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厳島神社と「雛めぐり」

昨年の春、桜の咲くころに宮島に旅行した。

宮島・広島・尾道・福山 063

鮮やかな朱色の鳥居や厳島神社の建物が青い海の色に映えて、あちこちで咲く桜の花がまた美しくて絵になる景色がいっぱいで、何枚も写真を撮った。

平清盛が厳島神社に平家納経を奉納したことからわかるように、この宮島も明治になる前は神仏習合の地であり、大聖院という寺院が宮島全体の僧を束ね、厳島神社の祭祀をつかさどってきた経緯にある。
ところが明治初期の廃仏毀釈で7つの寺院を残してすべての寺院を廃寺にし、厳島神社にあった厳島弁財天や千畳閣にあった釈迦如来坐像などを大願寺に移し、仏像や仏具がなくなった千畳閣は豊国神社の建物になったのだが、宮島ではあまり激しい破壊活動は起こらず、比較的古いものが残されているとのことだ。

宮島千畳敷内部 058

上の写真は千畳閣の内部だが、この祠があるあたりに本尊の釈迦如来座像があったのだろうか。

大願寺と狛犬

上の写真は大願寺で、お寺であるのに狛犬があるのが面白い。厳島弁財天や千畳閣の仏像はここに移されたとのことであるが、今回は、廃仏毀釈の話題はこれくらいにしておこう。

厳島神社の参拝を終えて古い街並みを歩いているとたまたま「雛めぐり」というイベントが宮島民俗博物館ほか何か所かで行われていて、時間がなかったので2か所だけ訪問したが、江戸時代から伝わる立派な雛人形をいくつも見ることができた。

もうすぐひな祭り(桃の節句)の日なのだが、太陽暦ではこの日に桃が咲くことはない。旧暦の3月3日は太陽暦の4月初めにあたり、この時期ならば「桃の節句」という言葉が良く理解できる。
宮島では毎年旧暦の桃の節句前の10日間(3/25~4/3)に、この「雛めぐり」を行っているようである。宮島には古い雛人形を持つ家が何件もあって、毎年展示される人形が変わるそうである。今年のパンフレットが次のサイトに出ている。
http://www.miyajima.or.jp/new/wp-content/uploads/2010/02/e38381e383a9e382b7e8a1a81.pdf
宮島雛めぐり2

上の写真はある旧家で展示されていたものだが、手前の円卓に並べられているものが大正時代のもの。奥の7段のものが昭和時代でその左右の雛人形は江戸時代のものだそうだ。
良く見ると、お内裏様とお雛様の左右の位置が時代によって変わっているのに気がつく。

古来の日本の考え方では、「左」が上位を意味しており、宮中においては天皇と皇后との左右の位置は左(向かって右)が天皇と決まっていたので、雛人形も向って右に男雛を置くならわしであったそうだ。 ところが、西洋では国王と王妃との左右は逆であったため、日本もそれに合わせようという考え方となり、大正天皇の即位以降は天皇と皇后との位置が変更になったそうだ。それに伴い人形の位置も次第に変わっていったということらしい。

宮島雛めぐり

上の写真も江戸時代のもので、かなり豪華なものである。建物には「紫宸殿」とかかれた扁額が掛けられている。

「節句」というのは、伝統的な年中行事を行う季節の節目になる日で、年に五回行われるので「五節句」と呼ばれる。(人日(七草)1/7、上巳(桃の節句)3/3、端午(菖蒲の節句) 5/5、七夕7/7、重陽(菊の節句)9/9)

節句の伝統行事は古代中国から日本に伝わったとされるがで、ひな祭りは三月の最初の巳の日に行われていた上巳節(じょうしせつ)と室町時代の貴族女性の人形遊びである「ひないまつり」が合わさって、原型ができたといわれ、安土桃山時代に貴族から武家社会に伝わり、さらに江戸時代には庶民の間に広まったそうだ。
中国では桃の木は、悪魔を払う神聖な木と考えられており、桃の花を飾ることは子供の無病息災を祈ることとつながっているとのことだ。

子供の頃には雛人形は京都の実家でも毎年飾っていたし、友人の家でも雛人形を部屋に飾っている家を良く見かけたが今ではどうなのだろうか。
昔は、雛人形をあまり長く飾ると女の子の婚期が遅れると考えられて、節句が過ぎるとすぐに片づけていたが、昔はこんな伝統を守って子供と一緒に人形を並べながら、子供を思う親の気持ちを伝え、子供は自分を思う親の気持ちを知り、将来はよき伴侶を早く見つけて幸せに生きることを幼いながらも考える機会を持ちえたのだと思う。

言葉だけではなかなか伝えられないものを、このような家庭の行事を通して小さい子供に伝えていく日本の伝統や風習は本当に素晴らしいと思うのだが、最近の日本人はこのような昔のやり方をあまりに軽視してはいないだろうか。親がいくら子供にお金を使って物を買い与えても、肝心なことが子供に伝えられなければ意味がない。
伝統や風習には様々な先人の様々な英知が詰まっており、長い年月をかけて検証された成功体験があるからこそ、これだけ長く続いているのだということを、振り返るべき時に来ているような気がする。
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数奇な運命をたどって岡山県西大寺に残された「こんぴらさん」の仏像

先月の徳島県祖谷(いや)地方から「こんぴらさん」を巡る旅行の下調べをしていた時に、「こんぴらさん」の2体の仏像が海を渡って、「裸祭り」で名高い岡山県の西大寺観音院に安置されていることを次のサイトで知り興味を持った。
http://www.geocities.jp/rekisi_neko/konpira.html

裸祭り

どういう事情で、「こんぴらさん」の仏像が西大寺観音院に行ったのだろうか。

西大寺観音院の公式ホームページには
「…明治維新のころ神国日本は古来の神をこそ祀るべきで、渡来した神仏を祀る必要は無く、よって仏像・寺院は破壊するべきだ”という廃仏毀釈の運動が起こり、仏教は迫害された。」
「 讃岐の象頭山松尾寺金光院の鎮守として祀られていた金毘羅様もその被害を受け、松尾寺はその住職が僧職を辞し、神職として日本の海上安全の神である金刀比羅(ことひら)様に奉仕することを決め、寺院から神社へとその姿を変えた。このため多くの仏像が打ち壊しになり、これを見かねた金光院の末寺である万福院の住職宥明師が、明治7年7月12日自らの故郷である津田村君津の角南助五郎(すなみすけごろう)宅へ、金毘羅大権現の本地仏である不動明王と毘沙門天の二尊を持ち帰った。」
「その後、この話を聞いた岡山藩主池田章政公が、自らの祈願寺である下出石村の円務院に移したが、廃藩置県によって池田候は東京へ移り、当山住職の長田光阿上人が明治15年3月5日当山へ勧請した。現在は、もともと当寺の鎮守である牛玉所(ごうしょ)大権現とともに、牛玉所殿に合祀されている。(引用終わり)」と記されている。

角南助五郎の故郷である「津田村君津」とは現岡山市の南東郊外であり、宥明はこの二体の仏像を船で持ち出したことになる。今でこそ車や電車で瀬戸内海を簡単に渡れるようにはなったが、今の瀬戸内自動車道で坂出ICから早島ICから37.3kmもある。仏像が保管されていた「旭社」(前松尾寺金堂)から、629段の階段を気づかれずに運んで下りるのも大変な苦労があったろう。

西大寺不動明王

上の仏像が、「こんぴらさん」から持ち出された不動明王像。

西大寺毘沙門天

この仏像が、「こんぴらさん」から持ち出された毘沙門天像である。

前回の記事に書いたが、当時松尾寺は金光院を中心とし、その支配下に真光院、万福院、神護院、尊勝院、普門院があったが、そのうちの尊勝院、普門院がその当時神社化に強く反対したという。万福院は神社化に賛成した側であった。その万福院の住職宥明師が「こんぴらさん」の仏像2体を救ったのである。賛成した側であったからこそ、疑われずに持ち出すことが可能だったのかも知れない。

前回紹介した「六大新報」の記事では、いつ頃金刀比羅宮による仏像等の破壊があったかがはっきりしなかったが、元岡山藩主の池田章政公は明治二年の版籍奉還で岡山藩知事となり、明治4年11月の廃藩置県で免官となっているので、明治4年の秋までに仏像破壊等があり、その直前に万福院の住職宥明師が二体の仏像を持ち出したか、破壊活動中に暴風が吹いて神埼勝海総督が気絶したとされるタイミングを狙って持ち出したか良く分からないが、いずれにせよ暗夜に運び出して、大変な苦労をして角南助五郎宅に持ち込んだことと思われる。そして池田章政知事の指示で知事の祈願寺の円務院に移された時は関係者の誰もが、「これで大丈夫だ」と安心したことであろう。

ところが、先程記したとおり廃藩置県で旧藩主は知事を解任されて東京に移り、旧藩主が持ち込みを指示した円務院も、廃仏毀釈の影響で明治5年に上石井にあった興国山長延寺に合併して同所に移り、長延寺の寺号を廃して常住寺と称した後、和気郡藤野村南光院に合併移転し、ついで大正8年2月22日現在の岡山市門田の地に移り現在は金剛山常住寺円務院と呼ぶなど大変ややこしい。
http://www.asahi-net.or.jp/~wj8t-okmt/400-02-okayama-kadota-zyouzyuuzi.htm
とにかく、二体の仏像は何度も場所を変えながら数奇な運命を経て明治15年3月に西大寺住職の長田光阿(ながたこうあ)によって、西大寺観音院牛玉所殿に迎えられたのである。

四国旅行の帰りにこの仏像が見たくて西大寺観音院に立ち寄ったのだが、残念ながら秘仏のために一般公開はしていなかった。

祖谷渓・こんぴら 152

寺の僧侶によると、この二体の秘仏が安置されている牛玉所殿は現在改築中で、今年の11月3日に落慶法要が営まれるとのことである。その時の主役は牛玉大権現ではあるが、「こんぴらさん」の秘仏もこの時には見ることができるそうである。
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吉備路の古社寺を訪ねて

広島県尾道に所要があり、ただ往復するだけではもったいないので、従来から行きたかった吉備路の古社寺を訪ねてから鞆の浦で一泊する旅行をしてきた。

岡山の観光地はいろいろあるのだが、有名な岡山城、後楽園や倉敷はだいぶ前にバス旅行で行ったので、今回は吉備路の古社寺を中心に廻ることにした。

最初に訪れたのは吉備津彦神社である。
社殿の創建は第十代崇神天皇の御代とされ、大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)を鎮祭する備前国の古社で、古くから備前国の一宮として崇敬を集めてきた。
崇神天皇は三世紀に実在したと考えられており、大吉備津彦命は第七代孝霊天皇の第3皇子で、崇神天皇の御代に吉備の国を平定したとされる人物である。
古代吉備地方には温羅(うら)一族がこの地方を支配し蛮行を重ねており、吉備の人々は都へ出向いて窮状を訴えたため、崇神天皇が大吉備津彦命を派遣し、温羅を征伐したとの言い伝えがあり、総社市の鬼城山(きのじょうさん)は温羅一族が拠点としていたというのだが、この場所には、どの歴史書にも記されていない古代の山城の遺構が残されているそうだ。
この大吉備津彦命の温羅一族討伐の話が日本童話「桃太郎」のモチーフとなったと言われている。

安政の大石灯篭吉備津彦神社

吉備津彦神社の随神門を抜けると、安政6年(1859)に天下泰平を祈願して建立された「安政の大灯篭」という高さ11.5mの日本一の大灯篭がある。この灯篭の上に乗せられている笠石が8畳の広さになるとか、6段づくりの石段には1670余名の奉納者の名前が刻まれているとかいうのだが、とにかくその大きさに圧倒される。

吉備津彦神社社殿

社殿は拝殿・祭文殿・渡殿・本殿が一直線に配列され、夏至の日の太陽はこれらの社殿の真上を通って、本殿に祭られた鏡に入るのだそうだ。
残念ながら昭和5年に火災が起こって、本殿、随神門、宝物殿を残して大半の殿宇を焼失してしまった。現在の拝殿、祭文殿、渡殿は昭和11年に再建されたものであるが、画像の一番奥にある本殿は渡殿からかなり近いにも関わらず、昭和5年の火災の被害を免れている。

吉備津彦神社本殿

上の画像は本殿を近くから撮影したものだが、この本殿は元禄16年(1703)に岡山藩主の池田綱政によって造営されたものである。他の社殿は銅版葺だが、本殿は檜皮葺で古式ゆかしい雰囲気だ。桁行三間・梁間二間、屋根は前側の部分が長く伸びた流造り(ながれづくり)の流麗な建築で、県指定重要文化財となっている。

次に訪れたのは、備中国一宮の吉備津神社。この神社も「桃太郎」のモデルである大吉備津彦命を祀っている神社である。
この神社がいつごろ誰によって造営されたかについては文献もなく詳しいことは分かっていないが、吉備津彦命から五代目の孫にあたる加夜臣奈留美命(カヤオミナルミ)が、祖神として吉備津彦命をお祀りしたのを起源とする説など諸説があるようだ。

吉備津神社本殿拝殿

本殿の建坪は78.3坪(約255㎡)は京都八坂神社に次ぐ大きさで、出雲大社の2倍以上あるという。二つの屋根を一つにした特異な『比翼入母屋造』で、今の建物は室町時代、将軍足利義満の時代に約25年の歳月をかけて応永32年(1425)に再建されたもので、拝殿とともに国宝に指定されている。

吉備津神社回廊

拝殿の西側に全長360mにも及ぶ回廊がある。この建物は天正7年(1579)に再建されたもので、岡山県指定の重要文化財である。また、回廊の先にある朱塗りの門は延文2年(1357)に再建された南随神門で、吉備津神社の殿宇中で最古の建物で国の重要文化財に指定されている。
回廊を最後まで歩いたが、奥の方にはツバキ園やぼたん園があるだけで、どうしてこれだけ長い回廊が必要なのかと疑問に思ったので、自宅に帰っていろいろ調べると、昔はこの神社も神仏習合の施設で、この回廊の途中で三重塔や神宮寺などの仏教施設がいくつかあったということが分かった。寺家と社家との経済的・政治的権力闘争が起こって元文2年(1737)以降に次々と仏教施設が破壊されたのだそうだ。次のURLに三重塔の描かれた境内図が掲載されている。
http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/ato_kibitu.htm

この長い回廊の中央あたりに重要文化財の御釜殿がある。吉備津神社には鳴釜神事という特殊神事があり、釜の鳴る音で祈願したことが叶えられるかどうかを占うのだそうで、今も毎週金曜日を除く午後2時からその神事が執り行われるそうだ。
この神事の起源は先ほど述べた桃太郎のモデルである大吉備津彦命の温羅退治に由来するのだが、話が長くなるので、吉備津神社のホームページの該当のURLを紹介しておこう。
http://kibitujinja.com/narukamashinji.html

次に、最上稲荷(さいじょういなり)に車を進める。ここは、京都の伏見稲荷、愛知の豊川稲荷と並ぶ日本三大稲荷の一つとされているところで、岡山県内で唯一、明治初年の廃仏毀釈の難を免れ、今も日蓮宗系の神仏習合の祭祀形態を残していると言われており、正式名称は「最上稲荷山妙教寺」である。

最上八幡本殿

創建は寺伝では天平勝宝4年(752)に報恩大師に孝謙天皇の病気平癒の勅命が下り、八畳岩で本尊の最上位経王大菩薩を感得されたことに始まる。延暦4年(785)にも桓武天皇の病気平癒の勅命が下り、全快されたことから天皇は堂宇建立を命じ、現在の場所に「龍王山神宮寺」を建てた後、長らく繁栄したのだが戦国時代に焼失してしまい、慶長6年(1601)に領主花房家の庇護により「稲荷山妙教寺」として復興したという。

最上八幡仁王門

参道を進むと仁王門がある。旧仁王門は昭和25年(1950)の山火事で焼失したため昭和33年(1958)に再建されたものだが、インドの殿堂様式で建造された石造りの仁王門は珍しく、平成21年(2009)に登録文化財に指定されている。

最上八幡旧本殿

本殿の霊光殿は昭和54年築の建物で新しいが、旧本殿の霊応殿は寛保元年(1741)築の檜皮葺の建物で、岡山市の重要文化財に指定されている。旧本殿を取り囲むように、七十七末社がある。このうちのいくつかが国の登録有形文化財に指定されているのだが、旧本殿の近くにいると、とてもここがお寺の境内の中とは思えない。

最上稲荷77支社

更に車を進めて備中国分寺に行く。
長閑ななだらかな起伏の風土記の丘に建つこの五重塔の風景がどうしても見たくて岡山に来たようなものだが、晴天に恵まれて本当に良かった。冬の季節でもこれだけ美しいのだから、花の咲く時期や紅葉の時期はもっと素晴らしいと思う。

備中国分寺

国分寺は天平13年(741)聖武天皇の発願で各国に建立を命じられたもので、備中国分寺の創建当時は七重塔だったそうなのだが、南北朝の戦乱により堂宇を焼失し一時は廃寺となったのだが、江戸時代に再興されたとある。
現在の五重塔は文政4年7(1821)頃に再建されたもので、国の重要文化財に指定されている。高さは34.32mあり、岡山県で唯一の五重塔なのだそうだ。

備中国分寺五重塔

わが国で国宝や重要文化財に指定されている五重塔は22塔あるのだそうだが、備中国分寺の五重塔の良さは周辺の環境も含めて昔のままの風景を楽しめるところだ。これだけ広い地域にわたって田園風景を残しているなかに五重塔があるのというのが奇跡的でもあり、昔の風景もこのようなものであったのではないかと嬉しくなる。

塔見の茶屋

この五重塔を眺められる絶好の場所に「峠の茶屋」というお店がある。ちょうどお昼時だったので、ここで軽めの昼食をとった。幸運にも窓際の席が空いていたので、素晴らしい景色をずっと眺めながら食事ができたのが嬉しかった。

最後にどうしても行きたかったのが宝福寺。

寶福禅寺

この寺の創建の時期はよくわかっていないが、元来は天台宗の寺院であったらしい。鎌倉時代の貞永元年(1232)に禅僧・鈍庵慧總によって禅寺に改められた。その後、寺院は天皇の勅願寺となり隆盛を誇るも、戦国時代に三重塔を残し伽藍の全てを戦火で失い、江戸時代初期に復興されたという。

220px-Portrait_of_Sesshu.jpg

室町時代に活躍した水墨画で有名な雪舟は、応永27年 (1420)にこの近くに生まれ、幼いころにこの宝福寺に入っている。幼い頃の雪舟が住職に叱られて柱に縛られ、流した涙で床に鼠の絵を描いた話を子供の頃に読んだ記憶があるが、この話はこの宝福寺を舞台とする伝説なのだ。
その後、雪舟は10歳ごろに京都の相国寺に移り、禅の修行を積むとともに天章周文に絵を学び、後に大内氏の庇護のもとに周防へ移り、さらに明にわたって中国の画法を学んで日本に戻り、独自の水墨画風を確立したと評価されている。
以前このブログで雪舟の天橋立図(国宝)のことを書いたことがあるが、雪舟の作品で国宝に指定されているものが6点あり、重要文化財に指定されているのが13点もあるのだそうだ。

寶福禅寺三重塔

これが国指定重要文化財である宝福寺の三重塔である。白蟻の被害もあり昭和42年に解体修理に着手され44年に竣工したこともあり、朱塗りの色が今も鮮やかである。紅葉の時期はこの朱塗りの三重塔が美しい紅葉に映えて一段と素晴らしい景色になるそうだ。

この日に回った社寺は観光地としてそれほど有名な所ではないのか観光客も少なく、お土産を買うような場所はほとんどないし、食事をするような場所も少なかった。電車やバスで行くには本数が少なすぎるので、それぞれ近い場所にありながら、車でなければこれだけの社寺を廻ることは難しいだろう。
旅行者の立場からすれば、観光客が少ないことはかえってじっくり見学できて楽しめる面もあるのだが、社寺からすれば少ない収入で、これだけの文化財を保有し、広い境内を維持管理することは大変なことである。
多くの地方で、働く場所がないために若い世代の多くが地元を去り、これまで地元で神社仏閣を支えてきた人々が高齢化して、いずれ減っていくことは確実だ。いかに由緒正しき神社仏閣も、収入が少なくては文化財を維持・管理することが次第に厳しくなり、文化財を公開するための必要な人件費が出なければ公開すらできなくなるところも増えるのではないか。
以前にも書いたが、日本人が千年以上も護り続けてきた文化財を後世に残すためには、地元に多くの若い世代が残り、一人でも多くの観光客がこういうお寺や神社を訪れて、いくらかでもお金を落とすことが必要なのだと思う。
そろそろ東京一極集中に歯止めをかけないといずれはとんでもないことになるし、地方もこのような観光資源を活かす努力をしてほしいものである。
<つづく>
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Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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