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高知からの帰路は讃岐うどん目当てに屋島と栗林公園へ~~四国旅行3日目

松葉川温泉で朝食後、窪川あたりで大変お世話になった親戚と別れて、高松に向かう。
予定では昼前に高松に着いて昼食はもちろん讃岐うどんだ。

讃岐うどんは有名な店が多すぎて行くところを迷ったが、昼頃に到着する計算になるのでどこに行っても混む時間帯に入ってしまう。駐車場のない店や狭い店舗は待ち時間がもったいないので、観光地に近くて駐車場の大きいうどん屋を選ぶしかない。高松の観光は初めてなので、まず屋島にいくこととして、屋島の近くで駐車場が大きくて評判の良さそうな店を旅行前にネットで検索して「わら屋」に行くことにした。

  「わら屋」は四国の古い民家を集めた「四国村」の門前にあり、「わら屋」の建物も、本棟は徳島県西祖谷山村から、東棟は香川県内から移築してきたかやぶき屋根の民家である。ここの駐車場は「四国村」の駐車場も兼ねているものの、200台近くのスペースがあることも安心感がある。

高知・窪川・高松方面旅行 117

「わら屋」の入口は上の画像の通りで、このような雰囲気で讃岐うどんが楽しめるのが良い。有名な店だけあって、お遍路さんも何人も食事しておられた。

この店は釜揚げうどんが評判で、周りを見ると大きなたらいに10玉入った「家族うどん」にチャレンジしているグループが多かったが、こちらは家内と二人なので単品ずつの注文。いつも食事が運ばれてきたらブログ用に写真を撮るのだが、この時はうどんが来るなりすぐに食べだしてしまった。打ち立ての麺はコシがあって、だしも旨くてすんなり胃袋に収まった。

「わら屋」の食事の後は、屋島ドライブウェイを走って屋島寺に向かう。ドライブの途中で源平の古戦場が見渡せるところがある。

高知・窪川・高松方面旅行 119

「屋島の戦い」で平家は、この入江の入口に軍船を停泊させて海上からの源氏の攻撃に備えたと伝えられるが、源義経は牟礼・高松の民家に火を放ち、大軍が来たかに見せかけ、浅瀬を渡って奇襲攻撃をしたとされる。
「平家物語」では平家は安徳天皇と建礼門院を奉じて、船で壇ノ浦に逃げて最後は二位の尼とともに入水することになるのだが、3月に旅行した祖谷には安徳天皇や平家が隠れ住んだとされる武家屋敷などがいくつも残されていることをこのブログにも書いた。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-68.html

祖谷の伝説では屋島の戦いの後、平国盛一族は安徳天皇をお守りして、讃岐山脈を越え、阿波の国吉野川に出て南岸に渡り、祖谷に辿り着いたとされているが、安徳天皇については、祖谷以外でも四国や九州を中心に全国で20箇所ほどの伝承地がある。大阪にも能勢の来留見山の山頂に安徳天皇の陵墓があるそうだ。

源氏と平家の情報戦であるから、どれが真実か、どれが替え玉かはさっぱり分からない。鎌倉幕府が編纂した歴史書である「吾妻鏡」には、壇ノ浦の戦いについて安徳天皇のことは何も書かれておらず、通説は「平家物語」の内容をそのまま採用しているが、これは平家滅亡後数十年後にまとめられた「物語」にすぎず、真実も含まれるが創作が多いと考えてよい。

頂上の駐車場に車を止めて、四国霊場第84番札所の屋島寺に進む。 この寺は天平勝宝6年(754)に来日した鑑真が、大宰府から難波に向かう途中で屋島の山上に瑞光が見えたので船を止めて屋島の北嶺に登り、仏像や経典を納めて開基し、後に弟子の恵運律師が堂宇を整備して初代の住職になったとされる。

高知・窪川・高松方面旅行 127

弘仁6年(815)にこの地を訪れた弘法大師は、嵯峨天皇の勅願により一夜のうちに本堂を建立し、十一面千手千眼観世音を刻んで本尊として安置したとされる。その後山岳仏教の霊場として栄えたが、戦乱で衰退し、歴代の藩主の尽力により修復され現在にいたっている。

高知・窪川・高松方面旅行 135

写真の本堂は鎌倉時代末期に建立されたとされ、国の重要文化財に指定されている。また本尊は十一面千手観世音菩薩でこれも国の重要文化財だ。

屋島寺宝物館にも入ったが、ここには源平盛衰記絵巻物、屋島合戦屏風や平安時代の薬師如来坐像などが展示されていた。

屋島を抜けて、最後の観光地である栗林公園に向かう。
栗林公園はもともと当地の豪族であった佐藤氏によって元亀・天正の頃(1570年代)から築庭されたのにはじまると言われ、その後寛永年間(1625年頃)讃岐領主生駒高俊公によって、南湖一帯が造園され、寛永19年(1642)入封した松平頼重公に引き継がれ、以来5代100余年の間、歴代藩主が修築を重ねて延享2年(1745)に完成した回遊式庭園である。
明治4年に高松藩が廃され、新政府の所有となり、明治8年に県立公園として一般公開され、現在にいたっている。

さすがに旅行3日目で疲れていたので、讃岐民芸館などの展示物は見ずに、60分モデルコースを早足で歩くこととした。
園内の広さは23万坪で、国の特別名勝に指定されている公園の中では最も広いそうだ。

高知・窪川・高松方面旅行 153

松の緑濃い「紫雲山」を背景に、6つの池と築山を巧みに配しており、歩きながら少しずつ変化する景色を楽しむ事が出来る。高松市の中心部にあることを忘れ、美しい山と池と木々の緑を見るだけで充分に癒される時間だった。

高知・窪川・高松方面旅行 158
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鳥居は神社のものなのか

鳥居は神社の入り口にあるもので、お寺に鳥居などはあるはずがないものだと子供の頃から思ってきたのだが、その考え方が正しくないことが分かってきたのはつい昨年のことだ。

たとえば、聖徳太子の創建である大阪の四天王寺に行くとこのように西の入口に石の鳥居が建っている。

四天王寺石の鳥居

この鳥居は永仁2年(1294)に再建された、日本最古の石造りの大鳥居とされ、国の重要文化財に指定されている。

四天王寺扁額

扁額には「釈迦如来 転法輪所 当極楽土 東門中心」と書かれているが、この意味は「お釈迦さまが説法を説く所であり、ここが極楽の東門の中心である」という意味である。
この扁額は見るからに新しく制作されたものであるが、ここに書かれている文字は昔から同じもののようだ。「法然上人行状画図」という本の第十六に四天王寺の鳥居が書かれており、扁額には、今と全く同じ文字が書かれているらしい。

以前このブログにも書いたが、吉野の蔵王権現堂の近くに鳥居が建っている。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-85.html

吉野銅の鳥居

上の画像が有名な「銅(かね)の鳥居」で、日本最古の銅製の鳥居でこれも国の重要文化財に指定されている。高さが7.6m、柱の径が1mで、東大寺の大仏さんを造る時に余った銅を用いたという言い伝えもある。また鳥居の柱は、仏の台座である蓮華座の上に立っているそうだ。
この鳥居の扁額には「発心門(ほっしんもん)」と書かれているが、この字は弘法大師の筆によるものと伝えられている。

発心門扁額

この鳥居は聖地への入り口であり、俗界と聖地との境界を象徴する。
大峯山に入る修験者は、この門に手をかけて廻りながら、
吉野なる銅の鳥居に手をかけて、弥陀の浄土に入るぞ嬉しき」
との讃仏歌を三度唱えて修行の心を新たにして出発するそうだ。

宮島の大鳥居

日本の三大鳥居は安芸の宮島・朱丹の大鳥居(木造)と大阪四天王寺・石の鳥居、吉野・銅の鳥居であることを最近知ったのだが、3つのうち2つがお寺に関わるものなのである。

地図記号で使われる鳥居は神社を意味するのだが、そもそも鳥居とは何なのか。

鳥居の起源についてネットで調べるとWikipediaにかなり詳しく書かれているが、結論としては「諸説あるが、確かなことはわかっていない」のだが、延暦23年(804)に書かれた「皇太神宮儀式帳」という文献によると鳥居は「於不葺御門(うえふかずのみかど:上に屋根のない門)」として、「奈良時代から神社建築の門の一種としている」ようで、「8世紀頃に現在の形が確立している」と書いてある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85
では鳥居の起源について「諸説」としてどんな説があるのかというと、

インドの仏教やヒンドゥー経寺院に見られる門である「トラナ」が狛犬などと同じく仏教に付随して伝来したという説。

Wikipediaには「トラナ」の写真が出ていたが、これは確か鳥居に似ていると言えば似ている。

180px-Sanchiトラナ

この画像は紀元前2世紀から紀元前1世紀頃に建設されたサンチのトラナだが、獅子像などが彫り込まれている。

また、中国で宮殿や陵墓へ続く参道の入り口に入口両側に置かれる「華表」が鳥居の起源であるという説もある。
180px-Tiananmen_huabiao華表

上の写真はWikipediaの「天安門前の華表」の写真である。

中国には「牌坊(はいぼう)」という伝統的建築様式の門がある。神戸や横浜の中華街に、このような建物が確かにあった。
250px-SaiKung-SeafoodStreet牌坊

上の画像は、香港西貢区の「海鮮街」にある「牌坊」である。

他には日本古来のものだという説もあり、天照大御神を天岩戸から誘い出すために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)にちなみ、神前に鶏の止まり木を置いたという説や、現在の雲南省とビルマとの国境地帯にすむアカ族の「精霊の門」には、上に木彫りらしき鳥が置かれたりしていることから、これが日本の鳥居の起源であるという説まである。

ak221精霊の門

子供の頃に山で良く友人と遊んで仲間同士で陣地のようなものを作って入口に門らしきものを構えたのだが、陣地の中に入るメンバーを絞る目的で門らしきものを作る発想はどこの部族でもするのではないかと考えてしまう。

このような諸説がまじめに議論されているのなら、インディアンのトーテムポールが鳥居の起源だという説が出てきてもおかしくないではないか。
「皇太神宮儀式帳」の原文は誰でも次のURLで読む事が出来るが、7/76面の5行目に出てくる「於不葺御門(うえふかずのみかど:上に屋根のない門)」のところは、その大きさが書かれているだけのことである。
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/h248/image/01/h248s0001.html

この資料では、四天王寺吉野蔵王権現堂に鳥居があることを納得させるものではない。いずれも神仏習合以前に作られた寺院はであるが、なぜお寺に鳥居を建てたのだろうか。この2寺院にかぎらず、ほかにも鳥居のある寺院はいくつも存在するのだ。

つまるところ、鳥居とは「於不葺御門」、つまり屋根のない門と考えれば良いだけのことではないか。そう理解すれば、お寺に鳥居があっても何の不思議もない。

そういえば「門」という字は鳥居に似ているような気がする。

鳥居のことをいろいろ調べていると、青い鳥居のある神社が存在するようだ。ネットで画像を検索するといろんな神社が出てくる。この画像は、知多半島にある恋の水神社の鳥居だが、ちょっとチープな印象を受けるのは私だけだろうか。

恋の水神社鳥居

やはり鳥居は朱色が良く似合うと思う。
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東大寺大仏のはなし

東大寺大仏殿(金堂)の本尊である盧舎那仏像(るしゃなぶつぞう)は、一般に「奈良の大仏」「東大寺大仏」などと親しまれている。

東大寺と郡山城の桜 064

聖武天皇の発願で天平17年(745)に国中連公麻呂らによって大仏の制作が開始され、天平勝宝4年(752)に開眼供養会が行われたのだが、現存する像は中世・近世にかなり補修がなされており、当初の部分は台座、腹、指の一部などが残っているに過ぎないそうだ。「週刊朝日百科:日本の歴史54」には東京芸大グループが調査した大仏の補修個所が修理時期別に色分けされておりわかりやすい。

東大寺大仏の修復状況

では東大寺の大仏はどういう経緯で修理されることになったのか。いろいろ調べると、東大寺大仏が破壊されたのは三度もあるのだ。

江戸時代の明和元年に林自見という人物が『雑説嚢話』という本に、東大寺の大仏の首が3回落ちたということを書いているそうだが、それによると、その時期は
斎衡2年(855)、治承4年(1180)、永禄10年(1567)だそうだが、その時にいったい何があったのか。

最初の斎衡2年は地震が原因らしい。全国で貴賎を問わぬ修復費用の調達が行われて、この時は貞観三年(861)に開眼供養会が行われたようだ。

二度目の治承4年は有名な平重衡による南都焼討である。この時は東大寺だけではなくて、興福寺も焼かれてしまっている。

平治元年(1159)の平治の乱の後、大和国が平清盛の知行国となったが、清盛は南都寺院が保持していた旧来の特権を無視したことに対して南都寺院側は強く反発し、特に東大寺、興福寺は僧兵と呼ばれる武装組織を背景に、強く平氏に反抗していたのだが、治承4年(1180)5月の以仁王の乱を契機に、園城寺や諸国の源氏とも連携し反平氏活動に動き出す。

12月に平重衡(平清盛の五男)が園城寺を攻撃して焼き払い、奈良については当初は平和的解決を目指して清盛はまず使者を送るのだが、南都の僧兵により60人の使者の首が切られてしまう。

激怒した清盛は、南都攻撃を命令しその際に奈良の主要部を巻き込む大火災が発生し、特に東大寺は法華堂と二月堂・転害門・正倉院以外はすべて焼け落ち、興福寺も三基の塔の他、金堂・行動・北円堂・南円堂など38の施設を焼失してしまう。

この時の大仏がどうなったかについては、『平家物語』巻第五「南都炎上」の段には「御頭は焼け落ちて大地にあり、御身は鎔きあいて山の如し」とあり、大仏の頭は下に落ち、体は熱で溶けて山の塊のようになったと書いてある。

東大寺の復興事業は平家政権によって始まり、俊乗坊重源が造営勧進となり大仏は運慶らの制作によりまず大仏が完成し、文治元年(1185)8月28日に後白河法皇を導師として大仏様開眼供養が行われている。壇の浦の戦いは3月なので、平家滅亡の後のことである。

ところが肝心の大仏殿の建築は用材の調達に支障がありなかなか進まず、上棟式が行われたのは建久元年(1190)で大仏殿が完成し落慶供養が行われたのは建久六年(1195)で、その時は後鳥羽上皇や源頼朝が臨席したとの記録が残っている。源頼朝は奈良の復興を鎌倉幕府の最重要の政策とし、巨額の再建資金を支援したそうである。

三度目の永禄10年は、戦国時代の真っただ中の永禄10年(1567)の10月10日で、この時も大仏は火災で鎔けて首が落ちている。

松永久秀と対立していた三好三人衆・筒井順慶が奈良に侵入し東大寺や興福寺に陣を構えたなかで、松永久秀が三好三人衆の本陣のある東大寺大仏殿に夜襲をかけたとされるのだが、この経緯はWikipediaにかなり詳しく書かれている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA%E5%A4%A7%E4%BB%8F%E6%AE%BF%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

興福寺の塔頭多聞院で文明10年(1478)から元和4年(1618)までの出来事を記録された「多聞院日記」にはこの日のことを、次のように記載されているという。

「今夜子之初点より、大仏の陣へ多聞城から討ち入って、数度におよぶ合戦をまじえた。穀屋の兵火が法花堂へ飛火し、それから大仏殿回廊へ延焼して、丑刻には大仏殿が焼失した。猛火天にみち、さながら落雷があったようで、ほとんど一瞬になくなった。釈迦像も焼けた。言語道断」

しかし、誰が東大寺に火をつけたかについては諸説がある。当時日本で布教していたイエズス会のルイス・フロイスは「日本史」という著書を残しているが、そこにはイエズス会に入信していた三好方の誰かが夜分、本陣のあった東大寺を警護している時にひそかに火をつけたと書いている。

ルイス・フロイスは火をつけた者の名前までは明記していないが、フロイス自身がイエズス会に不利なことを書いていることを何故注目しないのかは良く分からない。ここではその可能性もあるとだけ書いておこう。

とにかくこの兵火のために東大寺は、二月堂・法華堂・南大門・転害門・正倉院などは残ったものの、大伽藍の大半を再び焼失させてしまっている。

元亀元年(1570)、朝廷は京都の阿弥陀寺の青玉上人に、大仏の修復のための諸国勧進を行うべしと命じ、織田信長や武田信玄へも勧進への協力が命じられたようだが、当時はなかなか資金が集まらなかったようである。

天正6年に鋳物師の弥左衛門久重が起用され大仏が修復されたが、頭部は銅板で仮復旧したままの状態だったらしい。大仏殿も仮堂で復興したがそれも慶長15年(1610)に大風で倒壊し、大仏は無残な姿のままで数十年雨ざらし状態だったことになる。

万治3年(1660)東大寺の公慶上人が立ち上がり、奈良の町人に大仏殿再建のための勧進を呼び掛け、江戸をはじめ遠い国からの勧進も盛んになった。

貞享3年(1686)から大仏の本館修復が始まり、元禄5年(1692)には露座の大仏開眼供養が行われ、全国から20万人を超える参詣人が集まったと言われている。下の図は東大寺に残されている「開眼供養屏風」で、露座のままで法要が行われているところが描かれている。

開眼供養屏風

そして大仏殿は宝永6年(1709)に完成し、落慶法要には24万人が詰めかけたというのだが、 三好・松永の戦乱で焼けて以来大仏が修復され、立派な大仏殿の屋根の下に納まるのに142年もかかっているのだ。

東大寺と郡山城の桜 006

今我々が目にすることのできる東大寺の盧舎那仏像は、このようにさまざまな人々の努力により残されてきた貴重な文化財であることを忘れてはならない。この仏像は国宝に指定されているが、ただ古いから国宝であるのではなく、その時代時代の最高の技術で修復されてきたからこそ国宝なのである。

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京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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