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盧溝橋事件の後で、なぜ我が国は中国との戦いに巻き込まれたのか

以前このブログで、昭和12年(1937)7月7日深夜に起こった「盧溝橋事件」のことを書いたことがある。
教科書などの多くは、一方的にわが国が中国に侵略したかのような書き方になっているのだが、日中戦争が泥沼化していった契機となった「盧溝橋事件」を仕掛けたのは、中国共産党であったことが今では明らかとなっている。

周恩来

中国共産党周恩来(1898-1976)が、昭和24年(1949)10月1日(中華人民共和国成立した日)に「あの時(盧溝橋事件の際)、我々の軍隊(共産党軍)が、日本軍・国民党軍双方に、(夜陰に乗じて)発砲し、日華両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、我々(共産党)に今日の栄光をもたらしたのだ」と演説しており、また中国共産党軍の兵士パンフレットにも「盧溝橋事件は我が優秀なる劉少奇同志(後の国家主席)の指示によって行われたものである」と書かれているというから、中国共産党が仕掛けたことについては今では疑いようがない。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-210.html

要するに中国共産党が国民党軍に潜り込んで日本軍と国民政府軍との衝突を意図的に作りだし、中国共産党が「漁夫の利」を得ようとしたというのが歴史の真実なのだ。だとすれば、なぜわが国が「侵略国」と呼ばれなければならないのか。

盧溝橋

この時日本軍が盧溝橋に駐留していたことがすでに侵略行為だと考える人がいるのだが、この指摘は間違いである。
当時清国に駐留していたのは我が国だけではなかった。1900年の『義和団事件』の後で清国が欧米列国及び我が国との間で締結した『北京議定書』に基づいて、わが国を含む8ヶ国が、居留民保護の目的で中国各地に駐留していたのであり、盧溝橋に日本軍がいたことについては「侵略」と呼ばれる筋合いのものではない。

日中戦争が中国共産党の挑発により始まり、日本軍が中国に駐留していたことが「侵略」に当たらないことは明らかであるにもかかわらず、わが国の教科書やテレビなどの解説では、未だにわが国が一方的に中国を侵略したとのストーリーで描かれることが多いのは、嘆かわしい事である。

東京裁判において、わが国が「平和に対する罪」を犯したとして東條英機らが死刑に処せられたことは、わが国が侵略国であると裁かれたようなものなのだが、その「戦勝国にとって都合の良い歴史」を日本人の間に広めるために、多くの歴史的事実が歪められて書かれたり、「戦勝国にとって都合の悪い真実」が伏せられたりしていることを、このブログで何度か書いてきた。このことは、日中戦争においても全く同様なのである。

『もう一度読む 山川の日本史』には盧溝橋事件につづいて、こう記述している。
「…つづいて上海でも日中両軍が衝突し、戦果は中国全土に広がった。日本軍がつぎつぎに大軍をおくって戦線を拡大したのに対し、中国側は国民党と共産党が協力して、抗日民族統一戦線を結成し(第2次国共合作)、日本に抵抗した。こうして事変は宣戦布告がないままに、本格的な日中戦争に発展した。」
と、盧溝橋事件のあとで日本が次々と大軍を送って戦線を拡大したというのだが、これは決して公平な記述ではないだろう。
今回は、なぜわが国が中国との戦いに巻き込まれたのかについて書くことにしたい。

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盧溝橋事件からわずか3週間の間に、多くの日本軍人や日本人居留者が命を落としたことを私が知ったのは、最近になって中村粲(なかむらあきら)氏の『大東亜戦争への道』(展転社)という本を読んだからなのだが、このことは重要な事件だと思うのだが教科書には書かれていないし、マスコミで報道されたこともほとんどなかったと思われる。しかしこのことを知らずして、なぜわが国が中国戦に巻き込まれたかを語れないと思うのだ。
中村氏の著書を参考にしてその経緯を纏めてみよう。

盧溝橋事件で中国の挑発を受けても、当初は、陸軍も外務省も事件を拡大させるつもりはなかった。
盧溝橋事件翌日の昭和12年7月8日に、陸軍中央と外務省は事件の不拡大方針を決め、9日の臨時閣議中に現地停戦協議成立の報告が入って、派兵提案を見送っている。

しかしながら、中国側は停戦協議で約束した撤退をせず挑発を続けたために、わが政府は11日に三個師団を派兵することを閣議決定するも、同日夜にまた現地停戦協定が成立したため、再び派兵を見送り、現地軍に不拡大方針を再確認させた。
ところが、中国軍は再び停戦協定を破って、13日には天津砲兵聯隊第二大隊修理班が中国兵に襲撃され4名が爆殺されてしまう(「大紅門事件」)。
14日には天津駐屯騎兵隊の1名が襲撃され、残忍な手口で殺される事件が起きている。
また、20日には撤退する約束であった盧溝橋城の中国軍が、日本軍に一斉射撃を仕掛けてきたために、日本軍も盧溝橋城壁に向かって砲撃を行なった。
政府は再び三個師団の派兵を承認するも、現地に派遣していた軍務課長の報告を受けて、再び内地師団の派兵を見合わせている。

しかし、25日には廊坊の電線修理に派遣された日本軍の電信隊一個中隊が、中国軍に包囲、攻撃される事件があり(「廊坊事件」)、26日には天津駐屯第二聯隊第二大隊が支那軍から乱射を浴びる事件があった(「広安門事件」)。

日本軍は、盧溝橋事件以来3週間にわたって隠忍自重に努めてきたのだが、ここに至っては武力不行使の大方針を放棄するほかなく、28日に天津軍は中国二九軍に開戦を通告し全面攻撃を開始。中国軍は南へ敗走したという流れである。

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しかし、翌7月29日に通州で、中国保安隊による大規模な日本人虐殺事件(「通州事件」)が発生したのである。
この「通州事件」を記述する歴史書はほとんどなく、新聞やテレビなどで解説されることは戦後では皆無に近い。しかし、当時の新聞や雑誌などではその惨状が大きく報道され、日本人の被害が克明に記録されており、証拠となる写真も多数残されている。

通州地図

通州という場所は北平(現在の北京)の東12kmにあり、南京政府から離脱して設立した冀東防共自治政府(きとうぼうきょうじちせいふ)の中心都市で、北京議定書に基づき、欧米列強同様に日本軍が邦人居留民保護の目的で駐留していたのだが、「廊坊事件」や「広安門事件」などが起こり、北平の治安強化のために応援に出ていたために、通州の守備隊は110名程度と手薄になっていた。
このタイミングで、冀東防共自治政府の千数百名の保安部隊が、日本軍の守備隊や特務機関や民家を襲撃し、無辜の民に対して掠奪、暴行、凌辱、殺戮など残虐の限りを尽くしたのである。

中村粲氏の『大東亜戦争への道』のp.404-406に東京裁判で行われた証言内容が掲載されている。
「旭軒(飲食店)では四十から十七~八歳までの女七、八名が皆強姦され、裸体で陰部を露出したまま射殺されて居り、その中四、五名は陰部を銃剣で突刺されてゐた。商館や役所に残された日本人男子の屍体は殆どすべてが首に縄をつけて引き回した跡があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものだつた。」
(萱島高・天津歩兵隊長及び支那駐屯歩兵第二連隊長(当時)の東京裁判における証言)

「守備隊の東門を出ると、殆ど数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たはって居り、一同悲憤の極に達した。『日本人は居ないか』と連呼しながら各戸毎に調査してゆくと、鼻に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等がそこそこの埃箱の中や壕の中などから続々這ひ出してきた。ある飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されてゐた。婦人といふ婦人は十四、五歳以上はことごとく強姦されて居り、全く見るに忍びなかった。旭軒では七、八名の女は全部裸体にされ強姦刺殺されて居り、陰部に箒(ほうき)を押し込んである者、口中に土砂をつめてある者、腹を縦に断ち割ってある者等、見るに耐へなかつた。東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合はせてそれに八番鉄線を貫き通し、一家六名数珠つなぎにして引き回された形跡歴然たる死体があつた。池の水は血で赤く染まつてゐたのを目撃した」
(桜井文雄・支那駐屯歩兵第二連隊小隊長(当時)の東京裁判における証言)

通州城内見取り図

「近水楼入口で女将らしき人の屍体を見た。足を入口に向け、顔だけに新聞紙がかけてあつた。本人は相当に抵抗したらしく、着物は寝た上で剥がされたらしく、上半身も下半身も暴露し、四つ五つ銃剣で突き刺した跡があつたと記憶する。陰部は刃物でえぐられたらしく血痕が散乱してゐた。女中部屋に女中らしき日本婦人の四つの屍体があり、全部もがいて死んだやうだつた。折り重なつて死んでゐたが、一名だけは局部を露出し上向きになつてゐた。帳場配膳室では男は一人、女二人が横倒れ、或はうつ伏し或は上向いて死んで居り、闘つた跡は明瞭で、男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のやうだつた。女二人は何れも背部から銃剣を突き刺されてゐた。階下座敷に女の屍体二つ、素つ裸で殺され、局部はじめ各部分に刺突の跡を見た。一年前に行つたことのあるカフェーでは、縄で絞殺された素つ裸の女の屍体があつた。その裏の日本人の家では親子二人が惨殺されてゐた。子供は手の指を揃えて切断されてゐた。南城門近くの日本人商店では、主人らしき人の屍体が路上に放置されてあつたが、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱してゐた。」
(桂鎮雄・支那駐屯第二連隊歩兵隊長代理(当時)の東京裁判における証言)

このような証言は決して作り話ではなく、証拠となる現場写真も多く残されている。
見るだけで気分が悪くなるのでここでは紹介しないが、例えば次のURL等に一部の写真が掲載されているが、日本人はこんなひどい殺し方をしないだろう。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/46489118.html

通州の在留邦人380人中惨殺された者は260名に達し、被害者の名簿もしっかり残されている。
また、今では冀東保安隊第一、第二総隊の計画的犯行であったことが中国側の資料で明らかになっているし、「防共」自治政府の保安隊と言いながら第二総隊には中国共産党の支部が結成されていたという。

この通州事件の詳細が我が国に伝えられて、国民の憤慨が頂点に達したことは言うまでもない。もし自国の同胞が理由もなく辱められ虐殺されたならば、世界中のどこの国であろうとも、いつまでも加害国を許せるものではないだろう。

以前このブログで「砕氷船のテーゼ」のことを書いた。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-210.html
1935年の第7回コミンテルン大会におけるスターリン演説はこのようなものであったという。
「ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国に向けさせよ。そして戦力を消耗したドイツと日本の前には米国を参戦させて立ちはだからせよ。日・独の敗北は必至である。そこでドイツと日本が荒らし回った地域、つまり日独砕氷船が割って歩いた跡と、疲弊した日独両国をそっくり共産陣営に頂くのだ。」

要するに中国共産党は、凄惨な方法で日本人を虐殺することで、このシナリオ通りに、日本を中国との戦いにひきずりこむことに成功したということではなかったか。冒頭の周恩来の演説の通り、わが国は中国共産党の卑劣な罠にかかってしまったと解釈するのが正しいのだろう。

このブログで何度も書いているように、戦勝国にとっては、わが国がよほど邪悪な国でなければ自国にとって都合の良い歴史を叙述することができないのだ。もし「通州事件」を通史に書いてしまえば、わが国以上に中国が悪い国になりかねないことは、少し考えれば誰でもわかることだ。
だから、「通州事件」のような「戦勝国にとって都合の悪い史実」は日本人に知らせないように封印したのであろう。
何度も言うように、我々が戦後押し付けられている歴史は「戦勝国にとって都合の良い歴史」であり、日本人がこの歴史観に染まっている限り戦勝国は安泰なのである。

ところで「通州事件」の4か月後の12月13日から6週間にかけて「南京大虐殺」が起こったとされるのだが、普段は中国の言うことを全く信用しない人も、この事件だけは中国の言い分を丸呑みする政治家が多いことや、中国に気兼ねするマスコミの論調には閉口してしまう。

明らかに日本人が虐殺された「通州事件」の史実が封印されて、なぜ「南京大虐殺」ばかりが強調されなければならないのだろうか。
このことは、中国にとって都合の良い歴史とするためには、わが国が邪悪な国であり、中国がその邪悪な国と戦って勝った国であると書くしかないのだという事が理解できれば、疑問のすべてが氷解する。中国が日本人を虐殺した事件は他にも昭和3年(1928)の「済南事件」などがあるが、このような事件が戦後書かれた通史からことごとく無視されているのは、前述した事情によるものなのだろう。

キリスト教徒の久保在政氏が「キリスト教読み物サイト」というHPを運営しておられて、そのなかにある「日中戦争の真実」という論文は当時の写真や資料が豊富で非常にわかりやすく纏められており、イデオロギー臭も少ないので、一読を勧めておきたい。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi05.htm

この久保氏の論文で、当時のローマ法王ビオ11世が日本軍の事を絶賛していることが紹介されている。
「日中戦争(支那事変)が始まった年である一九三七年、一〇月に、当時のローマ法王、平和主義者として知られるピオ一一世(在位1922-39)は、この日本の行動に理解を示し、全世界のカトリック教徒に対して日本軍への協力を呼びかけました。法王は、
『日本の行動は、侵略ではない。日本は中国(支那)を守ろうとしているのである。日本は共産主義を排除するために戦っている。共産主義が存在する限り、全世界のカトリック教会、信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ』といった内容の声明を出しています。」

またこのような記述もある。
「日本軍は、中国軍から虫けらのように扱われた中国民衆を、必死になって救済したのです。
こうした中国軍の性格は、蒋介石の軍だけでなく、毛沢東の共産軍でも同様でした。いや、共産軍はもっとひどいものでした。共産軍は、民衆から「共匪」(きょうひ)すなわち共産主義の匪賊と呼ばれていました。それは彼らが行く先々で、民衆に略奪、殺人、強姦を働いたからです。
中国の軍隊は、共産軍でも国民党軍でも、基本的に軍隊というより、ルンペンを寄せ集めたような集団にすぎなかったのです。彼らが軍隊に入ったのは、占領地区で略奪が出来るため、食いっぱぐれがなかったからです。
ですから中国の司令官は、ある土地を占領すると、最低一週間は兵士たちの好きなように略奪や強姦をさせました。また、そうしないと司令官が殺されてしまったからです。」

img20120830171429387.jpg

この久保氏のサイトに、当時の日本軍と中国の少年たちが1938年の正月を迎えている写真が掲載されているが、この写真は「南京大虐殺」があったと主張する人々が、虐殺があったとされる時期撮影された写真ということになる。本当にそのような凄惨な虐殺があれば、このような明るい笑顔が中国人に出せるはずがないのだ。日本軍は中国民衆にとっては、解放軍ではなかったか。

このような写真や論文はネットで探せばほかにもいくつも見つけることができるのだが、このような論文や写真に触れて、この事件に関しては教科書以外に様々な見方があることだけでも知ってほしいと思う。
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Comment
>盧溝橋事件で中国の挑発を受けても、当初は、陸軍も外務省も事件を拡大させるつもりはなかった。
中国共産党が日本軍と中国国民党を衝突させたかった、と思います。
そのため、中国共産党(あるいはその工作員)がその後、日本人を殺害する事件が続く。
通州事件のときは、共産党の工作員が、故意に猟奇的な方法で日本人を殺害する。
軍部はかっとなって、国民党を攻撃する。
蒋介石は抗日より抗共を優先したかったが、日本軍の攻撃によって抗日を優先しなければならなくなったが、抗日の後には抗共が控えている。そのため兵力温存が必要だ。
そこで、アメリカ軍を参戦させ、日本軍と戦わせようと計画する。
アメリカでロビー活動では、キリスト教徒の妻、宋美齢に日本軍の蛮行をネタにしてアメリカ参戦を促す計画を立てる(ドイツ顧問団の提言もあるでしょうが)
そこで、南京を日本軍に攻めさせ、その様子をジャーナリストや宣教師、宋美齢らによってアメリカに報告させる。

国民党軍は、日本軍を誘導するために退却を繰り返し、途中、村落・都市を焼き尽くす(あとで日本軍の仕業にするため)。
南京では、市民を避難させ、一部を宣教師などに守らせ、国民軍兵士の一部をトーチカに鎖で縛りつけたり、城門を閉ざして日本軍の攻撃目標にして戦士させる。
そして、南京が日本軍に占領されるとアメリカで「日本苦戦による南京大虐殺」を訴えてアメリカの参戦を誘う。
国民党軍は南京陥落後、数百回記者会見をするが、虐殺には触れず、ジャーリストらの情報が出回るようにする。

こうした蒋介石の戦略だと思います。
Re: タイトルなし
JUN ISOBEさん、コメントありがとうございます。

中国共産党が日本軍と中国国民党を衝突させようとしたのはその通りでしょう。

いろんな仮説を立てることが可能なのでしょうが、工作機関の記録などは残されないのが当たり前なので、真実を特定することは容易ではありません。私は国民党の中には中国共産党の工作員がかなりいたと考えていますが、その論証も困難です。

確かに言えることは、わが国でマスコミや教育機関で広められている歴史は「戦勝国にとって都合の良い」きれいごとの歴史であって、「戦勝国にとって都合の悪い史実」は歴史の叙述の中で日本人には封印されていると言う点です。

近・現代史について、これからも記事を書くつもりですので、時々覗いてみてください。
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このコメントは管理人のみ閲覧できます
Re: 御礼!
○○清さま、コメントありがとうございます。とても励みになります。

学生時代は、歴史の勉強は平板な教科書の記述を丸呑みするだけで、面白くもなんともなく、どちらかというと嫌いな分野でした。

私の場合は、実家がお寺でもあることが関係していると思うのですが、10年ほど前にあるきっかけで廃仏毀釈のことを知りだしてから急に歴史の勉強が面白くなり、いつの時代もどこの国でも勝者は歴史を都合よく書き替えるものだということに気が付いてから、ブログを書き始めているうちに面白くなってやめられなくなってしまいました。

今の国内外の政治を見てドロドロしているものを誰でも感じると思うのですが、いつの時代もどこの国でも、権力が絡む話がドロドロしたものであることは当たり前だと思います。今の教科書や通史に長い間リアリティを感じることが出来なかったのは、真実の多くを伏せているか歪めて、キレイごとだけで記しているからだと考えています。

私の意見が正しいとは限りませんが、歴史上の出来事には視点を変えれ様々な見方が出来ることを多くの人に知ってほしいと思っています。これからも時々覗いてみてください。

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Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

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