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強制収容所の日系人が米軍を志願した理由は何だったのか~~米国排日9

前回の記事で、日系人強制収容所の写真が沢山掲載されているサイトを紹介した。
http://www.theatlantic.com/infocus/2011/08/world-war-ii-internment-of-japanese-americans/100132/

上記サイトの中に若い男性が順番に並んでいる写真が掲載されている。

兵士志願する日系人

英文の解説を読むと、この写真は1944年2月22日に撮影されたもので、コロラド州グラナダ強制収容所(通称:アマチ強制収容所)に送られた日系人のうち米軍入隊を希望した男性が、入隊前の身体検査の為に並んでいるところである。

強制収容所に隔離されていた日系人の多くが入隊を志願したことは聞いたことがあったが、彼らが米軍の中でも特筆すべき活躍をしたことを知ったのは比較的最近の事である。今回は、日系人部隊がどういう経緯で集められ、どのような活躍をしたのか。ロサンゼルスにある日系メディアの『ライトハウス』が特集記事を出しているので、その記事やWikipediaなどを参考にして纏めてみることにする。
http://www.us-lighthouse.com/specialla/e-587.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%B3%BB%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%BC%B7%E5%88%B6%E5%8F%8E%E5%AE%B9

前回の記事で、12万人を超える日系人が強制収容所に送られたことを書いたが、実は収容所に送られたのは殆んどがアメリカ本土在住の日系人で、ハワイの日系人が収容所に送られたということは殆んどなかったのだそうだ。その理由は、ハワイの日系人がハワイ人口の約半分にもなっており、日本人を隔離してしまっては社会混乱が避けられず、かつ膨大な経費と土地が必要になるためだったと考えられている。

しかし、太平洋戦争の緒戦は日本軍の快進撃が続き、アメリカ政府ならびに軍は、日本軍のハワイ進攻が近いうちに行われることを予想し、その対策を進めることとなった。
現実問題として、もし日本兵が米軍の軍服を着て紛れ込んだりすると見分けることは極めて困難である。そこで米軍が出した対策が、ハワイの日系兵士を集めてアメリカ本土へ送ることだった。
こうしてハワイの日系兵からなる「第100歩兵大隊」が生まれ、極秘裏にミシシッピ州の訓練場に送られた。そこで日系兵は抜群の成績を挙げたという。彼らは、真珠湾攻撃を目の当たりにしたからこそ、訓練で良い成績を残し、一刻も早く前線に出てアメリカに対して忠誠心を示すことこそが、ハワイで日系人が生き残る唯一の道だと考えていたのだった。

しかしこの時点では日系兵が戦場に送られる可能性は殆んどなかった。というのは、米軍は開戦後日系人の志願を禁止していたし、また軍部では「日系人の忠誠は信用できないため、前線に出すべきではない」という意見が大勢を占めていたのだそうだ。

『ライトハウス』日本語版にはこう書かれている。
「この不信感を覆したのが、…(第100歩兵大隊の)優秀な訓練成績であり、ハワイ大学の学生たちが結成したトリプルV(Varsity Victory Volunteers:学生必勝義勇隊)の活動だった。…彼らは嘆願書を出して部隊の編成を求め、忠誠を示すべくトリプルVを名乗って道路工事などの肉体労働に精を出していた。本土でも2世から成るJACL(Japanese American Citizens League:日系市民協会)が、日系部隊編成に向けてロビー活動を行った。
彼らの必死の行動が、陸軍トップであるマーシャル参謀長の心を動かし、日系人の志願を可能にした。43年2月、ルーズベルト大統領は、日系志願兵からなる第442連隊の編成を発表した(日系兵の徴兵開始は44年1月)。こうして彼らは、晴れて『アメリカのために死ねる権利』を得た。ただし将校は白人であることが条件だった。」

そこで日系人志願兵募集が始まる。ハワイでは募集人員の10倍にあたる若者が殺到したが、アメリカ本土では兵役年齢にある2世男子の5%が志願した程度に過ぎなかったという。記事の冒頭で紹介した写真が、その志願者の列なのだ。
「日系」という理由で敵性外国人と見做され、特に米国本土ではそのために生活基盤が壊され、財産が没収され、強制収容所にまで送り込んだアメリカという国家に忠誠を誓い、自らの命を捧げられるかと随分悩んだことだと思う。しかし、国家に反抗したところでいいことは何もない。収容所にいる家族を一日も早く解放させ、将来にわたって日系人がアメリカで生きていくためには、結局のところ、この機会に国家に忠誠を尽くして、日系人に対する偏見を除去する以外にないと彼らは考えたようなのだ。

『ライトハウス』日本語版には、アメリカ本土から442連隊に入隊したケン・アクネ氏が入隊時に友人とこのような議論したことが記されている。
「志願したと伝えると、『お前はオレたちよりも偉いわけじゃない。現にこうして収容されているじゃないか。そんなことをすれば、日本の家族はどう感じるんだ』と非難されました。でも私は言ったんです。『今ここ(収容所)にいるのは、これまで何もしてこなかったからだ。今がチャンスなんだ。ここで志願して自分たちを証明しないと日系人の将来はないし、それは僕たちのせいになる。生きて帰って来れないかもしれないが、それでも価値があるんだ』と」。

かくして、日系人で編成された第100歩兵大隊と及び442連隊はヨーロッパ戦線で決死の覚悟で戦うこととなる。Wikipediaで442連隊の戦歴が書かれているが、読んでいくとその凄まじい戦いぶりに驚いてしまう。「死傷率314%(のべ死傷者数9,486人)という数字」は尋常な数字ではない。一人の兵隊が平均3回以上負傷するか死んだということである。そしてアメリカ史上最も多くの勲章を受けた部隊がこの442部隊なのだという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC442%E9%80%A3%E9%9A%8A%E6%88%A6%E9%97%98%E5%9B%A3

442_regimental_combat_team.jpg

例えば1944年10月24日に連合軍の第34師団141連隊第1大隊(通称:テキサス大隊)がドイツ軍に包囲されてしまった。翌日ルーズベルト大統領自身の救出命令により、442連隊がドイツ軍と激しい戦闘を繰り広げることになる。
Wikipediaの解説によると、
「10月30日、ついにテキサス大隊を救出することに成功した。しかし、テキサス大隊の211名を救出するために、第442連隊戦闘団の216人が戦死し、600人以上が手足を失う等の重症を負った。救出直後、442部隊とテキサス大隊は抱き合って喜んだが、大隊のバーンズ少佐が軽い気持ちで「ジャップ部隊なのか」と言ったため、442部隊の一少尉が「俺たちはアメリカ陸軍442部隊だ。言い直せ!」と掴みかかり、少佐は謝罪して敬礼したという逸話が残されている。この戦闘は、後にアメリカ陸軍の十大戦闘に数えられるようになった」と記されている。

日本人に救われたユダヤ人手記

またWikipediaには、442連隊は「ドイツ国内へ侵攻し、ドイツ軍との戦闘のすえにミュンヘン近郊・ダッハウの強制収容所の解放を行った。しかし日系人部隊が強制収容所を解放した事実は1992年まで公にされることはなかった」と書かれているが、この出来事に興味を覚えたのでネットで調べると、ユダヤ人のソリー・ガノール氏が日系人部隊によって救出された体験を手記に書いていて、『日本人に救われたユダヤ人の手記』(講談社)としてわが国で翻訳されていることが分かった。

次のURLで上記書籍の一部が紹介・引用されている。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hb/a6fhb804.html

imagesCAILAO60.jpg

ソリー・ガノール氏は、助けてくれた日系二世兵士の名前を記している。

「日系二世兵士はクラレンス・松村という名前であった。アメリカ軍の第522野戦砲兵大隊に属していた。大隊から小隊まで日系二世だけで編成した連隊規模の第100・第442統合戦闘団の一大隊である。彼らはイタリア、フランス、そしてドイツと、凄惨な戦場を転戦した。この戦闘団は、その従軍期間から計算すると、大戦中のどのアメリカ軍部隊よりも多くの死傷者を出し、より多くの戦功賞を得ていた。」
「私の身のうえを思うと、いまひとつ見落としにできない運命の皮肉がある。松村ほかの日系人たちが、アメリカのために戦い、生命を落としつつあるというのに、祖国アメリカでは彼らの家族の多くが抑留所に押し込められていたことである。住居や事業から切り離され、人里離れた土地に作られ、タール紙を張りめぐらせたバラックでの生活に追いやられていた。アメリカ政府は『再配置収容所』と呼んだが、『強制収容所』の別名にすぎなかった。」

ダッハウ強制収容所にはユダヤ人や政治犯などが20万人も送り込まれたと言われているが、この時に解放された囚人は32千人だったという。ここで多くの囚人が虐殺され、チフスなどの伝染病などで病死したのだが、家族がアメリカの強制収容所に隔離されている日系兵がナチスの強制収容所の解放に関与したことに歴史の運命を感じてしまう。

この史実は1992年まで公表されなかったというのだが、これは何故なのか。

ゴー・フォー・ブローク

渡辺正清氏が著した『ゴー・フォー・ブローク 日系二世兵士たちの戦場』(光人社NF文庫)にはこう書かれている。
「米軍事史の研究家エリック・ソウル氏によると、日系二世兵は米陸軍によってダッハウ解放をけっして口外してはならないと命令されていた。その理由として、米政府は日系兵の栄誉が認められることを好まなかったからではないかと推察し、
『もし日系兵が口外すれば軍法会議にかけると脅したため、彼らは口をつぐんでいた』と述べている。」(『ゴー・フォー・ブローク』p.240)

エリック・ソウル氏の推察は表面的なレベルにとどまっている。ではなぜ、米政府は日系兵の栄誉を認めたくなかったのだろうか。
もしこの史実が美談として世界に広まれば、アメリカにも日系人の強制収容所があり、日系人の国家に対する忠誠心を試す目的で志願兵を募集し、激戦のヨーロッパ戦線の最前線に送り込んだアメリカが非難されることにつながることを怖れたということではないのか。
日系兵士は、家族と日系人の未来のために決死の覚悟で戦場に赴いたが、アメリカはただその勇敢さを、白人兵の犠牲を少なくするために利用しただけではなかったか。

ヨーロッパ戦線からアメリカ本土に帰ってきた422部隊を迎えた式典で、トルーマン大統領は彼らの栄誉をたたえて、こう述べたという。
「諸君は今度の戦争で二つの敵と戦った。
一つは戦場における敵であり、もう一つは米国内の偏見との戦いである。
諸君はいずれの戦いにも勝利を収めた。」

日系人兵士がヨーロッパ戦線で大活躍し、この様な大統領の言葉があったのであれば、日系人の名誉が回復されていかなければ筋が通らないと思うのだが、戦後もアメリカ白人による日系人差別は変わらず、その後もアメリカの国民ではあってもアメリカの市民権は剥奪されたままだったのである。
偏見や差別の中で、仕事や家を失いその他の財産のほとんどを放棄させられて長年に渡って強制収容された日系人が、戦後のアメリカで社会復帰することは容易ではなかったようなのだ。

「事実、終戦後のアメリカでは、戦前からの排日の風潮は少しも衰えていなかった。本土に帰った二世が、両親のいる収容所に向かうとき、駅で、食堂で、散髪屋で、
『ジャップ』
は追い出された。かれらが、米陸軍の制服を着ていてもである。
ダニエル・イノウエ中尉がハワイに帰るとき、サンフランシスコで散髪屋の主人に、
『ジャップの髪は刈らない、出ていけ』
と言われた実話は、あまりにも有名である。
このとき、イノウエ中尉の制服には、右腕を失った代償としての勲章がひかっていた。
トルーマン大統領の言葉とは裏腹に、米軍の制服を着た日系人を見る眼は、一般のアメリカ人にかぎらず、米陸軍省においてさえ偏見と差別にあふれていたのである。」(『ゴー・フォー・ブローク』p.249)

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ここに出てくるダニエル・イノウエ中尉は昨年末に亡くなられたが、1963年に米国上院議に選出され、上院の最古参議員となり上院仮議長にまで登りつめた人物である。戦時中は442連隊に所属し、ヨーロッパ戦線で右腕を失い、米国陸軍では「英雄」と讃えられたというのだが、戦場から帰国した彼らが見たアメリカは、相変わらず日系人・日本人が差別される社会であったのだ。

そこで日系人の新しい戦いがはじまった。新しい敵は日本人の土地所有を禁止している「排日土地法」と、日本からの労働移民を禁止している「排日移民法」であった。
日系人たちはヨーロッパ戦線での犠牲と武功を武器にして、アメリカ議会と法廷と世論を相手に戦ったのである。

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そして7年の歳月をかけて、1952年に「排日土地法」「排日移民法」を葬り去ることに成功し、その後もダニエル・イノウエを始めとする日系アメリカ人議員や日系アメリカ人団体の地道な活動により、1976年にはフォード大統領から、日系人を強制収容したことは「間違い」であり「決して繰り返してはいけない」という公式発言を引き出している。

続いて1978年には日系アメリカ人市民同盟は謝罪と賠償を求める運動を立ち上げ、1988年にはレーガン大統領が「市民の自由法」(日系アメリカ人補償法)に署名し、「日系アメリカ人の市民としての基本的自由と憲法で保障された権利を侵害したことに対して、連邦議会は国を代表して謝罪する」 と述べて強制収容された日系アメリカ人に公式に謝罪し、現存者に限って1人当たり2万ドルの損害賠償を行ったという流れだ。

ところで、もし日系人が兵役を志願しなかったり、兵役を志願してもヨーロッパ戦線でほとんど活躍しなかったとしたら、戦後の日系人や移民した日本人の扱いはどうなっていたであろうか。
日系人が、終戦後にこれだけ苦労して「排日土地法」「排日移民法」を葬り、アメリカ政府から正式な謝罪と賠償を勝ち取った歴史を知ると、プロパガンダで意図的に広められた人種的偏見を除去することは容易でないことが誰でも分かる。第二次大戦でもし日系人部隊の活躍がなかったとしたら、今もアメリカで日系人・日本人が人種的に差別される状態が続いていても、決して不思議なことではないように思えるのだ。
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関連記事

なぜわが国にだけ原爆が落とされたのか~~米国排日10

以前このブログで、わが国のメディアや出版物で原爆を批判することをGHQが許さなかったことを書いた。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-186.html

鳩山一郎

たとえば朝日新聞は鳩山一郎の「原子爆弾の使用や無辜(むこ)の國民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の國際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ぬ」という談話を載せたために2日間の業務停止処分を受けているが、鳩山一郎の言っていることは誰が考えても正論だろう。しかしGHQは、原爆批判に限らず戦勝国の批判につながる記述の一切を許さなかったのである。
そして今もテレビで占領軍や戦勝国を批判するような発言がメディアで流されることは皆無に等しく、学校の教科書も同様のスタンスである。

我が国に原爆が投下されたことは、早く戦争を終結させるためにやむを得なかったという説明を子供の頃から何度も聞かされてきたのだが、この説明をそのまま鵜呑みにするのは危険である。

わが国ではあまり知られていないが、1944年9月にニューヨーク州ハイドパークで米英首脳会談が開かれ、ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相が「原爆を日本人に対して使う」と記した覚書を交わしている。(ハイドパーク覚書)
この時点ではドイツもイタリアも交戦中であったのだが、ドイツ人、イタリア人はなぜか原爆投下の対象に入っていなかった。「早く戦争を終結させるため」であれば、ドイツやイタリアに落としても良かったはずだ。なぜ、日本人だけが対象に選ばれたのか。
この会談におけるルーズベルトチャーチルの協議内容は極秘のものであったが、今では覚書が公開されており、邦訳が次のURLに紹介されている。そこには日本人が原爆投下の対象とされた理由については触れられていない。
http://aquarian.cocolog-nifty.com/masaqua/2010/08/post-9105.html

そもそもわが国は、1945年1月の時点で米軍のマッカーサー将軍に講和提案を行っていた。マッカーサーは直ちに交渉するように大統領に具申したのだが、ルーズベルトがその提案を退けたことが、カーチス・B・ドール氏の著書『操られたルーズベルト』という本に書かれているようだ。ドール氏はルーズベルトの長女の婿で、いわば身内からの告発だ。以下のドール氏の発言はネットでも容易に読むことが出来る。
「アメリカの歴史家ハリー・エルマー・バーンズ博士は、1945年1月には、日本人は彼らが戦争に敗けたことを確信し、マッカーサー将軍に講和提案を送ったが、それはほとんど最後の条件と同じだった。マッカーサーはルーズベルトに直ちに交渉するように、ただしロシアを除外するように勧めた。大統領はマッカーサーの人道的で愛国的な提案を斥けたのです。
1945年8月19日VJデーの後の日曜日に、すべての汚い騙しを暴露した、私の友人のアメリカの記者、ウォルター・トローハンから、バーンズ博士はその話を聞いたのです。トローハンは、私の以前の岳父ルーズベルトとマッカーサー将軍の間の通信がそのデスクの上を通ったリーヒー提督から、直接その話と事実を知ったのです。この話はそれが事実かどうか訊ねた前大統領ハーバード・フーバーによって、個人的に確認されている。マッカーサーはきわめて詳しくそのことを確認しています。最近、この話はアメリカン・マーキュリー誌の1970年秋号に再び暴露されています。」
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060730

このドール氏の記述内容が正しければ、ルーズベルトは原子爆弾が完成しわが国にそれを投下するまでは、わが国との講和条件の協議に応じるつもりがなかったという解釈が成り立つ。ちなみに、最初の原子爆弾の実験が行われたのは1945年の7月16日で、広島に原爆が投下される3週間前の事であった。 ルーズベルトが、あるいは後任大統領のトルーマンも、講和条件の協議よりも原爆投下を優先したのはなぜなのか。
また、原爆を落として戦争の終結を早めるというのであれば、住宅密集地に落とさなくとも、原野等の過疎地域に落として威嚇するだけで充分ではなかったか。広島や長崎に落とせば、数十万人もの無辜の民を惨殺することになることは初めからわかっていたはずだ。どうしてそんな残酷なことが平気で決断出来たのだろうか。

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今回の記事にもいくつか当時のアメリカの戦時ポスターの画像をいくつか貼っておいたが、これらの画像を見ていると、彼らは日本人を人間と見做していなかったのかと考えてしまう。当時のアメリカはマスコミなどを使ったプロパガンダで、日本人は獣のような存在であると国民を洗脳し続けていたのだ。

無題

ひどいポスターは絵ばかりではない。「日本人狩猟許可証」というものまで数多く作られた。Googleの画像検索で「jap hunting license」とでも入力すれば、いやというほどの「許可証」を見ることが出来る。この種のものは、2001年9月11日の「同時多発テロ」という事件の後でも多数作られたが、太平洋戦争中の日本人に対するものと極めて似ているのが興味深い。下の画像が「同時多発テロ」のときのものだが、右下の人物はブッシュ前大統領である。

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このような画像を見ていると、太平洋戦争を考えるにあたっては人種問題を抜きに考えることができないのではないかと誰でも思うだろう。わが国にも「鬼畜米英」「暴支膺懲」という言葉があったが、このようなアメリカのプロパガンダ画像の足元にも及ばない。

この「米国排日」シリーズの4回目に書いた、『旧約聖書』創世記9章の一節を思い出してほしい。カナンはハムの父である。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-263.html

「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべ*らのしもべとなれ。」
また言った。「ほめたたえよ。セムの神、主を。カナンは彼らのしもべとなれ。
神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのしもべとなれ。」
*しもべ:召使い、下僕

『旧約聖書』にはノアの息子たちはセム、ハム、ヤペテであることが記され、この3人はそれぞれ、セム=黄色人種、ハム=黒人種、ヤペテ=白人種の祖先であるとかなり古い時代から解釈され、この聖書の解釈から、白人種が黒人種や黄色人種の国々を植民地化することが正当化されてきたのだ。

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キリスト教の教義からすれば、白人は有色人種よりも優位であることが当たり前であるにもかかわらず、日本人がアメリカや中国で成功して勢力を伸ばし、白人の地位を脅かすまでになったことに彼らは我慢できなかったのだろう。だから、アメリカは日本人をアメリカや中国から追い払うだけではなく、日本人が二度と立ち上がれないようにしようと本気で考えたのではないか。
しかし、何の理由もなく日本人を追い払うことは不可能だ。そこで人種問題を焚き付けて世論を排日に誘導し、中国にも民衆に排日思想を焚き付けてわが国と紛争を起こさせ、アメリカも勝手にわが国を仮想敵国にして挑発行為を繰り返し、ハル・ノートを突きつけてわが国を戦争に導いたというのが歴史の真実ではないのか。そしてその背後には、おそらくコミンテルンの工作も絡んでいたと考えている。

米軍が広島・長崎に原爆を落とした直後の8月9日に、アメリカ・キリスト教会連盟事務局長のカヴァート氏がトルーマン大統領にあてて抗議の電報を送っている。
その電報の内容と8月11日付のトルーマンからの返信文の有馬哲夫氏による邦訳が次のURLで紹介されているが、トルーマンのこの手紙を読めば多くの日本人が驚いてしまうことだろう。
http://sukebei.blog111.fc2.com/blog-entry-294.html

「…私は日本の宣戦布告なき真珠湾攻撃と戦争捕虜の虐殺にも非常に心を痛めました。彼ら(日本人)が理解する唯一の言葉というのは、私たちが彼らを攻撃するときに使う言葉のようです。
けだものと接する時はそれをけだものとして扱わなければなりません(When you have to deal with a beast you have to treat him as a beast.)。非常に残念なことですが、それが真実です。」これがアメリカ大統領の言葉なのだ。
太字の部分は、このブログの管理人氏が「けものを処理する(殺す)時は、かれをけものとして扱わなければならない」と訳すべきだとコメントしておられるがその通りだろう。
いずれにしても、トルーマンは日本人を人間として扱っていなかった。だからあのような大量無差別殺戮を平気で決断できたのだろう。

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ジョン・W・ダワー氏の『容赦なき戦争』という本を読むと、米英の指導層にはトルーマン以上に過激な人物が相当いたことが分かる。
「のちに南太平洋方面司令官となったウィリアム・ハルゼー海軍大将は、真珠湾攻撃後、終戦までに日本語は地獄だけで使われるようになるだろうと宣言し、『ジャップを殺せ、ジャップを殺せ、もっと多くのジャップを殺せ』といったスローガンのもとに軍の士気を高めた。あるいはハルゼーのモットーを海兵隊ではこう言い換えて、もっと有名にした。『真珠湾を忘れるな・・・・奴らの息の根を止めろ』と」(『容赦なき戦争』p.85)

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「(1943年5月)チャーチルは…ワシントンへの訪問において、両院の議員を前に演説を行い、『日本の大都市や軍事施設を灰燼に帰するという必要不可欠な過程』について語っている。『世界が平和にもどる前に、それらを完全に灰にしなければならないから』というのである。大統領の息子で自信家のエリオット・ルーズベルトは、45年にヘンリー・ウォレスに対し、アメリカは日本の民間人の半分を亡ぼすまでは日本への爆撃を続けるべきであると述べている。」(同上書p.116)
このような高官の言葉は、本書以外でもいくらでもネットで見つけることが出来る。

また同書には1944年12月の米世論調査の結果が書かれている。マスコミが人種問題を煽った結果は恐るべしである。
「『戦争が終わったら、日本に対してどういう処置をとるべきだと思うか』という問いに対し、13%の回答者が『日本人の全員殺害』を希望し、33%が国家としての日本の崩壊を支持している。…目的は単なる勝利ではなく殺すことにあると述べた兵士たち同様、戦争が終わり日本が平和国家再建を目指しはじめたあとでさえ、驚くべき数のアメリカ人が、日本が原爆投下後あまりもあっけなく降伏してしまったことを残念がっている。45年12月『フォーチュン』誌が行った世論調査によれば、回答者の22.7%が『日本が降伏する前に、もっと原爆を』使う機会があればよかったと考えていた。」(同上書p.114)

一方アメリカの一部の黒人メディアでは、日本に対する原爆投下を強く非難したことが、このブログで何度か紹介したレジナルド・カーニー氏の『20世紀の日本人 アメリカ黒人の日本人観1900-1945』に記されている。ポイントとなる部分を引用させていただく。

「『ピッツバーグ・クリア』紙のふたりのコラムラストの怒りは最も激しいものだった。…そのうちのひとり、マジョリー・マッケンジーのコラム、『…とりわけ信じがたかったのは、二個の原子爆弾が広島と長崎に落とされ、一瞬にして女、子供を含む何万人という日本人市民が跡形もなく吹き飛ばされた事実を、アメリカ市民が喜んだ瞬間だった。』彼女の言うには、アメリカ政府は『人間と文明に対する道徳心』を抹殺し、『国際秩序を再起不能』にしてしまった。
(もうひとりのコラムニスト)ジョージ・シャイラー…は、…原爆はアングロ・サクソン、つまり白人が人類の頂点に立つためのものだった。…彼は、原爆を『悪魔のためのとんでもない凶器』だと述べた。つまり、原爆を取り扱っていた人間は人種差別意識が強く、気の小さい二流の人間だ、ということだ。さらに、『世界の頂点にいるアメリカ人やイギリス人が、ドイツや日本人に“英米の生活習慣”を再教育すべきだ』という考えがあることについては、全く不愉快なたわごとだとし、『白人たちが聖人君主づらをして、日独伊の残虐行為を非難するのを聞くと、吐き気が込み上げてくる。まったくのお笑い草だ』と激しく書きたたいた。『愚かな自己満足に浸る黒人と優越感に満ちた白人』のはびこる悪い時代に、また逆戻りしてしまったアメリカ。…」(『20世紀の日本人』p.163-164)
と、黒人メディアの方がまともな事を書いていたのだ。

原爆

当時成文化されていた戦争に関する国際法において、非戦闘員の殺傷、非軍事目標、無防備都市への攻撃、不必要に残虐な兵器の使用は厳禁されていた。アメリカがわが国の大都市を空襲し、広島・長崎に原爆を落として一般市民を無差別に大量殺戮した行為は明らかなる戦争犯罪である。
しかし、このような史実がなぜわが国で広く知られていないのかという問いに対しては、アメリカが戦勝国であり、いつの時代も歴史は勝者にとって都合の良いように書き記されるものだと言うしかないだろう。このブログで何度も書いているように、わが国の日本史教科書などに書かれ、マスコミなどで報道されている近現代史は『戦勝国にとって都合の良い歴史』であると考えて良い。

『戦勝国にとって都合の良い歴史』には、戦勝国が参戦することに崇高な目的と、勝利したことに意義があったことを書くことが必須となるが、そのストーリーを成り立たせる為には、原爆を落とした国以上に、わが国が「邪悪な国家」であったとして描くしかないことは誰でもわかる。
だから戦後GHQは、日本人に読ませたくない本7769点を「没収宣伝用刊行物」として焚書処分して戦勝国の犯罪行為を封印し、さらに史実の捏造をも行ったうえで、太平洋戦争の原因の全てがわが国にあると描き直した歴史をわが国に押し付けたのである。

このような偏頗な歴史観は戦勝国側の史料や記録からもその矛盾が明らかなのだが、この歴史観を修正することは、戦勝国にとっては自らの犯罪行為が問われ、戦争責任を問われることに繋がるので、証拠となる史実をいくら提示しても、その修正を容易に応じることはないだろう。
戦勝国にとっては、わが国が『自虐史観』に洗脳されている状態が一番好都合なのであり、わが国が歴史観を見直す動きにいつも敏感に反応するのは、自国の国益を考えれば当然のことだと思う。
今年1月3日にNYタイムズの社説で、従軍慰安婦募集の強制性を認めた河野談話の見直しを示唆した安倍首相を、「戦争犯罪を否定し、謝罪のトーンを弱めるどのような試みも、韓国や中国、フィリピンなど、戦時中の日本の野蛮な行為で苦痛を受けた国々を激怒させるだろう」、「安倍首相の恥ずべき衝動は北朝鮮の核開発など地域の重要な協力態勢を脅かす恐れがある。こうした修正主義は、日本にとって恥ずべき愚かなことだ」と非難している。
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20130104/frn1301041635007-n1.htm

アメリカは、直接関係のない問題においてすら、いつもこのように口先介入して中韓両国とわが国の左翼勢力を刺戟し、わが国が『自虐史観』に洗脳された状態を維持するために利用しているのである。
我が国はこういう記事に対しては、世界に向けてしっかり反論しておくべきだと思う。なにも反論しておかなければ、アメリカの主張を認めたと受け止められることになるだろう。これではまともな外交交渉ができるはずがない。
まずは、国民に歴史の真実を広め、確実な史料を世界に示して史実でもって繰り返し反論し続けることである。国民の洗脳を解くためには、マスコミや教育機関が頼りにならない現状では、民間レベルで真実を広めて、政治家やマスコミを動かすほどの力を持つしかないのだと思う。
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関連記事

ルーズベルトはなぜ黄色人種の中国を連合国陣営に残そうとしたのか~~米国排日11

「米国排日」シリーズの最初の記事で『昭和天皇独白録』の冒頭の文章を紹介した。

「大東亜戦争の遠因
この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后の平和条約の内容に伏在してゐる。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然存在し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。…
かゝる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がつた時に、これを抑えることは容易な業ではない。」(『昭和天皇独白録』文春文庫p.24-25)
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-260.html

昭和天皇

昭和天皇は太平洋戦争の遠因は人種問題であったと指摘しておられるのだが、前回までこのブログで縷々紹介してきたように、この昭和天皇のご指摘が正しいことを確認できる史料は、当時の日米の新聞報道や著作やポスターなど、ネットでいくらでも見つけることが出来る。
にもかかわらずわが国においては、このような史実の一切を無視した歴史が記述され、人種問題の観点から日米戦争を考える機会を国民に与えられることがほとんどなかったのである。
このブログで何度も書いてきたように、歴史とは単なる史実の叙述でない。いつの時代もどこの国でも、歴史は勝者にとって都合よく書き換えられ、時には史実がねじ曲げられて叙述されたものである。そしてわが国の日本史教科書などに書かれている近現代史は、基本的に「戦勝国にとって都合の良い歴史」であると考えて良く、「戦勝国にとって都合の悪い史実」が書かれることはほとんどないのだ。

もし、太平洋戦争の遠因が人種問題であることを裏付ける史実が日本人に広く知れわたっていたとしたら、どうなっているかを考えてみればよい。その場合は、戦勝国が戦後わが国に戦争責任の全てを押し付けた歴史観が、わが国で成り立たなくなってしまうはずである。そうすると、今度は戦勝国の戦争犯罪が浮かび上がり、アメリカが悪者にならざるを得ないのである。
だからアメリカはわが国が歴史観を変えようとする動きがあれば今も不快感を示し、中国・韓国とわが国の左翼を刺戟する方法でわが国に圧力をかけてくるのだ。アメリカと中国・韓国およびわが国の左翼勢力は、わが国の歴史観を固定化させるためにウラでは繋がっているのか知れないが、わが国が「自虐史観」で洗脳されている状態が好都合である点では利害が一致している。なぜ、こういうことになってしまったのかを調べていくと、ルーズベルト米大統領の深謀遠慮によるものだったようだ。

太平洋戦争における人種問題

イギリスの歴史家クリストファー・ソーンの『太平洋戦争における人種問題』という本にこのような記述がある。

「…オランダの首相P.S.ヘルブランディが、日本の勝利によって白人の威信が脅かされていると声明したとき『ボンベイ・クロニクル』*はいち早くそれをとり上げ、次のように論じています。

『日本を罰するための戦いが、中国人、インド人、フィリピン人、東インドの人びとの助力のもとに行われているのは、日本に対して…「白人の威信」を擁護する為ためであり、日本の主たる罪とは明らかに侵略ではなくして、有色人種であるということである。』

このような警告や抗議の声に、アメリカの要人たちは無関心ではいられませんでした。彼らの多くが心配していたのは、戦争中、さもなければ、戦後にでも、汎アジア的、あるいは汎有色人種的運動が勢いを得るのではないかということでした。たとえば議会の有力者たちは、ひそかに国務省に対して『黄色人種と白人との間の人種戦争』は、まもなく白色人種の存在そのものを脅かすことになるかもしれないと警告しました。ローズヴェルトは同じ理由から、中国をぜひとも連合国陣営にとどめておかなければならないと力説しました。そして1945年3月にも、有色人種世界が敵対する恐れは今後も存在するだろうと強調しました。国務長官のコーデル・ハル、後任者のエドワード・ステティニアス、それに前の駐日大使ジョゼフ・グルーらはいずれも、国務省の極東部長が1942年に述べた議論と同じ趣旨のことをひそかに口にしていました。それは、もし中国とインドが対日戦から離脱するようになれば『日本は当然、心理的に、世界の有色人種とまではいかなくても、アジア人種の指導者として確固たる地位を手にするだろう。そうなれば、連合国が日本を打ち破ることはあやしくなってくるかもしれない』ということでした。」(『太平洋戦争における人種問題』p.43-45)
*『ボンベイ・クロニクル』:インドの国民党系の新聞 1942.2.14付

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1943年11月22日に、ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相に蒋介石を交えてカイロ会談が開かれ、この会談で連合国の対日方針が定められたのだが、この会談に蒋介石を出席させたのはルーズベルトのようである。

Wikipediaには、次のように解説されている。

「この会談に蒋介石を出席させたのはルーズベルトであり、日本と休戦協定・単独講和を結ぶ事で抗日戦を断念して連合国の戦線から脱落する恐れがあった中国を米英ソの三巨頭に加えて祭り上げ、台湾の返還や常任理事国入りさせて激励させて士気を高めさせるためと言われている。対戦中、親英米派である蒋介石が英米からの支援が少ないことに不満を持っており、日本に寝返るのではないかと噂が絶えなかったが、支援がふんだんに貰えると聞いて夫人同伴でカイロに来た。そして日本を無条件降伏させるまで戦う事を約束し、蒋介石が日本と停戦する事を禁じた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%AD%E5%AE%A3%E8%A8%80#cite_ref-3

このカイロ会談蒋介石を出席させることにチャーチルは反対したようなのだが、ではなぜルーズベルトは中国を連合国陣営に残すことにこだわったのだろうか。

この点については、日下公人氏の解説が一番すっきりと理解できる。

日下公人

ルーズベルトが最も恐れたのは、日本が『有色人種を解放するために戦う』と宣言することだった。だから、昭和18年に蒋介石を連合国の一員に加えたのである。大義名分として、『連合国陣営にも有色人種がいるのだから、これは人種間戦争ではなく民主主義とファシズムの戦いである』と言うためである。
昭和12年の時点で、世界で最もファシズム路線の国は中華民国である。蒋介石が一番ファシストだった。ヒトラーもムッソリーニも、その当時の蒋介石にくらべれば、ファシストとしてはまだまだ可愛いものだった。
だから、アメリカの上下両院は、蒋介石を連合国陣営に加えることに大反対した。この戦争は軍国主義に対する戦いなのに、蒋介石はファシストではないか、というわけだ。
蒋介石はそれを知って、宋美齢夫人を派遣して、『日本の方がもっと軍国主義である。中華民国を助けてくれ、私の夫を助けてくれ』とPRした。その費用は、アメリカからもらった対中国援助の中から払った。」(『人間はなぜ戦争をやめられないのか』p.306-307)

img20130113130945662.png

「ルーズベルトが最も恐れたのは、日本が『有色人種を解放するために戦う』と宣言することだった」ということは充分にあり得ることであることは、当時の新聞記事を読めば納得できる。
今まで何度か紹介した神戸大学付属図書館デジタルアーカイブの新聞記事文庫の記事検索で、昭和10年9月29日の神戸新聞の記事が見つかった。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10014560&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

白人の戦慄

「ワルワル事件**を発端として東アフリカの一角に捲き起った戦雲は、単にイタリー、エチオピヤ間の紛争のみに止まらず、全欧洲、全世界を挙げて喰うか喰われるかの一大闘争のルツボに叩き込まんとして居る。それは単に国際連盟の面目問題であるとか、英仏伊三強国の利権争いなどと云う単純な問題ではない。実に白色人種対黒色人種の戦いであり、進んで 全有色民族を打って一丸とせる白人世界への挑戦にまで発展する可能性を備えて居る。この点に関しては白人自身が最も鋭敏に感得し、人種問題については非常に神経過敏になって居る。殊にこの人種戦争の先頭に勇猛果敢なる民族として白人の最も畏怖する皇道日本が、剱をとって立たん事を極度に怖れて居る。これ等の事実は彼等の著述の随所に発見し得る所で彼等はそれが為めにあらゆる手段を以て黒人を嚇し、或は之を懐柔しつつある。」
**ワルワル事件:第二次エチオピア戦争(1934-35)の発端となった、イタリア軍とエチオピア軍との軍事衝突。

わが国が有色人種のリーダーとして全世界の有色人種の民族解放のために戦うことを白人がそこまで怖れていたのなら、わが国は白人が怖れていた通りに「有色人種の植民地解放」を前面に出し、アジア・アフリカの有色人種国家の独立を支援し、中国をも味方につけて戦えば、その後の歴史は別の展開になっていたのではないか。
アメリカの兵器工場があったデトロイトでは戦争中の1943年に黒人の大暴動が起こり、3日間にわたり都市機能が麻痺したのだが、わが国が有色人種の希望の星と広く認識されていたのなら米黒人による大暴動はデトロイトだけではすまず、全米各地でストやサボタージュが起こって、アメリカは戦争どころではなくなっていたのではないかと考えてみたりもする。

ルーズベルト

しかしルーズベルトは、中国をうまく連合国に加えることで黄色人種の間に対立軸を作り、わが国の勝ち筋を消すことを考えたということだろう。
それも、ただ中国を加えるだけでは白人が有色人種を支配する世界を守れそうもない。そこで、日本軍の残虐性を世界にアピールするプロパガンダで、米黒人を含めた全世界の有色人種が民族の独立・解放のために日本軍に協力する動きを封じる動きに出たのだと思う。

その後第二次世界大戦が終わり、アジア・アフリカの多くの国々が次々と独立を果たしていくのだが、中国と日本の対立軸と日本軍の残虐性についての数多くのデマ宣伝が残された。
このルーズベルトの深謀遠慮による影響が、今も日中韓3国の領土問題や歴史問題に微妙に繋がっているような気がしている。

アメリカの経済覇権がいつまで続くかはわからないが、黄色人種国である日中韓3国の間に領土問題や歴史問題で如何なる対立があったところで、アメリカにプラスになることはあれ、マイナスになることは何もないのだ。

アメリカや中国の排日の歴史を学ぶと、今中国やアメリカで起こっていることは20世紀の前半で実際に起こったこととどこか類似しているのが気になるのは私だけではないだろう。
歴史の真実を学ぼうとしないわが国に対しては、過去と同じように「排日」が仕掛けられ、わが国の企業が苦労して海外で開拓した生産拠点や営業基盤を、奪われることにならないかと心配でもある。

中国や韓国がわが国を挑発し、アメリカがわが国に圧力をかけている今こそが、真実の歴史を学び、戦後の長きにわたり戦勝国から押し付けられてきた歴史観から脱却すべき時期であると思うのだが、「戦勝国にとって都合の良い歴史」に洗脳されてしまった日本人の歴史観を変えることは容易ではないだろう。拙文で採り上げたような史実が、少しでも広まっていくことを祈りたい。
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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

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