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ソ連の『北海道・北方領土占領計画書』を読む

前回の記事でソ連によるシベリア抑留のことを書いた。

シベリア抑留を体験された斉藤六郎氏が国を相手の補償要求裁判をされて「全国抑留者補償協議会(全抑協)」という会を立ち上げられ、その裏付けのためにモスクワに何度も足を運ばれてモスクワの公文書館に保存されていた極秘文書のコピーを大量に持ち帰られたのだそうだが、その資料の中にはわが国にとっても、かなり貴重なものが含まれているという。
以前は山形県の「シベリア資料館」に公開・展示されていたようだが、残念なことに斉藤氏は平成7年に他界され、「シベリア資料館」にあった膨大な史料は遺族のトラブルに巻き込まれて展示されなくなっているようだ。そして昨年5月には「全抑協」も解散されてしまった。

斎藤氏が集められた史料の中には旧ソ連軍の「北海道と南千島占領計画書」があるのだそうだ。
この文書はジャーナリストで近現代史研究家の水間政憲氏が、「シベリア資料館」の史料を調べられた時に発見されたものである。

領土問題の真実

文書の日付は1945年8月18日で、ソ連軍極東軍最高司令官ワシレフスキー元帥からスターリン、ブルガーニン、アントーノフの3名に宛てられたもので、この文書の全文が、水間氏の『領土問題の真実』(PHP刊)のp.60~p.62に翻訳されている。
この文書の冒頭で、日本軍の降伏と武装解除が順調に進んでいることを述べたあと、ワシレフスキー元帥はこのように記している。

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「全満州、内モンゴル、遼東半島(大連港、旅順を含む)、北緯38度線までの朝鮮、サハリン(樺太)の南半分、釧路から留萌までの線から北の北海道の半分(釧路、留萌を含む)、クリル(千島)列島の全島の占領という、極東軍、太平洋艦隊に提起された任務に基づき、各方面軍には、即刻、任務が与えられた。」

と、北海道の北半分と北方領土の占領が、ソ連極東軍・太平洋艦隊の任務であることを明記している。

次いで、ザバイカル方面軍については、モンゴル人民共和国軍と共同で満州、遼東半島、関東半島の等の占領計画が書かれている。
続いて、重要な部分に入る。

北海道分割

「第一極東方面軍の任務は、ボーリ、ハルピン(含む)の線から南、チャンチュン、トゥンホゥア、ヤルツヤン川の線の東、北緯38度までの朝鮮領の占領である。ハルピン市とギリーン(吉林)市占領の時期は8月21日の朝までに、北朝鮮に関しては9月1日までとする。… 同時に、…釧路市から留萌市までの線の北側の北海道の半分と、シムシル島まで(含む)のクリル列島の南部の占領を委ねた。この目的のために、方面軍司令部は、太平洋艦隊と商船隊の船の援助を受け、1945年8月19日から9月1日までの期間に順次、クセノフォーントフを軍団長とする第87狙撃軍団のうち3個狙撃師団を送り込む。それらのうちの2個師団は北海道に、1個師団はクリル列島に配置する。軍団参謀本部は、北海道に置く。この同じ時期に、第87狙撃軍団とともに第9空軍のなかから1個駆逐航空師団と1個爆撃航空師団が基地移動する。」

シムシル島(新知島)はクリル(千島)列島のほぼ中央にある長さ59kmの島である。

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続いて第2極東方面軍の任務について述べている。

「第2極東方面軍の任務は、…北満州の占領を1945年8月20日までに行うことである。 同時に、…、サハリン島の南半分、シムシル島(除く)までのクリル列島北部を占領する任務が課せられた。
サハリン島の南半分の占領のためには、現在ここにある軍を使用する。今後、補足的にさらに1個狙撃師団を送り込む。占領は8月18日の朝から着手される。クリル列島北部の占領のためには、8月18日にかけての夜に、カムチャトカに配備されている第101狙撃師団から2個狙撃連隊を列島に送り込む。今後、カムチャトカ区域とクリル列島の北部を、さらに1個の狙撃師団で強化する。ここのすべての軍の監督を、カムチャトカ防衛区域の長に委ねる。」

その上で、太平洋艦隊の一部をペトロハヴロフスク・ナ・カムチャトケに、主力部隊をオートマリ(サハリン南部)に基地移動することの許可を求めている。
そして最後にこう結んでいる。

「当計画に関するすべての予備命令は、各方面軍司令官に宛てられた。
太平洋艦隊司令官への指示は、大将クズネツォーフとともに、8月18日にウラジヴォストークで直接与える。

当計画によって決められた任務の遂行と同時に、押収した兵器、食料および工業企業の設備類の、早急な登録とわが領土内への搬出の組織化を、各方面軍に断固として要求する。

当計画に関する貴殿の承認か、あるいは指示をお願いする。」

この文書とは別に、同じ日付でソ連軍極東軍最高司令官ワシレフスキー元帥から第1極東司令官に宛てた文書がある。おそらくこの文書は、上記の文書に対するモスクワからの回答を入手したのち作成されたものなのだろう。そこには北海道占領計画に関する記述が、より詳細に書かれている。

「上記の命令の遂行と同時に、1945年8月19日から9月1日までの期間に北海道の半分、すなわち、釧路市から留萌市までを結ぶ線から北半分と、シムシル島までのクリル列島南部を占領すること。この目的のために、太平洋艦隊の船と部分的に海洋商船隊の援助を受けて、1945年8月19日から、9月1日の期間に、第87狙撃軍団の二個狙撃師団を投入すること。また同時期に、第九空軍の1個駆逐飛行師団と一個爆撃飛行師団を北海道とクリル列島に基地移動すること。」(水間政憲『領土問題の真実』p.63)

前回の記事に書いたが、ソ連軍は8月25日までに南樺太を占領し、南千島は歯舞群島については9月3~5日に占領となったが、他の島は9月1日までに占領している。また北千島は8月31日までに占領と、概ね計画通りに領土を奪っていることがわかる。
ところが、ソ連の計画では9月1日までに北海道の北半分を占領することになっていたのだが、幸運なことに北海道については手つかずで終わっている。それはどういう経緯であったのか。

米国は8月15日にマッカーサー元帥の命により、一切の戦闘行動を中止している。その3日前の8月12日にソ連は日本の武装兵力の全面降伏を受理し、調整・実行するために、連合軍最高司令官としてマッカーサーが任命されることを合意していた。
ところが、マッカーサーがソ連軍統帥部に攻撃作戦停止を要求してもソ連軍は無視し、むしろソ連軍の本格攻撃は終戦後から始まった。このような行動をとったのは、連合国ではソ連だけなのだ。

ソ連は自国の歴史では、どう説明しているのだろうか。
水間氏の著書によると、ソ連の『大祖国戦争史』には、
「8月14日、天皇の行った日本の降伏についての発表は、一般的な無条件降伏にすぎない。軍隊に対する戦闘行動停止命令はまだ出ていないし、日本軍は依然抗戦を続けている。したがって、日本軍の降伏はまだないのである。」(水間政憲『領土問題の真実』p.64-65)
と書かれているそうだ。

しかし、このソ連の『大祖国戦争史』の記述は嘘である。8月15日に昭和天皇の「終戦の詔書」が発表され、大本営は各方面軍に対し戦闘行動の停止を命令していたのだ。

そもそもわが国が徹底抗戦を続けていたら、ソ連軍がこんな短期間に領土を奪えるはずがなかった。ソ連軍の侵略は、日本軍の戦闘行動の停止命令が出て、日本軍の武装解除が進んでいることを確認してからその計画が策定されている。だからこそ、わずか2週間足らずで、南樺太も千島列島も北北海道も一気に占領できると判断したのだろう。このソ連軍の『北海道・北方領土占領計画書』は、ソ連という国が、いわば『火事場泥棒』的に、わが国の抵抗がほとんどない事を前提に、領土を奪い取る計画を策定したようなものだ。

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しかし、ソ連軍の侵攻を頓挫させる戦いが起こった。
千島列島の最北にある占守島(しゅむしゅとう)での日本軍の戦いは特筆すべきだと思うのだが、こういう史実が伝えられないのは残念なことである。
占守島守備隊の村上大隊長は「軍使が来たら紛争を起こさず、直ちに連絡せよ」「敵軍が攻撃してきたら自衛戦闘は妨げず、ただし停戦は18日16時とする。」との指令を受けていたのだが、深夜に来たのはソ連軍の軍使ではなく砲弾だった。

樋口季一郎

第五方面軍司令部の樋口季一郎中将は、ソ連軍奇襲の報告を受けて、自衛のための戦いを決断したのである。

水間氏は前掲書でこのように書いている。
占守島守備隊は、竹田浜からの上陸を想定し、長い訓練の結果として、夜中でも竹田浜に上陸してくる敵を砲撃できるように鍛え抜かれていた。また竹田浜をはさんだ国端崎、小浜崎の両陣地は、洞窟陣地であり、敵艦の艦砲射撃にも微動だにしなかった。
そして、両陣地から砲撃が開始されると、反撃は激烈を極めた。
その結果、ソ連軍艦船は、撃沈、擱座して、竹田浜にはおびただしい兵士の遺棄死体が累々と晒されたのである。
日本軍の損害は、死傷者600名、破壊された砲6門、擱座した戦車20両であった。それに引き替え、ソ連軍の損害は甚大だったのである。
それは『戦艦撃沈破十四、舟艇二十』『破壊、水没した火器五十数門』『戦死二千五百人、戦傷行方不明二千人』だったのだ。」(水間政憲『領土問題の真実』p.69)

この記述は決して誇張されたものではない。ソ連政府機関紙『イズベスチャ』は「占守島の戦いは、満州、朝鮮における戦闘より、はるかに損害は甚大であった。8月19日はソ連人民の悲しみの日である。」と報道したそうだ。

このまま第五方面軍が攻撃を続ければソ連軍を水際で殲滅していたかもしれないが、この自衛の戦いを終息させた人物がいた。それが関東軍参謀長であった秦彦三郎中将である。

秦関東軍参謀長が第5方面軍参謀長に宛てた8月20日付の公文書が、水間氏の前掲書に紹介されている。そこに書かれていることは重大だ。
「小官本十九日東蘇軍最高司令官「ワ」元帥ト會見ノ際北東方面ノ戰闘未ダ終熄セザルヲ心痛致シ在ル旨述ベ小官ノ斡旋方依頼アリタリ至急処置相成度」

第五方面軍の抗戦によりソ連側の被害が甚大となり、急遽ソ連極東軍最高司令官ワシレフスキー元帥が仲介を求めてきたのだが、秦は相手の申し入れを真に受けて、直ちに停戦することを日本軍に要請しているのだ。そのために日本軍は優勢であったにもかかわらず、武装解除を余儀なくされ、シベリアに送られることになってしまった。

ところで秦参謀長の「心痛」とは、ソ連軍が計画書通りに9月1日までに北方領土と北北海道を占領できないことを心配したということなのか。
以前このブログで、当時わが国の政治家や官僚・軍人の中に、この戦争の混乱を機にわが国に社会主義革命を起こそうと考え、ソ連に協力する人物が少なからず存在したことを書いたが、秦参謀長もそのような男であったのか。この男がこのような指令を出さなければ、北方領土の問題は今は存在しないか、全く異なるスケールのものであったのではないだろうか。

秦関東軍参謀長とソ連極東軍最高司令官ワシレフスキー元帥の19日の会談の翌日に、ワシレフスキーはモスクワのスターリンに宛ててこんな文書を発信している。
「現在、私と第一極東方面軍司令部は、北海道への上陸作戦の準備に真剣に取り組んでいる。現在、海洋からの偵察を行ない、空軍、砲兵隊、輸送手段を準備しているところである。1945年8月22日頃になるだろうと思われるが、サハリン南部の占領の後、貴殿の許可が下り次第、ただちに海からの作戦を開始する。」
秦参謀長の停戦命令により、ようやくサハリン南部の占領に取り掛かれることになり、北海道の上陸作戦にも取り組めるようになったということだろう。

スターリン

しかしスターリンからは、北海道への侵攻の命令は出されなかった。
樺太南部の豊原、大泊をソ連軍が占領したのは8月25日だが、ソ連軍の侵攻を予定より遅らせたのは南樺太を守っていた日本軍の抵抗によるものだったと考えて良い。

しかしスターリンが南樺太占領後、北海道への侵攻をあきらめたのは何故か。
この経緯については伊勢雅臣氏の「国際派日本人養成講座」の記事が参考になる。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h13/jog203.html

スターリンは我が国の1945年8月16日付のトルーマン米大統領宛の書簡で、北北海道の割譲を要求したが、トルーマンは8月18日付の返書でそれを拒絶している。
そこで、ソ連極東軍ワシレフスキー元帥は、8月25日までに樺太全島と千島列島の北部 諸島、9月1日までには千島列島の南部諸島と北海道北半分を占領するよう命令を変更している。

しばらく伊勢雅臣氏の記事を引用させていただく。
「8月22日になって、ようやくスターリンはトルーマンあてに北海道占領を断念する旨の回答を送り、ワシレフスキー元帥は「連合国との間に紛争や誤解が生じるのを避けるために、北海道方面に一切の艦艇、飛行機を派遣することを絶対的に禁止する」という電報を打った。

22日は、千島列島北端の占守島の日本軍との間で降伏文書の調印が行われた翌日で、それ以南の諸島はほとんどが手つかずの状態であり、また樺太では真岡近郊での戦闘の最中であった。日本軍の頑強な抵抗により、ソ連としては樺太と千島列島の占領を優先するためには、もはや北海道をあきらめざるをえない状況に追い込まれたのである。」

かくしてソ連軍は南千島の占領に勢力を集中させて、北北海道はソ連の侵略から守られたのである。

トルーマン

トルーマンが北北海道の割譲に反対したことのインパクトもあったとは思うが、トルーマンがソ連の千島や南樺太の侵略行為に対して戦う意思を示したわけではない。
ならば日本軍が領土を守るために奮戦したことを、なぜ正当に評価しないのか。

もし日本軍がさしたる抵抗をせず、早い段階でソ連の北北海道占領を許していたらどうなっていたであろうか。
トルーマンがいくらソ連を批難しても、北北海道は今の北方領土と同様にソ連に奪われたままとなった可能性が高かったのではないか。そして満州や南樺太と同様に、北北海道の多くの民間人が虐殺されたり、シベリヤに送られたと思うのだ。

このような史実を教科書にはもちろん、普通の歴史書にはほとんど書かれていないし、テレビで解説されることもほとんどない。このままでは、戦勝国にとって都合の良い話だけが史実として固定化されてしまいそうなのだが、戦後のソ連軍による日本侵略にはどこに正当性があろうか。婦女暴行やシベリア抑留にいたっては世界史上特筆されるべき戦争犯罪であろう。

北方領土と住民を守るために命を捧げた日本兵士がいて、その後シベリアに抑留された兵士が多数いて、多くの人の犠牲によって日本の国土が守られてきたことを忘れてはならない。
『自虐史観』では、彼らは国家のために意味のない戦争に参加させられて「犬死に」したと蔑まれるのだが、彼らが領土と国民を守ってくれたことの意義を忘れてしまう事こそが、彼らの死を「犬死に」に貶めてしまうことであり、ロシアを「高笑い」させることではないのだろうか。
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