
コースははづ別館から浮石橋を渡り、ゆーゆーありーなから渡瀬橋を渡ったのち乙女沢遊歩道を歩いて不動の滝を巡るコースである。

宇連川は黄褐色の岩の上を流れていて、川底が板を敷いたように見えるため、板敷川とも呼ばれている。夜間の放射冷却で気温が低くなった空気が、暖かい水面付近の空気に触れて、川霧が発生しているのが幻想的だ。

湯谷温泉の上下流約5キロは鳳来峡と呼ばれ、紅葉の名所でもある。上の画像は渡瀬橋から上流を撮ったものだが、このあたりの紅葉はさぞ美しいことだろう。

渡瀬橋を渡り左折して少し進むと不動の滝の入り口があるのでそこを右折。JR飯田線の踏切を渡り、深い緑に覆われたゆるやかな沢沿いの道を歩いて行く。

700mほど歩くと不動の滝がある。高さは10mぐらいで水量はそれほど多くない。滝の前に鳥居があり、幟には荒沢不動明王と記されていて滝の前には鳥居がある。
存分に森林浴を楽しんだのち旅館に戻り、朝食を終えてお世話になった旅館をチェックアウトして、鳳来寺山パークウェイを走り山上駐車場に向かう。

鳳来寺山は、約2000万年前の火山活動で形成された標高695mの死火山で、山全体が国の名勝および天然記念物に指定されている。
その幻想的な岩肌が古くから人々の信仰の対象となって、山岳修験道の霊山として人々の信仰を集めてきたのである。
鳳来寺の寺伝によると大宝2年(702)に利修仙人が開山したとされるが、鎌倉時代には三河七御堂の一つとして栄え、戦国時代からは松平家との関係が深まっていったという。
『東照宮縁起』によると、松平広忠が天文10年(1541)に於大(おだい)と結婚し、立派な男児をさずかるようにと祈願した後、於大は懐妊し男児(のちの徳川家康)が誕生した。
その様な経緯からこの寺は江戸幕府の庇護を受けることとなり、三代将軍徳川家光の命により鳳来山東照宮の建築が行われたという。
鳳来寺の最盛期は21院坊、寺領1350石の寺勢を誇ったが、江戸幕府の崩壊後神仏分離令により鳳来寺と東照宮は分離されたうえに寺社領は没収されて大打撃を受け、東照宮が命脈を保つ一方で鳳来寺の衰勢は著しかった。さらに明治8年(1875)5月の火災で本堂および多くの堂宇を失い、その後もしばしば起こった火災で大半の文化財が失われてしまったという。
とはいいながら、鳳来寺の衰勢の原因は火災だけではなかったようだ。

『明治維新 神仏分離史料 第五巻』にはこう記されている。
「東照廟の別当を日光輪王寺の配下に置き、薬師堂を高野山の配下に置いた事は、延いて天台・真言両宗の駢立*となり、その間自ら軋轢をなし、維新の後に於いても尚一致せず、益々衰亡の勢いを強めたのである。(しかしこの点は、その後両派の管長の協議によって両宗合一して、真言宗高野派に専属することとなり、明治39年11月12日に允許せられた。)」(『明治維新 神仏分離史料 第五巻』p.185)
要するに鳳来寺の再建のリーダーシップを執るべき宗派があいまいな状態が30年以上続いたことも、鳳来寺全体の衰微を早めた大きな要因になったという。
*駢立(べんりつ):並び立つこと

上の画像は江戸時代後期に刊行された『東海道名所図会 巻三』にある鳳来山伽藍図で、多くの堂宇が描かれているのだが、今では東照宮と鳳来寺本堂と仁王門、鐘楼、および松高院と医王院が現存しているだけで、廃絶された諸僧坊跡地には石碑が建てられているという。

山上駐車場から歩いて東照宮まで向かう途中に、鏡岩と呼ばれる大きな岩が見えてくる。上の画像の中央にあるのが鏡岩で、屋根が見えている建物が鳳来寺の鐘楼である。

駐車場からは歩いて10分程度で鳳来山東照宮に到着する。

東照宮の内部が公開されていないのは残念だが、建物は慶安4年(1651)の造営によるもので、屋根はいずれも檜皮葺である。昭和28年(1953)に、本殿・拝殿・幣殿・中門・透塀・石柵・石灯篭などが国の重要文化財に指定されている。残念ながら御供殿は昭和30年(1955)に焼失してしまったがその他の建物は護られて、創建当時の華麗荘厳な姿を今に残している。

東照宮から鳳来寺本堂までは歩いて5分もかからない。
先ほど明治8年(1875)に火災で本堂などを焼失したことを書いたが、明治13年(1880)に再興された本堂や庫裏も大正3年(1914)に再び焼失してしまい、現存の建物は昭和49年(1974)に建てられたものだという。上の画像はその本堂で、左にある巨大な岩は鏡岩である。
この本堂の前の田楽堂で毎年1月3日に鳳来寺田楽が奉納されるのだという。
https://www.youtube.com/watch?v=rfL1I927T6Y
上の動画は5年前に撮影されたものだが、その年の五穀豊穣、悪霊退散等を願って天狗、獅子舞、稚児の舞、祈願の舞などが披露されるという。鳳来寺田楽は、室町時代から続けられている伝統行事であり、新城市黒沢の田楽、北設楽郡設楽町田峰の田楽とともに国の重要無形民俗文化財に指定されているのだそうだ。
鳳来寺の建物で唯一国の文化財に指定されているのが仁王門。江戸幕府三代将軍家光の寄進によって建てられたものだが、鳳来寺の中心部から離れていたことから焼けずに残されてきた。

寺や神社は、本来は参道を登って正面から参拝すべきなのだろうが、鳳来寺を参道から上るとすると1425段もある石段を登らなければならない。山上の駐車場を用いることはかなりの時間短縮になるのだが、鳳来寺本堂から仁王門に歩いて行こうとすると、片道で900m近くの階段の昇り降りが必要になる。

旅館の方から、仁王門は参道の駐車場から歩いたほうが楽だと言われてそうしたのだが、石段の登り口から仁王門までの距離が300m、参道の駐車場から石段の登り口までもそれなりの距離があったので、結果的にはそれほど時間短縮にならなかったかもしれない。

上の画像が仁王門で、入母屋造り銅板葺きで朱塗りの美しい楼門である。左右の仁王像は江戸時代の仏師・法橋雲海が制作したもので、新城市の文化財に指定されている。
鳳来寺山で時間短縮を図った理由は、その次の目的地である乳岩峡(ちいわきょう)に行くために体力を温存したかったからである。
先ほどは鳳来寺山が国名勝で天然記念物であることを述べたが、乳岩と乳岩峡も同様に国名勝で天然記念物である。1時間少しで出発地点に戻れるハイキングコースではあるのだが、かなりスリリングなコースらしいので旅程に入れていた。

駐車場から乳岩峡に入る。このあたりの河床は平坦な一枚岩のようだ。

しばらく乳岩川沿いを進むと目の前に巨大な岩が聳え立つ場所に到達する。はじめは普通の階段を進んでいくのだが、途中から垂直に近い鉄の梯子を何本も登っていくことになる。

鉄の梯子を撮ったつもりであったが、カメラを持つ手が震えていたのか、少し画像がブレてしまった。

梯子を登り切り、急坂を抜けてさらに進むと、真ん中にぽっかりと穴が開いた通天門という岩に到達する。この景観に感動してしまった。
ここからは下りになり、鉄の階段があるので比較的降りやすく、登りのような恐怖感はない。

しばらく歩くと、大きな岩の割れ目に向かって階段が続いていて、一番上まで登ると通天洞と呼ばれるドーム状の空間の中に入る。そこには石仏が並べられている。
脚力に自信のない方にはあまり勧められないが、このハイキングコースはスリリングで景色も素晴らしく、1時間とすこしでスタート地点に戻ることが出来るというのは旅行者にとってはありがたい。紅葉の季節や新緑の季節はもっと素晴らしい景色が楽しめることだと思う。

乳岩峡をあとにして湯谷温泉まで戻り、田舎茶屋まつやで昼食をとった。
そばを食したあと勧められて五平餅を注文したが、ほくほくの五平餅は香ばしくて旨かった。
まつやでお土産などを買っててから、最後の目的地である四谷の千枚田に向かった。実は鳳来寺の参道と仁王門は、この時に寄り道して撮影したものである。
千枚田のある四谷地区は標高833mの鞍掛山の南西斜面に広がる山間集落で、石積みの棚田は標高220mから420m付近に広がって、落差は約200mもあるのだそうだ。

上の画像は棚田を下から眺めたものだが、正面の美しい山が鞍掛山である。この山の中腹から毎秒20リットルの清水が沢に流れて棚田を潤しているのだそうだ。
明治37年7月10日に鞍掛山に隣接する山が崩れて山津波が起こり、死者11名、家屋流出10戸という大惨事をもたらし、美しい棚田が崩壊したことがあったのだそうだが、地域の人々はわずか5年で石積みの棚田を蘇らせたのだという。
なぜ、このような大災害が起きたにもかかわらず、地域の人々は棚田を再生させようとしたのだろうか。それは、棚田がある方が地域にとって安全であることが理解されていたからではないか。

新城市のホームページに四谷の千枚田についてこのように解説されている。
「山の傾斜地に作られた千枚田は、そのあぜや石垣によって大雨の際の土壌浸食を防ぎ、またその保水機能によって調整池の役割を果たし、水が一気に流水するのを抑える災害防止機能を備えています。」
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/8,46205,149,722,html
川は流域が狭ければ狭いほど川の流量の増加により水位が上がって決壊しやすくなることは当然のことで、広い棚田があれば、たとえ記録的な集中豪雨があっても、棚田の面積全体でその水量の増加を受け止めることになるので、水害が発生する危険性は極めて低くなるのである。
今年の7月の豪雨は各地で大災害をもたらしたが、川の堤防を高くしたり下水道で水を逃がす発想では、そのキャパを超えるような集中豪雨の場合には、災害リスクを避けることに限界がある。
昔の日本人は、自ら土砂災害の危険から守るために、危険な場所に棚田を作ることで水と共生するという方法を考案したのだが、そのような発想が今のわが国に欠落しているのではないだろうか。
棚田はただ風景を楽しむだけではなく、防災観点から棚田を残すことも必要なのだと思う。
そのためには、生産者が棚田で米を作ることで豊かになれることが不可欠である。この四谷の千枚田で生産されたお米をブランド米として、現地やネットなどで販売することができないものだろうか。大手流通を通さずに直接消費者に販売することが出来れば、生産者は今よりももっと潤うことにはならないか。
そんなことを考えながら、2日間の新城市の旅を終えることにした。
**************************************************************
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。よろしければ、この応援ボタンをクリックしていただくと、ランキングに反映されて大変励みになります。お手数をかけて申し訳ありません。
↓ ↓




- 関連記事
-
-
長篠城址と長篠の戦いの決戦の地を訪ねて 2018/07/19
-
長篠の戦の武田勝頼公本陣跡から満光寺庭園、阿寺の七滝などを訪ねて 2018/07/26
-
鳳来寺の神仏分離と日本の百名洞・乳岩峡などを訪ねて 2018/08/02
-
Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。
平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。
またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。
***********************
Facebook、twitterなどで記事を拡散していただいたり、リンクしていただくことは大歓迎ですが、このブログ記事のURLとブログ名は明記していただくようよろしくお願い致します。
コメント、トラックバック共に歓迎しますが、記事内容とあまり関係ない内容を論拠を示さないまま一方的に自説を唱えたり、どこかの掲示板などの文章をまるまる引用しているだけのコメントは削除させていただくことがあります。
匿名のコメントや質問にはできるかぎり対応させていただきますが、回答する場合はこのブログのコメント欄でさせていただきます。
また、お叱りや反論もお受けしますが、論拠を示さないで一方的に批難するだけのものや、汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメントなど、不適切と思われるものぱ管理人の権限で削除させて頂く場合がありますので、予めご了承ください。
***********************
- 国立国会図書館デジタルコレクション(旧近代デジタルライブラリー)
- 日本外交文書デジタルコレクション
- アジア歴史資料センター
- 神戸大学付属図書館デジタルアーカイブ新聞記事文庫
- 東京大学地震研究所図書室特別資料データベース
- 西尾幹二のインターネット日録
- 国際派日本人養成講座
- 本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」
- 美の探求者、歴史と思想を語る 田中英道HP
- 株式日記と経済展望
- 余命三年時事日記
- 金貸しは、国家を相手に金を貸す
- 渡邉良明のブログ「日本の天命・日本人の使命」
- がらくた置場 (by minaga)
- electric-journal.
- 奈津子の徒然雑記帳
- キリスト教大辞典 キリスト教の問題点について考える
- Cyberlaw
- 黒田裕樹の歴史講座
- O-TUBE
- 観仏日々帖
- まーりたんの暮らし探訪記
- 歴史~とはずがたり~
- TEL QUEL JAPON
- 美雨の部屋へようこそ
- 田舎な歳時記
- 坂の上のサインボード
- 京都・町家ぐらし
- 日本たばこ党宣言
- rakitarouのきままな日常
- 中国通史で辿る名言・故事探訪
- タッチャンの散歩
- 別府葉子公式ブログ ~葉子通信
- お迎えが来ない居候hippoponの日常
- 戦国時代を追いかけて日本の歴史つまみ食い紀行
- 実業の世界
- 遊びをせんとや生まれけん! 戯れせんとや生まれけん!
- 難関突破~技術士番外編~
- 寺社建築と文化財探訪<TIAS>
- 見るは法楽 HDR
- 五月花の羊
- 東京近代史研究所
- 九州戦国史~室町末期から江戸初期まで
- 日本古代史つれづれブログ
- 授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」
- ブルガリア研究室
- 木庵先生の独り言
- 横須賀★久里浜☆温故知新
- 美しき世の面影
- 親子チョコ♥(親子で、ちょこっと。。。)
- 正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
- 失われた日本史 にきみたまの道
- たかちほのブログ
- ねずさんのひとりごと
- ぼやきくっきり
- 日本人の縄文思想と稲作のルーツ
- 短足おじさんの一言
- 私たちの過去と未来
- 心の風景
- 高天原の縁側日記
- ゴトーチたまて箱
- 石田泉城古代日記コダイアリー
- CHIYOROZU.INFO
- PINGOO! メモリーボード
- 「しばやんの日々」今月の人気ページランキング (上位500)
- 管理画面
- しばやん:戊辰戦争で官軍は東北地方で乱暴狼藉を繰り返した (02/05)
- :戊辰戦争で官軍は東北地方で乱暴狼藉を繰り返した (02/05)
- しばやん:明治の皇室と仏教 (01/13)
- :明治の皇室と仏教 (01/12)
- しばやん:大倉財閥の祖・大倉喜八郎が鰹節屋の小僧から独立し巨富を得た経緯 (01/06)
- ユーアイネットショップ店長うちまる:大倉財閥の祖・大倉喜八郎が鰹節屋の小僧から独立し巨富を得た経緯 (01/06)
- しばやん:正式な手続きなしで「東京遷都」が強行された背景を考える (01/05)
- 年金生活者:正式な手続きなしで「東京遷都」が強行された背景を考える (01/05)
- しばやん:2019年新年のご挨拶 (01/04)
- しばやん:正式な手続きなしで「東京遷都」が強行された背景を考える (01/04)
- ラングドック・ラングドシャ:2019年新年のご挨拶 (01/04)
- 年金生活者:正式な手続きなしで「東京遷都」が強行された背景を考える (01/04)
- しばやん:なぜ討幕派が排仏思想と結びつき、歴史ある寺院や文化財が破壊されていったのか (01/02)
- 年金生活者:なぜ討幕派が排仏思想と結びつき、歴史ある寺院や文化財が破壊されていったのか (01/02)
- しばやん:なぜ討幕派が排仏思想と結びつき、歴史ある寺院や文化財が破壊されていったのか (01/02)
- 年金生活者:なぜ討幕派が排仏思想と結びつき、歴史ある寺院や文化財が破壊されていったのか (01/02)
- しばやん:2019年新年のご挨拶 (01/02)
- 憂國トラッカー:2019年新年のご挨拶 (01/01)
- つねまる:2019年新年のご挨拶 (01/01)
- しばやん:2019年新年のご挨拶 (01/01)
- 失われた日本史 にきみたまの道:「親中派」が底値買いするために日本は敗戦させられたのではないのか? (07/17)
- 失われた日本史 にきみたまの道:神戸又新日報に昭和8年に報道されたフリーメーソン記事 (06/15)
- 模糊の旅人:仁徳天皇陵古墳の真の被葬者は誰か? 百舌鳥古墳群と古市古墳群の被葬者の比定 (04/19)
- 失われた日本史 にきみたまの道:大河ドラマ 幕末・明治ものは絶滅するかもしれない (01/28)
- 失われた日本史 にきみたまの道:日露戦争におけるドイツの思惑 (01/16)
- 失われた日本史 にきみたまの道:「勝てば官軍負ければ賊軍」の隠された意味 (01/15)
- 失われた日本史 にきみたまの道:廃藩置県の郷土史的意味 (12/25)
- Coffee, Cigarettes & Music:記事「大航海時代に日本が侵略されなかった理由wwwww」について(16) (12/06)
- Coffee, Cigarettes & Music:記事「大航海時代に日本が侵略されなかった理由wwwww」について(15) (11/20)
- Coffee, Cigarettes & Music:記事「大航海時代に日本が侵略されなかった理由wwwww」について(14) (11/12)
- 大日本帝国憲法が発布された日に初代文部大臣・森有禮が暗殺された事情 (02/19)
- 鹿鳴館時代に検討されていた条約改正案は欧米に媚びる内容で世論の大反対を受けた (02/12)
- 極端な欧化主義でわが国の伝統文化や景観破壊を推進した政治家は誰なのか (02/06)
- 『文明開化』施策という極端な欧化主義政策と日本の伝統文化破壊 (01/29)
- 『文明開化』で旧来の制度や習慣を西洋化しようとした政府と、それに抵抗した人々 (01/22)
- 『文明開化』における新旧風俗の大混乱 (01/16)
- 大倉喜八郎が事業を発展させたきっかけと、儲けた金の使い方 (01/10)
- 大倉財閥の祖・大倉喜八郎が鰹節屋の小僧から独立し巨富を得た経緯 (01/05)
- 2019年新年のご挨拶 (01/01)
- 明治政府の薩長対立の中を生き抜いた藤田伝三郎の人脈と藤田コレクション (12/26)
- 奇兵隊に参加し失明した藤田伝三郎が大富豪となるきっかけとなった人物との出会い (12/19)
- 攘夷や倒幕に突き進んだ長州藩の志士たちの資金源はどこにあったのか (12/13)
- 日露戦争・旅順港閉塞作戦に協力した右近家から敦賀に向かう……越前の歴史散策4 (12/06)
- 瀧谷寺から越前海岸の景勝地と北前船で栄えた河野浦を訪ねて~~越前の歴史散策3 (11/29)
- 継体天皇ゆかりの足羽山から紅葉名所の大安禅寺へ ~~越前の歴史散策2 (11/22)
- 越前和紙で栄えた地域の歴史と文化と伝統の味を楽しむ~~越前の歴史散策1 (11/15)
- 明治政府にとって「徴兵制」のハードルは高かった (11/08)
- 明治時代の自虐史観と、「開発」行為による文化・景観破壊 (11/01)
- 甲賀の総社・油日神社、平安仏の宝庫・櫟野寺などを訪ねて~~甲賀歴史散策その2 (10/25)
- 現存する唯一の忍術屋敷を訪ねて~~甲賀歴史散策その1 (10/18)
- わが国史上最大の火山災害である「島原大変」の被害者の大半は津波で死亡した (10/11)
- 平家滅亡のあと畿内を襲った元暦2年7月の大地震 (10/04)
- 戦国時代の歴史を動かした天正地震 (09/27)
- 敗戦後の混乱期に日本列島を襲った「昭和南海地震」 (09/20)
- 地震がなかったにもかかわらず三陸海岸を中心に日本列島を襲った大津波~~チリ津波 (09/13)
- 由良要塞の一部である深山砲台の跡地と淡島神社などを訪ねて~~加太の歴史散策 (09/06)
- 紀伊国屋文左衛門がみかん船で大儲けしたという話は真実か (08/30)
- 江戸時代に大阪が商業の中心地として栄えた理由と、豪商・淀屋の闕所処分を考える (08/23)
- 綱吉の治世後半を襲った相次ぐ大災害の復興資金を、幕府はいかに捻出しようとしたか (08/16)
- 徳川綱吉の『生類憐みの令』を悪法とする通説が見直されているのはなぜか (08/10)
- 鳳来寺の神仏分離と日本の百名洞・乳岩峡などを訪ねて (08/02)
- 長篠の戦の武田勝頼公本陣跡から満光寺庭園、阿寺の七滝などを訪ねて (07/26)
- 長篠城址と長篠の戦いの決戦の地を訪ねて (07/19)
- 満州国にわが国が莫大な投資をして築き上げたインフラを掠奪した中国 (07/12)
- 満州の民衆が関東軍を敵視しなかったのはなぜなのか (07/05)
- 満州に関東軍が駐留していた背景を考える (06/28)
- 満州人が各地で独立運動を起こしていたことが教科書などで書かれないのはなぜか (06/21)
- リットン調査団と国際連盟を利用してわが国を孤立化させた列強は何を狙っていたのか (06/14)
- 関東軍が満州を制圧し満州国が建国されたことを当時の世界はどう見ていたのか (06/07)
- 満州事変の当時、満州のわが国の権益を狙っていた国はどこだったのか (06/01)
- 関東軍が「暴走」したと描かれる背景を考える (05/24)
- 関東軍は昭和の初期からソ連の工作活動の重要な対象であった (05/17)
- 仏教伝来から神仏習合に至り、明治維新で神仏分離が行われた経緯を考える (05/11)
- 日本三大山車祭の一つ、長浜曳山祭の歴史と子ども歌舞伎 (05/03)
- 神仏習合の聖地であった竹生島で強行された明治初期の神仏分離と僧侶の抵抗 (04/26)
- 滋賀県に残された神仏習合の景観などを楽しんで~~邇々杵神社、赤後寺他 (04/19)
- 旧幕府の軍艦で脱走を図り、明治政府とは別の政権を誕生させた榎本武揚とその後 (04/12)
- 厳寒の痩せ地に移住した会津藩士たちの飢餓との戦いとその後 (04/05)
- 会津籠城戦と鶴ヶ城落城後の動き (03/29)
- 白虎隊悲話と会津藩士家族の相次ぐ殉死~~~会津戊辰戦争 (03/22)
同上 電子書籍
同上 自由選書版
江崎道郎氏がコミンテルンの秘密工作を追究するアメリカの研究を紹介しておられます
落合道夫氏もスターリンの国際戦略に着目した著書を出されました
この本で張作霖爆殺事件の河本大佐主犯説が完全に覆されました
南京大虐殺の虚妄を暴く第一級史料。GHQ発禁本の復刻版
