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アイスランドの火山爆発と天明の大飢饉

アイスランド南部のエイヤフィヤトラヨークトル氷河の火山が14日噴火し、火山灰が風に乗って南東方向に広がり16日には欧州北部の上空を覆ってしまった。

アイスランド噴火

ジェットエンジンが火山灰を吸い込むとエンジンが停止する危険性があるため、英国をはじめ欧州各国で空港が閉鎖されたり、旅客機の運航が停止されたりしている。

4/17(土)の日経新聞朝刊に気象庁・火山噴火予知連絡会の藤井敏嗣会長のコメント欄が目に入ったのでなんとなく読んでみると、すごく気になることが書いてあった。

「… アイスランドでは1783年に大きな噴火が起き、8ヶ月ほど続いて酸性雨や冷害などの影響で凶作になった。牧草が枯れ家畜が死んだり世界の気温が下がったりした。」 「日本で天明の大飢饉が起こったのも、この噴火が影響と言われている。今回の噴火も、仮に(噴火口の)割れ目が広がるなどして長く続くと、日本に同様の影響が出ることも考えられる。」(引用終わり)

天明の大飢饉アイスランドの噴火の影響だったとの記事は初めて読んだ。浅間山の噴火が原因だという説明を何度か読んだことがあるが、日経新聞の藤井氏のコメントが正しいとすれば、今回のアイスランドの火山爆発が長引けば日本の農業にも深刻な影響を与える可能性があるということになる。地球の裏側の出来事がそんな影響を及ぼすものだろうか。

天明の大飢饉をネットで調べてみると、いろんな記事が見つかった。確かにこの時期は火山爆発の多い年だ。

天明の大飢饉

Wikipediaなどの記事をまとめると、まず1783年6月8日にアイスランドのラキ火山が爆発し溶岩の噴出は5カ月続いた。次いでアイスランドのグリームスヴォトン火山も1783年から1785年にかけて噴火している。噴煙は高度15kmまで達し成層圏まで上昇した粒子が地球の北半分を覆い、日射量を減少させて、北半球に低温化・冷害を生起しフランス革命の遠因になったといわれている。影響は日本にも及び、浅間山の噴火とともに東北地方で天明の大飢饉の原因となった可能性がある、と書かれている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%98%8E%E3%81%AE%E5%A4%A7%E9%A3%A2%E9%A5%89

ところで天明の大飢饉は天明2年(1782)から8年(1788)の7年間にかけて発生した飢饉である。
日本では天明3年3月12日に岩木山が噴火した記録があるが、浅間山は天明3年5月9日から8月5日まで約90日間活動し、7月28日には江戸で降灰があった記録や、8月3日には銚子の降灰があったなどの記録があるようだ。

浅間山噴火

ここまで調べてみると次の疑問点が浮かび上がる。
<疑問点1>天明の大飢饉はアイスランドや浅間山の噴火の1年前(天明2年)から始まっているのにもかかわらず、なぜ火山の噴火が飢饉の原因だというのか。
<疑問点2>なぜアイスランドの噴火が地球の裏側の日本にまで影響を与えることになるのか。
<疑問点3>浅間山やアイスランド噴火が終わってから、飢饉がそれから何年も続いたのはどう説明できるのか。

<疑問点1>は火山以外の原因なのだろうが今のところよくわからない。<疑問点2>は、いろいろ調べていくと「エアロゾル」と「日傘効果」という言葉に辿り着いた。

この点についてたとえばWikipediaの解説によると、
エアロゾル」とは大気中を漂う塵や埃などの微粒子のことを言うが、エアロゾルが多いほど地表に届く太陽放射の量を低下させるのと、エアロゾルを凝結核として作られる雲が増加し、同様に地表に届く放射量を減少させると考えられている。

「火山の噴火の場合、二酸化炭素などの温室効果ガスがエアロゾルとともに放出され、気温の低下が著しくなる。また、火山の大噴火の場合はエアロゾルが成層圏まで達し、成層圏の強い風によって地球全体にエアロゾルが拡散するために、地球規模で地上気温の低下が起こる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%82%98%E5%8A%B9%E6%9E%9C

また、次のサイトではアメリカに影響が出たのは噴火の翌年であったことが分かる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%AD%E7%81%AB%E5%B1%B1

「北アメリカの1784年の冬は、長く、寒かった。ニューイングランドでは大雪になり、チェサピーク湾では氷点下の日が記録的に続いた。チャールストン湾 (en) ではスケートができるほどだった。南部も雪雲に襲われ、ニューオーリンズではミシシッピ川が凍りつき、メキシコ湾にも氷が浮かんだ。」
と影響がアメリカ大陸にも及んだことが記されているが、これはひょっとするとアイスランドのラキ火山よりも浅間山の噴火の影響の方が大きかったのかもしれない。

<疑問3>についてはたとえば気象庁の解説によると
http://www.data.kishou.go.jp/obs-env/cdrom/report/html/4_1bis.html

「通常、対流圏のエーロゾルは発生から1~2週間で雨により大気中から除去される。しかし、激しい火山噴火によって火山ガスが成層圏に入り込み、そこで火山ガスがエーロゾルに粒子変換されると、対流圏に降下して降水によって除去されるまでに1~2年間を要する。すなわち、この間の気候に影響を与えることとなる。最も新しいところでは、1991年にフィリピンのピナトゥボ火山が噴火して、気候に大きな影響を与えた。近年、この百数十年間において、大規模火山噴火によりしばしば大気が数年にわたり混濁したことがわかってきた」と書いてある。

成層圏に入り込んだエーロゾルの除去にはかなりの年数がかかるのである。
1783年のアイスランドのラキ火山の噴火はその後数年にわたってヨーロッパに異常気象をもたらし、フランスでは1785年から数年連続で食糧不足が発生したらしい。
アイスランドと日本の2か所で起きた大きな火山爆発が大量のエーロゾルを長期間成層圏に送り続け、それが次第に広域に拡散していき、長い間太陽の直射日光を弱め、それが原因となって世界中に異常気象をもたらしたということなのだろう。

ということは、今回のアイスランドの火山爆発が長引けば、いずれは日本の農作物にも影響がくる可能性が高いということになる。

このまま火山活動が長引けば、間違いなく欧州は食糧不足となるだろう。もしそのようなことが起こると世界各国は自国民のための穀物を優先することは確実である。

ところが我が国の穀物自給率は28%しかないのだ。もし今年は我が国の農業に火山の影響がなかったとしても、有り余る農業適地を持ちながら減反政策で休耕地だらけにしている我が国が、市場から穀物を買い漁ろうとすれば世界中から非難を浴びることになるのではないか。いくらお金を積んでも買えないということが起こらないだろうか、などと心配になってくる。

江戸時代に何度か飢饉があったが、南部藩などでは人間の肉まで食べたという悲しい記録が残されているそうだ。本来自国民の食糧を他国に依存しすぎることは非常に危険なことなのだが、その怖さが忘れられてしまっている。

根拠のあやしい温暖化対策や子供手当などに税金を投入するべきではないだろう。今年は、国民の安心安全のために食糧自給率を引き上げる手を打つチャンスの年ではないのか。
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「稲むらの火」のものがたりと安政南海地震の津波の真実

小学生の頃だったと思うが、「稲むらの火」という物語を読んだ。
この物語のあらすじは、概ね次のようなものである。

五兵衛という人物が激しい地震の後の潮の動きを見て津波を確信し、高台にあった自宅から松明を片手に飛び出し、自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に次々に火を着けはじめた。
稲むらの火は天を焦がし、山寺ではこの火を見て早鐘をつきだして、海の近くにいた村人たちが、火を消そうとして高台に集まって来た。
そこに津波がやってきて、村の家々を瞬く間に飲み込み、村人たちは五兵衛の着けた「稲むらの火」によって助けられたことを知った、という物語である。

ラフカディオハーン
この物語は、ラフカディオ・ハーンが書いた「A Living God」という作品を読んで感激した和歌山の小学校教員・中井常蔵氏が児童向けに翻訳・再構成したものだが、わが国では昭和12年から昭和22年までの国定教科書に掲載されていたほか、アメリカのコロラド州の小学校でも1993年ごろに英訳されたものが教材として使われたことがあるそうだ。 中井常蔵氏の「稲むらの火」の全文は次のURLで読む事が出来る。
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/aiiku/inamura.htm
ラフカディオ・ハーンの「A Living God」の日本語訳は次のURLで読む事が出来る。
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/aiiku/ikerukami.htm

いずれも主人公は「五兵衛」と書かれているが、モデルとなった人物が濱口梧陵 (儀兵衛)で、場所は今の和歌山県の湯浅港に近い有田郡広川町で、安政元年(1854)の安政南海地震の時の出来事と言われている。

私の子供の時は素直にこの話を和歌山で実際に起こった話と信じていたのだが、数年前に何年振りかに読んだ時にちょっと話が出来過ぎているように思えた。そして、今回の東日本大震災の津波の映像を見て津波の早さや破壊力に驚いて、この「稲むらの火」で、地震からわずかの時間でやってくる津波の被害から村民全員が助かったということがどこまで真実なのか、ちょっと調べてみたくなった。

もし真実をそのまま書くのであれば、地震の起こった時期や場所を特定し、登場人物は実名を用いると思うのだが、ハーンの文章は地震の場所を特定せず日本の「海岸地方」とし、時期も「明治よりずっと以前」としか書いていない。主人公であるはずの濱口儀兵衛を「五兵衛」と書き、年齢は当時34歳であったにもかかわらず「老人」としている。
ハーンのこの作品は安政南海地震の史実を参考に書かれたものであるとしても、創作部分が相当含まれていることはこの物語の場面設定から推測されるが、ではどこまでが事実でどこまでが創作なのだろうか。

ハーンの作品をもとに書かれた「稲むらの火」をそのまま実話だと考えている人が多いのだが、ネットでいろいろ調べると、濱口儀兵衛が書いた手記が見つかった。
次のURLに濱口儀兵衛の手記の口語訳が掲載されているが、この手記を読むと、「稲むらの火」の物語はほとんどが作り話だということがわかる。
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/aiiku/goryosyuki.htm

安政南海地震は、嘉永7年11月4日と5日の二日連続で起こった。儀兵衛は4日の地震で、2m程度の津波を目撃する。そして、翌日の午後4時頃に前日よりもはるかに大きな地震が起こる。地震を警戒して家族に避難を勧め、儀兵衛が村内を見に行くところから手記の一部を引用させていただく。

「…心ひそかに自分の正しさを信じ、覚悟を決め、人々を励まし、逃げ遅れるものを助け、難を避けようとした瞬間、波が早くも民家を襲ったと叫ぶ声が聞こえた。
  私も早く走ったが、左の広川筋を見ると、激しい浪はすでに数百メートル川上に遡り、右の方を見れば人家が流され崩れ落ちる音がして肝を冷やした。
  その瞬間、潮の流れが我が半身に及び、沈み浮かびして流されたが、かろうじて一丘陵に漂着した。背後を眺めてみれば、波に押し流されるものがあり、あるいは流材に身を任せ命拾いしているものもあり、悲惨な様子は見るに忍びなかった。

  そうではあったがあわただしくて救い出す良い方法は見いだせず、一旦八幡境内に避難した。幸いにここに避難している老若男女が、いまや悲鳴の声を上げて、親を尋ね、子を探し、兄弟を互いに呼び合い、そのありさまはあたかも鍋が沸き立っているかのようであった。…」

と、手記にはどこにも地震を村人に伝えた場面がなく、自らも津波に流されているのは意外であった。つづいて「稲むらの火」が登場する。

「…しばらくして再び八幡鳥居際に来る頃は日が全く暮れてきていた。
  ここにおいて松明を焚き、しっかりしたもの十数名にそれを持たせ、田野の往路を下り、流れた家屋の梁や柱が散乱している中を越え、行く道の途中で助けを求めている数名に出会った。
  なお進もうとしたが流材が道をふさいでいたので、歩くことも自由に出来ないので、従者に退却を命じ、路傍の稲むら十数余に火をつけて、助けを求めているものに、安全を得るための道しるべを指し示した。
  この方法は効果があり、これによって万死に一生を得た者は少なくなかった。
  このようにして(八幡近くの)一本松に引き上げてきた頃、激浪がとどろき襲い、前に火をつけた稲むらを流し去るようすをみて、ますます天災の恐ろしさを感じた。…」

稲むら

というように、「稲むらの火」は津波の前に人を救うために点されたのではなくて、津波の後で、安全な避難場所に繋がる道を指し示すために用いられたのである。
当時は電気がなく、まして地震の後なので家の明かりもなかったのであれば、夜はほとんど何も見えない暗闇の世界であったはずであり、儀兵衛が点した「稲むらの火」が「安全を得るための道しるべ」となって多くの人の命を救ったことは間違いないだろう。

ところで、この時の地震は「安政南海地震」と命名されているのに、濱口儀兵衛の手記では嘉永7年と書いている。実は嘉永7年も安政元年もともに西暦の1854年で、地震の23日後の11月27日に「嘉永」から「安政」に改元されているので、本来ならば正しい年号で「嘉永南海地震」とでも名付けるべきであったろう。
最初に命名した学者が誤ったために、未だに「安政南海地震」と呼び続けられているのはおかしな話だ。

この地震は駿河湾から遠州灘、紀伊半島南東沖一帯を震源とするM8.4という規模の地震とされ、この地震で被害が最も多かったのは沼津から天竜川河口に至る東海沿岸地で、町全体が全滅した場所も多数あったそうだ。
甲府では町の7割の家屋が倒壊し、松本、松代、江戸でも倒壊家屋があったと記録されるほど広範囲に災害をもたらせ、伊豆下田では折から停泊中のロシア軍艦「ディアナ号」が津波により大破沈没して乗組員が帰国できなくなった。そこで、伊豆下田の大工を集めて船を建造して帰国させたという記録まで残っているらしい。

いろいろ調べると濱口儀兵衛はすごい人物である。彼の実話の方がはるかに私には魅力的だ。

濱口ごりょう

濱口儀兵衛は、房州(現在の千葉県銚子市)で醤油醸造業(現在のヤマサ醤油)を営む濱口家の分家の長男として紀州廣村(現在の和歌山県広町)に生まれ、佐久間象山に学ぶほか、勝海舟、福沢諭吉とも親交があったそうだ。

耐久高校

濱口家の本家を相続する前年の嘉永五年(1852年)に、外国と対抗するには教育が大切と、私財を投じて広村に「耐久舎」という文武両道の稽古場を開いたが、これが現在の耐久中学、耐久高等学校の前身である。

その2年後に安政南海地震が起こり廣村は多くの家屋や田畑が流されてしまう。

濱口儀兵衛はこの津波の後に村人の救済活動に奔走し、自分の家の米を供出しただけでなく、隣村から米を借りるなど食糧確保に努め、道路や橋の復旧など献身的な活動をし、さらに将来のための津波対策と、災害で職を失った人たちの失業対策のために、紀州藩の許可をとって堤防の建設に着手し、5年後に高さ5m、幅20m、長さ670mの大堤防を完成させている。その廣村堤防の建設費の銀94貫のほとんどを自分の私財で賄ったとのことである。

広町堤防

この堤防は昭和19年の東南海地震、昭和21年の南海津波地震でも見事にその役割を果たし、多くの広町の住民を津波から救うことになるのである。

儀兵衛は幕末に梧陵と名を改め、紀州藩の勘定奉行や藩校教授や権大参事を歴任し、明治4年には大久保利通の要請で明治政府の初代駅逓頭(後の郵政大臣に相当)になり、前島密が創設した郵便制度の前身を作っている。その後、再び和歌山に戻って明治13年(1880)に初代の和歌山県議会議長を務め、隠居後に念願の海外旅行の途中で体調を崩しニューヨークで明治18年(1885)に客死してしまう。

濱口梧陵が津波から多くの人々を救ったことは今も地元の人々から感謝されおり、広川町では毎年11月3日に感恩祭・津波祭りが行われ去年は108回目を迎えたとのことだ。 ラフカディオ・ハーンが「生ける神」と書いた人物のモデルは、この物語の世界以上に「生ける神」と呼ぶべきすごい人物だ。

今回の東日本大地震の混乱が一段落すれば、災害に強い町づくりはどうあるべきかを考え、被災地が立ち直るための投資と工事が進められねばならない。その時に地震や津波で職場を失い仕事を失った人々にその工事に参加して頂き、それぞれの家族の生活が出来るだけの収入が得られるようにすることまで考えたのが濱口梧陵という人物である。

今の政治家や経営者の中から、100年経っても、地元の人々から神様のように語り継がれる人物が何人か出てこないものか。

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飛鳥時代から平安時代の大地震の記録を読む

日本書紀」には様々な地震の記録がなされているが、天武天皇(?~686年)の時代はとりわけ地震の記述が多いことを友人から教えてもらった。そんな話を聞くと、自分で確かめたくなって実際に日本書紀を紐解いてみた。

天武天皇

日本書紀」の地震の記録を読む前に、少し天武天皇の歴史を振り返ってみよう。

671年に大化の改新以来政治の中心であっ天智天皇が崩御され、皇位継承をめぐって皇子の大友皇子(弘文天皇)と皇弟の大海人皇子との間に争いが生じ、翌年に美濃・近江・大和などを舞台に壬申の乱が起こるのだが、乱は大海人皇子方の勝利に終わり、大海人皇子は都を飛鳥に戻して飛鳥浄御原宮で即位された。その天皇が第四十代の天武天皇である。

天武天皇は八色の姓を定めて、旧来の豪族を新しい身分制度に組み込み、天皇中心の国家体制を作られ、律令や国史の編纂事業が開始されたなどと教科書に書かれている。

日本書紀」の巻廿八と巻廿九が天武天皇の時代の記述で、前半には壬申の乱が詳細に書かれている。後半を読んでいると、この時期に地震が多かったのであろう、確かに何度も地震の記述が何度もでてくるのである。
数えた人がいるらしく、「日本書紀」には天武4年(676)から天武14年(686)までに16回もの地震の記録がなされているそうだ。天智天皇の時代の記録は1回だけだそうだから、かなり多いのはどういうことなのか。

そのうちの大半は「地震があった」「大きな地震があった」程度の記述で被害がほとんどなかったのかもしれず、日本の正史である「日本書紀」にわざわざ記録するほどの価値がない地震が含まれているかもしれないなのだが、記述内容からしてかなり大きい地震が何回かあったことは間違いない。

たとえば天武7年12月についてはこのように具体的に書かれている。

「この月、筑紫の国で大地震があった。地面が広さ二丈、長さ三千余丈にわたって裂け、どの村でも多数の民家が崩壊した。このとき、岡の上にあったある民家は、地震の夜、岡がこわれて移動した。しかし家は全くこわれず、家人は岡が壊れて移動したことを知らず、夜が明けてからこれに気付いて大いに驚いたという。」(講談社学術文庫 全現代語訳「日本書紀」(下)p.276-277)

筑紫の国とは現在の福岡県の内、東部にある豊前国を除く大部分を指している。
「丈」というのは約3mなので、地割れは6m× 9000mにも及んだというから、かなり大きなものである。

また、天武13年10月にはもっと大きな地震が日本を襲い、土佐国(現在の高知県)では津波による被害が出ている。

「十四日、人定(いのとき:夜10時頃)に大地震があった。国中の男も女も叫び合い逃げまどった。山は崩れ河は溢れた。諸国の郡の官舎や百姓の家屋・倉庫、社寺の破壊されたものは数知れず、人畜の被害は多大であった。伊予の道後温泉も、埋もれて湯が出なくなった。土佐国では田畑五十余万頃(約一千町歩)がうずまって海となった。古老は『このような地震は、かつてなかったことだ』といった。
この夕、鼓の鳴るような音が、東方で聞こえた。『伊豆島(伊豆大島か)の西と北の二面がひとりでに三百丈あまり広がり、もう一つの島になった。鼓の音のように聞こえたのは、神がこの島をお造りになる響きだったのだ』という人があった。」(同書 p.299)

日本書紀が書かれた当時は「津波」という言葉はなく、巨大な波が発生するメカニズムについてはわかっていなかったのであろうからやむをえないが、この記述における被害の原因が「津波」であることは明らかであろう。
土佐とは今の高知県のことだが、1000町歩が海水につかってしまったと書いてある。
「町歩」という広さは1ヘクタールであるから、1000町歩は10平方キロメートルということになる。わかりやすく言えば、甲子園球場の760倍程度の面積が水につかったということだ。

「日本書紀」にはその後の復興ことなどは一切書かれていないが、津波のメカニズムがわかっていないので、ひたすら神仏に祈ることしかなかった時代である。

次に東北地方の地震の古い記録を見てみよう。
貞観年間(859-877)には、富士山や阿蘇山のほか出羽国鳥海山、薩摩国開聞岳が噴火し、貞観11年(869)には、今回の地震とよく似た三陸大地震が発生し、大きな津波の被害が出ている。

「日本三大實録」にその記録がある。原文は漢文になっているが、次のURLで現代語訳が読める。
http://tarikiblog2.blog22.fc2.com/blog-entry-327.html

「5月26日、陸奥国に大地震あり。
  人、伏して起きあることできず、
  崩壊した建家の下敷きになり、圧死する人々、
  地割れに脚をとられ、もがく人々。
  牛馬はあてど無く駆け廻り、
  崩壊した城郭、倉庫、門櫓、城壁、数えきれず。
  海口咆吼し、雷鳴に似た海鳴り沸き上がり、津波来る。
  瞬く間に城下に至り、海より数十百里を遡る。
  原野、道路、瞬く間に霧散し、
  船に乗れず、山に登れず、溺死者一千ばかり。
  それまでの資産、殆ど無に帰す。」

と、これを読むと、つい先日の地震のことを書いているようにも思えてくる。

津波画像

ここでは「海口咆吼し、雷鳴に似た海鳴り沸き上がり、津波来る。」と訳されているが、「日本三代實録」の原文ではこの部分は「海口哮吼。声似雷霆。驚濤涌潮。泝徊漲長」となっており、とんでもなく大きい波が来たことを形容しているだけで、「津波」という言葉が当時は存在しなかった。この筆者には、大地震の後に大きな波が引き起こされると言う認識はなかったはずである。

Wikipediaによると、「津波」という言葉が最初に文献に登場するのは、「駿府記」に慶長16年(1611年)に起きた慶長三陸地震についての記述「政宗領所海涯人屋、波濤大漲来、悉流失す。溺死者五千人。世曰津浪云々」なのだそうだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E6%B3%A2

今は”tunami”という日本の言葉が国際的に使われているが、英語でこの言葉を最初に使ったのが前回の記事で書いたラフカディオ・ハーンの”Living God”という作品であり、これが「稲むらの火」の物語につながった。

日本のような地震国においても大きな津波被害が出るような地震は何百年に一度という周期で起こるものであり、一人の人間の命の長さからすればサイクルが長すぎて、海抜の低い地域で海の近くに住む人も、津波災害を一生に一度も経験することがないケースが大半なのだ。

東日本大震災

だからこそ、しっかりと災害の記録がなされることが必要なのだが、せっかく昔の記録が残されていてもそれが次世代に充分に伝えられなければ意味がない。
いずれ津波の怖さが忘れ去られてしまって、海抜の低い土地に住居や様々な施設が次第に建てられるようになる。そしてまた巨大地震が起こり、あとの津波がその集落を襲った時に再び大きな被害が出ることになる。津波災害の歴史は今までその繰り返しではなかったか。

古い記録は確かに読みづらいが、今回の地震では幸いにも大量の画像や映像が残っているはずだ。画像や映像を教材にすれば誰でも即座に津波の怖さを理解できるので、それらを使って地震の後の津波の怖さを世代から世代に伝えられるようにし、大きな地震があった時にどう行動すべきであるか、町や都市の設計はどうあるべきかを考えてその環境を整えていくことは、今回の大震災を体験した世代の責務だと思う。
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しばやん

Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

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