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秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか~~朝鮮出兵1

秀吉の朝鮮出兵については、晩年の秀吉は征服欲が嵩じて意味のない戦いをしてしまったようなニュアンスで学んだような記憶がある。歴史家も秀吉の誇大妄想と記述しているケースが多いようだ。

朝鮮出兵

最近の高校教科書で確認してみよう。例えば『もう一度読む山川日本史』には朝鮮出兵についてこう書かれている。
「秀吉はまた外交の面でも積極的で、倭寇などの海賊的な行為を禁じるとともに、日本人の海外発展を援助したので、日本船の東南アジア方面への進出が盛んになった。秀吉はさらに明(中国)の征服をくわだて、まず朝鮮に対して国王の入貢と明への先導をもとめた。しかし朝鮮がこれに応じなかったので、秀吉は2度にわたって出兵をおこない、明の援軍や、朝鮮民衆のはげしい抵抗にあって苦戦を強いられた(文禄・慶長の役)。1598(慶長3年)年、秀吉の死によって全軍は撤兵したが、朝鮮出兵とその失敗は、明・朝鮮両国の反日感情をつのらせたほか、国内的にも豊臣政権がくずれる原因の一つになった。」(『もう一度読む山川日本史』山川出版社P147)

今年の2月にこのブログで秀吉が伴天連禁止令を出した背景について書いたことがある。 当時の秀吉はポルトガルやスペインがキリスト教を布教させて住民を手なずけた後に日本を武力で侵略する意図を見抜いており、その流れを止めるために伴天連禁止令を出したことを、当時の記録などを参考にして記事を3回に分けて書いたのだが、そんな炯眼を持つ秀吉が、自らの征服欲のために朝鮮出兵を行ったとする説に違和感を覚えて、自分でいろいろ調べてみた。

スペインは1571年にフィリピンを征服し、直ちに明国(中国)の征服計画に着手している。 織田信長が本能寺の変で明智光秀に殺された翌年の1583年にマニラ司教のサラサールがスペイン国王に送った書簡(6月18日付)には
「…シナの統治者たちが福音の宣布を妨害しているので、これが陛下が武装して、シナに攻め入ることの正当な理由になる…。
そしてこのこと(シナの征服)を一層容易に運ぶためには、シナのすぐ近くの国の日本人がシナ人のこの上なき仇敵であって、スペイン人がシナに攻め入る時には、すすんでこれに加わるであろう、ということを陛下が了解されると良い。そしてこの効果を上げる為の最良の方法は、陛下がイエズス会総会長に命じて、日本人に対し、必ず在日イエズス会士の命令に従って行動を起こすように、との指示を与えるよう、在日イエズス会修道士に指令を送らせることである。…」(高瀬弘一郎『キリシタン時代の研究』岩波書店p.85-88)

と書かれており、
その二年後にイエズス会日本準管区長ガスパル・コエリョも、フィリピン・イエズス会の布教長への書簡で、日本への軍隊派遣を求めるとともに「…もしも国王陛下の援助で日本66ヶ国凡てが改宗するに至れば、フェリペ国王は日本人のように好戦的で頭の良い兵隊を得て、一層容易にシナを征服することが出来るであろう…」(1585年3月3日付)とあり、キリスト教の布教がスペインの侵略政策と密接に関係し、スペインが中国の征服を狙っていたことは明確なのだ。

当時の情勢からすれば、スペインは日本よりも明から攻める方が容易であっただろう。
もしスペインが明を征服すれば、朝鮮半島も同時にスペインの支配下に落ちただろう。スペインに朝鮮半島から攻められればわが国も相当な犠牲が避けられないはずだ。

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イエズス会日本準管区長のコエリョがスペインに軍隊派遣を要請した直後の1585年5月4日に、秀吉はコエリョと会っている。ムルドック「日本史」にはこう記されている。
「秀吉はコエルホ(コエリョ)に語りて曰く、予が日本全国を平定するの日は近きにあり。この上は…親から(みずから)進んで、朝鮮、支那の征服に従事する筈ぢゃ。今や大兵輸送の為めに、戦艦二千艙を造る可く、樹木伐採の命を布かんとする所である。予は師父等に、何等の註文なし、但だ彼等の力によりて、葡萄牙(ポルトガル)より二個の巨大にして、武装したる船を獲来る丈の事のみだ。…若し成功して、支那人悉く皆予に恭順せんか、予は支那人より支那を奪うを欲せず、又た予自ら支那にあるを欲せず。予は唯だ支那人をして、予を其の君主と認めしむるを以て、足れりとするのみ。然る時には、其の全土に教会堂を建てしめ、総ての人民に令して、邪蘇教徒たらしめ、聖律に遵由せしむ可し。」(徳富蘇峰『近世日本国民史』)

秀吉は、コエリョの計画を逆手に取って自らの手で明を征服すべく、中国でのキリスト教の布教を認める代わりに軍艦を手に入れて、逆に彼等を利用しようとしたのだ。

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さらに秀吉は朝鮮出兵の前年である天正19年(1591)に、ゴアのインド副王(ポルトガル)とマニラのフィリピン総督(スペイン)にも降伏勧告状を突き付けて、応じなければ明征服のついでに征服するから後で後悔するな、と恫喝している。

このような降伏勧告状を突き付けても、スペインは日本には攻めて来なかった。
今年の1月にこのブログに書いたが、鉄砲の大量生産に成功した日本は世界に輸出し16世紀末には世界最大の鉄砲保有国になっていたし、当時の英国の鉄砲保有数は肥前国の保有数の3分の2程度にすぎなかった。それほど日本の鉄砲保有台数は多かった。
鉄砲だけではなく刀も鎧も日本の物の方が優っていた。ヨーロッパの剣も鉄砲の銃身も日本の刀剣で真っ二つに切り割かれる程度のものだった。
さらに日本の武士の数は、人口の7%から10%近くもいたが、ヨーロッパはどの国も人口の1%を超えなかったと言われている。
正面から攻めるやり方では、スペインは日本に勝てるはずがなかったのだ。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-5.html

また、秀吉は李氏朝鮮軍も明軍も決して強くないことが分かっていた。スペインが先に攻撃を仕掛ければ、明も李氏朝鮮も簡単に征服されてしまうだろう。ならば、スペインに先んじてわが国から明を攻めて、支配下に置こうと考えたのではないか。

『明史』にはこう書かれている。
「秀吉は…年号を文禄と改め(1592年)、そのころから中国を侵略し、朝鮮を滅ぼして併合しようという野心を抱くようになった。そこで以前の汪直(倭寇の頭目)の残党を呼んで情報を集めた結果、唐人が倭人を虎のように恐れていることを知り、…着々と軍備を整え、艦船を修理し、家臣と謀略を練り、中国の北京に侵入するには朝鮮人を案内者とし、浙・閩等沿海地方の郡県に侵入するには中国人を案内役にするのがよかろうということになった。…」(『倭国伝』講談社学術文庫p.432)

前回までに記した通り、倭寇のメンバーの大半が李氏朝鮮や明国の民衆であり、もし明国を征伐したとしても協力する朝鮮・明国の勢力があったことを中国の正史である『明史』に書かれているのだ。

文禄の役ルート

秀吉軍は文禄元年(1592)4月13日に釜山(プサン)攻撃開始後僅か20日の5月3日に首都漢城(現在のソウル)を陥落させているのだが、500km近いプサンからソウルの距離*をこんなにはやく進軍できたのは、相手の抵抗があまりなかったからではないのか。この時に日本軍兵士の半分は朝鮮の民であったという記録があり、多くの朝鮮民衆が秀吉軍に加勢したのである。この話を書きだすと長くなるので、別の機会に書くことにしよう。(*東海道五十三次の約500kmは旅人が通常15日程度で旅をしていたと言われている。)

秀吉の第一回目の朝鮮出兵の後に文禄五年(1596)土佐沖で起きた有名な事件がある。
300人近い黒人奴隷を満載しメキシコに移送中であったスペイン船サン・フェリペ号が座礁してしまった。秀吉は家臣の増田長盛を派遣して、積荷一切を没収しようとしたが、それに抵抗しようとしたサン・フェリペ号の水先案内人が増田の前に世界地図を広げ欧州、南北アメリカ、フィリピンに跨るスペインの領土を示し、何故スペインがかくも広大な領土を持つにいたったかと増田の問いに対し、その水先案内人は「それはまず、宣教師を諸国に派遣し、その民を教化し、而して後その信徒を内応せしめ、兵力をもってこれを併呑するにあり」と答えたと徳富蘇峰が書いているが、実際にそのようなやりとりがあったかどうかは日本側の記録には見当たらない。

200px-AlessandroValignano.jpg

しかし、同様の発言があっても不自然ではない史料はイエズス会側に残されている。 日本にいたイエズス会のヴァリヤーニは翌年にイエズス会フィリピン準管区長ライムンド・プラドに宛てて、
「(日本などの)地域の王や領主はすべてフィリピンのスペイン人に対して深い疑惑を抱いており、次のことを知っているからである。即ち、彼等は征服者であって、ペルー、ヌエバ・エスパーニャを奪取し、また近年フィリピンを征服し、日々付近の地方を征服しつつあり、しかもシナと日本の征服を望んでいる。…何年か前にボルネオに対し、また二年前にカンボジャに対して攻撃を加えた。少し前に彼等はモルッカ諸島を征服するための大艦隊を有していた。…日本人やシナ人も、それを実行しているスペイン人と同様にその凡てを知っている。なぜなら毎年日本人やシナ人の船がマニラを行き来しており、見聞したことを語っているからである。このようなわけで、これらの国民は皆非常に疑い深くなっており、同じ理由から、フィリピンより自国に渡来する修道士に対しても疑惑を抱き、修道士はスペイン兵を導入するための間者として渡来していると思っている。…」と書いている。(高瀬弘一郎『キリシタン時代の研究』岩波書店p.132-133)

秀吉はスペインの日本征服の魂胆を見抜き、修道士はその為に送り込まれたスパイだと認識していることをヴァリヤーニはプラドに警告しているわけである。この書簡から、秀吉は倭寇のメンバーからも情報を収集していることが伺える。

これらの一連の流れから考えれば、秀吉は単なる征服欲で明国に出兵したという教科書の記述は、当時の時代背景を理解していない浅薄な見方としか思えないのだ。

秀吉は当時のスペインの明征服計画が存在することを知っていたことは確実だ。
もし明がスペインに征服されれば、朝鮮半島をスペインが支配することは時間の問題であり、そうなればスペインは朝鮮半島から最短距離でわが国を攻めてくることになってしまう。大量の食糧や武器弾薬をつぎ込んで大軍団でわが国を攻めてきた場合、一部の切支丹大名が離反することが想定されるので、そうなればわが国は分裂して、元寇のときよりもはるかに大きな危機に陥ると考えていたのではないか。
そうならないために秀吉は、スペインの先手を打つことで明・李氏朝鮮を傘下に治めてわが国を西洋植民地化されることから守ろうとした、と考える方がずっと自然だと思うのだ。

晩年の秀吉が教科書などでロクな書かれ方をしないのは、当時の世界史の大きな流れの中で秀吉の朝鮮出兵や伴天連禁止令を考えないからではないのか。
(つづく)
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平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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