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開国・維新後のわが国の近代化の礎を築いた津山の洋学者たち

千光寺の枝垂れ桜を楽しんだ後、西新町の出雲街道沿いにある津山洋学資料館に向かう。

以前の洋学資料館は出雲街道沿いをもっと東に進んだ場所に赤レンガの建物があったそうだが、平成22年3月に現在の場所に移転したばかりなのだそうだ。ここには『解体新書』『本草綱目』などの古書や、木製の人骨模型や、さまざまな道具や文書などわが国の洋学の貴重な史料が多数展示されている。駐車場もあるので出雲街道沿いの町並み保存地区近辺を散策するのにも都合がよい。

IMG_7467.jpg

津山は江戸時代後期から明治初期にかけて優れた洋学者を数多く輩出している。
学生時代の教科書や参考書でこの時代の洋学者の名前が何人か記載されていたが、そのうちの多くが津山にゆかりのある人物だとは知らなかった。

宇田川玄随(うだがわげんずい)・宇田川玄真(うだがわげんしん) ・宇田川榕菴(うだがわようあん)・箕作阮甫(みつくりげんぽ)・津田真道(つだまみち)の五名を「津山洋学五峰」と呼ぶのだそうだが、このモダンな資料館は、津山にゆかりのあるこの五名の洋学者を顕彰する意味合いで五角形にデザインされたのだそうだ。

宇田川玄随

宇田川家は代々江戸詰の津山藩医を勤めてきた家系で、宇田川玄随(1756-1798)は、もともとは漢方医であったが、杉田玄白や前野良沢と交流するうちに蘭学に転向したのだという。わが国最初の蘭和辞書である「ハルマ和解(わげ)」を、蘭学者の稲村三伯らとともに編纂し、またわが国で最初に西洋内科学の書物を翻訳し『西説内科撰要』を著した人物でもある。

宇田川玄真

宇田川玄真(1770-1835)は伊勢国の出身で、若くして杉田玄白、大槻玄沢に蘭学を学び、宇田川玄随が亡くなると宇田川家の当主として養子に入りその跡を継いだ人物で、医学のみならず、化学、自然哲学など幅広い分野で日本の洋学の礎を築いたと評価されている。

宇田川榕菴

宇田川榕菴(1798-1846)は江戸に生まれ、父の師匠である宇田川玄真に才能を見出されて玄真の養子となり、玄真との共著で薬学書を何冊か出版しているほか、わが国で最初に西洋の植物学を伝え、近代化学を紹介した人物である。

しかし、西洋の学問を伝えようにも西洋で使われている用語の多くがわが国に存在しなかった時代である。翻訳といっても機械的に訳すわけではなく、日本語にない用語をわかりやすく適切な言葉を考案して置き換えていかなければならないのである。この作業は高度に知的なものあることは言うまでもない。
こういう先人たちの努力があったからこそ、我々日本人は日本語で世界の最先端の知識を吸収できるようになったのである。このことはわが国の基礎科学が強いことと無関係ではないはずだ。

今日当たり前のように使われている用語は、宇田川玄真や榕菴が作った言葉がかなりあることを知って驚いた。
Wikipediaによると「分泌器官に用いる『腺』や膵臓の『膵』の字などの医学用語を作成(字を発見し当てはめたわけではなく造字した)したのも(宇田川)玄真の功績の一つである」と書いてある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E7%94%B0%E5%B7%9D%E7%8E%84%E7%9C%9F
そもそも「膵臓」は和漢の解剖学の知識において認識がなく、杉田玄白らが1774年に出版した『解体新書』では、オランダ語"alvleesklier"から「大機里爾」と表されていたのだそうだが、こんなわけのわからない当て字ばかりが並んでいたら、誰でも途中で読む気がしなくなるだろう。
http://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%86%B5

また宇田川榕菴に関しては、「酸素、水素、窒素、炭素、白金といった元素名や元素、酸化、還元、溶解、分析といった化学用語、細胞、属といった生物学用語は宇田川榕菴の造語」なのだそうだ。また、私の大好きなコーヒーを「珈琲」と表記することを考えたのも宇田川榕菴だという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E7%94%B0%E5%B7%9D%E6%A6%95%E8%8F%B4

このような伝統があるから、その後もわが国は西洋の最先端の学問の基本用語を翻案し続けている。「素粒子」「陽子」「電子」「化学」「物理」など、漢字文化圏に存在しなかった言葉を日本人が作り出してきているのだ。日本語で基礎科学が学べるからこそ、わが国の研究者は日本語で深く思考することが出来し、学生もテキストを読んで基本を早くマスターすることが出来る。

一方、お隣の韓国では英語のテキストで基礎科学を教えている。韓国人は外国語を学ぶ負担が大きいために内容理解が浅くなり、深く考えることが出来ないという韓国日報の論説が次のURLに紹介されているが、この主張の通りではないかと思う。
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/14d2499f8076680e26530cad5d60e2a3

漢文を読み下すのと同様に最先端の西洋科学を日本語で理解しようとし、後進の研究者達が日本語で西洋科学を学ぶ道筋をつけた津山の洋学者たちの功績は、もっと高く評価すべきではないだろうか。わが国は明治以降富国強兵と殖産興業を合言葉にし近代国家建設の道を邁進したのだが、彼らの活躍がなければそれがどこまで可能であったかと思うのだ。

話を「津山洋学五峰」に戻そう。
「津山洋学五峰」のうち宇田川家の3名は津山の出身者ではなかったが、あとの二人は津山の出身者である。

箕作阮甫

箕作阮甫(1799-1863)は津山藩医の箕作貞固の第三子として現在の津山市西新町に生まれたが、4歳の時に父を失い12歳で兄をなくして家督を継ぎ、貧しい暮らしの中で勉学に励んだという。
箕作家の再興をかけて3年間京都で漢方医学の修行をして津山に戻り、その後藩医に取り立てられている。
文政6年(1823)に藩主の供で江戸に行き、宇田川玄真の門に入り以後洋学の研鑽を積み、多くの訳述書を残しているが、その分野は医学のみにとどまらず、語学、西洋史、兵学など広範囲にわたっているのだそうだ
http://www.tsuyama-yougaku.jp/mitukurigennpo.html
嘉永6年(1853)のペリー来航時にアメリカ大統領の国書の翻訳を命ぜられたほか、同じ時期にロシアのプチャーチンがやって来た時は、交渉団の一員として長崎に派遣されるなど、日本の開国に際して大いに才能を発揮したという。
開国後に本格的な洋学研究・教育機関の必要性を認識した江戸幕府は安政3年(1856)に蕃書調所(ばんしょしらべしょ)を設立し、阮甫はその主席教授に任命されている。この蕃書調所が後に東京大学に発展することになるのだ。
http://www.city.tsuyama.lg.jp/index.cfm/23,16947,131,401,html

  箕作家の系譜が次のURLに出ているが、有名大学の教授や総長(学長)が何人もいるのに驚いてしまう。
http://miguchi.sakura.ne.jp/blog/wp-content/uploads/2013/04/Mitsukuri.jpg

津田真道

津田真道(1829-1903)は津山藩上之町に生まれ、嘉永3年(1850)に脱藩して江戸に出て、箕作阮甫と伊東玄朴に蘭学を学び、佐久間象山に兵学を学んだそうだ。
安政4年(1857)に蕃書調所に雇用されて、文久2年(1862)から4年間オランダに留学し、帰国後に幕府直参に列せられて開成所(蕃書調所を改称)の教授となり、わが国で最初に西洋法学を紹介した書物である『泰西国法論』を刊行している。
明治6年(1873)に「明六社」の創設に尽力し、明治23年(1891)には第1回衆議院総選挙に立候補して当選し、初代の衆議院副議長に就任している。
津田真道の生家の跡が上之町にあるが、今は石垣だけが残されているようだ。
http://www.e-tsuyama.com/kankou/check/jyoto/tsudamamichi/index.html

津山に関わる洋学者は他にも大勢いる。次のURLで代表的な洋学者の経歴を調べることが出来る。
http://www.tsuyama-yougaku.jp/mimasakanoyougaku.html

また次のURLでは洋学者の系譜・学統図が出ている。
http://miguchi.sakura.ne.jp/blog/wp-content/uploads/2013/04/Mimasaka.jpg
この中に原敬や平沼騏一郎や東郷平八郎の名前が出てくるので驚いたが、箕作阮甫の三女・つねと結婚して箕作家の婿養子となった箕作秋坪(みつくりしゅうへい)は、明治元年(1868)に浜町(現在の東京都中央区日本橋蠣殻町)にあった津山藩江戸屋敷の一角を借りて、私塾「三叉学舎(さんさがくしゃ)」を開いている。当時東京には洋学塾がいくつかあり、この三叉学舎と福沢諭吉の慶応義塾が「洋学塾の双璧」と呼ばれていたそうだ。
三叉学舎には多い時には百人を超える塾生がいたそうだが、その中に後に首相となる原敬や平沼騏一郎、海軍司令官となる東郷平八郎、早稲田の学長となる平沼淑郎ら、錚々たるメンバーがいたのである。
http://www.city.tsuyama.lg.jp/index.cfm/23,37528,c,html/37528/686_2.pdf

IMG_7481.jpg

洋学資料館の隣は国指定史跡の箕作阮甫の旧宅だ。
箕作阮甫は寛政11年(1799)に生まれ、文化9年(1812)に戸川町に移転するまでの13年間、この家で過ごしたという。その後この家は明治から大正年代にかけて鍛冶屋、豆腐屋などに使用され、昭和9年(1934)津山市教育委員会が顕彰のため木柱を立て、ついで昭和17年(1942)に津山市が買収したそうだ。
建物全体が老朽化したために昭和50年から51年にかけて解体復元工事がなされ、庭の奥の土蔵に箕作阮甫の業績や箕作家の歴史、復元工事の概要などが展示されている。

次にすぐ近くにある城東むかし町家(旧梶村家住宅:国登録文化財)を訪ねる。

IMG_7469.jpg

城東むかし町家は江戸時代明和4年(1767)に「札元並」という町役に任命され、五人扶持、名字を許されて茂渡藤右衛門と改名した豪商の家を残したもので、その後数代にわたり「札元」を勤めている。梶村姓を名乗るのは明治4年からなのだそうだ。

IMG_7471.jpg

江戸時代後期頃に建てられた主屋から昭和初期に建てられた西蔵まで、各時代の生活様式に対応した改造・増築が行われてきた建造物がよく保存されている。
この家はまた平成9年にNHKの朝ドラ「あぐり」の主人公の夫の実家として撮影された場所となったようで、ロケの風景などのパネルが展示されていた。

出雲街道沿いには古い街並みが良く残されており、電柱が地中に埋められているので、古い時代の景色を彷彿とさせてくれるものがある。時間があれば徒歩でゆっくりと回っても良かったのだが、スケジュールがタイトだったので昼食を急ぐことにした。

津山といえばごB1グランプリで「ホルモンうどん」が過去入賞しているが、ホルモンはあまり得意な方ではないので、トリップアドバイザーというサイトを参考にして「樹庵」という店を選んだのだが、正解だった。
http://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g1023447-d2026656-Reviews-Juan-Tsuyama_Okayama_Prefecture_Chugoku.html#REVIEWS

ちょっと場所は判りにくいが、「美作の丘」の風車を目指して走れば辿りつく。
古民家を再生して建てられてたお店で、とても落ち着いた雰囲気で食事ができた。

IMG_7490.jpg

この画像のほかにおそばとデザートがついて味もボリュームも満点だ。これで値段が1050円だから大満足だった。
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平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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