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龍野公園と龍野城の桜を楽しむ

しばらく地震の記事ばかり書いていたら、ブログ仲間から桜の写真を催促されてしまった。

桜の時期になると毎年どこかへ桜を見に行くのだが、ブログを書き始めてからどこに行くか随分迷うようになったし、どこの写真を撮るにしてもアングルなどに随分こだわるようになった。

有名なところはどこへ行っても人が多いのでゆっくり景色を楽しめず、余程早くいかないと人や車や電線など余計なものが写ってしまう。マイクを使ってイベントをやっていたり、露店が所狭しと出ているようなところはなるべく避けたいと思うと、行くところはかなり絞られてしまう。昨年も何箇所か行ったのだが、ブログに使ったのは東大寺の桜だけだ。

今年は京都にも行ったが、播磨の小京都とも言われる兵庫県龍野市の桜がなかなかうまく撮れたので、今回は龍野の桜を紹介したい。
とはいっても、龍野のことをあまり詳しく知っているわけではないので今回は写真を中心にして、文章はWikipediaなどを参考にして簡単に場所を案内するにとどめたい。

たつの公園の桜

最初に訪れたのが「龍野公園」。JR姫新線「本龍野」駅から、歩いて35分くらいで辿り着く。この場所は桜だけでなく秋の紅葉も美しいらしい。

あかとんぼ碑

龍野市に生まれた三木露風(明治22年~昭和39年)は、北原白秋とともに日本詩壇に「白露時代」を築き上げた詩人で、有名な童謡「赤とんぼ」の作詞者で知られる(作曲は山田耕筰)。たつの公園の中に「赤とんぼの歌碑」があり歌詞が刻まれている。近くに三木露風の銅像もある。

たつの桜

この赤とんぼ歌碑から、数奇屋風の建築が残る聚遠亭(しゅうえんてい)に通じる桜道は「文学の小径」と呼ばれて、このあたりの桜もなかなか美しい。

聚遠亭茶室

聚遠亭は龍野藩主であった脇坂氏の上屋敷跡に建築されたもので、池の上に建っているこの茶室は江戸時代の末期の建築である。「聚遠亭」という名前は庭園からの眺望をたたえた松平定信が「聚遠の門」と呼んだことから名づけられたそうだ。このあたりは特に桜が多く、鶏籠山(けいろうざん)の眺めもすばらしい。

竜野城隅櫓と桜

ここから東に向かって歩くと龍野城の隅櫓が見えてくる。桜が青い空と白壁に映えて特に美しいスポットだ。

竜野城搦め手門

坂を上ると復元された裏門がある。

竜野城隅櫓と桜2

再建された裏門を抜けて隅櫓に向かう。このあたりの桜は本当に美しい。

龍野城は、明応8年(1499)年に赤松村秀が鶏籠山に築き、江戸時代の万治元年(1658)に破却されたが、寛文12年(1672)脇坂安政によって龍野城が再建され、この時に山頂の郭は放棄され、山麓居館部のみの陣屋形式の城郭となった。

本丸御殿

これは本丸御殿だが、これは昭和54年(1979)に再建されたものである。

竜野城埋門と桜

上の写真は埋門とその近くの桜、下の写真は埋門を正面から写したものである。

竜野城埋門正面

近くに龍野歴史文化資料館がある。当日は展示品の入れ替えのために戦国時代以降の資料があまり展示されていなかったのは残念だった。

白壁土蔵

桜をメインに観光したのであまり見ることができなかったが、龍野市には武家屋敷や白壁土蔵など古いものが古いままに残されており、新しい建物も街並みと調和するように工夫されていて市街地を歩くのは楽しかった。

龍野の有名なお土産は手延べそうめんの「揖保の糸」。それと醤油のもろみを買って帰った。今度来るときは武家屋敷や醤油資料館や寺院などを見て歩きたいと思った。
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桜の咲く古民家の風景を求めて

最近大きなテーマばかりを書いてきたので、たまには息抜きで今年の桜を話題にすることにしたい。
有名なお花見スポットはどこへ行っても、いつ行っても観光客が多すぎて、なかなかいい写真が撮れない。できれば屋台の店舗がなくて、観光客が比較的少なくて、昔と変わらないような風景の中で静かに桜を楽しみたいと思う。

そんな場所を伝えたいと思って昨年は龍野城を紹介したが、今年は大阪府豊中市の服部緑地公園の一角にある「日本民家集落博物館」に行ってきた。
この場所は梅、桜、竹、柿などの樹木や草花に囲まれた約3万6千㎡の敷地内に、北は岩手県「南部の曲屋」から南は鹿児島県「奄美大島の高倉」まで12棟の民家が、自然な環境の中で移築されていて、都心でありながら四季折々の古き良き日本の風景を楽しめる場所である。
アスファルトやコンクリートのようなものが広い敷地内に全くと言っていいほど存在せず、敷地の中にタンポポや菜の花が咲き土筆が生えている昔のままの自然に近い環境の中で、立派な木造の古民家が堂々と建っているのが良い。

桜の木が特に多いというわけではないが、茅葺の古民家の周りに適度に配された桜が咲く時期はなかなか美しい。4月8日に訪れたのだが、この日で5~7分咲き程度だったのでまだしばらくは楽しめるだろう。

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ここが「日本民家集落博物館」の入り口。江戸時代中期に建てられた河内布施の長屋門を移築したものであるが、この建物は元衆議院議員で財務大臣などを務めた塩川正十郎氏の自宅の一部を、寄贈により移築されたとある。ここで入場料500円を支払う。

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入り口近くの桜は7分咲きといったところ。

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右に折れると、江戸時代後期に建てられた堂島の米蔵がある。青い空に白壁と桜がなかなか良く似合う。

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奥に進むと江戸時代中期に建てられた飛騨白川の民家(旧大井家住宅)がある。
関西電力の寄贈とあったが、鳩ケ谷ダム建築時に湖底に沈む大牧部落から昭和31年に移築されたとのことである。かなり大きな民家で、現在国指定重要有形民俗文化財になっている。
むかし白川郷では、長男のみが嫁取りをし、弟妹たちは通い婚で夫婦はそれぞれの生家で住んで別居生活をしていたそうだ。その場合、生まれた子どもは母親の実家で育てられるというしきたりであったので、多いところでは30人から40人の家族が一つ屋根の下に住むこともあったという。この旧大井家住宅も10人から20人の大家族であったらしい

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すぐ近くにあるのは摂津能勢の民家(旧泉龍三宅)。江戸時代初期の建築で国指定重要文化財になっている。
入母屋造りの妻入で内部は縦に二分されて片側を土間、片側を部屋にしている。この種の民家は大阪府北端の能勢地方から、丹波・日本海にかけて分布して、この旧泉家住宅はその民家の中でも最古のものだそうだ。

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この建物は香川県小豆島の農村歌舞伎舞台。安政6年(1859)に建築されたもので、現在大阪府の指定民俗文化財になっている。
小豆島は江戸時代から明治時代にかけて農村歌舞伎が盛んで、島内にはこのような舞台が20棟以上あったという。この舞台の移築が決まってから昭和37年に吉田部落では14年ぶりに公演が行われお別れ公演としたそうだ。
私はまだ見たことがないのだが、小豆島の肥土山地区や中山地区では今も5月と10月に農村歌舞伎(県指定無形民俗文化財)が続けられているようだ。
島の子供たちが春休みを返上して稽古に取り組む姿が今年の産経新聞で報道されている。地域ぐるみで300年にわたる伝統文化を継承していくことは大変な苦労があることだろうが、生まれ育った地域に全国に誇れる文化があるということは素晴らしいことだ。このような伝統文化を守る取り組みにより、世代を超えた住民同士の絆が自然に育まれていく仕組みが残されていることは羨ましくもある。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120331/ent12033120030014-n1.htm
地元の方が作られた熱いサイトもある。公演日がネットなどで公開されていたら、それを目当てに観光客が集まるのではないだろうか。私も一度行ってみたいと思う。
http://www.geocities.jp/oputoyamanaka/takaha/nousonkabuki/

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次に紹介するのは岩手県の南部の曲家(なんぶのまがりや)。江戸時代中期の建築で、盛岡市の南西にある矢巾町(やはぎちょう)という町に建てられていた旧藤原作等氏の住宅を昭和39年に移築したもので、現在は大阪府の指定有形文化財となっている。
母屋とうまやをつなげてL字型の建物になっているので「曲家」となっている。馬を飼うための家として「曲家」が発達し、母屋の土間には囲炉裏があって囲炉裏に火を燃やすと暖気が厩までいきわたるようになっているのだそうだ。
昨年越中五箇山の村上家住宅で、火をくべた囲炉裏をかこんで当主の方から説明を聞いたことをこのブログで書いたが、この時は囲炉裏というものはなかなか良いものだと思った。昔の家は家族が向かい合ってお互いの顔を見て話をするのが当たり前の生活であったのだが、現代の家族は大事なものを失ってはいないだろうか。

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この民家は越前敦賀の南部、湖北地方に近い地域にある杉箸という集落にあった旧山下繁氏の住宅を昭和38年に移築したもの。江戸時代後期の建築で、この民家も大阪府の指定有形文化財となっている。
豪雪地帯であり、雪の重さに耐えられるよう太い梁材が用いられ、外側の柱は土壁にぬりこめられて補強されている。

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この民家は奈良県と和歌山県の県境にある十津川村にあった旧丸田家住宅を昭和37年に移築したもの。文政6年(1823)の建築で、この民家も大阪府の指定有形文化財となっている。
十津川やその周辺は杉の産地として知られ、屋根には杉材を薄く削いで厚さ5mm、30cmのソギ板を作ってそれを少しずつずらして重ねて竹釘で固定するソギ葺きという方法でつくられているのだそうだ。

江戸幕末期にこの丸田家の当主であった丸田藤左衛門(まるたとうざえもん:1805~1869)は尊王攘夷思想に傾倒し、坂本龍馬や大村益次郎、西郷吉之助[隆盛]らの志士達と親交があり、国事を議論した人物とのことである。
明治に入って神仏分離令が出た際には、十津川郷では神を敬い仏法を排した藤左衛門の果断により徹底的に廃仏毀釈が行われ、50以上あった十津川郷の全ての寺院が消えたのだそうだ。
http://www.totsukawa-nara.ed.jp/bridge/guide/person/pn_022.htm
また、この丸田家住宅のトイレには刀懸けがある。どことなく幕末・維新期の緊迫感が伝わってくる民家である。

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この民家は、長野県と新潟県の県境にある豪雪地帯の秋山郷(あきやまごう)にあった、旧山田家住宅である。建築時期は江戸時代後期で、中世の趣を残した貴重な建物として国の重要文化財に指定されている。
土壁は雪に弱く冬には茅束で作った雪囲いを家の周りにめぐらさなくてはならないのだが、秋山郷では土の壁は贅沢であり、柱にじかに茅束を結いつけた茅壁(かやかべ)といわれる壁の家が昭和30年代まで残っていたのだそうだ。

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中に入ると床板を貼らずに地面にムシロを敷いただけの土座住まいで、隙間風もなく、囲炉裏の熱がじかに地面に伝わって暖かさを保ちやすいのだそうだ。
岩波文庫に『北越雪譜』という本がある。この本の著者である鈴木牧之(すずきぼくし:1770-1842)は秋山郷を訪ねて、このように記している。
「…此住居を見るに、礎もすえず掘立てたる柱に貫をば藤蔓(ふじづる)にて縛りつけ、菅をあみかけて壁とし小き窓あり。戸口は大木の皮の一枚なるをひらめて横木をわたし、藤蔓にてくヽりとめ閾(しきゐ)もなくて扉(とぼそ)とす。茅葺のいかにも矮屋(ひきヽいへ)也。たゞかりそめに作りたる草屋なれど、里地より雪はふかゝらんとおもへば力は強く作りたるなるべし、家内を見れば稿筵(わらむしろ)のちぎれたるをしきならべ納戸も戸棚もなし、たゞ菅縄にてつくりたる棚あるのみ也。囲炉裏は五尺あまり、深さは灰まで二尺もあるべし、薪多き所にて大火を焼くゆゑ也。薬鑵(やかん)土瓶(どびん)雷盆(すりばち)などいづれの家にもなし、秋山の人家すべてこれにおなじ。」(岩波文庫『北越雪譜』p.99)

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最後に紹介する民家は、宮崎県の日向椎葉にあった民家である。江戸時代末期の建築によるもので、国指定の重要文化財だ。椎葉村はかっては秘境の地で、ユニークな平家落人の伝説が伝わっている。
壇ノ浦の戦いに敗れた平家の武士たちは追っ手を逃れて、道なき道を進み、この山深い椎葉にたどり着いた。しかしこの隠れ里も源氏に知られてしまい、源氏方の那須大八郎が追討の命を受けたのだが、かつての栄華もよそにひっそりと農耕をして暮らす平家一門の姿を哀れんで追討を断念してこの地にとどまり、平清盛の末裔である鶴富姫と恋に落ちる。鎌倉からは帰還の命が下りて別れが訪れるが、その時に姫は身ごもっていた。「もし生まれる子が男子ならば下野(栃木)へよこせ、女子であればこの地で育てよ。」と言い残して大八郎は椎葉を去る。生まれた子は女の子であったので、婿を取って那須性を名乗り、子孫は代々椎葉を支配したと伝えられているという。(椎葉山由来記)
また、主人公の那須大八郎は、弓の名人で有名な那須与一の弟と伝えられているそうだ。
この伝説の舞台となった鶴富屋敷はいまも椎葉村に残されて、国の重要文化財に指定されている。また椎葉村では毎年11月の第2金曜日から3日間、『椎葉平家祭り』が行われていることがネットでわかる。
http://www.0503ak1025.net/heike.html

この「日本民家集落博物館」はいつ行っても美しく、梅の咲く頃や桜の咲く頃、新緑の時期や秋の紅葉時期もよい。「博物館」であるので昔の生活用具類などの展示もあるが、たまにイベントが行われたりもする。私が訪れた日にはたまたま民話の朗読会が飛騨白川の合掌造りの旧大井住宅で行われていた。こういう空間で民話を聴くことがとても新鮮で、不思議と話の中に引き込まれていった。

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花見は仲間と酒を飲んで楽しむのも良いが、古民家とともに見る桜はなかなか味わい深いものがある。この博物館の外に出ても、服部緑地公園には桜の木が多くて、結構楽しめる場所である。

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津山城址と千光寺の桜を楽しむ

毎年桜の時期になると、桜の美しいところを訪ねてブログの記事を書きたくなるのだが、ずっと以前にポスターで見た岡山県の津山城址の桜が素晴らしかったのが気になっていた。
たまたま4月に広島方面に行く予定があったので津山市に途中で立ち寄ることにし、津山城址の満開の桜をこの目で見て、あわせて津山市の名所旧跡などを訪ねることにした。

津山城は、織田信長の小姓・森蘭丸(もりらんまる)の末弟の森忠政(もりただまさ)が、慶長8年(1603)に徳川家康・秀忠父子から美作国18万6500石を受封し、翌年から元和2年(1616)まで12年かけて、津山盆地の中央部にあった鶴山(つるやま)と呼ばれた丘陵に築城したお城である。
往時は77棟もの櫓(やぐら)があり、天守閣は四重五階の立派なものであったそうだが、明治6年(1873)の廃城令により大蔵省管理とされた後に売却され、明治7年(1874)から8年(1875)にかけて石垣を残してすべての建物が解体されてしまったという。

Tsuyama_Castle_old_potograph.jpg

津山藩の城代家老職を務めた松平国忠が明治5年か6年ごろに撮影した写真が残されているが、かなり大きな城であったことがこの写真を見ればわかる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E5%B1%B1%E5%9F%8E

この津山城の跡地を、明治32年(1899)に公園にすることを条件に津山町に払い下げられ、その後鶴山公園(かくざんこうえん)として整備されていくのだが、当時津山町議会議員(後の津山市議会議長)であった福井純一らの尽力でこの地に桜の木が数多く植えられて、昭和3年(1928)ごろには、春には城址全体が桜で覆われる現在の姿になったと言われている。

財団法人日本さくらの会が全国各地の桜の名所を100箇所選定した「日本さくら名所100選」というのがあるが、岡山県で唯一この鶴山公園が100選に選ばれている。
http://www.sakuranokai.or.jp/information/

自宅を早朝に出て、9時前に津山観光センターの駐車場に到着した。
朝早かったのでまだ観光客も少なく、城址を包み込むような満開の桜の圧巻の景色を楽しみながら、少しずつ石段を登って行く。

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津山城築城400年を記念して平成年(2005)に備中櫓が復元されている。美しい石垣の上に立つ備中櫓の白い壁の周囲を囲むように咲く桜が、青い空をバックにすると一段と映えるのである。

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昨年に「天空の城」で名高い竹田城を訪れてその石垣の堅牢さに驚いたが、津山城の石垣も見事な石垣である。この石垣を築造したのは、竹田城と同じく近江の国の穴太衆(あのうしゅう)で、石垣の反りが実に美しい。

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天守閣址から鶴山公園を眺める桜もまた素晴らしい。公園には数多くの露店が店を開けているのだが、満開の桜の花が露店や観光客のほとんどを覆い隠してしまっている。街中に咲く桜のほとんどは、道路の通行の妨げにならないように枝を短く切られてしまうのだが、鶴山公園の桜は、それぞれの桜の木が陽光を求めて枝を拡げて、多くの花を咲かせているのが良い。

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鶴山公園の桜に堪能した後、公園の南にある津山郷土博物館に入る。この建物は昭和8年に建てられ昭和57年までは津山市庁舎として利用されていたもので、国の登録文化財となっている。

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たまたまこの日は3階の展示物を入れ換え中で、一日違いで江戸一目図屏風や津山景観図屏風など近世以降の展示物を見ることが出来なかったのはちょっと残念だった。

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また観光センターの西側には大正15年(1926)に建てられたイオニア様式の森本慶三記念館(旧津山基督教図書館)がある。この建物も国登録文化財となっている。
森本慶三という人物は内村鑑三に師事し、キリスト教伝道に努めた人物で、建物内には幕末から明治にかけての洋学資料や、津山藩の道具類、森本慶三に関する資料などが展示されていた。

観光センターの駐車場を出て、出雲街道を東に進んで作州城東屋敷に到着。その奥にだんじり展示館があったので覗いてみた。
だんじりは岸和田など大阪府泉州地域のお祭りが有名だが、岡山県にもだんじり祭りがあることは知らなかった。
自宅に戻って調べると、岡山県のだんじり祭りは津山祭り、倉敷市児島の鴻八幡宮例大祭、真庭市の久世祭りなどがあるが、津山のだんじりは400年の歴史があり、約50台のだんじりの内27台が岡山県の有形民俗文化財に指定されているという。そしてそのうちの4台が、このだんじり展示館に保管されていたようだ。

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津山のだんじりは岸和田のものよりかはやや小振りだが、どのようにだんじりを曳くのか興味を覚えたのでYoutubeで確認すると、津山のだんじり祭りも屋根の上で踊る大工方の動画が確認できた。
http://www.youtube.com/watch?v=3SL4gTb2BI8
さらに調べると、津山のだんじりは明治以前は「ソーヤレ」という掛け声とともに神輿のように担がれていたようだ。もともと人が屋根の上で踊るようには作られていないためにあまり派手に屋根の上でパーフォーマンスを行なっては、貴重な文化財を壊してしまう懸念があると書いてある。大工方が躍っているだんじりは、かなり補強がなされているのだろう。
http://www.e-tsuyama.com/ichioshi/2012/10_matsuri/danjiri/mukashi.html

津山祭は毎年10月の第3週の土日と第4週の土日に行われ、総鎮守の徳守神社の祭礼には、日本三大みこしの一つとされる文化6年(1809)に造られた1トン超の重量のある「徳守神社の大神輿」が繰り出すのだそうだ。
http://mikoshi.danjiri-jp.net/tmikoshi/

これだけ大きな神輿は担ぎ手を集めるのが大変だ。昭和40年(1965)に担ぎ手不足から台車に載せての巡行がしばらく行われたのだが、昭和46年(1971)に津山青年会議所の音頭で若者を120人集めて担いでの巡行を復活させ、今に続いていることは素晴らしいことである。
私の実家の近くの神社も同じような時期に担ぎ手が集まらなくなり、伝統ある神輿が新調されて随分小さくなってしまった。それ以来私にとっては地元の祭りに愛着を覚えなくなってしまった。

地域の伝統行事や文化は同じことを世代から世代につないでこそ意味がある。地域の人々が伝統の重さを伝えていくことで、共同体としての地域が纏まっていくということの価値があると思うだが、多くの地方で世代をつなぐ媒体としての伝統文化を失い、あるいは引継ぐべき若い世代を失ってしまっているのは悲しい。津山の人々にはこれからもがんばって400年の伝統の祭りを繋いでいってほしいものである。

作州城東屋敷に車を置いたまま、近くにある千光寺のしだれ桜を見に行く。
千光寺というと広島県尾道市にある千光寺公園が「日本さくら名所100選」に選ばれているが、津山の千光寺も桜の名所として知られている。このお寺は室町時代に開創されたそうだが、戦国時代に戦火で焼けたのか、その後200年の寺の歴史はよく解らないのだそうだ。

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このしだれ桜は樹齢150年程度とされるが、なかなか見事なものである。例年は鶴山公園の桜が咲いた後に満開となるのだそうだが、今年は鶴山公園より早く満開を迎えてしまった。なんとか間に合って良かった。

<つづく>
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しばやん

Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

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