HOME   »  徳島県・高知県
Category | 徳島県・高知県

箸蔵寺から高知県唯一の国宝建造物・豊楽寺薬師堂などを訪ねて~~高知方面旅行1

以前このブログで、「こんぴらさん」で有名な香川県の金刀比羅宮は明治の廃仏毀釈以前は象頭山金光院松尾寺という真言宗の寺院であったことを書いた。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-69.html

松尾寺の守護神であった「金毘羅大権現」とは、インド仏教の神であり仏教守護の神であるのだが、明治の廃仏毀釈の時に御祭神を大物主神や崇徳天皇へとすり替えられてしまい、金刀比羅宮には「金毘羅大権現」は存在しない。それでも金刀比羅宮を「こんぴらさん」と呼ぶのは、根強い「こんぴら信仰」に基づく参拝が途絶えないように、「こんぴら」とよく似た名前の「金刀比羅宮」という名前に変えたためである。

松尾寺にあった多くの仏像はこの時期に多くが破壊されたが、一部は金刀比羅宮の宝物館に破壊されたままの姿で残され、金毘羅大権現の本地仏である不動明王と毘沙門天の二尊は数奇な運命を経て、今は岡山県の西大寺観音院に安置されている。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-71.html

このように、「こんぴらさん」であった松尾寺は明治初期の廃仏毀釈で金刀比羅宮にされてしまったが、古くから「こんぴらさん奥の院」と呼ばれていた四国別格二十霊場十五番札所の箸蔵寺(はしくらでら:真言宗御室派別格本山)は、今も「金毘羅大権現」が祀られて神仏混淆の風習を残しているという。

建物の装飾彫刻が素晴らしいと聞いていたので、以前からこの寺に行ってみたいと思っていた。このたび高知方面に行く旅行を企画して、その途中で立ち寄ってきた。

大阪の自宅を出発して、11時過ぎに箸蔵寺のロープウェイの麓に着いた。すぐそばにある「さぬきや」といううどん屋で早めの昼食をとる。

普通の人は山頂の箸蔵寺にロープウェイで上るのだが、往復1500円の運賃を節約しようと中腹の仁王門の近くの駐車場を目指してしまった。対向車が来なかったから良かったものの3.6kmの細い坂道を走ることは登りも下りも冷や汗ものだった。
駐車場に着いてからの山頂の箸蔵寺までの距離は思った以上にあり、また途中から急坂となっているので箸蔵寺への登り道は結構きつかった。余程の健脚で車の運転に自信がある人はともかくとして、はじめから箸蔵寺方丈までロープウェイで行く方が無難な選択であることは確かである。

箸蔵寺仁王門

これが箸蔵寺の仁王門。明治時代に高知県から移築されたものだそうだ。
仁王門をくぐると大きな鳥居があり、しばらく行くと鞘橋という屋根つきの橋があり、そこに烏天狗や役行者像が出迎えてくれる。「神仏混淆」時代のお寺とはこのようなものだったのかと不思議な気分になる。しばらく進むと次第に急坂となるのだが、二つめの鳥居を過ぎてからの最後の長い階段は正直言って辛かった。

箸蔵寺は平安時代の天長5年(828)に空海が当地に霊気を感じて山に入ると、金毘羅大権現が現われて「箸を挙ぐる者、我誓ってこれを救わん」というお告げを受け、空海自ら金毘羅大権現の像を刻んで堂宇を建立したと伝えられているが、江戸時代に二度の火災があり、その時に伽藍の大半を焼失してしまった。
現在の建物の大半は江戸時代末期に建立されたものだそうだが、本殿、護摩殿、方丈、薬師堂、鐘楼堂、天神社本殿が国の重要文化財に指定されている。

箸蔵寺本殿

これは金毘羅大権現(秘仏)が祀られている本殿だ。扁額があってそこには「金毘羅大権現」と書かれている。たまたま内部で祈祷をしておられて、まるで神社のように最後に柏手を打たれたのに驚いた。明治以前は、祈りの作法までお寺も神社も同じであったのだろうか。

箸蔵寺本殿の彫刻

本殿の建築装飾をクローズアップしてみたが、これだけの彫刻が施された建物を見ることは少ない。宮大工棟梁たちの気迫を感じる建物である。

箸蔵寺方丈の装飾

方丈や護摩殿の建築装飾もすごいが、方丈の大玄関の装飾を紹介しよう。戸袋には前面に虎の彫刻が施されている。

箸蔵時方丈の虎の彫刻

案内板には「このような大規模で装飾的な建築は四国でも類がない」と書かれていたが、今も多くの宮大工が箸蔵寺の建物を見に来るという話は納得できる。

次に第二の目的地である、高知県唯一の国宝建造物である豊楽寺(ぶらくじ:真言宗)薬師堂に向かう。

高知県には国宝としてはこの豊楽寺と、工芸品としては小村神社にある金銅荘還頭大刀拵大刀身と高知県立歴史民俗資料館にある古今和歌集巻第廿の3つしかない。
http://otakaramap.funboy.info/modules/pico/index.php?content_id=241

その理由は明確である。明治初期の高知県の廃仏毀釈がすさまじかったからである。 次のURLで高知県の廃仏毀釈について比較的詳しく書かれている。
http://ilove.manabi-ehime.jp/system/regional/index.asp?P_MOD=2&P_ECD=1&P_SNO=10&P_FLG1=3&P_FLG2=1&P_FLG3=1&P_FLG4=1

ポイントを少し引用すると
「江戸時代の土佐では、比較的規模の大きな寺院は檀家が少なく、藩主の保護のもとで広い寺領を得ていた。四国遍路の札所でも、堂塔が破損した場合などは、常に藩主の命令により修理が加えられていたという。
ところが維新後、高知藩の「社寺係」となった国学者北川茂長を中心として、四国の中では例外的に、きわめて強力な廃仏政策が展開されることになった。まず明治3年(1870)に廃仏的意図を持って、寺院から土地山林を没収し僧侶の還俗を要請する布告が藩庁から出された。さらに旧藩主山内家自身が、それまでの仏葬祭をすべて神葬祭に変更したため、菩提寺として寺領100石を有していた真如寺は住職が還俗し神官として教導職をつとめるようになり、寺は廃寺と化した。」

そのために、土佐国内の寺院総数615の内、439もの寺院が廃寺になったというのだ。
四国遍路の札所であった土佐16の寺院中7寺院が廃寺の届け出を提出し、他にも実質的に廃寺となった寺があったと書いてある。この時に多くの文化財が失われたことは想像に難くない。
以前私のブログで薩摩藩の廃仏毀釈について書いたことがあるが、薩摩藩は土佐藩よりももっと過激で、1066寺の全てが廃されている。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-83.html

このように明治の初期にはとんでもない文化破壊があったのだが、普通の歴史書にこの事実を書いていることは稀だ。その理由は簡単で、明治維新で権力を掌握した勢力が廃仏毀釈を推進したからである。いつの時代もどこの国でも、権力者にとって都合の悪い事実は歴史の叙述から排除されるものなのだ。

これだけ厳しかった廃仏毀釈の嵐の中を生き抜いた、高知県で唯一の国宝建造物がどんな建物なのかと興味を覚えて豊楽寺薬師堂を訪問することにしたのだが、この寺も随分山奥にあった。
箸蔵寺の駐車場に続く道よりかは幾分走りやすかったとは言え、ここも細い道が3kmばかり続く。所々に待避所があるが、対向車が来ないことを祈りながら走り、ようやく豊楽寺の駐車場にたどり着いた。

豊楽寺

これが国宝の豊楽寺の薬師堂である。
豊楽寺は元亀元年(724)、行基の開基と伝えられ、本堂の薬師堂は仁平元年(1151)年に創建された四国最古の建造物である。単層入母屋造、杮葺きの屋根の勾配がシンプルで優雅である。
この薬師堂には国の重要文化財に指定されている木造阿弥陀如来坐像、木造薬師如来坐像、木造釈迦如来座像が安置されているそうだ。いずれも藤原時代に制作されたもので、予約すれば内部の拝観もできたようだがこの日はただ建物を鑑賞しただけで終わってしまった。

この四国最古の建築物も、やはり廃仏毀釈とは無縁ではなかったようだ。
現地の案内板には何も書かれていないのだが、次のURLには豊楽寺の歴史などが比較的詳しく書かれており、廃仏毀釈に関しては「明治4年廃仏毀釈の法難にあった後は、粟生の定福寺の飛地仏堂として僅かにもちこたえて来た。しかし明治18年に豊楽寺の再興に伴い本堂として復活した。」とだけ書かれている。
http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&frm=1&source=web&cd=5&ved=0CDsQFjAE&url=http%3A%2F%2Fwww.town.otoyo.kochi.jp%2Fdownload%2F%3Ft%3DDWNLD%26id%3D1%26fid%3D2422&ei=4i59UJmlA6f3mAXhoYHIDA&usg=AFQjCNHFlpyTyOV0mj1qgPio3k8usDMCFw&sig2=i9tL51Fj4RRs37GKCMVA6A

「粟生の定福寺」というのは、豊楽寺の東にある真言宗の寺院だが、定福寺のHPには「明治廃仏毀釈の惨劇は、高知県は全国の中でも大変なものがあり、何百力寺も廃寺となった。当時、定福寺は檀家よりの嘆願により廃寺を免れた。」と、ここでも簡単に書かれているのだが、定福寺が廃仏毀釈の狂気から守られたのは檀家、信徒の祈りの力によるものであり、それがあったからこそ豊楽寺も守られたと理解していいのだろう。
http://www1.quolia.ne.jp/~jofukuji/2_1.html

それにしても、高知県唯一の国宝だというのに、訪れる人は他には誰もいないというのは淋しい限りだ。豊楽寺は大きな建物なのだが、四国八十八箇所霊場にも選ばれていない。
駐車場の隣に店舗らしき看板があるのだがシャッターが下りてしまっている。観光客がほとんど訪れない場所では商売が成り立たないのだろうが、これだけの文化財があるのならば、もっと観光などに活かすことはできないのだろうかと残念に思う。
豊楽寺に限らず山奥に残された文化財を、日本人はこれからどうやって守っていけばよいのだろうか。山村に限らず地方は老齢化し、寺院や神社を守ってきた地域の人々はこれから減っていくばかりで、このままでは多くの文化財を失ってしまうのではないかと心配だ。

豊楽寺の後は土佐国分寺に向かう。
国分寺は四国八十八箇所霊場二十九番札所であり、お遍路さんがバスに乗って大勢参拝しておられた。

土佐国分寺

国分寺は天平13年(741)の聖武天皇の国分寺建立の詔により建てられたもので、行基が開山し、後に空海が中興したと伝えられる。画像は国の重要文化財に指定されている金堂で本尊は千手観世音菩薩だ。
国分寺周辺は中世まで土佐国の国府があった場所である。「土佐日記」の作者である紀貫之は土佐国の国司として4年間この地に滞在したという。

国分寺に続いて、土佐神社に向かう。

土佐神社

土佐神社は社伝によると雄略天皇の時代に創建されたとしているが、実際の創建年代はよく解っていない。上の画像は国の重要文化財に指定されている拝殿である。

四国八十八箇所霊場は今では寺院ばかりなのだが、神仏習合であった江戸時代の三十番札所は高鴨大明神社(現在の土佐神社)だったらしく、その高鴨大明神社の別当寺として善楽寺(ぜんらくじ)があったのだそうだ。
ところが神仏分離により善楽寺が廃寺となり、善楽寺の本尊は二十九番札所の国分寺に合祀され、三十番の納経は国分寺が兼ねた時代があったそうだが、明治9年に旧善楽寺の本尊を国分寺から安楽寺(高知市洞ヶ島町)に遷座して三十番の札所とし、一方昭和4年には地元民が旧善楽寺跡地に善楽寺を再興し、その結果三十番札所が2ヶ寺存在することとなり、「遍路迷わせの札所」としてお遍路さんを困惑させていた時代が長く続いたという。
その争いが決着したのは平成6年で、今では30番札所は善楽寺で、安楽寺はその奥の院ということなのだそうだ。
http://ilove.manabi-ehime.jp/system/regional/index.asp?P_MOD=2&P_ECD=1&P_SNO=10&P_FLG1=3&P_FLG2=1&P_FLG3=1&P_FLG4=1

善楽寺

上の画像は土佐神社に隣接する善楽寺だが、随分新しい建物であった。

旧関川家住宅

近くに国の重要文化財に指定されている旧関川家住宅があるので立ち寄った。郷士・豪農の住宅であったようだが、こういう古い茅葺の家は青い空に良く似合う。

1日目の旅程を終えてホテルにチェックインした後、友人と会いに葉牡丹という居酒屋に向かう。友人との会話も弾んで楽しかったが、この居酒屋の料理も良かった。何をオーダーしても鮮度抜群で、鰹のたたきや刺身やどろめなど、何を食べても旨かった。
地元の人が勧めるお店で、酒を交わして食事を楽しみながら交流が出来て、とても有意義で楽しい一日だった。 <つづく>
****************************************************************
ブログパーツ

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。よろしければ、この応援ボタンをクリックしていただくと、ランキングに反映されて大変励みになります。お手数をかけて申し訳ありません。
    ↓ ↓         


にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ




FC2カウンター
最近の記事プルダウン
全記事表示リンク
ブログ内検索
『しばやんの日々』のブログ内の記事をキーワードで検索できます。検索された全てのブログ記事と、記事の最初の文章が表示されます。
プロフィール

しばやん

Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

***********************
Facebook、twitterなどで記事を拡散していただいたり、リンクしていただくことは大歓迎ですが、このブログ記事のURLとブログ名は明記していただくようよろしくお願い致します。

コメント、トラックバック共に歓迎しますが、記事内容とあまり関係ない内容を論拠を示さないまま一方的に自説を唱えたり、どこかの掲示板などの文章をまるまる引用しているだけのコメントは削除させていただくことがあります。

匿名のコメントや質問にはできるかぎり対応させていただきますが、回答する場合はこのブログのコメント欄でさせていただきます。

また、お叱りや反論もお受けしますが、論拠を示さないで一方的に批難するだけのものや、汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメントなど、不適切と思われるものぱ管理人の権限で削除させて頂く場合がありますので、予めご了承ください。
***********************

リンク
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
新しいカテゴリに移すなど、カテゴリを時々見直すことがありますので、記事をリンクされる方は、個別記事のURL(末尾が"/blog-entry-***.html")をご利用ください。
年別アーカイブ一覧
RSS登録er
タグクラウド

RSSリンクの表示
QRコード
QRコード
日本語→英語自動翻訳【星条旗】
このページを英訳したい人は この下のEnglishの部分をクリックすれば ある程度の英語の文章になるようです。
ブログランキング
下の応援ボタンをクリックして頂くと、ランキングに反映されて大変励みになります。お手数をおかけしますが、よろしくお願い致します。
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

おきてがみ blogram
ブログランキングならblogram
文字を大きく・小さく
    月間人気記事ランキング
    個別記事への直接アクセス数の今月1日からの合計値です。毎月末にリセットされます。このブログのアクセスのうち6割以上は検索サイト経由、約2割は何らかのリンクを辿って、過去の記事のURLに直接アクセス頂いています。
    51位以降のランキングは、リンク集の「『しばやんの日々』今月の人気ページランキング (全)」をクリックしてください。
    人気ブログランキング 日本史
    「人気ブログランキング」に参加しているブログの1週間の応援ボタンのクリック件数を集計し、日本史部門でランキングを表示したもの。
    ブログ村ランキング 日本史
    にほんブログ村に参加しているブログの、1週間の応援ボタンのクリック件数を集計し、日本史部門でランキングを表示したもの。
    ブログサークル
    ブログサークル
    ブログにフォーカスしたコミュニティーサービス(SNS)。同じ趣味の仲間とつながろう!
    ツイッタータイムラン
    逆アクセスランキング
    24時間の逆アクセスランキングです。表題の「アクセス解析研究所」をクリックすると、詳細な解析結果が分かります。
    PINGOO! メモリーボード
    「しばやんの日々」記事を新しい順にタイル状に表示させ、目次のように一覧表示させるページです。各記事の出だしの文章・約80文字が読めます。 表示された記事をクリックすると直接対象のページにアクセスできます。
    おすすめ商品
    旅館・ホテル