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フランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝えた頃の日本の事~~その2

前回はザビエルが鹿児島に上陸して二ヶ月半たった時点で、ゴアのイエズス会会友宛てに日本人の印象などを書き送った書簡の一部を紹介した。今回はザビエルの日本での活動を追ってみよう。

若きザビエル

ザビエル(画像)はゴアで洗礼を受けたばかりのヤジロウら3人の日本人とともにジャンク船に乗ってゴアを出発し、1549年8月15日に鹿児島に上陸した。そして翌月には薩摩の守護大名・島津貴久(画像)に謁見し、キリスト教宣教の許可を得ている。
島津貴久

前回紹介した書簡ではザビエルが日本の布教が成功することを確信していたような文章であったのは、わずか1ヶ月で薩摩の布教許可が得られたことで自信を深めたものだと考えられるが、その後島津貴久はキリスト教を禁止してしまう。

ザビエルは薩摩がキリスト教を禁止した経緯をこう書いている。この書簡の中のパウロと言う人物はヤジロウのことである。

「…私達は前にも言った通り、先づパウロの故郷に着いた。この国は鹿児島という。パウロが同胞の人々に熱心に語り聞かせたお陰で、殆ど百名にも及ぶ日本人が洗礼を受けた。もし坊さんが邪魔をしなかったら、他の凡ての住民も、信者となったに違いないのである。」(「聖フランシスコ・ザビエル書翰抄(下)」岩波文庫p.100)

「私達は一年以上もこの地方にいた。…坊さんはこの領主に迫り、若し領民が神の教に服することを許されるならば。領主は神社仏閣や、それに所属する土地や山林を、みな失うようになるだろうと言った。何故かと言えば、神の教は、彼らの教とは正反対であるし、領民が信者となると古来から祖師に捧げられてきた尊敬が、消失するからだという。こうして遂に坊さんは、領主の説得に成功し、その領内に於て、キリスト教に帰依する者は、死罪に処すという規定を作らせた。また領主は、その通りに、誰も信者になってはならぬと命令した。」(同p.101)

「…日本人は特に賢明であり、理性的な国民である。それで彼らが全部信者にならないのは、領主に対する怖れの結果であって、神の教が真理であることの解らないためでもなく、また自分の宗旨の間違っていることに気のつかないためでもない。」(同p.101-102)

かくしてザビエル一行は一年間活動した鹿児島を去り、1550年8月に肥前平戸に入って宣教活動を行った。そこではわずか二か月で住民の数百名が信者になったので、ここの信者の世話をトーレス神父に託して、別の地域を目指すこととした。

周防山口では大名・大内義隆にも謁見したがその時はさしたる成果がなく、次に都である京都に進んで、インド総督とゴアの司教の親書をもって、全国での宣教の許可を得るために、御奈良天皇に謁見しようと試みたがそれは叶わなかった。

当時の京都は応仁の乱以降打ち続いた戦乱の結果多くが破壊されており、布教する環境にないと判断して、一行は再び山口に入る。

山口でザビエルは、天皇に捧呈しようと用意していた親書のほか、珍しい西洋の文物の献上品を用意して、再び大内義隆(画像)に謁見したという。
大内義隆

大内義隆は大層喜び、お礼のしるしとして金銀をザビエル一行に差し出したが、これをザビエルは受け取らずにキリスト教の布教の許可を願い出たという。

「…私達は、そのもっとも渇望している唯一つのことを願い出た。即ち、私達がこの領内に於て、神の教を公に宣布することと、領主の民の中に、信者になることを望む者があった場合には、自由に信者になれることを、私達に許可して頂きたいというのである。これに就いては、領主は、凡ゆる好意を持って私達に許可を与えた。それから、町の諸所に、領主の名の記された布令を掲出させた。それには、領内に於て神の教の説かれることは、領主の喜びとするところであり、信者になることは、各人の自由たるべきことと書かれていた。同時に領主は、一つの寺院を私たちの住居として与えた。…」(同p.105)

大内義隆がザビエル一行に与えた寺は、当時すでに廃寺となっていた大道寺という寺だそうだが、ザビエルはこの寺で毎日二度の説教を行い、約二か月の宣教で洗礼を受けて信徒となった者は約500人にものぼったそうである。

山口の布教が順調に進んでいる中で、豊後府内(大分市)にポルトガル船が来着したとの話があり、豊後の大名である大友義鎮(後の大友宗麟:画像)からザビエルに会いたいとの書状が届き、1551年9月にザビエルは山口の宣教をトーレス神父に託して自分は豊後に向かう。豊後に於いてもキリスト教は宗麟の保護を受けて広まっていった。

大友宗麟

岩波文庫の解説によると、ザビエルの2年半日本滞在の間での洗礼者は千名には及ばなかったという。(鹿児島100-150名、市来15-20名、平戸180名、山口に向かう途中で3名、山口500-600名、豊後30-50名)
ザビエルはインドのトラヴァンコル地方に於いては1ヶ月に1万人の信者を作った実績がある。日本での成果はザビエルが当初思い描いていた数字には大きく届かなかったはずだ。

ザビエルは日本全土の布教のためには、日本の文化に大きな影響を与えてきた中国での宣教が不可欠だと考えた。ザビエルは、こう書いている。

「…シナに行くつもりだ。何故なら、これが日本とシナとに於て、我が主の大いなる奉仕になるだろうと思うからである。というのは、シナ人が神の掟を受入れたと識るなら、日本人は自分の宗旨に対する信仰を、間もなく、失ってしまうだろうと考えられるからである。私は、我がイエズス会の努力によって、シナ人も、日本人も、偶像を捨て去り、神であり全人類の救主なるイエズス・キリストを拝するようになるという、大きな希望を持っている。」(同p.137)

1551年11月15日にポルトガル船で日本を離れ、一旦ゴアに帰り自分の代わりに日本で宣教するメンバーの人選をして、自らは中国に向かおうとしたがマラッカで中国への渡航を妨害され、ようやく三州島に着くも、そこでは中国入国の手助けをする船は約束した日には現れなかった。

ザビエルの死

(「ザビエルの死」ゴヤ画)

ザビエルはそこで熱病に罹り、中国本土で布教の夢が果たせぬまま、1552年12月3日に、イエズスの聖名を呼び奉りつつ息絶えたという。

なぜザビエルのような優秀な宣教師をもってしても、日本の布教が遅々として進まなかったのか。当時の日本人はザビエルの話を理解しつつもどうしても納得できないところがあったのではないか。

私は、ザビエル書簡の中でこの部分に注目したい。

「日本の信者には、一つの悲嘆がある。それは私達が教えること、即ち地獄へ堕ちた人は、最早全然救われないことを、非常に悲しむのである。亡くなった両親をはじめ、妻子や祖先への愛の故に、彼らの悲しんでいる様子は、非常に哀れである。死んだ人のために、大勢の者が泣く。そして私に、或いは施與、或いは祈りを以て、死んだ人を助ける方法はないだろうかとたづねる。私は助ける方法はないと答えるばかりである。」(同p.119-120)

「この悲嘆は、頗る大きい。けれども私は、彼等が自分の救霊を忽がせにしないように、又彼等が祖先と共に、永劫の苦しみの処へは堕ちないようにと望んでいるから、彼等の悲嘆については別に悲しく思わない。しかし、何故神は地獄の人を救うことができないか、とか、なぜいつまでも地獄にいなければならないのか、というような質問が出るので、私は彼等の満足のいくまで答える。彼等は、自分の祖先が救われないことを知ると、泣くことを已めない。私がこんなに愛している友人達が、手の施しのようのないことについて泣いているのを見て、私も悲しくなってくる。」(同P.120)

当時の日本人が、キリスト教を受け入れがたいと思った重要なポイントがこの辺にあったのではないだろうか。自分の祖先がキリスト教を信じていなかったという理由でみんな地獄へ落ちると言われては、自分の祖先を大切に思う日本人の大半が入信できなかったことは私には当然のことのように思える。

もしザビエルが健康な状態で無事に中国に辿り着き、中国でキリスト教の布教に尽力してある程度の成功を収める事ができたとしよう。その場合にザビエルが再び日本に戻ってキリスト教の布教に成功できたかどうか。

皆さんはどう思われますか。

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Comment
たとえ中国で布教に成功したとしても、日本での結果は変わらなかったでしょね。カトリックは聖書を正しく理解できていなかったのです。「火の燃える地獄」という間違った教理を持っていましたから。
実際には聖書は、「死んだ者には何の意識もない」「死者は復活する」と述べています。
歴史上「キリスト教」がやって来たことを見れば、「神のご意思」などでないことは明らかです。「彼らは唇で私を敬うが、その心は私から遠く離れている」というイエスの言葉があてはまります。
Re: タイトルなし
mayflowerさん、コメントありがとうございます。

キリスト教の教理はよく分かりませんが、キリスト教を広めることが正しい行いだと考えて、異教徒の国を侵略し奴隷化したことは、わが国の教科書などではほとんど記されていないですね。
一神教の宗教を持つ国は、他の宗教やその文化を認めないことが多く、紛争が絶えることがありませんね。
戦国の戦いの世に来て、日本人庶民の先祖に対する失言・・地獄に落ちてるとか・・などをしてしまったからには、入信者は集まらないでしょう。先祖崇拝がこの国の根幹の一つであるからです。仏教もソレを外せば広まらなかったでしょう。この国土に遺伝子を残し続けるのは天災や人災に耐えての難行です。
Re: タイトルなし
くすのきのこさん、コメントありがとうございます。

一神教のキリスト教では異教を信じている者は救われないのですから、論理的に、先祖が救われることはないという結論になってしまいます。彼らはそう教えることが正しいと信じていましたから、多くの日本人が入信しなかったと考えています。
釈迦が唱えた仏教には先祖供養という考え方はなかったのですが、中国で儒教的な先祖供養の考え方が付加されてわが国に入ってきました。それが、仏教がわが国で広まった要素の1つなのでしょうね。
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平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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