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共産主義に傾倒した陸軍参謀本部大佐がまとめた終戦工作原案を読む

今までこのブログで何度か紹介してきた、種村佐孝という人物についてWikipediaではこう解説されている。
太平洋戦争(大東亜戦争)中、陸軍参謀本部戦争指導班長をつとめ、大本営の戦争指導にあたった。
戦争末期、対米降伏・和平交渉はアメリカの偽装であり、対米戦争の継続のためソ連同盟論を主張、対ソ終戦工作に従事する。
戦後にシベリア抑留に遭い、モンゴルのウランバートルにあった『第7006俘虜収容所』にて、共産主義革命のための特殊工作員として朝枝繁春、志位正二、瀬島龍三らとともに訓練を受ける
。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%AE%E6%9D%91%E4%BD%90%E5%AD%9D

種村大佐は、前回の記事で記した朝枝中佐、瀬島中佐とともに戦後シベリアに抑留されたのだが、1954年に日本からアメリカに亡命したKGB中佐・ラストボロフの証言によると、いずれもウランバートルで特殊工作員としての訓練を受けた11名の軍人メンバーのうちの1人だというのだ。
ところで上記URLの解説に志位正二という人物の名があるが、彼は関東軍隷下の第3方面軍情報参謀(陸軍少佐)で、現在日本共産党委員長である志位和夫の叔父にあたる人物だという。志位は、1948年にシベリアから帰国ののちGHQ参謀第2部(G2)の地理課に勤め、1951年以降G2在職のままKGBのエージェントとして雇われたのだが、1954年のラストボロフ亡命後に毎月ソ連からお金を受け取っていたことを本人が自主したことを付け加えておく。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AD%E3%83%95

ソ連占領予定線

ソ連は終戦直前に対日参戦し、満州や樺太や千島だけでなく北海道の北半分をも占領する計画であったのだが、千島列島と樺太で日本軍の頑強な抵抗に遭ったために、北北海道の占領については失敗してしまう。
とは言いながら、ソ連は、そんなことでわが国の共産国化を諦めるような国ではなかったのである。革命のための日本人特殊工作員を養成するために種村佐孝や瀬島隆三ら日本の軍人メンバーを集めてウランバートルで特殊教育を実施したわけだが、常識的に考えて、ソ連が選んだ11名については、ソ連が彼らのソ連に対する忠誠心を疑わなかったということであり、いずれも筋金入りの共産主義思想の持ち主であったことを意味する。

前回は朝枝繁春陸軍中佐のその異常なソ連傾倒ぶりを紹介したが、今回は種村佐孝陸軍大佐の文章を紹介したいと思う。このような文章を書く人物が、わが国の対ソ終戦工作に従事していたということを念頭に置いて読んで頂きたいのだが、その前にこの文章が書かれるまでのわが国の動きを概観しておく。

ヤルタ会談

1945年(昭和20)2月にクリミヤ半島のヤルタ近郊でで米英ソ3国による首脳会談が行われ、ドイツの分割統治や東欧諸国の戦後処理が取り決められ、米ソの間ではドイツ敗戦後90日後のソ連の対日参戦および千島列島、樺太などの日本領土の処遇について話し合われ、秘密協定が締結されたという。(ヤルタ会談)
そして、4月5日にソ連はわが国に対し一方的に「日ソ中立条約」の破棄を通告してきたのだが、その条約の第3条には、破棄通告後も条約の満期が到来する1946年4月24日までは存続することが定められていた。
そこで小磯国昭内閣が総辞職となり、4月7日に鈴木貫太郎内閣が成立したのだが、当時の陸軍中枢部は、ソ連との関係改善を図るべきことを強く主張したという。

今後の対『ソ』施策に対する意見

陸軍参謀本部の種村佐孝大佐が作成し4月29日に提出した、「今後の対『ソ』施策に対する意見」なる意見書が陸軍上層部に配布されたのだが、これから紹介するのはその一部である。
原文は旧字・旧カナで記されているが、読みやすいように新字新仮名で書きなおしている。原文は、国立公文書館アジア歴史資料センターのサイトに現物の画像があり誰でもネットで原稿を読むことが出来る。
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C12120293800?IS_KIND=MetaDetail&IS_STYLE=default&
原文にこだわらない方は次のURLに全文が新字新仮名で紹介されている。
http://touarenmeilv.blog88.fc2.com/blog-entry-14.html

種村大佐の意見書の冒頭部分にはこう書かれている。

「今さら申すべきにあらざるも、『ソ』連の」対日動向は、帝国の大東亜戦争遂行に致命的影響を及ぼしていることは、大東亜戦争開始前以来の戦争指導上の最大関心事であった。
而してこの『ソ』の対日動向を、大東亜戦争の終末まで中立的態度を維持せしめ得れば、戦争指導上満点である。
今日まで日『ソ』中立条約に依存して、帝国は日『ソ』間の関係を危なげながらも維持してきたのであるけれども、今や日『ソ』中立条約破棄通告を受け、かつ独(ドイツ)崩壊したる現状態においては、遺憾ながら日本独力により『ソ』の中立的態度を維持せしめ得べき何等の根拠も持っていない。」

と、当然のことから書き出している。そして

「作戦必勝の道なきところに戦勝の光明など存在しようがない。…どうしても作戦必勝の道なしとすれば、これが補助手段としての外交の道も存在しないと見るも過言ではあるまいか。
そこで熟々(つらつら)帝国現下の作戦の推移を考察する時、今後の対『ソ』」施策に殆んど期待を懸け得られない様な気がする。もし期待を懸けるとしたならば終戦方策としての対『ソ』交渉に転移すべきではないかとの考えが起って来るのも無理からぬ点である。」

と述べた後、わが国はあくまで対英米戦争完遂の為にソ連と交渉すべきであるとし、ソ連には余程譲歩して条件呈示をしなければ、逆にソ連との戦争になる怖れもあるとしている。では、ソ連に対してどのような条件を出すべきだというのか。ここで種村大佐は驚くべきことを書いている。

「…換言すれば『ソ』側の言いなり放題になって眼をつぶる。日清戦争後に於ける遼東半島を還付した悲壮なる決心に立ち換ったならば、今日日本が満州や遼東半島や南樺太、台湾や琉球や北千島や朝鮮をかなぐり捨て、日清戦争前の態勢に立ち還り、明治御維新を昭和の御維新によって再建するの覚悟を以て、飽くまで日『ソ』戦を回避し、対米英戦争完遂に邁進しなくてはならない。…
…帝国としては、この肚を以て、日『ソ』戦争を絶対に回避すべきであって、そこまで肚を極めて対『ソ』交渉に移るべきである。移った以上『ソ』側の言い分を待って之に応ずるという態度に出づるべきである。我より進んで以上の諸条件を展開することの適当ならざるは外交駈引上から言っても当然考慮せられるべき点である。」

対ソ外交交渉要綱

同じ日付で『対ソ外交交渉要綱』という文書があり、これも種村佐孝大佐が書いていて、国立公文書館のサイトで誰でも読むことが出来る。
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C12120293900?IS_KIND=MetaDetail&IS_STYLE=default&

種村は「今後の対『ソ』施策に対する意見」にも書いていた通り、英米との戦争を貫徹するために、ソ連に対して大譲歩して対ソ戦を回避するべきだと述べた後、わが国がソ連に対して提案すべき腹案をこう書いている。

「二、対『ソ』交渉に当り我が方の提案すべき腹案要旨左の如し。
 米英の世界侵略、就中(なかんずく)東亜に於ける野望に対し、日『ソ』支は善隣友好互助提携相互不侵略の原則の下に強固に結合し以て相互の繁栄を図るを目的とし、帝国は『ソ』連邦に対し左記を確約す

1、満洲国に於ける居住営業の自由。
2、支那に於ける『ソ』連勢力、特に延安政権の拡大強化。要すれば其の希望する地域より日本軍の撤退。
3、南方占拠地域に於ける戦後所望する権益の譲渡。
4、満洲国及外蒙共和国は、本施策に同調すること。


支那に於ける交渉の対象は延安政権とするも差支なきこと。これがため、要すれば国民政府を解消せしむ。」

少し補足すると、「延安政権」というのは中国共産党のことである。
なぜ、一戦も交えていないソ連に対して、わが国は満州も東南アジアもモンゴルも差し出さねばならないのか。この辺りは、誰しも疑問を感じるところである。
それだけではない。種村大佐は、もしソ連が強硬に出てきた場合には、次の条件も容認すべきだと書いている。

「三、『ソ』にして、前項交渉に当り強硬に要求するに於ては、左記を容認することあり。
1、北鉄の譲渡
2、漁業条約の破棄
3、満洲国、満鉄、遼東半島、南樺太朝鮮等につきては解消若くは譲渡することあるも当時の情勢に依り之を定む
。」

日本最大版図

わが国が開戦に追い込まれた「ハル・ノート」に於いて、わが国が受け入れ難かった主な条項は、
① 中国本土及び仏領インドシナから一切の陸海軍兵力及び警察力を撤退させる。
② 重慶政府(蒋介石政権)以外のいかなる政権をも、軍事的、政治的に支持しない。(汪兆銘政府を見捨てよ)
③ 日独伊三国同盟条約の死文化
だったのだが、ハル・ノート」の内容よりもはるかに過激な内容が、ソ連から要求されてもいないのに陸軍参謀本部から出てきたことをどう理解すればよいのか。

種村大佐は「満州や遼東半島や南樺太、台湾や琉球や北千島や朝鮮をかなぐり捨て、日清戦争前の態勢に立ち還り」というのだが、そもそも沖縄も北千島も、日清戦争前からの日本領なのである。わが国の中枢部に相当程度ソ連の工作があったか、ソ連を理想国家と崇めていたメンバーが主導権を握っていないと、このような公文書が残されるはずがない。前回にも書いたが、この『対ソ外交交渉要綱』を書いた種村大佐は戦後日本共産党に入党しているのである。

そして、このような文書が、その後もわが国に強い影響を与え続けたことを書かざるを得ない。
7月12日に近衛文麿がわが国の特使として、英米との「終戦仲介」を依頼すべくモスクワに派遣されることに決定したのだが、2月に行われたヤルタ会談で対日参戦を約束していたスターリンに会談を拒否されている。

その時にわが国がモスクワとどのような交渉案で臨む準備をしていたかについて、Wikipediaにはこう記されている。

「近衞が和平派の陸軍中将・酒井鎬次の草案をベースに作成した交渉案では、国体護持のみを最低の条件とし、全ての海外の領土と琉球諸島・小笠原諸島・北千島を放棄、『やむを得なければ』海外の軍隊の若干を当分現地に残留させることに同意し、また賠償として労働力を提供することに同意することになっていた。ソ連との仲介による交渉成立が失敗した場合にはただちに米英との直接交渉を開始する方針であった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E6%96%87%E9%BA%BF

このように、種村大佐案よりもさらに過激なものになっているのだが、特に注目したいのは「海外の軍隊の若干を当分現地に残留させることに同意し、また賠償として労働力を提供することに同意する」という部分である。

戦後、インドネシアやベトナムなどで一部の日本軍兵士が残留してアジア諸国の独立戦争に身を投じ、戦勝国勢力を追い出して独立を果たしたのだが、近衛の交渉案でソ連に約束しようとした日本軍の現地残留と関係あるのだろうか。また、多くの日本人がシベリアに抑留され、強制労働に従事させられたのだが、賠償として労働力を提供する方針がこの頃から固まっていたと読めるのである。

産経0811

何度かこのブログで紹介してきたが、スイスのベルン駐在の中国国民政府の陸軍武官が米国からの最高機密情報として、『日本政府が共産主義者達に降伏している』と重慶に機密電報で報告していたことが、ロンドンの英国立公文書館所蔵の最高機密文書ULTRAで明らかになっている。その電報の内容を2013年8月11日付の産経新聞の記事にこう記されている。
「…『国家を救うため、日本政府の重要メンバーの多くが日本の共産主義者たちに完全に降伏(魂を明け渡)している』と政権中枢がコミンテルンに汚染されていることを指摘。そのうえで、『あらゆる分野で行動することを認められている彼ら(共産主義者たち)は、全ての他国の共産党と連携しながら、モスクワ(ソ連)に助けを求めている』とした。
そして『日本人は、皇室の維持だけを条件に、完全に共産主義者たちに取り仕切られた日本政府をソ連が助けてくれるはずだと(米英との和平工作を)提案している』と解説している。」

なぜ軍隊の中枢に共産主義者がいたかについては、1928年のコミンテルン第6回大会で採択された決議内容を思い出してほしい。
帝国主義相互間の戦争に際しては、その国のプロレタリアートは各々自国政府の失敗と、この戦争を反ブルジョワ的内乱戦たらしめることを主要目的としなければならない。…

帝国主義戦争が勃発した場合における共産主義者の政治綱領は、
(1) 自国政府の敗北を助成すること
(2) 帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめること
(3) 民主的な方法による正義の平和は到底不可能であるが故に、戦争を通じてプロレタリア革命を遂行すること。

…大衆の軍隊化は『エンゲルス』に従へばブルジョワの軍隊を内部から崩壊せしめる力となるものである。この故に共産主義者はブルジョアの軍隊に反対すべきに非ずして進んで入隊し、之を内部から崩壊せしめることに努力しなければならない。…」

レーニン

この考え方はレーニンが最初に考案したもので『敗戦革命論』と呼ばれているが、わが国の軍隊にはこの決議通りに、革命を成功させるために進んで軍隊に入隊し、国家を内部から崩壊せしめる力とし、自国政府の敗北を導こうと動いたと考えれば、軍隊に共産主義者が多数いたことは理解できる話である。

先程の産経新聞記事で書かれていた、中国国民政府の陸軍武官が米国から入手した『最高機密情報』は、わが国で公開されている史料でその正しさが立証できるわけだが、こういう史実が日本人に広く知られると、戦勝国が広めた「日本だけが悪かった」とする歴史観が土台から崩れ始めて、「一番悪かったのは、資本主義国同士を戦わせて双方を疲弊させたのちに革命を仕掛けて共産主義陣営に組み込もうとしたソ連である」ということになるのではないか。

戦後の長きにわたり、左寄りの日教組やマスコミが多くの「ソ連などの共産主義国家にとって都合の悪い」史実に目を塞ぎ、「自虐史観」の固定化にこだわり続けてきたのは、わが国だけを悪者にすることが共産主義国の悪事の歴史を隠すために都合が良かったからなのだろう。しかしながら、ネット社会でマスコミの力が凋落している状況下で、史実に基づかない「自虐史観」は、わが国であと何年も持たないのではないか。

先日「戦勝国による『歴史の書き換え』が始まった」たという記事で、ロシアが米国による広島、長崎への原子爆弾投下を「犯罪」として糾弾する動きを強めていることを書いたが、早速アメリカが動き出したようだ。

JBPRESSで古森義久氏の「中国の『抗日戦争勝利』式典に憤る米国の元政府高官…プロパガンダそのもの、米国と同盟国への政治的戦争と非難」という論文が掲載されている。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44702

古森氏によると、アメリカの外交専門誌『ザ・ディプロマット』(8/31号)に中国の安全保障の専門家であるランディ・シュライバー氏の『中国は自らの歴史問題を抱えている』と題する論文が掲載され、そこには中国の歴史改竄が批難されているという。

抗日70年行事

「同論文は『中国の歴史の扱いも精査されるべきだ』という見出しで、中国共産党政権が9月3日に開催する『抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年』記念式典を批判していた。同式典は『中国のプロパガンダそのものであり、中国が勝利した経緯の正確な描写が書けている。それは私達への侮辱であり、反対すべきだ。中国による歴史の改ざんを許容してはならない』という。」

そしてシュライバー氏はこう述べている。
「アジアの歴史認識については日本の態度だけが問題にされる。だが、政治目的のために歴史を歪曲し、修正し、抹殺までしてしまう点で最悪の犯罪者は中国である。中国共産党は1931年から45年までの歴史を熱心に語るが、1949年から現在までの歴史は率直に語ろうとしない。」

アメリカと中露との『歴史戦』はこれだけで終わるはずがないだろう。何が嘘で何が真実かを立証する決定的資料はアメリカにかなりあると思われる。今後の動向に注目したいところである。
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【ご参考】このブログでこんな記事を書いてきました。良かったら覗いてみてください。

蒋介石はなぜ外国人居留地であった上海で日本軍と戦ったのか~~中国排日6
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-243.html

プロパガンダでわが国に罪を擦り付け、世界を「反日」に誘導した中国~~中国排日7
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-244.html

「南京大虐殺」の真実を追う~~中国排日8
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-245.html

「黄河決壊事件」の大惨事が教科書に記述されないのはなぜか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-251.html

中国兵が綴った「日中戦争」の体験記を読めば、『南京大虐殺』の真実が見えてくる
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-252.html

陥落直前に無責任にも南京を脱出した中国軍の最高指揮官が栄転したのは何故か
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-253.html

蒋介石に外国の干渉を導くことを進言したドイツの軍事顧問団
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-254.html



関連記事

昭和初期以降、わが国の軍部が左傾化した背景を考える

前回の記事で、わが国の終戦工作を担当した陸軍大佐がひどくソ連寄りであったことを書いたのだが、ではなぜ、わが国の軍隊の中枢部に共産主義思想の持ち主が入り込むことを水際で阻止できなかったのかと誰でも思う。

真崎甚三郎

以前このブログで、尾崎秀実を取り調べた特高の宮下弘氏の著書『特高の回想』を紹介したことがある。その宮下氏が右翼担当であった時に、皇道派の大物・真崎甚三郎を訪れたことがあり、その時に真崎が宮下氏に語ったという言葉が印象深い。

「君、世間は知らないんだが、2.26事件の青年将校たちをふくめて、みんなアカなんだよ。統制派も皇道派もそんなものはありゃしないんだよ。アカがなにもかも仕組んでいろんなことをやっているんで、軍もアカに攪乱されているんだよ。」(『特高の回想』p.153)

軍を攪乱していたのは左翼であったと真崎は述べているのだが、よく似たことを書いている当時の記録は少なくないのだ。

例えば近衛文麿は、昭和20年2月に昭和天皇に宛てた『近衛上奏文』の中で、
是等軍部内一味の者の革新論の狙ひは、必ずしも共産革命に非ずとするも、これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼と云ふも可、左翼と云ふも可なり。所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義なり)は、意識的に共産革命に迄引きずらんとする意図を包蔵し居り、無知単純なる軍人、之に躍らされたりと見て大過なしと存候。」
という下りがある。

近衛文麿

近衛はこの上奏文で、軍部で革新論を唱えたメンバーが一部の官僚、民間人と組んで、意識的に共産革命に引きずり込もうとしていることを述べたのち、軍部からこの一味を一掃することの必要性を強調しているのだが、この重要な文書の内容を解説している本は極めて少なく、言及しても読者に原文を紹介もせずに一方的に近衛をこき下ろす文章がほとんどである。
今では『近衛上奏文』はWikipediaに全文が出ており、ネットで誰でも読むことが出来るのだが、解説もよく調べて書かれているので、先入観なしに是非一度は読んで頂きたいと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E4%B8%8A%E5%A5%8F%E6%96%87

次に、軍隊に共産主義思想が水面下で浸透していった経緯について記すこととしたい。
以前このブログで、大正末期から昭和10年代にかけてマルクス、エンゲルス、レーニンの著作がわが国でバカ売れして、相次いで全集が出版されたことを書いた。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-207.html

『ビルマの竪琴』の著者・竹山道雄は、昭和初期の思想状況について『昭和の精神史』にこう記している。

竹山道雄

インテリの間には左翼思想が風靡して、昭和の初めには『赤にあらずんば人にあらず』というふうだった。指導的な思想雑誌はこれによって占められていた。若い世代は完全に政治化した。しかしインテリは武器を持っていなかったから、その運動は弾圧されてしまった。
あの風潮が兵営の厚い壁を浸透して、その中の武器を持っている人々に反映し、その型にしたがって変形したことは、むしろ自然だった。その人々は、もはや軍人としてではなく、政治家として行動した
。すでに北一輝などの経典があって、国体に関する特別な観念を作り上げていて、国体と社会改造とは背馳するものではなかった。しかし、北一輝だけでは、うたがいもなく純真で忠誠な軍人をして、上官を批判し軍律を紊(みだ)り世論に迷い政治に関与させることは、できなかったに違いない。…いかに背後に陰謀的な旧式右翼がいたところで、それだけで若い軍人が『青年将校』となることはありえなかった。これを激発させたのは社会の機運だった。このことは、前の檄文*の内容が雄弁に語っている

青年将校たちは軍人の子弟が多く、そうでない者もおおむね中産階級の出身で、自分は農民でも労働者でもなかった。それが政治化したのは、社会の不正を憎み苦しんでいる人々に同情する熱情からだった。インテリの動機とほぼ同じだった。ただ、インテリは天皇と祖国を否定したが、国防に任ずる将校たちは肯定した。ただし、彼らが肯定した天皇と国体は、既成現存の『天皇制』のそれではなかった。」(講談社学術文庫『昭和の精神史』p45-47)
*五・一五事件の檄文

竹山氏が知るある青年将校に訊ねたところ、彼らが考える『天皇制』の『天皇』のポストに就くべき人物は、昭和天皇ではなく、スターリンのような人物であったのだそうだが、当時の日本軍には共産主義思想がそれほどまでに浸透していたのである。

<五・一五事件

以下の文章は昭和7年(1932)に起きた五・一五事件の檄文の一部だが、これを読めばこの事件の首謀者は共産主義思想の影響を受けていたことが明らかである。

「 … 国民諸君よ!
 天皇の御名に於て君側の奸を屠れ!
 国民の敵たる既成政党と財閥を殺せ!
 横暴極まる官憲を膺懲せよ!
 奸賊、特権階級を抹殺せよ!
 農民よ、労働者よ、全国民よ!
 
 祖国日本を守れ
  而して
  陛下聖明の下、建国の精神に帰り国民自治の大精神に徹して人材を登用し 朗らかな維新日本を建設せよ
  民衆よ!
 此の建設を念願しつつ先づ破壊だ!
 凡ての現存する醜悪なる制度をぶち壊せ 威大なる建設の前には徹底的な破壊を要す…」
この檄文の全文は次のURLに掲載されている。
http://blogs.yahoo.co.jp/takaonaitousa/39349617.html

次に、当時の新聞ではこのような左傾化の風潮をどう書かれているのか紹介したい。
『神戸大学付属図書館デジタルアーカイブ 新聞記事文庫』という新聞記事のデータベースがあり、経済記事やその解説記事が中心にストックされていて誰でもネットで利用することが出来る。その「新聞記事文庫 簡易検索」を用いて「軍隊」「赤化」などのキーワードを入れて検索を実施すると、多数の記事がヒットする。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/index.html

その中から、当時のわが国の軍隊に共産主義が蔓延していたことを匂わせる記事を探していると結構面白い記事を見つけることが出来る。

共産党の一味が重要なる某連隊に

たとえば、昭和3年(1928)4月14日の神戸又新日報の記事には、
重要な某連隊に本年入隊した現役兵二名が今回の共産党事件に関係して居り、党員と気脈を通じて軍隊中の細胞組織を行わんとひそかに画策していたことが判明したので当局では大狼狽」したと書かれている。
ちなみに「今回の共産党事件」というのは「3.15事件」のことで、この日に約1600人の共産主義者が全国で検挙されているのだが、この中に4月に入隊したばかりの現役兵がいたということである。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10070587&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

露国 軍人煽動の檄文

また同じ年の9月25日の中外商業新報の連載記事『赤化運動の経緯』の2回目に、ソ連の5月24日付の『プラウダ』紙上で第三インターナショナル(コミンテルン)がわが国の軍人に対して「陸海軍人諸君よ、諸君は陸海軍両方面より、先ず反動勢力を打破し、而して支那を革命助成する為め、その内乱戦を国際戦に転換せしむるよう不断の努力を怠る勿れ」と檄文を飛ばしたことが記されている。陸海軍によほど共産主義者がいなければ、こんな記事が、ソ連政府の半官報である『プラウダ』紙上に出るはずがない。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10070971&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

露国共産党巧みに我が軍隊に赤化宣伝

また同じ年の10月19日の国民新聞の記事だが、ソ連の共産党が6月以降、巧みに我軍隊に対して共産主義の組織的宣伝を開始したことが記されている。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10071350&TYPE=HTML_FILE&POS=1

そしてその翌年の昭和4年(1929)4月16日に共産党員の全国的な検挙が行なわれ(「4.16事件」)、この年には4942名が検挙されている。

士官学校に赤化分子

また昭和7年(1932)2月11日の東京朝日新聞では、陸軍幹部養成の総本山である陸軍士官学校で赤化運動が起こり、連日所持品検査がなされて4名が放校処分された記事が出ている。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10070975&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

そしてこの年の11月の熱海事件で、党幹部が一網打尽にされ、獄中で指導部の佐野学・鍋山貞親が共同で転向声明を出し、「ソ連の指導を受けて共産主義・社会主義運動を行なうのではなく、今後は天皇を尊重した共産主義・社会主義運動を行なう」と宣言した。
そのために多くの党員が転向し、日本共産党は壊滅状態となったのだが、だからといって共産主義者が一掃されたわけではなかったのである。

三田村武夫氏はこう解説している。
「…昭和6年頃から一度検挙された共産党関係者で、所謂(いわゆる)、その思想の転向者と見られる人物については、司法省に於いても、あるいは警視庁の特高部に於いても熱心に就職の斡旋をしたものである。そして、それらの連中は、官庁関係では嘱託名義で、調査部、研究室に就職し、民間の調査研究団体にも多数の転向者が就職していた筈である。更にまた、軍部にも同様にその調査事務には相当数の転向者が入っていた。そこで問題となるのは、この転向者の思想傾向であるが、司法省、内務省で転向者としてあつかったその所謂(いわゆる)『転向』の判定は天皇制の問題に重点がおかれており、天皇制否定の主張を訂正した者は転向者とみたのである。従って転向者の大部分が、実はその頭の中はマルクス主義であり、また彼らは、所謂秀才型が多く、進歩的分子をもって自任し、これらの人々が戦時国策の名に於いてなした役割は軽視すべからざるものがある。」(『大東亜戦争とスターリンの謀略』p.136)

赤の転向者へ同情

当時の新聞記事を探すと、三田村氏の書いている通り、特高の職員が思想犯の就職あっせんをしていた記事がいくつか見つかる。

もちろん本物の転向者もいた事だろうが、口先では天皇制を肯定しても「頭の中はマルクス主義者」の転向者がかなり軍隊に入隊したと考えるのが自然だ。
それにしても、なぜこんなにひどくなるまで放置したのであろうかと誰でも思う。

三田村氏はこう解説している。
「…その第一は、思想犯事件の内容を総て秘密にしてきたことである。…三月事件、十月事件を始め、共産党関係の事件にしても政府、軍部または官憲の立場から発表することを好まない事件内容は、一切これを極秘扱いとしてきたのである。そこに認識に対する無智と、空白があり、意識して謀略に乗ぜられた条件があった。第二は、政治家の無智であり、事件内容を秘密にしてきたことと関連して、政治家はほとんど思想事件に無智であった。というよりも無関心であった。従って自分の身辺間近まで、あるいは自分の腹中にその謀略の手が延びて来ても気付かなかったのである。第三は役人の政治認識欠如であり、長い特高警察の経験を持った者でも、政治経験を持たないが故に、取締りの立場からのみ見て、政治的な角度から指向される謀略活動に気が付かなかった。また事件として検挙された場合でも、その事件が共産党関係のものならば治安維持法のケースにあてはめ、罪になるかならぬかのみ捜査の重点を置き、また、尾崎・ゾルゲ事件の如くスパイ関係の事犯に対しては、国防保安法という法律の適用面からのみ、これを見る習慣があったのである。」(同上書p.137)

軍人も政治家も役人も思想犯を甘く考えていて、思想犯事件の内容を極秘にして公開しなかったことが、尾崎・ゾルゲグループらソ連のスパイ連中につけ入る隙を与えてしまったと理解すれば良いのだろうか。

マルクス・エンゲルス全集

先ほど少し触れたが、日本初の『マルクス・エンゲルス全集』が全二十七巻で改造社から刊行されたのは昭和3年(1928)から昭和10年(1935)。二十四巻の『レーニン叢書』が白揚社から刊行されたのは昭和2年(1927)から昭和3年(1928)。この時期はマルクスやレーニンの書籍がバカ売れしていたのである。

そして1928年(昭和3)のコミンテルン第6回大会では、レーニンの「敗戦革命論」に基づいて、「共産主義者はブルジョアの軍隊に反対すべきに非ずして進んで入隊し、之を内部から崩壊せしめることに努力しなければならない。」との決議が採択され、この決議の通りに共産主義の影響を受けた一部の若人が軍人となることを志し、そのために士官学校等に入学した。

その後昭和7年(1932) 11月の熱海事件で日本共産党幹部が一網打尽にされ、、多数の共産党員は天皇制を否定さえしなければ転向したとみなされて、「天皇を尊重した共産主義・社会主義運動を行なう」メンバーが軍に入り、さらに士官学校の卒業生が任官したという流れである。

以前このブログで、昭和20年8月15日に予定されていた昭和天皇による玉音放送を阻止し、戦争を継続させようと目論んで皇居へと襲撃をかけた、『宮城クーデター』に関与した人物を中心に陸軍士官学校の卒業年次を調べたことがあるが、昭和5年卒業生の中には、宮城事件の立案者である稲葉正夫中佐、宮城事件の首謀者の一人である竹下正彦中佐、昭和7年卒業生の中には瀬島隆三中佐がおり、昭和8年の卒業生には朝枝繁治中佐のほか、宮城事件の首謀者の一人である井田正孝中佐、宮城事件で森近衛師団長殺害に関与した畑中健二少佐など、その前後の年次には明らかに左寄りのメンバーがいる。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-299.html

このような史実を拾っていくと、教科書やマスコミなどで拡散されてきた歴史叙述とは随分異なる世界が見えてくる。

私も長い間マスコミなどに洗脳されていて、『軍国主義』が怖ろしいものだとイメージしていたのだが、よくよく考えると「軍」という組織は、国民の生命と財産を護る存在である限りは怖ろしいものではありえない。
いつの時代であっても、またどこの国にとっても、「軍」が恐ろしい存在となるのは、その組織の中に、他国の為に動こうとしたり、革命を夢見て権力を掌握しようとするメンバーが存在し、その目的のために組織的に武力を用いる意思を持つようになった場合であろう。
そしてわが国の場合において本当に怖かったのは、「ソ連に忠誠を誓い、わが国を戦争に巻き込み、最後にソ連を参戦させてわが国を共産主義の国にしようとした『軍』の兵士達」ではなかったか。
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「満州某重大事件」の真相を追う~~その1
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-205.html

「満州某重大事件」の真相を追う~~その2
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-206.html

尾崎秀実の手記を読めば共産主義者が軍部や右翼を自家薬篭中のものにした事がわかる
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-209.html

『軍国主義者』や『青年将校』は『右翼』だったのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-279.html

特高が送り込んだスパイに過剰反応した日本共産党
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-284.html

軍の圧力に屈し解明できなかった、中国共産党に繋がる諜報組織
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-285.html



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ロシア革命後、ソ連はいかにして共産主義を全世界に拡散させたのか

前回は、日本の軍部が左傾化していることを報じている当時の新聞記事を紹介したが、今回は、いかにしてソ連は、わが国だけでなく世界に共産主義を拡げていったかについて書かれている記事をいくつか紹介したい。

1917年(大正6)にロシア革命が起こり史上初の社会主義政権が誕生したのだが、国内では反革命勢力(白軍)との内乱が続き、外債を踏み倒された独英仏などは反革命勢力を支援した。
そこでソヴィエト政権は、白軍と対抗するため義勇軍を中心とした赤軍を組織し、さらに反革命派を取締まるためにチェカ(非常委員会)を置き、対外的には1919年にはコミンテルン(共産主義インターナショナル、第三インターナショナルともいう)を結成して、全世界の左翼勢力をソ連共産党の指導下として、レーニンの『敗戦革命論』の考え方に則った世界の共産主義化をはかろうとした。ちなみにわが国に、コミンテルン日本支部として日本共産党が結成されたのが大正11年(1922)である。

敗戦革命論』についてはこのブログで何度も書いてきたが、要するに資本主義国家間の矛盾対立を煽って、複数の資本主義国家が戦争をするように仕向け、そして自国を疲弊させて敗戦に導き、その混乱に乗じて共産党が権力を掌握するという革命戦略である。

前回同様に『神戸大学付属図書館デジタルアーカイブ 新聞記事文庫』という新聞記事のデータベースを使って、「赤化」「共産党」というキーワードで検索すると402件の記事が引っかかり、記事を発行日順に並べて見出しを読み、面白そうな記事をピックアップしていく。

最初に紹介するのは大正15年(1926)4月7日付の「中外商業新報」だが、『赤化運動の10年』という連載記事の1回目に、小松緑氏はこう記述している。

大正15 赤化運動の10年

「…共産党本部が、白人諸国における従来の失敗に鑑み更に方向を一転して、先ず有色民族――殊に支那人、日本人の赤化に全力を傾け、その白人に対する共通反感を利用し、一気に圧倒的世界革命を断行しようという新方略である。これは、カラハン氏*がポーランドから極東に転任した時分から決定したものであるがやがてカラハン氏は、露支条約及び日露条約の成功に狂喜し、極東の赤化は一二年を出でざるべしと豪語して、大仕掛けの赤化運動に着手したのである
 先月十八日、北京において国民党を首脳とする総工会、学生団等の代表者二千名が大会を開き先ず革命歌を高唱し『帝国主義を撲滅せよ』『段祺瑞を打倒せ』『不平等条約を破棄せよ』『八国格子を駆逐せよ』などと不穏の言辞を弄し国務院の門内に乱入し、終に衛隊と衝突して、死者三十名、傷者八十名を出すという宛然たる革命騒動を演出し、その主謀者たる徐謙、顧孟余、李石曾等が、逮捕を恐れて、露国公使館に遁げ込みしが如き、また永らく共産党の傀儡となって、ロシアから武器、軍資の供給を受けつつありし憑玉祥が近々モスコウに赴き、自ら一職工となりてまでも、ソヴィエット制度を根本的に研究すると公言しているが如き、また近頃広東はおいても純然たるソヴィエット政府を組織せんとする陰謀の起れる際、関係露国人十名並に政府部内及び軍隊中より六十名の連類を逮捕せしが如き、孰(いず)れの一を見ても、赤露の魔手が如何に辛辣に動きつつあるかを立証して余りある」
*カラハン氏:レフ・ミハイロヴィッチ・カラハン。ロシアの革命家 。1923~1926に中国大使を務めた。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10101841&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

引用部分の冒頭で「先ず有色民族――殊に支那人、日本人の赤化に全力を傾け、その白人に対する共通反感を利用し、一気に圧倒的世界革命を断行しようという新方略」と書かれているのだが、ソ連は全世界の共産主義化を推進するために、白人と有色人種との人種問題を焚きつけて、その対立を煽って世界を戦争に巻き込む戦略を立てて着手したという点は注目してよいだろう。

151837.jpg

アメリカで排日運動が起こったのは日露戦争以降のことだが、特に激化したのは第一次世界大戦以降のことで、白人対有色人種との対立の煽りかたが次第にひどくなって、アメリカでは日本人を猿やネズミと同様に描いたポスターが多数作られている。この背景には、日米の対立を煽って、両国を戦争に巻き込むというソ連の工作があったというのである。

また同じ年の大正14年(1925)5月30日に、中国・上海の租界(外国人居留地)で起こったデモに対して租界警察が発砲したため、13人の死者と40人以上の負傷者が出た暴動事件が起こっている。(「五・三〇事件」)
この事件は、5月15日に上海にある日系資本の内外綿株式会社の工場で暴動が発生し、工場側当事者が発砲し、共産党員の職工が死亡して10人以上の重軽傷者が出た。その後、各都市でその抗議活動がおこり、5月30日に上海で数千人規模のゼネストに発展したのだが、同年6月6日の「大阪毎日新聞」に、この五・三〇事件に関する各国の新聞の論調が紹介されている。

大正14 上海暴動と各国世論

いくつかの新聞でソ連の関与を明確に指摘しているのだが、たとえば米国のニューヨーク・イヴニングポスト紙はこう解説している。
支那における最近の排外運動の裏面にロシア共産党領袖連が飛躍して来たことは明白で、これを単なる想像と見なすには余りに証跡歴然たるものがある。最近 数ヶ月間にロシア政府の使命をおびた共産党員が多数支那に入り込んでいる…」
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=00502972&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

昭和3 日本共産党の大検挙

次に、昭和3年(1928)の記事を紹介しよう。
最初に紹介するのは4月11日付の大阪朝日新聞の記事で、3月15日に日本共産党の党員が千名以上検挙された事件ことを報じている。報道が遅れたのは、全国一斉に大検挙が行なわれてすぐに記事掲載が禁じられ、ようやく4月10日に一部解禁となったことが正直に記されている。
では、当時の日本共産党は何をしようとしていたのか。司法当局がこの事件の概要を説明したことを報じているが、一部を紹介しよう。

「(1)…現在における党員は数百名に達し、関東、関西、九州、北海、信越等に潜居し、進んで青年及び軍隊の赤化に労力しおれり
(2) 日本共産党は革命的プロレタリヤ等の世界党第三インターナショナル日本支部としてわが帝国を世界革命の渦中に誘致し、金甌無欠の国体を根本的に変革して労農階級の独裁政治を樹立し、その根本方針として力をソウェート・ロシヤの擁護、各植民地の完全なる独立等にいたしつつ共産主義社会の実現を期し、当面の政策としては革命の遂行を期したるものとす。…」
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10070605&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

この程度の内容で「一大陰謀」との見出しをつけたことに尋常でないものを感じるのだが、具体的にどのような計画があったのかは記されていないのでわからない。

そして、同じ年の昭和3年(1928)の7月から9月にかけて、モスクワでコミンテルン第6回大会が開かれ、この会議において共産主義者はブルジョアの軍隊に反対すべきに非ずして進んで入隊し、之を内部から崩壊せしめることに努力しなければならない。」などと書かれた決議が採択されたのだが、すでにソ連はこの大会の前から、わが国の軍隊に工作をかけることに着手していたことが新聞記事に記されている。

昭和3 露国共産党巧みに我が軍隊に赤化宣伝

10月19日の『国民新聞』の記事だが、
「露国の対日赤化宣伝は…最近極東局長メリニコフ氏を極東赤化の根拠地たるハルビン総領事に任命し、…再び巧妙なる方法を以て対日宣伝に著手するに決し、…直接日本軍隊に宣伝を行い以て革命を勃発せしむるの方針を執るに決し、去る七月初旬以来、先ず以て在満日本軍隊に対し前後二回に亘り
 (一)善良なる無産者、親愛なる日本軍人同士に檄す
 (二)虐げらるる無産者、親愛なる日本軍人同士へ
と題し世界革命労働軍連盟の名を以て軍閥資本閥に反抗して階級闘争を激成し、以て一路革命の勃発に邁進せしめんとする過激なる言辞を連らねた長文の邦語宣伝文を配布し、更に引続き第三、第四の宣伝に著手せんとするの外、一歩を進めて我国内地の軍隊全部に対しても宣伝網を拡張するの計画を定め、本月上旬既に其の宣伝員は我国に潜入したる形跡ありとは屡々(しばしば)其筋に達した確報に依って明らかであり、我国礎(いしずえ)を危くする重大問題として政府当局は極度の警戒を加 えて居る…」
とある。
ソ連は6月にすでに調査員を派遣しており、彼らは日本軍隊をこう評価したという。
在満日本軍隊に対する宣伝は可能性ありと認める、出張中種々の機会に於て下士階級以下と飲食を共にして談話したる所、彼等の思想も相当進歩し居り、階級論争を理解して居る、然れ共今急激に皇室を云々するが如き或は帝国主義打倒の如き宣伝を行うは尚早である、階級革命、国民自由平等を標榜する宣伝を行う時は確実に効果あるものと認める…」
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10071350&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

かくして、7月2日に宣伝文書を約3千部用意し、日本語に堪能な中国人を使って、6日、7日の両日に長春、奉天、鉄嶺、安東の日本軍に配布し、7月24、25日には第2回目の宣伝文書を配布したという。

ソ連による工作活動は多岐にわたり、かなり執拗なものであったようだ。

昭和3 赤化宣伝の密謀に政府神経を尖らす

次に9月21日の「時事新報」の記事を紹介しよう。
「政府は過般の共産党事件以来特に露国の赤化運動を重大視し、その防圧に関して種々対策を講じているが、其後も第三インターナショナルの赤化運動は隠然猛威を逞しうし、聊(いささ)かも緩和の色なきのみか、共産党事件の取調べ進捗するに従い、漸次其背後に第三インターナショナルの支援ある事実が顕著になって来た。殊に最近政府側の探知し得たるところに依れば、第三インターナショナルは今秋を期し、大いに赤化宣伝に努めんと陰密に計画を廻らし、我国の共産党員中の有力なる注意人物も之と策応せるの事実明かなるものあるので政府でも座視する能わずと為し、寄々その適当なる処置について協議し政府部内の一部に両国の国交を賭しても危険思想の流入を防止すべしとて極論するものあるから、場合に依っては近く露国政府に対し厳重なる警告を発する段取になるであろうと。」
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10070801&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

日本共産党はコミンテルン(第三インターナショナル)の日本支部であるので、ソ連の関与があることは当然のことなのだが、新聞記事で「隠然猛威を逞しうし、聊かも緩和の色なき」と書かれているレベルというのは、余程のひどい事を画策していない以上はありえない表現である。3年後の昭和6年(1931)にはわが国でクーデター未遂事件が2件[三月事件、十月事件]起こり、その翌年の昭和7年(1932)には5.15事件が起こっているのだが、このような企みがこの時期からあったのではないだろうか。

昭和3 帝都に潜む左傾的学生

また、ソ連は軍隊だけでなく、大学にも工作をかけていたようだ。
同じ年の12月30日付けの「台湾日日新報」には東京を中心とする極左学生813名のうち約半数を検挙したと報道されており、大学別の人数まで報道されている。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10071122&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

昭和3 米国で行われた赤化宣伝の跡

もちろんソ連はこのような宣伝工作をわが国だけに実施したのではない。
同じ昭和3年(1928)10月8日の時事新報には、米国でソ連の工作が行われたことが記されている。アメリカでは数百回にわたって共産党大会が開かれ、大量の共産文書が配られたようだ。
「米国軍隊が支那に出発する時紐育(ニューヨーク)、フィラデルフィア及び沙市の海軍造船所では示威運動が行われ又乗船中の海兵団や軍隊内にまで宣伝ビラが撒かれたのである、因(ちなみ)に米国海兵団が自国政府に反抗せよと煽動されたのは米国労働史上今回が始めてである」
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10071254&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

昭和3 各国の赤化宣伝

さらに10月21日の「京城(ソウル)日報」には、ソ連による主要国に対する工作活動の内容と、各国の取締り状況が纏められている。
例えばスウェーデンとインドについてはこう記されている。
【スウェーデン】
「サウェート密偵の動静に関する警察署の報告書が公表されたが、それによると労農大使館員ミトケーウキチは常に瑞典(スウェーデン)の機密をロシヤに報告しておったのみならず、ロシヤとの開戦の場合、瑞典が暴動を起こすべく各所に多数の武器を隠匿していた事も発覚した。なおこれが操従者アレキサンドルの家宅捜索の結果、ヤチェイカの組織、罷業の計画に関する書籍も出た、右アレクサンドルはモスクワよりの命令を受け活動したものであるが、国籍が瑞典にある事とて退去さるとも恐れなく思い切って密偵任務に服しつつあったものだと」
【インド】
ポンペイ製粉工場を起こった罷業は、モスクワよりの資金で行われた事が発覚した、先週莫大な金がモスクワから送って来、罷業の首謀者ドゥユーリ個人の分として二千ループカの送金があった労働者等は毎月モスクワより保助金がくるのだと公言している。」
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10071140&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

このようにソ連は、わが国だけではなく、世界各国で共産主義革命のための工作を行なっていたことが明らかなのである。

次に昭和10年(1935)の記事を紹介したいのだが、この年の7月25日から8月20日にかけてモスクワで第7回コミンテルン大会が開催され57か国、65の共産党から510名の代表が集まっている。この大会で決議されたことがわが国にとっては非常に重要なことであるので、Wikipediaの解説を引用しておく。

「決議の第一には、コミンテルンはそれまでの諸団体との対立を清算し、反ファシズム、反戦思想を持つ者とファシズムに対抗する単一戦線の構築を進め、このために理想論を捨て各国の特殊事情にも考慮して現実的に対応し、気づかれることなく大衆を傘下に呼び込み、さらにファシズムあるいはブルジョワ機関への潜入を積極的に行って内部からそれを崩壊させること、第二に共産主義化の攻撃目標を主として日本、ドイツ、ポーランドに選定し、この国々の打倒にはイギリス、フランス、アメリカの資本主義国とも提携して個々を撃破する戦略を用いること、第三に日本を中心とする共産主義化のために中国を重用することが記されている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%B3

何度かこのブログで、この大会でスターリンがこう演説したことを書いてきた。
ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国に向けさせよ。そして戦力を消耗したドイツと日本の前には米国を参戦させて立ちはだからせよ。日・独の敗北は必至である。そこでドイツと日本が荒らし回った地域、つまり日独砕氷船が割って歩いた跡と、疲弊した日独両国をそっくり共産陣営に頂くのだ

昭和10 わが国も抗議

この大会の後、英米に続いてわが国もソ連に抗議し、「厳重警告」を発したようだが、検閲で記事の大半が白抜きになっているのは残念だ。しかし、世界がいくらソ連に抗議しても、この国は各国の抗議に耳を傾けるような国ではなかった。おそらくソ連にとっては、資本主義の大国は工作の対象でしかなかったのだろう。

昭和10 ソ連テロ計画

この会コミンテルン大会の少し前の7月17日には『大阪時事新報』には、ソ連共産党委員会が恐るべき内容の対満州謀略の方針を決定したことが記されている。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10071603&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

その後のソ連の動きを見てみると、反ファシスト人民戦線の形成を各国共産党に指令しておきながら、ドイツとは1939年に独ソ不可侵条約を締結し、日本とは1941年に日ソ中立条約を締結している。
そして日本を支那とアメリカ・イギリス、ドイツをイギリス・フランスと戦わせて疲弊させ、ドイツ・日本の敗戦が近いと分かった時点で、条約を破棄してそれぞれ宣戦布告し、そして第二次大戦後に多くの国々を共産圏に取りこんだのである。

この動きはスターリンの描いたシナリオ通りだと読めるのだが、通説ではソ連の謀略は存在しなかったことになっている。しかしながら当時の新聞記事を少し検索するだけで、通説と矛盾するような記事をいくらでも容易に見つけることができる。このように通説に矛盾する史実が膨大に存在する場合は、通説が誤っていると考える方がずっと自然だと思うのは私ばかりではないだろう。

コミンテルンの世界戦略を中心に、ロシア革命以降の歴史が全面的に書き替えられる日は来るのだろうか。

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京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

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