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昭和天皇の『終戦の詔書』の後も戦争が続き、さらに多くの犠牲者が出たこと

昭和20年8月14日にわが国はポツダム宣言を受諾し、翌8月15日に昭和天皇が「終戦の詔書」をラジオを通じて発表され、全日本軍は一斉に戦いを止めて連合国に降伏した。

終戦の詔書

この8月15日が『終戦の日』で、この日に戦争が終わったものと子供の頃から思っていたのだが、樺太や千島や朝鮮半島ではその後もソ連軍と激しい戦いが続き、多くの犠牲者が出たことを知ったのは比較的最近のことである。

日本人の多くがそのことを知らないのは当然のことである。このことはGHQの検閲の為に、またその後のマスコミ・出版社の自己検閲の為に、その事実を日本人広く伝えられることがほとんどなかったからだ。

前回の記事で少しだけ触れたが、8月8日にソ連日ソ中立条約を一方的に破って対日宣戦を布告し、満州・北朝鮮・南樺太・千島列島の侵略を開始している。

このブログで何度か引用している勝岡寛次氏の『抹殺された大東亜戦争』の解説をしばらく引用する。
ソ連軍は、総員百七十四万人、火砲三万門、戦車五千二百五十両、飛行機五千機の圧倒的兵力で、八月九日午前零時を期して、満州・北朝鮮・南樺太になだれ込んだ。満州国を守備する関東軍は七十万人、火砲千門、戦車二百両、飛行機二百機と、兵数こそ三対一であったが、兵器は三十対一、全くお話にならない装備の貧弱さであった。(中山隆志『ソ連軍侵攻と日本軍』)。その上“弱り目に祟り目”ではないが、不意を突かれた関東軍は大本営の命令(朝鮮防衛・満州放棄策を採った)により、軍司令部を首都新京から通化に移したので、最後まで民間人を守るべき軍が、我先に逃げ出したとの悪印象を、後々まで与えることになった。」(『抹殺された大東亜戦争』p.416-417)

関東軍の兵器が少なかったのは、日本とソ連との間には『日ソ中立条約』が締結されており、ソ連軍がこんな時期に条約を破棄して攻めてくることを、政府・日本軍が想定していなかったからだ。
よく「ソ連が『日ソ中立条約』を一方的に破棄して攻め込んできた」という話を聞くのだが、Wikipediaの記述を読むと当時のわが国の政府や軍関係者がソ連の対日参戦の意志を読み取れなかった情報力不足にもかなり問題がありそうだ。

スターリン

1944年(昭和19年)にスターリンは革命記念日の演説で日本を「侵略国」と非難する演説を行っている。
また1945年2月のヤルタ会談の秘密協定でスターリンはルーズベルト、チャーチルに対してドイツ降伏後3か月以内に参戦することを密約している。
そして、昭和20年4月6日にソ連は、「情勢が締結当時と一変し、今日本はソ連の敵国ドイツと組んで、ソ連の盟友米英と交戦しており、このような状態において日ソ中立条約の意義は失われた」ことを理由に『日ソ中立条約』を延長しないことをわが国に通告し、その後5月8日にドイツが無条件降伏し、ソ連軍は、シベリア鉄道をフル稼働させて、満州国境に軍事力を集積させていたのだ。

このような状況であればわが国は、ソ連軍の日本侵略を警戒しなければならなかったと思うのだが、『日ソ中立条約』の期限である昭和21年4月25日にはまだ十分に日数があり、ヤルタの秘密協定の内容についての情報も入っていなかったことから、ソ連の対日宣戦の意志を読み取ることができなかったようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E9%80%A3%E5%AF%BE%E6%97%A5%E5%AE%A3%E6%88%A6%E5%B8%83%E5%91%8A

こともあろうにわが国は、このソ連に対して6月に連合国への和平工作の仲介を依頼し、終戦の模索を始めているのだが、この時点でソ連は対日勝利を確信したはずだ。わが国は、侵略しようとする国に対して、今が準備するタイミングであることを伝えたのと同じである。日本外交の間抜けさは今も昔も変わらない。

そしてソ連軍は8月8日に日ソ中立条約を破棄し、わが国への侵略を開始する。
再び勝岡寛次氏の著書を引用させていただく。

「8月14日の日本降伏後も、ソ連軍は進撃を止めず、九月初旬には北方四島を略取し、一旦合意した関東軍との停戦条項も無視して、略奪・暴行いたらざるなしといふ有様であつた。火事場泥棒よろしく手当たり次第に略奪し、女性とみては手当たり次第に強姦を続けるソ連軍によつて、百五十万在留日本人は恐怖のどん底に陥つた。そのやうな地獄の日々を綴つた手記は枚挙に暇(いとま)がないが、冷戦開始以前の占領軍は、検閲によってこれを悉く削除させたため、民族の苦難の体験は戦後世代には十分には伝はつてゐないのを遺憾とする。」(『抹殺された大東亜戦争』p.417)

勝岡氏の解説に驚かれた方も多いと思うのだが、これは史実である。同氏は、GHQの検閲により削除された事例を、前掲書のp.417-418で、いくつか紹介しておられる。削除理由はどちらも「ロシア」批判だそうだ。前回の記事でも書いたが、占領軍はたとえ事実であっても戦勝国に対する批判につながる記述を許さなかったのだ。

「突然、ソ聯軍が進駐してきてから、この幸福な町は急に恐怖のどん底にたゝき込まれた。
目ぼしい家に押し入つては、金を巻きあげ、好みの品は何であろうが掠奪し、なかには着ている着物さえもはぎとつてゆく者が現われてきたからである。しかも手むかいでもしようものなら、「ドン」と、一弾の下にもとにやられるばかりである。しかし、それ迄はまだよかつた。最後には、…女の大事な黒髪さえも切り落として、男装をしなければならない、實に悲惨な状態におちいつてきたのである。(中略)
突然『うわあ、うわあ』という声に、人々の顔からはさつと血の氣がひいていつた。(中略)私はもう、何がなんだかわからなかつた。唯、素裸にされたうら若い婦人が肩からしたたる眞赤な血潮をぬぐおうともせず…狂氣の如くよびまわつている悲惨な姿が、やけつく様に瞼に残つているばかりである。」(柳内孝子「私は犬です」『かたはま』第6号昭和23年3月)

「この第一夜から町のいたるところに泥酔兵士の暴行が始つた。婦女子の劣辱事件は頻々として巷間に傳はる、…。一方時計一個を拒否したゝめに拳銃彈數發を受け紅(くれない)に染つて絶命した有志、…娘の暴行現場に飛び込んで絶命する男、…大泊(おおどまり)においてのみでも數十名の犠牲者を出すに至り戰々兢々(せんせんきょうきょう)たる數日を經た。」(榎島伸二「樺太を回顧する」『新世紀』第1巻第1号、昭和23年1月)

この様な体験者が残した記録について、マスコミや出版社がほとんど採りあげてこなかったために、多くの日本人がソ連軍の戦争犯罪の犠牲者になったことを知る人は少ないだろう。私の世代は、子供の頃に大人から少しばかり聞く機会があったが、大人が子供に伝えることを憚ることも少なくなかったのだろう。私が、この時のソ連軍の実態がこんなにひどかったことを知ったのはつい数年前のことだ。

ソ連対日参戦による日本軍の戦死者や行方不明者は良くわかっていないが、戦死者だけで8万人以上と言われている。また、シベリア抑留の犠牲者についてはWikipediaにこう説明されている。
「終戦時、ソ連の占領した満州・樺太・千島には軍民あわせ約272万6千人の日本人がいたが、このうち約107万人が終戦後シベリアやソ連各地に送られ強制労働させられたと見られている。アメリカの研究者ウイリアム・ニンモ著『検証-シベリア抑留』によれば、確認済みの死者は25万4千人、行方不明・推定死亡者は9万3千名で、事実上、約34万人の日本人が死亡したという。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%8A%91%E7%95%99

ようやくソ連崩壊後に、ソ連占領地区から引き揚げてきた人々の筆舌に尽くせぬ悲惨な経験をされたことを記した書物がいくつか出版された。次のURLでその一部を読むことができるが、日本人なら、少し読むだけで怒りが込み上げてくるだろう。なぜこのような史実が、長い期間にわたって伏せられてきたのか。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/Stalin.html

満州ではソ連軍は日本人を暴行し虐殺しただけではなく、中国住民に対しても暴行を働いたようだ。上記URLに中国人の徐焔氏が著した『一九四五年 満州進軍―日ソ戦と毛沢東の戦略』(三五館)という本が紹介されている。その本にはこう書かれている。

1945年満州進軍

「ソ連軍が満州に入った時点から、その相当数の将兵は直ちに、横暴な行為を露骨に現した。彼らは敗戦した日本人に強奪と暴行を振るっただけでなく、同盟国であるはずの中国の庶民に対しても悪事をさんざん働いた。
特に強奪と婦女暴行の二つは満州の大衆に深い恐怖感を与えた。
100万以上の満州に出動したソ連軍兵士の中では、犯罪者は少数というべきだが各地で残した悪影響は極めて深刻なものだった。」

この徐焔氏の文章の中で著者がソ連のことを「同盟国」と呼んでいることについて補足すると、ソ連は8月8日に日ソ中立条約を破棄した後に、8月14日に「ソ華友好同盟条約」を結んでいる。満州の出来事はその直後のことである。

ソ連軍はヨーロッパでも同様に、ドイツ、ポーランド、ハンガリー、ユーゴスラビアなどで暴行・虐殺のかぎりを尽くした報告が残されていることがWikipediaに書かれているが、ソ連という国はどこの国に対しても野蛮な行為を行っていたことを知るべきである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%88%E9%80%A3%E9%82%A6%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%88%A6%E4%BA%89%E7%8A%AF%E7%BD%AA

話をソ連軍の対日宣戦に戻そう。
ソ連は8月8日の対日宣戦布告の翌日、ソ・満国境を越えて満州に進攻し、8月14日に締結されたソ華友好同盟条約に基づいて、満州を日本軍から奪取した。

北方領土略図

南樺太では、8月11日に日ソ国境を侵犯し、ソ連軍は8月25日までに南樺太全土を占領した。
南千島についてはソ連の樺太占領軍の一部が8月26日に樺太・大泊港を出航し、28日には択捉島に上陸。9月1日までに、択捉・国後・色丹島を占領した。歯舞群島は9月3日から5日にかけて占領している。

占守島

北千島については、8月18日にソ連軍が千島列島の最北の占守島(しゅむしゅとう)に上陸。日本軍と激戦となり日本軍が優勢であったが、日本政府の意向を受け同日16時に戦闘行動の停止命令が出て21日に停戦となり、23-24日に武装解除がなされた。それ以降ソ連軍は25日に松輪島、31日に得撫(ウルップ)島を占領している。

北方領土

ソ連との戦いに関しては、わが国がポツダム宣言を受諾し、昭和天皇の「終戦の詔書」が出ていることを完全に無視して日本の領土を掠奪し、今も北方領土(国後島、択捉島、歯舞諸島、色丹島、南樺太)を不法占拠しているままだ。
それだけではない。ソ連は武装解除した日本軍将兵約60万人をシベリアに拉致・抑留し、極寒の地で強制労働に従事せしめ、多くの日本人を死に至らしめた。
この悲劇はアメリカの原爆投下とともに、日本人が絶対に風化させてはならない史実だと思うのだが、いずれも占領軍の検閲により徹底的に排除され、占領軍の検閲が終わっても外国と国内の反日勢力の圧力で、たとえ史実であっても戦勝国の批判が書けない時代が長く続いてきた。

以前このブログで『氷雪の門』という映画のことを書いたことがある。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-138.html

氷雪の門

昭和20年(1945)8月20日に樺太の真岡の沿岸に突如ソ連艦隊が現われ艦砲射撃を開始し、上陸したソ連兵は町の角々で機銃掃射を浴びせ、一般住民を見境無く撃ち殺していった。この映画は、ソ連兵の機銃掃射が続く中で、ソ連兵が近づく直前まで通信連絡をとり、若い命をなげうった真岡郵便局の電話交換手の乙女の悲劇を描いた真実の物語である。

昭和49年にこの映画が完成し公開直前になってソ連から「ソ連国民とソ連軍を中傷し、ソ連に対して非友好的」との圧力がかかり、公開中止に追い込まれてしまった。

この時代はまだソ連という社会主義国が存在していたのだが、終戦後29年という歳月が経過しても、わが国はソ連の圧力に屈したことを忘れてはならないと思う。この時に、圧力に抗して上映していたら、北方領土問題は、今よりも少しは良い方向に動いていたのではないだろうか。

img20120815192623701.jpg

前回はアメリカのことを書いたが、アメリカは都市空襲と原爆投下、ソ連は我が国のポツダム宣言受諾後の日本侵略とシベリア抑留と、どちらも世界史上特筆すべき戦争犯罪に手を染めた国なのである。そのことが追及されないために、わが国に対して検閲や焚書という手段でその史実を封印し、戦勝国に都合の良い歴史を強引にわが国民に押し付けたのだろう。
彼らにとっては我が国に押し付けた「自虐史観」の洗脳が解けてしまっては、今度は自国に「犯罪国家」のレッテルが貼られることになりかねないのだ。だから、わが国のマスコミや政治家に圧力をかけて、中国や韓国にも参戦させて、わが国に「自虐史観」の歴史認識を問い続けているのではないだろうか。

世界の多くの国は「国益」追及の為なら嘘もつくし、下手に謝罪をすればわが国に罪を押し付けて金まで要求してくる国がいくつも存在する。相手国の圧力が大きいと安易に謝罪する政治家が多いのは、「自虐史観」が本気で正しいと信じているからか、裏取引があるか、強いものには媚びを売って一時凌ぎをする事しか考えていないかのいずれかだろう。
政治家が歴史を知らないのは、戦後の歴史教育もマスコミも出版物も、戦勝国にとって都合の良い歴史しか伝えてこなかったのである程度は仕方がないのだが、戦勝国は良い国で日本だけが悪い国という歴史しか知らないで、どうしてわが国が、大国と対等に渡り合えることができようかと思う。
相手から抗議されて謝罪することは、相手の言い分を対外的に認めることと同じだから、このまま政治家が安易な謝罪を続ければ、わが国は中長期的に、国益や領土を侵害され続けることになるだろう。

その流れを止めるのは、やはり歴史の真実を知り相手国の嘘をきちんと見破り反論することしかないのだと思う。真実を知れば、相手が主張する歴史の嘘が通用しなくなる。
そして、国民もマスコミの嘘や露骨な世論誘導を見破る力が必要だ。どんな実力ある政治家も、マスコミを敵に回してはいい仕事ができず、世論の後押しが不可欠だからだ。
戦後の占領国による検閲と焚書により、戦勝国にとって都合の悪い真実のほとんどが埋もれてしまったのだが、その歴史を少しずつ取り戻し、それを広めていくことが重要なのだと思う。
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Comment
拡散したい記事です
しばやんへ
拡散したい素晴らしい記事です。
特にあの絵はすごいですね。
石原吉郎という詩人がいて彼はシベリア抑留の体験があって、本当に暗い暗い方でした。特に帰国後、シベリア帰り(赤)ということで、親族から毛嫌いされる。これはひどい話ですね。そしてこういう行き場をなくした元日本兵に、ソ連のエージェントがアプローチしてくるのです。完全監視下に置かれて、密告すると死、しない場合は自殺、もうひとつの選択は、実行のみ、または日常の言葉をなくす脱人格化。
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/39211097.html
・・・・・・・
日本が終戦交渉の仲介を(ご意のままにお礼はなんでも差し上げます)というcarte blancheで最後の最後まで、ソ連に擦り寄っていたのは、理解困難ですが、歴然とした事実のようですね。情報収集力がまるでなかったか、何か「ワケ」があったのか?

例のBonner Fellersの後日の記述によると、関東軍は本土防衛のためにかなり手薄になっていたことはたしかで、陸軍は満洲を不安に思っていた、死守したいので、本当は動かしたくなかった。しかし平和を望む御前会議の意思は、ソ連に仲介を頼むので、ソ連が満州に攻め込むことはないという(甘い考え)を持っていて、陸軍を説得、軍人たちは「渋々」ソ連の仲介による交渉を認めていた。本心からではない。(これを後に和平派と続行派の対立とまとめている)。また何故アメリカではなくてロシアとの交渉に最後まですがったかというと、ポツダム宣言のアメリカは無条件降伏を謳っているので、天皇家の地位と安全の確保という、日本側の唯一の条件を飲んでくれそうもない、だからソ連にすがった、ということ。鈴木貫太郎の総理大臣指名は、(御前会議)の終戦・平和を望むという意思表明の一つで、これで連合国側も日本の終戦意思を受け止めてくれるだろうと、これまた甘い考えをもっていた。鈴木貫太郎は戦争意思のない人物として海外に知れ渡っていたということ。阿南は膝歩きしながら天皇陛下に擦り寄って頭を地面にすりつけ何度も何度も敗戦拒否を天皇陛下に訴えています。天皇陛下は背を向けこれを無視、そして「終戦の準備をするように」と命令、ということは例の「阿南よ、云々」という言葉は見当たりません。
これはFellersが入手した情報ですので、すでに(日本側の)脚色が入っているのかもしれないし、米軍の受け止め方、の脚色も入っている可能性もありますが。まだ視点を定めて、検証したわけではないので、何とも言えませんが、いずれにせよわたしが一番不満に思うのは満州など外地で実際に日本人として暮らしている日本人たちをどう守るか、が一切配慮に入っていないことです。「敗戦だ、撤退し帰国せよ」ならわかりますが、「敗戦だ、武器を捨てろ」などと敵国のようなことをよくも言えたものだと思いますね。一瞬にして敵地に変わった敵国の土地で、丸裸になってどうやって帰国できるのですか、生きられるのですか。終戦というものは武器を双方同時に置くものです。
Re: 拡散したい記事です
Bruxelles さんへ

コメントありがとうございます。拡散は大歓迎です。よろしくお願いいたします。

あの絵は、何のコメントもなしに借用させていただきましたが、シベリア抑留体験者の吉田勇氏(故人)の作品です。この方はシベリア抑留時代を描いた作品を多数描かれています。

ゾルゲ事件が発覚し尾崎秀美らが捕えられてからも、わが国にはソ連につながった人物が政権の中枢にかなりいたのだと考えています。そのことは海外で公表された当時の諜報文書のなかにも記されています。
今年の8月11日の産経新聞に、わが国の政権や軍部の中枢部にまでソ連の工作が浸透していたことを裏付ける史料が出たことを伝える記事が掲載されました。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130812/chn13081209400000-n1.htm
わが国がソ連に和平の仲介を頼んだことや、満州の防衛が手薄であったこと、武器を捨てさせたことなどは、そのような背景と無関係ではないと考えています。

Bonner Fellersの記述に興味があります。邦訳は出ているのでしょうか。







> しばやんへ
> 拡散したい素晴らしい記事です。
> 特にあの絵はすごいですね。
> 石原吉郎という詩人がいて彼はシベリア抑留の体験があって、本当に暗い暗い方でした。特に帰国後、シベリア帰り(赤)ということで、親族から毛嫌いされる。これはひどい話ですね。そしてこういう行き場をなくした元日本兵に、ソ連のエージェントがアプローチしてくるのです。完全監視下に置かれて、密告すると死、しない場合は自殺、もうひとつの選択は、実行のみ、または日常の言葉をなくす脱人格化。
> http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/39211097.html
> ・・・・・・・
> 日本が終戦交渉の仲介を(ご意のままにお礼はなんでも差し上げます)というcarte blancheで最後の最後まで、ソ連に擦り寄っていたのは、理解困難ですが、歴然とした事実のようですね。情報収集力がまるでなかったか、何か「ワケ」があったのか?
>
> 例のBonner Fellersの後日の記述によると、関東軍は本土防衛のためにかなり手薄になっていたことはたしかで、陸軍は満洲を不安に思っていた、死守したいので、本当は動かしたくなかった。しかし平和を望む御前会議の意思は、ソ連に仲介を頼むので、ソ連が満州に攻め込むことはないという(甘い考え)を持っていて、陸軍を説得、軍人たちは「渋々」ソ連の仲介による交渉を認めていた。本心からではない。(これを後に和平派と続行派の対立とまとめている)。また何故アメリカではなくてロシアとの交渉に最後まですがったかというと、ポツダム宣言のアメリカは無条件降伏を謳っているので、天皇家の地位と安全の確保という、日本側の唯一の条件を飲んでくれそうもない、だからソ連にすがった、ということ。鈴木貫太郎の総理大臣指名は、(御前会議)の終戦・平和を望むという意思表明の一つで、これで連合国側も日本の終戦意思を受け止めてくれるだろうと、これまた甘い考えをもっていた。鈴木貫太郎は戦争意思のない人物として海外に知れ渡っていたということ。阿南は膝歩きしながら天皇陛下に擦り寄って頭を地面にすりつけ何度も何度も敗戦拒否を天皇陛下に訴えています。天皇陛下は背を向けこれを無視、そして「終戦の準備をするように」と命令、ということは例の「阿南よ、云々」という言葉は見当たりません。
> これはFellersが入手した情報ですので、すでに(日本側の)脚色が入っているのかもしれないし、米軍の受け止め方、の脚色も入っている可能性もありますが。まだ視点を定めて、検証したわけではないので、何とも言えませんが、いずれにせよわたしが一番不満に思うのは満州など外地で実際に日本人として暮らしている日本人たちをどう守るか、が一切配慮に入っていないことです。「敗戦だ、撤退し帰国せよ」ならわかりますが、「敗戦だ、武器を捨てろ」などと敵国のようなことをよくも言えたものだと思いますね。一瞬にして敵地に変わった敵国の土地で、丸裸になってどうやって帰国できるのですか、生きられるのですか。終戦というものは武器を双方同時に置くものです。
岡部伸氏の記事ですね
しばやんへ
産経新聞の岡部伸氏は10月号の正論にも同じ内容をより深く執筆されていました。私もこれを取り上げて記事にしています。
http://goodlucktimes.blog50.fc2.com/blog-entry-489.html
この辺がしばやんと気が合うところですね。これはとてもとても重大な資料発掘です。6月にはすでに終戦の提案を出していたことも事実、いろんな資料からわかっています。ドイツが降伏したら、日本一国で列強を相手にできませんから。

Bonner Fellersの記事に関しては、退役軍人の文集のようなものに寄稿しているもので、日本人の目にはほとんど触れていないと思います。翻訳も出ていません。天皇は激怒、その後自分で主体的にひっぱっています。この文章によると、新聞記事と同じ程度にしか戦況を把握していなかったので「よくも騙したな(という言葉は使っていませんが)」そのための立腹です。皇居の外に出て米軍の投下するビラを拾って戦況を知る、という状態だったということです。この筋書きは東京裁判につなぐためのストーリーである可能性もあるので、まあBonner Fellersの役割を考えると、客観的検証の必要があります。帝国軍人が天皇陛下を騙すわけがないですから。

それはともかく、この岡部伸氏の記事、もっと多くの人が真剣に取り上げなければ、真実はいつまでたっても解明されないと思います。これを取り上げない保守は「居酒屋宴会保守」とみなしてもいいでしょう。
Re: 岡部伸氏の記事ですね
Bruxelles さんへ

TEL QUEL JAPONの記事の中で、私のブログの記事まで紹介していただいていたのですね。ありがとうございます。

マスコミも現代史学会も教育界もこのような史料を無視したがる人々が大半でしょうから、簡単には歴史観は覆りません。彼らは、いわゆる「敗戦利得者」であり、中韓と同じ歴史観を守るために、いつものように外圧を使うパターンで国民の思考停止状態を継続させようとします。

流れを変えるためには、このようなブログで時々問題点をいくつも衝いていき、教科書的な歴史観がおかしいことに多くの人が気が付くことが必要です。
弱小ブログではできることに限りがありますが、ネットの拡散などにより私よりももっと影響力のある多くの人が発信していけば、少しずつ影響がでてくることでしょう。

しかし、ロシアにはおそらく多くの重要資料が眠っているはずです。イギリスにもミトローヒン文書のなかに、歴史観を覆す証拠となる史料がある可能性があります。
これからの世界の流れで、米中が経済破綻して世界の覇権地図が変わる事態となれば、中国やアメリカを叩くためにロシアやイギリスが重要な資料の一部を開示してくるかもしれないと秘かに期待しています。

またBonner Fellersの件、情報ありがとうございます。
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しばやん

Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

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