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廃仏毀釈などを強引に推し進めて、古美術品を精力的に蒐集した役人は誰だ

前回の記事で奈良の最初の県令であった公家出身の四條隆平(しじょうたかとし)という人物の廃仏政策で、興福寺が多大な被害を受け、内山永久寺という大寺が破壊されたことを書いた。県令というのは大名に代わって地方行政を任された明治政府の役人である。
この四條隆平が奈良の県令の地位にあったのは、明治4年11月から明治6年11月とわずか2年のことなのだが、この県令による廃仏政策で興福寺の門跡寺院であった一乗院、大乗院が廃寺となり、内山永久寺のほかにも、大神神社(おおみわじんじゃ)の神宮寺であった大御輪寺(おおみわでら)も姿を消してしまった。

古寺巡礼

和辻哲郎の『古寺巡礼』に、聖林寺にある国宝の十一面観音立像は天平時代のもので、かっては大御輪寺の本尊であり、この国宝仏がどのような経緯で聖林寺に移されたかが書かれている。
「…この偉大な作品も五十年ほど前には路傍にころがしてあったという。これは人から伝え聞いた話で、どれほど確実であるかはわからないが、もとこの像は三輪山の神宮寺の本尊であって、明治維新の神仏分離の際に、古神道の権威におされて、路傍に放棄せらるという悲運に逢った。この放逐せられた偶像を自分の手に引き取ろうとする篤志家は、その界隈にはなかった。そこで幾日も幾日も、この気高い観音は、埃にまみれて雑草の中に横たわっていた。ある日偶然に、聖林寺という小さい真言寺の住職がそこを通りかかって、これはもったいない、誰も拾い手がないのなら拙僧がお守りいたそう、と言って自分の寺へ運んで行った、というのである。」(岩波文庫『古寺巡礼』p.72)

聖林寺

ところが聖林寺のホームページでは、廃仏毀釈の前触れがあったので、慶応4年5月16日に十一面観音立像を大八車に載せてこの地に避難したと書かれている。
http://www.shorinji-temple.jp/about/about04.html
破壊される前に運ばれたか、破壊後に運ばれたかでは話が違いすぎるのだが、どちらの説が正しいかは今となってはよく解らない。
ただ、難を逃れるために事前に運んだにしては、頭上最上部にある10面のうち3面が失われており、特に光背は上の部分が大破して全体の形が不詳なのだそうだ。和辻氏には嘘を語る動機は乏しく、聖林寺にとっては路傍にころがしてあったという話は出来れば隠しておきたいとする動機があってもおかしくない。直感的には私は和辻説のほうが正しいような気がする。

四條隆平は多くの寺や仏像などの破壊を命じたのだが、私が探した範囲内では、仏像や仏画などを私物化して売却し、私腹を肥やすような話は見当たらなかった。
しかし、このような時期であれば、もし県の最高権力者である県令がその気になりさえすれば、寺院の美術品や工芸品を私物化したり、転売して私腹を肥やすことは簡単にできたと考えられる。そして実際にそのような県令が奈良にいたのである。

神奈川仏教文化研究所の朝田純一氏が、『埃まみれの書棚から』という奈良の古寺、古仏についての素晴らしいホームページを立ち上げておられる。その中で昭和2年の文藝春秋7月号に掲載された「柳田国男・尾佐竹猛座談会」と題し、芥川龍之介、菊池寛も座談に加わって語られた内容の記事の一部が引用されている。

尾佐竹猛

尾佐竹猛(おさたけたけき)という人物は明治文化社会史研究家で当時は大審院(今の最高裁)判事だった人物だが、彼の発言に注目である。
http://kanagawabunnkaken.web.fc2.com/index.files/raisan/shodana/shodana145.htm

「柳田:○○○事件ですか。それから一番ひどいのは○○子爵ですね?
尾佐竹:堺の県令をして居る時分に奈良の大抵の社寺の古物などを持って帰るのですね。 あれなんか県令の勢で強奪したり又はすり替へるのですからね。
芥川:さういふのは裁判沙汰にならなかったのですか。
尾佐竹:明治初年の県令といふものは大名の後継者の積もりで素破らしいものであり、司法権も警察権も有ってゐるといふ大したものでしたからね。
そして民間は奴隷根性が抜けぬ時ですからね。
柳田:奈良の古物といふものは、あの時分によほど多く無くなったといひますね。
尾佐竹:県令が御覧になるからといって取り寄せて返さぬ、又は、刀の中味などをすり替へて返す。
それはまだいいとして、属官が旅費を貰って出張して、古墳を堂々と発掘して、その地方の豪家に命令して泊まって、そして貴重品は県令様のポケットに納まるといふのですからね。
それで居て旧幕時代の奉行代官から見ると善政を施してゐるといふのですよ。
奉行代官から見るとそれでもまだズッと清廉潔白なんです、まるでレベルが違ひますからね。
芥川:さうですかね嫌になっちゃふね。
尾佐竹:まだいろんな事がありますね。けれども余り言ふといけないから。」

税所篤

「○○子爵」というのは、新政府で兵庫・堺・奈良の県令・知事を歴任した薩摩藩出身の税所篤(さいしょあつし)という人物のことである。
税所が「堺県令」であったのは明治4年(1871)11月から明治14年(1881)2月であるが、以前このブログでも書いた通り、明治9 (1876) 年4月に府県の統廃合が行われて奈良県は大阪南部にあった堺県に編入されてしまって「奈良県」が消滅してしまった。
その後「奈良県」が再設置されるのは明治20年(1887)11月であるから、11年半にわたり「奈良県」が地図から消滅したのである。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-90.html

奈良県が再設置されるまではいろいろドラマがあったのだが、詳しく知りたい方は奈良県が発行した「青山四方にめぐれる国 ―奈良県誕生物語―」がネットで読むことが出来て内容もわかりやすくて面白い。
http://www.kamarin.com/special_edition/index_0.htm

話を奈良県が堺県に編入された明治9 (1876) 年4月に戻す。その時点から、堺県令であった税所が現在の奈良県地区の最高責任者となり、先ほど引用した尾佐竹氏の言葉を借りれば、司法権も警察権も握ったのである。

彼が堺県令として具体的にどうやって奈良の寺院の文化財を手に入れたについて詳しく記されているような文章はネットでは見つからなかったが、彼を批判する文章は、先ほど紹介した朝田純一氏のホームページでいくつか引用されている。

例えば
「内山永久寺の廃寺と共に、権勢家であった税所篤が寺宝を収奪したのであった。」(森本和男「文化財の社会史」)
税所篤も、明治初年の混乱期にしばしば顔を見せる、いわくのある人物であった。」(由水常雄「廃仏毀釈の行方」)

朝田氏によると、明治21年に当時の美術行政を策定してきた九鬼隆一氏が大規模な宝物調査を実施し、寺社所蔵品や個人コレクションの目録作成が行われたそうだ。その時の宝物目録が東京国立博物館にあり、奈良県の個人コレクターのランキングが『文化財の社会史』という本に出ているのだそうだ。
http://kanagawabunnkaken.web.fc2.com/index.files/raisan/shodana/shodana145.htm

25-6-064-1.jpg

税所篤が集めた古美術品の優等品・次優等品はすべてが絵画だったそうだが、薩摩の下級武士出身であった税所篤が、なぜ奈良県の個人コレクターでダントツの1位となりえたのか。このランキングを見て、これらの逸品をこの人物がまともなルートで手に入れたと考える人は殆んどいないのではないだろうか。

先程紹介した昭和2年(1927)の文言春秋の座談会の記事は、税所篤がこの世を去ってから16年も経過しているのだが、それにもかかわらず文芸春秋は税所の名前を伏せている。薩長の藩閥政治が終焉したのは大正13年(1924)の護憲三派内閣成立により政党内閣の慣行が生まれてからだと言われるが、昭和に入っても明治政府に対する批判につながる発言がおおっぴらにはできなかった時代が続いていたと考えればいいのだろうか。

税所篤が寺院から古美術品を強引な手法で集めたかどうかについては、具体な記録が残されていないので想像するしかないが、税所は考古遺物についても収集癖があり、堺県令時代にいくつもの古墳を発掘して考古遺物を強引に手に入れたとの疑惑があることが、朝田氏のホームページに記されている。

朝田氏は税所県令が発掘に関わったものとして朝田氏は、松丘山古墳(大阪府柏原市)、長持山古墳(大阪府藤井寺市)、美努岡萬墓(奈良県生駒市)、仁徳天皇陵(大阪府堺市)の4つを挙げておられる。
http://kanagawabunnkaken.web.fc2.com/index.files/raisan/shodana/shodana146.htm

松丘山古墳は4世紀ごろの前方後円墳で、江戸時代に7世紀の船王後(ふなのおうご)墓誌が出土し、西琳寺という寺の寺宝になっていたのを、廃仏毀釈の時に税所篤県令の手中になったそうだ。その後県令は古墳群を掘り返して、古剣や鏡片などが発掘されたという。
長持山古墳、美努岡萬(みののおかまろ)墓は省略するとして、最後の仁徳天皇陵は誰でも知っている我が国最大の前方後円墳である。以前このブログでこの古墳のことを書いたが、最近の教科書では、被葬者が誰であるかが特定されていないため、『大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)』とか『大山古墳』とか『伝仁徳陵』などと呼ばれているようだ。ややこしいので、とりあえず、ここでは『仁徳天皇陵』と呼ぶことにする。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-123.html

税所篤はこの『仁徳天皇陵』の石室を発掘し、その副葬品を持ち出したという疑惑があるのだという。

img20120418234351359.jpg

以前このブログで、ボストン美術館に仁徳天皇陵から出土した「獣帯鏡、環頭太刀の把頭、馬鐸、三環鈴」が収蔵されていることを書いた。

この副葬品が発掘された経緯については、明治5年の秋に台風による土砂崩れのために仁徳陵の前方部が一部崩壊してたまたま石室が露出し、副葬品が持ち出されたものと長い間信じられていた。しかし、最近の研究では税所篤が意図的に発掘し盗掘したという説が有力なのだそうだ。
しばらく朝田氏の文章を引用させていただく。

「(税所篤が盗掘したという説が唱えられた)きっかけは、昭和48年、堺市の旧家に、堺県令、税所篤名の、このような文書が残されていることが、報告されたことによる。
『仁徳陵が鳥の巣窟になって汚穢不潔であるので、鳥糞を取り除く為に清掃を行なう伺い出したところ許可されたので、清掃を行なったところ、甲冑や剣、陶器ならびに広大な石櫃が見つかった。その検分の為に官員の派遣を要請する。』
という内容の文書で、教部卿宛に出されている。

この伺いへの回答文書も、併せて残されている。
その内容は、石室・石棺のことには一切触れておらず
『鳥糞の掃除は、即刻中止し差し止めること。墳丘内の仮小屋や小船も撤去すること。』
という厳しい口調の内容で、言外に発掘行為を事実上不能にさせるものであった。

仁徳天皇陵

この文書に着目した、考古学者・森浩一は、
『仁徳天皇陵の石室の発掘は、当時の堺県令・税所篤が、鳥糞の清掃等が必要という口実をつけて、計画的に大掛かりに発掘を行なったものに違いない。ボストン美術館所蔵の考古遺物は、このときこの石室から持ち出されたのがほぼ間違いないだろう。
明治5年の発掘経過を振り返ると、これらの遺物が、堺県令・税所篤によって持ち出された疑惑はやはり大きく、時間をかけて真相を明らかにする必要がある。』と、論じた。

この説にも、異論がないわけではないが、税所篤が、仁徳陵の石室を、口実を設けて計画的に発掘したという考え方が、現在では主流になっているといってよいようだ。」

ボストン美術館にある副葬品に税所篤がどこまで関与したについては証拠となる記録があるわけではないが、証拠がないので関与してないと断ずるのには違和感がありすぎる。
税所が仁徳天皇陵の石室を発掘したことは確実で、この男の所業化や収集癖からすれば、副葬品を発掘するために盗掘まがいのことを為したことを疑うのが自然だと思う。

また税所篤は大久保利通と子供の頃から仲が良かったらしく、Wikipediaで「大久保利通」の項目を読むと、何度か税所の名前が出てくる。ちょっと気になるのが、大久保利通が明治8年に麹町三年町に建てた白い木造洋館を建てた建築費用は「恩賜金と盟友税所篤からの借金で賄ったとされる」と書かれているところだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%88%A9%E9%80%9A
税所が大久保に貸した金額までは判らないが、洋館の建築資金ともなれば少ない金額ではなかっただろう。税所がこの金をどうやって捻出したかが問題なのだが、普通に考えれば、県令である税所の収入が大久保よりも多いはずがないではないか。

この税所篤が明治14年(1881)まで堺県の県令を勤め、明治20年(1887)に奈良県が再設置された時に再び奈良県の知事となり、同じ年に維新の功を認められて子爵になっており、彼の疑惑が追及されることはなかったようなのである。
明治政府の人材レベルはこの程度のものでしかなかったのか。あるいは、この程度のことは他にもいくつもあったなど処分できない事情があったのか。

徳川幕府も腐敗していたかもしれないが、明治の初期に山縣有朋や井上馨のひどい汚職事件がありながら、その後処分もされずに登用され続けていることを知ると、明治新政府も権力を掌握した早い時期から腐敗していたと思わざるを得ない。

討幕派と明治新政府を善玉とし徳川幕府と佐幕派を悪玉とするかのような単純な歴史叙述を、それが史実であると鵜呑みしていいのだろうかと疑問に思う事がある。ひょっとすると我々は、教科書や小説などを読み映画やテレビドラマなどを見ているうちに、いつの間にか「薩長閥にとって都合の良い歴史」に洗脳されてしまっているのではないだろうか。
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良い切り口の記事
残念ながら、江戸時代の奉行・代官に付いて、事例・典拠・痕跡異物たる資料を欠くので、すこしだけ、残念でした。
是非、単に、付け届けへの公認とか言うだけでは無く、
事例・典拠や、関連記事の掲載をお願いします。

宇治代官・上林家も、決して清廉潔白だけの家柄では在りませんが、代官としては、赤字?であったとも言われます。
そこいら辺りで、あたしも納得の行く資料・遺跡も無く、自分も記事に書けずに難儀しております。
古寺巡礼は読みました。
実は、古寺巡礼(和辻哲郎著・土門拳著(写真集)、両方とも)、父が興味を持ち、読んでおりました。
あたしも、少し読みました。
残念ながら、今は、手許に在りません。
名作だったのですね。
父は、『○●巡礼』と言う本を、(図書館や、輪読会で)借りた本も含めて、何冊か読んでおりましたので、和辻先生は立派な先生だとは思いましたが、そこまで、凄い本だとは気が付きませんでした。
ごめんなさい。
本当に残念ですね。
Re: 良い切り口の記事
二度にわたりコメントありがとうございます。

このような為政者側にとって不都合な真実は、記録に残らないことが多いですね。税所篤のことは朝田純一氏のHPの記事を読むまでは知りませんでした。私はあまり深く考えずに朝田氏の引用部分を転載しましたが、旧幕時代の代官がいかなる悪事を働いたかについて調べればさらに説得力が増したところですね。

宇治代官のことを調べておられるのですか。、確かに資料が少なそうですね。
近代デジタルライブラリーで、検索キーワードを工夫して何かヒットしないでしょうか。
公開している明治以降の書籍で、そのキーワードが章立てに使われているとヒットします。
http://kindai.ndl.go.jp/
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Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了することが決定しています。BLOGariの旧メインブログの「しばやんの日々」はその日以降はアクセスができなくなりますことをご承知おき下さい。

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