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朝鮮戦争で、国連軍を勝たせないようにしたのは誰なのか

仁川上陸作戦で北朝鮮軍の補給路を断ち攻勢に出た国連軍を指揮するマッカーサーに対し、米統合参謀本部は北進攻撃の許可と詳細な指令を1950年9月28日に出し、いよいよ38度線を超える北進攻撃が開始された
しばらくウィロビーの回顧録を引用する。

「連合国軍による38度線を突破しての北進攻撃は、まず韓国軍の二個師団によって開始された。1950年9月30日、これらの部隊は東海岸沿いの道路を一挙に北上、10月3日には38度線を突破して100マイル近くも前進していた。そして10日後には、これらの師団は軽い抵抗を受けただけで元山を攻略していた。
一方、西海岸沿いでは米第8軍が国連決議を待つかのように、10月8日に38度線を突破し、平壌の南部近郊へと一直線に攻め込んだ。第187空輸部隊は平壌の北25マイルにパラシュート部隊を降下させ、マッカーサー元帥と第8軍司令官ウォーカー中将も、この落下傘部隊を追うように平壌の飛行場にその姿を現わした。」(知られざる日本占領 ウィロビー回顧録』p.278)

国連軍は北朝鮮の首都平壌を占領し、破竹の勢いで鴨緑江近辺まで進軍したが、ここで868千人の中国軍の大軍に遭遇することになる
再びウィロビーの回顧録を引用する。

鴨緑江地図

「この危機的局面に直面しているマッカーサーの部隊はといえば、残余の北朝鮮軍を壊滅させ、北朝鮮全域に秩序を回復するだけの能力は十分持っていた。…だが、中共軍が本格介入した場合、その兵力比は5対1の割で敵の方が圧倒的に多く、おそらく今年の終わりには10対1にまで開く可能性さえある。しかしワシントンは、すでにマッカーサーにはこれ以上兵力を増やすことはないと知らせてきたのだ。
1950年11月26日、中国軍司令官・林彪は全兵力を挙げて鴨緑江を渡り、攻撃を開始した。かくして中国は、米国その他の連合諸国とおおっぴらな戦争状態に突入したのであった
。」(同上書 p.292-293)

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国連軍は中国軍の兵力に圧倒されて12月4日に平壌を放棄して後退し、1951年1月4日には再びソウルを共産軍に奪われてしまう

0105共産軍ソウル占領

ウィロビーの回顧録を読み進んでいくと、大量の中国軍が国境付近に集結し北朝鮮支援のために参戦する可能性が高いことを、ウィロビー率いるGHQ参謀第2部(G2)が何度もワシントンに詳細に報告していたことや、台湾の国民党筋も1950年8月27日に中共の介入をアメリカに警告していたことなどが縷々述べられている。そのような重要情報を入手していながら米統合参謀本部は、「中共が本格的攻勢をかけようとしているか確認できない」として、マッカーサーに対し北進を指令したのだが、それは何故なのか。
また中共軍が参戦して国連軍が敗走し再びソウルを失うと、自らの状況判断ミスを棚に上げて、結果責任をもっぱらマッカーサーに擦り付け、「わが部隊は中国の農民兵を前にして敗走したが、これは米国戦闘史上にあってもっとも恥ずべき敗北である」とマッカーサーを非難したという。

前回の記事でもいくつか紹介したが、米統合参謀本部はマッカーサーにとってプラスになるような有用な情報を伝えるどころか秘匿し、マイナスになるような命令を何度も出した。またマッカーサーが敵軍の補給路を断って緒戦の戦況を一変させた「仁川上陸作戦」には、何故か根強く反対したのである。
米統合参謀本部の中枢には、少なくともマッカーサーが活躍することを喜ばず、できれば失敗をさせることによってマッカーサーを失脚させたいと考える人物が中枢にいて指示を出していた可能性を感じる人は私だけではないだろう。その問題については後で書くことにしよう。

話を中国軍と国連軍との戦いに戻す。
兵力では圧倒的に中国軍の方が優勢であったのだが1951年の2月ごろから不思議なことに中国軍の戦闘力が低下していった。

ウィロビーはこう解説している。
「1951年2月10日には奪われていた仁川港を再び攻略したわが軍は、態勢を立て直して反撃を開始し、共産軍にカウンターを食らわせつつあった。
 とはいえ、共産軍の猛攻が失敗に帰して、2月以降、その戦闘力が低下したことは、わが軍がすばらしい戦闘能力を示したというだけでは説明がつかない。なぜなら、わが兵力は数の上で圧倒的劣勢に立たされていたからである。これには別の要因も働いていた。つまり流行病という天罰が敵に下っていたのである。天然痘、腸チフス、発疹チフス、回帰熱等の流行病が北朝鮮全域に蔓延したのである。…」

かくして国連軍は態勢を建て直し、3月14日には再びソウルを奪還している。そして戦いは膠着状態に入ったと言われているのだが、武力においてはすでに国連軍のほうが優勢であったと言われている。
ところがトルーマン米大統領は4月11日にマッカーサーを突然解任し、彼のすべての指揮権を剥奪してしまったのだ

マッカーサー解任毎日新聞

ウィロビーの回顧録にはこう記述されている。
トルーマン大統領は、新たな勝利が朝鮮戦争でもたらされようとしていたその矢先、彼の最高の野戦司令官を解任するという暴挙に出た。その結果、トルーマンは敵が恐れていた一人の男を取り除くことになった。
 当時、マッカーサーは中国内の聖域を攻撃する決定を下すように、強硬に主張していた。彼はワシントンに、わが軍に対して活発に展開していた鴨緑江以北の軍事施設を空爆し、敵の補給をたつために中国の海岸を封鎖することの許可を求め、さらに台湾の国府軍を使わせてほしいとの要求を再三再四行った。だが国防長官のマーシャル、国務長官のアチソン、それにトルーマンはこれを握りつぶしてしまった。おかげでわれわれは陣地戦で行き詰まり、消耗多くして実りの少ない戦争を継続する羽目に陥った。
 トルーマンは、中国内の聖域どころか鴨緑江にかかる橋を空爆することさえ許可しようとしなかった。中国軍が鴨緑江を渡ってきたとき、マッカーサーは河にかかる6つの橋を空軍で破壊するよう命じたが、彼の命令はたちどころに飛んできたワシントンからの電報で撤回されてしまった。鴨緑江の橋はいまも相変わらず架かっている。その橋桁には、共産軍を増強して国連軍を撃破しようと、何十万という兵士たちの足音がとどろきわたり、何百万トンという補給物資と弾薬が車輪の音を響かせたのである。」(同上書p.320-321)

普通に考えれば仁川上陸作戦で敵軍の補給路を断つのに成功したならば、鴨緑江に渡る橋を破壊すれば、北朝鮮軍の全面的敗北は確実であったと思われる。ところが、それをさせじとする勢力がワシントンの中枢部にいたことは極めて重要である

通説では、マッカーサーが原爆を投下したいと主張したので、トルーマンが反対してマッカーサーを解任したという事になっている。
しかし、ソ連朝鮮戦争が始まる前年の1949年に原爆実験を成功させていた。もし国連軍が原爆を使えば、ソ連も使う可能性が高いだろう。それでは戦争は終わるはずがないし、世界を巻き込む大戦争になることは誰でもわかる。 しかし原爆を使わないと宣言してしまっては、保有することによる抑止力を失ってしまうので、マッカーサーがそれを「使わない」とは宣言するはずがない。かといって「使う」と言ったとしても、余程のことがない限り使わないのが原爆なのではないか。
マッカーサーが原爆を使うということを強く主張したことがわかる当時の史料が存在するなら撤回するが、私はマッカーサーがそう主張したために解任されたという説は、マッカーサーの評判を落とすための作り話だと考えている。

ウィロビーの回顧録に当時の記録がいくつか紹介されているのだが、マッカーサーの解任理由を語っているくだりには、トルーマンもマッカーサーも原爆のことを語っていないことがわかる。

トルーマン

トルーマンは『エスクァイア』誌のインタビューに対しこう答えたという。
「『…マッカーサーが大統領の権威を尊重することを拒否したのだ。彼はわが国政府における文民優位の伝統に挑戦したのだ。…』
 『2つの基本的問題があった。第一は蒋介石と彼の軍隊に関するもので、私はその使用につねに反対だったが、マッカーサーは逆だったのだ。』…
さて、戦線では中共介入後、2ヶ月間にわたる残酷なほどの冬季戦闘ののち、38度線まで敵を押し戻すにいたったのだが、マッカーサーは3月初旬、それ以上北進するなとのワシントンの命令に関わらず、シーソーゲームをくりかえしていることにはもう厭気がさしたと公然と不平を言いながら、その地点にとどまっていようとはしなかった
『あいつはとんでもないヤツだ。もしマッカーサーのいい分を聞いていたら、アメリカは中共ばかりかソ連とも戦うようになり、第三次世界大戦が起こったかもしれないのだ。』」(同上書 p.314-317)
ウィロビーの記述によれば、38度線を越える北進の命令を下し国連軍を中国の大軍と戦わせことも、鴨緑江の6つの橋の破壊を許さず、中国軍の補給路を断つことを認めなかったこともワシントンの指令であった。
マッカーサーに勝利させることを許さず、シーソーゲームになるようにしたのはワシントンの中枢部ではなかったか。そもそもマッカーサーには中国全土を敵に回す意図はなく、北朝鮮軍の補給や通信地点を破壊することで第三次世界大戦になるというのは論理の飛躍であるように思えるのだ。

次にマッカーサーの発言を紹介しよう。
「解任は出し抜けになされた。私は、台湾が共産主義者の手に落ちる危険性について警告していた。これは当時の権力と意見を異にするものだと言われた。だが国務省は、私の解任以後、そんなことは合衆国の長年の変わらぬ政策だったと言明している。
 申し渡された第2の理由は、私が敵の司令官に軍事事項の話し合いを呼び掛けた点だった。(3月24日、大統領の許可を受けずに、むしろ大統領に対抗して、マッカーサーは休戦協議の声明を発表している)。ところが、同じような提案がソ連についてなされるや、これは熱烈に歓迎されたのである。
 第3の理由は、ある下院議員に対する私の書簡であった。軍役に服しているものの誰一人として、下院議員と連絡することを制限されない、という法律が立派にあるのに。」(同上書p.322-323)

マッカーサーの電撃的解任には日本人も驚かされたが、米国人も驚いた。そしてそれは、次第にトルーマンに対する怒りに変わったという。

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4月17日にマッカーサーはサンフランシスコに到着し、50万人の人々が彼を出迎え、300万人の人々が彼の帰国を見守り、カリフォルニア、フロリダ、ミシガン、イリノイの各州議会は、マッカーサーを罷免したトルーマン大統領を非難する決議を採択したという。

マッカーサーはワシントンでも熱狂的歓迎を受けたのち、上下両院の合同会議上で議員の前で演説を行い「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ(Old soldiers never die,they just fade away)」という歌の一節を引用して演説を締めくくり、議場の歓呼に応えて演壇を降りて軍歴を閉じたのだった。

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トルーマンの言っているのが正しいのか、マッカーサーやウィロビーの言っていることが正しいのか。
今では朝鮮戦争以降のマッカーサーが悪者にされて歴史が綴られているのだが、いつの時代もどこの国でも、往々にして歴史は勝者にとって都合の良いように書きかえられてきたものである。通説では説明できないことが書かれている当時の記録が多数残されている場合や、通説の根拠となる当時の史料が見つからない場合には、通説をまず疑ってみるべきだと考えている。

以前このブログで、『ヴェノナ文書』(ソ連情報部暗号文書)の解読が進んで、アメリカのルーズベルト政権(民主党)には、常勤スタッフだけで2百数十名、正規職員以外で300人近くのソ連の工作員、あるいはスパイやエージェントがいて暗躍していたことが今では判明していることを書いた。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-212.html

トルーマンはF.ルーズベルト大統領の急死を受けて1945年に副大統領から大統領に昇格した人物だが、トルーマン政権(民主党)を支えたスタッフはルーズベルトのスタッフの多くを引き継いでいたのである。トルーマンがソ連に有利な判断に傾く謎はそのことを無視しては語れないのだと思う。

マッカーシー

朝鮮戦争のはじまる4か月前の1950年2月9日に、アメリカ上院で共和党議員のジョセフ・レイモンド・マッカーシーが、「205人の共産主義者が国務省職員として勤務している」と告発していることがWikipediaに記述されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%BC

マッカーシー議員の情報源は『ヴェノナ文書』ではなく、FBIから情報を入手したと言われているのだが、その後『ヴェノナ文書』の解読が進み、ソ連のスパイ行為はマッカーシー議員の見積もりよりもさらに大規模なものであったことが判明しているという。
とすると、アメリカのルーズベルト政権からトルーマン政権までの20年間(1933-1952)は、アメリカの政権中枢はソ連によるスパイ活動の影響を相当受けていたことになる

この2人の民主党の大統領の時代にアメリカがソ連を敵に回したことがほとんどなく、共産主義勢力に対して甘い対応を取りつづけたのは、このような背景を知らなければ理解できないと思うのだ。
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Comment
Drew Pearson
こんばんは
マッカーサーが原爆を使うということを強く主張したことがわかる当時の史料が存在するなら撤回するが、私はマッカーサーがそう主張したために解任されたという説は、マッカーサーの評判を落とすための作り話だと考えている。
しばやんの推理に同感です。マッカーサーの評判を落とすために以前工作した記者がいました。裁判に訴えられて負けそうになって、マッカーサーを女性関係で脅迫して裁判を取り下げさせた人物。マッカーシーやフォレスタルを突き落としたのと同じ記者です。名前はDrew Pearson。以下にも出ています。
http://coat.ncf.ca/our_magazine/links/53/macarthur.html
NoTitle
Bruxellesさん、こんばんは。

Drew Pearsonという人物のことは知りませんでした。ご教示ありがとうございます。マッカーサーだけでなくマッカーシーやフォレスタルを突き落としたとなると臭い人物ですね。

それにしてもBruxellesさんは英語が得意なのですね。羨ましいです。
大学のころは辞書を引きながらなんとか読んでいましたが、今ではすっかり錆びついてしまいました。

次の記事はスターリンが朝鮮戦争にアメリカを参戦させるように誘導したという、スターリンの極秘文書が公開されている話を書こうと思っていますが、どうしても日本語の記事に頼ってしまいます。

これからもいろいろ教えてください。
しばやんへ
レスありがとう御座います。
スターリンの極秘文書、楽しみに待っています。その話は初めて聞きます。
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Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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