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「ドイツと日本を暴走させよ」と命じたスターリンの意図

国会図書館所蔵の興亜院政務部・コミンテルン関係一括資料の中に、入手経路が不明なるが故に怪文書とされているものがある。偽書なのか本物なのかは今となっては判断できないのだろうが、そこに書かれていることは極めて重大なことである。
入手ルートは秘匿されても、国会図書館に所蔵されていることは、当時としては信頼できる筋から入手したものなのだろう。
そこに書かれているのは、昭和10年(1935)の第7回コミンテルン大会におけるスターリン演説で、重要な部分は次の部分である。

スターリン

「ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国に向けさせよ。そして戦力を消耗したドイツと日本の前には米国を参戦させて立ちはだからせよ。日・独の敗北は必至である。そこでドイツと日本が荒らし回った地域、つまり日独砕氷船が割って歩いた跡と、疲弊した日独両国をそっくり共産陣営に頂くのだ。」

有名な『砕氷船のテーゼ』と呼ばれているものだが、この内容は、前回書いたレーニンの「敗戦革命論」や尾崎秀実の手記や近衛文麿の上奏文の内容とも符合し、かつ歴史的経過から見ても納得できる内容である。
第二次世界大戦において、日本とドイツが砕氷船の役割を演じさせられて、日独の砕氷船が沈没した後に、ソ連と毛沢東の中国と米国の三社がうまく分け前を取り合った。日本を砕氷船に仕立てるために多大の貢献をしたのが、ゾルゲや尾崎秀実であるということになる。
今では、全てわが国とナチス・ドイツが悪者にされてしまったまま歴史が固定化されようとしているのだが、実際はほとんどがコミンテルンによる仕掛けで行われたものではなかったのか。

スターリンの演説の内、最後の一行に書かれている我が国の共産化だけは実現しなかったが、その要因は前々回に書いた通り、米軍による広島・長崎の原爆投下とソ連の対日参戦の直後に、昭和天皇のご聖断で終戦に導いたことが大きいのだと思う。あの時の天皇陛下のご聖断がなければ、樺太や千島以外の国土が、スターリン演説のとおり共産化していた可能性が高かったと思うのだ。

では、このスターリンの演説が行われたという第7回コミンテルン大会はどのような大会であったのか。

communist-rally.jpg

ネットで調べると、『近代デジタルライブラリー』に決議内容が書かれた文書があるが、ここには先ほどの『砕氷船のテーゼ』に関わる内容については非公開の決議ゆえに記されていないのはやむを得ない。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460513/4

故・倉前盛通氏の著書でベストセラーとなった『悪の論理』にはこう書かれている。

悪の論理

「昭和十年に、モスクワで第7回コミンテルン大会が開かれ、全世界の共産党が集まって、直面する重大問題『日本とナチス・ドイツによって、ソ連が挟み撃ちされる危機を、いかにして防止するか』というテーマを討議し、そこで再びレーニン地政学の『砕氷船テーゼ』がとりあげられたという。
 この第7回コミンテルン大会の表面上のテーゼは『人民戦線の結成』であり、そのように公表されたが、それはあくまでも表のテーゼであり、裏の本当のテーゼは非公開の『砕氷船テーゼ』であるということは、昭和十年代に、心ある人が警告していたことであった。
 しかし、コミンテルンの表面上のテーゼとして『共産主義者は自由主義者と連携して人民戦線を結成し、反ファッショ、反戦の運動を展開しよう』と大々的に宣伝され、一部の進歩的人士がそれに同調する動きを示すような情勢下では、『コミンテルンの本当の狙いは日中を長期戦にひきずりこむことにあるのだ。蒋介石相手の長期戦は国力を消耗するだけであり、ただちに終結せしめるべきだ』という正論は全く世間から相手にされなかった。
 そればかりか、新聞が書きたてる『蒋介石討つべし』との強硬論(これを最も強く主張したのは朝日新聞であった)に煽られた民衆の白眼視を買ったばかりではなく、頭に血の昇った軍部からは、『米英の第五列、人民戦線のスパイ、反戦反軍通敵行為』という名で、弾圧の対象にされた。憲兵隊は、こういう正論をことごとくつぶしてしまったのである。
 まことに、人民戦線テーゼは、軍部の目をあざむく『おとり作戦』であった。本当のソ連のエージェントは、右翼や愛国主義者の仮面をかぶり、軍部に接近して、対支強硬論を煽っていたのである。その代表人物が尾崎秀実であった。彼は近衛文麿の秘書にまでなって、国家の中枢部に食い込んでいたのである。」(角川文庫『悪の論理』p.62-63)

尾崎秀実は昭和12年7月に朝日新聞を退社しているが、それまでは『蒋介石討つべし』の論陣を張って日中戦争に持ち込む世論誘導をしていたのであろう。
尾崎が朝日新聞社を退社する前月の昭和12年6月4日に第一次近衛文麿内閣が成立し、尾崎は翌月に近衛内閣の嘱託になっている。そして、盧溝橋事件が起きたのはその間の7月7日である。

盧溝橋事件記事

この事件から日中戦争が始まり、ドロ沼化していくことになるのだが、盧溝橋事件とはどんな事件であったかを振り返っておこう。

『もう一度読む山川の日本史』では「1937年7月7~8日、北京郊外で日本軍と中国軍の武力衝突が起こった(盧溝橋事件)。」とわずか1行で書かれているだけだが、この表現では両軍とも一触即発の状況であったと錯覚してしまう。

実はこの時の日本軍は「丸腰」(演習の為、実弾を携行していなかった)であり、日本側には戦う意思などは毛頭なかった。
橋本群・陸軍中将(駐屯軍参謀長)は当時の状況を、「実弾を持たずに発砲された為、応戦出来ず、非常に危険な状況に置かれた」と証言しており、日本側は何者かに仕掛けられたのである。

では、どこが仕掛けたのか。
実はこの時に、国民党軍も、日本軍同様、銃撃を受けている。

盧溝橋で銃撃を受けた日本軍は国民党軍によるものと思い込み、反対に国民党軍は日本軍によって銃撃を受けたものと思い込んで、この事件が発端となって、日本軍と国民党軍は交戦状態に突入したのだが、双方共、腑に落ちない点があり、事件発生後5日目に、日支両軍は停戦協定を結んでいる。つまり、日本軍は中国との全面戦争を、最初から欲してはいなかったのである。

誰がこの戦いを仕掛け、拡大させたのか。その答えは中国共産党であったことがわかっている。

周恩来

昭和24年(1949) 10月1日、「中華人民共和国」成立のその日、周恩来首相が、「あの時(盧溝橋事件の際)、我々の軍隊(共産党軍)が、日本軍・国民党軍双方に、(夜陰に乗じて)発砲し、日華両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、我々(共産党)に今日の栄光をもたらしたのだ」と発言していることから明らかな事であり、中国共産党軍の兵士パンフレットにも「盧溝橋事件は我が優秀なる劉少奇同志(後の国家主席)の指示によって行われたものである」と書かれているというから、中国共産党が謀ったことは疑いようのない事なのだ。
http://www.teikoku-denmo.jp/history/honbun/rokokyo.html

では、日中間で一旦停戦協定を結んだにもかかわらず、なぜ争いが拡大していったのか。

Wikipediaには、中国共産党が事件拡大にどう関わったかが詳しく書かれている。
「7月8日、全国に通電して、局地解決反対を呼びかけ、7月9日、宣伝工作を積極化し、各種抗日団体を組織すること、必要あれば抗日義勇軍を組織し、場合によっては直接日本と衝突することを、各級党部に指令した。…11日の周恩来・蒋介石会議で、周恩来は抗日全面戦争の必要を強調した。そして国民政府が抗日を決意し、民主政府の組織、統一綱領を決定すれば、共産党は抗日の第一線に進出することを約束した。7月13日、毛沢東・朱徳の名で国民政府に即時開戦を迫り…」などと、中国側に戦争を終結させる意思はどこにもない。

蒋介石抗戦記事

停戦協定は中国によって何度も破られて、19日に蒋介石は抗戦の覚悟を公式に明らかにした以降、25日の郎坊事件、26日の広安門事件を経て、28日には北支における日中両軍の全面衝突が開始してしまう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%A7%E6%BA%9D%E6%A9%8B%E4%BA%8B%E4%BB%B6

我が国はこの中国の謀略に気付いていなかったのではなかったようだ。
前掲の倉前氏の書物にはこう書かれている。
「…巧妙な挑発に成功した劉少奇が、この旨を延安へ秘密の電波で通報したところを、千葉県の大和田にあった海軍通信所がキャッチして暗号を解読し、『これはおかしい。今回の事件は謀略だ』と海軍側は考えたと言われる。しかし、何分にも、陸軍の主流は、『支那大陸の支配』を夢見るグループによって握られており、中国内部も、国共合作による対日抗戦を決定している状況下では、いくら、良識ある政治家や軍人が、事変の不拡大に努力しても無駄であった。その上、米ソ両国の筋も、日本のマスコミに潜入していたコミンテルン筋も、日中戦乱の拡大を歓迎して、裏面で『戦火の拡大』を煽ったのであるから、とても戦乱を止めることができなかったのであろう。」(同上書 p.65-66)

それにしてもソ連とは恐ろしい国である。第7回のコミンテルン大会で、日本、ドイツ、イタリアを最も危険な戦争扇動者として、反ファシスト人民戦線の形成を各国共産党に指令しておきながら、ドイツとは1939年に独ソ不可侵条約を締結し、日本とは1941年に日ソ中立条約を締結している。
そして日本を支那とアメリカ・イギリス、ドイツをイギリス・フランスと戦わせて、漁夫の利を占める戦略を立てて、ドイツ・日本の敗戦が近いと分かった時点で、条約を破棄してそれぞれ宣戦布告している。
これは『砕氷船のテーゼ』のシナリオ通りで、初めからそうするつもりであったと考えるしかないのだ。

倉前氏は盧溝橋事件をこう纏めている。
「日本と中華民国との全面武力衝突は、米国もソ連も大いに歓迎するところであったし、日本の本物の左翼も、中国共産党も大歓迎であった。巧妙なワナにはまったとも悟らず、暴走したのは愚かな日本の軍部と何も知らぬ日本人大衆だけだったわけである。」(同上書 p.64)

私は、コミンテルンを知らずして20世紀の歴史は語れないと考えるようになったのだが、このような史実に言及している論文や著書は極めて少なく、こういう史実を語ることが、未だにマスコミや歴史学会ではタブーになっているかのごとくである。
少なくとも、盧溝橋事件については中国共産党が、自らがやったことを表明しているのであるから、せめて教科書には「中国共産党の謀略により」と、堂々と書いて欲しいものである。

現在のように、諸外国の圧力を怖れるあまりに自国の歴史記述を歪めるような行為を続けることは、わが国に対しては嘘の歴史であっても何度も繰り返し圧力をかけておけば、いずれはその嘘が認められて我が国の教科書にも載るようになるとの誤ったメッセージを諸外国に発することになってしまう。

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我が国の立場と異なる歴史を広めることによって、いままでどれだけ多くの国益が失われてきただろうか。嘘の歴史記述を押し付けてくるような国に対しては、政治家はもっと毅然とした態度をとって欲しいし、有権者はそういう政治家を選ばなければ国が危うくなるばかりである。
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