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大文字山の送り火のこと

いよいよ8月16日は大文字山(如意が岳)の送り火のある日だ。もっとも他にも「妙法」「舟形」「左大文字」「鳥居」も次々と点火されるのだが、五山の送り火で最初に点火される「大文字」のスケールが最も大きく、圧倒的に存在感がある。

大文字の送り火

大文字山は実家から近かったので愛着があり、子供の時に何度登ったかわからない。また送り火もいろんな場所で見てきたが、一番思い出に残っているのは小学校と中学校の時に大文字山の上に登って、送り火の炎を間近に見たときのことだ。

この場所こそが送り火の最高の鑑賞スポットだと今も思うのだが、さすがに観光客が増えすぎて危険なために年々入山制限が強化され、特に今年はカシノナガキクイムシによる虫害でナラの木の立ち枯れが火床の近くでも起こっており、火の粉が飛んで山林火災を招いては大変なことになるので、大文字保存会では松の割木の束を2割程度減らしたうえで、見物客の登山を全面禁止とするそうだ。
http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/kyoto/100813/kyt1008130223003-n1.htm
今回は子供の頃を思い出しながら、大文字山の送り火を山の上で見た時のことを書こう。

「大」の字は三画だが、一画目の「一」の字だけで長さが95mあり火床が18ある(「一文字[いちもんじ]」という)。
二画目はてっぺんの「字頭[じがしら]」から一画目と交わる部分(「金尾」)までで51mあり9床。一画目と交わったのちに100mで20床(「北の流れ」)。
三画目は133mで27床ある(「南の流れ」)。これらの75の火床を浄土寺地区に住む家が毎年輪番で護摩木を運び火床に点火するのだ。

8時が近づくと京都の街のネオンが一つひとつ消えていき、山は暗闇に包まれる。

最初に大きな松明に火がともされる。

そして一人の男性がその松明を振り回しながら大声で「一文字よいかあー 字頭よいかあー 北の流れよいかあー 南の流れよいかあー」と合図され、法螺貝の音が鳴り響くなか一斉に火床に火がともされる。

読経の声が流れて、炎は次第に勢いを増して音を立てて燃え上がり、あたりが急に明るくなって人々の顔を赤々と照らす。

火床により積む護摩木の束数が定められており、書道で「大」の字を書く場合に筆圧が高い部分は束数も多めになっている。「字頭」は20束、「金尾」は30束と決まっていたのだが、今年は薪を減らすそうなので何束になるのだろうか。下の写真は比較的大きな火床のものである。

大文字の炎1

もっとも大きな「金尾」の炎の高さは最大で5mくらいにはなったように記憶しているが、これくらいの大きさの火になると、火がちぎれる様に飛ぶことがよくある。風が強ければ風向き次第で枯れ木や枯れ草に火が移ることは充分ありうる話だ。

大文字保存会が今年発表した入山禁止は、枯木の多い今年は適切な措置だと思う。京都市内では送り火が見られる場所はいくらでもあるので、今年は船岡山や将軍塚、吉田山、出町柳などで見られることをお勧めしたい。

photo-0815daimonji01.jpg

ところで、大文字の送り火はいつ頃から始まったのだろうと思っていつものように調べてみた。

京都の伝統行事は1000年以上続いているものがいくつもあるのだが、大文字山の送り火については文献で確認できるのは思ったよりも古くなく、公家の舟橋秀腎の日記「慶長目件録」の慶長八年(1603年)の7月16日のところに「鴨川に出て山々の送り火を見物した」と記されているのが最初らしいと知って驚いた。また残念なことに、この日記には大文字の送り火の由来については何も書かれていないそうだ。

大文字の送り火の伝統を代々承継してきた浄土寺地区の人々が信じているのは、弘法大師この行事を始めたという説で、平安時代に京都で伝染病が流行ったり飢饉があって人々が苦しんだ時、弘法大師に「如意が岳に、大という字をかたどり火をともせば、人々を苦しみから救える」という仏様からのお告げがあって、お告げの通りに大の字をかたどって火をともしたというものである。

弘法大師

しかし、そんなに古くからあったのであれば、平安期や室町期の書物に書かれていてもおかしくないのだが、そのような書物や絵は存在していないそうだ。

他に、足利義政が始めたという説もあり、江戸時代前期に記された『菟芸泥赴』などの史料によると相国寺の僧で足利義政とも交流の深かった横川景三(おうせんけいさん)が大の字型を定めたという記述があるそうだ。確かに、如意が岳の大の字が旧室町幕府跡に向いており、足利家とゆかりのある銀閣寺が大文字山の麓にあることも関係がありそうにみえる。

また、安土桃山時代の公家・近衛信尹(このえのぶただ1565-1614)がはじめたという説もある。このことは寛文二年(1662)の書物である「案内者」という書物に書かれているらしいが、江戸時代においても、この送り火の由来については諸説に分かれていたことがわかる。

地元の浄土寺地区の旧家に残されている古文書は、この地区が嘉永六年(1853)一月の大火事で全焼したため、この年よりも古い記録がないそうである。

しかし、浄土寺地区の史料を焼失する前に、江戸時代には旅行案内の様な書物がいくつか世に出ている。たとえば安永9年(1780)に刊行された「都名所図会」という本には、大文字の送り火のことが書かれている。
http://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/kyoto/page7/km_01_229_f.html

都名所図会大文字山

しばらく引用すると、

「毎年七月十六日の夕暮、大文字の送り火は銀閣寺の後山如意が嶽にあり。昔此麓に浄土寺といふ天台の伽藍あり。本尊阿弥陀は一とせ回禄の時、此峯に飛去り光明を放ち給ふ。これを慕ふて本尊を元の地へ安置し、夫より盂蘭盆会に光明のかたちを作り、火をともしける。其後弘法大師大文字にあらため給ふ。星霜累りて文字の跡も圧しなば、東山殿相国寺の横川和尚に命ぜられ、元のごとく作らしめ給ふ。大の字初画の一点長さ九十二間ありといふ。…」
と弘法大師と横川景三の名前が出てくる。

大文字火床

上の画像は大文字山の送り火の際に薪を置く火床で、場所によって薪を積む量が定められている。この火床の位置と火の大きさとバランスが、「大」の字を美しく見せるために重要であることは言うまでもない。

昔はコンクリートの様なものがなく、火床を固定することができなかったから年々火床の位置が微妙にズレて字が崩れていくことが容易に考えられる。いろんな人が、「大」の字のバランスを何度か再調整したことは充分考えられることではないか。「都名所図会」の解説文の通り、「大」の字型に関わった人が複数いることはおかしいことではないと思っている。

全国にこの大文字山を真似た山がいくつかあるのだが、私が他の地方で今まで見たのは昔のワープロの字の様な味気ないものばかりであった。人間が書く場合の筆圧まで考えて、火床の間隔から大きさまで充分バランスを整わせて人間の字に近づけたのは、京都の大文字山(如意が岳)の「大」をおいて他にはないのではないか。

また「都名所図会」の文章では7月16日とあるが、旧暦のお盆は7月15日で、13日の夕方に「迎え火」を焚いて祖先の霊を迎えたり、16日の夕方に「送り火」を焚いたりして祖先の霊を送るならわしが古くから各地で行われていた。それが明治になって太陽暦が採用されて日付が1ヶ月ずれ、「送り火」の代表的な行事である大文字山の送り火も旧暦の7月16日から新暦の8月16日におこなわれることに変更された経緯にある。

この「大文字山の送り火」のことを「大文字焼き」と呼ぶ人がいるが、京都人はこの呼び方を好まないと思う。京都人にとっては先祖の霊を迎え、先祖の墓をお参りし、最後に山の送り火で先祖の霊を送ってお盆が終わるのである。ただ山に火を点けるのではなく、あくまでも宗教行事であるからこそ、あれだけ観光客が集まるのにお祭りではないので露店がでることもないのである。
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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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