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外国人に無着菩薩立像(現国宝)を売った興福寺

遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。
昨年の11月下旬に、生まれて初めてブログにチャレンジしてみましたが、予想を上回るアクセスをいただき大変励みになっています。拙い文章ではありますが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
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前回に興福寺の阿修羅像の事を書いたが、その中で興福寺のホームページの中に「古写真ギャラリー」というコーナーがあり、現在国宝にされている阿修羅像や無着菩薩立像、世親菩薩立像などが雑然と置かれている写真を紹介したが、今回も再掲しておこう。

興福寺集合仏体

このように雑然と置かれている状態がどれくらいの間続いたかはわからないが、信仰の対象であったはずの仏像がどういう経緯で野ざらし状態になったのかと、まず不思議に思う。

「五等 東金堂集合佛體」などという写真の表題も変だ。いかにも売るために等級をつけたような印象を受けるのは私だけだろうか。「佛體」という表現は、信仰の対象としての仏像に使う言葉とは思えない。

鎌倉時代に運慶が作った国宝無着菩薩立像は、現在興福寺の北円堂に安置されており、私も2年前に阿修羅像を見た日にしっかり鑑賞してきたのだが、この有名な仏像が以前は外国人が所有していたことを、昨年末にネットで知った。

無着像

アマチュアの仏像研究家で朝田純一さんという方が「埃まみれの書棚から」という素晴らしいホームページを立ち上げておられ、この経緯について次のサイトで、さまざまな古寺、古仏に関する書籍とともに紹介しておられる。
http://www.bunkaken.net/index.files/raisan/shodana/shodana9.htm

このホームページによると、岡倉天心らが明治22年に発刊した「国華」という美術研究誌の創刊号に興福寺の無着菩薩立像が「ビゲロー氏所蔵」と書かれているらしい。

ビゲロー氏とは、明治14年(1882年)に来日したアメリカ人で、日本滞在の7年間で仏画から浮世絵や刀剣、漆器、彫刻など1万数千点を収集し、明治44年(1911年)にボストン美術館に寄贈した人物である。

「名品探索百十年、国華の軌跡」(水尾比呂志著:朝日新聞社刊)という本には、

「挿話の伝えるところ、その折(明治21年、九鬼隆一に率いられ岡倉天心、高橋健三が関西の古美術調査を行ったとき)文部省美術顧問ビゲローに、奈良興福寺が運慶作無着像を十数円で売り渡した事実を知って憤激した、という。我が国古美術の危機を世に知らしめる早急な措置の必要が、一同に痛感されたに違いない。」という記述があるそうだ。

我が国文化の混乱期に、フェロノサやビゲローやモースが日本の仏教美術や古美術品の価値を見出してその世界的評価を高めたことは有難いことであったが、それらを安値で買い集めて海外に流出させた張本人という見方もあるようである。

しかしながら、王政復古・祭政一致の理念に基づく宗教政策や西洋世界に追い付くための富国強兵、欧風化政策が進められる中で、日本人自身が廃寺となった寺院の仏像などに価値を充分に見いだせていなかったこともあるのではないか。

明治30年に古社寺保存法が制定され、明治31年に岡倉天心が設立した日本美術院で仏像などの修復活動が本格的に始まるのだが、もしフェロノサやビゲローの活動がなければ、このような修復活動がもっと遅れて、この時期にもっと多くの文化財が失われたかもしれないのだ。
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寺院が神社に変身した談山神社

3年前に談山神社の紅葉を見に行ったことがある。

談山神社と明日香散策 021

事前にネットでこの神社を調べた際に十三重塔の写真を見て、「神社にこんな塔があるのは珍しいな」とは思ったが、その時はあまり深く考えなかった。

昨年来、明治時期の初期の歴史に興味を持つようになり、この、桜と紅葉の名所は廃仏毀釈までは多武峰(とおのみね)寺あるいは妙楽寺と呼ばれるお寺であったことを最近になって知った。

このお寺の歴史は古く、西暦678年に藤原鎌足の長男の僧定恵が、父の鎌足の墓をこの地に移して十三重塔を造立し、680年に講堂が創建され妙楽寺と号し、その後701年に本堂が建築され、平安時代になると藤原氏の繁栄とともに隆盛したが、天台宗に転じて叡山の末寺となってからは興福寺と争い、度々興福寺の焼き討ちにあったといわれる。

江戸時代には寺領3000石、42坊の堂宇が存在したそうだが、廃仏毀釈の時に寺院のまま存続するか神社として存続するかで意見が割れ、結局神社として存続することになり、談山神社と名前を変えて、多くの仏像・仏具・経典などがその時に二束三文で売却されたり棄却されたらしい。

談山神社の名前の由来は、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足が蘇我氏を倒す談合をこの多武峰で行い、後世この場所を「談(かた)らい山」と呼んだことによるとされる。

tonomine21.jpg

寛永3年(1791年)に出版された「大和名所図会」に、江戸時代の妙楽寺の案内図が書かれており、これと最近の談山神社の案内図と見比べると面白い。妙楽寺の建物が、朱塗られたり一部改築されて神社の建物に使われているそうだ。

談山神社案内図

たとえば妙楽寺の聖霊院は神社の本殿に、護国院は拝殿に、講堂は神廟拝所に変わっている。十三重塔が、神廟十三重塔などと名前が変わっているのも面白い。

談山神社のように寺院が神社に変わったものは、探せばいくらでもあるようだ。以前、石清水八幡宮(京都)や鶴岡八幡宮(神奈川)の事を書いたが、有名なところでは宇佐八幡宮(福岡)、金毘羅大権現(香川)、大神山神社(鳥取)も廃仏毀釈の時に寺院が神社になったものである。

明治の廃仏毀釈は、日本全国の国家神道化をはかるクーデターのようなものだと最近思うのだが、神社のホームページを見ても寺院のホームページを見てもほとんどがこのことに触れられていないようだ。しかし、このことを知らずして、この時期になぜ多くの文化財が失われたかを理解することはできないと思う。
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「奈良県」が地図から消えた明治の頃のこと

奈良県にはかって飛鳥浄御原京や平城京があり、古い寺院や神社が多くて日本人の心のふるさとでもある。この重厚な歴史のある「奈良県」という県名が、かって地図から消えたことがあることなど思いもよらなかったが、明治時代の11年半にわたって奈良県が消滅していることを最近インターネットで知った。
東大寺と郡山城の桜 069

「なら」は「奈良」と書いたり「寧楽」と書いたり「平城」とも表記されるが、平安時代から鎌倉時代にかけて東大寺や興福寺の門前町として「奈良町」が生まれ、江戸時代には奈良町に奉行所がおかれて政治の中心地となっていた。
明治新政府も奈良町に大和国(郡山藩、高取藩、柳生藩など)鎮撫総督府をおき、慶応4年に「奈良縣」と名付けられた。

明治時代に「奈良縣」は「奈良府」と呼ばれたり、また「奈良縣」に戻ったりめまぐるしく名前が変わっただけでなく、境界線も何度も変わっている。たとえば、明治3年には吉野郡あたりは「五条縣」であったし、明治4年の廃藩置県により、大和郡山、高取、柳生などの小藩がそれぞれ縣名をとなえた時期があったが、その年の11月には小藩がまとまって大和全域を管轄する「奈良縣」が成立している。

しかし、明治9年4月に府県の統廃合が行われて奈良県は大阪南部にあった堺県に編入され、ついで明治14年には、東京・京都・大坂の三府のうち最も財政基盤の弱かった大阪府を補強するために堺県が大阪府に編入されてしまった。

その結果、予算の多くが摂津・河内・和泉地区の河川改修などに重点的に配分されたり、旧奈良県で不可欠な予算が削られるようなことが頻発した。

そのころから奈良県再設置運動がはじまり、6年後の明治20年(1887年)11月に再び奈良県が誕生した。要するに明治9年から11年半にわたって「奈良県」が地図上から消えてしまったのである。

しかし奈良県の再設置は決して簡単ではなかった。

旧奈良県出身の恒岡直史・今村勤三議員らが中心となって内務省や太政官に何度も陳情をしたが却下され、元老院に二度にわたる建白書の提出も実らず、山形有朋内務大臣や松方正義大蔵大臣に直接請願して、伊藤博文総理大臣からやっと内諾をとるなど大変な苦労をしたことや、その後も大阪府の抵抗があり当時府会の議長であった恒岡氏は辞職勧告の建議案が出て議会は混乱し、恒岡氏は勧告が出る前に議長を辞任している。

このような詳しい経緯が「奈良県誕生物語」というサイトに書かれているが、このサイトは小説のように面白く、興味のある人は堺市編入以降の第三章から読み始めても結構楽しめると思う。
http://www.kamarin.com/special_edition/index_0.htm

今の奈良県は幕末の頃、郡山藩、柳生藩、高取藩の他にも小泉藩、柳本藩、芝村藩など1万石程度の小藩が乱立していたし、そう簡単に一つになれる素地は乏しかったと考えるのが自然である。まして、当時の大阪府の中では旧奈良県の議員は少数派でしかなかったので、大阪府の議会で奈良県が誕生することを容認する可能性は当初から極めて低かった。

何度却下されても、明治政府に対して奈良県再設置を求める恒岡直史議員らの粘り強い活動がなければ、奈良県の再設置はなかったかずっと遅くなったことであろうし、地域の発展がもっと遅れたのではないだろうか。

今の政治家にこのような人物がほとんどいないのは残念だが、このような明治期の政治家の努力があって現在の奈良県があることを忘れてはいけないのだと思う。

またここまで努力した先人がいたことを多くの人が知ることによってこそ、志のある人が政治家を目指すようになり、選挙民もまた志のある人を政治家に選ぶようになり、政治家が安易な対応をすることを許さなくなるのではないだろうか。
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Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

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