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当時の米人ジャーナリストは中国排日の原因をどう記述しているか~~中国排日5

前回まで4回に分けて、GHQに焚書処分された長野朗氏の2つの著書の文章を当時の新聞記事とあわせて紹介したが、戦前の日本人の文章や新聞記事は信用できないという人も少なくないだろう。
そこで、今回はアメリカ人ジャーナリストのフレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズ氏が1938年(昭和13年)11月に著した、”Behind the News in China”(邦訳『中国の戦争宣伝の内幕』:芙蓉書房出版)という書物を紹介することにしたい。

無題

この本の中でウィリアムズ氏は、アメリカ人の視点で、中国が排日に至った経緯をこう述べている。

「日本は、…アメリカやヨーロッパに若者を留学させた。やがて日本は西洋列強が新しく見出した保護すべき友人という立場から、対等のライバルとみなす程度まで競争力を貯め、成長してきた。
彼ら(西洋列強国)の態度は変わった。日本の背中をやさしく叩いて、『お前はいい子だ』とはもう言わなくなった。彼らは態度を変え、団結して対抗するようになった。気が利いており、かつ危険なプロパガンダなのだが、日本の商品や国民に対する差別によって日本は世界中にその名誉を毀損され、人々に嫌われただけではなかった。日本をなだめすかして鎖国の孤立から引きずり出したあの西洋列強が、ゆっくりとそして段々と日本の工業生産物を世界の市場から締め出し始めたのだった。」(田中秀雄訳『中国の戦争宣伝の内幕』p.13-14)

中国の戦争宣伝の内幕

要するに西洋諸国は、わが国がこんなに早く西洋技術を修得して西洋のライバル国となるとは考えてもいなかったのである。西洋諸国は自国の製品を日本市場に売りつけて、日本から富を吸い上げるつもりだったのが、逆に西洋諸国の販売国に日本製品が食い込んで行った。それがアメリカをはじめとする西洋諸国には不愉快であったのだ。
そこで彼らは、わが国に対して「危険なプロパガンダ」を使ってでも、日本商品を市場から締め出そうとしたのである。
長野氏の著作では最初に排日を仕掛けたのは英米であったと書かれていたが、アメリカ人であるウィリアムズ氏も長野氏と同じことを書いていることに注目したい。

では当時の中国はどうであったのか。ウィリアムズ氏はこう書いている。

「日本には中国というよき教訓の対象となる国がある。隣国で大きく、その重い図体であえぎあえぎしていた。四億五千万の人々が住んでいながら、自らの足で立つこともできないでいた。貧困と悲惨にどっぷりと浸かっていた。その豊かな国土は軍閥によって強奪、掠奪され、西洋列強によって富が吸い取られていた。…

日本は西洋列強のライバルとなった。中国は彼らの奴隷となった。それゆえに日本は自分が一人の味方もいない事を思い知らされた。そして中国は、かつて外国人を殺戮し掠奪したという過去も忘れられて、突然同情と援助に値する国家と国民というように持ち上げられたのだ。」(同上書p.14-15)

このように、中国民衆は長い間、軍閥と西洋列強によって搾取されるばかりであったのだが、西洋列国が「危険なプロパガンダ」により日本商品を市場から排除する際に、中国を支援して排日思想を植え付けて民衆にそれを煽ったために、わが国は世界で孤立していくことになってしまったということになる。

西洋諸国が日本との貿易を避けようとするので、新たなビジネスを開拓せざるを得なくなったわが国は、当時掠奪と殺戮を繰り返す約30万の匪賊が横行していた満州に目をつけ、その地から張学良ら軍閥と傭兵匪賊集団を放逐し、学校や鉄道を作り工場などを誘致して、満州を北支人が嫉妬するほどの国に変えてしまったのである。

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しかし、わが国に新たな危機が到来する。ウィリアムズ氏の文章を続けよう。

「この危機はソビエトロシアからやってきた。西洋諸国は中国で経済計画を作成していた。特にその中の一国は中国に大きな権益を持っていた。ソビエトロシアは政治的計画を作成していた。極東に起きたドラマにおけるソビエトの役割はまだほとんど語られていない。だから私が話そう。モスクワが日本と中国との間に戦争の火を点じたのだ。…

この四五年、ソビエトは中国に足場を持とうとしていた。…
共産主義者たちは飢える数百万の中国人を使って、金持ちや蒋介石、そして彼の南京の軍閥政府、そしてすべての外国人相手に戦わせようと慎重に計画していた。彼らは差し押さえた金持ちの財産、安楽な生活、有り余る食い物をすべての飢えた苦力たちに保証したのだ。…
蒋介石は驚き、『反日』という方法で中国を統一する考えに絶望的にしがみついた。そして彼や金持たちから大衆の視線をそらそうとしたのだ。いくつかの西洋列強からも彼はひそかにそれを奨励された。蒋介石は中国共産党の戦列についに加わった。

日本は中国だけでなく、国家を超えた反日計画に直面していることを理解した。それは西洋列強とリンクしていたのだ。日本が、またある西洋国家さえもが中国の混乱に秩序を与えてくれると期待していた蒋介石は日本の敵と合流した。しかし日本は果実に錐で穴をあけるような反日の嵐が遠くまで広がり、侮辱と周期的な自国民の殺害に至っても平和的であろうとした。」(同上書p.21-22)

ソ連満州の武装共産党員

ソビエトはさらに日本と中国を戦わせようと圧力をかけていく。これは以前このブログで書いた通り、スターリンは日中を戦わせてわが国を消耗させ、さらに日本をアメリカと戦わせて敗北させて、わが国を共産主義陣営に取り込む戦略であったのだ。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-210.html

中国にせよ西洋列強にしても、満州の発展をそのまま放置して彼らのプロパガンダの嘘が明らかになってしまうことは、極めて都合の悪い事であった。ウィリアムズ氏はこう書いている。

満州とコミンテルン

「新しくできた満州国蒋介石やその配下の軍閥にとって目の上のたんこぶか、喉に刺さったとげのようなものであった。それは中国共産党にもロシアのボルシェヴィキにとってもそうであった。というのも、貧相きわまる満州から、幸福と繁栄の帝国に満州国は変貌を遂げていたからだ。日本が傀儡政権をうち立て、満州人を搾取しているというプロパガンダが世界的に広まっていてもである。日本の統治であっても、疑いなく満州帝国は繁栄をきわめるだろう。満州国の清潔で賑やかな町と村、よく秩序だった生活、近代的な鉄道と、中国本土の惨めで貧しい、紊乱した状態を比較してみるがいい。たちどころに南京政府もソビエトロシアも秩序というものからほど遠い事が理解されるだろう。

そういう時に西安事件が起こったのだ。それから北京の近くの盧溝橋での日中両国間の敵意の爆発までには大した時間はかからなかった。宣戦布告なき戦争である。真実はまだわからない。しかしその背後にあるものを見ようとする者には、真実は知れ渡っているのである。」(同上書p.23-24)

西安事件というのは前回の記事で書いた通り、1936年12月に反共の蒋介石が張学良に拉致・監禁された事件で、それ以降蒋介石はソビエトのコントロール下に置かれるようになる。
西安事件のあと、中国共産党はわが国を戦争に巻き込むために何をやったか。ウィリアムズ氏はこう書いている。

「…中国共産党は日本人を血祭りに挙げることに決めた。もし日本人が二、三千名殺されたして、誰が対応するのだ。虐殺は日本を激昂させるだろう。自国民を殺されて行動を起こさない国はない。面目は立たない。日本人虐殺は日本との戦争になるだろう。蒋介石も戦わざるを得なくなる。

そしてまた、蒋介石は南京で新たに軍隊を熱狂的に作り直そうとしていた。そしてこれによって中国中にさらに大きなスケールでの日本人男女、子供の虐殺がはじまることになった。これには朝鮮人も含まれる。防御方法を持たない無辜の日本人たちは、家で、店で屠殺され、町や村の街路で暴徒に殺された。数えきれない多数の日本人、朝鮮人たちがこうして死んだ。孤立したコミュニティで殺されていく。」(同上書p.32-33)

こういう史実はほとんどわが国では知らされておらず、日本人は中国大陸で悪いことをしてきたと多くの日本人は学校やテレビ番組などで教え込まれてきた。
以前にこのブログでも通州事件のことを書いたが、中国大陸でこの時期に大量に虐殺されたのは日本人の方なのである。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-250.html

この通州事件のことをウィリアムズ氏はこう書いている。
「私が住んでいた北支の150マイル以内のところに、200名の男女、子供たちが住んでいたが、共産主義者によって殺された。20名はほんの子供のような少女だった。家から連れ出され、焼いたワイヤーで喉を繋がれて、村の通りに生きたまま吊り下げられていた。空中にぶらぶらされる拷問である。共産党員は野蛮人のように遠吠えしながら、揺れる身体を銃弾で穴だらけにした。
日本人の友人であるかのように警護者の振りをしていた中国兵による通州の日本人男女、子供らの虐殺は、古代から現代までを見渡して最悪の集団屠殺として歴史に記録されるだろう。それは1937年7月29日の明け方から始まった。そして1日中続いた。家から連れ出され、女子供はこの兵隊ギャングどもに襲い掛かられた。それから男たちと共にゆっくりと拷問にかけられた。ひどいことには手足を切断され、彼らの同国人が彼らを発見した時には、ほとんどの場合、男女の区別もつかなかった。多くの場合、死んだ犠牲者は池の中に投げ込まれていた。水は彼らの血で赤く染まっていた。何時間も女子供の悲鳴が家々から聞こえた。中国兵が強姦し、拷問をかけていたのだ。…
…中国人たちは焼けたワイヤーを鼻から喉へと通し、両耳を叩いて鼓膜を破り、彼らの『助けてくれ』との叫びを聞こえなくさせた。目玉を抉り出し、自分の拷問者を見られなくした。」(同上書p.33-34)

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通州事件のことは、以前このブログで詳しく書いたので繰り返さないが、死亡者の名簿も現場の写真も、生存者の手記も残されている。わが国では新聞や雑誌にも詳しく報道されている。ウィリアムズ氏の手記には誇張はないと思う。

しかし、この様な酷い事をした中国兵をせっかく日本軍が摑まえても、「罪を憎んで人を憎まず」のサムライ精神で臨み、「もうああいうことをしてはいけない。さあ行け。」と説いて帰したというのである。その点は、尖閣事件における不法侵入者に対する今回の日本政府の対応と似ている。
通州事件」の際に、わが国が世界に対して、このような残虐きわまりない行為を訴えていれば、世界が中国を非難していたのだろうが、日本側は中国側の酷い行為を世界にアピールしなかったために、世界は中国でこのような虐殺行為があったことを知られていないとウィリアムズ氏は書いている。ちなみにこの本が刊行されたのは、「通州事件」が起きてからわずか1年4か月しか経っていないのだ。

「…もし他の国でこういうことが起きれば、そのニュースは世界中に広まって、その恐ろしさに縮み上がるだろう。そして殺された人々の国は直ちに行動を起こすだろう。しかし、日本人は宣伝が下手である。…

中国にいる外国人には驚きとしか思えないのだが、日本はすぐには動かない。彼らは共産主義者によって虐殺が遂行されていたことが分っていた。また西洋諸国が日本を貿易市場から締め出した以上、北支との間でビジネスをしなければならないことが分っていた。率直に言って、中国とは戦争をしたくなかったのである。中国政府がロシアのボルシェヴィズムの罠に絡め取られていることも分っていた。しかしそれでも中国との人々とは戦争をしたくはなかったのである。なぜなら中国は隣国であり、もし望むならば、生きていくためのなくてはならないお客様だったのである。」(同上書p.36)

日本人は我慢強い民族であるが故に、わが国を蒋介石との戦争に引きずり込むために、中国共産党はここまで卑劣な行為で挑発をしなければならなかったのかも知れないが、歴史の真実は、こんな酷いことをされても、わが国は世界にアピールすることもせず、中国と戦おうともしなかったのである。

しかしながら戦後占領軍によって、このような「戦勝国にとって都合の悪い史実」が封印され、「わが国が侵略国家であり、戦争責任はわが国にある」という薄っぺらい歴史観を、日本人は戦勝国から押し付けられてしまった。
学校で学んできた歴史も、マスコミによる昭和史の解説も、いずれも同じ歴史観で語られるために、ほとんどの日本人がその歴史観に洗脳されてしまっているのが現状だ。しかし、中国や韓国や北朝鮮のような言論の自由がない国が、彼らの主張する歴史を声高にわが国に押し付けようとすることには、余程の魂胆があると考えるべきではないのか。

いずれ近現代史は全面的に書き換えられる日がるだろうが、その為には多くの日本人が現在流布されている歴史観の誤りに気がつき、正しい歴史を世界に広める強い意志が不可欠である。なぜなら、中国にせよ韓国にせよロシアにせよアメリカにせよ、わが国が「戦勝国にとって都合の良い」歴史観に洗脳されていることが、それぞれの国の国益に叶うからである。わかりやすく言うと、戦争の原因をすべてわが国に擦り付けることができるだけでなく、少し圧力をかけるだけでわが国から資金援助を得ることも可能だからである。
史実はその歴史観とは程遠いものであったのだが、彼らはいくら真実が明らかになっても、わが国がその歴史観を変えないように、様々な圧力をかけてくるだろう。
なぜならわが国が歴史の真実を知りそれを世界に広めることは、彼らの国はわが国から資金援助が得られないばかりではなく、今度は彼らの国が「戦争犯罪者」の汚名を被ることになりかねないからだ。

パール博士顕彰碑

戦勝国が我が国を裁いた東京裁判の11人の判事の中でただ一人、日本人被告全員無罪の判決を下したインド代表判事のラダビノード・パール氏の顕彰碑が東京都千代田区にあり、その碑にはこう刻まれている。
「時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には、その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くにそのところを変えることを要求するであろう」

第二次大戦が終わって67年以上が経過した。そろそろ日本人も真実の歴史に目覚めるべき時ではないだろうか。
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関東軍が満州を制圧し満州国が建国されたことを当時の世界はどう見ていたのか

昭和6年(1931)9月18日の柳条湖事件に端を発して満州事変が勃発し、関東軍により満州全土が占領されて、その後満州は関東軍の主導の下に中華民国からの独立を宣言し、昭和7年(1932)3月1日に満州国が建国された。満州国の元首(満洲国執政、後に満洲国皇帝)には清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)が就いた。

溥儀
溥儀

この満州国については、一般的な教科書では次のように記されている。

「しかし、軍事・外交はもとより、内政の実権も関東軍や日本時官吏がにぎっており、満州国は日本が事実上支配するものとなった。日本のこうした行動は、不戦条約*および9か国条約に違反するものとして国際的な非難をあびた。」(『もういちど読む 山川の日本史』p.297)
*不戦条約:1928年、仏のブリアンと米のケロッグが提唱して実現した戦争を否定する初の国際条約。ケロッグ・ブリアン条約とも言う。

このような文章を読むと、わが国が全世界から非難されたような印象を受けるのだが、満州事変のあと国連から派遣された調査団によってレポートされた『リットン報告書』では相当程度わが国の立場を認めていた。

昭和7年9月11日 大阪毎日新聞 日本は正当 英紙の満州問題視

また満州国は当時の世界60か国の内20か国がのちに承認し、ソ連のような建国以来国境紛争を繰り返した国さえも事実上承認の関係にあったのである。
世界の3分の1が承認しているような満州国を支援したわが国が「国際的な非難を浴びた」とわが国の教科書が書くのは、国民を「自虐史観」に誘導し固定化する意図を感じるところなのだが、この点について当時の論調はどのようなものであったのか。

昭和7年10月28日 神戸又新日報 ロシア事実上満洲国を承認

まずわが国が「不戦条約」に違反したかどうかだが、そもそも1928年に成立した「不戦条約」は単純に戦争を放棄するというものではなく、自衛のための武力行使は認められていたことは重要なポイントである。
前回の記事で書いたように、日清戦争の頃は満州人の故地である満州の人口はわずか数百万人であったのだが、そこに中国は3千万の漢人を送り込んで排日運動を仕掛け、ソ連も赤化工作を仕掛けて何度も暴動を起こし、わが国が多額の投資をしてインフラを整備し築き上げてきた満州の権益を奪う動きをしていたのである。わが国の行動が自国の権益を守るための自衛行為だと認知されていたなら条約違反にはあたらないことになる

満州事変と世界の声

国立国会図書館デジタルコレクションに、満州事変の1か月後に出版された『満洲事変と世界の声』という本が公開されている。この書物は主要国の新聞や雑誌の当時の論調をまとめたものだが、わが国が「不戦条約」に違反したかどうかについては、アメリカのファーイースタン・レビュー誌のG.ブロンソン.リーの論文(要約)がわかりやすい。この人物はその後満州国外交部顧問に就任していることを付記しておく。

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【G.ブロンソン.リー】

「日本は満州に15億円の投資を為しているばかりではなく、その経済的必要、国防の安全、国家の名誉と威厳をかけている。…
 この満州における日本の既得権益問題が解決されなければ、日支通商も日支親善もあり得ない。中村大尉事件、万宝山事件、朝鮮における支那人虐殺事件その他三百余件が日支間に未解決のまま残されている。支那*はその解決策として、国際連盟**、ケロッグ不戦条約その他世界の同情を利用して日本の武力を封じ、一方ボイコットを以て日本を経済的に圧迫しようとしている。日本がこと満州の既得権に関する限り絶対に第三国の干渉を排除し、必要とあれば全世界をも相手取って争うことを辞せないことを誓っていることを支那は忘れているのである。しかのみならず、支那はケロッグ・ブリアン不戦条約について重大な見落としをしている。すなわちこの不戦条約には自己防御および既得権擁護の権利の場合が保留されていることを見落としているのである。…満州における支那の宗主権は日本といえども認めている。しからば支那はその宗主権を如何に行使したか。国際の信義を重んじたか、満州の福利を計ったか、治安を維持したか、また外国資本からなる企業を保護したか?…
 満州の支那官憲は七十億ドルもの無価値な紙幣を発行して農民から穀物をとり上げ、それを現金に代えて巨大な軍隊を養い、将軍連の私腹を肥やしていた。支那は盛んに国際的道徳を説くが、日本が事実をもって説くところも聴く者をして肯かせるものがある。支那は日本の侵略を説き不戦条約違反だとするが、日本からしてみれば自己防御と言うだろう。元来国際公法なるものは国際の伝統、習慣および力から成るのであって口先ばかりの理屈ではない。支那は自己の外交を支持する力を以てせず、ボイコット、ストライキその他の排外運動なるものを武器として戦う。支那は常に国内の戦争ばかりしていて、ろくに自分の国を治めないで外国の干渉は排撃するが、外国と事が起こると第三国の干渉を希望している。今日の紛争の種は支那が撒いたようなものだ。即ち国内を治めず、国家の権力に伴って存する義務を怠っていた結果である。」
*支那:現在の中国本土。
**国際連盟:1920年1月20日に正式に発足した国際機関。本部はジュネーブにあった。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1146591/94

また同上書で、英国のタイムズ紙(同年10月16日付)に掲載されたT.O.Pブランド氏の論考も紹介されている。文中のジュネーブというのは国際連盟のことを指している。

支那国民党は、南京および奉天において日本に対する敵対的政策を遂行していたもので、それは激烈なる反日宣伝やあらゆる種類の破壊的行動によって示されていた。これは支那外交の伝統的手段に全く一致するもので、この煽動政策は日本をして合法的権益を自衛せしむる上に、武力に訴える立場まで引きずりこむこむことで、日本がこの軍事行動をとるや支那はこれをもってケロッグ条約や連盟に抵触するとなしてこれを訴え、連盟および米国の干渉を誘起せんとするものである。
 この支那の取っている政策の真の目的は満州における日本の権益を廃棄せしむるか、またはその根本的改定にあるもので、国民党の首領らはワシントンおよびジュネーブの雰囲気がこの目的遂行に十分合致せるものなることを知りつくしている。支那はワシントン会議以来他の条約国との交渉に於いて条約の義務を平気で無視し、または破棄することに成功している。今回支那がことさらに事件を起こして日本の満州における権益を排除すべき見解をとって、ジュネーブに訴え出たことは敢えて驚くに当たらぬ事実である

 しかしながらすべてこの理論的政策をまず差しおいて、日本が合法的権利の範囲内で活動した結果、満州が無秩序な支那の砂漠の嵐の中に反映せるオアシスとなっている状態は貴重な事実であらねばならぬ。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1146591/22

このように中国に対して厳しくてわが国に理解を示す論調もあれば、その逆もまた存在するのだが、ソ連や中国のように侵略行為としてわが国を厳しく非難する論調は決して多くなく、軍部が政府の指示を得ずに動いた問題点は指摘しつつも、わが国の自衛のための行動と評する論調をいくつも見出すことが出来る。

再び冒頭の教科書の記述に戻って、次にわが国が「9か国条約」に違反していたかについて考えてみたい。

この条約は大正11年(1922)のワシントン会議に出席したアメリカ、イギリス、オランダ、イタリア、フランス、ベルギー、ポルトガル、日本、中華民国間で締結された中国に関する条約で、各国に中国の主権、独立そして領土及び行政的保全を尊重させ、門戸開放・機会均等・主権尊重などが定められているのだが、中国側にも軍事力と軍事費の削減努力を行う義務などが定められており、中国に関して言えば、彼らはこの決議を全く無視して兵力を増やし続けたことを指摘せざるを得ない。

支那国軍隊の削減に関する決議

日本外交文書デジタルアーカイブ ワシントン会議極東問題の決議内容が公開されていて、次のURLの第9章第1節にのp.348に、(7)支那陸軍兵力縮小に関する決議の訳文が出ている。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/tt-4.html

満州国建国の正当性を弁護する

G.ブロンソン.リーの著書『満州国建国の正当性を弁護する』によると、1921年当時の中国軍は約百万人と見積もられていて、その後大幅に増加したという。

「『チャイナ・イヤー・ブック』(1932年)は、非正規軍を除外してその戦力を2,245,536人と見積もっている。南京政府の軍事独裁者、蒋介石の私兵は百万である。これに加えて承認政府の軍隊と独立した軍閥があり、武装した匪賊、そして共産軍がおよそ二百万である。銃器を携行する中国人は合計するとざっと五百万で、これが人民を餌食にし、外国の承認を求め、外国が管理して集めた歳入を享受しようと、覇権を求めてお互いに戦い合っているのである。」(『満州国建国の正当性を弁護する』p.269)

このように中国は決議に違反して兵力を大幅に拡大していったわけだが、国際正義の観点からこのような国の主権を尊重することが優先されるべきだとは思えない。そしてわが国は、柳条湖事件以降経った数万の兵力で、わずか5か月の間に満州全土を占領してしまったのである。

昭和4年1月8日 東京朝日新聞 英・米・独からの対支輸出が激増

満州事変直後においては中国の方を批判する論調が少なからずあったにもかかわらず、なぜその後、世界の多くの国は日本に非難の矛先を向けていったのだろうか。
G.ブロンソン.リーは、同上書で非常に興味深いことを述べている。

合衆国政府と種々の我が世論機関は日本にひどく批判的だが、それは日本が海軍制限条約の改訂を望まないからである。日本は2・2・2の同率条件が認められれば、日本は海軍を削減するつもりだと請け合っているにもかかわらず、我々が聞き知るすべては、日本が極東を支配し、我々の貿易を閉ざそうとしているということだ。…
 他の一面は最も浅薄な観察者でもよく理解できる。中国の外国貿易は現在、政府がその力を維持するための主要な歳入源となっており、それは過去七年間の二千五百万から三千万の人々の死の原因となっている。関税で集まったお金は軍隊維持のために費やされ、人々を食い物にして彼らの外国製品購買能力を破壊するのだ。我々は外国の法律も、アメリカ上院決議も干渉できない武器密売の光景をここに見る。あらゆる国が、このぞっとするビジネスの分け前を得ようとしている。彼ら”死の商人”は、増加する関税収入に担保された長期貸付で裏取引を行う一方、外交や政府の支持を得て、その特製品を売るのである。外国貿易が武器代金を支払うことになるのだ。
 世界は九か国条約に違反したとして日本を非難する。告発は自由である。しかし貿易と儲けの為に中国の条約違反に目を閉ざしたその他の七か国はどうなのだ?関税自主権を認められた中国は資金をつぎ込んで正規軍を百万から三百万に増やし、第一次世界大戦の戦死者の五倍の人間を殺すことを可能にした。日本は自衛のために条約に違反したかもしれない。しかし日本を告発する者は、つまらない貿易の利益を得んがために中国の条約違反を大めに見た廉で、世論という法廷の前では有罪を宣告されるのである。」(同上書 p.272~273)

内戦の続く中国は、欧米の『死の商人』からすれば極めて魅力的な武器のマーケットであったことは言うまでもないだろう。G.ブロンソン.リーは中国が大量の武器を買っていたことについてこう述べている。
「満州の張家の統治時代には、人々は銃剣を突き付けられ、労役の産物と交換に七十億ドルの不換紙幣を無理やり押し付けられた。その他の省では土地税が二十年から五十年先まで取られている。阿片の栽培と販売が幾つかの省の軍隊を維持する収入となっている。その他の方法でも人民はその抑圧者に財産を搾り取られているのだ。」(同上書 p.271)

昭和7年11月27日 大阪毎日新聞 支那に延びる欧米の大資本

このように収奪された資金のかなりの部分が武器弾薬や軍用車などの購入に充てられたことは想像に難くない。前回記事でわが国が満州の都市建設などのために投資した金額は17億円と書いたが、ドルに換算すると5~6億ドル程度である。張作霖・張学良の時代の満州では、その何倍もの金が内戦の為に使われた可能性が高いのである。

『死の商人』にとっては、争いが続く限りはいくらでも武器・弾薬を売ることができる。そして、もし中国の内戦の泥沼に日本を引き摺り込むことができれば、さらに儲けることができると考えていたのではなかったか。

しかしながら、中国兵よりも圧倒的に少数の関東軍が、たちまちのうちに満州を制圧してしまった。武器・弾薬をもっと売りたい彼らからすれば、関東軍が満州を鎮圧してこの地域が平和となることは決して好ましいことではなかったことは誰でもわかるだろう。

昭和7年8月2日 中外商業日報 対支貿易に於ける日米の地位顛倒す

以前このブログで、大正8年(1919)から中国の排日が始まり、その背後に英米の勢力が活発に動いていたことを書いたことがある。
上の画像は昭和7年(1932)8月2日の中外商業新報の記事であるが、中国の日貨排斥運動を機にアメリカの対中国貿易が、日本、イギリスを追い抜いて一気に首位に踊り出たことが報道されている。アメリカが主張していた中国大陸の「門戸開放」は、中国に排日を仕掛けることで実を結んだことを知るべきではないだろうか。

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【ご参考】
このブログでこんな記事を書いてきました。興味のある方は覗いてみてください。

第一次大戦以降、中国の排日運動を背後から操ったのはどこの国だったのか~~中国排日その1
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-238.html

米英が仕掛けた中国の排日運動はそれからどうなったのか~~中国排日その2
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-239.html

中国の排日が我が国を激しく挑発するに至った経緯~~中国排日3
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-240.html

中国全土に及んだ「排日」がいかに広められ、誰が利用したのか~~中国排日4
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-241.html

当時の米人ジャーナリストは中国排日の原因をどう記述しているか~~中国排日5
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-242.html





関連記事

リットン調査団と国際連盟を利用してわが国を孤立化させた列強は何を狙っていたのか

前回の記事のなかで、昭和6年(1931)9月の満州事変以降関東軍が満州全土を占領した頃の世界には、わが国に理解を示す論調が少なからずあったことを述べた。

その翌年3月に満州国が成立し、わが国は「国際的な非難をあびた」と教科書などで記されているのだが、このように書かれる根拠はその後の国際連盟の動きにあると思われる。

わが国が国際連盟を脱退した経緯について、『もういちど読む 山川の日本史』では次のように記されている

中国政府は満州事変を武力侵攻であるとして、国際連盟にうったえた。1932(昭和7)年、国際連盟は実情を調査するためにリットン調査団を派遣し、同年10月、リットン報告書を公表した。その内容は、満州に対する中国の主権を認め、満州国の独立を否定してはいたが、満州における日本の特殊権益には理解を示し、満州に自治権をもった政府をつくるという、かなり妥協的なものであった。しかし、軍部や国内世論の強いつき上げで、斎藤実内閣はリットン報告書の公表の直前、日満議定書をむすんで満州国を正式に承認していた。
 1933(昭和8)年2月、国際連盟臨時総会がリットン報告書にもとづいて、満州を占領している日本軍の撤退などをもとめる勧告案を圧倒的多数で可決すると、同年3月、日本はついに国際連盟脱退を通告した(1935年発効)
 こうして日本は、国際協調路線から大きく方向転換して、孤立化への道を歩むことになった。」(『もういちど読む 山川の日本史』p.298)

リットン調査団の報告の内容がポイントになるような書き方だが、この調査団は昭和7年(1932)に結成され、3月から3か月にわたり満州、日本、中国を調査し、8月より北京で調査報告書の作成が開始され、10月2日に報告書が世界に公表されている。

この報告内容には色々問題があり、批判的な論調が世界で少なくなかったことを紹介しておこう。そもそも暴動の相次ぐ中国で日本軍が撤退したら、再び治安が乱れていずれ武力紛争に発展することは誰でも容易に想像できることであったのだ。

世界は、この調査団がわが国に不利な報告を出すことは予め分かっていたようで、報告が公表される前から批判記事が出ている。
いつものように神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ新聞記事文庫で、「リットン調査団」をキーワードで検索すると42本の記事を確認することが出来る。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/

昭和7年9月11日 大阪毎日新聞 日本は正当 英紙の満州問題視

昭和7年(1932)9月11日付(リットン報告書公表前)の大阪毎日新聞の記事に、イギリスのサタデー・レビュー誌の論調が紹介されている。

国際連盟が何をいい、リットン調査団が何を報告しようとも日本の満洲における権益は確固不抜である。支那のそれは山に湧いた霧の如くで満洲国は支那のものでなく支那のものだったこともない、支那が満洲との境界に長城を築いて満洲人の入冠を防いだ事実は明かにこれを物語っている、しかし満洲人の入って来るのを防ぐことは出来なかった、満洲人は支那に入ってきて遂に全く支那に吸収されてしまったのである、その後日本はその背後地を援助して朝鮮から進出したが、右進出までは満洲には遊牧の民等何百万がいたに過ぎない、今や支那の政治家たちはこれまで全く支那のものでなかった土地を取戻そうと企てている。かくのごとく鬼面の狂言に過ぎない無理押により日本の苦心経営の果実を掴み取りしようとしているのである。」
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10162180&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

昭和7年10月5日 大阪時事新報 ポーランド代表は曰う 結論は牽強附会

またリットン報告書が公表されたのちのポーランドの主張が、10月5日付の大阪時事新報に出ている。
「ポーランド代表方面の意見は、リットン調査団の蒐集した各種の条項は寧ろ強く日本の主張の正しい事を示しているに拘らず調査団の結論は日本に不利なるものとなるに至っている。第一リットン報告書それ自身が、支那には秩序回復し正常なる状態を改組する能力なき事を明瞭にしている調査団も、満洲の原状復帰の不可能なる事を予期して居るではないか。日本の特殊の経済的財政的権益を認める時は日本の特殊行動も亦正当化されるのであると極めて事の判った正論を表明している。」
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10164045&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

ポーランドが指摘しているように、リットン調査団の報告は相当程度わが国の主張を織り込んでおり、第三章ではわが国の満州における権益について認め、第六章では日本兵の行状は善良で略奪や虐殺事例がないことも書かれている。しかしながら重要な事実誤認が存在したのである。

渡部昇一氏は『リットン報告書』の解説でこう述べている。
「それは『満州はシナの一部である』とする結論だ。
《従来、東三省(満州)はつねにシナや列強がシナの一部と認めていた地域で、同地方におけるシナ政府の法律上の権限に異議が唱えられたことはない。》(第三章)
《右の地域(満州)は法律的には完全にシナの一部分である。》(第九章)

 こうした記述が歴史的に見てまったくの誤りであることは言うまでもない。後述するように『満州』は、溥儀を最後の皇帝(ラストエンペラー)とする満州族が支配していた土地であり、万里の長城の外にあって、元来は漢人(シナ人)の立ち入りは禁じられていた『封禁の地』でもあった。断じて『シナの一部』などではないのである。」(『リットン報告書』P.14)

このブログでも何度も書いてきた通り満州は満州族の故地であり、清王朝以前ではこの地が漢人王朝に支配されたことがない地域であった。

満州の日本の勢力圏

満州の面積は当時の日本の面積の約三倍で、日清戦争の頃の満州の人口は5~6百万人に過ぎなかった。そのうち漢人の人口は2~3百万人程度だったようだが、その後わが国を中心とする投資によりインフラの整備が進むと大量の漢人が流入して、1938年頃には漢人だけで30百万人となり全体の9割が漢人になってしまったのである。
満州人は故地である満州を漢人支配から取り返そうと独立運動を展開していたのだが、リットン報告書の第6章にはその満州人の独立運動を日本軍は利用したとし、「現在の政権[満州国]を純粋かつ自発的な独立運動によって出現したものと考えるわけにはいかない」と結論付けている
そもそも独立を果たした国のほとんどが、どこかの国の支援を得ていた。第一次大戦後に欧米列強は「民族自決主義」を提唱したのであるが、満州人に関しては独立することを認めないというのはおかしな議論である。

そして、リットン報告書の結論はあきらかに中国寄りになっている。
たとえば報告書の「第九章解決の原則および条件」には、こう書かれている。

七 満州の自治
 満州における政府は、シナの主権および行政的保全と一致し、東三省の地方的状況や特徴に応じられるように工夫された広範な自治を確保するものに改められるべきである。新しい文治制度は善良な政治の本質的要求を満足するよう構成・運用される必要がある。
八 内部的秩序および外部的侵略に対する保証
 満州の内部的秩序は有効な地方憲兵隊によって確保され、外部的侵略に対する安全は憲兵隊以外のいっさいの武装隊の撤退と関係国間における不可侵条約の締結によって与えられること
。」(同上書 P.315)

満州は漢人が治めることにするので関東軍は撤退せよと述べている部分だが、漢人の地方憲兵隊ではこれまで相次ぐ暴動事件を止めることが出来ず、居留民の犠牲が何人も出たことから関東軍が動いた経緯を全く無視している。漢人の地方憲兵隊に任せても満州の平和が維持できないことはそれまでの歴史が証明しているのだ。

昭和7年11月26日 大阪毎日新聞 リ卿、勝手に答弁出来ぬ

当時の新聞を調べていくと、リットン調査団の中にも意見の違いがあったようだ。
昭和7年(1932)11月26日の大阪毎日新聞によると、団長のリットン卿(英国)は、クローデル(仏国)の主張により、国際連盟の理事会で自由に発言することが出来なかったようなのである。
こういう記事を読むと国際連盟やリットン報告書に何かキナ臭いものを感じるところなのだが、当時の新聞の記事を探していくと、これらの組織の問題点について興味深い解説をしている記事が見つかった。

昭和8年2月24日 神戸又新日報 連盟を掌中に日本を孤立へ フリーメーソンの正体

上の画像は昭和8年(1933)2月24日の神戸又新日報の記事だが、国際連盟のメンバーや、リットン調査団のメンバーに某秘密結社のメンバーが少なからずいることが指摘されている。この結社は「全世界の弱き国不平をもつ国などを煽動し擾乱を起さん」とし、その秘密結社と国際連盟との関係について、その結社の機関誌にこう書かれているという。
「指導精神から考えて連盟はユダヤの運動に深い関係を持っており吾々ユダヤ人は連盟の最初の具体的提案者で、連盟はユダヤ民族に世界的放浪生活をさせている根本原因を政治的に解決するものである
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10014432&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

古代ローマ帝国によって国を滅ぼされたユダヤ人にとっては、母国を建設することが永年の民族の悲願であったわけだが、そのためには世界の紛争を拡大して大国を疲弊させ、さらに世界を攪乱していくことでユダヤ人が世界の支配的地位に立つことができると考えていたという。

200px-JacobSchiff.jpg
【ヤコブ・シフ】

日露戦争の際にわが国は、ユダヤ人で前述の某秘密結社のメンバーであるヤコブ・シフの支援を受けて戦費を調達しているが、シフはその後レーニン、とロッキーに資金提供してロシア革命を支援した人物でもある。

もし国際連盟やリットン調査団がこの秘密結社と関係があったとすれば、わが国が連盟脱退に至ったことは、彼らが世界を攪乱させていく戦略の中で仕組まれていたという解釈が成り立つことになるのだが、このような考え方は当時において決して珍しいものではなかったと思われる。
神戸大学の新聞文庫や国立国会図書館のデジタルコレクションでこの秘密結社の名前を入れて検索すると、多数の記事や著作がヒットすることに多くの方が驚かれることであろう。

昭和7年3月26日 大阪時事新報 米露両国の如く連盟を脱退せよ

わが国が国際連盟脱退するべきとの意見が出てきたのは、リットン調査団が満州で調査を開始した頃から始まっている。上の画像はわが国の新聞で最初に連盟脱退論が報じられた昭和7年(1932)3月26日付の大阪時事新報の記事である。

国際連盟にはアメリカもソ連も参加しておらず、参加国は欧州が中心であったため東洋の問題解決に欧州国の考え方で臨むことには限界があり、わが国が連盟を相手に交渉を重ねても極東事態を悪化させるばかりで、世界平和に悪影響を及ぼす結果になりかねないとする考えが、外務及び陸軍部内で有力になりつつあると伝えている。

昭和7年(1932)6月に出版された『列国は日本をどう見る : 不穏事件に対する列国の輿論』という本を読むと、上記記事のわずか2日後に、ニューヨークタイムズでわが国が『連盟脱退をも辞せざる決心である』との記事が出たという。アメリカだけではなく、フランスも同じ日に記事が出ているのだが、その反応の速さに驚かざるを得ない。

列国は日本をどう見る -

この本には当時の各国の論説が紹介されているが、4月1日付のエコ・ド・パリ掲載のベナクルス氏の論説を紹介したい。

(日本が連盟を脱退するようになれば)日支問題は連盟の手を離れるにいたり、また連盟自身は日、米、露の三大国を失い、全く欧州のみの連盟と化してしまう。しかも、日本が満州の門戸を開放している限りは、米国の反対には頓着なしに他の数国にその満州における地位を容認させることに成功するだろう。こうなれば不戦条約もまた打撃を被ることとなる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1269665/146

同上書でカナダのテレグラフ・ジャーナル紙も日本の立場に立って論評している。
三大海軍国無きの日米二国が連盟の圏外に立つことになったならば、連盟の使命遂行は不可能となってしまうであろう。もし日本が連盟を脱退するならば、その理由は国家の利益が到底容認し難き不当の侵害を受けたからだというであろう。今次の事変において、支那に罪なしとは言いえない。そうして支那との交渉方法は、他のいずれの国よりも、日本が最もよく知っているのである。たとえ、日本の主張が不当であるとしても、日本は被害者なることを熱心に闡明(せんめい)して、それを枉(ま)げようとはしない。その主張に反して、連盟の一員成るがゆえに、重大なる国権の侵害を甘受しなければならないとなれば、日本たるものの憤懣もさこそと察せられる。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1269665/148

昭和7年9月22日 大阪毎日新聞 日本の対満政策に反対 米国、露骨に運動を開始

この国際連盟にはアメリカは正式には参加していなかったのだが、アメリカは自他ともに認める世界第一の富強国である。国際連盟としても重要な議題についてはアメリカを外すわけにはいかず、三顧の礼を尽くしてアメリカにオブザーバーの参加を要請していたという。

アメリカの戦略については同上書の著者志賀哲郎氏の解説がわかりやすい。
「日本の連盟脱退説がアメリカにおいても相当のセンセーションを巻き起こしたことは既に述べたとおりであるが、元来連盟加盟国でもなんでもないアメリカが、いったいどうして日本の連盟脱退についてそれほど騒ぎまわるのであろうか?。これはアメリカが連盟を利用して日本の行動を掣肘(せいちゅう)しようと思っているからである。少なくともアメリカが単独でやるよりは、連盟という大所帯の尻をつっついて、日本に干渉させた方がより利巧であり効果的だと信じているからである。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1269665/146


昭和7年10月4日 大阪日日新聞 最も大なる失望は米政府が感じる

しかし、リットン調査団の報告の内容はアメリカが期待していたような内容とは程遠かったようだ。昭和7年(1932)10月4日付の大阪日日新聞に、軍事評論家の池崎忠孝氏はこう述べている。
従来のアメリカ合衆国の主張たる不戦条約及び九ヶ国条約の侵犯は、国際連盟は認めなかったのである
 スチムソン外交の基礎は此処に崩壊すべく、米国従来の対日態度の論理的根拠を失い、スチムソン国務長官の面目は丸潰れとなったのである。リットン報告に最も大きな失望を感ずるものは米国である」
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10163755&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

国際連盟脱退

これからどのような多数派工作が行われたかは定かではないが、、昭和8年(1933)2月の国際連盟総会にて満州における中国の統治権を承認し日本軍の撤退を求める報告案が出され、44か国中42か国の賛成(日本反対、シャム[現在のタイ]棄権)となり、松岡洋右ほか日本代表団は議場から退場したわけだが、その後欧米の主要国は日本商品に高関税を賦課して日本商品を排斥する動きに出たのである。

昭和8年6月11日 大阪時事新報 英国のやり方は国民の感情を害す

上の画像は昭和8年6月11日付の大阪時事新報の記事であるが、わが国が国連を脱退したタイミングで、わが国が開拓した市場を奪い取ろうとして主要国が動き出したことは注目に値する。リットン調査団報告に基づいて国際連盟で決議したことを演出することによって、わが国を孤立させ、追い詰めていこうとした列強が何を狙っていたかは明らかではないのか。

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カリフォルニア州の排日運動が、日露戦争後に急拡大した背景を考える~~米国排日1
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日露戦争後のアメリカにおける日本人差別の実態~~米国排日2
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米人弁護士が書いた日露戦争後のカリフォルニアの排日運動~~米国排日3
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日露戦争以降、わが国は米国黒人の希望の星であった~~米国排日4
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-263.html

パリ講和会議で人種差別撤廃案を提出した日本とその後の黒人暴動など~~米国排日5
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関東大震災のあと日本支援に立ち上がった米国黒人たち~~米国排日6
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-265.html









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