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吉野の森林王と、闇の歴史である後南朝の史跡を訪ねて~~五條・吉野の旅その3

竹林院群芳園で朝食を済ませて、吉野郡川上村にある蜻蛉(せいれい)の滝に向かう。
あきつ小野スポーツ公園があり、その園内を川沿いに進むとこの滝が見えてくる。
蜻蛉というはトンボのことだが、『日本書紀巻第十四』雄略天皇の4年の記録にこの地名の謂れが出てくる。

「秋八月十八日、(雄略天皇は)吉野宮においでになった。二十日に川上の小野にお越しになった。山の役人に命じて獣を狩り出させられた。自分で射ようとして構えておられると、虻(あぶ)が飛んできて天皇の臂(ひじ)を噛んだ。そこへ蜻蛉(あきつ)が急に飛んできて、虻を咥(くわ)えて飛び立った。天皇は…蜻蛉をほめて、此の地を名づけて蜻蛉野(あきつの)とした。」(講談社学術文庫『現代語訳日本書紀(上)』p.290)

『日本書紀』には滝のことが書かれていないのだが、『萬葉集第六巻』に笠金村の雑歌があり、この滝のことを詠んだものと考えられている。養老7年は西暦では723年のことである。

「養老七年癸亥の夏五月、芳野離宮に幸(いでま)す時に、笠朝臣金村の作る歌 并せて短歌

の上(うへ)の 三船(みふね)の山に 水枝(みづえ)さし 繁(しじ)に生ひたる 樛(とが)の木の いや継(つ)ぎ継ぎに 万代(よろづよ)に かくし領(し)らさむ み吉野(よしの)の 秋津(あきづ)の宮は* 神柄(かみから)か 貴(たふと)かるらむ 国柄(くにから)か 見が欲(ほ)しからむ 山川(やまかは)を 清(きよ)みさやけみ 大宮(おほみや)と 諾(うべ)し神代ゆ 神代の昔から 定めけらしも (万6-907)

反歌二首
毎年(としのは)にかくも見てしかみ吉野の清き河内(かふち)の激(たぎ)つ白波(万6-908)
山高み白木綿花(しらゆふはな)に落ちたぎつ滝の河内は見れど飽かぬかも(万6-909)」
*原文は「三芳野之  蜻蛉乃宮者」となっている
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kasaka2.html

私も今まで知らなかったのだが、古くは斉明天皇の時代から吉野に離宮が存在したらしいのだ。どこに離宮があったかは諸説あるようだが、吉野町の宮滝という地域で土器や遺構が出てきたことから、その場所にあった可能性が高いと考えられているようだ。

蜻蛉の滝

蜻蛉の滝は、高さが50m近くある2段の滝でなかなか美しい滝である。滝をじっと見ているだけで、心身ともにリフレッシュしたような気分になってくる。
滝の下から、上からと色々な角度から楽しめるように遊歩道が設けられているが、カメラをどう構えても上から下まできれいに収まりきらなかった。上の画像は滝の上半分を写したものである。

蜻蛉の滝から東に戻ると、『山幸彦のもくもく館(川上村林業資料館)』がある。

もくもく館

館内には吉野林業の歴史や特徴、林業によって培われてきた川上村の生活や文化などが紹介されている。

奈良県は、面積の7割が山林に覆われており古くから林業が盛んな県である。
特に吉野川の源流地域にあたる吉野地方は、わが国を代表する美林として有名な吉野杉の産地で、川上村は吉野の林業の中心的存在だ。
最初に吉野地方で植林されたのは室町時代の文亀年間(1501-1503)との記録が残っているのだそうだが、植林による林業が活発化するのは江戸時代の中ごろで、建築用材だけではなく、酒樽の樽丸材、家具の材料としても用いられるようになったという。

土倉胸像

この資料館の入口に土倉庄三郎の胸像があるが、この人物のことを旅行の前に下調べしていると、なかなかすごい人物であったことを知った。この人物については田中淳夫氏の『森と近代日本を動かした男』(洋泉社)に詳しいが、著者の田中氏が『ひととき』という雑誌に書かれた原稿がネットで公開されているので、この人物に興味のある方は次のURLを覗いてみて頂きたい。
http://homepage2.nifty.com/tankenka/dokura-2.htm

土倉庄三郎は天保11年(1840)に吉野郡川上村大滝の山林地主の家に生まれ、16歳の時に家を継いだ後、若くして吉野材木方(ざいもくかた)の代表となって吉野林業の発展に力を注いだ。
山深い吉野の奥地から材木を効率的に運ぶために筏流しの水路の整備を行うなど吉野川の改修を進め、さらに道路の建設にも力を注いだという。
川の改修工事といっても、当時は重機もなければダイナマイトもない時代だ。ノミとゲンノウだけで岩を穿つ労力は大変だったと思う。

川上村の土倉邸があった場所の近くに、土倉翁が行った吉野川の改修工事のあとがわかる場所があることを地元の方に教えて頂いた。
画像ではわかりにくいので印をつけておいたが、吉野川の岩場に丸太を通しやすくするために岩を穿ったノミの跡がある。この日は水が流れていないが、土倉翁はこの新しい水路を使って材木を運ぶコストを下げようとしたのだ。
吉野川掘削

この写真を撮った場所のすぐ近くに土倉庄三郎の邸宅があったのだが、昭和34年の伊勢湾台風の時に吉野川が氾濫して建物が破壊されてしまい、いまは跡地に銅像が建てられている。

土倉立像

『山幸彦のもくもく館』のパネルを見て初めて知ったのだが、吉野杉は年輪幅が非常に緻密でかつ年輪の幅がほぼ一定している。どうしてこんなきれいな年輪になるのかと不思議に思ったのだが、それは土倉翁が確立させたという吉野の造林技術と関係があるという。

杉の年輪

吉野林業では1haの育林地に1万本前後と他の地域の倍近い苗木を植える。密植すると苗は早く上に伸びて幹がまっすぐで真円に育ちやすく、しかも年輪が密になる。そして間伐を繰り返して良い木だけを残していく。そして、間伐木のうち利用できるものは木材として売却する…それを繰り返していくのだそうだ。

このような努力により吉野材は品質だけではなく安定供給の面でも全国を席巻し、明治初年の全国長者番付で土倉翁は三井財閥と並んで横綱の地位にあったと伝えられている。最盛期には約9000ヘクタールの山林を所有し、そのすべてに吉野の銘木が育っていたのだ。

吉野杉の森

しかし土倉翁は、自分の利益の3分の1を国や社会に還元し、3分の1を教育に、3分の1を事業に使うという考えの持ち主で、道路や河川の改修をしただけでなく、山村の財政基盤を確立するために村有林の造林を行なって今日の川上村の礎を築き、また同志社大学や日本女子大学の創設に多額の寄付をし、さらに自由民権運動を支援し、「自由民権運動の台所は大和にあり」といわれるほど、板垣退助らの政治家を資金面で支えたという

吉野の桜

明治初期の廃仏毀釈で吉野山上にあった多くの寺が廃寺となったことは以前このブログで書いた。当時は煮炊きや暖房、産業のエネルギーは殆んど薪で賄われていた時代であったが、ある大阪の業者が荒れていた吉野山の木を買い取る話を持ち込み、吉野山の住民もそれに応諾して、その後に植えるスギやヒノキの苗を買う相談で土倉邸を訪れたのだそうだ。
しかし、土倉翁は吉野の桜は将来の為に残さなければならないと考え、スギやヒノキの苗を売る商機を捨てて吉野山の桜をすべて買い取り、歴史的景観を守ることを即決したという。今も多くの観光客が吉野山の桜を楽しむことが出来るのは、土倉庄三郎のお蔭であることを今回調べて初めて知った次第である。

土倉庄三郎は吉野郡川上村大滝村で生涯を過ごし、大正6年(1917)7月に78才で多くの人々に惜しまれながら亡くなり、蜻蛉の滝に近い龍泉寺という寺にお墓があるそうだ。
大正10年(1921)10月に生前の功績を記念して、川上村大滝の鎧掛岩に「土倉翁造林頌徳記念」の文字が刻印された碑が建立され、今もその字をしっかり読むことが出来る。

土倉翁造林頌徳記念

前回の記事で、川上村の人々が「後南朝の遺民として同じ勤王の義士である天誅組を支援」することを協議して決めたことを書いたのだが、川上村の人々が自らを「後南朝の遺民」と考えた背景にはどのような史実が隠されていたのだろうか

南朝の後亀山天皇が京都に還幸して北朝の後小松天皇に譲位し、以後皇位を交代で承継することで和約し、三種の神器を差し出して明徳3年(1392)に南北朝が統一されたことはどこの教科書にも書かれているのだが、その後北朝の後小松天皇は南朝の後亀山天皇との約束を一切守らなかったのだ。
南北朝統一後は、大覚寺統(北朝)と持明院統(南朝)が交互に天皇の位につくという約束であったのに、後亀山殿は皇太子すら立てることもできなかったし、南朝は国衙領を支配しても良いという約束も守られなかったのである

北朝が南朝との約束を反故にして皇位を独占したために、依然として南北朝の対立は続いたのだ。山深い吉野の地には「後南朝」を援けてきた歴史があり、そのことを村人は「誇り」としてきたのだが、このような史実を学ぶ機会は今までほとんどなかったと言って良い。

森と近代日本を動かした男

土倉庄三郎の伝記である田中淳夫氏の『森と近代日本を動かした男』を読み進むと、今まで知らなかった後南朝の歴史と川上村との関係がよく解る記述があり、興味深いのでしばらく引用する。

「しかし、後小松天皇は皇太子に弟(後の称光天皇)を立てた。そのため1410年、後亀山殿は隠棲していた嵯峨野から密かに吉野に戻る挙に出た。その後の彼の血統を後南朝と呼び、二朝並立が繰り返されたのである。
後南朝は、時の政権に不満を持つ勢力に担がれることで、一定の勢力を保ち続けた。1443年9月に、北朝の後花園天皇の内裏を襲撃し、三種の神器のうち神璽(しんじ:勾玉[まがたま])を奪取する『金闕(きんけつ)の変』を起こす。同年、後亀山殿の曾孫(そうそん)の尊義王が亡くなり、その子、尊秀王(自天王)と忠義王が皇胤(こういん)を継いだ。彼らは川上郷に分散して居を構えた。
とろが赤松家の旧臣が神璽の奪還をめざして川上郷に潜入した。当時赤松家は断絶していたが、旧臣たちは神璽の奪還で武功を上げ再興を果たそうとしたのだ。
1457年(長禄元)12月2日の大雪の夜、彼らは18歳の尊秀王と12歳の忠義王が滞在していた御所を8人で襲い、2人を惨殺して首を取り、神璽を奪った
。(この経緯は赤松側の資料による。川上村の伝承では、忠義王は病没したとある。)
川上郷の民は、彼らを追跡し、雪に阻まれて脱出が遅れていた旧臣たちを格闘の上に倒し神璽と皇子の首を取り戻す。そして村人は尊秀王の首を金剛寺に葬ったという
この事件を『長禄の変』と呼ぶが、追跡に関わった郷民が『筋目(すじめ)』と呼ばれる血筋となる。土倉家は、とくに少ない一番筋の系譜だったという。
なお取り戻した神璽は、東吉野の小川にある皇子の母の在所に隠したが、翌年三月末に赤松側が再び乱入して奪い取られてしまった。
奉じていた皇子が二人とも亡くなり神器も奪われた川上郷では、この年以降、皇子の鎧や兜、長刀、太刀など遺品を祀る朝拝式を執り行い続ける。それは555年の時を超えて、今も続く。近年まで朝拝式に参加できるのは、筋目だけであった。」(『森と近代日本を動かした男』p.209-210)

尊秀王系図

森林王・土倉庄三郎の先祖は『長禄の変』で赤松家の旧臣から、尊秀王の首と神璽を取り戻したメンバーのうちの一人で、代々「筋目」とされて村人から敬われてきたのである。そしてこの地で若くして亡くなられた尊秀王の遺品を祀り、今も毎年2月5日に朝拝式が行われ、この儀式が555年も続いているというのは驚きである。川上村のホームページにこの朝拝式の記事が載っている。
http://www.vill.kawakami.nara.jp/n/j-03a/j-03a-01.htm

この文章を読んで、今回の旅行の最後に金剛寺には必ず行こうと考えていた。
かなり細い道で対向車が来ることはないと地元の方から聞いてはいたが、吉野川を渡って山の中に入ると、心細くなるような細い道が続く。途中で金剛寺への分かれ道があり、そこを右折してなんとか辿りついた。無人の寺のようだが、境内は綺麗に掃き清められていた。

金剛寺本堂

上の画像が金剛寺の本堂で、本尊は平安時代の様式の地蔵菩薩立像なのだそうだ。
自天王の遺品は収蔵庫に保管されているようだが、兜や金具、大袖は国の重要文化財に指定されており、太刀、長刀、胴丸は川上村の文化財に指定されている。

自天親王神社

本堂の右後方に自天親王神社があり、後南朝最後の自天王と忠義王を祀っている。また本堂の左後方には後南朝の忠義王の陵墓がある。
また境内には推定樹齢800年と言われているケヤキの大木がある。
金剛寺にいると、なんだか時空を超えてとても不思議な場所に舞い降りたような気分を覚えた。

金剛寺のけやき

残念な事だが、川上村も過疎化・高齢化が進み、「筋目」だけで朝拝式を行う事が難しくなってしまったという。6年前から「筋目」以外の参加も認め、川上村高原にある福源寺でも行われていた朝拝式を金剛寺一箇所に絞った上で、無形民俗文化財の指定を受けて保護されるようになったのだそうだ。
どこの地方についても言えることなのだが、その地域で数百年ものあいだ伝承されてきた伝統文化であっても、若い人がその地方で残って生計を立てることが出来なければ、地元を去っていかざるを得ない。年寄りだけが地域に残ってどうやって伝統文化を残すことが出来ようか。

わが国の国土の7割は森林であることを多くの政治家や官僚は忘れてはいないか。このまま林業を軽視し続けては、いずれ国土面積の大半が荒廃して、いずれは都会に住む人間だけで荒廃しつつある地域のインフラなどの維持管理にかかわるコストや、過疎地対策費などの負担を余儀なくされることになるだろう。
豊富な森林資源を持ちながら活用せずに放置し木材需要の7割を外国産に頼っているという、わが国の林業政策そのものがどこか誤っているような気がしてならないのだ。

そんなことを考えながら、吉野地方の伝統や歴史的風土が守られることを祈って、わずかではあるがお土産を買って、この旅行を終えることにした。
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Comment
これは興味津々
こんにちは。いつもお世話になっております。ここですね。
これは興味津々ですね。後南朝は授業では習った記憶が曖昧なのですが、小松左京氏の小説で知りました。
しばやん様の仰る通り、後南朝の史跡を探るのはとても勉強になりそうです。
場所を確認しました。不動窟鍾乳洞の手前ですね。これはわくわくします。ありがとうございます。
Re: これは興味津々
早速読んで頂きありがとうございます。

大滝ダムから東熊野街道を進み、不動窟鍾乳洞の1kmほど手前に橋がありますので、そこを渡って右折します。それからくねくねした道を進み、1.2km程度進むと金剛寺に繋がる道があります。(手書きの案内板があったと思います)
道はかなり細いので気を付けて運転してください。

無人のお寺ですが、きれいに掃き清められていて感動しました。
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平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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