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アメリカ人が王朝を転覆させたハワイ王国の悲劇と日本~~GHQが封印した歴史5

前回は、アメリカ人の武力による圧力で署名させられた憲法により、国政に対する権限のほとんどを奪われたカラカウア王が、失意と孤独の内に1891年1月に病死し、その志を継いだ妹のリリウオカラニ女王が即位したところまでのことを書いた。
今回は、その後ハワイがいかなる方法でアメリカに奪われたかを記すことにする。

リリウオカラニ

リリウオカラニ女王は、アメリカ人を中心とする共和制派との対決姿勢を強め、純粋なハワイ人の王朝を回復するために、憲法の改正に着手した。
アメリカの圧力により貧しいハワイ人やハワイに帰化した移民たちの選挙権・被選挙権が奪われ、国王の権限が剥奪されていたのを改正したい気持ちはよくわかるのだが、この憲法を変えようとしたことがアメリカを刺戟し、ハワイ王朝の衰亡に拍車をかけることになってしまった。

1893年1月14日、ハワイ人の一党が王宮に向かい、女王にアメリカ人の権限に制限を与える新憲法を捧呈してその発布を請願した。その内容は以下のような内容であったと言われているが、ハワイ人としては当然の主張だと思う。
・白人高額納税者に独占されていた投票権をハワイ島民にも認めること
・上院議員の任免権を国王に復すること
・内閣の大臣の任免権を国王が握ること
・ハワイ人には人頭税を免除し、白人はハワイ人と結婚した者以外はこの特権を与えないこと 等

イオラニ宮殿

前回の記事で紹介した、GHQに焚書処分された吉森實行氏の『ハワイを繞る日米関係史』という本にはこう書かれている。

「當日午後、多數のハワイ人は王室の内外にまたは王宮の階段や政廳の内外に群集してゐた。此時、女王は出御になり、召に應じて参内せる内閣大臣に新憲法草案を交付し、これに記名調印を命じた。彼等は之を拒んで政廳を退出し、急を市民に告げて国王のクー・デタを阻止するやう協力を求めた。」

「武装せる一隊は直ちに組織された。かくて閣僚は再び王宮に到り、国王にその企圖(きと)を断念されんことを諫奏(かんそう)した。
…王の意は容易に決しなかつたが、ややあつて新憲法發布はひとまづ延期さるることとなつた。
…王は更に群衆に向ひて、宣告して曰(いわ)く、
余カ企圖ハ大臣ノ不忠ニヨリ妨害セラレタリ故ニ余カ曾テ嘉納シ汝等ニ約束シタル新憲法ハ今之ヲ發布スルヲ得サルト雖モ好機き來ラハ速カニ之カ施行ヲ怠ラサルヘシ」(西尾幹二『GHQ焚書図書開封5』p.55-57所収)

白人の大臣たちは新憲法を認めることを拒否し、「国王がクーデターを起こした」と市民に告げ、直ちに武装集団を組織して、女王による新憲法発布を延期させた。ハワイの先住民の多くがこの新憲法を待ち望んでいたことは女王の言葉を読めばわかる。
しかし白人派は、直ちに次の行動を開始した。

「一方白人派はこれを以て事の終局と認めず、直ちに十三人の治安委員を設けて非常対策に備え、翌十五日白人市民の大集会を開いた。席上治安委員の選定せられたことにつき諒解が求められ社会の安寧と市民の権利を保持するために必要と認める場合には、如何なる処置をもとり得る権力をこれら委員に付与することが議決された。翌十六日再び集会は開かれた。この会合に於いて委員等は市民の意向を察知し、君主政治を廃して直ちに仮政府を構成する準備に着手した。
…即ち、同島駐劄のアメリカ公司に依頼して財産保護の目的をもつて軍艦ボストン號より海兵の上陸を求めた。」(同上書 p.58-59)

アメリカ人たちは軍事力を使って君主制を廃止させようとし、16日にはすでに150名の武装した米海兵隊がハワイに上陸してホノルル市内を制圧し、イオラニ宮殿を包囲させ、軍艦ボストン号の主砲はイオラニ宮殿に照準を合わせたという。

ハワイ人側においても集会がもたれて千四五百名が集まり、原住民の牧師と共に白人の災いが至らず王位が安泰であることを神に祈祷したという穏健なものであった。これでは、アメリカ人には対抗できるはずがなかった。

サンフォード・ドール

次に白人の治安委員たちは政庁を奪取し、群衆に向かって王政の廃止と臨時政府の設立を宣言する。この時に大統領となったサンフォード.B.ドール(上画像)という人物は、もともとは布教のためにハワイに来たプロテスタントの宣教師一家の出身で、ドール・フード・カンパニーを創業したハワイのパイナップル王ジェームズ・ドールはその従弟にあたるのだそうだ。

ドール

こうして臨時政府は、王宮・警視庁・兵営の引き渡しを要求し、国王は王宮を退き、兵営は翌日占領させたという。

アメリカ大統領ハリソンは、ハワイ臨時政府代表がワシントンに到着すると、リリウオカラニ女王から派遣されていた陳情使節を度外視して、直ちに内閣の意見をハワイとの併合の方向にまとめ上げて、次のような大統領教書を発表している。

200px-Benjamin_Harrison.jpg

「合衆國は何等(なんら)王政顚覆(てんぷく)を扶助せず、革命は全くリリオカラニ女王の革命的施政に起因したものである。女王の施政はハワイに於けるアメリカの優越する利益を非常な危殆に陥れたばかりではなく、外國の利益をも危殆にした。…
女王リリオカラニの復位は望ましいことではない。その復位はアメリカの援助がなくては非常な不幸を招き、商業上の利益を悉(ことごと)く破壊して了(しま)うであろう。ハワイ諸島に於けるアメリカの勢力と利益とは增進されねばならない。ここに於いて採るべき道は二つある。
ハワイをアメリカの保護國とすることがその一つである。他の一つはその完全なる併合である。
ハワイ人民の利益を最も善く著しく増進し、また、アメリカの利益を適當に保證する方法は併合以外に求められない。…これによって列強が本諸島を占領しなくなるのは當然のことである。外国に同諸島を占領されることはアメリカの安全と世界の平和に一致しない。」

軍艦と海兵隊をハワイに差し向けて支援していながら、「アメリカとしては革命を起こした勢力を援助した覚えはない。ただ女王が過激な政策をとったために王座から追われたのである。」とはよく言ったものであるが、ここで面白いことが起きる。

200px-President_Grover_Cleveland.jpg

この教書を発表したハリソン大統領の任期があと二週間しかなく、1893年3月4日に就任式を終えたクリーブランド新大統領(上画像)の考えはハリソンと異なり、アメリカ公使が許可なく米軍を用いてハワイ王朝を転覆させた非行は許されるべきものではないというものであった。新大統領は上院に条約案の撤回を求め、ハワイ問題調査団の派遣を決めたために併合はしばらく見送られることとなる。

カイウラニ

前回の記事でカラカウア王が訪日時に、王女と山階宮親王との結婚の話の提案があったことを書いたが、そのカイウラニ王女が着任早々の新大統領に面談してクーデターの不当性を訴えたのだそうだ。彼女の美貌と感動的なスピーチにアメリカのマスコミも一気にハワイ王家を味方するようになったらしい。
http://www.legendaryhawaii.com/lady/lady02.htm

クリーブランド大統領がハワイに派遣したハワイ問題調査団は、この一連の動きは米国人宣教師の二世・三世グループが仕組んだ陰謀であり、さらに米国公使が米軍艦と海兵隊を使ってハワイ王朝を葬ったことを明らかにし、その報告を受けてクリーブランド新大統領はハワイ王国に謝罪したのだが、ハワイ臨時政府はそれを内政干渉としてはねつけたのだそうだ。
その後米国で議会工作がなされて1894年1月のアメリカ連邦議会において上院議員の多数がハワイ臨時政府を支持したために、リリウオカラニ女王を復位させようとした米大統領の目論見は外れてしまった。

こうした状況下でハワイ臨時政府は、クリーブランド大統領の在任中に、アメリカにハワイを併合させることは難しいと判断し、次の一手として、アメリカの独立記念日である7月4日にハワイ共和国の独立を宣言してハワイ王家を廃絶させ、初代大統領にドールが就任している。

すると王党派の反撃が開始される。1895年1月に王党派はホノルルで王政の回復を企てるも数日の銃撃戦の後に政府に鎮圧されてしまう。

吉森實行氏の『ハワイを繞る日米関係史』にはこう書かれている。
「…その指導者たちは悉く共和政府の軍法会議に附せられ、罪を糾弾された。リリオカラニもまた逮捕され、王宮に幽閉されたが、自ら書面を以て反乱に関係なきこと、共和政府を承認すること(共和政府を認めるということは、王家が無くなるということ)、政治上その他の権利を一切放棄する等を言明し、なほ共和政府に対し忠誠を誓う宣言書を提出した。そこで政府は10月、女王を放免して之に市民権を付与し、ここに反亂の最後の幕は閉じたのである。」
Wikipediaにはもう少し詳しく、「リリウオカラニは反乱の首謀者の容疑で逮捕され、イオラニ宮殿に幽閉された。(1895年)1月22日、反乱で捕らえられた約200人の命と引き換えに、リリウオカラニは女王廃位の署名を強制され、ハワイ王国は滅亡した。」と書かれている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%8B

「共和国の独立を宣言する」という言葉の意味がなかなかピンとこないのだが、西尾幹二氏の表現を借りれば「ハワイは現実にはアメリカに支配されているのです。政治的にも経済的にも支配されている。『独立』は形式的なものにすぎないうえに、王家という”支柱”を失ってしまうから、最終的にはアメリカに併合されてしまう事態となる。」とわかりやすい。 ハワイは王家という精神的支柱を失って、「結局、独立という名のもとで、かえって独立を失ってしまう」という事になってしまったということだ。
これと同様な事が、身近な国で仕組まれてはいないだろうか。
もしある国を侵略あるいは支配することを企む国があったとすれば、対象とする国が共和制・民主制の国家の方が工作活動で国論を分断しやすく、マスコミを押さえれば世論誘導で合法的にその国を実質支配できるということである。ある大国が、小国相手に内政干渉をしてやたら「民主化」を押し付けるのは、そういう意図があることも考えてみるべきだろう。

話をリリウオカラニ女王の退位の直後に戻そう。
リリウオカラニ女王を援けるために、わが国が軍艦を差し向けたことを書かなければならない。
カラカウア王との約束で明治18年から始まった日本人のハワイ移民はこの年までに25千人を数えていたそうだ。その日本人移民の生命と財産の安全を守るためというのが表向きの理由だった。

東郷平八郎

ハワイ王朝が倒れて約1か月後の2月23日に巡洋艦「浪速」と、5日遅れてコルペット艦「金剛」が相次いでホノルル港に入り、米軍艦「ボストン」のすぐ近くに投錨したが、「浪速」の艦長は東郷平八郎であり、同じ艦上には若い青年将校がいた。その青年は先代国王カラカウアに王女との結婚を求められた山階宮親王本人だったという。

Higashi-Fushiminomiya.jpg

ハワイ臨時政府は、アメリカ人によるクーデターの1周年となる1894年1月17日、「建国1周年」を祝う21発の礼砲を要請したのだが、東郷艦長は「その理由を認めず」と突っぱねたそうだ。ホノルル港の各国軍艦はこれにならい、クーデター1周年の記念日はハワイ王朝の喪に服するような静寂の一日に終わったという。

1898年に米西戦争が勃発し、この戦争を有利に展開するための恒久的な補給基地が必要との理由でクリーブランドの次の米大統領であるウィリアム・マッキンリーの署名により、この年の7月7日にハワイがアメリカに正式に併合されたのであるが、この時にはすでに真珠湾はアメリカは独占的使用権を獲得していたのだそうだ。

現在のハワイ州の40%にのぼるカメハメハ王朝の土地は米政府が譲り受け、真珠湾のウィッカム基地やハワイ国際空港などが作られ、カホオラベ島のように先住民を追い出して、島全体が射爆撃標的にされたところもある。
一方共和国の実権を握った宣教師の息子たちは、所有していた土地をそのまま私有地として認められて、大地主として併合前と同様に経済の実権を握ったという。

その後ハワイに移住していた多数の日本人たちは、その後大挙してアメリカ本土に移り住むようになった。そのために日本人移民が問題視され、アメリカでの排日移民運動へとつながっていったのだが、こういう歴史の流れを知らなければ、何故カリフォルニアで排日運動が起こったかわからないと思うのだ。

ところで、ハワイの歌として誰でも知っている「アロハ・オエ」はハワイ王国最後の王であるリリウオカラニ女王が作詞・作曲したものである。
ハワイのことを調べるうちに、「アロハ・オエ」の原詩の邦訳を読みたくなった。
邦訳はWikipediaに出ている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%83%8F%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%A8

雨を白人勢力、花をハワイ民衆と考えれば、リリウオカラニ女王が愛する祖国を失う悲しみや無念に思う気持ち、ハワイの人びとを愛する思いや感謝の気持ちが自然と伝わってくる。(アロハ=愛する気持ち、オエ=あなた)

アロハオエ

雨が誇らしげに尾根を横切り
森の中を通り抜けていく
未だ開かぬ蕾を探しているかのように 山あいに咲くレフアの花よ

あなたにアロハ あなたにアロハ
木の陰に佇む心優しき人
去っていく前に
もう一度あなたを抱きしめよう
また会えるその時まで

懐かしく暖かい思い出が胸をよぎる
ついこの間のことのように
愛する人よ 我が愛しき人よ
真心は決して引き裂くことはできない

私はあなたの素晴らしさをよく知っている
マウナヴィリに静かに咲くバラの花
そこにいる啼かない鳥たち
そして木の陰にいる美しい人

あなたにアロハ あなたにアロハ
木の陰に佇む心優しき人
去っていく前に
もう一度あなたを抱きしめよう
また会えるその時まで
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京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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