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奈良の文化財の破壊を誰が命令したのか

前回は高村光雲の文章を紹介したが、この文章では廃仏毀釈の文化財破壊については「随分結構なものが滅茶々々にされました」といった表現にとどめていて、廃仏毀釈の事例として具体名を挙げて書いているのは興福寺の五重塔が「二束三文で売り物に出たけれども、誰も買い手がなかった」と言う話と、鎌倉の鶴岡八幡宮の一切経が浅草の浅草寺に移されたことが簡単に書いているだけだ。今回はもっと具体的な記録が残されている文章を紹介しよう。

東京美術学校(現東京芸術大学)の第五代校長を明治34年(1901)から昭和7年(1932)まで31年間も勤めた正木直彦(1862~1940)が、東京美術学校在職中に語った講話などを記録し校友会雑誌に連載された記事を抄録した『十三松堂閑話録』という本が昭和12年(1937)に出版されている。

古い本なので現物を手に入れることは難しいが、有難いことにGoogleブックスでその文章を誰でもパソコン上で読むことが出来る。
http://books.google.co.jp/books?id=Dw8eMMYFs-4C&printsec=frontcover&hl=ja&source=gbs_ge_summary_r&cad=0#v=onepage&q&f=false

その本の中に「廃仏毀釈、西洋崇拝、国粋保存と其推移」という文章があり、その中に廃仏毀釈に関するかなり具体的な記述が残されている。

正木直彦

正木氏は廃仏毀釈の思想的背景から書き起こしている。冒頭の部分から引用させていただく。(原文は旧字・旧かな)

「王政復古は国学者と密接な関係があった。平田篤胤は当時議論最も危激で、すべてのものを神代の昔に復さなければならぬと唱えていたが、その門人およびこの学派の中からは、沢山明治維新の功労者を出した。これらのいわゆる神道者流は新政府に勢力を得ていろいろ維新の改革をやったが、その中、平田流の福羽美静*や田中頼庸**らの議論が用いられて廃仏毀釈を最も激しいやり方で実行した。それまでの日本は両部神道で本地垂迹説の発達によって廬舎那仏は本地仏でその垂迹が天照皇大神宮である、釈薬地観は本地仏で春日四社明神が垂迹であるというふうにすべての神仏を旨い具合に習合させていた。それを明治政府ではかかることは仏が神を汚しているものであるとなし、仏を祭ってはならぬ、僧侶はやめてしまえ、皆神道にならなければならぬ等と稱(とな)え、そして本願寺や知恩院等にも仏壇の前に幕を引いて、新しく神を祀らせ祝詞を上げさせたこともあった。」

*福羽美静(ふくばびせい):元津和野藩士で、幕末から明治5年まで神祇事務局・神祇官の実権を握った人物。
**田中頼庸(たなかよりつね):元薩摩藩士で明治4年に神祇省に出仕し、明治7年に伊勢神宮大宮司となった人物。

本願寺や知恩院においても、仏壇の前に幕を引いて祝詞を上げさせたというのは驚きであったが、正木氏は続いて奈良の廃仏毀釈に言及し、興福寺五重塔のことを高村光雲よりもはるかに詳しく書いている。再び正木氏の文章を引用する。

興福寺五重塔

「新政府の役人はまたいたるところで寺に関係のあるものを焼き払ったり取り毀したりした。ことに面白いのは興福寺の五重塔で、時の県令四條隆平という人は非常に改革派の人であったから、春日の神鹿を売飛ばし、若草山から春日野一帯を牧場にして牛を放牧することにしたり、また興福寺の五重塔が目障りであるからとて入札払にしたところが、これが十五両で落札した。足場を掛けて毀すことにすれば沢山費用がかかるので、落札者は逃げて仕舞うた。そこで県令は綱を着けて万力で引き倒せと命令したが容易に倒れないので、されば火を掛けて焼き払えと命令し、柴を積んで日を期して焼き払うはずであったところが、これを聞いた奈良の町民は大いに驚き、嘗て(かつて)元興寺の高い塔が焼けて困った経験から興福寺の五重塔を焼き捨てることになるとまた大変だと言うので、町民は多数堅調に押し寄せて愁訴したから、断行もできず、彼是(かれこれ)するうちに県令が代わって五重塔は火難を免れたのである。」

「県令」というのは廃藩置県後の「県」の長官で、東京・大阪・京都の三つの「府」の長官は「知事」と称した。それまでは藩を治めていた大名に代わって、政府から派遣された役人が「県令」や「知事」となって地方行政を担ったのである。

「奈良県」は明治時代に何度も境界線が代わり、明治3年には吉野郡辺りは「五條県」であったし、明治4年の廃藩置県では、大和郡山、高取、柳生などの小県が出来たが、その年の秋に小県がまとまって大和全域を管轄する「奈良県」が成立し、その最初の県令に任命されたのが、公家出身の四條隆平(しじょうたかとし)という人物である。この四條と言う人物が、わずか30歳という若さで奈良県令の地位に就いたのだが、この人物が数々の仏教排除策を強行したことについては奈良県が発行した「青山四方にめぐれる国―奈良県誕生物語」の「第2章 文明開化のあしおと」にもいくつかの所業が書かれている。
http://www.kamarin.com/special_edition/index_2.htm

この四條という人物が奈良県令の地位にあったのはわずか2年程度のことなのだが、それにしては随分多くの歴史と伝統のある文化財の破壊を命じている。

内山永久寺

正木氏の文章の続きを読んでいくと、興福寺に続いて内山永久寺の廃仏毀釈のことを書いている。内山永久寺という寺については以前にもこのブログで紹介したが、鳥羽天皇の勅願により興福寺大乗院第二世頼光によって12世紀のはじめに創建され、後に石上神宮の神宮寺として栄え、「太平記」には後醍醐天皇が一時ここに身を隠したと記されている。江戸時代には「西の日光」とも呼ばれた大寺院だったのだが、明治期の廃仏毀釈によってこんな歴史のある寺院も完全に破壊されてしまった。正木氏の文章をしばらく再び引用する。

「大和の一の宮布留石上明神の神宮寺内山の永久寺を廃止しようということになって役人が検分に行くと、寺の住僧が私は今日から仏門を去って神道になりまする。その証拠はこの通りと言いながら、薪割を以て本尊の文殊菩薩を頭から割ってしもうた。遉(さすが)に廃仏毀釈の人々も、この坊主の無慚な所業を悪みて坊主を放逐した。その迹(あと)は村人が寺に闖入(ちんにゅう)して衣料調度から畳建具まで取外し米塩醤豉までも奪い去ったが、仏像と仏画は誰も持って行き手がない。役所から町の庄屋中山平八郎を呼び出してお前は是を預かれと言う厳命、中山は迷惑の由を申し出て辞退をしたけれども許されず、ついに預賃年十五円を貰い預かることとなった。その後時勢が推し移り何時の間にやら預かった仏像や仏画が中山所有の姿になった。今藤田家に所有する藤原時代の仏像仏画の多くはこの中山の蔵から運んだものである。こんな有様であるから総べて古物は仏画でも何でも二束三文となった。金泥で書いた経文等も焼いた灰から、金を取るというような商売のおこったのも無理からぬことであった。」

藤田伝三郎

藤田家というのは、明治期の関西財界の重鎮で藤田財閥の創立者の藤田伝三郎とその長男藤田平太郎、次男藤田徳次郎を指している。この3人が集めた美術品・骨董品の数はかなり売却されたようだが、それでも現在の藤田美術館には国宝9件、国の重要文化財50件を含む5000点が所蔵されているのだそうだ。

Zenmui.jpg

その国宝の中に『両部大経感得図』という仏画があり、これは内山永久寺にあったものであることが解っている。
また、奈良県天理市にある石上神宮(いそのかみじんぐう)摂社の出雲建雄神社割拝殿はもと内山永久寺鎮守の住吉神社拝殿で国宝に指定されている。
東大寺二月堂にある持国・多門天像も、もともとは内山永久寺にあった平安時代の仏像で、重要文化財に指定されている。
また海を渡って今はボストン美術館所蔵となっている鎌倉時代の仏画『四天王像』は、国内にあれば間違いなく国宝指定だと言われている。
他にも聖観音菩薩立像(鎌倉時代、東大寺二月堂)、不動明王坐像(鎌倉時代、正寿院)、四天王立像(鎌倉時代、、東京国立博物館他)、不動明王像及び八大童子像(鎌倉時代、世田谷観音寺)が国の重要文化財に指定されているというのだが、残されているものだけでも、これだけ多くの国宝や重要文化財があるというのは驚きである。
いまもしこの内山永久寺が残されていたとしたら、法隆寺や東大寺に匹敵する観光名所になっていたことは確実だろう。

京都や奈良は多くのお寺があるので、廃仏毀釈はたいしたことではなかったのではないかと勝手に解釈していたのだが、京都や奈良はもともと寺院の数が多かったので残された文化財も多かっただけのことである。

どんなに古い時代に制作された貴重なものであったとしても、毀されたり燃やされたり、奪われたりすれば文化財は一瞬にしてその価値を失ってしまうことになる。現在残されている文化財は、人々が貴重なものであると認識しているが故に、何百年も様々な危険から多くの先人たちの努力によって、長い間守られてきたものばかりなのである。

kor13022813030002-n1.jpg

昨年10月に対馬の観音寺にあった長崎県指定文化財の観世音菩薩坐像が窃盗団によって盗まれてしまった。観音寺はほとんど無人状態の寺だった。
窃盗団の目的は単なる転売目的であったようだが、韓国の浮石寺は、もともとこの仏像は浮石寺のものであり、1370年頃に倭寇によって強奪されたものであって、浮石寺に返還すべきであると主張している。
隣の国は常識が通用しない国だ。歴史を偽造して自分のものだと書かせ、盗んでおいて自分のものだから返さないと主張する。わが国の外務省が調査を要請すると、韓国側は国宝に指定して調査を拒んだとのことだ。

李氏朝鮮時代に、儒教を国教にして仏教を弾圧し自らが寺院を破壊し仏像を破壊した(「廃仏崇儒」)歴史がある。わが国の明治時代の廃仏毀釈に似て、この時期に高麗時代の仏教遺跡が破壊され、多くの仏像や文化財が海外へ流れたとされる。
普通に考えれば15世紀に李氏朝鮮の仏教弾圧により焼かれた寺から救出する目的で、誰かが仏像を対馬に持ち込んだものが残されたのだろう。

また彼らは、何を根拠に観音寺の仏像を「1370年頃に倭寇によって強奪された」と断言できるのか。
『明史』日本伝にはこう書かれている。倭寇の主体は日本人なのか。
「明が興り、太祖高皇帝(朱元璋)が即位し、方国珍・張士誠らがあい継いで誅せられると、地方の有力者で明に服さぬ者たちが日本に亡命し、日本の島民を寄せ集めて、しばしば山東の海岸地帯の州県に侵入した。」(講談社学術文庫『倭国伝』p.394)

また彼らの国の正史である『高麗史』には、高麗人が何度か対馬を襲い倭人を殺す記述があるのにもかかわらず、少なくとも倭寇は1375年までは高麗人を殺していなかったことが明記されている。
相手から襲われて家族が殺されても、敵を殺さなかった対馬の人々がどうやって李氏朝鮮の寺の仏像を奪えるというのか。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-47.html

李成桂が高麗を滅ぼし李氏朝鮮が建国された1392年以降は、倭寇のメンバーの8割は朝鮮の賤民だったと朝鮮王朝実録の『世宗実録』114卷二十八に書かれている。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-48.html

彼らが自国に残した記録からは、倭寇によって仏像が奪われたという可能性を説明することは困難だろう。

勝手な歴史を作って、窃盗団を使って盗難して自国に持ち帰り、そのまま自国のものとすることの前例を決して許してはならない。
わが国の政治家は、相手が歴史を捏造するなら、中国や高麗や李子朝鮮国の正史に基づいて反論し、堂々と外交交渉してほしいものである。
地方には対馬の観音寺のような無人のお寺や神社がいくつもあるのだ。今回の事件で相手の圧力に屈するようでは、これから先わが国の文化財は守れない。
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廃仏毀釈の影響
最近読んだ本の中で、20世紀に入った明治30年代になっても廃仏毀釈の影響があり、多くの仏像が流出したという論文をみました。

「仏像の修理・修復」サンフランシスコ・アジア美術館の脱活乾漆像をめぐって  皿井舞

という論文がありました。
「現在、サンフランシスコ・アジア美術館が収蔵する脱活乾漆像は、もともと奈良・興福寺にあった。廃仏毀釈により困窮していた同寺が、明治39年(1906)になって、寄付金を獲得するために、仏像の一部を売却することにした。このとき80体近い仏像が寺を離れた。この脱活乾漆像は、三井物産の益田孝が購入し、現在はサンフランシスコにある」
ということです。

掲載されていたのは、

”オリジナル”の行方 文化財を伝えるために
東京文化財研究所 平凡社 2010

という本の中です。

先行する研究は、

藪中五百樹「明治時代に於ける興福寺と什器」
立命館大学考古学論集ⅲ−2
立命館大学考古学論集刊行会 2003

にあるそうです。
廃仏毀釈は、明治初年のことだと思っていましたが、
かなりのちなっても影響があったのですね。
Re: 廃仏毀釈の影響
ラングドック・ラングドシャさん、コメントありがとうございます。

フェロノサやビゲローやモースが日本の仏教美術や古美術品の価値を見出してその世界的評価を高めたことから、ようやく明治政府も仏教美術の価値を理解し、明治30年に古社寺保存法が制定され、明治31年に岡倉天心が設立した日本美術院で仏像などの修復活動が本格的に始まりました。

しかし明治39年でも重要な美術品が流出していたのですね。情報ありがとうございます。

せっかく価値あるものを護って来ていても、収入が充分になければいつまでも文化財を守ることは出来なくなります。
グローバリゼーションが進行して地方が衰退していけば、明治時代と同様に多くの文化財の危機が来ることにはならないでしょうか。
観光地化した有名な寺社は何とかなるにせよ、このままでは、地方の寺や神社が心配です。
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平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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