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世界遺産の越中五箇山の合掌造り集落を訪ねて~~富山・岐阜・愛知方面旅行1

毎年真夏の時期には避暑をかねて旅行することにしているのだが、今年は7/29~7/31の3日間、富山から岐阜方面に行って来た。

初日の7/29は越中五箇山の合掌造り集落を見てから、福地温泉に行く旅程だ。
自宅を早朝に出て、11時頃に五箇山ICを出て五箇山観光の拠点である上梨地区の駐車場に到着した。

「合掌造り」といえば白川郷が圧倒的に有名だが、五箇山の相倉地区や菅沼地区の合掌造り集落も世界遺産に認定されており、五箇山の方が白川郷よりも観光客が少ないので、昔の素朴な生活を感じ取れるのではないかと思い、ずっと前から一度行ってみたかった場所だ。

五箇山村上家外観2

最初に訪れたのは上の画像の「村上家住宅」だ。この住宅は今からおよそ400年ほど前に建築されたと伝えられ、五箇山の代表的な合掌造りの建物で国指定重要文化財に指定されている。

土日はもう少し観光客が来るのかもしれないが、この日の観光客は我々だけだった。

五箇山村上家当主

当主の村上さんといろりを囲みながら、五箇山の歴史や村上家の話を伺うことが出来、最後には五箇山民謡の「こきりこ節」まで唄って頂いた。火をくべながらいろりを囲む雰囲気は妙に落ち着けて、当主の話や歌の魅力に引き込まれていった。

五箇山の自然は厳しく、冬は2mから3mも積雪するのだそうだ。雪の荷重に耐えられるように柱は太く、屋根はほぼ正三角形に組まれている。
五箇山というところは暖かい季節が短いために、米はあまり収穫できず、厳しい冬を過ごすために養蚕をし、和紙を漉き、火薬の原料となる塩硝(えんしょう)を製造して収入源とした。五箇山で製造した塩硝は特に品質が良く、加賀藩に良い値で売れたのだそうだ。

煙硝まや

村上家の入り口近くに塩硝土を作った「煙硝厩(えんしょうまや)」がある。火薬原料となる塩硝製造の工程は加賀藩の軍事機密であったので、幕府や他藩の目を逃れるためにこんな山深い秘境で製造させたのだそうだ。塩硝製造の工程は、村上家のホームページで紹介されている。
http://www.murakamike.jp/history.html

また、五箇山は「こきりこ節」が特に有名だが、他にも多くの民謡があって「五箇山民謡」と総称されて国の無形文化財にも指定されている。
それぞれのメロディーは決して華やかではなく、誰でも歌えそうなシンプルなものだ。

「こきりこ」というのは七寸五分に切られた竹で、この竹を両手で持って叩いて音を出しながら「こきりこ節」を歌う当主の姿が目に焼き付いて忘れられなかった。
売店で何かお土産を買おうとして「こきりこ」を買って帰ったのだが、売店のおばさんの話だとこの地にも若い人がどんどん少なくなって、限界集落化しつつあるとのことだった。

若い世代が残らずして、どうして民俗文化が伝承できるのだろうかと思う。地元の人々が土地の文化に愛着と誇りを持ち、生活の中に根付いてこそ文化が承継されていくと思うのだが、地方における無形の民俗文化の伝承がこれからうまくいくのだろうか。昔の五箇山は農業と養蚕と紙漉きと塩硝で生活が成り立っていたが、明治以降農業以外の現金収入が急激に細っていってしまった。この辺鄙な豪雪地帯では農業だけでは生活は厳しく、他の収入が乏しければ人をつなぎとめることが出来ず、民俗文化を支える共同体が崩壊してしまう。 こういう地域に来るといつも何かを買うことにしているのだが、五箇山に限らず地域の貴重な民俗文化を残していくためには、少しでも多くの人がその地に訪れてお金を落とすことが重要なのだと思う。

五箇山白山宮本殿

村上家住宅の少し東に「白山宮」というお宮さんがあり、この本殿は国の重要文化財に指定されている。
「白山宮」は白山菊理媛命を主神とし、諏訪大明神、宇佐八幡宮をも祀る神社ではあるが、今も神仏習合の遺風が温存されており、十一面観世音菩薩を本尊としているそうだ。
ただしこの仏像は秘仏であるために普段は公開されず、三十三年に一度開帳されるのだそうだ。

こきりこ祭り

この場所で毎年9月25、26日には「こきりこ祭り」が行われ、五箇山民謡にあわせて踊りが奉納され、両日の最後に来場者全員が保存会のメンバーと一緒に「こきりこ総踊り」が行われるという。その動画がネットでアップされているのを見つけたが、保存会の衣装も踊りもかなり歴史を感じるし、祭りで人々の心がひとつになって、とてもいい雰囲気だ。
http://www.kokiriko.com/movie/souodori.wmv

五箇山豆腐とそば

五箇山は豆腐もそばも有名だ。村上家住宅のすぐ近くにある「拾遍舎」というお店にいったが、ここを入ったのは正解だった。少し硬めの「五箇山豆腐」も良かったが、自家製粉して五箇山の美味しい水で手打ちした「そば」もとても旨かった。

五箇山流刑小屋

昼食を終えて、庄川に架かる「太平橋」を渡り、田向地区の「流刑小屋」に行く。今は橋がかかっているので対岸に簡単に渡れるのだが、庄川の右岸地区は江戸時代には加賀藩の流刑地とされ、罪人が逃亡しないように庄川には橋を架けさせず、一人では渡れないよう、篭の渡しを使わせていたそうだ。このような小屋が昔はいくつかあって、明治維新までの間に延べ200人の罪人がこのような小屋で過ごしたそうだ。

五箇山羽場家住宅

この流刑小屋から少し歩くと、重要文化財の羽馬家がある。この住宅は公開されていないが、五箇山の民家としては初期に建てられたもので、建築時期は江戸時代の寛文年間(1661~1672)と推定されている。

次に向かったのは世界遺産に指定された「相倉集落」。ここには20棟の合掌造りが残っている。

五箇山相倉集落全景

駐車場の裏の山の道を行くと、この集落の全体が見渡せる場所がある。
先程の「村上家住宅」のような大きな住居はなく、重要文化財に指定されている建物も工芸品なども存在しない。にもかかわらず世界遺産に指定されたのは、多くの合掌造りの家が昔のままに残されているからだ。これだけの家を古いままで残すことには、今まで相当な苦労があったことだろう。
これだけ多くの合掌造りの家を見ていると、江戸時代にタイムトリップしたような気分になる。この集落の内8軒は民宿を営んでいるが、こういう場所で泊まるのもいい思い出になりそうだ。

五箇山相倉集落

「相倉集落」には見どころがいろいろあるのだが、この画像の手前にあるのが「原始合掌家屋」。竪穴式住居の発展形の様な建物で、現在は物置小屋に使われているようだ。

合掌造りの建物を利用した「相倉民俗館」が集落に2棟あり、そこに五箇山の民俗資料や生活道具などが展示されている。

続いて、世界遺産の「菅沼集落」に進む。

全景五箇山菅沼集落

国道156号線沿いに駐車場が出来て、国道沿いを歩くと集落全体が見渡せる場所がある。上の写真は、国道から撮った画像である。

ここには9棟の合掌造りの住居が残されているが、ここものどかで落ち着いた雰囲気が良い。「塩硝の館」「五箇山民俗館」で塩硝の資料や貴重な民具を見て回ったのち、喫茶掌で小休憩をとった。

五箇山岩瀬家住宅

最後に西赤尾集落に進む。ここには五箇山地方の民家としては最大規模の合掌家屋であり、国の重要文化財に指定されている「岩瀬家住宅」がある。この住宅は、加賀藩に塩硝を取りまとめて納入する上煮役の藤井長右エ門が8年かけて建てたものだそうだ。

ここまで見て、宿泊先の福地温泉「元湯孫九郎」に向かう。
五箇山から100km以上あるので結構時間がかかる。

福地温泉のこの宿は温泉は100%かけ流しで、透明なお湯の内湯と白濁したお湯の露天風呂とは泉源が異なるのだそうだ。「美人の湯」と言われる内湯も良かったが、雨に打たれながら広い露天風呂も気持が良かった。

孫九朗の夕食

夕食は奥飛騨の食材を使った会席料理でどれも美味しかったが、生まれて初めてのナマズのお刺身も美味しくいただけた。画像の刺身の器に盛られているのは、右からコイ、マス、ナマズである。
この旅館は温泉も料理も雰囲気もとても良い。
食事が終わってから、近くにある「昔ばなしの里」で7/25から1ヶ月にわたって行われる、高山市の指定無形文化財の「へんべとり」という獅子舞を見に行くつもりだったが、残念ながら雨のために中止となった。
今度来るときは、やはりこの宿に泊まって、是非この獅子舞を見たいものだと思った。
(つづく)
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飛騨古川から禅昌寺を訪ねて下呂温泉へ~~富山・岐阜・愛知方面旅行2

旅行は二日目の朝を迎えたが、前日から降り出した雨が朝も降り続いていた。
雨に打たれながら露店風呂にゆったり浸かりつつ雲行きや周りの山々を見ても、当面天候が回復しそうな様子ではない。
天気がよければ新穂高ロープウェイに乗って山頂から素晴らしい眺めを見て、帰りに北アルプス展望園地や北アルプス大橋をドライブで巡るつもりだったのだが、予定を変更して飛騨古川に向かい、そこでゆっくりすることにした。

飛騨古川は実は10年ほど前に白川郷に行くバス旅行の途中で降りて30分程度滞在したのだが、前回は祭り広場から「瀬戸川」に沿って少し歩いたぐらいの記憶しか残っていない。
昔は旅行会社が企画したバスツアーに良く行ったのだが、旅行というものは自分で企画するかしないかで、記憶の残り方が随分違うものだ。
今回は時間がたっぷりあるので、おもしろそうなところをじっくり見て行くことにした。

福地温泉の宿から車で1時間半程度走って飛騨古川の駐車場に着いた。

古川祭り会館

雨が降っていたので、最初に「飛騨古川まつり会館」に入ることにした。

飛騨古川まつりは毎年4月19日から20日にかけて行われる気多若宮神社の例祭で、国の重要無形文化財にも指定されている伝統神事である。見どころは絢爛豪華な「屋台行列」と、勇壮な「起し太鼓」だ。

まつり会館屋台

会館内には、古川まつりに実際に使用される屋台や神輿が展示されている。上の画像は白虎台という屋台で、人形は牛若丸と弁慶だ。
古川にはこのような屋台が9台あるのだそうだが、この会館には祭りの当日を除いてそのうちの3台が展示され、定期的に入れ替えられるのだそうだ。

いずれの屋台にも釘は一本も使われておらず、またいくつかの屋台にはからくり人形が仕込まれている。

古川まつりからくり人形1
古川まつりからくり人形2

しばらくしてからくり人形をコンピューター制御で動かす実演があったが、白い装束を着た女性がしずしずと前に進み、一瞬のうちに面をかぶり、扇を開いて舞う細かい動きには驚かされた。お祭りの当日には、からくり人形の操作を人間が行うことは言うまでもない。

古川祭案内

館内のハイビジョンホールでは、3D映像で迫力ある祭りの映像が楽しめた。この会館にきてはじめて「起こし太鼓」の映像を見たが、数百人のさらし姿の裸男たちが担ぐ櫓が、大太鼓を乗せて町中を巡行し、大太鼓の上に載った二人の若者が、ばちを振りおろして深い太鼓の音を響かせる映像は勇壮で迫力がある。是非その日の夜にこの地で見てみたくなった。Youtubeでも「起こし太鼓」の画像を見ることはできるが、大きなスクリーンでの立体映像にはとてもかなわない。
http://player.video.search.yahoo.co.jp/video/a8f841b70a6925f85b04417f95ca6c92?p=%E5%8F%A4%E5%B7%9D%E7%A5%AD&b=1&of=&dr=&st=&s=&pd=&ma=&rkf=1&from=srp

しかし、この勇壮な飛騨古川まつりも、今年は東日本大震災の被害が甚大であったことを配慮して中止されたのだそうだ。祭りの原点がどこにあるかという観点から本来考えるべきだと思うのだか、祭りが国家安泰を願い五穀豊穣を願うものであるならば、何も中止することはなかったのではないだろうか。

古川祭り起こし太鼓

この祭り会館の向かいにある「まつり広場」にある「御旅所」にこの「起こし太鼓」が展示されている。

また、まつり広場の北に「飛騨の匠文化館」がある。
このパンフレットによれば、大和朝廷の時代から寺院仏閣の造営に「飛騨の匠」たちが活躍していたのだそうだが、文化館には釘を一本も使わない木工技術がいくつも展示されていた。

飛騨の匠の技

上の画像の左は「千鳥格子」だが、これをどうやって作ったかを納得するのにやや時間がかかった。この組み立て方を知って感激してしまったが、この技術をはじめて考案した人物は本当に凄いと思う。
左の画像の「1」の部材をつまんで上に引くと、隙間が出来て「0」の部材を縦方向に引き抜くことが出来る。そうすると、他のすべての部材はただ置かれているだけなので、外していって並べると画像の右の様になる。画像の通りすべての部材はすべてが同じ形のものであったのだ。
千鳥格子にするためには、その逆を行えば良いということなのだが、皆さん理解できましたか。

このコーナーには「千鳥格子」以外にもパズルのようなものがいくつかあり、木材を釘を使わずに繋ぐ「継手」などの技を確かめることが出来る。分解したり組み立てたりしているとすぐに時間が過ぎてしまう。

飛騨の匠の技を楽しんでちょうど昼時になったので、すぐ近くの「味処古川」というお店で昼食。写真を撮り忘れたが、飛騨古川ラーメンの定食はなかなか旨かった。

飛騨古川には伝統的な木造建築の町屋が数多く軒を連ね、新しい建物も周囲との調和が良く取れていて街並みがとても美しい。

白真弓

2軒の造り酒屋があって、それぞれが国の登録有形文化財に指定されている。上の画像は「蒲酒造場」だが、軒先に架けられているのは「酒林(さかばやし)」といって、杉の葉を球状に束ねたもので、毎年11月下旬に新酒ができると新しいものに取り換えられるのだそうだ。

三嶋和ろうそく店

古い街並みの中にある明和年間(1764~72)創業の「三嶋和ろうそく店」の作業場。ここではすべてのろうそくが天然の植物原料から手作りで製造されている。全国で和ろうそくを手作りで作っているお店は今では10軒もないそうだ。

飛騨古川の町並み1

歩いているうちに雨も上がった。白壁土蔵の並ぶ瀬戸川沿いの道は本当に美しい。瀬戸川には見事な錦鯉がたくさん泳いでいるのも良い。
この町の伝統を愛し景観を愛する人が多かったからこそ、この街並みが残せたのだろう。こういう道を歩いていると、昔の故郷に戻ったような安らぎを覚えるのだ。

飛騨古川の町並み3

この街には昔ながらの店が軒を連ねて、コンビニもスーパーも、チェーン店のようなものはどこにも見当たらない。昔ながらの景観を残すためには、地域の経済循環を残し、外部資本に頼らずに、古い商店と街の人々との共存共栄関係を維持していくことが重要なのだろう。そのことが観光地としての価値を高めると思うのだが、地域の人々がある程度我欲を捨てなければ、とてもこの街並みを維持できないと思うのだ。

飛騨古川を楽しんで、次の目的地の「禅昌寺」に向かった。
この寺は、平安時代に創建された円通寺という寺院があり、享禄元年(1528)に再建されて禅昌寺に名前が改められたという説や、円通寺と禅昌寺とは無関係だという説など諸説があり、創建年、創建地、円通寺との関係などは確定していないそうだ。

禅昌寺門

天文二十三年(1554)後奈良天皇より十刹(五山に次ぐ寺格)のご綸旨を賜り勅願所(勅命により国家鎮護などを祈願した社寺)とされただけあってなかなか立派なお寺であった。

禅昌寺内部

美術品にも見るべきものがあって、特に雪舟筆の大達磨像はすごい迫力で、しばらくこの絵の前で釘づけになった。
禅昌寺には指定文化財は51もあるのだそうだが多くは宝物館に移されており、以前は宝物館も公開されていたようなのだが、今は見ることが出来ないのは残念だ。

禅昌寺庭

禅昌寺の庭園は「萬歳洞」と呼ばれて岐阜県の指定名勝となっている。庭園の水の流れる音を聴きながら静かに時を過ごせるのはいい。

禅昌寺杉

またこの寺の境内の裏山には推定樹齢1200年の「禅昌寺大杉」がある。周囲は12mもあり国の天然記念物に指定されている。

この寺は下呂温泉に近いのでもっと観光客が多いのかと思ったが、滞在中の観光客は我々だけだった。土曜日だと言うのにこんなに観光客が少なくては、受付にずっと人を置いておくのも大変だろう。せっかく宝物館を作っても、貴重な美術品を観光客に見てもらおうにも、別に受付の人を置かなければならなくなる。人を置くだけの拝観収入がなければ、閉館するしかないであろう。しかし閉館すればこの地を訪れる観光客がさらに少なくなってしまう。

禅昌寺の宝物館には長澤芦雪の大涅槃像などがあるはずなのだが、もっと観光客が集まらないと公開できないのであろうか。せっかくの観光資源をぜひ地域振興のために活かしてほしいと思う。

禅昌寺のあとは宿泊先である下呂温泉に向かう。宿はホテルパストゥールというところだ。
下呂温泉は草津温泉、有馬温泉とともに日本の三名泉に数えられるのだが、無色透明のまろやかなお湯で、入浴すると肌がすべすべになる。
大浴場から南飛騨の豊かな緑が望め、蝉の鳴き声を聴きながらゆったりと風呂に浸かって気分は最高だった。

<つづく>
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下呂温泉から国宝犬山城へ~~富山・岐阜・愛知方面旅行3

旅行もいよいよ三日目の最終日になった。
下呂温泉の朝風呂に入ったのち、天気が良かったので近くを散歩することにした。
ホテルの部屋から竪穴式住居のようなものが見えるのがずっと気になっていたので、ホテルから縄文橋を渡り「ふるさと歴史館」の近くに出かけることにした。

縄文式竪穴住居

ここまで来て初めて知ったが、この辺りは今から5800年ほど前の縄文時代前期と1800年ほど前の弥生時代の集落遺跡が発見されて「峰一合(みねいちご)遺跡」と名付けられ、この辺り一帯を「縄文公園」と呼ばれているようなのだ。発掘された住居跡の内、縄文時代と弥生時代のものが3棟復元されている。

案内板を読むと、縄文人の食べ物と考えられる「パン状炭化物」がここで出土しているらしく、このような食べ物が出土するケースは全国で数例しかないのだそうだ。
また、縄文人が弓矢の先端に用いる石鏃(やじり)が多数出土しているらしい。

下呂石と縄文橋

今から10万年ほど昔に下呂温泉の南側にある「湯が峰」という火山が噴火した際に、流れ出た溶岩が固まってできた石を「下呂石」と呼ぶのだそうだが、この石に黒いガラス質のものが含まれており、割ると鋭利な割れ口が出来るので、 旧石器時代から矢じりや石槍など石器を造るための優れた材料として使用されていたのだそうだ。
この石はこの地域でしか見つからないものなのだが、この石を使った石器が東海・信州・北陸地方など広範囲で発見されているのは興味深い。崩れ落ちた石が飛騨川から流れて木曽川の下流の地域で拾われて加工されたということも考えられるが、貴重な石として古くから交易されていたのだろう。

ホテルに戻って朝食を済ませてからチェックアウトして、下呂温泉の近辺を観光することにした。
下呂温泉の旅行案内に必ず書かれているのは「下呂温泉合掌村」で、ここには白川郷や五箇山の合掌造りの建物10棟が展示されている。なかでも「旧大戸家住宅」は衆議院議員平沢勝栄氏の生家で国の重要文化財に指定されている大きな建物なのでこれだけでも見る価値はあるのだが、合掌造りは初日に五箇山で本物を充分堪能したので今回は省略した。

温泉寺本堂

最初に訪問したのは「温泉寺」。この寺のHPに寺の由来が書かれている。
それによると、下呂温泉は一千年以上の歴史を持つといわれているが、文永二年(1265年)突然温泉の湧出が止まってしまう。
「その翌年、毎日の飛騨川の河原に舞い降りる一羽の白鷺に村人が気づく。不思議に思った村人がその場へ行ってみると、温泉が湧いていた。空高く舞い上がった 白鷺は、中根山の中腹の松に止まり、その松の下には光り輝く一体の薬師如来が鎮座していた・・・。これが下呂に伝わる白鷺伝説であり、温泉寺開創の縁起で ある。白鷺に化身し、温泉の湧出を知らせたこの薬師如来を本尊とするのが、醫王霊山温泉寺である。」
http://www.onsenji.jp/history/index.html?admin=view

上の画像は温泉寺の本堂で、その左にある小さな建物に「湯掛薬師」が祀られておりその蓮華座から下呂温泉の源泉が湧き出ていて、参拝者がこのお湯を薬師坐像の自分の具合の悪い部分にかければ、参拝者の病気が治ると信仰されている。

温泉寺は静かなたたずまいのいいお寺で、春の桜のシーズンや秋の紅葉シーズンは特に美しいらしく、参拝者も多いそうだ。

温泉博物館

次に「下呂発温泉博物館」に行く。ここでは昔の温泉番付などの文化資料や古写真、温泉の仕組みや泉質、効能の紹介にかかわる資料などが展示されている。
足湯なども併設されているが、朝風呂で充分堪能したので省略し、お土産を買うことにした。この近くにはいくつも土産物の店があった。
何がいいかよくわからなかったが、養老軒というお店の「栃の実せんべい」が試食しておいしかったので何箱か買った。あとでわかったがこの店は創業明治25年の老舗で、ここの「栃の実せんべい」が下呂名物として有名らしく旅行雑誌などで紹介されていた。

下呂温泉を後にして、次の目的地である犬山城に向かう。

中山七里

途中で飛騨川沿いの「中山七里」を通るので景色のいいところで車を止めるつもりだったが、どのあたりの景勝地なのかを示す標識が良くわからず、とりあえず釜ヶ淵の石碑のあるあたりで車を止めて川に近づいたが、川岸からは渓谷の石ぐらいしか見えなかった。すぐ近くに橋があってそこを歩けば途中でいい景色が撮れるだろうと思ったが、残念ながらその橋は通行禁止だった。

美濃白川の道の駅で新鮮野菜を買い込み昼食をとって、午後1時頃に国宝犬山城に到着した。

犬山城2

ここで犬山城の歴史を振り返ってみよう。
犬山城は木曽川南岸の崖の上にそびえ、この天守閣は現存するものの中で最も古いとされている。
創建されたのは天文6年(1537)で、織田信長の叔父、織田信康によって木之下城より城郭を移して築いたとされ、現存天守の2階まではこの頃に造られたものと考えられている。

narusemasanari.jpg

その後城主が何度も変わるのだが、元和3年(1617)に尾張藩付家老の成瀬正成(上画像)が城主となって以降は明治の廃藩置県までは成瀬家の居城であった。

濃尾地震と犬山城

しかし明治の廃藩置県で天守閣を除く櫓・城門などが取り壊され、明治24年(1891)の濃尾地震では天守閣の東南角の付櫓が壊れてしまっている。犬山城のHPには明治初期の写真や、濃尾地震で崩れた天守の写真が公開されている。
http://inuyama-castle.jp/castle/history

明治28年(1895)に崩れてしまった天守の修復を条件に、旧犬山藩主の成瀬正肥に無償で譲渡され、それ以来この犬山城は平成16年(2004)に財団法人犬山城白帝文庫に移管されるまで、成瀬家個人の持ち物であったということなのだ。
天守閣の最上階には歴代城主の肖像画や写真が掲示されていて、明治以降も「城主」と書かれていたのが印象に残った。
犬山城が国宝に指定されたのは昭和10年(1935)だが、個人でこんな大きな文化財を管理するのは大変な苦労があった事だったろうと思う。

犬山城からの景色

天守閣に登ると木曽川の雄大な流れと市街地が見渡せる。遮るところは何もなく、随分遠くまで見ることが出来る。この場所が軍事上、経済上、交通上重要な拠点とされたのも頷ける。

針綱神社

犬山城の登城入口近くにある「針綱神社」。ここは犬山城の守護神であり、ここのお祭りが「犬山祭り」である。このお祭りは毎年4月の第1週の土日に行われ、この祭りの「車山行事」が国の重要無形民俗文化財に指定されている。この「車山」が犬山城のすぐ近くの「犬山文化史料館」に展示されている。多くの提灯が灯ると、「車山」の存在感が増す。

犬山会館

「車山」は他地域では「山車」と呼ばれているが、他地域では二層のものが多いのに対し、犬山のものでは三層の構造になっていて、これを「犬山型」と呼ぶのだそうだ。下層は囃子所、最上層にはからくりが置かれ、中層は「中山」と呼ばれ最上層のからくりを動かす層となっているそうだ。

犬山からくり

別館の「からくり展示館」で実際に使われた人形などの展示があった。また、からくりの実演もあったのだが、実際は数人が操作する人形を、一人が人形の仕組みを説明しながら動かすだけでは、見ていてあまり面白いものではなかった。
からくり人形の面白さは、人間が見えないところで操作して、あたかも人形が自らの意思で動くかのごとく見せるところにあるのであって、人形の手足や表情が動く仕掛けの説明は短くて良いのではないだろうか。
飛騨古川のまつり会館ではコンピューター制御で見事な人形の動きを見せてくれたが、このような実演の方が観光客には楽しい。

犬山で3日間の旅程を終えて帰路についたが、日本の文化の奥深さを感じる楽しい旅行になって大満足だった。
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しばやん

Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了することが決定しています。BLOGariの旧メインブログの「しばやんの日々」はその日以降はアクセスができなくなりますことをご承知おき下さい。

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