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虎なら無量寺の「龍虎図」、串本の昼は萬口の鰹茶漬け

龍虎図

年賀状を準備する季節になってきた。といっても、15年ほど前からずっとパソコンで年賀状を作っているのでポイントはどの図柄を選ぶかなのだが、虎の絵なら今年見てきた無量寺にある長沢芦雪の「龍虎図」が素晴らしかったのでこの虎の顔を拡大して年賀状に使うことにした。

今年の9月に南紀方面の旅行を計画していた時に、無量寺というお寺が串本にあることを知って旅程に組み入れたのだが、実際に訪れてみると小さいお寺ではあるが、境内に日本で一番小さい美術館と言われる「串本応挙芦雪館」があり、江戸時代の画家円山応挙とその高弟長沢芦雪の素晴らしい襖絵の実物を見ることができる。

無量寺は1707年の宝永地震の津波によって全壊・流出してしまうのだが、その80年後に愚海和尚によってこの寺が再建され、和尚が京都にいたときの友人であった円山応挙がその祝いとして障壁画を12面を描き、高齢のために高弟であった長沢芦雪を南紀に呼んで残りの障壁画が作成されたとのことである。

串本・太地・勝浦・熊野旅行 008

応挙の「波上群仙図」も良いが、芦雪の「龍虎図」が強く印象に残った。
「龍虎図」は名前の通り、龍の絵と虎の絵が対になっているのだが、とにかく「虎」の絵が気に入った。

虎は実は龍を睨んでいる構図なのだが、こちらを睨みつけて今にも襲いかかってきそうなすごい迫力のある絵で、この虎の絵の前でしばらく釘づけになってしまった。芦雪はこの虎の絵を、猫をモデルにして描いたと言われているが、小さい猫を見て虎のしなやかな肢体と野性味を墨と筆だけで存分に引き出しているのは本当にすごいと思う。

p050212_03.jpg

串本は本州の最南端に位置する市だが、いろいろ見るところがあって面白いし、食べるものもおいしい。今回は、お昼のお勧めスポットを書いておきたい。

無量寺を見てから、お昼は萬口(0735-62-0344)というお店で有名な鰹茶漬けを食べることにしたが、開店前から10人以上の列ができていた。もし人が並んでいなかったら入るのをやめていたかもしれないほど、外見は相当ボロボロの建物だったが、食べてみればこれだけの列ができる理由はよくわかる。病みつきになりそうな味だ。

m0030010243_1_S2.jpg

一杯目はごはんの上に特製のごまだれで漬け込んだ薄切りの新鮮な鰹を並べて海苔をのせてたれを少し使って海鮮丼風に食べるのだが、二杯目は同様に鰹を並べて海苔をのせて残りのたれを使ってお茶をかけてお茶漬け風に食べる。こんな鰹茶漬けを出してくれる店が大阪にあれば喜んで食べに行くのだが、どなたかご存知でしたら教えてください。
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紀伊大島の樫野崎灯台、トルコ軍艦慰霊碑、海金剛など

前回串本で無量寺に行って萬口の鰹茶漬けに感激したことを書いたが、串本の旅行の当初の目的はそこからくしもと大橋を渡って紀伊大島に行き、樫野崎灯台、トルコ軍艦慰霊碑、トルコ記念館、海金剛を見ることがメインだった。

樫野崎灯台wibY01

実はこの場所をずっと前から見たいと思ってきたのだが、その理由は10年前にインターネットで次の文章を読んで感激してしまったからである。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog102.html

親善訪日施設としての役目を終えて、トルコの軍艦エルトゥールル号は帰国の途に就くのだが、1890年9月16日に紀伊大島の樫野崎で台風による強風にあおられ岩礁に激突して沈没し、587名が死亡または行方不明となる大惨事となった。

串本・太地・勝浦・熊野旅行 025

ここが有名な海金剛とよばれるところ。島の右端にみえるのが樫野崎灯台である。エルトゥールル号遭難場所はこの近くだが、遭難当時樫野崎灯台下に流れ着いた生存者は、この高さ60メートル近い断崖絶壁を這い登って灯台守に遭難を知らせたそうだ。
通報をうけた樫野の住民たちは、総出で救助と生存者の介抱にあたり、非常用のニワトリを供するなど生存者の健康回復に努め、69名が日本海軍の戦艦によって1891年1月2日に晴れて母国に帰ることができたのだが、詳しくは是非紹介したサイトの記事を読んで頂きたい。この文章を読めば、何故トルコが今なお親日国家であり、何故イランイラク戦争の時になぜ孤立した日本人のために救援機を出してくれたのかを理解することができる。

串本・太地・勝浦・熊野旅行 019

ここが遭難慰霊碑。今でも5年おきに串本町とトルコ大使館共催で慰霊祭が行われている。下はトルコ記念館だ。

トルコ記念館

この遭難事件の事はトルコの教科書にも永年記述されてきたらしいが、日本人はいいことも悪いことも忘れることが少し早すぎるのではないだろうか。昔の日本人の素晴らしい話を末長く記憶に留めておく努力が少しくらいは必要だと思う。
この日は、串本海中公園を見てから太地に向かい夕食は旅館のクジラ料理で大満足。翌日の昼食はマグロ料理を食べて帰ったことは言うまでもない。

ちなみに、私が泊まった宿はここです。






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日本の歴史を変えた紀伊大島の人々

前回はエルトゥールル号事件のことを書いたが、その事件の4年前の1886年10月24日に、やはり紀伊大島で日本の歴史を変えるきっかけとなったノルマントン号の遭難事件が起こったことも書いておきたい。この事件を最初に発見したのは紀伊大島樫野崎灯台の灯台守と記録にあるので、遭難場所はエルトゥールル号の遭難場所にかなり近かったはずである。

ノルマントン号事件

記録によると発見した灯台守の連絡により百四十人余りの漁師がただちに海に乗り出して、海上を漂っていたボートから、船長ドレイク以下27人を救出した。

ところが、ここで問題が起こった。

このノルマントン号には23人の日本人船客も乗っていたのだが、日本人は誰一人として救出されずに全員水死し、ボートで船長が救出したのは一人の中国人コックを除いてすべてイギリス人ばかりだったのである。

この事件に関して、当時イギリス人に対する裁判権はイギリス領事にあり、この領事による海難審判で船長ドレイク以下全員に無罪判決が下ったのだが、審判長も陪審もすべてイギリス人によって下されたこの審判に対する日本国民の怒りは大きく、日本政府は改めて船長を殺人罪で告訴し横浜領事裁判所で裁判することになるのだが、ここで出された判決も「陪審員は、船長ドレイクが殺人を犯したと判断する」としながらも、禁固三ヶ月程度で賠償を一切却下され、不平等条約の悲惨さを天下に知らしめることとなった。

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この事件を機に国内で不平等条約改正の世論が盛り上がり、日本政府も国内の法典の整備をし、欧風化を推進するなど努力をして、この事件の8年後の1894年に陸奥宗光がイギリスとの交渉により、領事裁判権の撤廃などを含む新条約締結に成功することになったのである。

ノルマントン号のイギリス人を救ったのも、エルトゥールル号の遭難者を救出したのも同じ紀伊大島の人たちで、エルトゥールル号事件の時は、4年前に起こったノルマントン号事件を恐らく経験したか少なくともその顛末を知っていたものと考えられる。それにもかかわらず、大島の人々は村中で一丸となってエルトゥールル号の遭難者を救い出したのである。

その献身的な島民の行為が、トルコとの友好のきっかけとなったことは前回記したが、ノルマントン号事件の時も、もし紀伊大島の人々がイギリス人の救出にあたらなかったら、条約改正を求める国内世論があれほどは盛り上がることはなかったし、イギリスもそう簡単には条約改正に応じることはなかったと思われるのだ。

いずれの事件も、大島の人々の献身的な行為が日本の歴史を動かす大きなきっかけとなったのである。

大島の岩礁と波

前回書き漏れたが、紀伊大島の岩礁が多く、波は非常に荒く、島全体がテーブル状になっていて海から島に入ることは容易ではない。特に樫野崎近辺は海抜60メートル近い断崖絶壁で、ボートに乗ったイギリス人を救うことも、海に漂うトルコ人を救うことも命がけの行為であったはずである。
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しばやん

Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了することが決定しています。BLOGariの旧メインブログの「しばやんの日々」はその日以降はアクセスができなくなりますことをご承知おき下さい。

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