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中国人苦力を全員解放させた日本人の物語

19世紀に奴隷制の廃止運動が起こり、イギリスでは1833年、フランスでは1848年に奴隷制度が廃止され、アメリカは少し遅く南北戦争後の1865年に漸く奴隷制度が廃止されている。
しかし、これで完全に世界で奴隷制度がなくなったわけではなく、奴隷商人たちは彼らに代わる奴隷をアジアの地に求めるようになった。
かくして中国人の苦力(クーリー)貿易がアヘン戦争直後の1845年から本格化する。彼らは建前上は契約労働者であったが実態は奴隷であり、前回紹介した奴隷船と同様な構造の船に詰め込まれて鎖につながれて運ばれていった。

1860年代半ばには、こうした苦力を運ぶ定期航路が開かれて大量移民に拍車がかかり、1930年代に下り坂に向かうまで、数百万人にもおよぶ中国人苦力が運ばれていったと言われている。

私の書棚に1冊のGHQ焚書図書がある。
ある古本屋で見つけて1000円で買った菊池寛の『大衆明治史』(国民版)という本だ。

大衆明治史

何も苦労して古本を探さなくとも、ネットで全文を公開している奇特な人がいるので、今では誰でもダウンロードして読む事が可能だ。
http://tncs.world.coocan.jp/tsmeijisi.html

この本は、明治に起こった21の出来事を事実に基づきわかりやすく叙述した書物で、明治21年生まれの作家・菊池寛が明治という時代をどのように捉えていたかがわかって興味深く読める。少し読んで頂ければわかると思うが、国家主義的な思想性は特に感じられない。なぜこの本がGHQの焚書対象とされたかの理由を推定するに、西洋諸国にとって都合の悪い史実が記されていたからだと思う。

目次をみると最初が廃藩置県で、次が征韓論決裂、そして次が問題のマリア・ルーズ号事件だ。
今ではこのマリア・ルーズ号事件のことを記述している本がほとんど見当たらないのだが、菊池寛がこの事件の事を書いたことがGHQの焚書につながった一番大きな理由ではないかと私は考えている。この事件は西洋諸国にとっては、日本人に知らせたくない、都合の悪い出来事であったはずだ。

ではマリア・ルーズ号事件とはどんな事件なのか。菊池寛やWikipediaなどの叙述を参考にしながら、纏めることにする。(Wikipediaでは「マリア・ルス号事件」と表記されている。日付が双方で異なるのは、菊池の文章は旧暦でWikipediaは新暦で統一されている。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%B9%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6

明治5年(1872)6月1日(旧暦)に古い帆船が横浜港口に横付けとなったが、途中で暴風雨に遭ったらしく、マストの一部が破損し、帆綱も断れていた。
横浜港長パーヴィス大佐の命令を受けて同船に対し役人の臨検が行われ、この船の正体が明らかになった。
この船は南米ペルー船籍の350tの商船で船名はマリア・ルーズ号。
船長はペルー国大尉のドン・リカルドオ・ヘレラ。
中国のマカオを出港しペルーのカリアオに向かう途中で台風に遭遇し、修理のために横浜に入港したが積荷はなく、中国人苦力225名ならびに船長自身が雇入れた中国人のボーイ23人を載せていたという。

それから数日後、マリア・ルーズ号の過酷な待遇から逃れるために一人の中国人が海へ逃亡し、近くに停泊していた英国軍艦アイアン・デューク号が救助した。その中国人には明らかな虐待の形跡があり、本人の陳述から英国領事館はマリア・ルーズ号を「奴隷運搬船」と判断し、「この驚くべき蛮行の事実を率直に当局に告げ、日本政府が適宜の処置を執られんことを切望する」旨を、神奈川県庁を通じて通告した。

菊地寛

菊池寛は、この事件の背景をこう書いている。
「南北戦争の結果奴隷が解放され、その為新大陸では極度の労力不足を感じていた。これに乗じた、一部の奸商共は、新たに支那の苦力を大量にアメリカに送って、これを奴隷同様に売買して、巨利を博していたのである。」

神奈川県庁の権令(副知事)の大江卓は義憤を感じつつも、条約が締結されていない日本とペルーとの間で国際紛争を起こすことはないとの考えでその苦力をヘレラ船長に戻したのだが、船に戻すと船長はその苦力に笞刑を加えその悲鳴が遠くまで達したという。
数日後またもや別の苦力が英艦に泳ぎ着き、再び船長の暴状を訴えた。激昂した英艦乗組員は英国代理公使ワットソンに急報し、ワットソンは米国公使とともに外務卿の副島種臣を訪ねて日本政府に注意を喚起した。

当時政府部内では、司法卿江藤新平や陸奥宗光等は条約国でもないペルーと事を構えるのは不得策だと反対したが、副島はこの非人道的な事件に対して断固糾弾すべきだとし、中国及びペルーに対しては条約による領事裁判を認めていないので、この事件の処断はわが国における正当な権利であると主張したのである。

副島種臣

「領事裁判」とは在留外国人が起こした事件を本国の領事が本国法に則り領事裁判所で行う裁判のことをいい、江戸幕府が安政年間に結んだ米・英・仏・蘭・露各国と結んだ条約では認められていたが、領事は本来外交官であり、本国に極めて有利な判決が下される傾向が強かった。副島種臣はペルーとはこのような条約がないので、わが国の法律で処すべきであると述べたのである。
この副島の主張は閣議を通過し、この事件の調査は神奈川県令大江卓に命ぜられた。

大江の査問に対しヘレラ船長と弁護人は、問題の苦力たちはいずれも乗客であるから相当な待遇を与えていると主張し、「本事件は公海において発生したものであり、日本国法権の及ぶところでない。」「マリア・ルーズ号出港停止による、損害賠償を請求する」と主張した。一方、大江は他の苦力たちを公判に呼び証言させたところ、いずれも船内の暴状を訴えたという。

大江卓を裁判長とする特設裁判所による7月27日の判決は、中国人の解放を条件にマリア・ルーズ号の出港を認めるものであったが、ヘレラ船長はこの判決を不服としたうえ、中国人苦力に対しての移民契約破棄の罪状で告訴するに至った。

大江卓

しかし大江卓が出した8月25日に出した判決は痛快である。移民契約は奴隷契約であり、人道に反する者は無効であると却下し、中国人苦力全員解放という快挙をやってのけたのである。
「…若し人にして肆に幽閉せられた際は、ハーベーオス・コーポスなる公法によりて、其の者の自由を完全ならしむるが通議なり、今我国に於ては、この公法の設定なし。然れども、何人と雖も、この自由の通議あり。これが我が国の本理なり。然るにマリア・ルーズ船の清国船客の如きは、外国人のために肆に幽閉せられしこと判然たり。故に彼らは盡く釈放さるべし…」

清国政府は直ちに特使陳福勲を派遣して大江卓神奈川県県令および副島種臣外務卿に深謝し、9月13日に苦力から解放された者とともに上海に向かったのである。

菊池寛はこう解説している。
「阿片売買と共に、この苦力売買は、西欧人が支那に対して行った罪悪の、最も悪逆なるものの一つである。当時ハバナの総領事から、外務大臣への報告に依ると、この奴隷船の支那苦力の死亡率は14パーセントに達したと言われる。ひどい例になると、同じく澳門(マカオ)からペルーへ送られた二隻740名の苦力中、航海中死んだ苦力が、240名という記録さへある。…
後に清国政府は、わが国の厚誼を徳として、副島外務卿及び大江県令に対し、感謝のしるしとして、頌徳の大旆(たいはい)*を送ったという。」*大旆:大きな旗

大江卓宛大旆

ちなみにこの時に清国から送られた頌徳の大旆は、神奈川県立公文書館に保管されており、神奈川県のホームページにその写真が掲載されている。
http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f100108/p10431.html

しかし、この事件はまだ終わらなかった。
翌年2月にペルー政府は海軍大臣を来日させ、この事件に対する謝罪と損害賠償を要求してきた。この両国間の紛争解決のために、ロシア皇帝アレクサンドル2世が仲裁に立つこととなり、国際仲裁裁判が開催されたが、この裁判は1875年に6月に「日本側の措置は一般国際法にも条約にも違反せず妥当なものである」との判決が出て、ペルー側の訴えが退けられている。

菊池寛はこう結んでいる。
「国際法の知識の貧弱なわが外務当局が、敢然起って、自主的にこの事件に干渉し、この好結果を得たのは、もとより副島の果断、大江の奮闘にもよるが、わが当局が、人道上の正義に基づく行動は、結局世界の同情を得る、と云う確信から出発したことにも依る。外務省公刊の『秘魯国(ペルー)マリヤルズ船一件』なる文書の末尾に、
『此一件ノ当否ハ普ク宇内ノ正決ニ信ズ』
と壮語しているが、全くこの自信を現したものに外ならない」

明治維新直後の新政府において外交が務まるだけの素養や国際法の知識のあるものなどは皆無に近かった中で、副島種臣は佐賀藩の「致遠館」でフルベッキに英米法や各国の法制経済を学んでいた。だからこそ正論を押し通すことができ、土佐藩出身の大江も体を張って奮闘した。
人権という考え方が世界的にも未成熟な時代に、各国領事の圧力をはねのけたことは、わが国が近代国家の仲間入りを果たす契機ともなり、明治人の気概を感じさせる物語である。

同様な事件は、実はこの事件の20年前にも石垣島で起こっていた。石垣島の出来事については次のURLが詳細なレポートを載せている。
http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/123456789/1835/1/Vol29p92.pdf

ペリー来航の1年前の1852年3月に、厦門(アモイ)で集められた400人余りの苦力が、米国船ロバート・バウン号でカリフォルニアに送られる途中で暴行に堪えかねて蜂起し、船長ら7人を打ち殺し、その船はその後台湾に向かう途中に石垣島沖で座礁したため、苦力380人が石垣島に上陸し、船は残りの20余名の苦力を載せて厦門に引き返した。

石垣島の人々は仮小屋を建てて彼らを収容したのだが、米国と英国の海軍が来島して砲撃を加え、武装兵が上陸して逃走した苦力を捜査し、百名以上の苦力が銃撃され、逮捕され、自殺者や病没者が続出したという。
石垣島の人々は苦力達を深く同情し、彼らに食糧を与えて援助した一方、清国に戻った苦力達が船内の虐待を訴えたことから厦門民衆の苦力貿易反対運動が高まったという。

琉球王府は、もし再度米国と英国の海軍が来島した場合は、米英と戦うことは不可能であるとして、苦力全員を引き渡す方針をも検討していた。一方厦門では苦力貿易反対運動が更に激化し、英国は陸軍を厦門に上陸させて中国人4名を銃殺、5名以上を負傷させて辛うじて運動を鎮圧させたという。
その後ロバート・バウン号で厦門に引き返した苦力が無罪釈放されることとなり、石垣島に残留したメンバーの罪も不問に付すとの情報が福建当局から入り、翌1853年11月に琉球の護送船二隻を仕立てて、生存者172人を福州に送還したという話である。
もし、苦力の一部が厦門に戻ることがなければ苦力貿易反対運動も燃え上がらなかったであろうし、さらに米英の海軍が石垣島を砲撃しに再来した場合には、島民が巻き込まれて多くの犠牲者が出てもおかしくなかった。最悪の場合は、島が占領されて島民自身が苦力にされた可能性も否定できないだろう。

石垣島の人々は、島で亡くなった中国人苦力達の墓を作って慰霊を続けて、そのような墓が昔は島内各地に点在していたそうだ。

唐人墓地図

1971年に石垣市が台湾政府、在琉華僑の支援を得て、これらを合同慰霊するための唐人墓を建てている。
島の人々が、この事件で命を落とした苦力達の慰霊を160年も続けてきているということを知って驚かされたのだが、つくづく日本人は心優しい、素晴らしい民族だと思う。

唐人墓

この唐人墓の横にある1971年に作られた石碑には
「人間が人間を差別し憎悪と殺戮がくりかえされることのない人類社会の平和を希いこの地に眠る異国の人々の霊に敬虔な祈りを捧げる」
と記されているそうだ。
1971年は石垣島をはじめ琉球列島は米国の占領下であり、アメリカとの無用のトラブルを避けるために墓建立の経緯を詳しく書かなかった経緯があるとのことだが、この事件を知れば、この言葉の重みを深く感じることができる。今では事件の経緯を記した碑文もあるようだ。

もしマリア・ルーズ号やロバート・バウン号の事件に関する史実が、GHQによる焚書や検閲対象にもされず、その後教科書やマスコミなどで報道されて国民に広く知れ渡っていくとどういうことになっていただろうか。
欧米諸国が世界侵略をし、奴隷貿易という非人道的な行為を4世紀近く地球規模で行ってきた史実が国民の常識となれば、今の日本史の通史や教科書における戦国時代以降の歴史観が、今とは随分異なるものにならざるを得なくなるし、多くの国民が自分の国を自分で守ることの大切さを認識することになるのではないだろうか。

どこの国でも、いつの時代も歴史というものは勝者にとって都合の良いように書き改められる傾向があるものだが、わが国の第二次世界大戦敗戦後に、多くの歴史叙述が戦勝国にとって都合の良い内容に書き換えられたことを知るべきである。そして、国民の洗脳を解くカギの一つが、GHQが封印した史実にヒントがあると私は考えている。

私は戦前の史観が正しいと言っているのではない。ただ、史実に基づかない、あるいは史実と矛盾する記述は、史実に基づくものに置き換えられていくべきだということが言いたいだけなのだが、多くの重要な史実が封印されてほとんどの人が知らされていない現状を放置しては、教科書や通史における記述が簡単に変わるものではないだろう。
まずは、多くの人が歴史に興味を持ち、何が真実かを正しく知り、それを広めていくことが重要なのだと思う。二国間の真の交流を深めていくためには、お互いの国が、実際に起こった出来事を正しく知ることが不可欠で、事実でもない歴史には決して振り回されるべきではない。

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京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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