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奈良の白毫寺と消えた多宝塔の行方

奈良は国宝や重要文化財の宝庫である。
平成16年のデータでは奈良県の国宝数は205で、東京、京都に次いで多く、全国の国宝の19%が奈良県にあることになる。また奈良県の国指定重要文化財の数は1377で、全国の11%だ。
www.bunka.go.jp/1hogo/excel/kokuho0430.xls

しかし上のデータには美術館や博物館などが所蔵する美術品や書跡、古書などの数字がかなり含まれている。大きな博物館や美術館が多い東京や京都の数字が多いのは当然のことだ。博物館などでいくつもの文化財をまとめて見るのもいいが、できればガラスケースの中にあるのではなく、昔から安置されていた場所で、古いままの姿で、仏像ならば祈りの空間の中で鑑賞しながら、古き時代を偲びたいと考える人は少なくないだろう。

統計データを見ると、奈良県にはそういう場所がいくつかありそうだ。
博物館などでは絶対に所蔵できない「建物」分類の国宝は奈良県に62件あり、この数では京都の48件を上回り奈良県がトップで全国の29%にもなる。重要文化財は261件で全国の12%だ。
「彫刻」分類の国宝はほとんどが仏像だと思うが、この数も奈良県は70で全国のトップで全国の56%にもなる。重要文化財は488で全国の19%だ。

こんな数字を見ていると、たまには奈良に行きたくなって、先日来久しぶりに奈良の古刹をいくつかまわってきた。

最初に紹介するのは「白毫寺(びゃくごうじ)」だ。「白毫」とは仏様の眉間にある白い巻き毛のことだそうだ。

近鉄奈良駅あたりからバスに乗って、高畑町の停留所から20分ほど山の方向に歩いて行くと、白毫寺の山門に辿り着く。このお寺は若草山・春日山に連なる高円山のふもとにある。

この寺は関西花の寺二十五霊場の第18番で、萩の花が有名だ。

白毫寺山門

参道の両脇には萩が植えられていて秋には萩の花で階段が埋め尽くされることから、この階段を「萩の階段」と呼ぶのだそうだ。

白毫寺石段から奈良盆地を見る

この階段を上りきると奈良盆地が見渡せる。正面に見える山は生駒山である。

白毫寺のパンフレットによると、天智天皇の第七皇子である志貴皇子の離宮がこの地にあり、その山荘を寺としたと伝えられ、当寺の草創については天智天皇の勅願によるという説や、かつてこの高円山近辺に存在した「岩淵寺(いわぶちでら)」の一院であったとの説があるが、確かなことはわからないそうだ。

この寺は鎌倉時代に西大寺の叡尊(えいそん)により再興され、その弟子の道照が弘長元年(1261)に宋より「大宋一切経」の摺本を持ち帰ったことから、「一切経寺」と呼ばれて繁栄したそうだが、明応6年(1497)の古市・筒井勢による戦乱でほとんどの堂宇を焼失した。 その後度重なる兵火・雷火により堂塔を失うのだが、江戸時代の寛永年間に興福寺の空慶上人が再興し、江戸幕府からご朱印寺として禄高五十石を扶持されて繁栄したとあり、パンフレットの解説は江戸時代で終わってしまっている。

パンフレットには何も書かれていないが、実は白毫寺は明治時代の廃仏毀釈で廃寺寸前になった寺なのだ。
岩波新書の「博物館の誕生」(関秀夫著)という本には
「閻魔像で知られる奈良の高円山の麓の白毫寺も…無住となり荒れるにまかされた。」(p.75)
と短く書かれている。

廃仏毀釈に詳しいs_minagaさんのサイトに、明治36年に出版された「大和名勝」(藤園主人述、東京:金港堂)という本の白毫寺について述べられている部分が引用されている。そこには、
「今はいたく衰へて、石段芝草に没し、本堂傾き軒朽ちて、本尊もおはさねなるべし。二層塔の古式なるがあれども、雨漏り壁落ちて蔦葛はひかゝれり。境内惣て雑草生ひ茂り、その地蔵堂のごときは、殆ど倒れんとせり。素より番僧もなく詣づるものもなし。」 と荒れるに任されていたことがかなり具体的に書かれている。
http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/tou_byakugoji.htm

「二層塔の古式なるがあれども」とあるように、昔は境内に多宝塔が建っていた。

byakugoji_n.jpg

「南都名所集」巻之4(延宝3年・1675版)という書物には、白毫寺の多宝塔が描かれているのがわかる。この多宝塔がその後どういう運命をたどるかについては後で書くことにして、まず境内の建物を紹介しよう。

白毫寺本堂

上の画像は本堂で江戸時代に建築され、中には勢至・観音菩薩像、聖徳太子二歳像他が安置されている。

その奥に御影堂と宝蔵がある。
この寺院には7体の仏像が国の重要文化財に指定されており、すべてがこの寺の宝蔵に安置されている。
宝蔵は比較的新しい建物だか、仏像と参拝者を遮るガラスのようなものは存在せず、かなり近づいて仏像の表情を鑑賞し参拝することができる。
宝蔵の内部の仏像は撮影禁止だが、先程紹介したs_ninagaさんのサイトにいくつかの仏像の画像を見ることができる。

18byakugo_03f.jpg

本尊の阿弥陀如来坐像(重要文化財)は平安時代から鎌倉時代の仏像で当寺院の御本尊である。

白毫寺閻魔王坐像

閻魔王坐像(重要文化財)は鎌倉時代の仏像で昔あった閻魔堂の本尊である。憤怒の形相に迫力がある。以前このブログで紹介した、京都の大山崎にある宝積寺の閻魔大王像に良く似ている。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-54.html

白毫寺から奈良盆地を臨む

宝蔵あたりから奈良盆地を北に見ると、東大寺の屋根がひときわ大きく見えた。

白毫寺多宝塔跡

本堂の近くに多宝塔の跡があった。
この多宝塔は廃仏毀釈で毀されたのではなく、焼失したのでもなく、大正6年に兵庫県宝塚市切畑長尾山の個人所有の山荘に移築されたのである。

藤田伝三郎

大阪の大富豪藤田伝三郎男爵が宝塚に贅を尽くした13万坪余の別邸を建て、そこに白毫寺の多宝塔が移築されたそうだ。
移築先の地図が見つかった。「井植山荘」がその場所である。
http://www.city.takarazuka.hyogo.jp/sub_file/01010102000000-iuesansou-ichizu.pdf#search=%27%E4%BA%95%E6%A4%8D%E5%B1%B1%E8%8D%98%27

藤田伝三郎が白毫寺からいくらで多宝塔を買ったかは不明だが、先程紹介した「大和名勝」の記述を読めば、長い間荒れるに任されており「雨漏り壁落ちて蔦葛はひかゝれ」る状態で、相当修理の手を加えなければならなかったはずだと思う。むしろ藤田伝三郎によって多宝塔の寿命は延びたのかもしれない。

しかし戦後になって、昭和24年にこの山荘は三洋電機(株)創業者の井植歳男氏に売却され、それ以来、「井植山荘」と呼ばれるのだが、平成14年(2002)3月19から20日に山火事がおこり、その多宝塔は残念なことに焼失してしまったのだそうだ。

byakugoji03s.jpg

この多宝塔が山荘に存在していた頃の写真が「兵庫の塔」(寺師義正著 光村推古書院、1994.3)という書物に「白毫寺多宝塔(在井植山荘)」として出ているのを、先程のs_minaga氏のサイトで紹介されている。
http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/tou_byakugoji.htm
井植山荘については、次のURLで詳しく書かれている。
http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/kisida00.htm

白毫寺の多宝塔は、桧皮葺の相当古い建築物で「大化年中草創の儘」という記録もあるそうだが、室町時代に再建されたという説もある。

明治の廃仏毀釈は仏像や建築物が多数破壊されたというイメージが強いのだが、破壊活動がなくとも多くの寺院が収入源を断たたれて衰退し、無住の寺院となって廃絶されているケースも少なくないようだ。
白毫寺が今に残るのは多宝塔を売却したお金で建物を修復できたからなのかとも考えるのだが、小さなお寺で貴重な文化財を守り続けることは大変なことだったのだと改めて認識し、素晴らしい仏像を見ながらやや複雑な気分になった。
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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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