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アメリカまでのびていたゾルゲ諜報組織の「赤い糸」

前回、前々回の記事で紹介した『知られざる日本占領 ウィロビー回顧録』に1964年9月5日付の『ニューヨークタイムズ』紙のこのような記事が紹介されている。

ゾルゲ

「モスクワ発9月8日―――ソ連は第二次世界大戦中、東京にあるドイツ大使館情報宣伝課に勤めていたリヒアルト・ゾルゲが、ソ連スパイ団を巧妙に指揮していたことを認めた。共産党機関紙『プラウダ』が、ゾルゲが提供した情報の結果、ソ連軍は1941年秋におけるドイツ軍のモスクワ進軍に効果的に対処し得たとの記事を載せたのである。ゾルゲは、日本の秘密警察(注:特別高等警察=特高)に逮捕され、秘密裁判の結果、1944年に処刑されている。ゾルゲ・スパイ団の諜報活動を公にしたのは、極東におけるダグラス・マッカーサー司令部の情報部長(1941~1951年)だった陸軍少将チャールズ・A・ウィロビーの作成せる米陸軍報告書が最初である。

1941年、リヒアルト・ゾルゲはソ連のレニングラードに対するヒトラーの攻撃準備に関して有用な情報をもたらし……攻撃日付を正確にも6月22日としていると続けながら、『プラウダ』は日本軍が太平洋戦争を準備しており、ソ連を極東の地において攻撃することはないだろうとの情報を、真珠湾攻撃の2か月前にソ連情報部にゾルゲが提供したことを明らかにしている。この情報のおかげでソ連は極東から必要な増援部隊を迅速に移動させ、かくしてドイツの進軍をモスクワの一歩手前で阻止できた…」(同上書 p.109-110)

少し補足しておくと、1941年6月22日にドイツ国防軍がソ連に侵入し戦争状態となった。
そしてわが国は、昭和16年(1941)9月6日の御前会議で、日独伊軍事同盟に基づいてドイツを支援するために北進しソ連を挟撃するのではなく、日ソ不可侵条約の方を優先してソ連とは戦わないことが決定されたと言われているのだが、その情報がただちにゾルゲからソ連に通報されていたのである。そしてソ連はゾルゲの情報に基づき、ソ連と満州の国境にいたソ連軍を独ソ戦線に向かわせた。
この『ニューヨーク・タイムズ』の記事はそのことが史実であったことを、23年もたってソ連が漸く公式に認めたことを書いているのだ。

1941年当時、満州との国境にいたソ連軍が急に西に移動しはじめたことについて、ドイツがわが国に対して疑問をもったのは当然のことである。

悪の論理

以前このブログで紹介した倉前盛通氏の『悪の論理』にはこう書かれている。

「(昭和16年9月6日の御前会議の)そのあくる日から、ソ満国境のソ連軍は一斉にヨーロッパに移動しはじめ、独ソ戦線に向かった。驚いたドイツは日本政府へ質問を寄せてきた。
『ソ満国境のソ連赤軍が一斉にヨーロッパ戦線へ移動しはじめたのはいかなる理由であるか。日本はソ連に対し何らかの保障を与えたのではないか』
だが、日本政府がソ連にわざわざ保障を与えるはずもないのであって、これは明らかに御前会議の極秘内容が、その日のうちにソ連に筒抜けになったことを暗示している
ゾルゲと尾崎が、それから1か月後に逮捕された理由も、この御前会議の重大決定が、どのようなルートでソ連に漏れたかを追及した結果、かねてマークされていた二人が浮かんできたというわけであろう。」(『悪の論理』p.87)

尾崎秀実

「尾崎」という人物の名は「尾崎秀実(おざきほつみ)」で、朝日新聞を退社後近衛文麿政権のブレーンとなり、開戦直前までわが国の政治の最上層部と接触し国政に影響を与えた人物である。
Wikipediaによると、昭和3年(1928)に尾崎がコミンテルン本部機関に加わり、そしてゾルゲと出会い、昭和7年にゾルゲの諜報組織に参加しているという。そして昭和13年7月に近衛内閣の嘱託となり、ゾルゲ事件の首謀者として逮捕されたのは昭和16年(1941)10月15日だから、3年3ヵ月もの間、尾崎がわが国の政権の中枢にいて重要情報を収集していたことになる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%B4%8E%E7%A7%80%E5%AE%9F#cite_ref-9

わが国の特別高等警察(特高)はアメリカ共産党員であった宮城与徳や北林トモの周辺にかねてより内偵をかけていたようで、昭和16年9月27日に北林が逮捕されたのを皮切りに関係者が順次拘束・逮捕され、10月10日には宮城が逮捕され数多くの証拠品が発見されたという。
宮城は取り調べの際に自殺を図ろうとしたが失敗し、それ以降詳細な陳述を始めたという。

m_yotoku.jpg

この宮城の陳述によって、このスパイ組織が世界規模の大掛かりなものであることが判明し、10月14日の尾崎の検挙のあと、10月18日にはゾルゲ、マックス・クラウゼン、ブランコ・ド・ヴーケリッチの3外国人が検挙されている。そして3年後のロシア革命記念日の日である昭和19年(1944)11月7日にゾルゲと尾崎の死刑が執行された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%83%AB%E3%82%B2%E4%BA%8B%E4%BB%B6

ウィロビーの回顧録にわが国の内務省警保局が1943年にゾルゲ事件をまとめた文書が紹介されている。重要な部分を引用しておく。

「スターリンは自国防衛の為に『一戦争、一戦後に勝利を得んが為には相当の兵力を必要とするが、戦争を失敗せしむるには数人にて足る。即ち数人の密偵が我等の作戦計画を盗んで与えれば良い』との防諜教訓を与え、中国共産党の“鋤奸(じょかん)読本”も亦(また)此の言葉を引用して、除奸運動を強化しつつあり。
而もソ連邦は我国に対し斯くの如き有力なる諜報網を布き、以て或は支那事変を指導し或は各般の対日方策を講じつつありたるものにして、斯る機関を長年月に亘り我国に蟠踞せしめたる根本的原因に就ては検討の要大なるものあり…」(『知られざる日本占領 ウィロビー回顧録』p.116-117)

このようにわが国の公式文書に、ソ連が諜報網を布いて、日中戦争を指導し、様々な工作を仕掛けていたと記録されていることは注目して良い。
またソ連は終戦後19年間もゾルゲ諜報団の存在を否定していたのだが、スターリンを批判したフルシチョフが失脚した直後に、ゾルゲの遺族に対し「ソ連邦英雄勲章」を授与し、尾崎に対しても親族からの申し出があれば勲章と賞状の授与する旨の発表をしたという。また宮城与徳の遺族は、勲章と表彰状を受領済なのだそうだ。
ソ連がこのスパイ行為に携わった人物を表彰した事実は、わが国が太平洋戦争に巻き込まれたのはソ連の工作抜きでは語れないということを雄弁に物語っているのだが、こういう重要な史実が日本人の常識となる日はいつになるのであろうか。

話をウィロビーの回顧録に戻そう。
太平洋戦争終戦後わが国は連合国軍に占領され、占領開始後数カ月の間に治安維持法などを破棄させ、そして投獄されていた人々を解放したのだが、その中には日本共産党の幹部や、マックス・クラウゼンなどゾルゲ諜報団の生き残りたちも含まれていた。

一方ウィロビーの所属するGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)参謀第2部(G2)は日本の司法省刑事局の『ゾルゲ事件資料』を押収していた。
その資料に興味を抱いたウィロビーが、その調査を開始している。ウィロビーは回顧録でこう記している。

ウィロビー参謀二部長

「ところで米国内の治安という観点から、G2はゾルゲ諜報団とアメリカとの関係を調べていた。そしてカリフォルニアの共産主義活動家と直接関係していたことを発見するまでには、かなりの時間と慎重な調査が要求された。しかし、その調査は比較的スムーズに運ばれた。それは釈放された連中が、遅かれ早かれ本国との関係の糸をたぐっていくだろうと思われたからである。

予想通り、ドラマチックな巻き糸の糸口は上海に伸びていき、間もなくゾルゲ・グループが極東におけるソ連の支配をその究極の目的にしていたことが分かった。すなわち、ゾルゲ諜報団は共産主義の第3インターの『諜報班』の歯車の一つであることが明瞭になったのだ
。今日では常識化しているこれらの事柄も、1945年ころには十分に理解されてはいなかったのである。」(p.120-121)

ウィロビーの指示によりゾルゲ諜報団に関するレポートがまとめ上げられ、ワシントンに送られたのだが、この諜報団の詳細の公表はしばらく控えられてきた。
そして1948年に、モスクワの米大使館員が突然ソ連にスパイ容疑で告発される事件があり、アメリカ陸軍省はそれを機に、ゾルゲ事件の公表を決断したという。

ウィロビーは6月と8月の2回にわたり、主要な証人と被告の証言を翻訳してワシントンに送ったのだが、ワシントンは数カ月の間沈黙したそうだ。その後ようやく12月にゾルゲ事件を公表したのだが、すぐに腰砕けになってしまう。この経緯をウィロビーはこう記している。

「ゾルゲ事件のニュース・バリューがきわめて高いことは誰の目にも明らかだった。ソ連のスパイ活動一つのパターンを示すものとして、非常に重要な価値を持っていることは言をまたない。記者たちは最初の発表に引き続き、さらに詳細、とりわけ証拠書類の発表と主な被告、関係者、目撃者たちの陳述の発表をいまや遅しと待機していた。東京のG2は、この種の資料提供の準備を整え、発表の命令を待つばかりとなっていたが、ワシントンからその命令はついに来なかった。そのかわり数日後、あれほど熱心に丸一年間も協議してゾルゲ事件の公表に踏み切ったはずのワシントン当局によって、今後の詳細の発表を拒否されてしまった。私にはとても信じられなかった。予測されたように、報告書の中に登場するスメドレー女史(アメリカ人ジャーナリスト。中国共産党軍に従軍して取材活動をした社会主義者)が猛烈な抗議運動を展開し、スタイン(中国共産党に好意的であったアメリカの新聞記者)もまた不満の意を表明していたとはいえ、こんなバカなことが実際に起ころうとは!…」(同上書 p.127)

スメドレー

スメドレー女史の抗議ばかりではなく、アメリカの多くの作家や雑誌・新聞などがスメドレー女史の擁護に立ちあがったというのだ。
ゾルゲとスメドレー女史との関係については、ゾルゲの手記など多くの資料で容易に確認でき、スメドレーが諜報活動をしていたことは確実なのだが、それら資料の一切を開示することを封じられてしまったのはなぜなのか。

当時は我国だけではなくアメリカにおいても、主要なメディアにソ連および共産主義の工作が浸透していて、共産主義勢力にとって都合の悪い真実を公表できるような環境ではなかったということなのか。
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宮城さん
沖縄では「平和のために日本軍国主義と闘い、軍国主義のために命を落とした人」として「海外からも称賛される平和の闘士」として語られています。

方言を使う沖縄県民をスパイ容疑で殺してしまうぐらいの疑心暗鬼を日本軍に招いたこのスパイ事件の正しい総括抜きに、沖縄の未来も暗いものとなります。
Re: 宮城さん
宮城与徳は世界を共産主義国家とすることが正しいとする立場か否かで評価が真逆になる人物ですね。私は、随分純粋な人物だとは思いますが、沖縄の評価は左に偏りすぎていると思います。

1965年1月19日にソ連が「ソ連最高会議幹部会令」を出して、ゾルゲの諜報グループの活動とそのソ連への功績を認め、尾崎と宮城に勲章を授与することを決定しています。そして、The Voice of Russiaのホームページの2010年1月14日付の記事で、親族の方に勲章が贈られている写真と記事が掲載されています。
http://japanese.ruvr.ru/2010/01/14/4595962.html

このことから、ゾルゲ、尾崎、宮城らの活動がソ連の国益にかなったことであったことは確かですが、普通に考えれば、ソ連にとってプラスであったことはわが国にとってマイナスであったということになります。
アメリカ共産党も日本共産党もコミンテルンの指導のもとで米国と日本を戦争に巻き込んで疲弊させた後に共産主義革命を起こすために活動し、そのために多くの兵士や民間人が命を失いました。尾崎の手記を読めば、彼らの組織は、軍国主義と戦ったというよりも、むしろ軍国主義化させて日米を戦争に追い込んだということが見えてきますが、そういう活動をした人物が何故「平和の闘士」と称賛されることになるのか理解に苦しみます。
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平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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