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パリ講和会議で人種差別撤廃案を提出した日本とその後の黒人暴動など~~米国排日5

1918年11月11日、ドイツは連合国に降伏し第一次世界大戦は終結した。翌年1月に開かれたパリ平和会議において世界の主要国の首脳が集まり、戦後処理および国際連盟を含め新たな国際体制構築について話し合われた。

国際連盟委員会

2月13日国際連盟委員会において、わが国の全権の牧野伸顕は連盟規約第21条の「宗教に関する規定」に次の条項を加えることを提案した。いわゆる「人種的差別撤廃提案」だが、Wikipediaの記述等を参考にパリ講和会議における議論を振り返ってみよう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E7%9A%84%E5%B7%AE%E5%88%A5%E6%92%A4%E5%BB%83%E6%8F%90%E6%A1%88#cite_ref-13

わが国が提案したのは次のようなもので、国際会議の席上で人種的差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初であった。(原文は旧字旧かな)
「各国均等の主義は国際連盟の基本的綱領なるに依り締約国は成るべく速(すみやか)に連盟員たる国家に於る一切の外国人に対し、均等公正の待遇を与え、人種或いは国籍如何に依り法律上或いは事実上何等差別を設けざることを約す」

わが国がこの法案を提出した背景は、アメリカやカナダなどで日本人移民がひどい人種差別を受けている問題があり、わが国の外務次官幣原喜重郎が、この提案を行うことにより排日問題の解決のきっかけを作ろうとしていたとされている。

わが国の提案は会議で紛糾し、結局連盟規約第21条自体が削除され、全権の牧野伸顕は人種差別撤廃提案自体は後日の会議で提案すると述べて次の機会を待つこととなったのだが、わが国のこの提案は海外でも報道され様々な反響を呼んだ。
牧野伸顕の『回顧録』には、西洋列強の圧力に苦しんでいたリベリア人やアイルランド人などから人種的差別撤廃提案に感謝の言葉を受けたことが書かれているそうだ。
また、アメリカのウィルソン大統領は一時帰国して米議会に諮るも、この提案は内政干渉にあたるとの強い批判に直面し、上院ではこの提案が採択された際にはアメリカは国際連盟に参加しないとの決議がなされたという。

牧野伸顕

4月11日に国際連盟委員会の最終の会議が開かれ、牧野伸顕は連盟規約前文に「国家平等の原則と国民の公正な処遇を約す」との文言を盛り込むという修正案を提案した。

ウィルソン大統領

議長であったウィルソン米大統領は、提案そのものを取り下げるようわが国に勧告したが、牧野は採決を要求した。

議長を除く16名が投票を行い、フランス、イタリア、中国など計11名が賛成し、イギリス・アメリカ・ポーランド・ブラジル・ルーマニアの計5名の委員が反対した。
過半数の賛同を得たものの、議長のウィルソンは「全会一致でないため提案は不成立である」と宣言し、牧野は多数決で決すべきではないかと詰め寄ったのだが、ウィルソンは「このような重大な議題については、全会一致で決すべきである。」と答えて譲らなかったという。
牧野は最後に「今晩の自分の陳述および賛否の数は議事録に記載してもらいたい」と述べて、ウィルソンもそれを了解したという流れだ。

我が国が人種差別撤廃の提案をしたことは、これまで欧米植民地体制の下で呻吟してきたアジア・アフリカの人々やアメリカの黒人に大きな希望を与え、彼らは会議の行方を見守っていたのだ。

前回の記事でレジナルド・カーニー氏の『20世紀の日本人 アメリカ黒人の日本観1900-1945』という本を紹介したが、この本にはこう書かれている。

「どのような不都合が生じたとしても、人種平等を訴え続けることは、必ずアメリカ黒人の利益につながると、ジェイムズ・ウェルドン・ジョンソンは考えた。『おそらく世界で最も有望な、有色人種の期待の星』、それが日本であるという確信。日本はすべての有色人種に利益をもたらすという確信があったのだ。それは、たとえひとつでも、有色人種の国家が世界の列強の仲間入りをすれば、あらゆる有色人種の扱いが根本的に変わるだろうという、彼の強い信念によるものだった。

日本が人種問題を国際会議の卓上にのせたことで、黒人のあいだには、おのずと日本への興味が高まっていった。全米黒人新聞協会(NAAPA)は、次のようなコメントを発表した。『われわれ黒人は講和会議の席上で“人種問題”について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである。』『全米1200万人の黒人が息をのんで、成り行きを見守っている。』
黒人のなかには、この会議が日本を仲立ちとして、黒人の本当の苦しみを世界に伝えるいい機会だと考えるものもいた。そして、これを機に、黒人と日本人が人種差別撤廃にむけて手を取り合うべきだ、と。」(「20世紀の日本人」p.74-76)

国家と人種偏見

米国黒人がこれほどまでに期待していたパリ講和会議におけるわが国の「人種差別撤廃提案」が、賛成多数であったにもかかわらず、議長裁定により法案が成立しなかったことに失望して全米各地で紛争が起こったことがポール・ゴードン・ローレンの『国家と人種偏見』という本に書かれている。

「アメリカでも暴力的な反応があった。人種平等や民族自決の原則を講和会議が支持しなかったことにいらだち、あからさまに不法で差別的な政策を前にして自国の政府が意図的に無作為であったことに怒って、アメリカの多数の黒人が完全な市民権を要求することを決意した。この決意は特に黒人帰還兵の間で強かった。彼らの民主主義十字軍としての戦争参加は、祖国でももう少し民主主義を、という当然の夢をふくらませた。…その一方で、復活したクー・クラックス・クラン*の会員のような反対派の連中は、平等の要求などは絶対に許さないと決意しており、『生まれながらの白人キリスト教徒はアメリカ国家と白人の優位を維持するために団結して統一行動をとる』という計画を公然と発表した。
この相容れない態度が1919年の暑い長い夏に、剝きだしの暴動となって爆発した。6月から10月まで、アメリカの多くの都市のなかでも、シカゴ、ノックスヴィル、オマハ、それに首都ワシントンで大規模な人種暴動が発生した。リンチ・放火・鞭打ち、身の毛のよだつテロ行為、それから『人種戦争』と呼ぶのにふさわしい破壊。当局は秩序回復のために、警察、陸軍部隊、州兵を動員した。暴動が終わってみると、100人以上が死亡、数万人が負傷、数千ドルに及ぶ被害があった。ジョン・ホープ・フランクリンは次のように書いた。パリ講和会議の差別の政治と外交に続いたこの『赤い夏』は『全土をかってない人種闘争という大変な時代に追い込んだ。』彼が目撃した暴力は国内の一部の地区にとどまらず、北部・南部・東部・西部…『白人と黒人が一緒に生活を営んでいるところならばどこでも発生した』」(『国家と人種偏見』p.151-152)」

KKK.png

*クー・クラックス・クラン:アメリカの秘密結社、白人至上主義団体。略称KKK。

この様なアメリカ黒人の暴動は報道機関によって全世界に配信され、一部の記事を神戸大学図書館デジタルアーカイブの新聞記事文庫で読むことが出来る。

人種不平等の国

例えば、大正8年(1919)8月26日~27日付の神戸新聞はワシントンの黒人暴動を特集記事で伝えている。ワシントンの黒人暴動は白人が黒人にリンチを仕掛けたことから始まっていることがわかる。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10056149&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

「時は本年(1919)七月二十日夜華盛頓(ワシントン)市の中央に於て米国水兵、水夫、陸軍々人及び其他の市民は連合して黒人を襲撃した、其数数百より数千に達した、彼等は電車や自動車中に居る黒人を引ずり下した、而して此等の黒人を死刑に処せんとしたのである 。
 何故に彼等はかく野蛮なる行動に出でたかと云うに之は南部米国に於て屡々(しばしば)行わるる所謂(いわゆる)リンチ(私刑)を行わんとしたのである、先月より黒人にして白人婦女子を強姦する者が屡々であった、警察は敏活に活動して数名を捕えた、然し乍ら猶多くの捕われざる者がいると一般に思われていた、かくして白人等は警察の手をまだるしとなし、黒人と云えば手当たり次第に捕えたのである 。
 之は南部に於ては寧ろ(むしろ)当然として屡行わるる所であるが首府の中央に、斯(かか)る事件の発生したことは米国としても珍らしい事件である。然(しか)もそれより四日を経過せし今日は更に黒人側も連合して之に当り一種の内乱の有様を呈している、黒人は手に手に武器を有して決死の勢いを以て白人に対し双方に死傷者を出し遂に政府は軍隊を出して鎮静に努めたが今尚夜毎に争闘が行われている、新聞の報ずる所によればこは黒人間にある秘密結社の者が此運動に加わっているのであると云う 。
 二十二日夜も十時頃より黒人の暴動は益々猛烈となった、数多の騎兵、歩兵、水兵はハーン大将指揮の下に鎮静に努めているが猶止まない之は云う迄いなく黒人の非道徳的行為に原因しているのではあるが然し乍ら根本を正せば白人の黒人に対する軽蔑の念之に対する黒人の不平が有力なる原因たること勿論である、何となれば白人にして黒人婦人を強姦若くは其他の非行を行うも社会は一般に之を責めない、黒人がすれば之を責めると云うのは黒人自身多年の歴史より自己を白人より下位に見ると白人が又自己を黒人より上位と見るに原因する 。
 其証拠には日常の社会的習慣を見れば明かである、黒白人の区別最も甚しい米国南部では通路さえ区別されている、電車の中でも黒人がもし白人の傍へ坐すれば無礼だとせられる、汽車や電車も区別せられることがある、もし電車内で白人婦人が黒人の側に掛けてる場合、白人の男が其女と席を代えても敢て黒人に対し失礼とも思わない、こう云うようなことは沢山ある黒人がかかる待遇に対し不平を懐くのは勿論である、だから今度の華盛頓市の暴動も日頃の不平の勃発と見るべきである。 」

ボストン大暴動

上記画像は大正8年(1919)9月15日付けの大阪朝日新聞の記事で、ボストンでの黒人暴動を伝えている。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=00791137&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

「暴動は容易に鎮定の見込なく更に二名の死亡者を出せり。知事は十一日陸海軍長官に向い州兵のみにては秩序維持に不足なるにより正規兵を直に派遣さるべき旨の電報を発せり。」
「ボストンの暴動以来十二日朝まで軍隊に打たれ死亡せし者七人に達せり。軍隊の警備あるに拘らず掠奪は到る処に行われ無政府状態は依然たり。」
「華盛頓(ワシントン)、市俄古(シカゴ)に於ける黒人暴動の時と同様無見識にて曩(さき)にシアトルに発生してウィンベッグに移りリヴァーノールに飛火し更にボストンに後戻りせる暴動は次には何処に伝染すべきか憂慮に堪えずと論じ居れるのみ。」
と書かれているが、このような黒人暴動が全米に次々に飛び火していったのだ。

パリ講和会議の後で暴動が起きたのはアメリカだけではなかった。ポール・ゴードン・ローレンの『国家と人種偏見』にはパリ講和会議の直後に世界各地で暴動などが起こったことが書かれている。
3月にエジプトで暴動が起こり、4月に起こったインドのパンジャブ地方で反乱では、イギリスの将軍が非武装のインド人群衆に発砲して死者400人、負傷者1000人が出たという。同じ月にパレスティナでも流血の惨事があり5月にはイギリスはアフガニスタンで戦争に突入し、トルコとは一触即発の状態となったという。

英米をはじめとする白人の帝国主義勢力は、それまで植民地で原住民を食い物にしてきた。
第一次大戦後に開かれたパリ講和会議で「民族自決」の要求と期待にどうこたえるかに世界の注目が集まったのだが、この会議で「民族自決」の原則を認めたのは東欧やバルカン半島などヨーロッパだけであり、期待を裏切られた有色人種たちはついに立ち上がったのだ。
この有色人種の怒りを抑え込むために、アメリカはわが国を仮想敵国とし、人種問題を焚き付けて全米を反日に染め上げ、中国には排日思想を植え付けてわが国が築いた中国大陸の商圏を奪い取り、黄色人種同士を反目させた上で、わが国に経済制裁まで仕掛けて挑発し、戦争に持ち込めれば徹底的に叩きのめして、白人優勢の世界を固守しようとしたのではなかったのか。

少なくとも太平洋戦争が終わるまでは、「人種戦争」という視点は当時の新聞記事の論説から容易に見出すことができるので、当時の論文や書籍でも同様な論調が多かったと思うのだが、戦後GHQがそのような視点で記述された書物を徹底的に焚書処分にし、事前検閲で占領軍批判につながる文章の掲載を禁止したことの影響が長らく続き、いまもこの「人種問題」という「戦勝国にとって都合の悪い史実」をテレビなどで解説されることはほとんど皆無ではないか。

しかしながら「人種戦争」の視点から20世紀の歴史を見直していくと、太平洋戦争の原因の全てがわが国にあるとする「戦勝国にとって都合の良い歴史」が、いかに浅薄で偏頗なものであることに誰でも気が付くことであろう。日本人が「自虐史観」の洗脳を解く鍵が、このあたりにあるのだと思う。
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Comment
江戸は暗黒時代
人種問題拝見しました。その通りでしょう。これだけのお仕事には頭が下がります。しかし江戸時代を暗黒時代とする歴史では、どうでしょうか、スペインの難破船を救った話も出てはきません。
Re: 江戸は暗黒時代
いつの時代もどこの国でも、勝者が、勝者にとって都合の良い歴史に書きかえてきました。
江戸時代を暗黒に描くのは、薩長中心史観なのでしょう。

私はただのサラリーマンで、歴史の勉強を「仕事」にしているわけではありませんが、これらも自分が
納得できる歴史を追求していきたい思います。

時々覗いてみてください。
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