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永禄10年に東大寺大仏殿に火をつけたのは誰なのか

以前このブログで、江戸時代の明和元年に林自見という人物が『雑説嚢話』という本に、東大寺の大仏の首が斎衡2年(855)、治承4年(1180)、永禄10年(1567)の3回落ちたということを書いていることを紹介したことがある。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-120.html

東大寺と郡山城の桜 045

最初の斎衡2年の時は地震で、治承4年の時は平重衡による南都焼討、永禄10年は松永久秀が夜襲をかけたのが原因とされているが、永禄10年については異説があることを記事に少しだけ触れておいた。

その異説とは、松永久秀の敵方である三好三人衆にいたキリシタンの誰かが東大寺に火を付けたという説なのだが、その記録が今まで何度か紹介させていただいたルイス・フロイスの「日本史」の中に出ているのである。

この時代の歴史に興味を持ったので、ルイス・フロイスの本を取り寄せて、どこに書いてあるか調べたところ、意外と早く該当箇所を探しあてることが出来た。

中公文庫の「完訳フロイス日本史」第1分冊の第20~22章(原書では第1部59~61章)に、ルイス・デ・アルメイダ修道士の書簡が紹介されていて、22章に東大寺に関するアルメイダの記述がなされている。

文章を引用する前に、ルイス・デ・アルメイダについて簡単に紹介しておく。

アルメイダ

アルメイダは1525頃にポルトガルのリスボンに生まれ、1552年に貿易目的で来日したが、医師の免許も持っていて西洋医学を日本に導入し、大分に日本で最初の病院を建てた人物でもある。上の写真は大分市にある西洋医術発祥記念像で中央の人物がアルメイダである。 彼は学識もあったことから、僧侶など知識人の欲求に良く答えて改宗に導き、医師として貧しい人を助けたので多くの信者を獲得したと言われている。

アルメイダ修道士は、永禄10年に大部分が焼失する前の東大寺を訪れ、東大寺に関して様々なことを書いているが、内容の多くは建物の大きさや仏像の大きさ、梵鐘の大きさなどで、大仏に関しては次の様な感想を書いている。

「…私達は、日本のあらゆる遠隔の地方から人々がこの寺院に参詣する盲目さ、ならびに彼らが拝む悪魔や偶像によるほかになんの救いもないかのように、こうして誤った救いを渇望している有様に接しては、涙し、同情せずにおれません。そして私どもがもっとも驚かざるを得ないのは、日本人は、シナ人やインド人とはすべてにおいて非常に異なっているにもかかわらず、かくも賢明、清潔、優秀な国民の許でなおかつこうしたひどい無知を見出す事なのです。」(中公文庫「完訳フロイス日本史」第1分冊p279)
とあるように、キリスト宣教師にとっては異教である仏教の仏像は、いかなるものも排除すべき対象物であるにすぎないのだ。

この文章に続いて鐘楼の鐘の大きさについて驚いたとの記述があり、そこで一旦アルメイダの書簡の引用を中断し、ルイス・フロイス自身が次の様な文章を書き込んでいる。

「今から二十年くらい以前のことになるが、ルイス・デ・アルメイダ修道士が下(シモ:九州)へ帰った数年後に、(松永)弾正殿は、同修道士が先に述べた、かの豪華な城で包囲された。その多聞山城(タモンヤマ)を包囲した軍勢の大部分は、この大仏の寺院の内部とこの僧院(東大寺)のあらゆる場所に宿営した。その中には、我らイエズス会の同僚に良く知られていた一人の勇猛な兵士もいたのであるが、彼は、世界万物の創造者に対してのみふさわしい礼拝と崇敬のことに熱心なあまり、誰かにたきつけられたからというのではなく、夜分、自分が警護していた間に、密かにそれに火を放った。そこで同所にあったすべてのものは、はるか遠く離れた第一の場所にあった一つの門、および既述の鐘楼以外はなにも残らず全焼してしまった。丹波および河内の国では、同夜、火の光と焔が大和国との間に横たわる山々の上に立ちあがるのが見られた。」(同書p279-280)

東大寺と郡山城の桜 006

永禄10年(1567)の松永弾正と三好三人衆・筒井順慶連合軍との戦いは、「東大寺大仏殿の戦い」と呼ばれ、通史では松永弾正が、東大寺に布陣している三好三人衆・筒井順慶連合軍に夜襲をかけて、その時に東大寺に火を付けたのは松永弾正軍だということになっている。

では、通史で松永弾正軍が火を付けたという根拠は何なのか。
前回でも紹介したが、興福寺の塔頭多聞院で文明10年(1478)から元和4年(1618)までの出来事を記録された「多聞院日記」の口語訳がWikipediaに紹介されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA%E5%A4%A7%E4%BB%8F%E6%AE%BF%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

「今夜子之初点より、大仏の陣へ多聞城から討ち入って、数度におよぶ合戦をまじえた。穀屋の兵火が法花堂へ飛火し、それから大仏殿回廊へ延焼して、丑刻に は大仏殿が焼失した。猛火天にみち、さながら落雷があったようで、ほとんど一瞬になくなった。釈迦像も焼けた。言語道断」

と、ここには松永弾正軍がやったとは書かれていない。

松永弾正太平記

午後11時に戦闘が開始され、戦闘中に穀屋から失火し法花堂それから大仏殿回廊、そして日をまたいだ翌10月11日午前2時には大仏殿が焼失したようである。また『東大寺雑集録』によると、

「四ツ時分から、大仏中門堂へ松永軍が夜討、三人衆側も死力を尽くして戦ったが対抗できず、遂には中門堂と西の回廊に火を放たれて焼失した。この戦いで多くの者が討ち死にした。」

と記されているのだが、普通に読めば松永軍が火を放ったとなるので、これが通説の根拠であろう。しかし、これを書いた僧侶は誰かが東大寺に火を放った現場を見たのであろうか。

ルイス・フロイスが書いているように、三好三人衆側のキリスト教徒が「自分が警護していた間に、密かにそれに火を放った」のであれば、どちらが火を放ったかがわからず、恐らく攻めてきた側の松永軍が多分火を付けたと考えただけだと思われる。

紹介したWikipediaの記事では、日本側の記録も紹介している。

『大和軍記』という古文書には「(三好軍の)思いがけず鉄砲の火薬に火が移り、」と記載されているそうだし、『足利李世紀』という古文書には「三好軍の小屋は大仏殿の周囲に薦(こも)を張って建っていた。誤って火が燃えつき、」と記載されているそうだ。
とすれば、松永弾正が東大寺を焼失させたという通説はおかしい、ということになる。

確かに松永弾正軍は過去も火を用いて寺を焼いたことがあり、将軍足利義輝の暗殺も主導した人物でもあり、その連想から松永軍が火を放ったと思われても仕方がなかった面もあるが、史料を読む限りでは松永弾正は、東大寺に関しては無実である可能性が高いと思われる。

しかしながらなぜ通史では、ルイス・フロイスが「日本史」に三好軍のキリシタンが火を付けたとわざわざ書き込んでいることを無視し、「大和軍記」や「足利李世紀」の記述をも無視するのか。私にはこのことは非常に不自然に思える。
せめて教科書や通史には両論を併記すべきではないのかと私は思うのだが、皆さんはどう思われますか。

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平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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