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日露戦争後のアメリカにおける日本人差別の実態~~米国排日2

アメリカの排日は、日露戦争後にアメリカのマスコミが人種差別を国民に煽って急激に広がっていったことを前回の記事で縷々述べてきたが、日露戦争時にはアメリカはわが国では親日国だと見做されていたはずだ。なぜアメリカが、日露戦争後にわが国に対する方針を変えることになったのだろうか。

GHQ焚書図書開封6

前回紹介した西尾幹二氏の『GHQ焚書図書開封6』に高木陸郎氏の「米国の支那進出運動とその将来」という論文がある。ここにはこう書かれている。(原文を新字・新仮名に改めて引用)

「米国は満州に発展の強い意図を抱いていたため、一方において露国の満州独占を防止しつつ、他方において積極的開放政策をとり、満州を自国の商品市場として確保するに努めたのである。
その結果1903年の通商関係拡張に関する条約によって、新たに奉天(現在の瀋陽)および安東(現在の丹東)の二港を開かしむるに至った。
しかるに露国の満州侵略は依然その矛を収めず、團匪事件(だんぴじけん:義和団の乱)以来いよいよ露骨となり、…

ついに日本と交戦(日露戦争)するに至ったのであるが、米国はこの大戦中日本に対し非常に好意を示し、外債二億六千万円を引受け、あるいは講和条約の斡旋をなすなど反露親日の態度に出たのである。…

しかるに戦後(日露戦争後)日本が満州において優越的地位を占めたるため、米国の対満発展政策は転じて、日本の勢力排除に向けられるにいたった。…

即ち、米国は露国よりも御しやすい日本を利用して、満州に自国の商業的利益を伸長せんとしたのであるが、その期待が外れ満州の形勢は単に日露両国の勢力を入れ替えたにとどまり、戦前と大差なき状態を呈したからである。」(『GHQ焚書図書開封6』p.56-58)

要するにアメリカは、ロシアに満州独占をさせないためにわが国にロシアと戦わせ、わが国が日露戦争に勝利すると講和条約の斡旋をしてわが国に恩を売り、その後アメリカが我が国に圧力をかけて満州鉄道など満州の権益を手にすると考えていた。しかしながら、そのことはわが国の抵抗にあってうまくいかなかった。そこで、アメリカはわが国の勢力を排除する方向に舵を切ることになったというのだが、この説はなかなか説得力がある。

満州鉄道

1905年9月に米大統領セオドア・ルーズベルトの斡旋により日露戦争の講和が成立し、わが国はロシアが敷設した満州鉄道の利権を獲得した。
中国に橋頭保を築きたいアメリカは、鉄道王と呼ばれたハリマンをわが国に特使として派遣し、シベリア鉄道の買収もしくは共同経営の折衝を開始したのだが、ロシアから賠償金が取れなかったことからわが国では反米感情が高まっていたため、満州鉄道までアメリカに譲歩できる状況ではなかったようだ。

わが国はアメリカの要請を断り独自で経営をスタートさせたのだが、アメリカからすれば中国大陸に拠点を持つというアメリカのアジア戦略にわが国が立ちはだかる存在となってしまった。そこで、わが国の勢力を排除するために、1906年にわが国を仮想敵国とする「オレンジ計画」(対日戦争計画)の策定を開始したという流れだ。

しかし、アメリカが我が国の勢力を排除するといっても、大義名分もなくいきなり武力を以て排除することはできない。日本人がまじめに働いている限りは通常の方法では排除できないからこそ、カリフォルニアで拡大していた排日の動きを利用し、全米に人種差別を煽って反日感情を拡げてわが国を追い詰めていくという最も卑劣な方法を用いたということではなかったか。

米国の排日大阪朝日新聞

大阪朝日新聞に連載された法学博士末広重雄氏の『米国の排日』という連載を読むと、サンフランシスコ・クロニクル紙がいつから排日キャンペーンを開始したかが明確に書かれている。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10027103&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

「明治三十六年及び明治三十七年には日本人が太平洋沿岸に於て驚くべく多数になった。それに刺戟さられて明治三十八年(1905)二月二十五日から、米国太平洋沿岸に勢力のある桑港のクロニクル新聞が、連日日本移民に関する論説を掲げて、日本人の多数入国は将来大に危険であると云うことを論じて、日本人排斥の必要を絶叫し、同年労働派を基礎として日韓人排斥協会、後に亜細亜人排斥協会と改称になった会が組織せられて日本人排斥運動が愈組織的になって来たのである。」(1914年3月9日大阪朝日新聞)

1905年1月2日に旅順開城があり、3月1日に奉天会戦、5月27日に日本海海戦があったから、このキャンペーンは日露戦争の帰趨がはっきりしない段階で始まっているので、アメリカの対満発展政策とは無関係に始まったものだと理解できる。

500px-San_francisco_fire_1906.jpg

1906年4月18日にカリフォルニア州サンフランシスコで大地震が起こっている。
その時にわが国は直ちに同市に対して50万円の見舞金を送っているが、当時の50万円は現在の十数億円程度にも相当する金額で、この見舞金は他の国々からの見舞金の総額をも上回っていたという。

サンフランシスコ地震義捐金

こういう日本人の善意を感じて、すこしは対日感情が改善しても良さそうに思うのだが、先ほど紹介した大阪朝日新聞の『米国の排日』という連載記事を読むと、カリフォルニアの状況が具体的に書かれている。興味深いのでいくつか紹介したい。

「街上に於て、日本人に瓦礫やら、腐った玉子やら、噛りかけの果物を投げつけたり、鉄拳を下すが如きことは、曾て桑港(サンフランシスコ)の地震後に甚しく、当時地震研究の為に加州に出張して居った大森博士さえ此の厄に罹ったことがあった。今日は斯る強漢は殆ど其の跡を絶ったけれども、社会上尚種々なる形式に於て日本人排斥が行われて居る。」

「排斥の為先ず第一に日本人の困ることは下宿屋、貸部屋の誠に得難いことである。加州に長逗留をするものが、或は下宿或は貸部屋の必要を感じ、新聞の広告を見て、其の家に出掛け来意を通ずると、主婦が出て来て、日本人であるのを見ると、随分剣もほろろの挨拶をして断ることがある。甚しきに至っては、アイ・ドント・ウォント・ジャップ(日本人には用がない)と言って、頭ごなしに跳ねつけて仕舞う者がある。」

「又昨年(1913)バークレーに於て売出中であった市街宅地には、左の条件を附して居ると云うことである。即ち
 千九百三十年迄は阿弗利加(アフリカ)人、モンゴリア人及び日本人血統のものは此の土地を買い又は借受くることを得ず、若し此の条件に背いて、日本人に地面を売るものある時は売主も買人の日本人も共に、附近の食料品屋及び其の他の商店からボイコットせらる。 」

「桑港(サンフランシスコ)の水泳場、浴場は全く日本人を客としない。其の他劇場寄席活動写真等で、時としては全く日本人の入場を拒絶し、然らざるも上等席を売らざるところが少くない。公衆の出入する場所、例えば芝居で日本人を排斥するのは日本人にも罪があると云うことを認めなければならない。」

「桑港附近に於ては、労働者の勢力極めて強大で、排日感情も亦極めて猛烈であるから種々なる労働組合は日本人に対してボイコットを行う。理髪師の如きは組合規約に基いて、日本人の理髪をしないと云うことになって居る。又日本労働者の組合加入を拒絶して居る。是等労働組合員の日本人排斥は極端なところまで行われて居る。」

「桑港地震後には、日本人洋食店も一時随分迫害を受けた。暴徒連が我が洋食店の店先に群集して、白人客が食事の為店に居るのを引止めて営業に非常なる妨害を加えた。洋食店の主人連は相談の上、直接に、或は領事の手を経て警察の保護を請求した、ところが巡査の派遣はあったけれども、食事時、暴徒が来て邪魔するような時には、巡査は何処へか行って仕舞って居ない。食事時が過ぎ、暴徒が其の目的を達して散じた頃になると巡査連はノコノコ何処からか出て来ると云う有様で、一向何の役にも立たない。洋食店主人連は大に困った結果、労働組合の親分株に六百円の賄賂を贈って漸く迫害を免れることになったそうである。
桑港、オークランド地方に於ける我が洗濯業者に対する迫害に至っては最も甚だしい。凡ゆる手段を講じて我が洗濯業者の営業妨害をして居る。洗濯業に必要なる器具機械類の買入れの邪魔をすることを始めとして、監視員を設けて絶えず日本人洗濯業者の華客先を調べ、或は印刷物を配附し或は人を派して日本人との取引を断絶せんことを請求し其の華客を奪わんことを図り、今日でも尚運動を続けて居る。」

「日本人を劣等視するところの感情は、日本人と白人との結婚を許さざる法律となって現われて居る。加州民法第六十条は白人と黒人及びモンゴリア人との結婚は不法にして無効なるものであると規定して居る。恋愛神聖の白人国の法律としては、誠に不似合千万なことではないか。尤も加州在住日本人と相愛する間柄になった白人は、此非人情な法律の為…斯かる法律のあるのを見ても、如何に人種的偏見が、加州に於て猛烈であるかと云うことが分るのである。」

これらの記事を読むだけで、この当時アメリカにいた日本人が大変な苦労をしたことがよくわかる。

1920年の写真

ネットで当時の写真を容易に見つけることができるが、上の写真は1920年の画像である。

アメリカ人による人種差別は日本人に対してのみなされたのではない。黒人やユダヤ人に対しても同様だったようだ。その点についても大阪朝日新聞の『米国の排日』にこう書かれている。

「米国の東部で黒人及び猶太人(ユダヤ人)に対するのは、恰も西部で日本人に対するが如き有様である。白人の黒人排斥は今更のことでない、白人と黒人との間に屡(しばしば)大葛藤を生じ、流血の惨状を呈することがある。昨年の秋にも亦一騒動が米国の東部で持ち上ったことがある。ボルチモアと云う町で、黒人の一家族が白人街へ引越して行った、ところが近所の白人は彼等白人の独占のものと考えて居る場所へ黒人が侵入して来たのを見て大に憤激し、其の黒人の家に瓦礫を投ずると云う騒ぎになった。黒人の方でも白人の乱暴に立腹し、多数集まって白人の家に投石して復讎(ふくしゅう)をした。其の結果白黒人の大衝突となり、遂に市は市の安全の為、白人と黒人の衝突を避くる為、白黒人の住居を離隔する命令を発したそうである。」

アメリカは「人種のるつぼ」と呼ばれ、多種多様な民族が混在し独特な共通文化を形成していく社会だと言われていた時期があったが、実際はそれぞれの文化が混じりあって融合しているわけではなく、混じりあわない者同士が同じ地域に住んでいるだけのことだ。
アメリカのような多民族国家で、もし全米規模で人種問題が煽られたらどんなに危険なことが起こるかは、はじめからわかっていなければおかしいと思う。
前回の記事で1907年1月にはロサンゼルス・タイムスが日本脅威論を唱え始め、1914年には新聞王と呼ばれるウィリアム・.ハーストが排日キャンペーンを開始したことを書いたが、アメリカの大新聞がこのような記事を書くということは世論を対日宣戦に導くためのプロパガンダであり、対日戦争計画書である「オレンジプラン」と無関係ではなかったのだろう。

以前このブログで、第一次大戦以降本格化した中国の排日は、アメリカが我が国の中国におけるマーケットを奪い取る目的で仕掛けたものであることを当時の文章を引用して縷々説明してきた。
アメリカの排日キャンペーンと中国の排日暴動とは繋がっていたのだろう。
アメリカ側は人種問題を煽ることが、急成長していたわが国を追い落とし、中国大陸の権益を手にするために有効な方法だと考えていたのではないのか。
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米人弁護士が書いた日露戦争後のカリフォルニアの排日運動~~米国排日3

前回まで二回にわけて、日露戦争以降のアメリカの排日活動の経緯や実態について書いてきたが、アメリカの知識人はこの時期のカリフォルニアで燃え上がった排日の原因をどう分析しているのだろうか。

日米開戦

ちょっと気になったのでネットで探していると、カレイ・マックウィリアムスの『日米開戦の人種的側面 アメリカの反省1944』という本があることを知り早速取り寄せた。著者は1905年生まれで南カリフォルニア大学で法律を学んだ後、弁護士資格を取得し、1938-1942年にはカリフォルニア州移民・住宅局長を務めた人物である。表題にあるように、この本は太平洋戦争の最中の1944年に出版されている。

マックウィリアムス氏は、1900年前後から始まったカリフォルニア州排日運動の火付け役は、宗主国イギリスの圧政から逃げ出してきたアイルランド系移民であったとはっきり書いている。この点については、前々回に紹介した五明洋氏の『アメリカは日本をどう報じてきたか』にも同じ指摘があったが、マックウィリアムス氏はもう少し詳しくその事情を述べている。

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当時カリフォルニア州で働く外国生まれの移民の4分の1がアイルランド出身者で、アイルランド系移民のほぼすべてがサンフランシスコに集中していて、サンフランシスコの労働運動をリードしていたという。
彼らはアイルランド人移民を糾合するのに人種問題を取り上げるのが手っ取り早い事に気づき、州人口の1割にも達していた中国人移民を排除した後、中国人に代わって入ってきた日本人をも同様の方法で排除しようとした。

マックウィリアムス氏はこう書いている。
「この頃、アメリカ東部の諸都市ではアイルランド人への差別がひどかった。その鬱憤を晴らすには反東洋人のスローガンは心地よかった。これに加えて日本がイギリスと結んだ日英同盟が反日本人の運動の火に油を注いだ。アイルランド人はイギリスの圧政の中で悲惨な暮らしを強いられてきたのだ。」(『日米開戦の人種的側面 アメリカの反省1944』p.41)

もともとカリフォルニア州は、他州から移住してきた人が人口の半分を占めていて、移住者たちはカリフォルニア州の政治に強い影響力があったそうだ。

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マックウィリアムス氏はこう分析する。
「このカリフォルニアの特異な人口構成は、むしろばらばらなものを一つにまとめようとするベクトルを作り出していて、その動きの中で生まれた団体が政治力を持っていたと考えている。…
その連携を生み出すには反日本人のスローガンは格好の手段となった。共通の敵を作れば連携が容易というわけだ。日本人問題をシングルイッシューとすることで、こうした団体の活動に共通項が見出せた。…」(同上書p.45-46)
と述べ、この時期にE・A・ヘイズ議員やハイラム・ジョンソン議員など上下院選挙などで選出された議員の多くが反日本人を主張することで選挙に勝利してきたことを書いている。いつの時代もどこの国でも民主主義という政治制度では、候補者は大衆受けすることを公約して選挙に勝とうとするものだが、人種問題を公約して選挙に勝った政治家が少なからずいたのが当時のアメリカだったのだ。

1906年4月18日にサンフランシスコに大地震が起こったことを前回の記事で書いた。その時にわが国は、諸外国の援助額の総計を上回る復興資金を出したのだが、なぜこの時に排日活動が終焉しなかったのか。

マックウィリアムス氏はこう書いている。
「…震災後しばらくは反日本人の動きは沈静化を見せている。しかしそれも長くは続かなかった。
日本人住民への犯罪的ともいえる暴力的行為がすぐに再発している。震災復興にあわせた都市再開発の流れのなかで、日本人社会も拡大した。ビジネスの規模も大きくなり、活動するエリアも広がった。例えば日本食レストランの数は八つから三十に一気に増えている。また従来はリトルトーキョーに居住していた日本人がエリアの外に出て家を購入し始めている。こうした動きにすぐさま反応したのが日本人・朝鮮人排斥連盟であった。日本人のビジネスをボイコットする運動を開始したのだ。
…日本人・朝鮮人排斥連盟は日本人排斥を公式なスローガンとして掲げた。それに他の組織も賛同している。こうした組織の会員数は四百五十万人[他州のメンバー数を含む]にのぼっている。こうしたなかで一九〇六年、カリフォルニア州は日本人移民排斥を超党派で支持することを決定した。」(同上書p.48-49)
地震や災害の後に外国人が勢力を拡大することを警戒することは判らないではないが、その後日本人児童をチャイナタウンにある学校に隔離したことは日本人を憤慨させた。

ではなぜアメリカ政府はカリフォルニア州の危険な動きをストップさせるべく圧力をかけなかったのか。

マックウィリアムス氏は続けて、
「カリフォルニアは一八八二年に支那人排斥法を成立させるために、南部諸州の支援を得て連邦政府に圧力をかけた。今回の事件も同じやり方をとったのだ。最高裁判所がアジア人や黒人の公民権排除を憲法違反でないとしている以上、合衆国政府には州の政策を変更させる権限はなかった。たとえ外国人の権利が条約上保護されるべきであっても、連邦政府はそれを強制することができなかったのだ。
南部諸州の黒人の権利を保護することができないように、カリフォルニアの支那人や日本人の権利も保護が出来ないのだ。…」(同上書p.55-56)

このようにアメリカ政府にはカリフォルニアの排日の動きを止める権限がなかったのだ。そして、メディアはさらにわが国との戦争を煽り、わが国は反米感情を昂らせていくばかりであった。

「ルーズベルト大統領は、わが国は日本との関係が悪化し、一触即発の戦争の危機にさらされていると考えた。大統領はヘンリー・ホワイト宛ての私信(7月10日付)のなかで次のように憂慮している。
『カリフォルニアの日本人排斥は由々しき問題である。事態が改善する兆しが一向にない。』
また友人のヘンリー・ロッジへの同日付け私信では、メディアを強く批判している。
『日本との戦争を避けることが出来たとしても、(戦争を煽る)メディアの責任は免れ得ない。日本にもわが国にも、この問題を戦争で決着すべしと叫ぶ馬鹿野郎が同じ程度に跋扈している。』
西海岸のメディアは(三紙を除いて)こぞって戦争を煽っていたのだ。」(同上書p.57-58)

サイレントインベージョン

同上書に、ロバート・E・パーク博士の言葉が紹介されている。
「階級あるいは人種間の衝突は、単純な、闇雲な反感から生じる衝突から形を変え、より政治的な意味合いを持つようになった。それはあのヒットラーが表現しているように、より精神性を持った、いわば霊的な側面を持ち始めたといえる。つまり人種間の対立のなかでは言葉、スローガンあるいはプロパガンダが“生き生きとした嘘(Vital lies)”になり、いわば言葉が兵器に変質したのだ。ニュース、論評、コラムといった類のものがすべてそういう性格を持ち始めた」(同上書p.65-66)

しかし、日本人がカリフォルニア州で嫌われた理由は何なのか。嫌われるようなことをしたのではないかといろいろ読み進んでも、どこにもそのような記述はないのだ。むしろ日本人はその地で華々しい活躍をしていたのだ。たとえば、

「日本人移民は西海岸にそれまで知られていなかった労働集約型の耕作方法を持ち込んでいる。彼らは土そのものの知識があった。土と作物との関係をよく理解していた。だから耕作しようとする作物に適合するように土壌を改良していった。肥料と施肥の方法にも専門知識を持ち合わせていた。開墾、灌漑、排水の知識に加えて、労力を惜しみなく注ぎ込む不屈の精神があった。こうして日本人移民は数々の農作物栽培のパイオニアとなった。
彼らが開墾した土地はカリフォルニアの肥沃なデルタ地帯だけではなかった。太平洋北西部の切り株だらけの木材伐採地などもあった。日本人を差別する記事を書き続けたサンフランシスコ・クロニクル紙でさえ『カリフォルニアの荒れた土地や痩せ地を豊かな果樹園やぶどう園や庭園に変えたのは日本人の農業技術だ』と賞賛するほどだった。

リビングストンの町は打ち捨てられて荒廃していたのだが、この町を豊かな耕作地に変えたのも日本人の農民だった。カリフォルニア北東部のネバダ州境にあるプレーサー郡の丘陵地帯では果樹栽培が失敗したまま放置されていた。日本人はここでも果樹園経営を成功させている。

後年、カリフォルニア人は日本人がカリフォルニアの最も肥沃な土地を独占したと非難したが、素直に事実を見れば、こうした土地はもともと限界的耕作地だったのだ。
漁業についても同じような傾向が見出せる。西海岸の漁業は昔から移民たちが就いた職業だった。日本人移民はここでも漁獲量を増やすのに貢献した。…
彼らはガソリンを動力としたエンジンをつけた船で、かなり沖合まで漁場を求めて出て行った。新しいタイプの網や釣針を考案し、エサも工夫した。その結果、1回ごとの漁獲高は大きく増えたのだった。また彼らは通年で漁をしたから、市場にはいつも新鮮な魚が溢れることになった。」(同上書p.125-127)

このように、カリフォルニア州に移住した日本人は大変な努力をし、社会にも貢献して生活の基盤を築こうとしたのだが、この州は日本人の努力を正当に評価してもらえるところではなかったのだ。

国民の歴史

西尾幹二氏の『国民の歴史』に当時の米国大統領であるセオドア・ルーズベルトの言葉が引用されている。
「日米間の人種的相違には極めて根深いものがあるので、ヨーロッパ系のわれわれが日本人を理解し、また彼らがわれわれを理解するのは至難である。一世代の間に日本人がアメリカに同化することはとうてい望めないので、日本人の社会的接触はアメリカ国内の人種対立をますます悪化させ、惨憺たる結果をもたらす。その危険からアメリカを守らねばならない。」(『国民の歴史』p.555)

「日本人は勤勉で節倹精神に富んでいるので、カリフォルニアが彼らを締め出そうとするのも無理はない。」(同上書p.556)

要するに日本人は、劣っていたからではなく、優れていたからこそ排斥されたのである。日本人の成功が、他の有色人種を刺戟し白人優位の世界を崩していくことを怖れたのであろう。ルーズベルトが守ろうとした「アメリカ」は「白人が有色人種を支配するアメリカ」であったと考えて良い。

YellowTerror.jpg

当たり前のことであるが、戦争というものは、相手国に戦争をする意志がなければ起こらないものである。
勝手に人種問題を焚き付けて世論を動かし、勝手にわが国を仮想敵国にして、挑発行為を繰り返し仕掛けた国はアメリカだったではないか。
「戦勝国に都合の良い歴史」ではこの事実に目をふさいで、戦争の原因が一方的にわが国にあるとするのだが、いつかこの偏頗な歴史が書き換えられる日が来ることを期待したい。
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日露戦争以降、わが国は米国黒人の希望の星であった~~米国排日4

前回は日露戦争以降のアメリカで日本人排斥が急速に広まった経緯について、米人弁護士のカレイ・マックウィリアムスの著書の一部を紹介したが、当時の事を黒人の立場から書かれた書物を紹介することにしたい。

レジナルド・カーニー氏が『20世紀の日本人 アメリカ黒人の日本観1900-1945』という本を書いている。日露戦争でわが国が勝利した時に、黒人社会がわが国に対してどういう印象を持ったかについて述べている部分をしばらく引用する。

20世紀の日本人

「東アジアの覇権をめぐる争いを繰り返した後、日本とロシアは戦争に突入した。黒人知識人たちは、白人の国であり、ヨーロッパの列強のひとつであるロシアと、東洋の近代有色人国家、日本との戦争勃発を探っていた。
『セントルイス・パラディアム』紙は「今世紀もっとも重要な歴史的事件」であるという見出しをつけて、日露戦争を報じた。アメリカ人全体がそう思っていたかどうかは別にしても、少なくとも白人と黒人に共通してはっきりしていたことは、日本人が白人をその特権的地位から引きずり降ろそうとしている、ということだった。
…この戦争を機に、黒人には人種関係の大きな転換期が見えたのだ。この国際的事件は、国内の人種問題以外には無関心とされていた黒人が、大いに関心を示したものとなった。黒人は、白人を打ち負かす能力を持った、同じ有色人種としての日本人のイメージを磨き上げていったのである。」(『20世紀の日本人』p.54)

日露戦争風刺

カーニー氏の著書の中で、『インディアナポリス・フリーマン』紙の社説に次のような文章が掲載されたことが紹介されている。

「東洋のリングで、茶色い男たちのパンチが白人を打ちのめしつづけている。事実、ロシアは繰り返し何度も、日本人にこっぴどくやられて、セコンドは今にもタオルを投げ入 れようとしている。有色人種がこの試合をものにするのは、もう時間の問題だ。長く続いた白人優位の神話が、ついに今突き崩されようとしている。」(同上書 p.65-66)

「茶色い男たち」はもちろん日本人の事である。わが国はロシアとの戦いに勝利した。
この当時の米国黒人の知識人たちの反応のなかには次のようなものがあった。

「…おもな黒人の知識人やジャーナリストのなかには、白人支配を根底から覆し、黒人の地位を向上させる契機として、この戦争を捕えようとする者もいた。日本人という有色人種が、ロシアという白人国家を打ち負かしたのだから、黒人もやがてアメリカという白人優位国家に対して、同じことが出来るかもしれないと考えたのだ。

… 何と言っても、白人が有色人種を支配する人種構造はけっして真理ではなく、ただ創られた神話に過ぎないということを、明確に世界中に知らしめたのだから。この戦争を契機に、黒人は日本人が自分たちと同じ有色人種であったという同胞意識を、強く抱くようになった。…」(同上書 p.67-70)

当時の西洋社会では有色人種は白人より劣った人種であり、白人が有色人種を支配することは当たり前だという考え方が支配していたのだが、日露戦争でわが国が勝利したことが有色人種に与えた影響はかなり大きかったようなのだ。

またカーニー氏は、当時の『ニューヨーク・エイジ』紙にこんな記事が掲載されたことを紹介している。
「アジアは欧米の支配を受けないアジア人のためのものという信念が『黄禍』を生み出したとしたら、将来アフリカには『黒禍』なるものが生まれてくるであろう。」
「もし日本人が中国人に勇気と反抗の精神を植え付けることができたなら、高慢で横柄なノアの子孫たちは用心しておいた方がよいだろう。」

「高慢で横柄なノアの子孫たち」というのは白人のことを指している。
『旧約聖書』ではノアの息子たちはセム、ハム、ヤペテであることが記され、この3人はそれぞれ、セム=黄色人種、ハム=黒人種、ヤペテ=白人種の祖先になったとかなり古い時代から解釈されているようだ。

聖書創世記

そして『旧約聖書』創世記9章にはこのようなノアの言葉が書かれている。カナンはハムの父である。
「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべ*らのしもべとなれ。」
また言った。「ほめたたえよ。セムの神、主を。カナンは彼らのしもべとなれ。
神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのしもべとなれ。」
*しもべ:召使い、下僕
http://www.cty-net.ne.jp/~y-christ/reihai/reihai2011/reihai11.10.2.html

聖書この記述から白人による黒人支配が正当化され、西洋による有色人種の国々の植民地化が正当化されていた時期が長く続いたのだが、日露戦争における日本軍の勝利は、この白人優位の常識を覆したのだ。

カーニー氏が重要な指摘をしている部分を引用する。
「日本が…ただロシアをやっつけたというだけではなくて、白人が有色人種を支配するという神話を完全に打ち砕き、『他の呪われた有色人種たち』の秘めた力を引き出すきっかけを作った。それが日本だったのだ。
この頃から、デュボイスは**、ヨーロッパによる支配から有色人種を解放してくれる可能性のもっとも高い国として、日本を支持していた。ブッカ―・T・ワシントン派の有力な評論家は、日本人が『”白”という言葉の持つ近代の愚かなまやかし』をぶち壊したと言った。彼はまた『茶色と黒の人種』が日本人のあとに続くだろうと予言した。つまり、これこそが白人支配に脅威を与えた、いわゆる『黄禍』の本当の意味だったのだ。」(同上書 p.55)

デュボイス
**デュボイス:黒人運動の先駆的指導者。全米黒人地位向上協会の創立者(1868-1963)

またカーニー氏によると、インディアナポリスのYMCA黒人支部主催の討論会で次のような議論がなされたという。
「戦争の結果に暗示されたアジアの栄華とヨーロッパの衰退は、他の抑圧された有色人種たちの未来に、明るい兆しをもたらしたということ、であった。日本が中国をヨーロッパから解放してくれる……ひとたび日本と中国との関係が強化されれば、インドやアフリカや東南アジアをも、白人支配の手から救い出す大きな力になり得る、と考えたのだ。」(同上書p.69)

これらの文章を読むと、なぜアメリカで『黄禍論』が急速に広まったかがよくわかる。
アメリカに日本人が移住してから、アメリカに奴隷として送られてきた過去を持つ黒人や、移住してきた有色人種達が日本人の活躍をみて刺戟され、白人優位の社会に疑問を持ち始め、地位改善のための活動を始め出していたののだ。
白人たちは、早いうちに手を打たないと、いずれは世界中で有色人種たちが白人に抵抗するようになり、永年にわたり白人が築き上げてきた白人優位の世界が崩壊していくきっかけとなるとの危機感を持ったということではないか。

しかしながら、日本人は集団で犯罪行為を行っているわけでもなく、正常な経済活動を行っているにすぎない。これでは普通のやり方で日本人の勢力を排除することは不可能である。
そこでアメリカ白人たちは、別のやり方で日本を孤立させ、経済的に追い詰めていくことを考えた。
カリフォルニア州で起きていた排日運動を巧く利用し、二流三流のメディアを使って黄禍論を全米で煽り米国世論を反日にシフトさせた。そうして日本人がアメリカで築いた経済基盤を破壊し、さらに中国にも排日思想を植え付けてわが国の企業が苦労して築き上げた中国大陸の商圏を奪い取り、かつ黄色人種同士を相争わせることで日本の勢力を弱め、かつアジアで黄色人種が纏まることがないようにしたということではないのか。

黒人たちが望んでいたことは日本と中国とが手を結び、まずアジアが黄色人種で纏まることであったが、アメリカはそれを許さず、素早く黄色人種の間に対立軸を組み込んだのである。中国の排日については、今までこのブログで何度か書いたので繰り返さないが、これを仕掛けたのは英米であったことは当時の記録に残されているのだ。

パリ平和会議

第1次世界大戦が終焉し、1919年にパリ平和会議が開かれる。そこでわが国は人種差別撤廃を講和条件に盛り込むことを強く主張したのだが、標準的な教科書である『もういちど読む 山川日本史』では、アメリカの排日運動については何も触れずに、
「…パリ平和会議の結果、日本は、山東半島の旧ドイツ権益の継承、国際連盟の委任による赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島(サイパン島など)の統治を認められた。しかし中国は日本の山東権益承継に強く反対し、大規模な反日民族運動(五・四運動)が展開された。また日本がこの会議に提出した人種差別撤廃法案は、アメリカなどの大国の反対で採択されなかった」(『もういちど読む 山川日本史』p.278)
と書かれているが、この記述はフェアなものではない。

わが国がパリ平和会議人種差別撤廃条項を盛り込むことを主張したのは、日本人自身がアメリカで不当な人種差別を受けてきたことや、英米が中国の排日を仕掛けたことを抜きには考えられない。以前このブログで書いた通り、五・四運動の背後には英米がいたのだ。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-238.html

『山川の日本史』の文章をいくら読んでも、そのような背景を理解することはできない相談だ。この文章を普通に読めば、日本が悪い国であったので、人種差別法案が採択されなかったと理解する人が大半だろう。
『山川の日本史』のこの部分だけが問題だというのではなく、概してわが国の教科書や通史における近・現代史の解説文においては、『戦勝国にとって都合の悪い史実』が記されていない。それが問題なのである。

パリ平和会議のことを書き出すとまた長くなるので、次回のテーマとすることにしたい。
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Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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