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節分の不思議

子供の頃に家族と京都にある吉田神社の節分に行ったことがある。私の実家はお寺なのだが、節分の日は行事らしきものがなかったので、それ以来長い間、節分は神社の行事だと思っていた。
高校の時に、壬生寺などお寺で節分の行事を行うところがあることを知った。京都では壬生寺の他にも、六波羅蜜寺、廬山寺などのお寺で節分の行事がとりおこなわれている。一方、神社では、吉田神社、上賀茂神社、下鴨神社、伏見稲荷大社などでも節分の行事が行われている。
「節分」はなぜ、お寺でも神社でも行われているのか興味を覚えていろいろ調べたことがあったがその時はあまりよくわからなかったし、節分行事に神道とも仏教とも異質なものを感じた。

「節分」について、どこにでも書いてある内容は、
「節分」とは季節の変わり目のことで、正しくは立春・立夏・立秋・立冬の前日の4回あること。
各季節の終わりの18日間は「土用」と言われ、季節の変わり目で体調が不安定になりやすく、特に冬の時期は鬼門が開くと言われて、鬼が出没して人間界に悪さをすると考えられてきたこと。
これを封じるために、豆まきをして鬼を追い払い福を招く、あるいは鰯の頭を柊の枝にさして門戸に立てて邪気の侵入を防ぐというのだが、古代中国の「追儺(ついな)」といわれる厄祓いの行事が、日本に入って宮廷の越年行事として迎えられ、朝廷での追儺は陰陽師によって行われたということなどである。

古代中国では「鬼」が出てくることはないが、なぜ日本の行事では「鬼」が出てくるのか。なぜ「豆」が出てくるのか。なぜ、神社でもお寺でも行事が行われるのか。

中国の「五行説」によると季節と方角との関係が記されており、冬と春の間の「節分」は方角で言うと東北を指すそうだが、東北の方角は日本では「鬼門」と言われるので、鬼が出てきたという説もある。では、何故東北の方角を「鬼門」と呼ぶようになったのかがわからない。

また何故炒った豆を撒くことが、邪気を追い払うことにつながるのか。「豆」は「魔目」あるいは「魔滅」と解釈し、豆を持って鬼の目を潰し魔を滅するという説が有力だそうだが、どうもしっくりこない。何故年齢の数プラス1個の豆を食べるのかもよくわからない。

何故神社でもお寺でも行事が行われるのかについては、明治以前は、神社もお寺も神仏習合で境目がなかったと理解すれば少しは理解しやすい。旧暦で言えば、「節分」は「正月」と同じようなものだ。正月にお寺に初詣する人は神社ほどではないが、少なからずおられる。それと同じだと考えれば良いのではないか。

しかしながら、「鬼は外、福は内」などというのは、仏教の考え方とは何か違和感があるような気がする。仏教の考え方では、簡単に福が来るのではなく、それなりの努力をして福が来るとするのが普通ではないかと。

そんなことを考えて色々調べると、成田山新勝寺では「福は内」だけを唱えて、「鬼は外」を言わないらしい。東京の亀戸天神では逆に「鬼は外」しか言わないとのことである。雑司ケ谷の鬼子母神では「鬼は内、福は内」、奈良県吉野山の蔵王堂では「福は内、鬼も内」、京都福知山の大原神社では「鬼は内、福は外」と言うそうで、どういう経緯でそう唱えるかはよくわからないが、日本全国のお寺や神社でいろんな節分があるようである。
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明治の初期に、鹿児島県で何があったのか

以前「消えた門跡寺院」という表題で安永9年(1780)に刊行された「都名所図会」のことをブログに少し書いたが、その「都名所図会」が刊行されてから、全国で名所図会の出版がブームとなり、「江戸名所図会」「大和名所図会」「江戸名所図会」「木曽路名所図会」などが次々と出版された。
薩摩藩(現在の鹿児島県)についても「薩藩名勝志」という本が文化3年(1806)に出版されたが、この本は薩摩藩の名勝や神社仏閣の由来などを485もの絵図とともに和歌等を織り込みながら解説した、19巻19冊の和装本である。また、明治になってから出版されたが大隅藩、日向藩の名勝を書き加えられた「三国名勝図会」(三国とは「薩摩」「大隅」「日向」のこと)という60巻20冊の和装本もある。

三国名勝図会

江戸時代の薩摩の名所や旧跡についてこれだけの案内書があるのなら、今も鹿児島県に観光名所となるような有名な寺院がいくつあってもおかしくないのだが、今の鹿児島県には、建築物でも古いものがほとんどなく、わずかに室町時代に建築された神社の建物が2件と江戸時代以降に建築された神社と旧家の建物が数件重要文化財として残っているだけだ。仏教関係では建築物だけでなく、仏像や仏画なども文化財となるようなものは何もない。
その理由は簡単である。明治の廃仏毀釈で寺院が徹底的に破壊されたからである。現在鹿児島県に国宝が銘国宗の太刀1本だけしかないのは、明治初期の廃仏毀釈を抜きにしては語れない。

「神仏分離資料」によると、この時期に鹿児島県の寺院1066寺が一つ残らず廃され、僧侶2964人が還俗させられたということだ。

そもそも、薩摩藩累代の藩主は熱心な仏教信者であり厚く寺院を保護してきたのだが、藩主島津忠義の後見役の島津久光は決してそうではなかった。

佐伯恵達氏の「廃仏毀釈百年」によると、幕末期の薩摩藩において仏教を排撃せよとする平田篤胤の思想が流行し、「寺院に与えている禄高は軍用に充て、仏具は武器に変え、寺院の財産は藩士の貧窮者に分与し、若い僧侶は兵役に使う」との考えで、徹底的に寺院が破壊されていった。
また島津藩累代藩主の菩提寺も、島津久光自らがすべて神社にしてしまった。 すなわち浄光明寺を龍尾神社に、日新寺を竹田神社に、南林寺を松尾神社に、妙谷寺を太平神社に、妙円寺を徳重神社に、福昌寺を長谷神社とした。

福昌寺80

上の写真は、「三国名勝図会」にある福昌寺の図だが、この寺院は応永元年(1394)島津家七代元久が建てた名刹で日本三大僧録所と呼ばれた大きな寺院であったが、今は玉龍高校の敷地となり、その近くに歴代島津家の6代師久から28代斉彬までの当主の墓や家族の墓が残されているだけだ。

久保田収氏の「薩摩藩における廃仏毀釈」という論文には、島津斉彬の側近であった市来四郎の談として、次のような発言が記録されているそうだ。
「寺院を廃して、各寺院にあるところの大小の梵鐘あるいは仏像仏具の類も許多の斤高にして、これを武器製造の料に充て、銅の分を代価に算して、およそ十余万両の数なり」
「僧侶も真に仏教に帰依していた者はなかったようで、おおむね還俗することを喜んだそうな」
「仏像の始末については、石の仏像は打ち壊して、川の水除などに沈めました。今に鹿児島の西南にある甲突川という川の水当のところを仏淵とよびます。すなわち仏像を沈めたところでござります。木の仏像はことごとく焼き捨てました。」
「大寺の大門とか楼閣とかを打ち壊すに、大工人夫共が負傷でもすると、人気に障りますから、大いに念入りに指揮いたしました。大工人夫共の屋根から落ちて負傷したこともなく、滞りなく打ち壊しました。その頃の巷説に、昔の人は大寺だの大像だのを造立して、金銭を遣い、丹精もこらしたもので、それだけの効験があるものと思うたが、今日打ち壊してみれば、何のこともない、昔の人は大分損なことをせられたものだなどと言いました。仏というものは畢竟弄物みたいなものであったという気になりました」

こんな考え方の役人が全国にいたのだから、どれだけの文化財が無くなってもおかしくない。

園林寺の首なし像70

上の画像は小松帯刀が眠る園林寺跡の仁王像だが、インターネットで鹿児島県の廃仏毀釈の写真を検索するとこのような首のない仏像などがいくらも出てくる。しかし鹿児島ばかりが激しかったわけではない。他県では殺人事件もあったようだ。
「例えば、宮崎市古城の伊萬福寺の場合は、住持の僧が暴徒によって山上の崖から蹴落とされたという口碑があるし、隣県大分の国東の富貴寺の場合などは、僧侶を皆殺しにして土に埋めました。今にその供養碑が境内に残っています。(佐伯恵達氏:前掲書)」

通史では廃仏毀釈については「国学や神道の思想に共感する人々の行動が一部で非常に過激になり、各地で仏教を攻撃して寺院や仏像を破壊する動きがみられた」程度で淡々と書かれているが、このような文章では、この時代の空気を到底理解することはできないと思う。
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明治期の危機を乗り越えた東大寺

以前このブログで、明治初期に奈良の大寺院が次々と廃寺になって、石高が大きい寺院で今も残っているのは、興福寺、法隆寺、東大寺、吉野蔵王堂だという事を書いた。興福寺と法隆寺の事はすでに書いたので、今回は東大寺の事を書こう。

東大寺明治5年

ここに明治5年に撮影された、東大寺大仏殿の写真がある。重たい屋根を支えきれずに何か所が垂れ下がり、かなり屋根が歪んでいるように見える。崩れそうな屋根を支えるために、建物の外に木材が何本か組み立てられているのも写っている。「軒反り」といわれる軒先の 微妙な反りがほとんどなくなっている。現在の東大寺と比較すればその違いは明らかである。

東大寺

廃仏毀釈が吹き荒れた明治の初期の東大寺大仏殿がこんなに傷んでいて、大きな地震でもあれば倒壊してもおかしくない状況だったことを私が知ったのはつい最近の事だ。

当時の大仏殿は江戸時代の元禄期に再建されたもであったが、設計に狂いがあったために建築全体に歪みが生じ、建物全体が反時計回りに捻じれており、雨漏りもひどかったらしいのだ。

東大寺内の伽藍堂宇の造営修理に携わる勧進所が江戸時代の修理の際より東大寺塔頭の龍松院にあり、それ以来東大寺当局には大仏殿の管理権がなかったのだが、明治になって勧進職自体が廃止されてしまって、東大寺は大仏殿の修理のめどがつかなくなってしまった。

明治3年に東大寺は奈良県に、大勧進職の職名を復活することを嘆願したのだが、「大仏殿は東大寺全体で管理すべきものであり、寺禄により修理するように」との指示がなされ、次に明治政府に同様の申し出をしたが「全国で廃止している勧進職を復活することはできない」と突き放されている。

そして明治4年には寺領上知の令で土地が没収され、大きな収入源が断たれてしまい、各堂の賽銭などの収入では、堂宇の修繕どころか僧侶の日々の生活もままならない状態になった。

さらに大きな問題は、それまで大仏殿の管理権を持っていた龍松院側が東大寺当局に大仏殿を引き渡すことを拒んだことである。本来ならば、勧進職である龍松院は大仏殿を修理する手はずを整えなければならなかったのであるが、大仏殿の賽銭収入や信者や有志から修繕費用を集める利権や資金などは手放したくなかったのだ。

ただしこの問題は奈良県が通達を出して、明治5年に大仏殿の管理権がようやく東大寺当局に移ることになるが、勧進職の復活を認めてもらえないために、修繕費用を集めることもできない状態が長く続いた。

年数がたち、天竜寺や東福寺で勧進許可の前例が出て、明治15年になって東大寺は大阪府(以前のブログで書いたように、当時は奈良県は大阪府に吸収されていた)に、国の巨額の寄付と信者の布施と勧進により財源を確保して大仏殿を修理したい旨の願書を提出している。しかしながら大阪府は、国からの寄付を拒否し、信者の布施と勧進だけを許可している。要するに、寺の修理の資金は自分で工面せよという考え方であった。

ところが明治政府の対応に若干の変化が出てくる。10月に大仏殿修理に関する寄付勧進許可が出た際に、宮内庁から500円の下賜があった。

東大寺側も全国的な勧進と信者からの布施を集めるための大仏会が組織されて、資金集めを開始するのだが、当初はなかなか資金が集まらなかったようである。当初の予算は42700円であったが、明治16年から25年までに大仏会で集めた資金は4600円に過ぎなかった。

そこで東大寺は明治25年に大仏殿営繕費下賜願いを明治政府に提出したところ、今度は寺社局長から3500円、内務省から6500円もの助成金が与えられ、ようやく修理が進むかと思われたが、あいにく明治27年(1894)に日清戦争が始まり、物価騰貴のために予算が約4倍の18万円に跳ね上がり、工事が中断されてしまう。

それでも多くの人の資金協力により明治36年(1903)に修理準備工事に入るも、翌年の日露戦争開戦でまたもや工事が中止となり、一層の物価騰貴となる。

明治39年に、再度予算を687,221円88銭に改定し工事が再開されて、上棟式にこぎつけたのは明治44年(1911)で、工事が完成して大仏殿落慶総供養が行われたのはなんと大正4年(1915)のことであった。もっと早く修理を終えていれば、こんなに資金も要らなかったであろうに。

貴重な文化財を修理することには莫大なコストがかかるものではあるが、これを寺院の自助努力だけでは到底不可能である。明治初期の廃仏毀釈の嵐がすぎて、日本の文化が再評価され出してから日本政府が完全に方針が変わるのは明治30年の古社寺保存法の公布の頃だが、それまでの東大寺の苦労は並大抵のものではなかったはずである。

文化財を後世に残すためには当事者の努力が必要であることは言うまでもないが、信者や国民に守る意思があり、国にもその意思があってはじめて守れるものなのである。
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Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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