が何度も見たであろう太平洋を最後に眺めて幕末の時代にしばし思いを馳せることを想定して、うまく計算され設計された建物だと思った。(つづく)
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坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか ~~ その1

先日友人と飲んでいたら、たまたま坂本龍馬の暗殺に誰が関わったかが話題になった。友人は私の知らない話をいろいろ披露してくれて少し興味を覚えたので、龍馬の暗殺事件についてちょっと調べてみた。

坂本竜馬②

坂本龍馬と中岡慎太郎が京都近江屋の二階で暗殺されたのは慶応三年(1867)11月15日だが、誰が殺したかについては当時から諸説がある。

当初は新撰組が疑われていたが、後に京都見廻組の佐々木只三郎外数名であるとし、龍馬を斬ったのはその中の今井信郎であるというのが今では定説になっている。

佐々木只三郎

上の写真は佐々木只三郎だが、京都見廻組とは幕末期に幕臣により結成された京都治安維持のための組織で、新撰組とともに反幕府勢力を専門に取り締まっていた。

今井信郎

上の写真が今井信郎だが、戊辰戦争を生き抜き箱館戦争で取り調べを受けた今井信郎の明治3年の証言では、自分は見張り役だったと主張し、禁固刑を経て釈放されている。

ところが今井は、明治33年に甲斐新聞の記者・結城礼一郎の取材に応じて、自分が龍馬を斬ったことを詳細に話していることや、大正7年に死去する前に書き残した「家伝」には龍馬の額を真横に払うまでの具体的な経緯が書かれている。また今井はこの事件の件で京都守護職から褒状を貰ったという妻の証言もあるようだ。
今井の供述内容は、次のサイトにかなり詳しく掲載されている。
http://www.ryomadna.net/ryoma-ansatsu/20070907000004.php
では誰が京都見廻組組頭の佐々木只三郎に龍馬の暗殺を命令したのだろうか。このことは今井には知らされていなかったようで、今井証言では「お指図(幕府の重職者からの命令)」があったと語っており、命令したのは京都守護職の会津藩主松平容保か実質的な政策決定者の手代木直右衛門(てしろぎすぐえもん)の可能性が高いと言われている。下の写真は松平容保である。
松平容保

ちなみに手代木直右衛門は京都見廻組組頭の佐々木只三郎の実兄であり、また手代木が死の数日前に語った証言が書かれた「手代木直右衛門傳」には「弟が坂本を殺した。当時坂本は薩長の連合を諮り、土佐の議論を覆して倒幕に一致させたので幕府の嫌忌を買っていた。某諸侯の命を受けて坂本の隠れ家を襲って惨殺した」と書かれているそうだ。

また大正4年に、同じ京都見廻組であった渡辺一郎が死ぬ直前に「懺悔したい。」と言い出し「坂本氏を暗殺したのは自分である。生涯隠し続けようと思っていたが、これを打ち明けて心置きなくこの世を去りたい。」と語ったそうだ。これも、京都見廻組説を補強するものであるが、龍馬を斬ったのは2人ということなのか。

しかし、今井の証言には信憑性がないという人もいる。
土佐出身の谷干城は、龍馬暗殺を聞きつけて真っ先に現場に駆け付けた人物だが、今井の証言を全く信用せず単なる売名行為だとまで語っているそうだ。谷干城は、土佐藩主山内容堂公や龍馬と異なり武力討幕強行派で、京都で薩摩の西郷隆盛や小松帯刀と武力討幕の密約を交わしていた人物である。谷干城の言葉もまた、そのまま信用することはリスクがある。

龍馬暗殺に関する史料や意見を素直に読めば、今井だけではなく京都見廻組の関係者複数の証言があることから、少なくとも実行犯は京都見廻組であることはかなり確度が高いと考えてよいと思う。

そこで次の問題は、龍馬の暗殺が京都見廻組の単独犯行であったかどうかだ。

もともと京都見廻組は寺田屋事件で龍馬が幕吏数人をピストルで殺傷したとして行方を追っていた。記録では京都見廻組は増次郎という人物に龍馬の居場所を探らせていたが、その報告があったという記録がないそうだ。
ならば、龍馬の直接近江屋の二階を目指して京都見廻組が入り込むのはどこか不自然ではないか。誰かが龍馬を裏切って、「才谷」という龍馬の変名と居場所を教えた黒幕がいるのではないかということになる。龍馬が近江屋に居所を移したのは、事件のわずか3日前のことだ。

そこで出てくるのが薩摩藩黒幕説だ。

大政奉還

かって坂本龍馬が同盟を仲介した薩摩・長州の二藩には、大政奉還のその日に倒幕の密勅が出されている。大政奉還後徳川慶喜を新政府に迎えて穏便に軟着陸させようとした龍馬と、大政奉還の後は幕府は求心力を失い武力討幕がやりやすくなったと考えた薩摩藩とはあまりにも方針が違いすぎて、薩摩が今後は龍馬が邪魔になると考えたのではないか。
龍馬の死後2日後に薩長は出兵協定を交わして結束を固め、12月9日の小御所会議で強引に王政復古のクーデターを仕掛けているのだが、このままいけば、新政府の「大功」が龍馬に奪われかねないとの考えが薩摩藩になかったか。

西郷隆盛

また明治に入って西郷隆盛が龍馬暗殺容疑のあった今井信郎の助命運動に乗り出したそうだが、これは不可解である。
さらに薩摩藩は京都見廻組との接点もあった。薩摩と会津は文久三年(1863)に薩会同盟を結んでおり盟友関係にあり、また京都見廻組の佐々木只三郎と懇意な薩摩藩士が何人かいて、居場所を伝えたことは考えられる。
薩摩黒幕説は、証拠は乏しいがなかなか説得力がある。

龍馬暗殺については、紹介した以外にも多数の説があり、何が歴史の真実であるかは正直なところよく分からない。調べれば調べるほどいろんな説が出てきて、正反対の主張する人もいてまとめるのに随分苦労した。

黒幕については、土佐藩、紀州藩など他にも様々な説がある。今回はとても書ききれないので、次回にその他の黒幕説をまとめることとしたい。
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京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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