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日本統治時代に近代国家に生まれ変わった韓国

日露戦争でロシアに勝利した5年後の明治43年(1910)にわが国は韓国を併合したのだが、この経緯について一般的な教科書である『もういちど読む 山川の日本史』にはこのように記されている。

「日露戦争のおわりごろ、三民主義をとなえる孫文を指導者として、清朝打倒の革命をめざす中国同盟会が東京で発足したことに象徴されるように、それはアジアの民族運動の高まりに大きな影響をおよぼした。
 しかし日本は、列強の植民地政策をまねて、東アジアにおいて勢力拡大をはかった。日露戦争中から戦後にかけて、3次にわたる日韓協約をむすんだ日本は、韓国を保護国として統監をおき、韓国の外交・内政・軍事の実権をつぎつぎと手中におさめていった。
 韓国では、韓国軍の解放に反対して義兵運動を展開するなどはげしく日本に抵抗したが、日本は軍隊を出動させて鎮圧した。1909(明治42)年には、前韓国総監伊藤博文がハルビンで韓国の民族運動家に暗殺される事件がおこった。日本政府は1910(明治43)年、ついに韓国併合をおこなって(韓国併合条約)、韓国を日本の領土とし、朝鮮総督府をおいて植民地支配をはじめた。この後、はたらき口をもとめて日本内地に移住する朝鮮人が多くなった。」(p.253)

わが国は西洋列強をまねて韓国を植民地支配したと書いてあるだけで、この教科書で韓国の事は1950年の朝鮮戦争まで何も書かれておらず、これではわが国の韓国統治がどのようなものであったかさっぱりわからない。
ただ、多くの朝鮮人が日本内地に移住したと書かれていて、多くの読者は、西洋列強が植民地を搾取したのと同様に、わが国も韓国を搾取したような印象をもつことだろう。

わが国の韓国統治について述べる前に、わが国が併合する前の「李氏朝鮮」という国がどのようであったかということから述べることにしよう。

1895年の首都ソウルの南大門
【1895年の首都ソウルの南大門】

次のURLに当時の李氏朝鮮の写真が紹介されているが、このいくつかを見ればこの国がいかに貧しく、日韓併合後に近代都市に生まれ変わったことを瞬時に理解できる。上の画像は1895年の首都ソウルの南大門である。
http://www.geocities.jp/hiromiyuki1002/cyousenrekishi.html

イギリスの旅行家・イザベラ・バードが1894年から1897年にかけて4度にわたり朝鮮を旅行し、首都ソウルについてこのように記している。
都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民はおもに迷路のような横町の『地べた』で暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、おまけにその幅は家々から出た固体および液体の汚物を受ける穴かみぞで狭められている。悪臭ぷんぷんのその穴やみぞの横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たち、疥癬持ちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、ひなたでまばたきしたりしている。…」(『朝鮮紀行』講談社学術文庫p.59)

併合前の敦義門
【併合前の敦義門】
上の画像はソウルに存在した敦義門(とんぎもん)の画像だが、ソウルの中心部においても人々が「地べた」で生活していたことがわかる。

撤去前の敦義門
【撤去前の敦義門】

この門は老朽化と道路建設のために、日韓併合後の1915年に撤去されたのだが、たまたま撤去される前の敦義門の写真がWikipediaに出ている。短期間のうちに古い住居が撤去され、道路に鉄道が敷かれていることに驚かざるを得ない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%A6%E7%BE%A9%E9%96%80

併合前ソウル全景

このような都市改造は都心部の一部だけに行われたものではなさそうだ。ソウルの全景写真を見比べれば、ソウル全体が短期間の間に近代都市に生まれ変わったことが誰でも理解できる。

併合後のソウル全景
【併合後のソウル全景】

なぜ李氏朝鮮が貧しい国であったのかについて、加耶大学客員教授の崔基鎬氏はこう解説している。
「1392年の李朝開国は、高麗の重臣であった李成桂が、明との戦いで遼東地方奪回に出陣し、秘かに敵と通じて、威化島(鴨緑江下流の島)で軍を翻し(回軍)、逆にときの高麗王(禑王[ぐおう])と上官の崔瑩(さいえい:総理兼参謀総長)将軍を殺し、政権を簒奪した結果によるものである。
 敵国であった明の協力で打ち立てた国であるから、その後の李朝が明の隷属国家に転落したのは必然である。国民は奴隷民族化され、私有財産も没収された。李朝は専制王権制度に体制を変え、朝鮮民族が古代から高麗にいたるまで連綿と持ち続けた国際的自尊心を放棄し明の属国として堕落が始まった
 このような環境の中で、階級制度は固定化し、創意工夫の精神は圧殺された。こうして李朝は、搾取と虐政の中にあり、国王は名ばかりでなんら政策も施さず、その政府には国家の予算すら存在しないという無軌道ぶりだった。いわば民衆は無政府状態に置かれていたのだった。」(『歴史再検証 日韓併合』p.19~20)

朝鮮銀行前
【朝鮮銀行】

貧しかった韓国の首都が近代化するために莫大な建設投資がなされたことは、当時の画像を見れば明らかなのであるが、ではこの国の近代化のための資金はどうやって捻出されたのか。

「わが国が韓国から搾取した」という説がまことしやかに教育機関やマスコミなどで広められているのだが、併合前と併合後の写真を見れば、「こんな貧しい国から搾取して、これだけの近代化が可能であるはずがない」と、誰でも疑問を感じるところであろう。

京城郵便局
【京城郵便局 「京城府勢一斑」(昭和13年 京城府庁)より】

しかしながらこのような写真がマスコミなどで紹介されることは皆無と言って良く、ほとんどの国民は、学校やマスコミなどが垂れ流す歴史叙述に洗脳されてしまっている。
韓国の近代化は、わが国の莫大な資金援助や民間投資がなければ不可能であったのだが、このような「韓国にとって都合の悪い真実」は、戦後の長きにわたりわが国ではタブーにされていると言ってよく、そのことは今も変わらない。

では、わが国の巨額の財政支援がいつの時期から始まったのかというと、1904年の第一次日韓協約による目賀田財政顧問の着任以降だという。

目賀田種太郎
【目賀田種太郎】

中川八洋氏の著書にはこう解説されている。
「朝鮮はもともと予算の編成能力すらなく、目賀田顧問の指導監督で初めてできた予算では、その歳入は1906年度で748万円しかなかった。これで韓国を近代国家として運営するに必要な3千万円以上の予算を組むには、日本から差額すべてを持っていくほかなかった。1907年度には合計2700万円を日本政府は朝鮮に支出した。1908年度はさらに増えて合計で3100万円という巨額な支出を日本は強いられた。
併合後の1911年度以降は『補充金』と呼ばれる日本政府からの持ち出し(=日本人の税金)は同年度の1235万円とそれ以前の平均2500万円の半分となったのは、残りの半分を日本で発行した公債や日本からの借入金で補えるようにしたからであり、日本から約2千万円前後を調達した状況は変わらなかった。それは、朝鮮人の税・印紙収入の倍に及んでいた。
つまり朝鮮は、…その財政の過半から3分の2を日本に支出・調達させた
。」(『歴史を偽造する韓国』p.15~16)

当時の1円の現在価値については諸説があるが、次のURLによると「明治30年頃、小学校の教員やお巡りさんの初任給は月に8~9円ぐらい。一人前の大工さんや工場のベテラン技術者で月20円ぐらい」で、今の1円の2万倍程度の重みがあったようだ。とすると、現在価値にして毎年4千億円程度を支援し続けていたことになる。
http://manabow.com/zatsugaku/column06/

そればかりではない。わが国の領土となれば、国を護るために軍隊を駐留させることが必要となる。
大正3年に出版された山県明七氏の『財政十年』に明治39年から44年の軍事費が記されているが、当時のお金で毎年8~15百万円を別途支出していたことがわかる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951877/134

中川八洋氏はこう解説している。
日本持ちの駐留日本軍の費用はすべて無視するとして、…立替金、日本政府の直接支出、補充金、公債未償還だけでも21億円になる。日本で調達した公債の未償還額は、発行した公債(1910~1944年)21億6566万円から、償還分7億2595万円を差引いた額である。朝鮮は約3分の1しか償還していない。この未償還の約14億4千万円は、敗戦と同時にすべて、朝鮮側の『もらい得』となった。日本にとっては一方的な巨額損失である。」(同上書 p.16~17)

建設中の水豊ダム
【建設中の水豊ダム

一方で、わが国の企業による投資も朝鮮半島で積極的に行われた。たとえばダム建設には莫大な資金が注ぎ込まれている。
「朝鮮の電力が飛躍的に伸びたのは、その第1期ともいうべき、赴戦江(鴨緑江の支流)の4つの発電所のうち3つが本格稼働した1930年であった。この3つの発電所だけで、19万kWの出力であった。4つあわせて20万kWの工事・建設費は5500万円(1926~32年)で、むろん日本の私企業が負担した。第2期の飛躍年は、同じく鴨緑江の支流の一つ、長津江で4つの発電所のうち2つが本格稼働した1936年であった。2つあわせて26万kWもあった。4つの発電所全部(33万kW)の工事・建設費は6500万円であった
第3の飛躍期が、…水豊発電所(70万kW)と、4つの虚川江発電所(合計34万kW、7000万円)の建設であった。…
 朝鮮に遺した日本の私企業の水力発電所の遺産がいかに桁はずれかは、戦前日本のベスト4が、千住発電所の12万kW、信濃川発電所の16万5千kW、黒部川第三の8万1千kW、奥泉発電所の8万7千kW、であったことで一目瞭然である。…
 水豊ダムは、幅900m/高さ106m/容量323万㎥という巨大ダムであった。その人造湖の表面積は345㎢で琵琶湖の半分を超えた。…工事費は1940年12月末現在で2億3700万円であった。」(同上書 p.38~40)
少し補足すると、水豊発電所の発電規模は当時の世界最大級であり、1940年当時の日本国内の水力発電規模は280万kWであったのでその4分の1に当たる規模になる。

京城駅
【京城駅 「朝鮮写真画集 第一輯」(昭和4年 朝鮮写真画集社)】

ダムだけではない。鉄道も建設している。
「朝鮮の鉄道は、1899年9月18日に『仁川―鷺梁津』間(32km)に開通したのが始まりである。この鉄道は、朝鮮が『京城(ソウル)―仁川』間(73km)の鉄道敷設権を1896年に米国人モールスに与えたのを日本の『京仁鉄道合資会社』が買い取ったのである。そして1900年7月8日に、京仁鉄道は全線が開通した。日本で『新橋―横浜』間(31km)の鉄道が開通してから28年の後であった。
『京城(ソウル)―釜山』間の京釜鉄道については、日本が1901年に国策会社の『京釜鉄道株式会社』を設立して敷設することとなった。1905年1月1日には全線が開通した。…この京釜鉄道株式会社は、先述の京仁鉄道合資会社も、1903年に買収して、両線は同一の会社で運営されるようになった。そして日本政府は1906年にこの京釜鉄道株式会社と京仁鉄道合資会社のすべてを買収したのである。その額は建設費を厳格に計算して約3500万円となった。この買収のすべての財源はまた、日本本土の日本人の税金であった。この1906年の朝鮮一国の税・印紙収入は全部で784万円であった。朝鮮がどんなに逆立ちしてもこのような巨額の資金はどこにもなかった。」(同上書 p.24)
他にも日本陸軍が建設し1906年に開通した京城と新義州を結ぶ京義本船や1905年に開通した京城と馬山浦を結ぶ馬山浦線があり、両線の建設費は3138万円だったという。

京釜線工事

上の画像は『鹿島の軌跡』第10回に掲載された京釜線の建設工事の写真だが、山に木がないのが気になる。実は、日本統治以前は朝鮮半島の山はほとんどが「禿山」であったようだ。
http://www.kajima.co.jp/gallery/kiseki/kiseki10/index-j.html
わが国は、その植林事業にも多くの投資をしているのだが、植林をする前に、山の土砂が崩れないように砂防工事が必要となる。
総督府は、例えば、1933年から42年の10年間で。152千町に砂防工事を施して、木を5億本も植えた。この砂防工事費に、4274万円を投入している」(同上書 p.34)のだそうだ。
禿山が多かったのは、焼き畑農業も原因の一つだが、人々がオンドルで薪を燃やして暖を取ったことが最大の原因と言われている。日本が禿山にしたという説もあるようだが、李氏朝鮮時代から朝鮮半島の山々に木がなかったことは多くの西洋人が書いているようだ。
たとえば、1885年から86年にかけて朝鮮半島を旅行した複数のロシア人が記した『朝鮮旅行記』にはこう書かれている。
「谷間および山の周辺の植生は貧弱である。…極めて稀には灌木や草も目につく。この地方はほぼ全域にわたり地表が露出している。草さえも、燃料のため刈り取られるからである。」(『朝鮮旅行記』p.29)
「到るところ禿山と砂質土壌で、所により小川の畔に疏らな灌木の茂みも見かけるが、これとても朝鮮人は刈り倒している。」(同上書 p.58)

伊藤博文

また学校も建設した。金完燮(キム・ワンソプ)氏の『親日派のための弁明』には、こう解説されている。
「1906年、初代統監として朝鮮近代化の基礎を築いた伊藤博文は、教育事業に多大な関心を寄せていた。朝鮮では1895年の甲午改革により近代教育が始まったが、伊藤が就任した1906年まで、11年たっても全国で40にもみたないというのが実情だった。
これを知った伊藤は着任早々、大韓帝国の官僚を集めた席で、「これまであなたがたはいったいなにをしていたのか」と叱責し、学校建設事業を最優先して改革をすすめた。その結果、1940年代には1000を超える各種学校ができていた
。」(『親日派のための弁明』p.104)

校洞尋常小学校
【校洞尋常小学校 「京城府勢一斑」より】

ソウルに京城帝国大学が設置されたのは1924年に設置されたことだが、わが国の旧制大学としては6番目*に設立された大学であることはもっと広く知られて良いと思う。
*東京帝国大学(1886)、京都帝国大学(1896)、東北帝国大学(1907)、九州帝国大学(1911)、北海道帝国大学(1918)についで建設された。

京城帝国大学
【京城帝国大学 「恩頼 朝鮮神宮御鎮座十周年記念」(昭和12年 朝鮮神宮奉賛会)より】

ほかには橋や港湾や道路などをと建設しているが、そのような話はいくらでもあるので割愛しておこう。

たとえば英国のインド統治では、インドから本国費(ホーム・チャージ)という名で、インド人から徴収した税金の25%程度をイギリスに貢納させ、英国は本国からの財政支出は一切行わなかったのだが、わが国は全く逆で、税収をはるかに上回る財政援助を韓国に与え続けたのである。

今回の記事の冒頭に『もういちど読む 山川の日本史』を引用したが、わが国の韓国統治が欧米の植民地支配をまねたものであるという記述は、どこかの国に忖度して書かれたものとしか思えないのだ。

しかしながら、せっかくわが国の政府や民間企業が朝鮮半島の近代化ために莫大な投資してきたものの、敗戦後はこれらの投資に対するわが国の請求権を放棄させられたうえに、巨額の資金支援を要求されることとなったのである。
その点については、次回に記す事と致したい。

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明治期の日本にとって朝鮮半島はいかなる存在であったか
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日露戦争の原因となったロシアの朝鮮侵略をけしかけた国はどこの国か
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韓国皇帝が伊藤博文を「韓国の慈父」と呼んだ経緯~~~伊藤博文暗殺その1
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平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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