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数奇な運命をたどって岡山県西大寺に残された「こんぴらさん」の仏像

先月の徳島県祖谷(いや)地方から「こんぴらさん」を巡る旅行の下調べをしていた時に、「こんぴらさん」の2体の仏像が海を渡って、「裸祭り」で名高い岡山県の西大寺観音院に安置されていることを次のサイトで知り興味を持った。
http://www.geocities.jp/rekisi_neko/konpira.html

裸祭り

どういう事情で、「こんぴらさん」の仏像が西大寺観音院に行ったのだろうか。

西大寺観音院の公式ホームページには
「…明治維新のころ神国日本は古来の神をこそ祀るべきで、渡来した神仏を祀る必要は無く、よって仏像・寺院は破壊するべきだ”という廃仏毀釈の運動が起こり、仏教は迫害された。」
「 讃岐の象頭山松尾寺金光院の鎮守として祀られていた金毘羅様もその被害を受け、松尾寺はその住職が僧職を辞し、神職として日本の海上安全の神である金刀比羅(ことひら)様に奉仕することを決め、寺院から神社へとその姿を変えた。このため多くの仏像が打ち壊しになり、これを見かねた金光院の末寺である万福院の住職宥明師が、明治7年7月12日自らの故郷である津田村君津の角南助五郎(すなみすけごろう)宅へ、金毘羅大権現の本地仏である不動明王と毘沙門天の二尊を持ち帰った。」
「その後、この話を聞いた岡山藩主池田章政公が、自らの祈願寺である下出石村の円務院に移したが、廃藩置県によって池田候は東京へ移り、当山住職の長田光阿上人が明治15年3月5日当山へ勧請した。現在は、もともと当寺の鎮守である牛玉所(ごうしょ)大権現とともに、牛玉所殿に合祀されている。(引用終わり)」と記されている。

角南助五郎の故郷である「津田村君津」とは現岡山市の南東郊外であり、宥明はこの二体の仏像を船で持ち出したことになる。今でこそ車や電車で瀬戸内海を簡単に渡れるようにはなったが、今の瀬戸内自動車道で坂出ICから早島ICから37.3kmもある。仏像が保管されていた「旭社」(前松尾寺金堂)から、629段の階段を気づかれずに運んで下りるのも大変な苦労があったろう。

西大寺不動明王

上の仏像が、「こんぴらさん」から持ち出された不動明王像。

西大寺毘沙門天

この仏像が、「こんぴらさん」から持ち出された毘沙門天像である。

前回の記事に書いたが、当時松尾寺は金光院を中心とし、その支配下に真光院、万福院、神護院、尊勝院、普門院があったが、そのうちの尊勝院、普門院がその当時神社化に強く反対したという。万福院は神社化に賛成した側であった。その万福院の住職宥明師が「こんぴらさん」の仏像2体を救ったのである。賛成した側であったからこそ、疑われずに持ち出すことが可能だったのかも知れない。

前回紹介した「六大新報」の記事では、いつ頃金刀比羅宮による仏像等の破壊があったかがはっきりしなかったが、元岡山藩主の池田章政公は明治二年の版籍奉還で岡山藩知事となり、明治4年11月の廃藩置県で免官となっているので、明治4年の秋までに仏像破壊等があり、その直前に万福院の住職宥明師が二体の仏像を持ち出したか、破壊活動中に暴風が吹いて神埼勝海総督が気絶したとされるタイミングを狙って持ち出したか良く分からないが、いずれにせよ暗夜に運び出して、大変な苦労をして角南助五郎宅に持ち込んだことと思われる。そして池田章政知事の指示で知事の祈願寺の円務院に移された時は関係者の誰もが、「これで大丈夫だ」と安心したことであろう。

ところが、先程記したとおり廃藩置県で旧藩主は知事を解任されて東京に移り、旧藩主が持ち込みを指示した円務院も、廃仏毀釈の影響で明治5年に上石井にあった興国山長延寺に合併して同所に移り、長延寺の寺号を廃して常住寺と称した後、和気郡藤野村南光院に合併移転し、ついで大正8年2月22日現在の岡山市門田の地に移り現在は金剛山常住寺円務院と呼ぶなど大変ややこしい。
http://www.asahi-net.or.jp/~wj8t-okmt/400-02-okayama-kadota-zyouzyuuzi.htm
とにかく、二体の仏像は何度も場所を変えながら数奇な運命を経て明治15年3月に西大寺住職の長田光阿(ながたこうあ)によって、西大寺観音院牛玉所殿に迎えられたのである。

四国旅行の帰りにこの仏像が見たくて西大寺観音院に立ち寄ったのだが、残念ながら秘仏のために一般公開はしていなかった。

祖谷渓・こんぴら 152

寺の僧侶によると、この二体の秘仏が安置されている牛玉所殿は現在改築中で、今年の11月3日に落慶法要が営まれるとのことである。その時の主役は牛玉大権現ではあるが、「こんぴらさん」の秘仏もこの時には見ることができるそうである。
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吉備路の古社寺を訪ねて

広島県尾道に所要があり、ただ往復するだけではもったいないので、従来から行きたかった吉備路の古社寺を訪ねてから鞆の浦で一泊する旅行をしてきた。

岡山の観光地はいろいろあるのだが、有名な岡山城、後楽園や倉敷はだいぶ前にバス旅行で行ったので、今回は吉備路の古社寺を中心に廻ることにした。

最初に訪れたのは吉備津彦神社である。
社殿の創建は第十代崇神天皇の御代とされ、大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)を鎮祭する備前国の古社で、古くから備前国の一宮として崇敬を集めてきた。
崇神天皇は三世紀に実在したと考えられており、大吉備津彦命は第七代孝霊天皇の第3皇子で、崇神天皇の御代に吉備の国を平定したとされる人物である。
古代吉備地方には温羅(うら)一族がこの地方を支配し蛮行を重ねており、吉備の人々は都へ出向いて窮状を訴えたため、崇神天皇が大吉備津彦命を派遣し、温羅を征伐したとの言い伝えがあり、総社市の鬼城山(きのじょうさん)は温羅一族が拠点としていたというのだが、この場所には、どの歴史書にも記されていない古代の山城の遺構が残されているそうだ。
この大吉備津彦命の温羅一族討伐の話が日本童話「桃太郎」のモチーフとなったと言われている。

安政の大石灯篭吉備津彦神社

吉備津彦神社の随神門を抜けると、安政6年(1859)に天下泰平を祈願して建立された「安政の大灯篭」という高さ11.5mの日本一の大灯篭がある。この灯篭の上に乗せられている笠石が8畳の広さになるとか、6段づくりの石段には1670余名の奉納者の名前が刻まれているとかいうのだが、とにかくその大きさに圧倒される。

吉備津彦神社社殿

社殿は拝殿・祭文殿・渡殿・本殿が一直線に配列され、夏至の日の太陽はこれらの社殿の真上を通って、本殿に祭られた鏡に入るのだそうだ。
残念ながら昭和5年に火災が起こって、本殿、随神門、宝物殿を残して大半の殿宇を焼失してしまった。現在の拝殿、祭文殿、渡殿は昭和11年に再建されたものであるが、画像の一番奥にある本殿は渡殿からかなり近いにも関わらず、昭和5年の火災の被害を免れている。

吉備津彦神社本殿

上の画像は本殿を近くから撮影したものだが、この本殿は元禄16年(1703)に岡山藩主の池田綱政によって造営されたものである。他の社殿は銅版葺だが、本殿は檜皮葺で古式ゆかしい雰囲気だ。桁行三間・梁間二間、屋根は前側の部分が長く伸びた流造り(ながれづくり)の流麗な建築で、県指定重要文化財となっている。

次に訪れたのは、備中国一宮の吉備津神社。この神社も「桃太郎」のモデルである大吉備津彦命を祀っている神社である。
この神社がいつごろ誰によって造営されたかについては文献もなく詳しいことは分かっていないが、吉備津彦命から五代目の孫にあたる加夜臣奈留美命(カヤオミナルミ)が、祖神として吉備津彦命をお祀りしたのを起源とする説など諸説があるようだ。

吉備津神社本殿拝殿

本殿の建坪は78.3坪(約255㎡)は京都八坂神社に次ぐ大きさで、出雲大社の2倍以上あるという。二つの屋根を一つにした特異な『比翼入母屋造』で、今の建物は室町時代、将軍足利義満の時代に約25年の歳月をかけて応永32年(1425)に再建されたもので、拝殿とともに国宝に指定されている。

吉備津神社回廊

拝殿の西側に全長360mにも及ぶ回廊がある。この建物は天正7年(1579)に再建されたもので、岡山県指定の重要文化財である。また、回廊の先にある朱塗りの門は延文2年(1357)に再建された南随神門で、吉備津神社の殿宇中で最古の建物で国の重要文化財に指定されている。
回廊を最後まで歩いたが、奥の方にはツバキ園やぼたん園があるだけで、どうしてこれだけ長い回廊が必要なのかと疑問に思ったので、自宅に帰っていろいろ調べると、昔はこの神社も神仏習合の施設で、この回廊の途中で三重塔や神宮寺などの仏教施設がいくつかあったということが分かった。寺家と社家との経済的・政治的権力闘争が起こって元文2年(1737)以降に次々と仏教施設が破壊されたのだそうだ。次のURLに三重塔の描かれた境内図が掲載されている。
http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/ato_kibitu.htm

この長い回廊の中央あたりに重要文化財の御釜殿がある。吉備津神社には鳴釜神事という特殊神事があり、釜の鳴る音で祈願したことが叶えられるかどうかを占うのだそうで、今も毎週金曜日を除く午後2時からその神事が執り行われるそうだ。
この神事の起源は先ほど述べた桃太郎のモデルである大吉備津彦命の温羅退治に由来するのだが、話が長くなるので、吉備津神社のホームページの該当のURLを紹介しておこう。
http://kibitujinja.com/narukamashinji.html

次に、最上稲荷(さいじょういなり)に車を進める。ここは、京都の伏見稲荷、愛知の豊川稲荷と並ぶ日本三大稲荷の一つとされているところで、岡山県内で唯一、明治初年の廃仏毀釈の難を免れ、今も日蓮宗系の神仏習合の祭祀形態を残していると言われており、正式名称は「最上稲荷山妙教寺」である。

最上八幡本殿

創建は寺伝では天平勝宝4年(752)に報恩大師に孝謙天皇の病気平癒の勅命が下り、八畳岩で本尊の最上位経王大菩薩を感得されたことに始まる。延暦4年(785)にも桓武天皇の病気平癒の勅命が下り、全快されたことから天皇は堂宇建立を命じ、現在の場所に「龍王山神宮寺」を建てた後、長らく繁栄したのだが戦国時代に焼失してしまい、慶長6年(1601)に領主花房家の庇護により「稲荷山妙教寺」として復興したという。

最上八幡仁王門

参道を進むと仁王門がある。旧仁王門は昭和25年(1950)の山火事で焼失したため昭和33年(1958)に再建されたものだが、インドの殿堂様式で建造された石造りの仁王門は珍しく、平成21年(2009)に登録文化財に指定されている。

最上八幡旧本殿

本殿の霊光殿は昭和54年築の建物で新しいが、旧本殿の霊応殿は寛保元年(1741)築の檜皮葺の建物で、岡山市の重要文化財に指定されている。旧本殿を取り囲むように、七十七末社がある。このうちのいくつかが国の登録有形文化財に指定されているのだが、旧本殿の近くにいると、とてもここがお寺の境内の中とは思えない。

最上稲荷77支社

更に車を進めて備中国分寺に行く。
長閑ななだらかな起伏の風土記の丘に建つこの五重塔の風景がどうしても見たくて岡山に来たようなものだが、晴天に恵まれて本当に良かった。冬の季節でもこれだけ美しいのだから、花の咲く時期や紅葉の時期はもっと素晴らしいと思う。

備中国分寺

国分寺は天平13年(741)聖武天皇の発願で各国に建立を命じられたもので、備中国分寺の創建当時は七重塔だったそうなのだが、南北朝の戦乱により堂宇を焼失し一時は廃寺となったのだが、江戸時代に再興されたとある。
現在の五重塔は文政4年7(1821)頃に再建されたもので、国の重要文化財に指定されている。高さは34.32mあり、岡山県で唯一の五重塔なのだそうだ。

備中国分寺五重塔

わが国で国宝や重要文化財に指定されている五重塔は22塔あるのだそうだが、備中国分寺の五重塔の良さは周辺の環境も含めて昔のままの風景を楽しめるところだ。これだけ広い地域にわたって田園風景を残しているなかに五重塔があるのというのが奇跡的でもあり、昔の風景もこのようなものであったのではないかと嬉しくなる。

塔見の茶屋

この五重塔を眺められる絶好の場所に「峠の茶屋」というお店がある。ちょうどお昼時だったので、ここで軽めの昼食をとった。幸運にも窓際の席が空いていたので、素晴らしい景色をずっと眺めながら食事ができたのが嬉しかった。

最後にどうしても行きたかったのが宝福寺。

寶福禅寺

この寺の創建の時期はよくわかっていないが、元来は天台宗の寺院であったらしい。鎌倉時代の貞永元年(1232)に禅僧・鈍庵慧總によって禅寺に改められた。その後、寺院は天皇の勅願寺となり隆盛を誇るも、戦国時代に三重塔を残し伽藍の全てを戦火で失い、江戸時代初期に復興されたという。

220px-Portrait_of_Sesshu.jpg

室町時代に活躍した水墨画で有名な雪舟は、応永27年 (1420)にこの近くに生まれ、幼いころにこの宝福寺に入っている。幼い頃の雪舟が住職に叱られて柱に縛られ、流した涙で床に鼠の絵を描いた話を子供の頃に読んだ記憶があるが、この話はこの宝福寺を舞台とする伝説なのだ。
その後、雪舟は10歳ごろに京都の相国寺に移り、禅の修行を積むとともに天章周文に絵を学び、後に大内氏の庇護のもとに周防へ移り、さらに明にわたって中国の画法を学んで日本に戻り、独自の水墨画風を確立したと評価されている。
以前このブログで雪舟の天橋立図(国宝)のことを書いたことがあるが、雪舟の作品で国宝に指定されているものが6点あり、重要文化財に指定されているのが13点もあるのだそうだ。

寶福禅寺三重塔

これが国指定重要文化財である宝福寺の三重塔である。白蟻の被害もあり昭和42年に解体修理に着手され44年に竣工したこともあり、朱塗りの色が今も鮮やかである。紅葉の時期はこの朱塗りの三重塔が美しい紅葉に映えて一段と素晴らしい景色になるそうだ。

この日に回った社寺は観光地としてそれほど有名な所ではないのか観光客も少なく、お土産を買うような場所はほとんどないし、食事をするような場所も少なかった。電車やバスで行くには本数が少なすぎるので、それぞれ近い場所にありながら、車でなければこれだけの社寺を廻ることは難しいだろう。
旅行者の立場からすれば、観光客が少ないことはかえってじっくり見学できて楽しめる面もあるのだが、社寺からすれば少ない収入で、これだけの文化財を保有し、広い境内を維持管理することは大変なことである。
多くの地方で、働く場所がないために若い世代の多くが地元を去り、これまで地元で神社仏閣を支えてきた人々が高齢化して、いずれ減っていくことは確実だ。いかに由緒正しき神社仏閣も、収入が少なくては文化財を維持・管理することが次第に厳しくなり、文化財を公開するための必要な人件費が出なければ公開すらできなくなるところも増えるのではないか。
以前にも書いたが、日本人が千年以上も護り続けてきた文化財を後世に残すためには、地元に多くの若い世代が残り、一人でも多くの観光客がこういうお寺や神社を訪れて、いくらかでもお金を落とすことが必要なのだと思う。
そろそろ東京一極集中に歯止めをかけないといずれはとんでもないことになるし、地方もこのような観光資源を活かす努力をしてほしいものである。
<つづく>
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津山城址と千光寺の桜を楽しむ

毎年桜の時期になると、桜の美しいところを訪ねてブログの記事を書きたくなるのだが、ずっと以前にポスターで見た岡山県の津山城址の桜が素晴らしかったのが気になっていた。
たまたま4月に広島方面に行く予定があったので津山市に途中で立ち寄ることにし、津山城址の満開の桜をこの目で見て、あわせて津山市の名所旧跡などを訪ねることにした。

津山城は、織田信長の小姓・森蘭丸(もりらんまる)の末弟の森忠政(もりただまさ)が、慶長8年(1603)に徳川家康・秀忠父子から美作国18万6500石を受封し、翌年から元和2年(1616)まで12年かけて、津山盆地の中央部にあった鶴山(つるやま)と呼ばれた丘陵に築城したお城である。
往時は77棟もの櫓(やぐら)があり、天守閣は四重五階の立派なものであったそうだが、明治6年(1873)の廃城令により大蔵省管理とされた後に売却され、明治7年(1874)から8年(1875)にかけて石垣を残してすべての建物が解体されてしまったという。

Tsuyama_Castle_old_potograph.jpg

津山藩の城代家老職を務めた松平国忠が明治5年か6年ごろに撮影した写真が残されているが、かなり大きな城であったことがこの写真を見ればわかる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E5%B1%B1%E5%9F%8E

この津山城の跡地を、明治32年(1899)に公園にすることを条件に津山町に払い下げられ、その後鶴山公園(かくざんこうえん)として整備されていくのだが、当時津山町議会議員(後の津山市議会議長)であった福井純一らの尽力でこの地に桜の木が数多く植えられて、昭和3年(1928)ごろには、春には城址全体が桜で覆われる現在の姿になったと言われている。

財団法人日本さくらの会が全国各地の桜の名所を100箇所選定した「日本さくら名所100選」というのがあるが、岡山県で唯一この鶴山公園が100選に選ばれている。
http://www.sakuranokai.or.jp/information/

自宅を早朝に出て、9時前に津山観光センターの駐車場に到着した。
朝早かったのでまだ観光客も少なく、城址を包み込むような満開の桜の圧巻の景色を楽しみながら、少しずつ石段を登って行く。

IMG_7440.jpg

津山城築城400年を記念して平成年(2005)に備中櫓が復元されている。美しい石垣の上に立つ備中櫓の白い壁の周囲を囲むように咲く桜が、青い空をバックにすると一段と映えるのである。

IMG_7414.jpg

昨年に「天空の城」で名高い竹田城を訪れてその石垣の堅牢さに驚いたが、津山城の石垣も見事な石垣である。この石垣を築造したのは、竹田城と同じく近江の国の穴太衆(あのうしゅう)で、石垣の反りが実に美しい。

IMG_7433.jpg

天守閣址から鶴山公園を眺める桜もまた素晴らしい。公園には数多くの露店が店を開けているのだが、満開の桜の花が露店や観光客のほとんどを覆い隠してしまっている。街中に咲く桜のほとんどは、道路の通行の妨げにならないように枝を短く切られてしまうのだが、鶴山公園の桜は、それぞれの桜の木が陽光を求めて枝を拡げて、多くの花を咲かせているのが良い。

IMG_7419.jpg

鶴山公園の桜に堪能した後、公園の南にある津山郷土博物館に入る。この建物は昭和8年に建てられ昭和57年までは津山市庁舎として利用されていたもので、国の登録文化財となっている。

IMG_7443.jpg

たまたまこの日は3階の展示物を入れ換え中で、一日違いで江戸一目図屏風や津山景観図屏風など近世以降の展示物を見ることが出来なかったのはちょっと残念だった。

IMG_7446.jpg

また観光センターの西側には大正15年(1926)に建てられたイオニア様式の森本慶三記念館(旧津山基督教図書館)がある。この建物も国登録文化財となっている。
森本慶三という人物は内村鑑三に師事し、キリスト教伝道に努めた人物で、建物内には幕末から明治にかけての洋学資料や、津山藩の道具類、森本慶三に関する資料などが展示されていた。

観光センターの駐車場を出て、出雲街道を東に進んで作州城東屋敷に到着。その奥にだんじり展示館があったので覗いてみた。
だんじりは岸和田など大阪府泉州地域のお祭りが有名だが、岡山県にもだんじり祭りがあることは知らなかった。
自宅に戻って調べると、岡山県のだんじり祭りは津山祭り、倉敷市児島の鴻八幡宮例大祭、真庭市の久世祭りなどがあるが、津山のだんじりは400年の歴史があり、約50台のだんじりの内27台が岡山県の有形民俗文化財に指定されているという。そしてそのうちの4台が、このだんじり展示館に保管されていたようだ。

IMG_7461.jpg

津山のだんじりは岸和田のものよりかはやや小振りだが、どのようにだんじりを曳くのか興味を覚えたのでYoutubeで確認すると、津山のだんじり祭りも屋根の上で踊る大工方の動画が確認できた。
http://www.youtube.com/watch?v=3SL4gTb2BI8
さらに調べると、津山のだんじりは明治以前は「ソーヤレ」という掛け声とともに神輿のように担がれていたようだ。もともと人が屋根の上で踊るようには作られていないためにあまり派手に屋根の上でパーフォーマンスを行なっては、貴重な文化財を壊してしまう懸念があると書いてある。大工方が躍っているだんじりは、かなり補強がなされているのだろう。
http://www.e-tsuyama.com/ichioshi/2012/10_matsuri/danjiri/mukashi.html

津山祭は毎年10月の第3週の土日と第4週の土日に行われ、総鎮守の徳守神社の祭礼には、日本三大みこしの一つとされる文化6年(1809)に造られた1トン超の重量のある「徳守神社の大神輿」が繰り出すのだそうだ。
http://mikoshi.danjiri-jp.net/tmikoshi/

これだけ大きな神輿は担ぎ手を集めるのが大変だ。昭和40年(1965)に担ぎ手不足から台車に載せての巡行がしばらく行われたのだが、昭和46年(1971)に津山青年会議所の音頭で若者を120人集めて担いでの巡行を復活させ、今に続いていることは素晴らしいことである。
私の実家の近くの神社も同じような時期に担ぎ手が集まらなくなり、伝統ある神輿が新調されて随分小さくなってしまった。それ以来私にとっては地元の祭りに愛着を覚えなくなってしまった。

地域の伝統行事や文化は同じことを世代から世代につないでこそ意味がある。地域の人々が伝統の重さを伝えていくことで、共同体としての地域が纏まっていくということの価値があると思うだが、多くの地方で世代をつなぐ媒体としての伝統文化を失い、あるいは引継ぐべき若い世代を失ってしまっているのは悲しい。津山の人々にはこれからもがんばって400年の伝統の祭りを繋いでいってほしいものである。

作州城東屋敷に車を置いたまま、近くにある千光寺のしだれ桜を見に行く。
千光寺というと広島県尾道市にある千光寺公園が「日本さくら名所100選」に選ばれているが、津山の千光寺も桜の名所として知られている。このお寺は室町時代に開創されたそうだが、戦国時代に戦火で焼けたのか、その後200年の寺の歴史はよく解らないのだそうだ。

IMG_7457.jpg

このしだれ桜は樹齢150年程度とされるが、なかなか見事なものである。例年は鶴山公園の桜が咲いた後に満開となるのだそうだが、今年は鶴山公園より早く満開を迎えてしまった。なんとか間に合って良かった。

<つづく>
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しばやん

Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

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