黄文雄氏の『日本の植民地の真実』に、関東軍が満州に駐留していた経緯とその規模について記されているので引用させていただく。
「ポーツマス条約には、鉄道保護のために1キロあたり15名を超えない範囲で守備隊を置く権利が明記されている。これで計算すると、鉄道守備隊の最大規模は14,419名、実質二個師団になる。その後、日清条約第一条でもこの約款は再確認されている。
『関東軍』の前身はこうして生まれたのである。関東軍は、ソ連を仮想敵国とした独立戦闘集団で、その正式発足は第一次世界大戦末期のシベリア出兵(1918年)である。
関東州や関東軍の『関東』は、もともと万里の長城の東端である山海関以東という意味の地域名で、日本が1905 (明治38) 年9月にそこに設置した行政府が『関東総督府』だったことによる。…
満州事変を迎えるまでの19年間、関東軍の規模は内地から交代で派遣される1個師団と独立守備隊、重砲兵大隊、関東軍憲兵隊といった規模に過ぎなかった。もともと満鉄沿線を守備するだけが任務だったため、いたずらに増強することは出来なかったのだ。」(『日本の植民地の真実』p.274-275)

このようにわが国が軍隊を送り込んだ理由は、明治38年(1905)に締結された日露戦争の講和条約(ポーツマス条約)の追加約款第一において、満鉄沿線を守るために1km毎15名を超過しない人数で守備兵を置く権利が認められていたことによるが、この人数は決して多くない。
わが国が獲得した満州の利権を活かすためには、移民を送り込みさらにインフラを整備するための投資が必要であったことは言うまでもないが、当時の満州の治安は劣悪な状態にありながら中国の官憲は治安を改善させようともしなかった。そのためにわが国は、満州の警察権に関与せざるを得なくなっていたのである。

上の画像は大正4年(1915)3月16日から時事新報に連載された「日支懸案解決」の記事だが、警察権に関与せざるを得なかった事情が縷々述べられている。
「警察権干与の一般的理由を挙ぐれば凡そ左の如し
(第一)満蒙の地たる人煙希疎にして政令の思考風気の教化尚お未だ普からざるが為めに匪賊*横行の患い甚だ多く所謂馬賊*なるものは之等の地方を通じて抜くべからざるの根拠を有するを以て地方人民の生命財産は常に危殆を免がれず仮令い我国人にして此等地方に居住、土地所有及び採砿の権を得るとするも予め是種匪賊の難を防ぐの道を講ずるに非ざれば安んじて住居を構え業務を営むを得ざるべし
(第二)独り匪賊の難あるのみに止まらず満蒙に於ける支那官民中には我国人に対して深刻なる敵意を懐き事に臨み機に触れて之を凌虐せんとするの風あり。或は之に反して我国人に対して頗る好意を表する者もなきに非ずと雖も尚お且つ彼等の性癖として瑣末の衝動の為め急に其心情を一変することあり。決して永く其好意に信頼するを得ざるを以て苟も我国民が三権の獲得に依りて満蒙の内地に支那人と雑居する以上我警察力を以て之を保護するは緊要欠くべからざるの処置ならん
(第三)仮令支那官民に悪意なしとするも、風俗習慣を異にし文化の程度を異にする日支両国民の間には、往々他の言動を誤解邪推して紛争を生ずるの例少からず、鉄道沿線もしくは之に接近せる地方に於ても尚お且つ然りとすれば、我国人の多数が深く内地に進入するの暁に及んでは、此等の弊風は益々甚だしきを加え、或は意外の奇変を勃発するに至るやも量るべからず。是種の危害を予防するの方法としては、我警察権を内地に拡張し我警察官をして支那官民並に我国人の誤解邪推を矯正せしむるの外なかるべし
(第四)支那官憲の間に無知無能にして徳義廉恥の念を欠くもの甚だ多きは今更言う迄もなけれども、満蒙の如き僻陬の地に在任するものに至りては是等の欠点ますます甚しきを加えるの事実あり。斯る官憲の下に在りて我国人が周到公正なる保護を被らんを望むは、甚だ覚束なき次第と云わざるを得ず。固より司法上には治外法権を存すと雖も、一般の警察事務に於ては現状の儘を以てするときは概して支那官憲に一任するの外なきを以て我国人の内地に雑居するもの増加するに随いて其不利不安ますます甚だしきを加えざるを得ず。即ち我国が三権の獲得を要求すると同時に警察干与をも併せて要求せざるを得ざる所以なり
(第五)我国人は事実上既に鉄道附属地其他の境界を越えて附近地方に雑居するもの少からず。其結果として我国人に対する日支両国警察の権現に関して紛議を生ずるの例も亦少からず。斯くの如きは満蒙に於ける日支両国間の関係を円滑ならしむる所以に非ざれば仮令三権獲得のことなしとするも尚お且つ我警察権を未開放地の一部に向って拡張するの必要あり其獲得に依りて我国人の未開放地雑居無制限と為るの暁に及んでは其必要ますます大なるべし」
*匪賊(ひぞく)、馬賊: 関東軍や旧満州国の治安機関は、政府に敵対する集団を盗賊と同じ意味をもつ「匪賊」と呼んだ。騎馬を中心にした組織を「馬賊」とも称した。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10125392&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA
生命・財産の危険を感じるような地域には誰しも住もうとは思わないところだが、中国は、満州の地に移住した日本人を排除するためにあの手この手を用いている。

たとえば大正2年(1913)11月3日のやまと新聞にはこう報じている。
「我外務当局者は満洲未開放地に居住せる邦人が或は退去を命ぜられ其居住営業権の安定を害さるるが如き傾向は多く之を見ず。却て支那官憲は屡々(しばしば)切実にこれが保護を声明しつつありと称しつつあるも、事実は不幸にして屡々我邦人が支那官憲に迫られて折角築き上げたる其根拠地を放擲して退去せるの実例を見る。今是を最近に起れる二三の事実に就いて証せんか
一、本年三月の交長春の西北方なる農安県に居住せる六戸三十四人の邦人は突然支那官憲に退去を命ぜられ、其命に従わざるや遂に多数の巡警は各戸を包囲して其戸扉を釘付にしたり
二、去る九月中奉化県知事の退去命令により売買街及小城子方面に居住せる邦人男女六名は四平街に引揚げたり
三、十月二十七日満洲各地の官憲は北京政府の命令なりとて未開放地居住の邦人に対しては馬賊等の危険につき生命財産の保護の責に任ぜざる旨を言明し其退去を要求せり」
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10125397&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

【刀とモーゼル銃を構える馬賊】
「馬賊」は大量の武器を保有しており、満鉄の線路のボルトや枕木が抜き取って列車を止め積み荷を盗む事件、住居侵入事件などが頻繁に起きて、邦人被害も大きかったのだ。本来、馬賊の危険を排除することは中国官憲の仕事であるはずなのだが、それを行おうともせずに「馬賊等の危険」があるとして日本人に退去を要求するというのはどう考えてもおかしな話である。
中国はさらに排日運動を起こして、日本製品の不買や嫌がらせや暴力事件を繰り返したわけだが、国策として満州移民を推進し多額の投資をしてきたわが国として、満州に渡った人々の生命財産や権益を保護することは当然のことではないか。しかしながら、こんな治安状況ではそれが困難であることは明らかだ。

【関東庁要覧 大正12年版】
関東長官官房文書課による『関東庁要覧 大正12年版』にはこう記されている。
「南満州に於ける匪賊の横行は依然として酷だしく、大正10年管内外をつうじて日本官憲の聞知せる馬賊、海賊及び強盗の被害は461件。死傷者153人、拉去せられたる人質125人、被害価格55万1643円を算し、内邦人の被害70件、死傷35人、被害価格15万4365円にして、邦人被害は前年に比し著しく増加せり。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1939399/168

ところが『関東庁要覧 昭和6年版』になるとその被害はその数倍に跳ね上がり、彼らの犯行の手口が具体的に記されている。
「匪賊犯罪は頓(とみ)に増加し、昭和4年中管内警察署の関知せる近接支那管内の匪賊犯罪は1170件の多きに達し、さらに昭和5年に於いては、9月末日までに1650件の夥しき数を示せり。
これら馬賊なるものに付いては確たる定義あるに非ず、頭目、副頭目、小頭目等の下に傾倒的かつ継続的に結合する一種の強盗団体にして、通常小銃、拳銃、刀槍、時としては砲機関銃などを携行し、あるいは馬隊を組織するもの等あり。
昭和5年中には支那軍服を着用せる軍装そのままの馬賊団各地に横行を見たるが、その犯行手段としては、個人または住民団体に対し脅迫状を送りまたは直接侵入し、期限を定めて金品を強要し、これに応ぜざるときは機を見て予告通り焼打ちもしくは殺傷をなしもって報復し、直接侵入して銃器その他の凶器を擬し、場合に由りては容赦なく殺傷をあえてし、金品を強奪し人質を拉致し期限を付し囘贖金を強要し、これに応ぜざれば耳鼻または指を裁りてこれを贈り催促を試み、なお目的を達せざるときは人質を惨殺する等大胆かつ強暴なる行為に出づるを常とす。…
なお銃砲火薬類の取締厳重となり、銃器の容易に得難きに至るや、不逞の徒はわが守備兵および警察官の所持する武器の掠奪を企て、巡邏中の守備兵または警察官を狙撃する事件を生ずるに至り、昭和4年中には数件の被害を見たるも、昭和5年中にはこれらに対する予防訓練も徹底し、常に賊の機先を制して未然に防ぎえたること一再に留まらず。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223815/117

このように満州は昔から馬賊が跋扈していて法治はおろか人治すらない状況にあり、民衆は仕方なく馬賊に金を払ってその頭目の力で他の馬賊からの襲撃を守ろうとしてきたのである。しかしながら満州内の混乱が進むにつれ、力を持った馬賊が「自衛」を超えて盗賊まがいの行動を取るようになり、次第に武装を強化していくことになる。満州で軍閥に成長して悪政を敷いた張作霖・張学良親子は馬賊出身で、その部下にも馬賊出身者が多かったことを知るべきである。

そして昭和6年(1931)6月に中国官憲のパスポートを携行して旅行していた中村震太郎大尉と井杉元曹長らが興安屯懇団に捕らえられて射殺され、さらに目を抉り耳をそいで焼き捨てられる事件が起きた。また9月に入ると、満州各地で馬賊による殺害事件や強盗事件が相次ぎ、関東軍は馬賊の根拠地にも出動する自力警備を始めたのだが、そんな時期に柳条湖事件が起こっているのである。
関東軍はたちまちのうちに北大営、奉天、長春、営口の各都市を占領していったのだが、前述した通り関東軍の兵力は1万数千程度に過ぎず、一方張学良が指揮する東北辺防軍は30~40万もいて飛行機や戦車などの近代的装備も備えていたのである。

【林銑十郎】
わが国政府は当初「戦線不拡大方針」で臨もうとし関東軍の増派に反対したのだが、もし増派がなければ、圧倒的に人数の多い張学良軍からの反撃は避けられず、多くの犠牲が出たことであろう。関東軍の林銑十郎朝鮮軍司令官は独断で満州に増援することを決め、昭和7年(1932)2月のハルピン占領によって関東軍による中国東北部支配が完了したのである。

柳条湖事件以降、中国の官兵や馬賊の活動のため、満州の日本人居留民に多くの犠牲が出ている。
国立国会図書館デジタルコレクションに『東三省ニ於ケル官兵匪賊暴挙実例 : 自九月十九日至十一月十五日』という記録がある。「東三省」というのは現在の遼寧省・吉林省・黒竜江省を指すが、概ね「満州国」の領土を意味している。
その書物には、58日間に165件もの民間人が犠牲になった事件が個別に記録されているのだが、この記録とて全体の一部にすぎないのだろう。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1187781/3
1932年3月に満州国が建国されると満州国軍も創建され、関東軍が従来の任務のほかに満州国軍の指揮をとることとなり、関東軍も年々増加されていく。
そして、当時満州に30万人いたとも3百万人いたともされる馬賊の討伐が関東軍によってなされて、満州の治安がようやく安定したのである。

【黄文雄】
黄文雄氏は、冒頭で紹介した『日本の植民地の真実』で関東軍についてこう解説されている。
「中国人だけでなく戦後の日本人からも、関東軍は満州侵略の張本人として悪名が高い。だが関東軍の歴史的評価の上で最も大切なのは、住民を苦しめ続けてきた軍閥、匪賊を満州から駆逐して社会に秩序をもたらし、王道楽土の近代化建設の基を築き上げたとの功績ではないだろうか。関東軍が存在しなければ、満州の地に平和は到来しなかったのだ。」(同上書 p.275-276)
私が社会人になったばかりの頃、担当した取引先の社長さんが関東軍を経験された方だった。あの当時は私も完全に『自虐史観』に洗脳されていて、関東軍は日本を戦争に引きずりこんだ元凶とのイメージが強く、その社長とは戦争の話を一切しないまま私が別の職場に転勤してしまったのだが、今から思えば随分惜しいことをした。
終戦後73年も経ち、戦争を経験した人々はほとんどこの世を去り、戦争の話を聞きたくても聞くことが出来なくなってしまっている。ほとんどの日本人にとって、日中戦争から第二次世界大戦のことはマスコミが伝える映像や解説を通じてしか知ることしかできないのが現状だが、戦後彼らが伝えてきた大正から昭和にかけての歴史は、国民を『自虐史観』に洗脳させ固定化するために描かれたものと言っては言い過ぎであろうか。
戦勝国が「自国にとって都合の良い歴史」を敗戦国に押し付けるようなことはいつの時代もよくあったこととは言え、いつまでわが国はこのような歴史叙述に付き合わされなければならないのだろうか。当時の記録を読んでいけば、「戦勝国にとって都合の悪い真実」をいくらでも見付けることかできるのだが、残念なことにわが国では戦後の長きにわたりそのような史実は封印されてきたのである。
これからの世界は米中の対立を軸に展開することになると考えるのだが、アメリカからすれば武力を用いなくとも、保有している秘密文書などから「中国にとって都合の悪い真実」を少しずつ公開して世界に広めるだけで、中国に強いダメージを与えることができる。そのようにして戦勝国の歴史が二つに割れるようになると、中国が声高に主張する歴史はその論拠が根底から崩れ、同時にわが国の『自虐史観』論者も力を失うことになるのではないだろうか。
**************************************************************
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。よろしければ、この応援ボタンをクリックしていただくと、ランキングに反映されて大変励みになります。お手数をかけて申し訳ありません。
↓ ↓




【ご参考】
このブログで「中国にとって都合の悪い真実」のいくつかを書いてきました。良かったら覗いて見てください。
蒋介石はなぜ外国人居留地であった上海で日本軍と戦ったのか~~中国排日6
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-243.html
プロパガンダでわが国に罪を擦り付け、世界を「反日」に誘導した中国~~中国排日7
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-244.html
「黄河決壊事件」の大惨事が教科書に記述されないのはなぜか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-251.html
陥落直前に無責任にも南京を脱出した中国軍の最高指揮官が栄転したのは何故か
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-253.html
蒋介石に外国の干渉を導くことを進言したドイツの軍事顧問団
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-254.html
ルーズベルトはなぜ黄色人種の中国を連合国陣営に残そうとしたのか~~米国排日11
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-271.html
軍の圧力に屈し解明できなかった、中国共産党に繋がる諜報組織
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-285.html
南京を脱出し多くの中国兵士を見捨てた蒋介石・唐生智は何を狙っていたのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-414.html
日本軍の南京攻略戦が始まる前から、中国兵の大量の死体が存在していたのではないか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-415.html
- 関連記事
-
-
「満州某重大事件」の真相を追う~~その1 2012/04/26
-
「満州某重大事件」の真相を追う~~その2 2012/04/30
-
関東軍は昭和の初期からソ連の工作活動の重要な対象であった 2018/05/17
-
関東軍が「暴走」したと描かれる背景を考える 2018/05/24
-
満州事変の当時、満州のわが国の権益を狙っていた国はどこだったのか 2018/06/01
-
関東軍が満州を制圧し満州国が建国されたことを当時の世界はどう見ていたのか 2018/06/07
-
リットン調査団と国際連盟を利用してわが国を孤立化させた列強は何を狙っていたのか 2018/06/14
-
満州人が各地で独立運動を起こしていたことが教科書などで書かれないのはなぜか 2018/06/21
-
満州に関東軍が駐留していた背景を考える 2018/06/28
-
満州の民衆が関東軍を敵視しなかったのはなぜなのか 2018/07/05
-
満州国にわが国が莫大な投資をして築き上げたインフラを掠奪した中国 2018/07/12
-
Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。
平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。
またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。
***********************
Facebook、twitterなどで記事を拡散していただいたり、リンクしていただくことは大歓迎ですが、このブログ記事のURLとブログ名は明記していただくようよろしくお願い致します。
コメント、トラックバック共に歓迎しますが、記事内容とあまり関係ない内容を論拠を示さないまま一方的に自説を唱えたり、どこかの掲示板などの文章をまるまる引用しているだけのコメントは削除させていただくことがあります。
匿名のコメントや質問にはできるかぎり対応させていただきますが、回答する場合はこのブログのコメント欄でさせていただきます。
また、お叱りや反論もお受けしますが、論拠を示さないで一方的に批難するだけのものや、汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメントなど、不適切と思われるものぱ管理人の権限で削除させて頂く場合がありますので、予めご了承ください。
***********************
- 国立国会図書館デジタルコレクション(旧近代デジタルライブラリー)
- 日本外交文書デジタルコレクション
- アジア歴史資料センター
- 神戸大学付属図書館デジタルアーカイブ新聞記事文庫
- 東京大学地震研究所図書室特別資料データベース
- 西尾幹二のインターネット日録
- 国際派日本人養成講座
- 本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」
- 美の探求者、歴史と思想を語る 田中英道HP
- 株式日記と経済展望
- 余命三年時事日記
- 金貸しは、国家を相手に金を貸す
- 渡邉良明のブログ「日本の天命・日本人の使命」
- がらくた置場 (by minaga)
- electric-journal.
- 奈津子の徒然雑記帳
- キリスト教大辞典 キリスト教の問題点について考える
- Cyberlaw
- 黒田裕樹の歴史講座
- O-TUBE
- 観仏日々帖
- まーりたんの暮らし探訪記
- 歴史~とはずがたり~
- TEL QUEL JAPON
- 美雨の部屋へようこそ
- 田舎な歳時記
- 坂の上のサインボード
- 京都・町家ぐらし
- 日本たばこ党宣言
- rakitarouのきままな日常
- 中国通史で辿る名言・故事探訪
- タッチャンの散歩
- 別府葉子公式ブログ ~葉子通信
- お迎えが来ない居候hippoponの日常
- 戦国時代を追いかけて日本の歴史つまみ食い紀行
- 実業の世界
- 遊びをせんとや生まれけん! 戯れせんとや生まれけん!
- 難関突破~技術士番外編~
- 寺社建築と文化財探訪<TIAS>
- 見るは法楽 HDR
- 五月花の羊
- 東京近代史研究所
- 九州戦国史~室町末期から江戸初期まで
- 日本古代史つれづれブログ
- 授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」
- ブルガリア研究室
- 木庵先生の独り言
- 横須賀★久里浜☆温故知新
- 美しき世の面影
- 親子チョコ♥(親子で、ちょこっと。。。)
- 正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
- 失われた日本史 にきみたまの道
- たかちほのブログ
- ねずさんのひとりごと
- ぼやきくっきり
- 日本人の縄文思想と稲作のルーツ
- 短足おじさんの一言
- 私たちの過去と未来
- 心の風景
- 高天原の縁側日記
- ゴトーチたまて箱
- 石田泉城古代日記コダイアリー
- CHIYOROZU.INFO
- PINGOO! メモリーボード
- 「しばやんの日々」今月の人気ページランキング (上位500)
- 管理画面
- しばやん:戊辰戦争で官軍は東北地方で乱暴狼藉を繰り返した (02/05)
- :戊辰戦争で官軍は東北地方で乱暴狼藉を繰り返した (02/05)
- しばやん:明治の皇室と仏教 (01/13)
- :明治の皇室と仏教 (01/12)
- しばやん:大倉財閥の祖・大倉喜八郎が鰹節屋の小僧から独立し巨富を得た経緯 (01/06)
- ユーアイネットショップ店長うちまる:大倉財閥の祖・大倉喜八郎が鰹節屋の小僧から独立し巨富を得た経緯 (01/06)
- しばやん:正式な手続きなしで「東京遷都」が強行された背景を考える (01/05)
- 年金生活者:正式な手続きなしで「東京遷都」が強行された背景を考える (01/05)
- しばやん:2019年新年のご挨拶 (01/04)
- しばやん:正式な手続きなしで「東京遷都」が強行された背景を考える (01/04)
- ラングドック・ラングドシャ:2019年新年のご挨拶 (01/04)
- 年金生活者:正式な手続きなしで「東京遷都」が強行された背景を考える (01/04)
- しばやん:なぜ討幕派が排仏思想と結びつき、歴史ある寺院や文化財が破壊されていったのか (01/02)
- 年金生活者:なぜ討幕派が排仏思想と結びつき、歴史ある寺院や文化財が破壊されていったのか (01/02)
- しばやん:なぜ討幕派が排仏思想と結びつき、歴史ある寺院や文化財が破壊されていったのか (01/02)
- 年金生活者:なぜ討幕派が排仏思想と結びつき、歴史ある寺院や文化財が破壊されていったのか (01/02)
- しばやん:2019年新年のご挨拶 (01/02)
- 憂國トラッカー:2019年新年のご挨拶 (01/01)
- つねまる:2019年新年のご挨拶 (01/01)
- しばやん:2019年新年のご挨拶 (01/01)
- 失われた日本史 にきみたまの道:「親中派」が底値買いするために日本は敗戦させられたのではないのか? (07/17)
- 失われた日本史 にきみたまの道:神戸又新日報に昭和8年に報道されたフリーメーソン記事 (06/15)
- 模糊の旅人:仁徳天皇陵古墳の真の被葬者は誰か? 百舌鳥古墳群と古市古墳群の被葬者の比定 (04/19)
- 失われた日本史 にきみたまの道:大河ドラマ 幕末・明治ものは絶滅するかもしれない (01/28)
- 失われた日本史 にきみたまの道:日露戦争におけるドイツの思惑 (01/16)
- 失われた日本史 にきみたまの道:「勝てば官軍負ければ賊軍」の隠された意味 (01/15)
- 失われた日本史 にきみたまの道:廃藩置県の郷土史的意味 (12/25)
- Coffee, Cigarettes & Music:記事「大航海時代に日本が侵略されなかった理由wwwww」について(16) (12/06)
- Coffee, Cigarettes & Music:記事「大航海時代に日本が侵略されなかった理由wwwww」について(15) (11/20)
- Coffee, Cigarettes & Music:記事「大航海時代に日本が侵略されなかった理由wwwww」について(14) (11/12)
- 鹿鳴館時代に検討されていた条約改正案は欧米に媚びる内容で世論の大反対を受けた (02/12)
- 極端な欧化主義でわが国の伝統文化や景観破壊を推進した政治家は誰なのか (02/06)
- 『文明開化』施策という極端な欧化主義政策と日本の伝統文化破壊 (01/29)
- 『文明開化』で旧来の制度や習慣を西洋化しようとした政府と、それに抵抗した人々 (01/22)
- 『文明開化』における新旧風俗の大混乱 (01/16)
- 大倉喜八郎が事業を発展させたきっかけと、儲けた金の使い方 (01/10)
- 大倉財閥の祖・大倉喜八郎が鰹節屋の小僧から独立し巨富を得た経緯 (01/05)
- 2019年新年のご挨拶 (01/01)
- 明治政府の薩長対立の中を生き抜いた藤田伝三郎の人脈と藤田コレクション (12/26)
- 奇兵隊に参加し失明した藤田伝三郎が大富豪となるきっかけとなった人物との出会い (12/19)
- 攘夷や倒幕に突き進んだ長州藩の志士たちの資金源はどこにあったのか (12/13)
- 日露戦争・旅順港閉塞作戦に協力した右近家から敦賀に向かう……越前の歴史散策4 (12/06)
- 瀧谷寺から越前海岸の景勝地と北前船で栄えた河野浦を訪ねて~~越前の歴史散策3 (11/29)
- 継体天皇ゆかりの足羽山から紅葉名所の大安禅寺へ ~~越前の歴史散策2 (11/22)
- 越前和紙で栄えた地域の歴史と文化と伝統の味を楽しむ~~越前の歴史散策1 (11/15)
- 明治政府にとって「徴兵制」のハードルは高かった (11/08)
- 明治時代の自虐史観と、「開発」行為による文化・景観破壊 (11/01)
- 甲賀の総社・油日神社、平安仏の宝庫・櫟野寺などを訪ねて~~甲賀歴史散策その2 (10/25)
- 現存する唯一の忍術屋敷を訪ねて~~甲賀歴史散策その1 (10/18)
- わが国史上最大の火山災害である「島原大変」の被害者の大半は津波で死亡した (10/11)
- 平家滅亡のあと畿内を襲った元暦2年7月の大地震 (10/04)
- 戦国時代の歴史を動かした天正地震 (09/27)
- 敗戦後の混乱期に日本列島を襲った「昭和南海地震」 (09/20)
- 地震がなかったにもかかわらず三陸海岸を中心に日本列島を襲った大津波~~チリ津波 (09/13)
- 由良要塞の一部である深山砲台の跡地と淡島神社などを訪ねて~~加太の歴史散策 (09/06)
- 紀伊国屋文左衛門がみかん船で大儲けしたという話は真実か (08/30)
- 江戸時代に大阪が商業の中心地として栄えた理由と、豪商・淀屋の闕所処分を考える (08/23)
- 綱吉の治世後半を襲った相次ぐ大災害の復興資金を、幕府はいかに捻出しようとしたか (08/16)
- 徳川綱吉の『生類憐みの令』を悪法とする通説が見直されているのはなぜか (08/10)
- 鳳来寺の神仏分離と日本の百名洞・乳岩峡などを訪ねて (08/02)
- 長篠の戦の武田勝頼公本陣跡から満光寺庭園、阿寺の七滝などを訪ねて (07/26)
- 長篠城址と長篠の戦いの決戦の地を訪ねて (07/19)
- 満州国にわが国が莫大な投資をして築き上げたインフラを掠奪した中国 (07/12)
- 満州の民衆が関東軍を敵視しなかったのはなぜなのか (07/05)
- 満州に関東軍が駐留していた背景を考える (06/28)
- 満州人が各地で独立運動を起こしていたことが教科書などで書かれないのはなぜか (06/21)
- リットン調査団と国際連盟を利用してわが国を孤立化させた列強は何を狙っていたのか (06/14)
- 関東軍が満州を制圧し満州国が建国されたことを当時の世界はどう見ていたのか (06/07)
- 満州事変の当時、満州のわが国の権益を狙っていた国はどこだったのか (06/01)
- 関東軍が「暴走」したと描かれる背景を考える (05/24)
- 関東軍は昭和の初期からソ連の工作活動の重要な対象であった (05/17)
- 仏教伝来から神仏習合に至り、明治維新で神仏分離が行われた経緯を考える (05/11)
- 日本三大山車祭の一つ、長浜曳山祭の歴史と子ども歌舞伎 (05/03)
- 神仏習合の聖地であった竹生島で強行された明治初期の神仏分離と僧侶の抵抗 (04/26)
- 滋賀県に残された神仏習合の景観などを楽しんで~~邇々杵神社、赤後寺他 (04/19)
- 旧幕府の軍艦で脱走を図り、明治政府とは別の政権を誕生させた榎本武揚とその後 (04/12)
- 厳寒の痩せ地に移住した会津藩士たちの飢餓との戦いとその後 (04/05)
- 会津籠城戦と鶴ヶ城落城後の動き (03/29)
- 白虎隊悲話と会津藩士家族の相次ぐ殉死~~~会津戊辰戦争 (03/22)
- 暴れ川として知られる吉野川の流域を豊かにした阿波藍と徳島の伝統文化 (03/15)

同上 電子書籍
同上 自由選書版
江崎道郎氏がコミンテルンの秘密工作を追究するアメリカの研究を紹介しておられます
落合道夫氏もスターリンの国際戦略に着目した著書を出されました
この本で張作霖爆殺事件の河本大佐主犯説が完全に覆されました
南京大虐殺の虚妄を暴く第一級史料。GHQ発禁本の復刻版