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アメリカはいかにしてスペインからフィリピンを手に入れたか~GHQが封印した歴史6

前回まで2度に分けてアメリカによるハワイ王朝打倒の話を書いたが、ハワイ以降のアメリカによる19世紀末の太平洋進出を理論的に正当化した人物として、A.T.マハンという人物がいる。彼は『海上権力史論』という著書の中で、欧米史においてシーパワーがいかに重要であったかを論証したのだが、そのA.T.マハンが、1897年の米上院外交委員会の報告書で次のように記している。

200px-Alfred_thayer_mahan.jpg

「現下のハワイ紛争は、めざめつつある東洋文明の力と西洋文明の力との間の、きたるべき大闘争の前哨戦にすぎない。真の争点は『太平洋の鍵』を支配して優位を占めるのがアジアか、それともアメリカか、ということなのだ。」(勝岡寛次『抹殺された大東亜戦争』p.176所収)

前回、前々回のこのブログの記事を読んで頂ければわかると思うが、マハンがここで「アジア」と書いているのはわが国のことを指している。マハンのこの文章は、すでにこの時点で、アメリカが後に日本と相争うことを予見しているかの如くである。

マハンはこの報告で『太平洋の鍵』という表現を使っているが、どの場所を支配すれば太平洋の制海権を握ることができるかという意味であろう。もちろんハワイは重要な『鍵』であったが、他にもいくつかの『鍵』があり、フィリピンもその一つであったようで、アメリカはハワイに続いて、フィリピンをかなり強引に獲りにいっている。今回はそのフィリピンのことを書いてみたい。

Wikipediaを読むと、1521年ヨーロッパ人として最初にフィリピンを訪れたのは、世界一周で名高いポルトガル人のマゼランのようだが、マゼランは強引なキリスト教の布教が原因で原住民の反撃を受け、マクタン島の首長ラプ・ラプに攻撃されて戦死してしまっている。
人類初の世界一周の偉業は、正確にはマゼランが成し遂げたものではなく、マゼラン艦隊が成し遂げたものと言うことだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%BC%E3%83%A9%E3%83%B3

その後1565年にはスペイン人のミゲル・ロペス・デ・レガスピがセブ島を領有したのを皮切りに徐々に植民地の範囲を広げ、1571年にはマニラ市を含む諸島の大部分が征服されてスペインの領土となったとある。
しかし19世紀末にフィリピン原住民の民族的自覚が高まり、特に1887年にホセ・リサールが書いた小説『ノリ・メ・タンヘレ(我に触るな)』がスペイン圧政下に苦しむフィリピンの諸問題を告発したことが、民族運動に強く影響を与えたという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

200px-Jose_rizal_01.jpg

ホセ・リサールという人物は日本ではあまり知られていないが、医者でもあり、小説家、歴史家、芸術家としても知られ、語学は21か国語に通じた天才で、フィリピンではフィリピンの国父ともいうべき国民的英雄だそうだ。
彼の思想はスペインからの分離独立を志向するような過激なものではなく、フィリピン人の生活改善を願う改革者であったのだが、スペイン当局からは危険人物としてマークされ、当局から逃れるためにロンドンに向かう途中で、1888(明治21)の2月に日本にも立ち寄った。
日本には束の間の滞在のつもりであったのだが、すぐに彼は日本の魅力に取りつかれてしまい、出発を先延ばしにする。案内してくれた江戸旗本の武家の育ちであった臼井勢似子[おせいさん]にも魅了されて、東京や箱根など各地を精力的に見て回り40日以上も滞在したのだそうだ。
しかし世界各地にはフィリピンの独立のために戦う同志が待っている。断腸の思いで彼は日本を離れてヨーロッパに旅立つのだが、この時におせいさんに手渡した手紙にはこう書かれていたそうだ。

臼井勢似子

「日本は私を魅了してしまった。美しい風景と、花と、樹木と、そして平和で勇敢で愛嬌ある国民よ! おせいさんよ、さようなら、さようなら。・・・
思えば私はこの生活をあとにして、不安と未知に向かって旅立とうとしているのだ。この日本で、私にたやすく愛と尊敬の生活ができる道が申し出されているのに。
私の青春の思い出の最後の一章をあなたに捧げます。どんな女性も、あなたのように私を愛してはくれなかった。どの女性も、あなたのように献身的ではなかった。・・・
もうやめよう。みんなおしまいになってしまった。 さようなら。さようなら。」

その後リサールは、ヨーロッパにわたって執筆活動をしたのち、1892年に危険を冒してフィリピンに戻って「フィリピン同盟」を結成するのだが、その直後に逮捕されミンダナオ島に流刑されてしまう。
1896年にフィリピンの革命軍が武器を持って立ち上がり、革命軍の蜂起に慌てたフィリピン総督は、リサールを逮捕してマニラに連れ戻して裁判にかけた。彼は暴動の扇動容疑で銃殺刑を宣告され、マニラ湾の見える刑場でスペイン兵により銃殺され35歳の短い人生を終えたという。

リサール公園

彼が処刑された場所はリサール公園として整備され、処刑日の12月30日フィリピンの祝日とされて、毎年フィリピンの国父であるリサールを追悼する儀式が行われているのだそうだ。

リサールが処刑された前後から独立派内部の対立が激化し、リサールの処刑の翌年5月に親米派のアギナルドは親日派のボニファシオを捕えて処刑して全権を掌握し、山中の根拠地にフィリピン共和国臨時政府を樹立し、6月に「フィリピン共和国独立宣言」を発表したが、植民地軍はスペイン本国からの兵力補給により優勢に転じた。

150px-Aguinaldo.jpg

形勢不利と判断したアギナルドは簡単に「独立」を反故にして、スペインから80万ペソを受取ることを条件に和平協定を結び、自発的に香港に亡命してしまった。

ところが翌1898年に米西戦争が勃発し、フィリピンを支配しているスペインとアメリカとの戦いが始まった。
この戦争が勃発する前後に米大統領がフィリピンのことをどう述べているかは注目してよい。

245px-William_McKinley_by_Courtney_Art_Studio,_1896

マッキンレー大統領は1897年の教書ではこう述べている。
「(スペイン領土の)強制的併合などは、まったく思いもよらぬことだ。それは我々の道徳律に照らして、犯罪的侵略であろう。」
それがわずか二年後には次のように変わるのである。
「われわれのなすべき唯一のことは、フィリピン諸島をわがものとなし、フィリピン人を教育し、彼らを向上せしめ、文明化し、キリスト教化する…ことである。」 (ビーアド『アメリカ精神の歴史』)

1898年の米西戦争はアメリカの新型戦艦メイン号がキューバのハバナ港内で爆発・沈没し、将兵260名が死亡する事件が起こり、これをスペイン側の仕業と断定して「リメンバー・メイン(メイン号を忘れるな)」というスローガンで国民世論を対スペイン開戦論一色に染め上げることに成功し戦争に突入したのだが、今日ではメイン号を爆発させたのはスペインの機雷ではなかったという説が多数説となっており、原因が石炭の自然発火かアメリカの自作自演かのいずれかについて未だに結論が出ていない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3_(ACR-1)
アメリカが「リメンバー」と高らかに唱えて世論を動かし、戦争に突入する事例はアメリカの歴史では過去に何度かあるのだが、アメリカがこの「リメンバー」という言葉が唱えて戦争に入る時は、開戦に導くためのプロパガンダであった臭いがあり、アメリカの主張をそのまま鵜呑みにすることは危険であることは過去の歴史が証明しているように思う。
http://onoderakouichi-truth.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-a425.html

話をフィリピンに戻そう。この米西戦争はスペイン領であったフィリピンにも波及し、米海軍のデューイ提督はマニラ湾のスペイン艦隊を撃破した。提督はその後、香港に亡命していたアギナルドに「独立運動を支援する」という触れ込みで接近し、もともと親米傾向のあったアギナルドは「決してフィリピンをアメリカの植民地にはしない」という約束を信じて米軍艦で帰還し、対スペイン独立戦争を再開した。

ここから、いままで何度か紹介した勝岡寛次氏の著書を引用する。

「5月24日、米国の勧めで独裁政府を樹立したアギナルドは、国民に向かって次のようによびかけた。
『フィリピン国民よ。偉大なる北米合衆国は真正な自由の揺籃(ようらん)であり、…かれらは保護を宣してわれらに手を差伸べた。これは決意に満ちた行為である。米国は、フィリピン国民が不幸な祖国を自治する能力を持つ十分に開花した民族であると做すが故に、わが住民にたいし微塵の私欲も抱くはずがない。寛大なる北米合衆国がわれらに与えた高き評価を維持するために、われらは、この評価を低めうる一切の行為を嫌悪すべく心掛けねばならぬ。』(レナト・コンスタンティーノ『フィリピン民衆の歴史』Ⅱ)」

…かうして、フィリピン独立に対する米軍の支持を取り付けたと信じたアギナルドは、破竹の勢いで、スペイン勢力を駆逐し、翌1899年1月、第一次フィリピン共和国(マロロス共和国、大統領アギナルド)が誕生した。ここに独立が達成されたかに見えたが、何ぞ知らん、米国は前年12月のパリ条約でスペイン側と勝手に取り引きし、フィリピンを2千万ドルで買収・割譲せしめることに合意してゐたのであった。」(勝岡寛次『抹殺された大東亜戦争』p.184)

要するにアメリカはアギナルドを騙してスペインと戦わせ、スペインが敗れると安い価格でスペインからフィリピンを買い取った。そしてアメリカはフィリピン共和国の建国を認めず、今度は独立派を虐殺にかかる。

340px-Battle_of_Paceo.jpg

Wikipediaによると
「アメリカ合衆国からは8月14日に11,000人の地上部隊がフィリピンを占領するために送られた。アメリカ合衆国はフィリピン侵略のために残虐の限りを尽くし、反抗するフィリピン人60万人を虐殺した。 この時、フィリピン駐留アメリカ軍司令官となり、実質的なフィリピンの植民地総督となったのが、アーサー・マッカーサー・ジュニアである。(彼の三男がダグラス・マッカーサーである)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E6%AF%94%E6%88%A6%E4%BA%89

この米比戦争でどれだけのフィリピン人が虐殺されたかについては諸説があるようだが、抵抗するゲリラに味方したとして米軍が村々を焼き払い多くの農民を虐殺したことは事実であり、「フィラデルフィア・レジャ」紙は、米比戦争の二年間でルソン島住民の六分の一が殺されたと当時報道しており、これは約61万6000人にあたる数字なのだそうだ。

米比戦争

上の図はネットで見つけたものだが、当時ニューヨークジャーナルに掲載された風刺画で、フィリピン人を銃殺しようとするアメリカ兵が描かれている。アメリカ兵の背後に”KILL EVERY ONE OVER TEN(10歳以上の者は皆殺し)”と書かれているのが読める。

アメリカに欺かれたアギナルドは、首都マロロス陥落後は正規軍を解散してゲリラ戦を展開するも1901年に米軍に逮捕されると、アギナルドは態度を一変しアメリカへの忠誠を誓い、仲間に抵抗の中止を呼びかけたという。その後抵抗運動は次第に下火となり、1902年に鎮圧されてフィリピンはアメリカの植民地支配下に置かれることとなったのだ。
独立派はよく戦ったが、選んだリーダーを誤ってしまったようだ。

この間の経緯を述べた次の論文は史実からすれば当たり前ことを書いているにすぎないのだが、引用部分がすべてGHQの検閲により削除されてしまっている。(木村毅「マッカーサー元帥」昭和21年1月『キング』第22巻第1号)
「私は實は、米西戰爭から引き続いての米比戰争は、アメリカ史の汚点だと思って、心からこれを惜しんでいる。…ヒリッピンに獨立を約束して、スペインに叛(そむ)かせ、後でその約束を踏みにじったのだけは、辨解(べんかい)の餘地(よち)がないだろう。」(勝岡寛次『抹殺された大東亜戦争』p.185所収)

終戦直後のアメリカにとっては、今後日本が二度とアメリカに歯向かう事がないようにしたかったのは当然のことで、アメリカに騙されたり裏切られたりした国の歴史を日本人に知られてはまずいとの判断から、そのような記述を封印したということはわからないでもない。

しかし、終戦後66年以上が過ぎてもこのような歴史が日本人に知らされない状況が続いていることおかしなことだと思う。手元にある「山川の日本史」にはハワイのこともフィリピンのことも全く何も書かれていないのだ。
このような歴史を知らずして、どうして明治の日本人が軍事力強化を急いだかを正しく理解できようか。ハワイもフィリピンもアメリカに酷いやり方で侵略された事実があり、他の欧米列強各国も世界を侵略していた事実があるからこそ、わが国が自国を守るために富国強兵政策をとったのではないのか。

このブログで何度も書いていることだが、どこの国でもいつの時代も、歴史は勝者にとって都合の良いように書き換えられるものである。
我々が今まで学び、マスコミや出版物などで接してきた歴史はほとんどが、第二次世界大戦の勝者にとって都合の良い歴史であることを知るべきだと思う。

真実は、彼らが日本人に広めようとした歴史と、封印した歴史の双方をバランス良く学び、その違いを知ることによって少しずつ見えてくるのではないかと考えている。
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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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