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蒋介石はなぜ外国人居留地であった上海で日本軍と戦ったのか~~中国排日6

前回の記事で、1938年にアメリカ人ジャーナリストのフレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズが著した”Behind the News in China” (邦訳『中国の戦争宣伝の内幕』)という本の中から、中国が「排日」に至った背景から「通州事件」に至る部分を紹介した。

この「通州事件」は誰が考えても重大事件であり、このように日本人が大量に虐殺されるような事件がなければわが国が戦争に巻き込まれることはなかったと私は考える。

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この事件については当時の新聞や雑誌などで大きく報道され、中国人に虐殺された日本人の名前もすべてわかっており、史実であることを否定しようがないのだが、この事件を記述している歴史書は極めて少ないし、ましてテレビや新聞などで解説されることは私の記憶では皆無である。
なぜこのような重要な史実が日本人に知らされないのかと誰でも疑問に思うだろう。

このブログで何度も書いているのだが、いつの時代もどこの国でも、歴史は勝者が書き換えてきた。歴史とは単なる史実の叙述でなく、勝者にとって都合よく書き換えられ、時には史実がねじ曲げられて叙述されたものに過ぎない。そしてわが国の日本史教科書などに書かれている近現代史は「戦勝国にとって都合の良い歴史」と考えて良い。

通州事件」がほとんどの教科書に載らないのは、「戦勝国にとっては都合の悪い真実」であり、この事件を日本人に知らせてしまっては、それをきっかけに「戦勝国が日本人に押し付けた歴史」の嘘が誰の目にも明らかになることを戦勝国が怖れたからであろう。
日本人が虐殺された重要事件は他にいくつもあるのだが、このような事件が日本人にほとんど伝えられていないのは、今も中国、ロシアや日本の左翼勢力などが、文部省やマスコミ・出版各社に圧力をかけて、通州事件のような「戦勝国にとっては都合の悪い真実」を封印させ続けているからではないのか。

ソ連テロ計画

封印された史実はこの時代の中国に結構多い。そしてほとんどの事件に共産勢力が絡んでいるのだ。そのことを理解していただくために、一般的な歴史教科書とウィリアムズの本を少し読み比べてみよう。

手もとにある『もう一度読む山川の日本史』には、日中戦争についてこう記している。 「…1937(昭和12)年7月7~8日、北京郊外で日本軍と中国軍の武力衝突がおこった(盧溝橋事件)。つづいて上海でも日中両軍が衝突し、戦火は中国中部にもひろがった。日本がつぎつぎに大軍をおくって戦線を拡大したのに対し、中国側は国民党と共産党が協力して抗日民族統一戦線を結成し(第2次国共合作)、日本に抵抗した。こうして事変は宣戦布告がないままに、本格的な日中戦争に突入した。」(p.301)

このような事実の羅列だけのつまらない記述に学生時代は閉口しながら、テストのためにいやいや丸暗記した記憶があるのだが、この文章を普通に読めば、ほとんどの人は日本軍が一方的に大軍を送って中国を侵略し、中国は国民党と共産党が協力して日本軍と戦った解釈するだろう。しかしよく調べてみると、事実はそんなものではなかった。
盧溝橋事件の部分は省略して、1937年(昭和12年)8月から始まる上海での日中両軍の衝突の部分を、ウィリアムズ氏はどう描いているのか紹介しよう。

ウィリアムズ氏によると、蒋介石にはドイツの軍事顧問団がついていて、その顧問団が蒋介石に対して、日本に対しては単独では勝てないので外国に干渉させるように仕向けることをアドバイスし、さらに日本に干渉させる国はアメリカが最適で、日本が世界の侵略を企んでいるとの情報を流せば、アメリカは「世界から民主主義を救え」との理由で動き出すとの考えを述べたという。
そこで蒋介石はどういう行動をとったのか。しばらく、ウィリアムズ氏の文章を引用する。

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蒋介石ドイツ軍事顧問たちから干渉を引き起こすよう耳にささやかれて、上海に着目した。そこには上海租界*があった。外国人がいて、外国の銀行があって、会社があって、外国人住宅があった。ここで事を起こせばもっと簡単ではないのか?町は日本人の避難者でごった返していた。日本の水兵と陸戦隊は彼らを乗船させ、国外に出そうとして忙しかった。上海での戦いは結果として日本人を外国人区域に閉じ込め、そして外国人が殺害されることは、外国の干渉と日本に対抗する強力な同盟形成を意味することになる。」(『中国の戦争宣伝の内幕』p.41)
*租界:清朝末期から第二次大戦末期まで中国にあった、治外法権の外国人居留地

ドイツ軍事顧問たちはこの蒋介石の案に賛成し、戦いを決して長引かせず、「一撃して去る」ことをアドバイスしたという。
蒋介石は上海の混雑した地域に、十万を超える部下を集めて軍服を着せずに苦力のような格好で潜り込ませた。当時上海にいた日本の水兵と陸戦隊はわずかに二千名であったという。
圧倒的な数的有利な状態で、蒋介石軍は攻撃を開始する。攻撃を仕掛けたのは蒋介石軍なのだ。

「戦いは始まった。しかし、最初の銃撃が始まる前に、モスクワとヨーロッパのプロパガンダ機関、中国の報道機関が動き始めていた。
世界では、統一されて目覚めた中国が侵略者に直面しているのだと報道されていた。…

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戦いは(日本軍が)圧倒的な不利にもかかわらず、血の1週間を持ちこたえた。しかしながら世界の新聞は日本を罵り、嘲った。特にアメリカが率先していた。と同時にある外国の国々は日本の没落を熱望しつつ、中国軍に援助と武器の供給を始めたのだ。貿易においては日本はライバルであるからである。…」(同上書p.43-44)

日本軍は圧倒的な数的不利の状況を良く持ちこたえたのだ。蒋介石はドイツ顧問団がすぐに撤退させよとのアドバイスを無視して、アメリカを巻き込むために、多くの犠牲者を出しながら戦いを続けることになる。

「干渉をもたらそうとする絶望的な努力が続けられていた。中国は何度も何度も日本軍の砲火を国際租界に命中させようと企んでいた。最初の頃だが、中国軍機がキャセイホテルやパレスホテルに爆弾を投下さえした。中国人が何百人も死んだ。…

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…毎日毎日、日本は蒋介石軍の精鋭を倒していった。…
しかし、ドイツ顧問団にとっては何年もかけて蒋介石のために作り上げた軍隊が消耗し、消滅の危機にあった。報道など気にしていられなかったのだ。アメリカ人よ、自国の新聞をよく読んでもらいたい。新しい統一された中国が日本と戦っていると書かれている。しかし実際の問題としては、蒋介石は「面子」を保つために彼の部下を犠牲にしていたのだ。そして中国にいる人々はほぼ一致して(特に上海では)軍閥のボスが上海から出て行き、平和を取り戻させてくれと神に祈っていたのだ。」(同上書p.44-46)

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日本軍を挑発して国際租界地に砲撃させるために蒋介石は多くの部下を失い、中国人苦力の住む建物から銃を構えて多くの苦力を生贄にしたが、日本軍は蒋介石の攻撃の意図を理解し、他国から干渉される原因となるような行動はとらなかったのだ。

そのことはウィリアムズ氏だけが書いているのではない。アメリカの新聞報道を見ても同様の事が書かれているようだ。
Wikipediaによると1937年8月30日付のニューヨークタイムスでは一連の事件について「日本軍は敵の挑発の下で最大限に抑制した態度を示し、数日の間だけでも全ての日本軍上陸部隊を兵営の中から一歩も出させなかった。ただしそれによって日本人の生命と財産を幾分危険にさらしたのではあるが…」と上海特派員によって報じ、またニューヨーク・ヘラルドトリビューン紙は9月16日に「中国軍が上海地域で戦闘を無理強いしてきたのは疑う余地は無い」と報じているという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89

その後蒋介石はプロパガンダを強化して世界に訴えるようになっていく。欧米から物資や兵器の支援をつなぎ止めるためにはそれが必要だったのだが、宣伝の使い方は極めて巧妙で、わが国とは較べものにならなかった。ウィリアムズ氏はこう書いている。

「総統と軍閥の軍隊が日本の打撃に落ちこぼれ始めると、蒋介石は宣伝力を強化した。これはモスクワとあるヨーロッパの国々と結びついた。あらゆる退却が戦略の転換に、あらゆる敗北が英雄的な行為へと変えられた。後には嘘だと証明されるのだが、勝利の物語を新聞に載せさせた。同時に日本の本当の勝利の価値を貶めて差引きゼロにさせようとした。…
これらは、すべて外国の騙されやすい人々に鵜呑みにされたのである。…プロパガンダ機械によって世界中に蔓延した物語がその耳に吹き込まれ、多くの国の紙面に『中国は勝っている』という見出しが躍っていたのである。…

中国の勝利という物語が幾つも合わさってくると、一方では日本人は狂った野蛮人だということに照明を当て、キャセイホテル爆撃のような流血を巧妙に隠すことをおっ始めた。」(同上書p.48-49)

この軍事衝突で上海は陥落したのだが、この戦い(第二次上海事変)で日本側の犠牲者も大きかった。調べると戦死者は9115名、戦傷者は31257名だ。
さらに日本軍の掃討作戦で蒋介石軍の南方拠点である宿縣も陥落しようとしていた。あまりに早く宿縣が陥落しては欧米からの支援を得るのに不利となるので、ここで蒋介石はさらに大きな芝居を打つ。日本に飛行機を1機だけ飛ばして空襲を試みたのだ。しかし爆弾を搭載すると飛行高度が下がるので日本軍機に確実に撃墜されてしまう。そこで爆弾を積まずに高々度を飛行し九州南部の山の上から日本国民に向けた反戦パンフレットをばら撒いてすぐに引き返したのである。
蒋介石の宣伝班は世界に向けて6機 (本当は1機) の爆弾を持った飛行機が日本に深く潜入して日本軍を驚かせたとのニュースを発信し、それをアメリカの新聞は「中国軍機が日本を空襲」と報道したという。

さらに蒋介石夫人の宋美齢は外国人特派員を前に日本空襲の際に爆弾を落とさずにパンフレットを撒いたかの理由を語るのである。再びウィリアムズ氏の著書を引用する。

「彼女は世界にその理由を語ったのだ。彼女は会議の結果、日本空襲を優先する数名の将軍たちは勧告だけでなく強硬に日本の都市爆撃を主張したと思われると打ち明けた。彼女はクリスチャンで、そのバイブルを夫はいつも持ち歩いている。夫は立ち上がり、バイブルに手を置いて情感を込めて宣言した。
『こういうことはキリスト教的ではない。我々は世界に中国が人道的であることを示さなければならない。日本の野蛮人と同じことをしてはならない。つまり罪のない女子供の上に死の雨を降らせてはならない。』…

…ここに町や村を敵によって空から爆撃されているだけでなく、自国の飛行機が敵国を空襲できる時でも、彼らと同じ行為を拒否する侵略された国の国民の統治者がいた。蒋介石夫人に味方する小利口な新聞どもは大きな同情の波を作り、宿縣の敗北と夫の軍の逃走をひた隠しにして、落ち込んだ穴の中から拾い上げ、別口で生涯の信用を与えたのである。」(同上書p.61-62)

宋美齢

宋美齢は明らかな嘘を述べたのであるが、このスピーチで蒋介石は欧米のシンパシーを獲得することに成功してしまったのだ。

つくづく思うのだが、日本人は昔も今も、このような明らかな嘘に対する対応が甘くないだろうか。「相手を刺戟しない」とか、「真実は歴史が証明する」として相手が垂れ流す嘘にキチンと反論しない姿勢は、何も知らない国からすれば「日本が反論しないのならば、中国の方が正しいのではないか」と解釈されても仕方がないではないか。
昨今の領土問題にせよ、従軍慰安婦問題にせよ、反論すべき時にしっかりと対応しなかったことが往々にして問題を複雑にしてしまっている。
日本人は嫌なことをすぐに忘れようとするだが、相手の国はわが国が何も反論しないことをいいことに、自国民に嘘の歴史を教え込む教育を開始し洗脳してしまっているのだ。しかるべき時に相手に言うべきことを言わずに問題を先送りすることが、さらに大きな災いを生む原因となりうることを知るべきである。

ウィリアムズ氏の文章に戻ろう。ウィリアムズ氏は宋美齢のスピーチがプロパガンダであることを当然理解している。
「私が中国、その恐ろしい戦場、骨と皮ばかりの町や村から帰ってきたとき、私は心に残る別の画像を消し去ることができなかった。金持ちの政治家と軍閥とそのずる賢い妻、片手で麻薬中毒患者を殺害しながら片手で同胞に麻薬を売っている将軍、立派なスピーチをして国民の改善を約束しながら、その軍隊を維持するために貧弱な稼ぎの中から貢物を取り立てて人々を飢え死にさせ、彼の家族と取り巻きは豪華な宮殿に住んでいる一人の軍閥の画像を。」(同上書p.63)
ウィリアムズ氏は母国のアメリカ人に、中国の発表を信じることの危険性をこの著書で訴えようとしたのだが、アメリカの反日の流れは止まらなかった。

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ところで、この第二次上海事件の時に上海にいて、日本人捕虜と日本人に協力して逮捕された上海住民に対して行われた中国人兵士による残虐な処刑の一部始終を画像に収めた人物がいる。スイス人写真家トム・シメン氏は、生前にこの写真を息子のジョン・シメン氏に将来公開するように伝え、ジョン氏は現在、出版社を探しているのだそうだ。次のURLで写真の一部(残虐映像を含む)を見ることができる。
http://redfox2667.blog111.fc2.com/blog-entry-80.html

ここで最初に紹介した『もう一度読む山川の日本史』の記述をもう一度読んでみてほしい。そして日本人の多くがこの時期に虐殺された事件が幾つもあることを知ってほしい。

そして、この中国排日シリーズで何度か紹介した「神戸大学付属図書館デジタルアーカイブ」の「新聞記事文庫簡易検索」http://www.lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/index.htmlで実際に検索して当時の新聞が何を書いているかを読んで、当時の空気を感じ取ってほしいと思う。このサイトで検索キーワードに「虐殺」と入れるだけで、経済記事にもかかわらず393件もヒットする時代の異常さに気が付いて欲しい。そして誰が、どの組織が、どの国が虐殺行為を行っていたかを記事から読み取って欲しい。中国、ソ連などの共産主義につながる勢力が恐ろしい活動をしていたことが誰でもわかるだろう。
当時の新聞を普通に読んで、史実を追いながらこの時代の「空気」に触れると、ほとんどの人は戦争の責任が日本にあるとは思わないと思うし、わが国が侵略国だと呼ばれることに疑問を感じることだろう。真実は、わが国が中国大陸を侵略したのではなく、侵略国にされたのではないのか。

もちろん当時の新聞やウィリアムズ氏の記述には、それなりのバイアスがかかっていることだろう。その点を割り引いて考えても、現在使われている教科書などに書かれている歴史は、中国やロシアや共産主義者の立場からは極めて都合のいい叙述になっていることについては理解して頂けると思う。

時事問題でも歴史記述でも同様だが、様々な利害対立が存在する場合は、立場が違えば主張する内容が違っていて当たり前だ。少なくとも、明らかな嘘を今も堂々と吐き続ける国が声高に主張し続ける歴史を、日本人が鵜呑みにすることは危険な事であるはずだ。

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しかしながらわが国は、それらの国が一方的に主張する歴史の信憑性を確認もしないまま何度も謝罪し、相手国を喜ばせるために巨額の支援を続けてきたのだが、もし、もともとわが国に非がなかったことが明らかになれば、このようなことを独断で決めた政治家は「売国奴」と呼ばれても仕方がない。

「近いうちに」次の選挙があるはずなのだが、今度の選挙はかなり重要な選挙になる。世論に迎合したり、近隣諸国に甘い政治家を選んでは、かなりの確率で領土を失ってしまうだろう。今度の選挙こそは、マスコミの世論誘導に惑わされず、わが国の危機を乗り越えてくれる智恵と勇気のある政治家を選びたいものである。
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プロパガンダでわが国に罪を擦り付け、世界を「反日」に誘導した中国~~中国排日7

前々回から紹介している”Behind the News in China” (邦訳『中国の戦争宣伝の内幕』)の著者であるフレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズはサンフランシスコの新聞社の記者であった頃に東洋からアメリカのチャイナタウンに向かう暗黒街の麻薬ルートの情報を追及していたことがあり、彼によると蒋介石はかつて阿片の最大の取引をしていた実績がある人物だったという。

1937年から翌年にかけて、その蒋介石が「排日」活動でアメリカなど西洋諸国からの人気が高まった時期に、西洋諸国の歓心を買うために麻薬売買を禁止する決定を下し、阿片常習者の苦力たちを「逮捕」し、銃殺刑に処せられるところを世界に公開したのだが、その処刑に著者のウィリアムズ氏が立ち会ったことが紹介した著書に記述されている。

「中国の陰気な群衆は自分のかわいそうな友人たちの処刑を目撃している。そして処刑は抑止効果があると思わせられた。しかし実際問題としてまもなくその軍閥や役人の手先どもがちょこまかちょこまか小走りに人々に阿片を売り歩いていのである。このようにして二三週間もすると、別の一群の『吸飲者』たちが駆り集められて、撃たれ、写真に撮られ、死んだことが海外の新聞に出る。彼らの多くが吸飲者であることは疑いない。しかし鎮圧を命じ、使用者を死に至らしめたあの役人どもの手先によって、麻薬商売は続きに続いているのだ。」(『中国の戦争宣伝の内幕』p.95)

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すなわち、蒋介石阿片常習者の苦力たちを、阿片の販売先として利用したのちに、西洋諸国に対し阿片販売を取り締まる国としてアピールするために処刑を公開にして利用したのである。そうしておきながら、麻薬商売をやめる気などは毛頭なかったというのである。
日本が侵略したとされる満州も、麻薬常習者が多かった。ウィリアムズは満州について次のように記している。

溥儀

「日本人が入ってくる前の満州は麻薬中毒患者であふれていた。その製造と使用は大きく広がっており、公的に認められていた。しかしその製造と消費についての何の記録も統計もなかった。軍閥が追放されてから、日本が新満州帝国の建設を始め、満州人の血統を持つプリンスが玉座に着いた。日本人が最初にやったことは麻薬売買の記録を正式に作ることである。覚えていて欲しい。これは満州で全く初めて作られたのである。

そして長い間の使用の結果の、驚愕すべき堕落の実態が完全に明らかにされたのである。平行して、出生、建築、病院、住宅、政府の各役所の記録が作られていった。これは法と秩序、治安と安定を確立させるためのものであった。日本はこれらの発見を誇りを持って世界に発信した。しかし世界はおおむね学校や病院その他の数とかに目配せもしなかった。国際連盟のあるジュネーブやアメリカは特にひどかった。…

満州での麻薬中毒とその使用を止めさせるための叩き台を作るというアイデアに基づいて満州の日本人の骨身を惜しまぬ努力によって集められた統計は、これらの偽善者によって反日の材料に使われたのだ。…

驚愕と痛みもいくらか感じながら、日本は自分たちが作ったリハビリテーションのための仕事が、自分たちに襲い掛かってくるのを発見した。日本人は宣伝が下手である。逆襲する代わりに彼らはすねた。もし西洋世界が自分たちのしていることが理解できなかったのなら「くたばりやがれ」というものだ。日本人のまさに沈黙は、数百万の新聞読者の目をぎくりとさせるような見出しとなり、彼らの明らかな罪悪の証拠として受け取られた。」(同上書 p.95-97)

日本は満州の麻薬を排除し、満州の治安と安定を確立させたのたが、中国の権力者にとっは麻薬の利権が脅かされたことを喜ぶはずがなかった。
いくら日本のしたことが道義的に正しくても、マスコミは往々にして権力者につながっている。ウィリアムズはここでも、日本人の宣伝下手を指摘している。 ウィリアムズの文章を続ける。

蒋介石

「さあ、中国、あるいは蒋介石一派は、麻薬まみれになり、実際に麻薬取引をやっているのは自分らなのに、悪臭ぷんぷんの悲しげな嘆願を世界に向けて放ち始めた。日本は中国人に阿片を吸い、ヘロイン、コカインを使うようにと勧め、我国の精神とモラルを破壊しようとしているのである。中国に住む事情通の外国人は、これは笑い話でしかない。しかし南京政府は、これはいつばれると思う罪障からの逃げ道であり、反日のためのいいプロパガンダであり、宣伝なのだ。めったにないチャンスでありペテンだったが、絶好の機会を捉えていた。軍閥が忌み嫌う日本人は、彼らのひどい罪を背負わされて世界から非難されたのだ。…

ほかのどんな国民と較べても、日本人ほど女性や麻薬の売買を忌み嫌う国民はいない。…

それにもかかわらず世界中の善男善女は、恐怖に陥り、思考停止になったままに、日本が哀れな国を征服しただけではなく、人々に阿片吸引を押し付けていると言うわけだ。…」(同上書 p.97-98)

蒋介石がこのような明らかな嘘を垂れ流した時に、日本人が具体的にどのような対応をしたかは具体的には書かれていないが、ウィリアムズ氏の「日本人のまさに沈黙は…罪悪の証拠として受け取られた」という文章からすれば、ほとんど反論せず黙っていたのであろう。

今もわが国は、外国から誹謗中傷を受けた時には、「沈黙は金なり」で沈黙することが多いのだが、このような考え方は相手が情報戦を仕掛けてきた際には世界では通用するはずがない。何も知らない世界ではむしろ、わが国が反論しないのは、わが国に後ろめたいものがあるのだろうと考えるのが普通ではないのか。
蒋介石は自国の犯罪をそのままわが国の責任に擦り付けるという明らかな嘘をついたのだが、わが国が反論らしき反論をしないために、世界では蒋介石の言葉が真実らしいと受け取られてしまった。

情報操作を仕掛ける国は、嘘を承知でそれを何度も浴びせてくる。そのような情報戦を仕掛けられた場合には、その都度しっかり反論し、世界にわが国の正しさを明確に論拠を示して主張する以外に方法はないのだ。

わが国の政治家も外務省も、このような歴史を知らないから、同じ誤りを何度も繰り返しすばかりである。

話をウィリアムズ氏の著書に戻そう。

中国のプロパガンダは言葉や活字だけでなく、写真でも行われている。下の画像は学生時代の教科書で見たような気がするのだが、ウィリアムズの著書にこの写真が作成された経緯が書かれている。

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「カメラはアメリカにおける中国のプロパガンダの中で、日本への反感と中国への軍閥への同情を引き起こすのに掛け値のない役割を演ずるものである。これらの中国の宣伝屋たによって、今までかつてなかったほど沢山の贋物写真がアメリカの新聞雑誌にこっそりと挿入されている。彼らは次々に恐怖を越させようと、実にタイミングよくリリースしていったのだ。
代表作の一つは、上海の中心の爆撃で破壊された通りの廃墟に泣き叫ぶ赤ん坊のポーズの写真だ。これはニュースを操った。そしてこれは合衆国では最近でも毎日のようにプリントされている。写真は破壊されたビルディングを写している。そしてボロを着たちっちゃな赤ん坊が目をこすり、口を開けて泣き叫んでいるのがはっきりとわかる。…
何百万のアメリカ人が、まさに赤ん坊が泣き叫んでいる、爆撃で破壊された通りのさまを見た。『無法行為』をしでかした『非人間的な日本人』への反感から、義憤が立ち上がってきたのだ。このような写真が沢山ある。そしてこれらの写真は日本の敵には大変な名声を博してきた。」(同上書 p.119-120)

この泣き叫ぶ赤ん坊の写真は、アメリカの『ライフ』誌1937年10月4日号に掲載された有名なものだが、ウィリアムズ氏によると、前回の記事で書いた第二次上海事件のさなかに、日本軍を挑発するために中国空軍がキャセイホテルやパレスホテルを爆撃して中国の民間人が多数死んだ現場に、この赤ん坊が持ち込まれて撮影されたことが書かれている。
要するに、中国軍が中国人を空爆し虐殺した現場に、カメラと赤ん坊を持ち込んで泣いているところを撮影したというのだ。

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この写真がアメリカの世論を沸騰させて「反日」に仕向けさせた。
中国のプロパガンダ写真を解説している『南京事件「証拠写真」を検証する』(草思社)の解説によると、この写真は『ライフ』1938年1月3日号で「読者の選ぶ1937年ニュース物語ベスト10」に選出されたという。この一枚の写真がアメリカの世論に強烈な印象を与えて、アメリカの世論を反日に傾けたことは想像に難くない。

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この著書を見るとこの赤ん坊を別のアングルで映した画像や運んでいる画像なども紹介されており、ウィリアムズ氏の記述の正しさが画像でも確認できる。

中国がこの時期に捏造した写真は他にも多数あり、上記図書にも多数の事例が出ておりほとんどが世界を「反日」に仕向ける意図で作成されたと言っていい。
上記図書の一部を、写真付きで紹介しているサイトがある。この図書を購入されるにせよしないにせよ、一度目を通されることをお勧めしたい。
http://www.geocities.jp/kawasaki_to/d-nankinsyasin.html

日本と中国との戦いは、戦争としては日本が勝っていたにせよ、宣伝戦に大敗して世界の敵にされてしまった。蒋介石の背後にはソ連共産党があり、わが国はソ連の思惑通り日米戦に巻き込まれていくのである。

以前にこのブログで書いたが、昭和10年(1935)の第7回コミンテルン大会における次のスターリン演説が気にかかる。この演説以降の歴史は、しばらくこの言葉の通りに展開しているのだ。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-210.html

「ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国に向けさせよ。そして戦力を消耗したドイツと日本の前には米国を参戦させて立ちはだからせよ。日・独の敗北は必至である。そこでドイツと日本が荒らし回った地域、つまり日独砕氷船が割って歩いた跡と、疲弊した日独両国をそっくり共産陣営に頂くのだ。」

アメリカを戦争に巻き込むには、中国にとってはアメリカ人の「正義感」を刺戟するプロパガンダが不可欠であったはずだ。そのためには日本は絶対に「邪悪な国」でなければならなかった。しかし、日本軍は統制がとれていて、真実をそのまま伝えてもアメリカの介入は期待できなかった。そこで中国は嘘八百でわが国を「邪悪な国」にするプロパガンダに走ることになるのだが、これに対するわが国の対応が甘すぎた。
わが国にとっては馬鹿馬鹿しいほどの嘘であっても、何も反論しなければ世界はそう信じてしまうとまでは考えなかったようだ。いつの間にか世界は嘘にまみれたプロパガンダにより「反日」に染まり、わが国の反論ができない状況になっていたのである。

「嘘も百回言えば本当になる」という言葉があるが、情報戦対策が甘くほとんど反論しないわが国に対しては、この手法による効果が絶大であることを証明してしまったのだ。中国はこの手法で、ほとんどカネをかけずに、世界の世論を「反日」に染めていったのである。
もしわが国が、相手の事実無根のプロパガンダに対し、即座に嘘であることを世界に訴えていたら少しは流れが変わっていたと考えるのは私だけではないだろう。

尖閣問題にせよ従軍慰安婦問題にせよ、今も同様に甘い対応が続いており、明らかな嘘を広められてもわが国は「大人の対応」とか「いたずらに相手を刺戟すべきではない」と言って、公式には事実を世界に広める行動を殆んど何もしてこなかった。
歴史を知らない経済人が、反日国家に巨額の投資をしたために、両国の関係が悪化することを怖れて圧力をかけた面もあるようだが、そもそも反日を国是とするような国に投資すること自体が根本的な誤りであることに、そろそろ経済人は気が付かねばならないし、政府も国益のかかる重要な判断に、企業の事情を配慮すべきとは思わない。
それと、何よりも、戦後の長きにわたりわが国で封印されてきた中国や共産党の工作の史実をもっと日本人は知るべきだと思う。このことをしっかり学んでおかなければ、また同じ誤りを繰り返すことになるだけではないか。
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「南京大虐殺」の真実を追う~~中国排日8

前回まで3回にわたり、米人ジャーナリストのフレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズ”が著した”Behind the News in China” (邦訳『中国の戦争宣伝の内幕』)の内容の一部を紹介してきた。この著書は1938年11月にアメリカで刊行され、とりわけ1936年12月に蒋介石が中国共産党に拉致監禁された西安事件から1938年10月の日本軍による広東攻略までの背景や中国の戦争宣伝についてかなり具体的に描かれている。
私がこのブログで紹介したのは、日本人が大量に虐殺された昭和12年(1937)7月29日の通州事件と、同年8月9日に日本兵が射殺されたことから始まった上海での日中の軍事衝突(第二次上海事変)であるが、この第二次上海事変は3ヵ月続き、11月9日の中国軍の一斉退却で終わっている。

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そしてその第二次上海事変が終了した約1か月後、この軍事衝突を早く収束させるために日本軍は国民政府の首都である南京攻略を目指したのだが、この南京攻略の後に所謂「南京大虐殺」があったという説がある。ところが、その10か月後に出版されたウィリアムズ氏の著書においては、まだ日も浅い時期に起きたはずの「南京大虐殺」について、全く何も記載されていないのである。ここで、日本軍の南京攻略について簡単に纏めておく。

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このブログで何度も書いたように、当時の国際社会が日本に対して厳しい見方をすることが多かったので、上海派遣軍司令官の松井石根(まついいわね)大将は全軍に軍規の徹底を呼びかけた上で、昭和12(1937)年12月9日に籠城する国民政府軍に対し投降勧告を出し、彼らが拒否したのを確認してから翌日に攻撃を開始しているのだが、こともあろうに蒋介石は20万人近くの市民を置き去りにしたまま12月7日に南京を夜間脱出しているのだ。
日本軍の攻撃開始後には、国民政府軍の唐生智将軍までが南京から脱出したために国民政府軍の戦意は衰え、12月13日に南京が陥落し日本軍が城内に入っているのだが、「戦勝国にとって都合のよい歴史」では、それから約6週間にかけて日本軍が一般市民を殺戮した(「南京大虐殺」)という説が、今も強く主張されている。

南京地図

国民政府軍の責任ある地位の者が逃げて秩序ある降伏が出来なくなったために、一部の中国兵が軍服を捨て、平服に着替えて「安全区」に逃げ込みゲリラとなって抵抗したことから、日本軍がゲリラ狩りを行ない処刑を行なった事実はある。そもそもゲリラ戦は多くの無辜の市民を巻き込む懸念があることから、ゲリラをその場で処刑することはハーグ陸戦規定により認められている事であり、これを「虐殺」と呼ぶことは誤りである。
ゲリラと間違えられて犠牲になった民間人がいた可能性は否定できないという論者がいるが、それは遺憾な事故ではあっても、組織的な「虐殺」とは根本的に異なる。
蒋介石が首都攻防戦を決断しながら兵を残して逃亡したためにそのような状況になったのであり、本来その責任が問われるべきはどう考えても国民政府軍の方にある。

南京事件

上の画像が南京事件を伝えた12月10日の朝日新聞だが、国民政府軍は南京を廃墟にして出て行ったと伝えており、中国側に多くの「残忍行為」があったようなのだが、具体的な記述はないので詳しいことは分からないこの記事を読む限りでは、日本軍が問題のある行動をとったことは考えにくい。

もし日本軍による「南京大虐殺」と呼ぶべき事件があったとする説が正しいのであれば、もっと当時の記録に残っていなければおかしいのだが、前回まで紹介したウィリアムズ氏の”Behind the News in China”には一言も書かれていないし、この時期南京には日本だけではなく世界のジャーナリストが多数いたにもかかわらず、その当時の報道や記録で日本軍が虐殺行為を見たという記録は存在しないのだ。
評論家の阿羅健一氏が、当時の英米の新聞や雑誌の報道内容を調査したところによると、南京大虐殺について触れた記事や社説は皆無だったとのことである。
http://www.history.gr.jp/~nanking/reason14.html

中国共産党も共産軍も、南京陥落について国民党のだらしなさは書いても、日本軍が大虐殺を行なったとは一言も書かれていないという指摘もある。
高木桂蔵氏が『抗戦中の中国軍事』という中国で刊行された軍事に関する刊行物を研究されたレポートを『月曜評論』(昭和24年2月27日号)に発表しておられる。
そのレポートによると中国共産党の「軍事雑誌」1938(昭和13)年6月20日、刊行第109号に南京の戦闘に関する最初の記事が出ているのだそうだが、そこには
「十二日夜、敵軍侵入城内・激烈之巷戦・自此開始・同時機空軍亦協同作戦・迄十三日午・城内外仍在混戦中・戦軍以政府業巳西移・南京在政治上・軍事上・巳失其重要性・為避免無謂的犠牲・乃退出南京…」
と書かれているだけで、どこにも日本軍による市民の虐殺とか捕虜の大量殺戮のことが出てこないようなのだ。常識的に考えて、もしそのようなことがあったら中国共産党が黙っているはずがなかったことは誰でもわかることなのだが、何も書かれていないことに注目すべきである。
http://www.history.gr.jp/~nanking/reason11.html

当時わが国に対して厳しい姿勢であった、英米だけでなく中国においてすら、日本軍の大虐殺があったとはどこにも書かれていないにもかかわらず、なぜ「南京大虐殺」があったと言えるのか。

このブログで縷々述べてきたように、当時のわが国は世界の報道を牛耳る力などは微塵もなく、前回の記事に書いたように、中国の虚偽のプロパガンダに翻弄されていたのが現実だ。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-244.html

この様な史実を知れば知るほど、誰でも「南京大虐殺」という事件があったという説を疑わざるを得なくなるのだが、学校教育では戦後の長い間、「南京大虐殺」があったとして指導されてきた。

以前の教科書では、日本軍が虐殺した中国人の数は30万人とか20万人とか、人数について諸説があるような書き方が記述されていた記憶があるが、市販されている『もう一度読む山川日本史』ではこう書かれている。
「1937(昭和12)年12月、日本軍は中国の首都南京を占領した。この時日本軍は、非戦闘員を含む多数の中国人を殺傷して、国際的に大きな非難をうけた(南京事件)」(p.302)

人数の議論については書かなくなったにせよ、日本軍が非戦闘員を虐殺したような書き方は今も健在である。「戦勝国にとって都合のよい歴史」においては、いくら論拠が怪しいものであっても、日本軍が虐殺に関与した点だけは、どうしても譲れないようなのだ。

しかし、何度も言うように、もし日本軍による「大虐殺」というような事件があったなら、常識的に考えて、世界中で大きく報道されてわが国が非難されていないはずがない。英米も、中国も当時の記録が残っていないということは、世界が問題にするような規模の事件では到底なかったはずなのだ。

「南京大虐殺」については、ネットでも様々な議論がなされている。当時の記録や写真を豊富に集められて、説得力のあるサイトはいくつもあるが、一度目を通していただきたいのが次のサイトである。
http://www.history.gr.jp/~nanking/

上記サイトに明確に書かれているように、当時の陥落前の南京の人口は20万人であった。そして南京陥落後は難民が帰還して1か月後には25万人に人口が増えていることが公式文書で確認できるのだ。
もし日本人による虐殺があったとしても人口以上の虐殺はあり得ず、また、虐殺が今も続いている場所に人々が戻ってくるようなこともあり得ないことは誰でもわかるだろう。
難民が帰還して人口が増えたということは、常識的に考えれば南京は安全であったのだという事なのだ。

南京在住の婦人・子供を含む非戦闘員は、すべて国際委員会の管理する安全区(難民区)内に居住しており、松井軍司令官の厳命により、ここには一発の砲弾も撃ち込まれておらず、空爆もなく、放火もなかった。だからこそ、国際委員会の委員長ジョン・H・D・ラーベ氏が、国際委員会を代表して次のような書簡を日本軍に送っている。

ラーベ

「拝啓 私どもは貴下の砲兵隊が安全地区を攻撃されなかったという美挙に対して、また同地区における中国民間人の援護に対する将来の計画につき、貴下と連絡をとり得るようになりましたことに対して感謝の意を表するものであります。」
http://www.history.gr.jp/~nanking/reason05.html
もし虐殺行為があれば、このような書状を出すはずがない。

また金陵大学病院医師マッカラム氏は、当時の日記および手記にこのような記録を残しているという。
「(日本軍は)礼儀正しく、しかも尊敬して私どもを処遇してくれました。若干のたいへん愉快な日本人がありました。
私は時々一日本兵が若干の支那人を助けたり、また遊ぶために、支那人の赤子を抱き上げているのを目撃しました。」
「12月31日、今日私は民衆の群が該地帯から中山路を横断して集まるのを目撃しました。あとで彼らは、行政院調査部から日本軍の手によって配分された米を携帯して帰って来ました。今日は若干の幸福な人々がおりました。」 
「(1月3日)今日は病院職員の半数の登録をするのに成功しました。私は若干の日本兵によってなされた善行を報告せねばなりません。
最近7、8名のたいへんに立派な日本兵が病院を訪問しました。私どもは彼らに病人に与える食物の欠乏を語りました。
今日彼らは若干の牛肉を見つけて、100斤の豆をもって来ました。われわれは一ヶ月も病院で肉なんか食べなかったので、これらの贈り物は大いに歓迎されました。彼らはわれわれに他にどんなものが欲しいかを尋ねました。」

無名戦士の墓

南京陥落に際しては、日本軍の死者だけでなく中国軍の死者も出ていた。次のURLでは日本軍が「中国無名戦士の墓」を建てたことが写真付きで紹介されている。
http://www.history.gr.jp/~nanking/peace.html#15
昭和12年12月24日の朝日新聞にはこう書かれている。

「抗日の世迷い言に乗せられたとは言え、敵兵も又、華と散ったのである、戦野に亡骸を横たえ風雨にさらされた哀れな彼ら、が勇士達の目には大和魂の涙が浮かぶ、無名戦士達よ眠れ!白木にすべる筆の運びも彼らを思えばこそ暫し渋る優しき心の墓標だ。」
敵の無名戦士の墓標を建てる日本軍兵士が、罪のない婦女子を大量虐殺するという説は、どう考えても違和感がありすぎるのだ。

そもそも本物として通用する虐殺現場の写真は世の中に1枚も存在しないのだ。
前回の記事で『南京事件「証拠写真」を検証する』という本を紹介したが、その本の中で、日本軍による大虐殺があったという証拠写真としてよく用いられる143枚すべてを検証し、すべてが南京事件とは何の関係もない写真であることが論証されている。

南京風景

上の画像は毎日新聞社の佐藤カメラマンが12月17日に南京で撮影した画像だが、実在している写真は、南京の避難民が喜んでいる姿ばかりである。中国人難民の自然な表情からみても、日本軍を怖れているとは思えない。

南京事件1220

当時の写真は数多く残されているが、一度次のURLで確認されればよい。普通の人はこれらの写真を見て、日本軍により「大虐殺」があったと誰も思わないだろう。
http://www.online-utility.org/image/gallery.jsp?title=Battle+of+Nanking

虐殺の証拠となる記事もなければ、写真もない。日本人が多数虐殺された通州事件とは違い、「南京大虐殺」には死亡者のリストも作成されていない。
そもそも、その直前まで中国軍は、とんでもない嘘のプロパガンダで日本軍を貶めてきたのだ。普通に考えれば「南京大虐殺」は作り話としか考えられず、また作り話であるから「虐殺者数」がコロコロ変わっている。
あまり話題にならないが、この事件の直後の1938年2月に中国が国際連盟で「南京で日本軍による中国民間人2万人の虐殺があった」と発言しているが、この発言すら当時の世界のマスコミはほとんど採りあげなかった。当時は世界の記者が南京にいたので、デマだと即座に判断される内容だから報道されなかったと考えるのが自然だろう。
http://www.history.gr.jp/~nanking/books_shincho0738.pdf

他にもいろいろ論拠はあるがこれくらいにして、普通の人が普通に考えれば「南京大虐殺」はなかったか、もし一部の中国民衆が便意兵と誤認されて巻き添えを食ったとしても、日本軍が組織的に虐殺したことについてはありえないと考えられる程度のものであったと思われる。そのことは、南京にかなりの自国人がいたアメリカもイギリスもソ連も当然分っていたはずである。

「南京大虐殺」という話が公式の場に登場し広がっていくのは、実は昭和21年の5月3日に始まった「東京裁判」以降のことなのである。では、なぜ占領軍は東京裁判で日本人による30万人の大量虐殺の話を、唐突に持ち込んだのだろうか。

img20121010221811520.jpg

このブログで何度も「いつの時代もどこの国でも、歴史は勝者が書き換えてきた。歴史とは単なる史実の叙述でなく、勝者にとって都合よく書き換えられ、時には史実がねじ曲げられて叙述されたものに過ぎない。そしてわが国の日本史教科書などに書かれている近現代史は『戦勝国にとって都合の良い歴史』と考えて良い。」と書いてきた。
そして「戦勝国にとって都合の良い歴史」を書くためには、戦勝国が参戦することに崇高な目的と、勝利したことに意義があるものでなければならないのだが、そのストーリーを成り立たせる為には日本が余程「邪悪な国家」でなければないことは誰でもわかる。

しかし戦勝国のアメリカはわが国に2つの原爆を落とし、東京や大阪などの大空襲で無辜の民を大量虐殺した。ソ連も我が国のポツダム宣言受諾後に日本を侵略し多くの日本兵をシベリアに抑留し、極寒の地で強制労働に従事させて死に至らしめた。また中国共産党は、日本を戦争に引き摺り込むために多くの日本人を虐殺し、その背後にはソ連共産党がいた。アメリカの2つの原爆の死者だけでも21万人、ソ連のシベリア抑留時に死亡した日本人は29万人とも言われている。
それらの戦勝国の戦争犯罪を打ち消すためには、それ以上に酷い事をわが国が行っていれば好都合なのだが、わが国の方が「邪悪な国家」であることを全世界が納得するような事実はどこにも存在しなかった。ならば捏造するしかないではないか。

史実の捏造なら中国人の得意なところである。そこで戦勝国は、日本軍が「30万人」もの中国人民衆を虐殺したということにして、「戦勝国にとって都合の良い歴史」が完成した。
それまで中国の公式発表では日本軍による虐殺は2万人で、その数字ですら世界は信憑性を疑ったのだが、それをとんでもない数字に膨らませたのだ。「30万人」という数字は、アメリカやソ連にとっては自国の戦争犯罪を打ち消すために、こだわる理由のある数字ではなかったのか。

img20121011201017724.jpg

東京裁判は戦勝国のリンチ裁判のようなものである。判決文の多くは真実ではない。そして「戦勝国にとって都合の良い歴史」の解釈に基づき、7人の被告が死刑に処せられている。
その上でわが国に存在する「戦勝国にとって都合の悪い史実」が書かれた書物を徹底的に焚書処分し、同時にあらゆる出版物や放送原稿や私信までを検閲し、「戦勝国にとって都合の悪い」ことの一切を書いたり放送したりしないようにした一方、「戦勝国に都合の良い歴史」だけを広めて、日本軍が諸悪の根源であるイメージを日本人に洗脳した。

そして、「戦勝国にとって都合の良い歴史」を固定化させるために、中国・韓国・北朝鮮には「反日史観」を、わが国には「自虐史観」を広め、領土を曖昧にして、東アジアに紛争の種を残したということではないのか。そして中国・韓国・北朝鮮およびわが国の左翼が、「戦勝国にとって都合の悪い歴史」を封印して日本人の歴史認識の洗脳状態を維持する役割を、今も担っているようにも思えるのだ。

アメリカにとってもロシアにとっても、黄色人種同士が領土問題や歴史認識で対立したり、同様の問題でわが国内で対立があることは好都合であるはずだ。対立がある限りは、何もせずとも、自国の戦争犯罪が話題に上ることがないという都合の良い立ち位置に留まることができる。またアメリカにとっては、それらの国のいずれかがアメリカの経済的地位を脅かす国に成長しそうな勢いであったとしても、その対立関係をうまく利用すれば、すぐにその芽を潰すことが可能である。
領土問題にせよ従軍慰安婦問題にせよ、日中や日韓の諸問題にアメリカが介入してくれて解決を図ることについて過度な期待することは誤りではないのか。アメリカがそれらの問題にわが国のために介入することの方が、アメリカの国益を損なう可能性がありうるとの視点を持つことも重要だと思う。
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京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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