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法隆寺再建論争を追う

古代史の話題が続いて恐縮だが、今回は「法隆寺再建論争」のことを書くことにしたい。

学生時代に法隆寺は世界最古の木造建築物だと学んだ記憶があるが、その法隆寺が再建されたものなのか、建立された当時のままなのかという議論が明治時代からはじまっていて、若草伽藍の発掘が終わって再建論が確定したかと思いきや、未だに議論が続いているようなのだ。
法隆寺

では再建論と非再建論は何を根拠としているのだろうか。

論争のことを書く前に、法隆寺に関する『日本書紀』の記録を読むことから始めたい。

日本書紀』巻二十七天智天皇八年(669)の十二月には
「この冬、高安城を造って、畿内(うちつくに)の田税をそこに集めた。このとき斑鳩寺(法隆寺)に出火があった。」(現代語訳:『日本書紀 下』講談社学術文庫 p.234)

さらに翌年の天智天皇九年(670)の四月には
夏四月三十日、暁に法隆寺に出火があった。一舎も残らず焼けた。大雨が降り雷鳴が轟いた。」(同上 p.235)とある。

「斑鳩寺」は「法隆寺」の古名であると考えられていて、上記の訳文には「法隆寺」とカッコ書きされているが、原文では「斑鳩寺」と書かれているだけだ。
このように「斑鳩寺」=「法隆寺」と考えるのが多数説で、この解釈ではわずか数カ月の間に二度も法隆寺が焼けて、二度目の火災で全焼したことが書かれていることになる。

しかし『日本書紀』の作者が、わずか数行の違いで同じ寺院のことを「斑鳩寺」と「法隆寺」と別々の名前で書き記すことは不自然であるとし、この2つの寺は別の寺であるという考え方もあるようだ。
私もその考え方の方が正しいのではないかと思うのだが、『日本書紀』に全焼したと書かれているのは「斑鳩寺」の名前ではなく「法隆寺」と記されているので、『日本書紀』を普通に読めば、法隆寺は全焼したと理解するしかない。(原文:「災法隆寺 一屋無餘 大雨雷震」)。

ところが、このような『日本書紀』の記録があるにもかかわらず、法隆寺は聖徳太子創建のままであるとの伝承が古くからあったようなのだ。
明治時代にこの『日本書紀』天智天皇九年(670)の記録を根拠に法隆寺再建説が出され、これに対して建築史・美術史の立場から反論が行われて、歴史界を二分する論争となったという。

法隆寺再建説は、『日本書紀』のこの記録は信頼できるものであるとする立場だが、非再建説は、以下のようなものであったとWikipediaに纏められている。

「・法隆寺の建築様式は他に見られない独特なもので、古風な様式を伝えている。薬師寺・唐招提寺などの建築が唐の建築の影響を受けているのに対し、法隆寺は朝鮮半島三国時代や、隋の建築の影響を受けている
・薬師寺などに使われている基準寸法は(645年の大化の改新で定められた)唐尺であるが、法隆寺に使われているのはそれより古い高麗尺である
日本書紀の焼失の記事は年代が誤っており、推古時代の火災の記事を誤って伝えたものであろう。など」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E9%9A%86%E5%AF%BA

「論争」という言葉のイメージとは異なり、議論がまったくかみ合っていないのだが、要するに非再建説は、自説に矛盾する『日本書紀』の記載が誤りであるとして強弁している。
前回の記事で中小路駿逸氏が古代史学界を批判した「その前提に合うように史料を処理し、あるいは独自の解釈を加え、ときには史料自体の文字を取り替え、どうしても前提に合わない箇所については、その箇所自体が虚偽もしくは錯認の所産なのだと見なすか、もしくはその箇所をまったく無視する」スタンスそのものである。

もし法隆寺が創建以来一度も火災にあっていないならば、『日本書紀』に火災の記録のある天智天皇九年(670)以前の遺物が沢山出て来なければ筋が通らない。
再建説の論客であった喜田貞吉(きた さだきち)氏の『法隆寺再建非再建論の回顧』という論文が青空文庫にあり、それを読むとこう書かれている。
天平十九年(747)の資財帳を見るに、法隆寺にはその寄附者及び特に年代を明記する程の由緒ある遺物は、通計百六十八点に達していたが、その中天智天皇九年(670)以前の物は、僅かに釈迦・薬師の両本尊と、片岡御祖命なる人の寄附に係る金銅幡との、ただ三点あるのみであった。その後和銅初年(708)以前の物と認むべきものが七点で、その他の百五十八点はことごとく和銅以後天平十九年以前の物のみである。しかるに同じ年の大安寺資財帳を見ると、この寺は草創以来明らかに数度火災に罹ったもので、ことに扶桑略記によれば、近く和銅四年(711)にも炎上し、大安寺碑文と称するものにもこの寺焼失の事が見えているにかかわらず、その現存遺物の数においては、これも法隆寺と同じく、寄附者及び年代を特記する程の由緒ある物総計百六十三点の中、天智朝(668-671)以前の物実に十五点、和銅初年以前の物四点、その以後の物百四十四点となっているのである。これはむしろこの法隆寺が、天智天皇九年において、一屋無余と云われる程の大火災に罹ったが為に、かくその以前の貴重なる遺物が伝わらなかったと解するを至当とすべきものでなければならぬ。」
http://www.aozora.gr.jp/cards/001344/files/49819_44337.html

要するに喜田貞吉氏は、天平19年(747)の資財帳で確認すると世界最古の木造建築だという法隆寺よりも、和銅4年(711)に炎上した記録のある大安寺の方に、はるかに多くの古い文化財が残されていた記録が残されている事実を指摘しておられる。『日本書紀』に法隆寺が焼けたという記録のある天智天皇九年(670)以前のものは、法隆寺に3つしかなく、大安寺の方がはるかに多かったようなのだ。
こういう「不都合な真実」を無視する非再建論者を喜田氏は、先ほど紹介した論文でこう批判している。

「法隆寺が天智天皇九年庚午の歳四月三十日の夜半において、一屋無余の火災に罹ったとの日本紀の記事は、何としても絶対疑うべからざるものである。これを裏切る一切の諸説は、そのいかに実らしく見えるものといえども、ことごとく採るに足らざるものである。またこの絶対的信用価値ある史料の真価を解せずして、実物上の研究より組立てられたる一切の非再建説は、ことごとく妄想に過ぎざるものである事を断言する。」

この論争の解説を普通の人が普通に読めば、再建説の方がはるかに説得力があるように思うのだが、当時の非再建論者は何にこだわったのかが気になるところだ。
Wikipediaによれば、非再建論者は建築史上の様式論にこだわり、「一つの時代には一つの様式が対応する」という信念があったというのだが、わかりやすく言うと飛鳥→白鳳→天平と展開していく建築様式の変化の中で、法隆寺を一番古い飛鳥様式としていた通説が、再建があったかなかったかで根本から崩れることになってしまうということなのだろう。
建築史の学者だけではなく、美術史の学者も同様に非再建説を唱えた。
法隆寺には飛鳥、白鳳時代の仏像や絵画が集中しているとされていたために、法隆寺が焼失していたとすれば美術史の通説も書き換えざるを得なくなると考えたのではないか。
法隆寺伽藍址

要するに、主に建築史、美術史の学者がそれぞれの通説を守るために、長い間噛みあわない論争が続けられたようなものだが、昭和14年(1939)に「若草伽藍」の発掘調査がなされ、伽藍配置が四天王寺式(中門・塔・金堂を南北一直線に配する様式)であったこと、また当該地に焼跡が確認され、再建説を決定的たらしめる発見が相次いだ。

法隆寺壁画片記事

また、2004年12月には、若草伽藍跡の西側で、7世紀初頭に描かれたと思われる壁画片約60点の出土が発表されて、今では再建説が主流となっているのだが、しかし非再建説が完全に否定されたというわけでもないようだ。

法隆寺五重塔心柱

X線を使って樹木の年輪からその木の樹齢を割り出すことが出来るのだそうだが、その測定方法により法隆寺の五重塔の心柱を測定すると594年に伐採された檜であることが確認されているという。

また、法隆寺金堂の釈迦三尊像の台座裏から、「辛巳」(621年)の年号のある墨書が見つかっている。さらに平成3年には、下壇の台脚部裏から墨絵の天部像と数種類の墨書が発見され、近年の奈良国立博物館と奈良国立文化財研究所の調査によると、これらの制作年代は七世紀前半を下らないとの結果がでたのだそうだ。
法隆寺金堂柱

そればかりではない。法隆寺金堂の中にある天蓋に使われている木材も606年ごろに伐採された木材が使われているという。
『日本書紀』に法隆寺が全焼したという記録があるのは670年のことである。なぜ、そんなに古い木材が残されているのか、誰でも不思議に思う。

また阿弥陀如来像の台座裏からは、七世紀初めの朝鮮半島から日本を訪れた使節をスケッチしたと見られる人物像が発見され、このことが非再建論にまた火をつけることになったそうだ。

法隆寺金堂

法隆寺金堂の火災が拡がる前に、釈迦三尊像などが安全な場所に運び出さすことが出来たのか、もしくは、法隆寺は火災後に一部の寺の建物が移築され、その時に釈迦三尊像などが運び込まれたか、いずれかということになるのだろうか。

前回および前々回の記事にも書いたが、『日本書紀』の敏達天皇13年(584)に仏法が播磨から大和に伝わった記録がある。それまでは大和には僧侶もいなかったし、寺院もなかったと考えるのが自然だ。
次のURLは古田武彦氏の説を支持しておられる大越邦生氏の論文だが、それによると「法隆寺西院伽藍と同型(≠同笵)の瓦は西日本から九州にかけて広く分布」しており、とりわけ播磨にあった2つの寺に注目しておられる。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tagen44/oogosi44.html
果たして法隆寺は、播磨以西の大寺から移転されたのか。果たして、法隆寺の移転を裏づける、大量の瓦や古代寺院の伽藍址が発見される日は来るのか。
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