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明治初期までは寺院だった「こんぴらさん」

前回は先週行った徳島・香川方面旅行の1日目のことを書いた。その日は祖谷のホテルで一泊し、2日目は「こんぴらさん」に向かう旅程だ。

「こんぴらさん」へは今まで一度も行ったことがなかったのだが、急にここに行きたくなったのは昨年来廃仏毀釈に興味を覚えて調べているうちに、廃仏毀釈が起こるまではここは象頭山金光院松尾寺という真言宗の寺院であったことを知ったからである。

金毘羅参詣名所図会

上の絵図は江戸時代の「金毘羅参詣名所図会」の象頭山金光院松尾寺の図だが、左に多宝塔が描かれているのがわかる。

松尾寺の開基は805年とかなり古く、金比羅大権現が守護神だったのだが、「金毘羅」とは梵後(インドの古代語)のKumbhiraの音訳で、「雑阿含経」や「金光明経」、「大宝積経」、「薬師如来本願経」に出てくる印度仏教の神であり仏教守護の神である。

ところが明治に入って、「凡そ神と名のつくものはすべて日本神道のもの」という狂信により、仏教施設が徹底的に破壊してしまった。そして、誰もが今も「こんぴらさん」と呼んでいる施設名を、仏教色のない「金刀比羅宮」とし、町の名前もご丁寧に明治六年に「金毘羅町」から「琴平町」に改称している。

佐伯恵達氏の著書「廃仏毀釈100年」には「明治元年の令達によって、別当職の僧宥常は還俗して琴陵宥常と改名し、金毘羅を改めて金刀比羅宮となし、その宮司となったのです。千古以来の建築物は、仏像仏具類を廃棄して神社にしてしまいました。すなわち、阿弥陀堂が若比売社、観音堂が大年社、薬師堂が旭社、不動明王が津嶋神社、摩利支天堂・毘沙門堂が常盤神社、日子神社、孔雀堂が天満宮、多宝塔は明治三年六月に打ちこわし、経蔵や文庫・鐘楼も打ちこわし、大門は左右金剛力士像を撤去し、二天門も左右の多聞天、持国天の二像を撤去し、万灯堂は火産霊社に、大行事堂は産須毘社に、行者堂は明治五年にうちこわし、山神社は大山祇社と、ことごとく名前を変えて神社として使用することになりました。…こうして、金毘羅大権現も、祭神としての大物主神や崇徳天皇へとすり替えられてしまいました。(引用終わり)」と、書かれている。
ということは、今の「こんぴらさん」には金毘羅大権現はなく、根強いこんぴら信仰に基づく参拝が途絶えないように、良く似た名前の神社名に変えたということだ。
参考までに元禄期の地図と、平成の地図を用意したので、見較べていただきたい。
konpira_genroku.jpg
konpira_genzais.jpg

これは徹底した文化破壊であり腹立たしいのだが、なぜこのような歴史的事実が正しく伝えられないのだろうか。

金毘羅大権現の別当職の僧宥常は、明治元年3月に神仏分離令が出て翌4月には大権現は日本古来の神ではない旨の上申書を提出したが、翌5月には豹変し大国主命と同体であると認める嘆願書を提出している。6月には松尾寺の堂宇を改廃する旨申告し、琴平神社と改名までしている。

この時に神社化に反対した僧侶も少なからずいたようだが、別当職の僧宥常に信者を守り歴史ある文化財を何とか守ろうとした姿が見えてこない。見えてくるのは、自分自身の保身ばかりではないか。

この時期に松尾寺の僧侶がどういう行動をとったかは次回に記すことにして、話を先週の旅行に戻そう。
祖谷のホテルを出て1時間半くらいで目的地近辺に到着し、民間の駐車場に車を預けた。
商店が並ぶ筋を抜けていよいよ階段を上り始める。

祖谷渓・こんぴら 099

最初の施設は365段目にある「大門」。
この大門には左右に金剛力士像があったはずなのだが、今は人形のような随身像が置かれている。

祖谷渓・こんぴら 101

途中で「宝物館」に立ち寄る。1階には三十六歌仙の絵と歌がかかれた絵などが展示されているが、2階に上がると、奥の方にこんな阿弥陀如来像が展示されていた。
祖谷渓・こんぴら 106

この仏像は廃仏毀釈によって川にでも投げ込まれたのであろうか、顔などの輪郭が殆どわからなくなってしまっている。このような破損仏が3体ほど、何の解説文もなく並べられていたが、何故、仏像としては価値を失ったものを「宝物館」に展示するのだろうと考え込んでしまった。

次に「書院」に入る。ここは松尾寺の本坊・金光院のあったところで、円山応挙の障壁画などが残されている。

祖谷渓・こんぴら 111

これが629段目の「旭社」。
祖谷渓・こんぴら 117

以前は松尾寺の金堂であり須弥檀があって仏像が並んでいたのだろうが、今では中はこんな状態になっている。

祖谷渓・こんぴら 118

ここが785段目の金刀比羅宮の御本宮。

祖谷渓・こんぴら 123

この日は快晴で、展望台から眺める讃岐平野の眺めは良かった。
祖谷渓・こんぴら 124

奥の院までは1368段。夫婦とも杖なしで完走して帰路に着いた。

昼食は、いろいろ讃岐うどんのおいしい店をネットで調べていたところに車で行くつもりだったのだが、おなかがすいたので参道の商店街にある「こんぴらうどん」に入る。職人が足踏みし手打ちして包丁切りしたばかりの麺でいただいた「生しょうゆうどん」は、歯ごたえがよく旨かったので、お土産のうどんは全部ここで買って帰ることにした。

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「こんぴら」信仰と金刀比羅宮の絵馬堂

「こんぴらさん」の長い石段を785段登ったところに、金刀比羅宮の御本宮があり、三穂津姫社があり、その隣に絵馬堂がある。

祖谷渓・こんぴら 128

「絵馬堂」には大手や中小の船会社が航海の安全を祈念したり、大漁を祈願する絵馬が所狭しと吊るされている。これは「こんぴらさん」が海の神様だと信じられているからである。

祖谷渓・こんぴら 129


船だけでなく飛行機や日本人で最初の宇宙飛行士となった秋山豊寛氏の絵馬まで並べられている。海の神様が、空まで面倒を見てくれると考えられているのが面白い。

しかし、肝心の航海の神様である「こんぴらさん」こと金毘羅大権現は、明治の廃仏毀釈以降は金刀比羅宮には存在していないのだ。

金刀比羅宮の公式ホームページには「金刀比羅宮には主たる祭神の大物主神(おおものぬしのかみ)とともに、相殿(あいどの)に崇徳(すとく)天皇が祀られています。大物主神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟、建速素盞嗚命(たけはやすさのおのみこと)の子、大国主神の和魂神(にぎみたまのかみ)で農業殖産、漁業航海、医薬、技芸など広汎な神徳を持つ神様として、全国の人々の厚い信仰を集めています。」と書かれている。

この文章は変な文章だ。少なくとも廃仏毀釈までは「漁業航海…神徳を持つ神様として、…厚い信仰を集め」たのは金毘羅大権現の「こんぴら信仰」があったからなのだが、この文章は明治以降のことだけを語っているのか。

金毘羅大権現が廃仏して御祭神が変わってしまったことが遍く知れわたっては、参拝者が激減してしまう。そこで多くの観光客が、御祭神が変わったことを気づかずに参拝できるよう「金刀比羅宮」と、「金毘羅」とよく似た名前を考案したことは容易に想像がつく。

祖谷渓・こんぴら 123

御祭神が「金毘羅大権現」だと思っている参拝者は今も多いと思うのだが、神社参拝の場合は御祭神を見ないで帰るので何も気づかずに参拝して帰ることになってしまう。

前回このブログで、廃仏毀釈の時に神社化に反対した僧侶がいたことを記した。
当時松尾寺には金光院があり、その支配下に真光院、万福院、神護院、尊勝院、普門院があったが、そのうちの尊勝院、普門院がその当時神社化に強く反対したらしい。
その普門院が金毘羅大権現、釈迦如来等を引き継いで松尾寺と名を変えて法灯を継いだのだが、その松尾寺が明治42年に金刀比羅宮を相手取り「現金刀比羅宮の建物・宝物は元来金刀比羅宮のものではなく、松尾寺のものである。」とする訴訟を起こしていることを見つけて興味を覚えた。
いろいろネットで調べると、次のサイトに「六大新報」という宗教新聞に訴訟に至るまでの両者交渉経緯についての面白い記事(明治41年12月20日付)が転載されている。
http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/sos_kotohira.htm
簡単に記事を紹介すると、
明治元年9月:松尾寺金光院の宥常は復飾改名し宮司となり、僧侶二十数名のうち2,3の還俗者を除いては一時金を得て四散したが、普門院宥暁のみは強硬に理を持って、寺院維持を主張した。そこでついに松尾寺一山の堂塔を旧照明寺(寺跡あり)に移し、松尾寺の 法灯を継承することを条件に、松尾寺の私有財産を売却し、家来に分配した。
仏像仏具経巻その他什器は宥暁に引継ぐまでは金堂(現旭社)に格納し、一切の山規寺法などの書類を普門院宥暁に渡した。

明治4年に普門院を金光院の別邸の地に放逐し、宥常は金堂に格納した仏像・仏具を宥暁に引き渡そうとしたが、普門院宥暁は盛大なる引渡し儀式を計画したため、社務所側では再び維新以前の状態に戻ること(金毘羅大権現は寺院であり)を恐れ、前約束は反故にし、一切の仏像などを焼却することに決定した。
一切の物件は元神護院還俗・神埼勝海が総督になり、浦の谷に持ち行き、仁王尊をはじめ仏像仏具経巻などの大過を焼却した。 その折、宥盛法印の木造を火中すると暴風が起き総督は気絶したという。焼却されなかった物もこの騒動で皆紛失した。

その後3代にわたり、松尾寺は社務所と交渉するも回復策に尽力したのだが、社務所側の抵抗が強く事態は好転しなかったので、終に訴訟に及んだとの経緯である。

この訴訟は明治43年7月に裁判所で判決が出て、原告の請求を棄却している。
棄却理由は、明治維新の改革で金光院は還俗し、金刀比羅宮に一切を譲った。この時点で松尾寺金光院は消滅している。現松尾寺はその所有権を主張する正統性はない、というような内容だったそうだ。

松尾寺は、今も金刀比羅宮の参道を外れて海の科学館の近くにあるようである。明治のあの時期に普門院宥暁が黙って宥常から仏像仏具を受け取っていれば、多くの文化財が残されたことだろう。

これだけ由緒のある名所旧跡でありながら、金刀比羅宮には重要文化財はあっても国宝が1件も存在しないのは以上記した経緯によるものである。
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高知からの帰路は讃岐うどん目当てに屋島と栗林公園へ~~四国旅行3日目

松葉川温泉で朝食後、窪川あたりで大変お世話になった親戚と別れて、高松に向かう。
予定では昼前に高松に着いて昼食はもちろん讃岐うどんだ。

讃岐うどんは有名な店が多すぎて行くところを迷ったが、昼頃に到着する計算になるのでどこに行っても混む時間帯に入ってしまう。駐車場のない店や狭い店舗は待ち時間がもったいないので、観光地に近くて駐車場の大きいうどん屋を選ぶしかない。高松の観光は初めてなので、まず屋島にいくこととして、屋島の近くで駐車場が大きくて評判の良さそうな店を旅行前にネットで検索して「わら屋」に行くことにした。

  「わら屋」は四国の古い民家を集めた「四国村」の門前にあり、「わら屋」の建物も、本棟は徳島県西祖谷山村から、東棟は香川県内から移築してきたかやぶき屋根の民家である。ここの駐車場は「四国村」の駐車場も兼ねているものの、200台近くのスペースがあることも安心感がある。

高知・窪川・高松方面旅行 117

「わら屋」の入口は上の画像の通りで、このような雰囲気で讃岐うどんが楽しめるのが良い。有名な店だけあって、お遍路さんも何人も食事しておられた。

この店は釜揚げうどんが評判で、周りを見ると大きなたらいに10玉入った「家族うどん」にチャレンジしているグループが多かったが、こちらは家内と二人なので単品ずつの注文。いつも食事が運ばれてきたらブログ用に写真を撮るのだが、この時はうどんが来るなりすぐに食べだしてしまった。打ち立ての麺はコシがあって、だしも旨くてすんなり胃袋に収まった。

「わら屋」の食事の後は、屋島ドライブウェイを走って屋島寺に向かう。ドライブの途中で源平の古戦場が見渡せるところがある。

高知・窪川・高松方面旅行 119

「屋島の戦い」で平家は、この入江の入口に軍船を停泊させて海上からの源氏の攻撃に備えたと伝えられるが、源義経は牟礼・高松の民家に火を放ち、大軍が来たかに見せかけ、浅瀬を渡って奇襲攻撃をしたとされる。
「平家物語」では平家は安徳天皇と建礼門院を奉じて、船で壇ノ浦に逃げて最後は二位の尼とともに入水することになるのだが、3月に旅行した祖谷には安徳天皇や平家が隠れ住んだとされる武家屋敷などがいくつも残されていることをこのブログにも書いた。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-68.html

祖谷の伝説では屋島の戦いの後、平国盛一族は安徳天皇をお守りして、讃岐山脈を越え、阿波の国吉野川に出て南岸に渡り、祖谷に辿り着いたとされているが、安徳天皇については、祖谷以外でも四国や九州を中心に全国で20箇所ほどの伝承地がある。大阪にも能勢の来留見山の山頂に安徳天皇の陵墓があるそうだ。

源氏と平家の情報戦であるから、どれが真実か、どれが替え玉かはさっぱり分からない。鎌倉幕府が編纂した歴史書である「吾妻鏡」には、壇ノ浦の戦いについて安徳天皇のことは何も書かれておらず、通説は「平家物語」の内容をそのまま採用しているが、これは平家滅亡後数十年後にまとめられた「物語」にすぎず、真実も含まれるが創作が多いと考えてよい。

頂上の駐車場に車を止めて、四国霊場第84番札所の屋島寺に進む。 この寺は天平勝宝6年(754)に来日した鑑真が、大宰府から難波に向かう途中で屋島の山上に瑞光が見えたので船を止めて屋島の北嶺に登り、仏像や経典を納めて開基し、後に弟子の恵運律師が堂宇を整備して初代の住職になったとされる。

高知・窪川・高松方面旅行 127

弘仁6年(815)にこの地を訪れた弘法大師は、嵯峨天皇の勅願により一夜のうちに本堂を建立し、十一面千手千眼観世音を刻んで本尊として安置したとされる。その後山岳仏教の霊場として栄えたが、戦乱で衰退し、歴代の藩主の尽力により修復され現在にいたっている。

高知・窪川・高松方面旅行 135

写真の本堂は鎌倉時代末期に建立されたとされ、国の重要文化財に指定されている。また本尊は十一面千手観世音菩薩でこれも国の重要文化財だ。

屋島寺宝物館にも入ったが、ここには源平盛衰記絵巻物、屋島合戦屏風や平安時代の薬師如来坐像などが展示されていた。

屋島を抜けて、最後の観光地である栗林公園に向かう。
栗林公園はもともと当地の豪族であった佐藤氏によって元亀・天正の頃(1570年代)から築庭されたのにはじまると言われ、その後寛永年間(1625年頃)讃岐領主生駒高俊公によって、南湖一帯が造園され、寛永19年(1642)入封した松平頼重公に引き継がれ、以来5代100余年の間、歴代藩主が修築を重ねて延享2年(1745)に完成した回遊式庭園である。
明治4年に高松藩が廃され、新政府の所有となり、明治8年に県立公園として一般公開され、現在にいたっている。

さすがに旅行3日目で疲れていたので、讃岐民芸館などの展示物は見ずに、60分モデルコースを早足で歩くこととした。
園内の広さは23万坪で、国の特別名勝に指定されている公園の中では最も広いそうだ。

高知・窪川・高松方面旅行 153

松の緑濃い「紫雲山」を背景に、6つの池と築山を巧みに配しており、歩きながら少しずつ変化する景色を楽しむ事が出来る。高松市の中心部にあることを忘れ、美しい山と池と木々の緑を見るだけで充分に癒される時間だった。

高知・窪川・高松方面旅行 158
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Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

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