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「黄河決壊事件」の大惨事が教科書に記述されないのはなぜか

前回の記事でルーズベルト米大統領が、蒋介石の中国を連合国陣営に戦略的に残したことを書いた。以前にも蒋介石に関する記事は「中国排日」シリーズで何度か書いたが、この男がどういう人物であったかを知るうえで欠かせない事件の顛末を書き記しておきたい。

1938年(昭和13年)6月に黄河の堤防が決壊し、津波のように流れ出した大量の水が周囲の都市や田畑を襲い多くの人々が死亡する大災害が起こったのだが、この災害は自然災害ではなく、とんでもない人災であったのだ。

この事件はWikipediaや「日華事変と山西省」というサイトに詳しく書かれており、これらのサイトなどを参考にまとめてみることにする。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%B2%B3%E6%B1%BA%E5%A3%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6#cite_ref-t1617_20-0
http://shanxi.nekoyamada.com/archives/000189.html

1937年(昭和12年)盧溝橋事件から支那事変がはじまり、その後日本軍は中国中心部に進軍し、翌年6月には河南省の中心地である開封(かいほう)という町を占領。次いで鄭州(ていしゅう)という町に向かうのだが、このままだと国民党政府にとって重要な都市である武漢が危うくなる。そこで蒋介石は、日本軍の進撃を阻止するために、黄河の堤防の爆破を命令したのである。

Wikipediaによると、「氾濫は河南省・安徽省・江蘇省にまたがる54,000平方kmの領域に及んだ。水没範囲は11都市と4000村に及び、3省の農地が農作物ごと破壊され、水死者は100万人、被害者は600万人と言われるが被害の程度については諸説ある。」と解説されている。

201106112353582c2.jpg

54,000平方kmといっても広すぎてなかなかピンとこないのだが、近畿地方の面積が33,117平方km、四国地方が18,805平方kmだから、近畿と四国を合わせたよりも広い面積が水没したことになる。上の画像が冠水地域の地図である。

当時のわが国新聞などにも、この事件はもちろん報道されたのだが、ネットで見つけた新聞の画像では字が読みづらい。

kouga_news.gif

このブログで何度か紹介している西尾幹二氏の『GHQ焚書図書開封』の5巻に、仲小路彰氏の『世界戦争論』という著書が解説されていて、そこに黄河決壊事件の当時の記録が書かれている。
この『世界戦争論』は、この事件のわずか4か月後に出版されたもので、戦後になってからGHQにより焚書処分にされてしまった本である。
この仲小路氏の文章のポイントの部分を引用させていただく。原文は旧字旧カナだが、新字新仮名に改めている。また[ ]内は、西尾氏のコメントである。

img20130118222624066.png

「六月中旬、暴虐なる支那敗残軍は、わが進撃を極度に恐れ、自らの良民の休戚[善良な民の喜びと悲しみ]を顧みずか、開封西北鬧市口(どうしこう)、蒲灘(ほなん)間、十数か所および鄭州北方許家堤付近数ヶ所に黄河の堤防破壊を決行せり。
折からの雨期に増水せる大黄河の滔々たる濁流は、奔然、白波を立てて氾濫。…河南の大沃野は一瞬にして泥海と化せり。

決潰口は口百五十米(メートル)」余に拡大、水勢は秒速一米余、中牟(ちゅうぼう)付近には水深二米に達し、その一丈五尺[4.5メートル]の大城壁も刻々濁水の中に沈みつつあり。…支那側は今や頻りに黄河堤防決潰を日本軍の所為(せい)なりと宣伝に努む [自分でやっておいて日本軍のせいにする] 。
しかもその地点と称さるる京水鎮(けいすいちん)には未だ日本軍は進出せず、支那軍は日本の空爆によりて破壊せりと言えど、幅三百米もある堤防を如何にして爆弾にて破壊し得ん[「日本軍が空爆した」といっているけれど、幅が300メートルもある堤防をどうして爆弾で破壊できるのか?と。]。

十四日まで中牟[ちゅうぼう]付近を中心とし、被害面積四百五十平方支里[シナの尺度による里]は水底に没す。大小一千余の部落は濁水に姿を消し数十万の住民は逃げ惑い、阿鼻叫喚の巷と化せり。
開封駐屯の日本軍は、早くも筏船(いかだぶね)、自動車隊を出動せしめ、勇敢に決死の救助作業に従事、僅かに水面に残れる中洲や丘陵に恐れ戦ける(おののける)瀕死の避難民を救助しつつあり。しかも修復作業隊は、幾度か敵の暴戻なる攻撃を物ともせず、敢然、轟々(ごうごう)たる濁流に抗して、応急の行為に出ずるなり。
没落の直前にある蒋介石は、わが新占領地を一大湖水化せしめ、漢口進攻を阻止せんとす。かくて更に国民政府は、この決潰と同時に『潼關(とうかん)より曲沃(きょくよく)に至る山西南部一帯は既に奪回されたり』と、デマ放送をしつつあり。
なおも修理を為さんととする良民に対し、支那兵は悪鬼の如く機関銃を猛射せるなり。」(『GHQ焚書図書開封5』P.334-338)

img_869142_40872628_1.jpg

この様に国民党軍は自分で黄河の堤防を破壊して黄河の水を溢れさせ、100万人もの水死者を出しておきながら、「日本軍の仕業だ」とのデマを流した。そればかりではなく、決死の救助作業に従事し多くの避難民を助け修復作業に従事していた日本軍や被害者の良民に対して、国民党軍は機銃掃射を浴びせてきたというのである。

この話は多くの日本人には信じられないかもしれないが、事実なのである。
仲小路彰氏はスペインのサンセバスチアンで発行されているディアリオ・パスコ紙の6月19日付けの「支那人の戦法」という記事で、国民党軍のこの行為に抗議しない英米仏を辛辣に批判している部分を紹介している。
「…然るに、英、米、仏いずれよりもこの世界に前例なき人類一大鏖殺[おうさつ:皆殺し]に対し、一言たりとも抗議する声を聴かない。この奇異なる態度こそボルシェヴイズムおよび民主主義者流の特質とする虚言および事実を歪曲する支那人でもなければ了解することはできない。…
支那人が数百万人の平和なる住民を溺死せしむべき大洪水を起こしても、ひたすら沈黙を守っているのは、これ彼等の心事を以てしなければ理解できない。吾人はかかるご都合主義的虚偽を人類の尊厳を汚辱するものとして世界各国が絶対に排撃しない限り、いわゆる文明に対し不信を感ぜざるを得ぬ」(『GHQ焚書図書開封5』P.342-343)

この事件を、英米仏の3国が無視したわけではない。報道はしたのだが、中国軍に対する批難はしなかったということのようだ。
Wikipediaによると、アメリカにおける報道は被害の規模を伝えるのみにとどまり、『ブルックリン・デーリー・イーグル』紙が6月16日に「日本軍が必死の救助活動をしている」と報じた程度という。
英国では事件が日本軍の砲撃で引き起こされたとする中国側の説明に無理があることを示しながら双方の主張を伝え、フランスでは6月9日上海発アヴアス電は漢口からの報告として中国軍は黄河の堤防破壊による洪水で日本軍の進撃を阻止したとの内容であったが、6月15日夕方駐仏中国大使館は、黄河決壊に関するコミュニケを各通信社・新聞社に送り、その中では事件を起したのは日本であるとしていたが16日の各紙朝刊は全くこのことを掲載しなかったそうだ。また6月17日のフランス急進社会党機関紙「共和報」は、黄河決壊事件は中国軍による自作自演であると書いたという。
このように世界各国は、概ね中国軍の嘘の発表は見抜いていたようだ。

中国政府の要職を務めた文学者・歴史学者・政治家の郭沫若(かくまつじゃく:1892-1978)の自伝の中にもこの事件の記述があり、日本軍の責任と言っていたが実は蒋介石の命令によって実行したこと明確に書いている。次のURLに該当箇所の引用がある。
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4274.html

「敵の最初の計画は、伝えられるところでは、大きく迂回した包囲戦略をとり、隴海線に沿って西進し、さらに平漢線南半を奪って大武漢の背をつこうというものだったという。しかしこの戦略は、6月11日の黄河堤防の決壊で、河南省東部が沼沢地帯になったため、水の泡と化した。
あの時、黄河の堤防は開封の西北の五荘、京水鎮、許家堤等で同時に決壊した。わが方の対外宣伝では敵の無差別爆撃による、といっていたが、実はわが軍の前線の将軍が命令によって掘りくずしたのだった。
わが伝統兵法――「水、六軍を淹(ひた)す」だった。
しかし敵が水浸しになった程度はたかの知れたもので、むしろわが方の民間の生命財産が想像もつかぬ犠牲をこうむった。」

201006240642449ab.jpg

蒋介石の自伝にも「黄河決壊事件」の事が書かれていて、日本軍の侵攻を食い止めるにはこの策は必要だったと記しているそうなのだが、この男は自国の国民を塗炭の苦しみに陥れても、自分の利益を守ることを優先するというとんでもない人物だと思う。

爆破はまず6月7日に行われたがこれは失敗し、9日の爆破で黄河は決壊したが、大量の水が流れ出したのは3ヶ所の堤防が爆破された11日の爆破以降のようだ。
幸い日本軍の被害は少なく、洪水自体による犠牲者はたったの3名だけだったという。堤防修復作業の際に中国軍からの攻撃を受けて、さらに何人かの犠牲者が出たようだが、詳しいことはよく解らない。

kouga01.jpg

この堤防決壊事件によって黄河の流れが変わり、濁流が流れ去った後は辺り一面が乾燥地帯になり、堤防破壊の後遺症として1942年に河南省で干ばつが起こった際に飢饉が発生し、道端には凍死者と餓死者があふれ、飢えから屍肉が食べられたという記録もあるようだ。

Wikipediaにはこう書かれている。
「劉震雲によれば1942年から1943年にかけて河南省では水旱蝗湯(すいかんこうとう)と呼ばれる水害、干ばつ、イナゴの発生、および湯恩伯による重税により、300万人あまりが餓死した。…この状態が続けば河南省は全滅していたが、1943年の冬から1944年の春までの間に日本人が河南の被災地区に入り多くの軍糧を放出して多くの人々の命を救った。」

そして、河南省の人々が中国軍に叛旗を翻し、日本軍に協力する者も少なくなかったという。
「河南省の人々は日本軍を支持し、日本軍のために道案内、日本軍側前線に対する後方支援、担架の担ぎ手を引き受けるのみならず、軍隊に入り日本軍による中国軍の武装解除を助けるなどした者の数は数え切れない程だった。
1944年春、日本軍は河南省の掃討を決定した(一号作戦)。そのための兵力は約6万人であった。この時、河南戦区の蒋鼎文司令官は河南省の主席とともに農民から彼らの生産手段である耕牛さえ徴発して運送手段に充てることを強行しはじめた。これは農民に耐え難いことであった。農民は猟銃、青龍刀、鉄の鍬で自らを武装すると兵士の武器を取りあげはじめ、最後には中隊ごと次々と軍隊の武装を解除させるまでに発展した。推定では、河南の戦闘において数週間の内に、約5万人の中国兵士が自らの同胞に武装解除させられた。すべての農村において武装暴動が起きていた。日本軍に敗れた中国兵がいたるところで民衆によって襲撃、惨殺、あるいは掠奪され、武器は勿論、衣服までも剥ぎ取られた。3週間以内で日本軍はすべての目標を占領し、南方への鉄道も日本軍の手に落ちた。この結果30万の中国軍は全滅した。」

無題

このような史実が中国河南省出身の劉震雲氏が祖母や叔父らをインタビューして著した『温故一九四二』という本に書かれているようだ。邦訳もされており、アマゾンに詳しいレビューが紹介されている。
http://www.amazon.co.jp/%E6%B8%A9%E6%95%85%E4%B8%80%E4%B9%9D%E5%9B%9B%E4%BA%8C-%E5%8A%89-%E9%9C%87%E9%9B%B2/dp/492477992X

こんな大きな事件があまり日本人に知られてこなかったのは、わが国の歴史教科書に書かれてこなかったからなのだが、ではなぜこの事件が教科書に載せられることがなかったのか。
このブログで何度も書いている事なのだが、わが国の教科書は『戦勝国にとって都合の良い歴史』であり、このような『戦勝国にとって都合の悪い史実』を書くことは許されなかったと考えるしかない。

この事件の前後に起こった事件を追っていくと、今の教科書のスタンスを守ろうとする勢力が、この事件を教科書に書くわけにはいかないと考えた背景が見えてくる。

1937年7月7日に盧溝橋事件がおこり日中戦争がはじまったが、ことのきっかけは、後に中国の国家主席となった劉少奇の指示により、夜陰に乗じて、共産党軍が日本軍・国民党軍の双方に発砲したことからはじまっている。
この事件発生後5日目に停戦協定を結んだが、この停戦協定はその後何度も中国によって破られて日本兵が襲撃され、ようやく7月28日に日本軍は武力不行使の方針を捨てて中国軍へ開戦を通告した。
その翌日の29日に、中国保安隊によって通州の在留邦人380人中260名が惨殺される事件が起こっている。(「通州事件」)
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-250.html

その翌月に蒋介石は外国人の多い上海で再び武力衝突を仕掛け、国民党軍は国民党軍機で空爆を行うなどして日本軍を挑発し続け日本軍は全面戦争に突入していくのだが、この時に国民党軍は上海を空爆して自国民の犠牲者を出しておきながら、その空爆を日本軍がやったとデマ宣伝を行っている。この上海での戦い(第二次上海戦争)は約3ヵ月続き、11月に国民党軍が退却する際に堅壁清野と呼ばれる焦土作戦を用い、掠奪と破壊が行われたことが記録されている。
これらの事件はこのブログにも書いたが、すべて中国やアメリカにも当時の記録や写真などが残されている。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-243.html

そして第2次上海戦争が終わった翌月の12月13日から6週間にかけていわゆる「南京大虐殺」があったとされるのだが、その5か月後にこの黄河決壊事件が起きているのだ。

もしわが国の教科書に「通州事件」や「第二次上海事件」や「黄河決壊事件」につながる史実が記されていたら、今日広まっているような「南京大虐殺」の記述にほとんどの日本人が疑問を持つのではないだろうか。
中国軍が、日本軍だけではなく日本人居留民や中国大衆を虐殺して挑発し、自分の犯した罪を何度も日本軍に罪を押しつけた事件がその前後にあったにもかかわらず、『南京大虐殺』だけは中国の言い分がすべて正しいという説明は、誰がどう考えても不自然である。

このブログで何度も書いているように、『戦勝国にとって都合の良い歴史』には、日本軍だけが悪者にならなければストーリーが成り立たない。だから「黄河決壊事件」のような史実が語られることが今までほとんどなかったのであるが、国境問題がきな臭くなってきた昨今では、日本人がこのような歴史の真実を知り『自虐史観』の洗脳を解くことが、これからますます必要になってくるのではないだろうか。
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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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