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スターリンが朝鮮戦争に米国を誘導したことを示す極秘文書が発見されている

前回は、トルーマン政権が朝鮮戦争で国連軍を勝たせないようにしたのではないかということを書いたのだが、その後スターリンの極秘文書の中から、スターリンがアメリカを朝鮮戦争に誘導したと記述している書簡が発見されているので紹介したい。

韓国の新聞である『中央日報』が2008年6月に報じた記事を、その日本語版のホームページで誰でも読むことができる。ちょっと長いが、全文を引用させていただく。
韓国の新聞なので「朝鮮戦争」とは呼ばず「韓国戦争」と書かれているが、同じ意味である。
http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=101713&servcode=200§code=200
http://japanese.joins.com/article/714/101714.html?sectcode=&servcode=200§code=200

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スターリンが米に韓国戦争参戦を誘導していた…極秘文書発見
派兵しやすいよう、安保理拒否権を行使せず

ヨシフ・スターリン・ソビエト連邦(現ロシア)書記局長が1950年、韓国戦争に米国を参戦することを希望、戦争勃発直後に招集された国連安全保障理事会にソビエト連邦が参加しなかったのも、米国の参戦を誘導するための緻密な計算であったことを示す文書が公開された。
またスターリン書記長は中国も戦争に加担させることにより、米国と中国が韓半島に踏みとどまざるを得ない状態をつくる戦略を立てていたことが明らかになった。
このような事実は1950年8月27日、スターリン書記局長がチェコスロバキアのクレメント・ゴットワルト大統領に送った極秘文書を通じ、明らかになった


文書でスターリン書記局長は、この年の7月初旬に開催された国連安保理でソビエト連邦が国連軍派兵に拒否権を行使しなかったことに対するゴットワルト大統領の問題提起に対し『安保理で、米国が多数決決議を得られやすくしたもの』と説明した。またスターリン書記局長は『これによって、米国は韓国での軍事介入に巻き込まれ、軍事的威信と道徳的権威を失いつつある』と主張した。

スターリン書記局長は特に『米国が韓国戦争の介入を続け、中国まで韓半島に引き込まれる事態になればどんな結果になるのか考えてみよう』とし『ヨーロッパで社会主義を強化する時間を稼ぎ、国際勢力の均衡により、私たちに利益を抱かせるだろう』と強調した

スターリン書記長の文書は、北京大学歴史学部のキム・ドンギル教授が2005年にロシアの3大国立文書保管所のひとつである社会政治史文書保管所(RGASPI)から入手した旧ソビエト連邦の資料(文書番号fond 558、opis 11、delo 62、listy 71~72)に含まれていた。スターリン書記局長が韓国戦争について開戦前後の国際情勢と、自分の戦争構想を具体的に言及した文書が公開されたのは今回が初めてだ。この文書はスターリン書記局長が米国の介入を懸念し、金日成(キム・イルソン)主席の南下侵略の計画に反対したという通説を覆す内容が含まれている

文書の最後に、スターリン書記局長は撤収した国連安保理にソビエト連邦が復帰すると言い『これは米政府の好戦的な政策を暴露し、米国が安保理を利用するのを防ぐために効率的だったからだ』と書かれている。
スターリン書記局長は一級機密に分類された文書の保安維持のため、暗号名“Filippov”(フィリッポフ)を用い、プラハ駐在のソビエト連邦大使に『口頭で、ゴットワルトに伝えろ』と指示した。

文書を分析し『ゴットワルト大統領に送ったスターリンの文書と韓国戦争の起源』という研究論文の執筆を終えたキム教授は『スターリンが戦争を認めた背景を含め、韓国戦争の起源を新しい角度から説明する文書だ』と話した。キム教授の研究結果は、キム教授が客員研究員であった米国のワシントンにあるウッドロー・ウィルソンセンターの『国際冷戦史プロジェクト』論文集に今月25日、発表される予定だ。

◇スターリン
ロシア社会主義革命を率いたレーニンの後継者でソビエト連邦共産党の書記局長を務めた。1922年から亡くなるまで(1953年)、31年間にわたりソビエト連邦を独裁統治した。第2次世界大戦終戦後、米国と対立しながら冷戦の象徴人物となった。」(引用終わり)

  ネットで検索していくと、この記事に書かれているウッドロー・ウィルソンセンターのサイトにキム教授の該当論文が見つかったが、英語は弱いのでとりあえずURLだけ紹介しておく。どこかに邦訳があれば、ご教示いただければありがたい。
http://wilsoncenter.org/sites/default/files/NKIDP_eDossier_1_Origins_of_the_Korean_War.pdf

少しだけ補足と、私なりの解釈を書かせていただく。

ゴットワルト

スターリンの極秘文書の宛先であるゴットワルトは、1921年にチェコ共産党の創設に関わり、1945年以降チェコ共産党委員長となり、1948年から1953年まではチェコスロバキアの大統領を兼務した人物である。スターリン主義者で知られ、多くの政敵を粛清したが、1953年3月にスターリンの葬儀から帰国した5日後に病死している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%AB%E3%83%88

前々回の記事には書かなかったのだが、米英仏露の4か国は国際連合の安全保障理事会で拒否権を有していた。したがって、1950年7月に開催された国連安保理でソ連が拒否権を発動していれば国連軍の派遣はなかったし、戦車や重火器を大量にもつ北朝鮮軍が、僅かな大砲を持つだけで兵力の劣る韓国軍を緒戦で圧倒し、簡単に勝利することは確実であった。

では何故、ソ連は国連安保理で拒否権を発動せずに、安保理を欠席したのか。

冒頭で紹介した『中央日報』の2008年6月に報じた記事は、ゴットワルトがスターリンにソ連が安全保障理事会で拒否権行使せずに欠席した理由を質問したことに対するスターリンの回答文書が発見されたことを書いているのだが、その記事によるとスターリンの回答は、安保理を欠席することで米国が多数決で国連軍の朝鮮戦争参入を決め、朝鮮戦争に介入させて中国まで引きずり込めば、ヨーロッパで社会主義を強化でき、社会主義国家にとってメリットがあるという趣旨のものであったようだ。

よくよく考えると、このスターリンの回答は、ソ連側が米国の中枢部をコントロールできるという確信がなければ絶対に書けないことを書いている
もしアメリカが韓国に、充分な兵士とともに最新鋭の武器や弾薬や戦車を送り込んでいたら、北朝鮮軍の勝利ははじめからあり得ない話なのだ。ではなぜスターリンは、国連軍が朝鮮戦争参入を決定すれば、国連軍を中国までひきずり込むことができると考えたのか、それが問題だ
前回および前々回の記事に書いたとおり、トルーマン大統領のスタッフには数百名のソ連の工作員、スパイやエージェントがいたことが、『ヴェノナ文書』の解読が進んで明らかになっているのだが、そのことを抜きにしてはこの謎は説明できないと思うのである。

一般的な日本史の教科書である『もう一度読む 山川日本史』には、「朝鮮戦争」についてこう書かれている。

「1950年6月、朝鮮半島では北朝鮮軍が北緯38度線をこえて韓国に侵攻を開始した(朝鮮戦争)。国際連合の安全保障理事会は北朝鮮を侵略者として武力制裁を決議し、アメリカ軍を中心とする国連軍が韓国側に立って参戦した。一方、北朝鮮側には中国人が人民義勇軍の名で加わり、はげしい戦闘がくりかえされたが、1953年7月、板門店で休戦協定がむすばれた。」(p.322)

淡々と史実だけが記されているような印象をほとんどの人が受ける文章なのだが、ソ連については一言も書かれていないのはフェアではないだろう。
少なくとも、北朝鮮軍の兵器や戦車はソ連から支援を受けていたことや、国際連合の安全保障理事会でソ連が拒否権を行使すれば国連軍の組成は出来なかったはずであったにもかかわらず、ソ連は安全保障理事会を欠席したために国連軍の派兵が決定したという史実は書くべきではないかと思う。

それと、もう一つ教科書に書くべき重要なことがある。この朝鮮戦争における死傷者が半端ではなかったことだ。
Wikipediaによると、韓国軍は約20万人、アメリカ軍は約14万人、国連軍全体では36万人が死傷し、中共の公式発表による中国人民志願軍の戦死者は11.4万人、戦闘以外の死者は3.4万人、負傷者34万人と書かれているが、この戦争の犠牲者は兵士よりも民間人の方がはるかに多かったという。
朝鮮戦争でアメリカ空軍および海軍航空隊が投下した爆弾の総重量は60万トン以上で、第二次世界大戦でわが国に投下された16万トンの3.7倍なのだそうだが、100万人から200万人の民間人犠牲者が出たと言われている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89#cite_ref-39

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また韓国の李承晩大統領は、朝鮮戦争勃発を受けて共産主義からの転向者やその家族を再教育するための「国民保導連盟」の加盟者や収監中の政治犯や民間人など、少なくとも20万人以上を虐殺した(「保導連盟事件」)というし、北朝鮮の金日成も韓国の一般市民数十万人を「反共産主義の反動分子」との罪名で大量虐殺している。
ソウルのように北朝鮮軍と国連軍が入れ替わり立ち代わり占領したところでは、見境のない殺害と報復が繰り返されたという。
次のURLで、朝鮮戦争時の韓国軍や北朝鮮軍による虐殺現場の写真を見ることが出来る。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/1222ChoosenWar.html

全体では400万人から500万人の犠牲者が出たという話もあるが、その数字だと当時の朝鮮半島の人口は約3000万人だから、全人口の13%~16%程度の人々が犠牲になったことになる。

お隣の国では、これだけの民間人の犠牲者が出ているにもかかわらず、未だに追悼碑を設置する動きがないのだそうだ。このような史実は民族の歴史には残したくないものなのかもしれないが、これでは朝鮮戦争の犠牲者はいつまでたっても浮かばれないことになる。

ところで朝鮮戦争は1953年に休戦に至り北緯38度線を軍事境界線として南北に分断されたが、両国の間に平和条約は結ばれておらず、国際法上ではこの戦争は終わったことになっておらず、長い間「休戦中」の状態にあった。しかるに今年になって、東アジアの状勢が怪しくなってきている。

習近平オバマ

今年の3月11日に北朝鮮は朝鮮労働党機関紙の労働新聞で、国連や中国との間で結んだ朝鮮戦争の休戦協定を白紙に戻すと言明したと報道され、6月7-8日には中国の習近平国家主席はオバマ米大統領との首脳会談で今後の米中関係について「新型の大国関係」を主張し、「太平洋には米中両大国を受け入れる十分な空間がある」と語ったという。この言葉は、中国が韓国や日本や台湾などで紛争しても、アメリカは口出しするなと言っているのと同じだ。
また10月2日にはアメリカのヘーゲル国防長官と韓国のキム・グァンジン国防相がソウルで会談し、北朝鮮が核兵器を使用する確実な兆候をつかんだ場合には、米韓両国の軍があらゆる戦力を動員して先制攻撃を行うことで合意したという報道があり、10月3日のTHE WALL STREET JOURNALのサイトには、北朝鮮は日本での情報収集能力を高めるため、ベテラン工作員を事実上の在日大使館の幹部として起用したとのニュースが流れている。
http://realtime.wsj.com/japan/2013/10/03/%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%80%81%E5%AF%BE%E6%97%A5%E8%AB%9C%E5%A0%B1%E6%B4%BB%E5%8B%95%E3%82%92%E5%BC%B7%E5%8C%96%E2%80%95%E3%83%99%E3%83%86%E3%83%A9%E3%83%B3%E5%B7%A5%E4%BD%9C%E5%93%A1%E3%82%92/

李鵬

1993年に中国を訪問したポール・キーティング豪首相(当時)に対して、李鵬首相(当時)が「日本は取るに足るほどの国ではない。20年後には地上から消えていく国となろう」と語ったことは有名な話だが、今年はちょうどその言葉が発された20年後の年になる。
世界の先進国の中でスパイ防止法がないのはわが国だけなのだと言われており、わが国には北朝鮮や中国だけでなく米韓ロなどの「工作員」がマスコミや教育機関などで多数活動していて、「スパイ天国」とも言われている状態だ。
青山繁晴氏が日本の公安当局に北朝鮮の工作員の数を以前質問したことがあり、その数はおおよそ2万人程度でコアなメンバーは500人程度との回答であったと述べているが、米中韓ロにはもっと多くの工作員がわが国にいてもおかしくないだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=b9XLubXKrsI

尖閣列島

今年に入って尖閣諸島の日本領海への中国側艦艇の侵入がますます頻繁になってきた。韓国も反日を煽り続け、北朝鮮も対日工作を強化しようとしている…。20年前の李鵬の言葉と今年6月の米中首脳会談における習近平の発言とどこかつながりがあるのではないかと気になるのだが、中国と周辺国の工作員が今年をターゲットにしていて、具体的にわが国の領土を奪い取ろうとしている可能性を感じるのである。

これから先、いつか東アジアできな臭い事が起こるのではないかと心配だが、わが国はいつまでも自国の防衛の過半をアメリカに頼って大丈夫なのか。資金不足で自国の政府機関をも一部閉鎖せざるを得なくなったようなアメリカで、同盟国を守るために自国の軍隊を派遣することについて米国民の支持が得られないことも考えておく必要がある。
わが国も他国と同様に、わが国における他国のスパイ活動を取り締まり機密情報を守る一方、他国の情報は自前で集めて、自分の国のことは自分で守る体制に次第に移行していくことが、これからますます必要になっていくのだと思う。
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『軍国主義者』や『青年将校』は『右翼』だったのか

前回まで、わが国が連合軍に占領されていた時期から朝鮮戦争までの歴史を追ってみた。
ウィロビー回想録の文章を引用しながら当時の雑誌などの記事をいくつか紹介してきたが、これらを読んでいくと、今までわが国の教科書やマスコミなどで広められてきた現代史の知識はかなり一面的なもので、一番重要なソ連の関与には全く言及していないことに気づくことになる。

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以前このブログで1928年のコミンテルン第6回大会で採択された決議内容のことを書いたが、再び引用させていただく。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-223.html

帝国主義相互間の戦争に際しては、その国のプロレタリアートは各々自国政府の失敗と、この戦争を反ブルジョワ的内乱戦たらしめることを主要目的としなければならない。…

帝国主義戦争が勃発した場合における共産主義者の政治綱領は、
(1) 自国政府の敗北を助成すること
(2) 帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめること

(3) 民主的な方法による正義の平和は到底不可能であるが故に、戦争を通じてプロレタリア革命を遂行すること

… 帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめることは、大衆の革命的前進を意味するものなるが故に、この革命的前進を阻止する所謂「戦争防止」運動は之を拒否しなければならない
…大衆の軍隊化は『エンゲルス』に従へばブルジョワの軍隊を内部から崩壊せしめる力となるものである。この故に共産主義者はブルジョアの軍隊に反対すべきに非ずして進んで入隊し、之を内部から崩壊せしめることに努力しなければならない。…」(三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』p.38-40)

このような考え方はレーニンが最初に考えた『敗戦革命論』と呼ばれているものだが、共産主義者は革命を成功させるために進んで軍隊に入隊し、国家を内部から崩壊せしめる力とし、自国政府の敗北を導けという考え方である。
その考え方だけでも恐ろしいのだが、その方法については、レーニンはこう記している。
「『政治闘争に於いては逃口上や嘘言も必要である』… 『共産主義者は、いかなる犠牲も辞さない覚悟がなければならない。――あらゆる種類の詐欺、手管、および策略を用いて非合法方法を活用し、真実をごまかしかつ隠蔽しても差し支えない。』…
『党はブルジョア陣営内の小競り合い、衝突、不和に乗じ、事情の如何によって、不意に急速に闘争形態を変えることが出来なければならない
共産主義者は、ブルジョア合法性に依存すべきではない。公然たる組織と並んで、革命の際非常に役立つ秘密の機関を到るところに作らねばならない。』」(同上書 p.41-42)

要するに、国家を内部崩壊させて共産革命に導くための手段は問わない。非合法行為もかまわないし、真実を隠蔽しても良いと言っているのだ。
この時代においては、このような恐ろしいレーニンの思想がインテリ層や若い世代を中心に全世界に拡がっていて、わが国もマルクス・エンゲルスやレーニンなどの全集が飛ぶように売れていたのである。

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『軍国主義』『青年将校』というと、私も長い間『極右』をイメージしてきたのだが、上記のコミンテルン第6回大会から4年後の昭和7年(1932)5月15日に青年将校が首相官邸に乱入し、犬養毅首相を殺害する事件が起こった。この五・一五事件の首謀者が書いた檄文を数年前に読んで、私の青年将校に対する認識が一変した。
次のURLにこの時の檄文の全文が出ているが、最後の部分だけ引用させていただく。
http://mid.parfe.jp/kannyo/itinichikai/siryou/H19-5-31-515/top.htm

「… 国民諸君よ!
 天皇の御名に於て君側の奸を屠れ!
 国民の敵たる既成政党と財閥を殺せ!
 横暴極まる官憲を膺懲せよ!
 奸賊、特権階級を抹殺せよ!
 農民よ、労働者よ、全国民よ
! 
 祖国日本を守れ
 而して
 陛下聖明の下、建国の精神に帰り国民自治の大精神に徹して人材を登用して朗らかな維新日本を建設せよ
 民衆よ!
 此の建設を念願しつつ先づ○○(不明)だ!
 凡ての現存する醜悪なる制度をぶち壊せ 盛大なる建設の前には徹底的な破壊を要す
 吾等は日本の現象を哭(こく)して赤手世に魁(さきが)けて諸君と共に昭和維新の炬火を点ぜんとするもの 素より現存する左傾右傾の何れの団体にも属せぬ
 日本の興亡は吾等(国民前衛隊)決行の成否に非ずして吾等の精神を持して続起する国民諸君の実行力如何に懸る
 起て!
 起つて真の日本を建設せよ!
 昭和七年五月十五日    陸海軍青年将校」

右翼が一般の労働者に対して、体制の破壊のために蹶起を促すことはあり得ないことだ。この檄文は、彼ら青年将校の中心人物の中に、マルクスやレーニンの影響を受けていた者が少なからずいたことを物語っている。彼らの多くはレーニンの言う『敗戦革命』を実現させるべく、自国政府を敗北に導くために進んで入隊したのではなかったか

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以前このブログでも書いたが、昭和20年になって昭和天皇が終戦を決意され、いよいよ8月15日に国民に向かって「終戦の詔勅」を放送される直前の8月14日深夜から15日にかけて、天皇陛下が吹き込まれた玉音放送のレコード盤を奪い取って終戦を阻止しようとした陸軍の将校らのメンバーがいた。彼らは近衛第一師団長森赳中将を殺害し、師団長命令を偽造し近衛歩兵第二連隊を用いて宮城(皇居)を占拠したのだ。(宮城事件)
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-208.html
そもそもわが国の軍人でありながら、大日本帝国憲法下で最高権力者である天皇陛下のご聖断に従おうとしないメンバーが右翼であるはずがないだろう
彼らの一部は上官の命に従っただけの者もいただろうが、リーダー格には共産主義者が少なからずいて、レーニンの『敗戦革命論』を実践してわが国の体制を徹底的に破壊して共産革命に導こうとしたと考えて初めて腑に落ちるのである。
ソ連は8月9日に対日宣戦布告を行ない、満州国、樺太南部、朝鮮半島、千島列島に侵攻を開始したのだが、共産主義者からすれば、ソ連軍が日本列島の主要な部分を占領できないままに戦争を終わらせてしまっては困るのである。だから彼らは宮城を占拠して、玉音放送のレコード盤を奪い取り、戦争を長引かせようとしたのではないのか。

近衛文麿

以前このブログで、日中戦争勃発時から開戦直前まで首相を務めた近衛文麿が終戦の年(昭和20年[1945])の2月に昭和天皇に上奏し、戦争の早期終結を唱えた『近衛上奏文』という文書を紹介した。
この上奏文の中で近衛はわが国の左翼分子が我が国を第二次世界大戦に突入させたことを明確に書いている。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-208.html

「…翻(ひるがえ)つて国内を見るに、共産革命達成のあらゆる条件日々具備せられ行く観有之候。即ち生活の窮乏、労働者発言権の増大、英米に対する敵愾心昂揚の反面たる親ソ気分、軍部内一味の革新運動、之に便乗する所謂新官僚の運動及び之を背後から操る左翼分子の暗躍等々に御座候
 右の内特に憂慮すべきは、軍部内一味の革新運動に有之候。少壮軍人の多数は、我国体と共産主義は両立するものなりと信じ居るものの如く、軍部内革新論の基調も亦ここにありと存候。…

 抑も(そもそも)満洲事変、支那事変を起し、之を拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、是等軍部一味の意識的計画なりし事今や明瞭なりと存候。満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座候。支那事変当時も、「事変は永引くがよろし、事変解決せば国内革新はできなくなる」と公言せしは、此の一味の中心人物に御座候。是等軍部内一味の者の革新論の狙ひは、必ずしも共産革命に非ずとするも、これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼と云ふも可、左翼と云ふも可なり。所謂(いわゆる)右翼は国体の衣を着けたる共産主義なり)は、意識的に共産革命に迄引きずらんとする意図を包蔵し居り、無知単純なる軍人、之に躍らされたりと見て大過なしと存候。…

昨今戦局の危急を告ぐると共に、一億玉砕を叫ぶ声次第に勢を加へつつありと存候。かかる主張をなす者はいわゆる右翼者流なるも、背後より之を煽動しつつあるは、之によりて国内を混乱に陥れ、遂に革命の目的を達せんとする共産分子なりと睨み居り候。…」

近衛文麿は学生時代から社会主義思想に深く共鳴した人物で、昭和8年(1933)に「昭和研究会」という政治・経済・社会に関する研究会を発足させ、その中心メンバーが後に近衛のブレーンとして彼の内閣を支えることになったのだが、その中にはのちにゾルゲ事件の首謀者として昭和19年に絞首刑となった尾崎秀実や、左翼活動の嫌疑により治安維持法違反で検挙起訴された人物が少なからずいたのである。
そして第一次近衛内閣の時に日中戦争に引き摺り込まれて戦線を拡大し、第二次近衛内閣の時には日独伊三国同盟を締結し日ソ中立条約を結び、第三近衛内閣の時には日米交渉が不調に終わり政権を投げ出した。

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近衛が政権を握っていた時代に実際に起こったことは、このブログでも何度か引用した昭和10年(1935)の第7回コミンテルン大会におけるスターリンの演説内容とぴったりと符合するのだ。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-210.html

ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国に向けさせよ。そして戦力を消耗したドイツと日本の前には米国を参戦させて立ちはだからせよ。…」

近衛はソ連が世界の共産化のために工作を続け、軍部や官僚に多くの共産分子がいることに思い至り、この上奏文の中で「彼等の主張の背後に潜める意図を十分看取する能はざりしは、全く不明の致す所」と書いて昭和天皇に謝罪し、このまま勝利の見込みのない戦いを継続することは共産主義者の思うつぼとなるので一日も早くこの戦争を終結させるべきであると述べている。この上奏文の全文は次のURLで読むことが出来る。
原文     http://royallibrary.sakura.ne.jp/ww2/text/konoejousou.html
読み下し   http://www.geocities.jp/since7903/zibiki/ko.htm#konoezyousyoubun

スターリンの戦略は、資本主義国同士を戦わせて双方を疲弊させたのちに革命を仕掛けて共産陣営に組み込むことだった。そしてわが国やアメリカの政権の中枢部に、ソ連と繋がる人物が多数送り込まれていたということは、今では多くの史料で確認できるのである。
こういう話をすると、すぐに『陰謀論』と一笑に付して思考停止する専門家が多いのだが、本当に怪しいのは、共産国にとって都合の悪い史実を一切語らず、中韓が捏造した物語を充分な検証もせずに「正しい」と声高に叫び続ける連中の方ではないのか。
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尾崎秀実の手記を読めば、第二次世界大戦の真相が見えてくる

前回および前々回の記事で、1928年以降アメリカだけでなくわが国においても、政府や軍部の中枢部にソ連の影響が大きかったのではないかということを述べてきた。

今回はゾルゲ事件の首謀者の一人として昭和16年10月に逮捕された尾崎秀実が昭和17年(1942)3月か4月頃に獄中で執筆した手記を紹介したい。

尾崎秀実を取り調べた宮下弘氏の著書によると、尾崎は10月15日の早朝に逮捕され、正午から取り調べが始まり、先に逮捕されていた宮城与徳*との関係を追及していったところ夕方にはスパイ行為を認めたと書かれている。そして翌日の16日に近衛文麿が政権を投げ出し18日に内閣を総辞職している。尾崎のスパイ行為による逮捕は、近衛にとっては驚天動地の出来事であったに違いない。
*宮城与徳:米共産党員。10月10日に逮捕され、宮城の自供により尾崎秀実やゾルゲソ連のスパイであることが判明した。

尾崎秀実はわずか数時間の取調べで、ソ連へのスパイ行為を自白した点について、取調べで尾崎にはひどい拷問がなされたと書いている人もいるのだが、宮下弘氏は
「わたしはそういうやりかたは性格的にも反対ですし、いやしくも近衛さんの大事な人なんだから、拷問なんぞやりませんよ。」(宮下弘特高の回想』p.216)
と書いている。ということは、どちらかが嘘を言っていることになる。

ひどい拷問があったと書く人は、「尾崎の回想録は特高に書かされたものなので史料価値が乏しい」と信じたいのだろうが、この回想録を普通に読めば、尾崎しか知りえない事柄がかなり詳しく、具体的に書かれており、しかも長くて論旨が明快であり、すでに判明している史実と矛盾することもない。

そもそも尾崎が逮捕された時にはアメリカ共産党員の宮城与徳が逮捕されていて、宮城の自供により、尾崎が諜報活動をしていたことや、尾崎と宮城が会っていたことはすでに特高が把握していた。
宮下弘氏の著書によると、何度も会っているはずの宮城の名前が尾崎のアドレスブックになかったのだが、その点を巧妙に衝いて尾崎を観念させている。ちょっと面白いので、しばらく宮下氏の著書を引用する。

特高の回想

「…あなたがしばしば会っているはずの人物がいる。しかしその人物の名前は、あなたのアドレスブックにもないし、交友関係その他の供述のなかにも出てこない。これはいったいどういうことですか、いうと、尾崎は黙って下を向いて答えない。

そこで、わたしは机を向いて脅しつけたんです。君の論文や何かで調べているのではない。ソ連あるいはコミンテルンのスパイとして、いま君を調べているんだ。日本が戦争している時に、スパイをやっている人間を容赦するわけにはいかんのです! と。
そうしたら、彼はシューンとして、椅子からくずれるように、ずり落ちましてね、真っ青になった。そうして三十分くらい、黙っていましたよ

それから、スパイ、スパイとそうきめつけないでください。ようやくそう言って、椅子に這いあがってね。私はただスパイをやった人間といわれたのでは浮かばれない。私は政治家です。政治家であることをまず認めてください、と言う
そりゃあ、君の内心はどうであったかは知らないが、取調べるほうは君が政治家だから取調べるのではない。君が治安維持法、国防保安法、あるいは軍機保護法に違反しているという、法のタテマエから調べるのだ。だから君が政治家であるというのは君の主観的な事であって、それはそうおもっておればよろしい。とにかく君は自分が検挙されたほんとうの理由を知っているはずだ。君はどうやら観念したように見えるが、どうだ、話さないか、ということで、ここではじめて宮城与徳の名前を、わたしから出したわけです。宮城とはどういう関係か、と。ブーケリッチという人物もわかっているし、背後にいるドイツ人もつかんでいる、と
ま、こういうことでやったのですが、わりあいに簡単でした。」(同上書p.215-216)

宮下氏の文章には誇張もあるだろうが、尾崎としてはこれだけ周りを固められていたら、観念するしかなかったのではないだろうか。尾崎の取調べは途中で宮下氏から高木警部に代わっているが、初日に観念して自供した人物に対しては拷問などは必要ないのではないか。

冒頭に記したように、尾崎秀実は昭和17年(1942)3月か4月頃に手記を執筆している。
尾崎の手記の内容に入る前に、尾崎がこの手記をどのような心境で書いたかがわかる部分を引用しておこう。まずこの部分を読んで頂いて、この尾崎の手記がひどい拷問によって意に沿わぬものを書かされたものであるかどうかを読者の判断に委ねることにしたい。(原文は旧字・旧仮名遣い)

尾崎秀実と娘

「…私を最も苦しめたことの一つは私が是まで普通の社会人として接してきた仲間の人々に対しその完全な好意と善意を裏切らねばならぬ立場にはじめから立っていたことであります。これは専ら私の仕事の特異性に基づくことで客観的には私が平常接触をもつ人々を利用することによって私の主たる仕事が成立つのであります。…それらを利用しそれらから諜報の材料を得ることはコンミュニスト(共産主義者)としての活動に当然内在する筈ではないかとも云い得るところでありましょう。しかしながら、これらの人々のいずれも完全に私を信頼し友誼を以て遇してくれた人々であります。しかも今や事ここに至ると最も惨酷なる形で彼等を裏切りかつ迷惑をかける結果となったのであります。この点の心苦しさから私はなかなか脱却できないので居ります
肉親に対する愛情も私は元来強い方であります。…私に裏切られて突然不幸を与えられた妻や子供が私に尽くす真情には筆舌に云い難いものがあります。それだけに心苦しく感じるわけであります。私にはなお一人の老父と実兄とがあります。これらの人々の心中などを考えることは耐えられぬところでありますから強いて考えないことにして居ります。 …私自身は早くからこの日のあることは覚悟したことでもあり、人間も元来あきらめの良い方でありましたから、実は割合いに落ち着いて居るのであります。…」(三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』p.234-235)

尾崎はこのように、自分を信頼して重要情報を伝えてくれた人々を裏切りかつ迷惑をかけたに心を痛めたことは述べているものの、ソ連にわが国の重要情報を伝えたことについては詫びている訳ではない。しかし許されないことをやっていたことは分かっており、いつかは逮捕されることを覚悟していたのである。
では、具体的にどのような諜報活動をしていたのか。尾崎はこう述べている。

「吾々のグループの目的任務は…広義にコミンテルンの目指す世界共産革命遂行のため 日本における革命情勢の進展とこれに対する反革命の勢力関係の現実を正確に把握し得る種類の情報ならびにこれに関する正確なる意見をモスコー*に諜報することにあり、狭義には世界共産主義革命遂行上最も重要にしてその支柱たるソ連を日本帝国主義より防衛するため 日本の国内情勢ことに政治経済外交軍事等の諸情勢を正確且つ迅速に報道しかつ意見を申し送って、ソ連防衛の資料たらしめるにあるのでありますしたがってこの目的のためにはあらゆる国家の秘密をも探知しなければならないのでありまして、政治外交等に関する国家の重要な機密を探り出すことは最も重要な任務として課せられているのであります。」(同上書p.214-215)
*モスコー:モスクワ(ソ連の首都)

尾崎が逮捕されたのは日米開戦の2ヶ月前であるが、この手記を書いたのは太平洋戦争が始まって日本軍が陸海軍とも連戦連勝の破竹の勢いであった頃である。

シンガポール陥落

日本軍は2月にはイギリスの東南アジアの最大拠点であるシンガポールを陥落させ、3月にはバタビア沖海戦でも連合国に圧勝。ジャワではオランダ軍を、フィリピンではアメリカ軍を、ビルマのラングーンではイギリス軍を追い出し圧倒的に強かった。
このような時期に尾崎が、この戦争がその後どうなるかについて述べている部分は非常に興味深い部分である。

「…日本の勝敗は単に日本対英米の勝敗によって決するのではなく 枢軸全体として決せられることになるであろうと思います。日本は南方への進撃においては必ず英米の軍事勢力を一応打破し得るでありましょうが その後の持久戦により消耗が軈(やが)て致命的なものになって現われ来るであろうと想像したのであります。しかもかかる場合において 日本社会を破局から救って方向転換乃至体制的再建を行なう力は日本の支配階級には残されていないと確信しているのであります。結局において身を以て苦難にあたった大衆自体が自らの手によって民族国家の再建を企図しなければならないのであります。
ここにおいて私の大雑把な対処方式を述べますと、日本は破局によってその不必要な犠牲を払わされることなく立直るためにも、また英米から一時的に圧倒せられないためにも行くべき唯一の方向はソ連と提携し、これが援助を受けて、日本社会経済の根本的立て直しを行ない、社会主義国家としての日本を確乎として築き上げることでなければならないのであります。…」(同上書p.224-225)

このように尾崎は、日本軍が連戦連勝でいた時に日本軍の敗北を予想し、その後はソ連の傘下に入り社会主義国に転換すべきであると述べている。
その一方、日本が英米と戦って敗れたとしても簡単に敗れては好ましくないとも言っている。この点が重要な部分である。

「…私の立場から言えば、日本なり、ドイツなりが簡単に崩れ去って英米の全勝に終わるのでは甚だ好ましくないのであります。(大体両陣営の抗戦は長期化するであろうとの見通しでありますが)万一かかる場合になった時に英米の全勝に終わらしめないためにも、日本は社会的体制の転換を以てソ連、支那と結び別の角度から英米に対抗する姿勢を採るべきであると考えました。此の意味に於て、日本は戦争の始めから、米英に抑圧さられつつある南方諸民族の解放をスローガンとして進むことは大いに意味があると考えたのでありまして、私は従来とても南方民族の自己解放を『東亜新秩序』創建の絶対要件であるということをしきりに主張して居りましたのはかかる含みを籠めてのことであります。…」(同上書 p.228-229)

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以前このブログで書いたが、昭和16年6月に日本の同盟国であったドイツがソ連に侵攻すると、当時の近衛内閣では、4月に締結された日ソ中立条約を破棄してでも同盟国としてソ連と開戦すべきとする松岡洋右外務大臣と近衛文麿首相との間で閣内対立が起きた。
近衛は松岡の「北進論」を退けて内閣を総辞職し、改めて第3次近衛内閣を組閣して南進論の立場を確認したのだが、この「南進論」の論陣を張ったのが尾崎秀実らのグループである。
「大東亜共栄圏」とか「東亜諸民族の解放」とかいう勇ましい言葉は、「南進論」を進めるために尾崎をはじめとする近衛内閣の「左翼」ブレーンたちが造ったスローガンなのである。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-223.html

もしこの時にわが国が北進を選択していれば、ソ連は日独に挟撃されて息の根を止めていただろう。それはソ連にとって最悪の選択だ。
ソ連にとって望ましいのは、世界大戦で列強同志を戦わせて消耗させ、将来革命を仕掛けて共産圏を拡大させる条件を整えることである。
そこで、今まで欧米諸国の植民地であった南方諸民族を日本が解放するという崇高なストーリーを描き、日本に欧米諸国と戦わせて欧米勢力を南方諸国から追い出させる。しかし日本は資源不足のためいずれ消耗戦に耐えられずに敗北する。そして南方諸民族は再び西欧諸国の再植民地化を選択しないようにすれば、いよいよ世界を共産主義化するチャンスが生まれると考えていたのではないか。尾崎はこうも書いている。

「…私達は世界大同を目指すものでありまして、国家的対立を解消して世界的共産主義社会の実現を目指しているのであります。従って我々がソ連を尊重するのは以上の如き世界革命実現の現実過程に於いてソ連の占めている地位を意義あるものとしての前進の一里塚として少なくともこの陣地を死守しようと考えているにすぎないのであります。…社会主義は一国だけで完全なものとして成立するものではありません。世界革命を待って始めて完成するのであります。全世界に亘る計画経済が成り立って初めて完全な世界平和が成り立つものと思われます。…」(同上書 p.232-233)

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前回の記事で、スターリンの第7回コミンテルン大会における演説の言葉を紹介した。
「ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国に向けさせよ。そして戦力を消耗したドイツと日本の前には米国を参戦させて立ちはだからせよ。…」
ゾルゲや尾崎をはじめとする、世界に散らばったソ連の工作員たちは、列強の国力のバランスをはかりながら、このスターリンの『砕氷船のテーゼ』を忠実に実現させようと動いていたのではなかったか。

実際に第二次世界大戦後に、「大東亜共栄圏」にあった国々が西洋からの独立を果たしている。それは我が国が白人勢力を一時的にせよ追い払わなければ実現しなかったことは事実ではあるのだが、一部の歴史家が言うように第二次世界大戦の真の勝利者は南方の西洋植民地解放を実現したわが国であるかのような考え方は、この時代の本質を衝いているとは思えない。
わが国に南方諸民族を解放させることによって我が国の国力を消耗させ、わが国の敗戦の後でそれらの国を共産化させ、あわよくばわが国も共産化させるというスターリンの謀略に、わが国がまんまとかかってしまったというのが真相ではなかったか。
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平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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