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太平洋戦争緒戦の日本軍の強さは米英軍の予想をはるかに超えていた

前回まで2回に分けて日米開戦の経緯について書いた。
真珠湾攻撃のことはあまり書かなかったが、アメリカ側は、戦艦8隻の内5隻が沈没され3隻が損傷により航行不能となったほか、航空機188機が破壊されて、戦死者が2345名など米軍の被害はかなり大きかった。一方日本軍の損害は、航空機29機、戦死者55名と少なく、日本軍の奇襲は大成功に終わっている。

アメリカは目論見通りに挑発によって日本軍に真珠湾を奇襲させたのだが、ここまで損害がでることは予想していなかったはずだ。
というのは、既にドイツとイギリスとの戦争は始まって約2年も経過しておりながら、ドイツ空軍はイギリス海軍に対して、有効な打撃を与えていなかったからだ。
ドイツの潜水艦は主に通商破壊のために商船を攻撃することを主任務としていたこともあるが、当時の魚雷は、海中から発射しても、厚さが数十センチもある戦艦の甲板の鋼板を貫くことは出来ず、戦艦を撃沈することはできなかった。
また上空から爆弾を落とす場合も、時速25ノット(時速約50km近い)で進む戦艦に命中させることは極めて困難であり、命中精度を上げようと低空から爆弾を落とそうとすると、戦艦の対空火砲によって撃ち落される可能性が高く、運よく撃ち落されずかつ爆弾が命中したとしても、加速度がついていないから甲板を貫くことができない。
そのような理由からドイツ空軍は、イギリスの戦艦に手も足も出なかったことが、以前紹介した倉前盛通氏の『悪の論理』に書かれている。

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上の画像は真珠湾攻撃前の2か月ほど前のものだが、真珠湾は湾の入り口が狭く、真ん中に島がある湖のような地形になっている。湾の深さは12メートル程度と浅く、この場所では雷撃機から魚雷を投下しても真珠湾の海底に魚雷の頭が突っ込んでしまうし、それを避けようと低空に降下してから魚雷を投下しようとすれば、ドーナツ状の湾内で投下しなければならないのだから相当戦艦に接近しなければならず、戦艦の対空火砲の餌食となりに行くようなものだ。
だから、もしドイツの空軍が同じ条件で真珠湾を奇襲しても魚雷は使えず、とても日本軍ほどの戦果を上げることはできなかったことは確実なのだ。
アメリカも、日本軍に奇襲をさせたところで、すべての戦艦が使えなくなるほどの被害が出ることは全く想定していなかっただろう。

ではなぜ、日本軍は真珠湾でこれだけの戦果を挙げることができたのだろうか。
倉前氏の『悪の論理』の説明がわかりやすいので、しばらく引用する。

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「真珠湾に並んでいた米主力艦が何故、あのように、脆くも沈んだのか。それは日本の海軍機の爆弾が戦艦の主砲弾を改造して爆弾につくり変えていたからである。強力な装甲板を突き破る目的でつくられた戦艦の口径、三十六センチもしくは四十センチ砲弾を改造した、硬い弾頭をもった爆弾が急降下攻撃によって、絶対貫けないと思われていた米戦艦の装甲甲板をつき抜いたのである。ドイツ空軍も考えなかったアイデアであった。

また、真珠湾は水深が浅いため、雷撃機から魚雷を投下しても、いったん魚雷が深く沈んでから前進するので、真珠湾の海底に魚雷が頭を突っ込んでしまう。それゆえ、真珠湾に入っている艦船は、敵の飛行機から魚雷攻撃を喰らう心配はないと考えられていた。

ルーズベルトも、米海軍も、このような前提のもとでことを考えていたのである。だからこそ、11月26日、ハル・ノートという最後通牒を日本に突きつけ、11月27日には前線指揮官に戦争開始の指示を与えておきながら、それから2週間もすぎているのに、のうのうと真珠湾に全艦隊が入港して休息していた。これは、よほど油断していたのか、日本をおびき寄せるオトリに使うつもりであったのか。いずれにせよ、たとえ、日本の航空艦隊の襲撃をうけても、かすり傷ですむとタカをくくっていたことを意味する。

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だが、爆弾ばかりではなく、日本は魚雷にも新しいアイデアをこらしていた。雷撃機から投下した魚雷が、深く沈まないように、翼のようなものを魚雷につけていたのである。しかも魚雷の威力は、ドイツが『涎』を流して欲しがり、ドイツ自慢のUボートとの交換を申し入れてきたほどのもので、米英海軍の魚雷とはケタ違いであった。それゆえ、戦艦の舷側に張られている、幾層もの強力無比な防御壁を一撃で粉砕し、あたりどころがよければ、一発で戦艦が二つに折れるほどの威力であった。

それにくらべ、米国の方は、開戦後まもなく、米潜水艦が当時軍事輸送に使われていた図南丸に魚雷攻撃を加えた時、六発命中させたが、一発も爆発しなかった。驚いた艦長はすぐに基地に帰り、こんな魚雷では戦争はできないと文句を言ったという。米国は大あわてで魚雷の全面改良をおこない、それに一年以上の時間をついやしたといわれている。」(倉前盛通『悪の論理』p.96-98)

この時代の魚雷は、雷撃機から投下すると一旦水深60m程度まで沈み、それから浮上し前進していくものだったそうだが、日本軍は短期間の間にそれを改良し、投下後水深10メートル以内で浮上する魚雷を開発したのだそうだ。

前々回のこのブログの記事で、真珠湾攻撃のニュースを聞いて、英国のチャーチル首相がこれによってアメリカが参戦し、イギリスの勝利を確信して喜んでいる旨の文章を書いていることを紹介した。しかしながら、真珠湾攻撃の2日後にイギリス軍の自慢の戦艦が日本軍と、マレー沖で戦うことになる。再び倉前氏の著書を引用する。

「チャーチルにも、喜びに満ちて安眠したあととすぐ、顔面蒼白になる悲報が届いた。ハル・ノートが突きつけられた後、行動を開始した日本の大輸送船団数十隻を、南シナ海の洋上で全滅させる目的で、シンガポールにいた英国自慢の不沈戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』と、もう一隻の戦艦『レパルス』の二隻および随伴の駆逐艦は、戦闘機の護衛もつけずに北上した。そして12月10日、ベトナムのフコク諸島から発信した日本の海軍航空隊から攻撃をうけた。英国海軍首脳は、ドイツ空軍でさえ、手の出せない英国不沈戦艦に、日本空軍が何ができるものかという思い上がりがあった。

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ところが、80機の日本海軍の投下する爆弾と魚雷によって、『プリンス・オブ・ウェールズ』と『レパルス』の二隻はたちまち撃沈され、日本側は三機を失ったのみであった。

チャーチルは驚愕して議会に駆け込み、不沈戦艦がいまや不沈でなくなったことを報告して泣いた。シンガポールにいた英国海軍将校など、ショックのあまり失心する者まで出たと言われている。

かくして、開戦後わずか3日でアメリカ太平洋艦隊とイギリス極東艦隊は全滅し、それ以後、約2年間、西太平洋と東インド洋の制海権は日本の掌中に帰した。」(同上書p.99-100) このように、日本軍はきわめて幸先の良いスタートを切ることができたのである。

ゼロ戦

この日本の快進撃がアメリカにとっていかに「想定外」の出来事であったことは、その直後のアメリカの動きを見ればわかる。

日本海軍は太平洋のアメリカ西海岸で潜水艦による通商破壊作戦を実施し、アメリカ西海岸沿岸を航行中のアメリカのタンカーや貨物船を10隻以上撃沈していた。
アメリカでは1942年の初頭にかけて日本軍によるアメリカ本土への上陸の可能性が高いと考えられるようになり、アメリカ西海岸の主要な港湾においては、機雷の敷設が行われたり、他の都市でも爆撃を怖れ、防空壕を作ったという。

そのような厳戒態勢下にあったにもかかわらず、1942年2月24日未明に日本軍はカリフォルニア州サンタバーバラの石油製油所を潜水艦による砲撃作戦を成功させるのだが、翌25日深夜にカリフォルニア州ロサンゼルスで面白い事件が起こっている。

日本海軍の艦載機による空襲を信じたアメリカ陸軍が対空砲火を中心とした迎撃戦を展開し、その模様はラジオ中継されアメリカ西海岸をパニック状態に陥れた(ロサンゼルスの戦い)というのだが、日本軍が空襲を行った記録はどこにもなく、真相はいまだに不明で、アメリカではUFOが飛来したのではないかと真面目に議論されているという。

この事件で米軍は同士討ちで6名を失ったというのだが、それほど日本軍の快進撃はアメリカ人を恐怖に陥れていたのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

最近になって知ったことだが、植村峻氏の『お札の文化史』という本に、アメリカはこの真珠湾攻撃の大敗北のあと、ハワイだけで通用する紙幣を刷りはじめたことが書かれているという。これは、ハワイ8島を放棄せざるを得ない局面もあり得ると考えてのことだと言われているが、アメリカ人はそれほど日本軍の快進撃にショックを受けながら、そしてハワイ陥落という最悪の事態をも想定していたというのだから、実にアメリカ人は抜け目のない人種である。その点は、最悪の事態を「想定外」として思考停止するどこかの国の人々は見習わなければならないと思う。
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4871883167/ref=dp_db_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1

トインビー

イギリスの歴史学者であるアーノルド・J・トインビーは、毎日新聞1968年3月22日付にてこう述べている。
「英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈された事は、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた、永続的な重要性を持つ出来事でもあった。何故なら、1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。1941年、日本は全ての非西洋国民に対し、西洋は無敵でない事を決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のヴェトナムに明らかである。」

太平洋戦争でわが国は敗れたが、緒戦とはいえ日本軍が米英軍を相手に圧倒的な勝利を得たことが、当時白人に支配されていたアジア・アフリカ諸国に、白人が無敵でない事を示したことは大きかった。
原材料に乏しいわが国が戦いに勝ち続けることはできなかったが、この戦争の後に、これらの諸国が次々と独立し白人の支配から解放されていくことになる。
もし日本がハル・ノートを受け容れて対米戦争を回避していたら、現在のような人種平等の世界が来ることはなかったであろう。そうすればわが国も、その後白人の支配下に置かれていたとしてもおかしくなかった。あの戦争の前の非西洋諸国は、日本とタイとエチオピアを除いたすべてが西洋の植民地であったことを忘れてはいけない。

西洋諸国は300年以上の長きにわたり支配してきたアジア・アフリカの植民地のほとんどを第二次世界大戦の後で失った。その意味で、我が国が戦争の目的とした「東亜諸民族の解放」は実現したという主張をすることも可能だが、終戦後に独立した国の多くは共産国となったので、終戦後実質的に勢力を伸ばしたのはソ連ではなかったかと思うのだ。ひょっとすると、「東亜諸民族の解放」というスローガンも、共産主義者から吹き込まれたものではなかったのだろうか。資源のない我が国が他国の白人支配からの解放を手助けする余裕があったとは思えないのだ。

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このブログで何度かスターリンの『砕氷船のテーゼ』を紹介したが、もう一度、昭和10年(1935)の第7回コミンテルン大会におけるスターリン演説を引用しておきたい。

スターリン

「ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国に向けさせよ。そして戦力を消耗したドイツと日本の前には米国を参戦させて立ちはだからせよ。日・独の敗北は必至である。そこでドイツと日本が荒らし回った地域、つまり日独砕氷船が割って歩いた跡と、疲弊した日独両国をそっくり共産陣営に頂くのだ。」

先進国同士を戦わせて消耗させ、最後に参戦して漁夫の利を得るスターリンの戦略は、世界に根を張っていた工作員や協力者によって、主要国でほとんどそのテーゼの通りに実行されていたのではないか。
アメリカは、言わば共産主義の脅威を作り出すために参戦したようなもので、つまるところスターリンの手の内で動いていたのではなかったか。ルーズベルト政権の中枢やその周りには500人以上のコミンテルンのスパイや協力者がいたことがわかっているのだ。
イギリスも、ナチの徹底的破壊を志向したために、結局はソ連の東欧進出を許したばかりか、植民地の全てを失って二流国に転落した。これもスターリンの戦略通りであったのではなかったか。
ルーズベルトもチャーチルも謀略家ではあったが、スターリンの方がはるかに上であったと思うのだ。

では、何故わが国は共産国化を免れることができたのであろうか。
これには、いろんな理由が考えられるのだが、以前にも書いたように、昭和天皇が、広島・長崎に原爆が投下されソ連が我が国への侵攻を開始した極めて適切なタイミングで終戦のご聖断を下されたことが大きかった。もしこの御聖断がなければ誰もこの戦争を止めることが出来ず、アメリカとの本土決戦となれば米軍もソ連軍の協力を要請していた可能性が高いと思われる。
もしそうなっていれば、ドイツや朝鮮半島と同様に、わが国も終戦後に、北海道や本州の一部が共産化することが避けられなかったと考えている。
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Comment
No title
「11月27日には前線指揮官に戦争開始の指示を与えておきながら」とありますが、それが具体的にどういう内容を意味していたか知りたいです。
通常の国土防衛のための警戒という意味ではなく、明示的に日本と戦争が開始されることを警告していたのでしょうか?
可能なら具体的な内容とその出典を教えて頂ければと思います。
Re: No title
例えば、2009/7/2の日経新聞の記事に書かれています。
次のURLに安藤茂彌氏の論文があります。
http://www.nikkei.co.jp/tento/trend/20051128m48bs000_28.html

「米陸軍と米海軍は11月27日に太平洋拠点の各将校宛てに、戦争警告文を流している。「日本との外交交渉が決裂し、数日のうちに日本からの武力攻撃が予想される。日本との戦闘行為を避けることができないのであれば、米国は日本が最初に明白な行為をとることを希望する。」と言った内容になっている。但し、この警告文では日本の攻撃がどこに行なわれるのかには言及していない。

 この警告文の直後にホワイトハウスがキンメルに出した指令がある。真珠湾に停泊していた空母エンタプライズとレキシントン等の近代的な軍艦21隻と戦闘機18機を、ウエークとミッドウェーに移動させる命令である。理由は2拠点の戦力増強であった。真珠湾にはアリゾナを始めとする第一次世界大戦の遺物ともいうべき老朽化した戦艦だけを残すようにした。」

No title
いつも貴重な情報有り難うございます!
江戸の残影
制空制海権を失っても1944-45年戦争継続した
戦力を失い負けたのに、「負けたといわなければ負けではない」という駄々っ子の論理にアメリカも手を焼いた。こんなものには力で押すしか方法はない。江戸幕府が避けた江戸空襲、それ以上の全土空襲、特攻隊、「玉砕」を避けなかった。
国民を見捨てた皇国。この無差別爆撃被害、浮かばれない人々、人災の被害は大きすぎたのか、いや見捨てた人々にある。ドイツと変わらない被害なのに、今のこの違い。
Re: 江戸の残影
戦争は始めることは簡単ですが、負ける場合に戦争を止めるタイミングは難しいですね。

制海権を失って早々と無条件降伏していれば、わが国はアメリカの一部になっていたでしょうし、公用語が英語になっていてもおかしくありません。

確かに、戦争を継続することで、米軍の無差別爆撃により多くの日本人が犠牲にはなりましたが、抵抗したからこそわが国は敗戦後も独立を維持することができたという視点も必要だと思います。

私も戦争には反対ですが、太平洋戦争における終戦のタイミングの評価は難しいところですね。もう少し戦争が長引いていたら、日本の一部はソ連になっていたことは確実ですし、簡単に降伏したら今の日本はなかったでしょう。

この戦争は何を目指したのでしょうか
そのような戦略はいつどのように検討されていたのでしょうか どこかでとにかく戦果を挙げて・・・ということで続けた 本土が空襲されても平気でしたから。最後は本土焼土化作戦に持ち込んでアメリカの属国に にあったのでしょうか。
Re: この戦争は何を目指したのでしょうか
開戦の頃はともかく、終戦の頃には共産主義者が日本軍の枢要な地位を獲得していたことは確実です。
昨年8月11日の産経新聞に「昭和20年6月、スイスのベルン駐在の中国国民政府の陸軍武官が米国からの最高機密情報として『日本政府が共産主義者達に降伏している』と重慶に機密電報で報告していたことがロンドンの英国立公文書館所蔵の最高機密文書ULTRAで明らかになった」という記事がでていますが、この記事は、当時の日本政府の重要メンバーの多くがコミンテルンに汚染されており、日本の共産主義者たちが他国の共産党と連携しながらソ連に和平工作を仕掛けたということを、中国国民政府の陸軍武官が重慶(中国の臨時首都)に打電していたことを米国が傍受し、英国に最高機密情報として伝えたという内容です。
スターリンによる『敗戦革命』工作は成功寸前のところまできていましたが、アメリカの原爆投下と昭和天皇の終戦の詔勅と占守島の戦いで、ソ連の野望は崩れたのだと考えています。
本土爆撃記念館
本土爆撃と原爆投下には密約取引があったということでしょうか。戦争の悲惨さについては口先でいくらでも言いますが、爆撃被害の記念館は一つもないようですから よく知らないのですが。マクナマラは非人道的無差別爆撃について、敗戦することを恐れていたようです。
Re: 本土爆撃記念館
本土爆撃になっても日本軍は一向に降伏しなかったのは、当時軍部の枢要な地位に共産主義者がかなりいて、敗戦とともにソ連に領土を差し出す動きがありました。彼らは、ソ連参戦前に降伏することは初めから選択肢になかったと思います。
アメリカとすれば、このまま戦争が長引けば、多くの米兵の犠牲を出しながら、ソ連に日本領土の多くを奪われることを危惧して、ソ連が日本領土に進攻する前に戦争を終わらせようと考えたはずです。その最後の手段が原爆投下だと思います。

原発投下がなければ、戦争終結はもっと後になり、アメリカの無差別攻撃の非人道性を批判する世論が作られて、日本の領土のかなりの部分がソ連に占領されていたと考えています。
元に戻ってしまいます
1944-45年の戦い続けた理由は何なのでしょうか。兵隊は兵器なし、食糧なし、国民は無差別爆撃、いや竹やり訓練では、やはり兵員ですか。この間の御前会議は何をしていたのでしょうか。そこが分かりません。
Re: 元に戻ってしまいます
軍部の中堅の多くは親ソで、日本が敗戦してソ連に占領されることを誘導しようとしていました。
だから御前会議で決まり、昭和天皇の詔勅の後も、終戦に軍部は抵抗したのです。

私のブログの「戦争と共産主義」のカテゴリ記事を読んで行かれれば、その事情がわかると思います。
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このコメントは管理人のみ閲覧できます
Re: 御前会議 戦果をあげよ
近衛上奏文のポイントはそんなところにはありません。近衛の最後の文章は、「此の一味(軍の共産分子)を一掃し軍部の建直しを実行することは、共産革命より日本を救ふ前提先決条件なれば、非常の御勇断をこそ願はしく存奉候。」です。

昭和史では、戦勝国のどこかの国に都合が悪いので、近衛上奏文の肝心な部分がほとんど無視されています。ご自身で原文をあたられて、先入観なしに何が書いてあるかを読まれるといいと思います。
この内容が理解できれば、私の書いてきたことを納得していただけると思います。

原文はカタカナ交じりで読みにくいので平仮名にされて読みやすくされたサイトがあります。いっさい評論のないサイトなのでお薦めです。
http://askis.co.jp/?faq=%E8%BF%91%E8%A1%9B%E4%B8%8A%E5%A5%8F%E5%88%86

ご紹介ありがとうございます
大変よく想定されていたことはよく分かりました。1944.6月制空権、制海権を失いましたが、それ以後本土空爆に備えて、国民を守るための防空体制をどのように築いたのでしょうか。1945.2月には東京大空襲で、本土空爆は現実のものと証明されました。その後の防空体制はどうしたのでしょうか。
Re: ご紹介ありがとうございます
終戦期の日本の軍部は共産主義者が実権を掌握していました。彼らは、日本が敗北してソ連主導で社会主義化を実現させようとしていました。国土防衛などは眼中にはなかったのではないですか。そもそも飛行機の少ないわが国では防空体制などは構築できなかったでしょう。

軍部にはアメリカにさんざん攻撃させて疲弊させてから、関東軍を始めソ連に領土を譲る算段で、ソ連の日本侵攻を待っていた連中が少なくなかったのです。現に関東軍はソ連に抵抗せず満州を差出しました。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-298.html

産経新聞の記事で、ロンドンの英国立公文書館所蔵の最高機密文書ULTRAで日本軍部が共産主義者に降伏したという機密文書が出ているということが書かれていました。それも私のブログで紹介しています。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-295.html
以下は産経新聞の記事です。
「(鈴木貫太郎の)首相秘書官を務めた松谷誠・陸軍大佐が、(昭和20年)4月に国家再建策として作成した『終戦処理案』」では「『戦後日本の経済形態は表面上不可避的に社会主義的方向を辿り、この点からも対ソ接近は可能。米国の民主主義よりソ連流人民政府組織の方が復興できる』として、戦後はソ連流の共産主義国家を目指すべきだとしている。」
という話や、
「同年4月に陸軍参謀本部戦争指導班長、種村佐孝大佐がまとめた終戦工作の原案『今後の対ソ施策に対する意見』でも、(1)米国ではなくソ連主導で戦争終結 (2)領土を可能な限りソ連に与え日本を包囲させる (3)ソ連、中共と同盟結ぶ――と書かれている。」
共産主義陰謀論にははまらない方がいいですよ。大したことない連中を過大評価することになりますからね。
「想定外で」思考停止するのはサヨク。
民族ではない。
Re: タイトルなし
共産主義陰謀論に嵌っているつもりはありません。御心配なく。

日本は戦争に負けています

最後は優秀な学生を自爆までさせた日本軍

特攻させた上官のほとんど戦後も生きてたんですよね
学生に無駄な特攻などさせたのに、、、、

部下に無意味な特攻させた責任とって切腹したまともな人は何名いたんでしょうか?



韓国でもフィリピンでも日本軍の一部とはいえ酷い行いをしています、日本軍の上官はホントに酷い人たちが多いです

マニラではフィリピンの方が日本の嫌いでも仕方ないくらいの事をしてます


Re: タイトルなし
ひと昔前ならこのようなコメントに納得する人が多かったのでしょうが、今では、学校やマスコミなどで今まで垂れ流されてきた歴史叙述の多くが嘘であることに、多くの日本人が気付くようになりました。

個々の兵士レベルの話は指摘してもあまり意味がありません。重要なのは国家レベルでどうであったかです。一度先入観を捨てて、このブログの「戦争と共産主義」や「中国排日」「米国排日」などの記事を読んでみてください。その上で、きちんと論拠を示してあなたの意見をもっと長い文章で論理的に書いてください。

それと、自分のペンネームくらいは書いてくださいね。
日本の本当の敵は誰だったのか
日本の元来の敵は中国とソ連の共産主義者と国家主義者でした。 彼らとは日清日露で戦争していますし、常に日本の脅威であり、防衛のために日本は大陸に進出していたのです。

それを日本帝国の拡大主義と解釈した米英が日本と敵対するようになり、大東亜戦争が起こったと考えるべきです。 日本に勝った米国は、朝鮮戦争が勃発した時に初めて、「本来の敵は日本ではなくて中国ソ連だ」ということを悟ったのです。 その後、米国は米ソ冷戦を戦い、現在も米中冷戦の状態です。

方や、ドイツにとってもソ連共産主義は宿敵でした。 英仏米は、ドイツがソ連共産主義を、日本が中国(国民党軍と共産党)を打ち破る最高の機会を逃し、ソ連・中国の共産主義を助けてしまったのです。 これは歴史の最大の皮肉です。
Re: 日本の本当の敵は誰だったのか
もえおじさん、コメントありがとうございます。

4年も前にこのブログで書いた記事なのに、未だに毎日300件以上アクセスがあり、コメントまで頂いていることがとてもうれしいし励みになります。

最近になって、第二次大戦前のコミンテルンの動きに着目した論文などが保守系の雑誌などで発表されるようになりましたが、こういう論文が公にされるようになったということは、いずれ、戦後に戦勝国がわが国に押し付けた歴史観で記された歴史叙述が全面的に書き替えられることになるような気がしています。
今までアメリカと中国・ソ連にとっては、わが国だけを悪者にする歴史叙述が自国にとって都合が良かったのですが、米中、
米ソとの対立が鮮明化してきたため、アメリカにとっては「共産主義者にとって都合の良い」歴史観をいつまでも支持できる状況ではありません。これからは、「戦前戦後に共産主義者が何をしたか」が全面にに出て来ることになると考えています。





現在でも深刻なスパイ活動
米国は、彼らの第二次大戦歴史観である「自由と民主主義を守ろうとした米国対ファシストドイツ日本」を変更するつもりは毛頭ないと考えます。 米国はドイツ日本を民主化して米国の友人にした、というのが彼らの主張ですから。

ただ、第二次大戦直後の米国は、日本とドイツを2度と戦争を始められない農業国にしようと計画していたのを米ソ冷戦の始まりとヴェノナ計画(Venona project)の情報認識により、日本と西ドイツを共産主義の防波堤にしようと外交戦略を転換しました。 ですから、ドイツ・日本との関係はすでに60年以上にわたって良好です。

ヴェノナ文書(Venona Papers)によって太平洋戦争の最後通牒であるハルノートを草稿した人物 ハリー・ホワイトがソ連のスパイであった事実は、日本でもよく知られていますが、戦後の米国の激しいレッドパージの契機となったともされています。

最近知ったのですが、アメリカ側が作った日本国憲法の英語の草案を日本語に翻訳したトーマス・アーサー・ビットソンという人物が実はソ連のスパイであったことも、1995年のヴェノナ文書の公開によって判明しているそうです。
http://ameblo.jp/matsui0816/entry-11989594463.html

つまり、日本は戦後直後から共産主義者に情報操作されていたことになります。 現在の日本はスパイ天国と呼ばれ、中韓米が日本を監視し、彼らの都合のよい情報を流していると思います。 現在進行している米中冷戦下で、日本は利用されるだけの存在になる危険性があります。 歴史観云々以上の深刻な問題です。
Re: 現在でも深刻なスパイ活動
> 米国は、彼らの第二次大戦歴史観である「自由と民主主義を守ろうとした米国対ファシストドイツ日本」を変更するつもりは毛頭ないと考えます。 米国はドイツ日本を民主化して米国の友人にした、というのが彼らの主張ですから。

ご指摘の通りかもしれませんが、ヴェノナ文書等の内容が明らかになり、戦前戦後における共産主義者の活動が明らかになって行けば、そのような歴史観が通用しなくなっていくと考えていますし、この歴史観ではアメリカは中国・ロシアを叩くことはできません。
新冷戦でアメリカは、「戦勝国にとって都合の良い歴史叙述」のうち「共産主義にとって都合の良い歴史」を切り分けるのではないかと考えています。中国やロシアが声高に主張する歴史は嘘ばかりですから、アメリカにある機密文書を少しずつ表に出す事で戦わずして相手に重大なダメージを与えることが可能となります。

期待しすぎかもしれませんが、数年前では絶対に出版されることが無かったような第二次大戦とコミンテルンの工作にふれる内容の書籍の出版が最近相次いでいます。これはアメリカが、中露を叩くために容認しはじめたもの、と私は解釈しています。

「アメリカもコミンテルンに工作されて危なかったが、戦後は世界の民主主義国と共に共産主義と戦って勝利した」という歴史観で描かれる書物が出て来るかも知れませんね。その歴史観ならば、アメリカにとって勝者の立ち位置に止まることが出来ますし、しかも、タブーのない、史実に忠実なものになるでしょう。

もえおじ
「アメリカは第二次大戦時代にコミンテルンに工作されて危なかったが…」という歴史観は知識人の中だけの話でしょうね。 現在に至っても、ルーズヴェルト大統領が真珠湾攻撃をあらかじめ知っていたことが何度も報道された後でも、一般のアメリカ人は戦争中のドイツ日本が悪者であったことを頭から信じています。

ナチスによるユダヤ人迫害に関しても、600万人虐殺が公式に150万人に訂正されており、100万人規模の犠牲者であれば、ドイツ人捕虜の虐殺、東欧にいた民間ドイツ人への虐殺行為と数字的に同程度にもかかわらず、ドイツに対する謝罪は一切ありません。

ナチスの強制収容所の死亡者数  http://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_hb/a6fhb802.html

また、第二次大戦前のコミンテルンの動きに着目した論文の重要性は、歴史観の修正よりも、現在・将来への警鐘にあると考えます。

なぜ日本は戦争に負けたのか。 真の敵は中国、朝日新聞とコミンテルン、近衛文麿と尾崎秀美
http://brief-comment.com/blog/%E6%9C%AA%E5%88%86%E9%A1%9E/25158/

『共産主義黒書』を読む  http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/nakano4.htm

現在のアメリカは、対ソ・対中戦略を見直しており、彼らの民主化を援助すればアメリカの友好国になるという見方は完全に否定しました。 とくに中国については、マイケル・ピルズベリー(Michael Pillsbury)氏が、中国の秘密の百年計画という言葉を使うようになっています。 日本も理解を深める必要があります。
Re: もえおじ
第二次大戦前のコミンテルンの動きに着目した論文が歴史観の修正に至るか、現在・将来への警鐘に止まるかは意見が分かれるところですね。

中韓が声高に主張する歴史が嘘だらけであることがここ数年で一気に広がりました。アメリカでもその動きが出てきました。今は一部の国民にすぎなくとも、誰でもそれが嘘であることが分かるようなレポートが写真付きで大量に紹介されて急速にネットで拡がっています。いずれ多くの国民が通説に疑問を持つようになり、新しい歴史観を求めるようになると考えています。

アメリカはいずれ、中国と歴史を共有しない選択をとることになると私は考えています。明らかな史実と矛盾するような嘘で固めた歴史叙述は、アメリカでもそう長くはもたないと思います。

私が期待しすぎているのかもしれませんが、あと5年もすれば、かなり変わってくるような気がしています。
ドイツの魚雷でも戦艦の撃沈は可能ですし実際撃沈しています。ロイヤル・オーク及びバーラムの撃沈は日米開戦前なのですが、ご存知ないのですか?
それから航空爆弾について。航空爆弾で戦艦を撃破可能なことは第一次大戦直後にアメリカがドイツから接収した戦艦オストフリースラントで実験し、証明しています。
貴方は政治に興味がおありのようですが、軍事についての適当な解釈・誇張はやめてください
Re: タイトルなし
ふわーさんコメントありがとうございます。

ロイヤルオークは装甲のない艦底部で爆発した事例で、バーラムは魚雷3本が命中し左舷側に横転、艦橋部が水面に沈んだ直後に弾薬庫が大爆発を起こして沈没したものですね。何れも魚雷で戦艦の甲板の鋼板を貫く威力を発揮して沈没させたものではありませんね。魚雷だけで次々と戦艦を撃沈した事例があればご教示下さい。

オーストフリースラントの実験の話は存じませんが、そのような実験の結果が日本に伝えられていたのでしょうか。

私は、真珠湾にいる米軍艦隊が日本の航空艦隊の襲撃をうけても撃沈される恐れはないと考えていたという倉前氏の説を支持します。
魚雷について
当時のハワイ海軍責任者、キンメル氏の孫にあたる人物が、奇襲攻撃について研究しており、日本の魚雷についても述べていますが、当時は、あれだけ浅い湾で使用可能な魚雷は米英共になかったために、リスク管理が甘かったと述べています。

また、多くの戦艦が真珠湾に停泊していたのは、ウェーク島とミッドウェイ島守備軍を補強するために、2隻の空母と共に多くの戦艦も向かったが、戦艦の速度が空母より遅くてどうにもならず、真珠湾に一旦戻ったために、普段の3倍ほど戦艦が一度に集まっていたとのことです。
Re: 魚雷について
pl510er さん、コメントありがとうございます。貴重な情報に感謝です。

キンメル氏の孫にあたる人物は、トーマス・キンメルのことでしょうか。その発言の出典をご教示いただければありがたいです。
視点を変える!
太平洋戦争の日本軍の標語「八紘一宇」を見て下さい。
詳細を書くと長くなりますから、かいつまんで書きます。
八紘一宇は→日本書紀「六合(くにのうち)を兼ねて都を開き八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いへ)にせむ」が出典です。
まず、八から→この八の意味は十干(甲乙丙→辛)になります。
八番目の→辛、です。
漢字の意味は罪人という意味です。罪人です。
六も同じ意味があります。
昔、周防洋(すおうなだ)を(六六洋)こう書いて(すおうなだ)です。
一方、ドイツのヒトラーは→その頭文字のHが→八番目です。よってヒトラーの別名を→88と呼びます。
これは、偶然では無く日本軍が日独伊三国同盟の折に交わした密約があった!という事を示しています。
ドイツ軍がこの数字の八を知っていたのなら→天皇とその一族(藤原、毛利、嶋津、伊達など)が嘘を歴史に塗っているという事です。
ですからこの事は→日本軍からドイツ軍(ヒトラー)に渡ったと見做せます。
八紘とは、あめのした、すなわち地球という意味です。
ですからこの時、日本軍は地球征服を企んでいたのです「日本書紀」にある通りの地球征服です。
それによって、ユダヤ人虐殺は→日本の天皇から虐殺の指令が出ていたと言う事です。
ヒトラーさんも東条英機さんも→天皇の命令に従った忠実な軍人です。
薩長連合は沖縄県民を犠牲にして、自らの命を守る為に戦争関与の証拠を消したのです。時間稼ぎによって、沖縄の被害が拡大しています。
汚い連中が薩長連合です。
連合国軍が死刑に処すべきは→薩長連合の軍人です。
ユダヤ人のユダとは、この薩長連合の総司令官の山口県(毛利)の事です。
そこにある「ユダ温泉」は、この名称を残している地名です。
ヨハネさんが言う「666」は→この毛利さんです。
Re: 視点を変える!
島田風様、せっかくのコメントですが、あまりに飛躍が多すぎて私にはついていけません。
当時の記録をもとに、説得力のある叙述が出来ますか。
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
Re: 数字の8が語る日本の歴史!
仁和寺の創建は仁和4年で西暦888年ですが、当時の日本人は西暦などは知りませんでした。たまたま西暦で8のゾロ目の年であったことは当時の日本人は誰も知らないのですから、西暦の年号で日本の歴史を解き明かせるなどということはあり得ないことだと思いますし、そもそも誰も説得力を感じないと思います。

著書の内容は存じませんが、書評や反応が無いことを「歴史家達が沈黙して3年になります。おそらく、同じ意見だと推測できます。」と書いておられることが気にかかります。普通の人がこのコメントを読んで、そのような書き方をする人物の書物を信用するとは思えません。

反応が無いのは、ご自身の立論に誰も納得していないことの証左であると、謙虚に受け止められる姿勢でおられる方が良いのではないでしょうか。
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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

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